剣蛇ヶ岳
概 要 剣蛇ヶ岳は豊岡市と京丹後市の境にある標高422mの山で、白雲山とも呼ばれます。 山頂の北東側と西側が開けていて、山並みなどを一望できる素晴らしい眺めが広がります。 今回は栄町地区の奥にある馬路奥踏切から馬地峠の近くにある尾根に出て山頂へ登り、 法花寺農村公園へ降るルートを歩きます。
起 点 豊岡市栄町 馬路奥踏切
終 点 豊岡市法花寺 法花寺農村公園
馬路奥踏切…登山口…21番鉄塔…小峰…22番鉄塔…鉄塔跡…小峰…展望地…こさつ峠…剣蛇ヶ岳…こさづ平展望広場…池の沢展望広場…白雲山登山口…水澄不動尊…水澄橋…法花寺農村公園…(酒垂神社)
所要時間 3時間50分
歩いて... 馬地峠が近づくと谷筋の道が分かり難くなったので、尾根に続く送電線の巡視路を登りました。 薄雲が広がっていたのが残念ですが、山頂からは山並みを見渡せる眺めが広がりました。 こさつ峠の手前の尾根では樹木が少し煩わしく、こさづ平展望広場からの降り道にはシダ類が茂っていましたが、それほど苦労せずに歩けました。
関連メモ 剣蛇ヶ岳, 剣蛇ヶ岳, 剣蛇ヶ岳, 剣蛇ヶ岳
コース紹介
馬路奥踏切
豊岡市を通る国道312号の鎌田交差点から県道160号を東進していきます。 栄町バス停の手前まで来て、左へ分かれていく道に入っていきます。 集落の中を進んで、馬路川に架かるを渡っていきます。 最後の民家の先にある「回転場」を過ぎて、谷筋に続く1車線の幅の舗装路を奥へと進んでいきます。 未舗装路が分岐している所に架かるを渡って、傾斜が増してきた道を登っていきます。 小祠のある砂防ダムを過ぎた先にある二つ目のを渡っていきます。 京都丹後鉄道宮津線の馬路奥踏切の手前まで来ると、舗装路は終わりになります。 終点には車数台分の駐車スペースがあるので、ここに車を止めました。
この時には「のり面改良他工事」が行われていて、工事用の車両が止まっていました。
歩く準備をして、を渡っていきます。 踏切の先には、未舗装ながら広いが続いています。 夏草が茂る季節ですが、草刈りが行われたようで歩き易くなっていました。 少し右へ曲がりながら進み始めると、「火の用心」のが立っています。 矢印と数字も見られますが、ほとんど消えていて判読出来ませんでした。 明るい所に出ると、右下に通るを見下ろせます。
この踏切は馬路奥(まじおく)
緊急連絡先 宮津駅
−ご通行中の皆様へ−
踏切で事故が起きた場合は、上記へただちに踏切名をお知らせ下さい。
京都丹後鉄道
登山口
傾斜が増してきた林道を登っていくと、に入っていきます。 夏草がなくなって落ち葉が積もる林道を登っていくと、の上を過ぎていきます。 左の谷筋を眺めながら少し登っていくと、頭の取れた石仏が小岩の脇に佇んでいます。 駐車スペースから5分ほどの所になります。 には文字が刻まれていますが、風化して判読出来ませんでした。 林道はこの先へも続いていますが、ここから馬地峠を目指して、左の谷筋に続くに入っていきます。
山道に入ったすぐの所に「火の用心」のが立っていて、 この先の道を指す「19,20,21」が書き込まれています。 の右側に続く山道を進んでいきます。 僅かに水が流れる小沢を跨いで、谷筋に続くの左側を進んでいきます。 少し伐採木が目立つようになると「火の用心」の赤い標識が立っていて、 左の道は「19」、正面の道は「20」となっています。 登山口から3分ほどの所になります。
伐採木が横に置かれたのような所を過ぎていきます。 僅かに水が流れる砂地になったを渡っていきます。 石がゴロゴロしてシダ類が少し生えるを進んでいきます。 「火の用心」の赤い標識の所まで来ると、再び砂地になったを渡っていきます。 右へ曲がっていくと、樹木が減ってシダ類が茂る明るい所に出ます。 登山口から7分ほどの所になります。 赤テープが取り付けられていますが、送電線の巡視路を示しているのでしょうか。
谷筋の左側に続くを進んでいきます。 砂地になった小沢まで来ると、その先で谷筋が分岐しています。 登山口から8分ほどの所になります。 角には二枚組の「火の用心」のが立っていて、 正面の谷筋に続く道は「21」、左の谷筋は「20」となっています。 も歩けそうな様子ですが、 赤テープも取り付けられているを進んでいきます。
岩がむき出してのようになった沢の左側を登っていきます。 小滝の上に出ると、道はを登っていきます。 次第に狭くなってくる谷筋のを登っていきます。 左側を振り返ると尾根の上に送電線のが見えますが、写真にはうまく写っていません。 僅かな水の流れを跨いでいくと道が分岐しています。 登山口から12分ほどの所になります。 角の樹木には赤テープが取り付けられています。 標識類は見かけませんが、正面に続く小沢沿いの道を進んでいきます。
石がゴロゴロする小沢のを登っていきます。 赤テープを辿りながら、狭くなってくるを進んでいきます。 「火の用心」の赤い標識が立つ所まで来ると、谷筋にシダ類が茂って道が分からなくなりました。 登山口から14分ほどの所になります。 どうしたものかと思案していると、標識に矢印付きの数字が書き込まれていて、小沢の右側は「21」、今来た道は「20」となっています。 右の斜面を見ると、送電線の巡視路でよく見かける硬質プラスチック製のが戻るように続いていました。 馬地峠へはこのまま正面の谷筋を進むのだろうとは思うものの、シダ類が茂って道がはっきりしないので諦めて、 僅かに水が流れるを渡って、右の斜面を登っていくことにしました。
斜面を横切るように続く硬質プラスチック製のを登っていきます。 薄緑色のテープが幾つも巻かれたを過ぎて、道なりに左へ曲がっていきます。 尾根の背に出て、のようになった所に少し曲がりながら続く階段を登っていきます。 松の幼木が茂る窪んだ道を登っていくと、正面に送電線のが見えてきます。 鉄塔が近づいてくると、道の窪みはなくなります。
21番鉄塔
左の谷向いには小山が見えますが、馬地峠の北西にあるでしょうか。 その右側の撓んだ所が馬地峠のようなので、その南側にある支尾根を登っていることになります。 短いが生える所を登っていくと、 送電線の鉄塔「豊岡海部線二一」の袂に着きます。 「火の用心」の赤い標識が立つ谷筋から尾根を登り始めて6分ほど、登山口から20分ほどの所になります。 振り返ると、を見渡せる眺めが広がります。 景色を眺めながら、ひと息入れていきました。
落ち着いたところで、鉄塔の先に続くを登っていきます。 右に広がるを眺めたりしながら登っていきます。 尾根の背を跨いでいくと、再びに出ます。 正面の稜線にが見えていますが、道は少し左へ曲がって雑木林に入っていきます。
左の雑木林へ入っていくと、が巻かれた樹木が幾つもある所に出ます。 ここで道が分岐しています。 右側にはが二つあります。 正面にもがありますが、標識類は見かけません。 どうしたものかと思案していると、窪んだ道の左側の方に赤テープが見えたので、その道を登ることにしました。
窪んだ道を左へ曲がりながら登っていくとに出ます。 中ほどに赤テープが巻かれた樹木があって、その右側へ続くが見られますが、見送っていきます。 斜面を横切るように左へ進んでいくとに出ます。 右へ曲がって、尾根の背を登っていきます。
を通ったりしながら、右・左と曲がりながら登っていきます。 このルートで合っているのか不安に思いながら、次第に傾斜が増して歩き難くなる尾根を登っていくと、 右への曲がり角にを見かけてひと安心しました。 少しを曲がりながら登っていきます。 時々吹き上がってくる谷風に涼を得ながら、斜面を登っていきます。
小峰
大きく右へ曲がっていくと、先の方に少しが見えてきます。 そこへ向かって、斜面を横切るように斜めに登っていきます。 歩き難い斜面を登ってに着くと、赤テープが取り付けられていました。 曲がって歩き易くなった斜面を登っていくと小峰に着きます。 21番鉄塔から19分ほどで登って来られました。 地形図によると、馬地峠の南東150m辺りにある標高280mほどの高みになるようです。 周囲には樹木が茂っていて展望は得られません。 馬地峠へ降るを覗いたりしながら、ひと息入れていきました。
落ち着いてところで、が巻かれている右側の樹木の先に続く尾根を降っていきます。 のように窪んだ所を過ぎて、緩やかになった尾根を進んでいきます。 程なくして尾根がしていますが、左側の尾根を進んでいきます。 倒れかかった樹木の下を過ぎて軽く降っていくと、浅い鞍部に着きます。
22番鉄塔
軽いになった尾根を進んでいきます。 僅かな起伏のある歩き易いを進んでいきます。 軽く登っていくと、少し曲がっていきます。 樹木が切り払われて明るくなった所に出ると、送電線の鉄塔「豊岡海部線二二」が立っています。 小峰から5分ほどの所になります。 が開けていて山並みを眺めることができます。 少し先から左を振り返って兜山小天橋久美浜湾などのを眺めたりしながら、ひと息入れていきました。
落ち着いたところで、尾根のに続く踏み跡を軽く登っていきます。 すぐにのような所に出ます。 少し倒木が見られるを進んでいきます。 程なくして、軽い登り坂になります。
鉄塔跡
僅かなに向かって尾根を登っていきます。 傾斜が緩やかになると、のような所に着きます。 少し倒木が見られる尾根を進んでいくとになります。 軽く降っていくと、樹木が伐採されて短い芝草が生える明るい所に出ます。 22番鉄塔から6分ほどの所になります。 以前の地形図によると、かつて送電線の鉄塔が立っていた所のようです。 が開けていて山並みを見渡せます。 にも先ほどの兜山などが見えます。 ここでも景色を眺めがら、ひと息入れていきました。
落ち着いたところで、鉄塔の先へ進んでいきます。 登り始めた所から左を振り返ると、方面がこれまで以上に綺麗に見えました。 になった尾根を進んでいきます。 傾斜が緩んだ所まで来ると、左の樹間からが少し見えます。 尾根の真ん中に生えるの脇を過ぎていくと、 左の樹間から再び久美浜湾方面が見えてきます。
小峰
夏草がほとんど見られないを登っていきます。 傾斜は急ではないので、それほど苦労せずに登っていけます。 になった所を過ぎていきます。 また登り坂になる尾根を進んでいくと小峰に着きます。 鉄塔跡から8分ほどの所になります。 地形図によると、鉄塔跡の南南東200m辺りにある標高290mほどの高みになるようです。 周囲には樹木が茂っていて展望は得られません。
傾斜が増した尾根を少し降っていくとに着きます。 鞍部から尾根を登り返していくと、左側の樹間からが少し見えました。 少し降る所を過ぎて登り坂が続くようになると、が少し茂る所を過ぎていきます。 明るくなってくる上の方に向かって、尾根を登っていきます。
展望地
少し傾斜が緩んできた尾根を進んでいくと、再びが見られるようになります。 が目立つようになる尾根を登っていきます。 倒木を跨いだり避けたりしながら進んでいくと、左側に山並みが広がる展望地に着きます。 鉄塔跡から25分ほどの所になります。 方面も良く見えました。
少し登っていくと、が少し煩わしくなった尾根を軽く降るようになります。 浅い鞍部を過ぎて、を登り返していきます。 が茂る所を抜けていきます。 少し右へ曲がるとになります。 再びアセビが茂る所や倒木が煩わしい所を過ぎていくと、尾根のを進むようになります。 尾根の背に出ると、アセビが茂る鞍部に着きます。 鉄塔跡から34分ほどの所になります。
鞍部を過ぎて、歩き易いを登っていきます。 またが茂る所を抜けていきます。 もあって煩わしく思いながら、軽い登り坂の尾根を進んでいきます。 緩やかな所を過ぎて、になった尾根を進んでいきます。 アセビが茂る所にある大きなを迂回していくと、緩やかな尾根に出ます。 鉄塔跡から47分ほどの所になります。 このまま尾根を進んでいくと五郎岳方面に続いていますが、この辺りからこさつ峠へ降りていきます。
(正面に続く尾根は「剣蛇ヶ岳」,「剣蛇ヶ岳」を参照)
こさつ峠
以前に来た時はこさつ峠からに登ってきたような淡い記憶があるので左の斜面を探りますが、 アセビが茂るばかりで明瞭な道はありません。 それでもこの辺りの筈だと信じて、アセビを掻き分けながら斜面を降っていきました。 大きな倒木を乗り越えていくと、アセビが減って歩き易いに出ます。 斜面を真っ直ぐ降っていくと、シダ類が生い茂るが見えてきます。 このシダ類の茂る鞍部がこさつ峠になります。 鉄塔跡から54分ほどで着きました。 以前に来た時には中ほどに生える樹木の傍に標識があったので辺りを探していると、 シダ類の先の樹木の脇に裏返しに倒れていました。 表側を向けてみると以前に見かけたでした。
の先にはこさづ平展望広場が見えていて、容易に降りていけそうです。 も広くて歩き易そうな様子ですが、 剣蛇ヶ岳に向かって、を少し左へ曲がりながら登っていきます。 標高380mほどの高みを軽く登っていきます。 所々に取り付けられた赤テープを辿りながら進んでいくと、 標高380mほどの高みと剣蛇ヶ岳との間にある鞍部に着きます。 こさつ峠から3分ほどの所になります。 標識類は見かけませんが、中ほどに生える樹木の所を左へ曲がって、 その先の尾根に続くを登っていきます。
夏草がないを登っていきます。 周囲がなってくると、左から登ってくる尾根の背に出ます。 少し右へ曲がって、を登っていきます。 次第に登り傾斜が増してくると、先の方がなってきます。 息を弾ませながら登って右からの尾根と合流すると、剣蛇ヶ岳の山頂部の端に出ます。 こさつ峠から10分ほど、馬路奥踏切から2時間14分ほどで登って来られました。
剣蛇ヶ岳 (標高422.0m)
山頂の中ほどには各方面を示すが立っていて、 妙見山・氷ノ山、豊岡市街・コウノトリの郷公園、三川山、来日岳、久美浜湾・甲山、 経ヶ岬、京丹後市などを指しています。 以前には一番上の板に「白雲山・剣蛇ヶ岳 標高422m」と書かれてましたが、この時には文字が消えて判読できませんでした。 傍には三角点のような標石がありますが、「三角点」の文字は見かけません。 薄雲が出て遠くが霞んでいたのが残念ですが、西側が開けていて山並みを見渡せる眺めが広がります。
樹木に邪魔されながら、北東側にもが見えます。 も少し見えます。 ベンチが幾つか設置されてもあるので、眺めを楽しみながら休憩していきました。
眺めを楽しんだところで、剣蛇ヶ岳から下山していきます。 東南東へ延びる尾根から口三谷地区へ降りて行けますが、 今回は酒垂神社の傍にある法花寺農村公園へ続く登山道を降っていきます。 登り着いたまで引き返して、左側の尾根を降っていきます。 かなり急な傾斜の尾根を降っていくと、向こう側を向いた「大神岩」のがあって左側を指しています。 左には道が分かれていないので、その先の方に岩があるということなのでしょうが、ちょっと見た所では確認できませんでした。 標識の先に続くを降ってきます。 シダ類が茂るようになって階段が終わると、「記念育樹道」の標識の手前を右へ曲がっていきます。
(山頂から口三谷地区へ降る道は「剣蛇ヶ岳」を参照)
に入って、斜面を横切るように降っていきます。 に出て、回り込むように左へ曲がって降っていきます。 横木の階段も見られますが、落ち葉などが積もって分かり難くなっています。 斜面を横切るように更に降って「動物に注意」や「山火事注意」の標識を過ぎていくと、シダ類が茂るに着きます。 道はシダ類の中に続いていますが、分かり難くなっています。 右側のすぐ先には鞍部が見えますが、剣蛇ヶ岳へ向かっていった時に通った所になります。 道なりに左へ曲がって、シダ類が茂るを降っていきます。 左側に立つ「自由体験広場」の標識を過ぎていくと、右の斜面に山道が現れます。 シダ類が茂って分かり難くなっていますが、軽い登り坂になったこの道を進んでいきます。
こさづ平展望広場
シダ類が茂る所はすぐに終わって、標高380mほどの高みを巻くように右へ曲がりながらを登っていきます。 小尾根の背に出て右へ曲がり、「山火事注意」の標識を過ぎてを横切るように降っていきます。 生い茂るの中を抜けていきます。 向こう側を向いた「動物に注意」と「山火事注意」のの間を過ぎると、シダ類が生い茂る谷筋に着きます。 剣蛇ヶ岳から12分ほどで着きました。 シダ類の中には「こさづ平展望広場」のが立っていて、「山頂まで450m」の小札が添えられています。 傍には「」も設置されていて、この広場から山頂にかけてが載っています。 右のすぐ上にはが見えていますが、 左へ続くシダ類が茂るを降っていきます。
谷筋にはが途切れながら続いていますが、 シダ類に隠れて落ち葉も積もって分かり難くなっていました。 シダ類がなくなると、僅かなを跨いで植林地へ入っていきます。 斜面を回り込むように軽く登っていくと、「動物に注意」のを過ぎていきます。 少し降るようになると、左への曲がり角に「水晶の丘」の標識があります。
池の沢展望広場
左・右と曲がって、を降っていきます。 「山火事注意」の標識を過ぎると、シダ類が茂る谷筋に出ます。 剣蛇ヶ岳から24分ほどの所になります。 脇には「池の沢展望広場」のが立っていて、「山頂まで750m」の小札も取り付けられています。 左に続く谷筋の先にはが見えました。
道なりに左へ曲がって、谷筋のに続く道を降っていきます。 シダ類がなくなった植林地を降って左へ曲がると、再びシダ類が茂るに出ます。 シダ類の中を横切って右へ曲がり、谷筋のに続く横木の階段混じりの道を降っていきます。 階段が終わると、またシダ類が茂る谷筋に出ます。
生い茂るシダ類の中を進んで谷筋のに出て、植林地を降っていきます。 の脇を過ぎていきます。 植林地の斜面を降っていくとが現れます。 脇にトラロープが張られていますが、特に必要な様子はありませんでした。 階段が終わった所には「小垂神酒谷」の標識が立っていて、今降ってきた階段を指しています。
標識を過ぎて、を横切るように降っていきます。 傾斜が増してくると再びを降るようになります。 ここでもトラロープが張られていますが、降るのには特に必要ありませんでした。 階段が終わってに着くと、「大神谷」の標識が向こう側を向いて立っていて右下を指しています。 剣蛇ヶ岳から35分ほどの所になります。 標識を過ぎると、道は曲がっていきます。 すぐにトラロープが張られるようになります。 横木の階段も見られますが、落ち葉などに埋もれて分かり難くなっていました。
垂らされた状態になったトラロープに沿って続くを降っていきます。 階段が終わって左へのまで来ると、また階段が現れます。 少し右へ曲がりながら斜面を降っていくと、丸太を横に並べたを渡っていきます。 がゴロゴロする所を過ぎて植林地の斜面を横切るように進んでいくと、 右下に水澄不動尊が見えてきます。
白雲山登山口
祠を眺めながら降っていくと、少し水が流れるに出ます。 道なりに右へ曲がって、を眺めながら降っていきます。 程なくして広い道に降り立ちます。 剣蛇ヶ岳から42分ほどで降りて来られました。 角には向こう側を向いた「白雲山登山口」のが立っていて、 「山頂まで1,300m」の小札が取り付けられています。
今回登った剣蛇ヶ岳白雲山とも言うようです。
水澄不動尊
法花寺農村公園へ降る前に、すぐ左にある水澄不動尊に立ち寄っていきました。 祠は向こう側を向いて建っています。 右側から正面に回っていくと、「水澄不動尊」と刻まれた石標があります。 祠の中を覗ってみると、小綺麗な祭壇にと思われる石像が安置されていました。 傍には解説板のようなものも立っていますが、文字は確認できませんでした。 祠の前には「不動橋」と刻まれた標識もありますが、それらしい橋は見かけませんでした。 祠の先の石段を登った所に、二段になったがあります。 は勢い良く水が流れ落ちていましたが、 の水量は僅かでした。
水澄橋
往復7分ほどでまで引き返してきて、植林地に続く広い道を降っていきます。 向こう側を向いた「生望の坂」と書かれたを過ぎていきます。 を左・右と小さく曲がりながら降って沢の傍に出ると、水澄橋が架かっています。 白雲山登山口から4分ほどで降りて来られました。 以前には橋は木板で出来ていましたが、老朽化したのか、この時にはその上に鉄板が敷かれていました。 橋の手前には車を何台か止められる広さのがあって、簡易トイレも設置されています。 橋の上流側にはがあって、取水用と思われるパイプが引かれていました。
右側を流れる沢の水音を聞きながら、植林地に続くを緩やかに降っていきます。 樹木が減って夏草が茂るを過ぎていきます。 沢に架かる白い柵付きのを渡っていくと、 建物が幾つかある広場が左側にあります。 「フリー農園ひらの」というようで、アウトドア・キャンプ場になっているようです。 傍には沢が流れていて、炊事するのにも良さそうな所です。 無料で自由に使用できるとのことですが、掲げられている看板によると申込みが必要のようです。
小規模なの下を進んでいきます。 植林地を抜けると、田んぼが広がるに出ます。 獣避網や電気柵に沿って続くを降っていきます。 左から道が合流する所まで来ると舗装路に出ます。 右の山際にが幾つか立っていて、 「水澄不動尊 ここから600m先」「コウノトリ営巣どうろ→」「山頂まで2,277m」となっています。
法花寺農村公園
民家が散在するを緩やかに降っていきます。 五郎岳への(*)を右に分けていきます。 突き当りの分岐を左へ曲がっての横を過ぎていくと法花寺農村公園に着きます。 白雲山登山口から27分ほどで到着しました。 複数の車で来る場合には、ここに車を待機させておけば良さそうです。 脇にあるの手前には「」が立っていて、 剣蛇ヶ岳から降ってきた道が載っています。 その袂には白塗りの標柱があって、「是より先百二十メートル 右 不動尊参道」「お堂まで約九百メートル」となっています。 傍には道標も立っていて、今回降ってきた道は「白雲山山頂(登山ハイキング道)2.8km」「水澄不動尊1.3km」となっています。 「」と題した案内板もあって、剣蛇ヶ岳から降ってきた道が載っています。 「」と題した案内板では、この付近の須恵器窯跡群が図示されています。
今回はここを終点にしますが、単独行だったので車を止めてきた馬路奥踏切の手前の駐車スペースまで歩いていきました。 かなり疲れていてトボトボとした遅い歩みになったので、馬路川橋まで20分ほど、駐車スペースまで56分ほどかかりました。 駐車スペースまでの歩行は所要時間に含めず)
五郎岳への道は「剣蛇ヶ岳」を参照。
法花寺地区急傾斜地崩壊危険区域
(注意)この区域内で土地の形状変更する場合は、知事の許可が必要ですから、豊岡土木事務所管理課にご相談下さい。 兵庫県
法花寺農村公園
農村総合整備モデル事業
完成年度 平成3年度
豊岡市
古代の窯業生産地
法花寺須恵器窯跡群 6世紀おわり〜8世紀はじめ
須恵器は青灰色のかたい土器で、5世紀はじめに朝鮮半島から焼成技術がつたわり、各地に普及する。 ロクロを使ってさまざまな器種をつくり、斜面にきずいたトンネル状の窖窯(あながま)で高温焼成したものだ。 良質の粘土とたくみな作り技、窯づくりや1000℃以上になる温度調節の技など、 高い技術をもつ専門の工人たちがかかわっていた。 法花寺には4箇所の窯場があり、部分的な発掘調査によって10基以上の窖窯がみつかっている。 これらは飛鳥時代から奈良時代にかけて築造されたもので、 古墳や横穴慕への副葬品、寺院・役所への納品用などに、盛んに須恵器を焼いていたようすをものがたっている。 この時代に法花寺の谷が但馬でも有数の窯業地であったことがわかり、 調査と研究をすすめながら大切に保存していきたい史跡である。
2006年3月 豊岡市教育委員会
酒垂神社
法花寺農村公園の道路向いに酒垂神社があります。 鳥居の横には記念碑や解説板などが並んでいます。 鳥居をくぐって境内へ入ると、手水舎の傍に大きな木があります。 その先にはがあります。 中へ入っていくと「大蔵大明神」「酒垂神社」の扁額が掲げられています。 建物を過ぎていくと社殿があります。 屋根に3本の鰹木が乗り外削ぎの千木が聳える覆屋の中に、朱塗りのがありました。 社殿の左側にはが、 右側にはがありました。
酒垂神社の散策は所要時間に含めず)
重要文化財 酒垂神社本殿畧記
酒垂神社は杜氏の祖神酒造司の守護神である酒弥豆男命・酒弥豆女命(大蔵大明神)を祀る社である。 神社の創立は今から千三百年の昔、この地方を治めていた郡司物部韓国連久々比命が贄田に酒所を定めて醸酒した砌、 酒鮮子神等酒造神三柱を祀ったのが発祥であると伝えられている。 延長五年(927)勅旨によって制定された延喜制神明式には但馬城崎郡廿一座の一つに酒垂神社の名が誌され(式内社と云う)、 古くから朝野において崇敬された由緒ある神社である。 今の本殿は社蔵の棟札によると、永亨十年(1438)釿始・嘉吉元年(1441)柱立・文安元年(1444)遷宮、 造営の大工は伴大夫大伴久清で、蟇股にはこの時の墨書も誌されている。 建物は一間社流造こけら葺で、木割の太い柱に三ッ斗組をのせ、中備えは半肉彫の蟇股を飾り、妻組は虹梁大瓶束を組む。 これらの建築細部技法は当時の建築様式の特徴を示す優れたもので、殊に建立年代や工匠名が明確であり、 建築史上価値の高い神社建築遺構として昭和三十三年五月に国の重要文化財指定をうけ、棟札も附指定された。 本殿は江戸中期の大改造によって形態が改変され、覆屋に囲われていたが、 昭和四十三年から翌四十四年にかけて文化庁指導のもとに解体修理があり、 その際の調査で身舎は旧規がほゞ解明され、軒廻り柱間装置・天井などは建立当初の形式に復された。 しかし旧部材の残存しなかった庇や縁廻りは江戸中期の改修等による形を踏襲して修理されたが、 欠失していた屋根を復じ、全般には室町時代の容姿に復旧整備された。 覆屋も本殿の修理と同時に改築された。
国指定重要文化財 酒垂神社本殿
昭和三十三年五月十四日 指定
酒垂神社はその名前が酒樽を連想させ、また祭神も酒弥豆男命(さかみずおのみこと)、酒弥豆女命(さかみずめのみこと)といい、 酒造りとの関連が考えられる神社である。 国指定となっている本殿は、所蔵されている棟札により永享十年(1438)に建設が始められ、文安元年(1444)に完成したとされる。 しかし、昭和四三〜四四年に行われた解体修理において部材から発見された墨書きにより、 細部の造営はその後も引き続き行われ、宝徳元年(1449)頃に完成したことが判明した。 指定されている建物は良く保存されており、側面に見える壺の形をした柱材などに室町時代のデザインをみることができる。 建立年代が明らかで保存もよく、建築細部の技法も優れ、棟札によって工匠名まで明確であり、建築史上の価値は高い。
豊岡市教育委員会
大杉追憶の碑
酒垂神社の社頭に聳え立っていた大杉は樹令六百年とも伝えられ、 樹高三十八.三七メートル、直径三.三メートルあり、神木として室町期の建立に懸る本殿とともに 法花寺部落の誇るべき象徴であった。 しかし長年にわたる風雪により、もはや蘇生の手立てなく樹勢徐々に衰え、幹の内部に大空洞を生じ、 枝の末端も枯損するなど、いつ倒壊するかもしれぬ甚だ危険な状態になっていた。 したがって将来に不測の事故を未然に防止するため、止むなく断腸の思いで伐採することに決した。 昭和五十九年十月二十八日伐採奉告祭を斎行し、氏子一同が集まるなかで大杉に決別を告げた。 ここに伐採の由縁を記し、大杉追憶の資とし、後世に伝えたい。
昭和六十一年十月吉日 酒垂神社 氏子中