概 要 |
剣蛇ヶ岳は豊岡市と京丹後市の境にある標高422mの山で、白雲山とも呼ばれます。
山頂の北東側と西側が開けていて、山並みなどを一望できる素晴らしい眺めが広がります。
今回は法花寺農村公園から北へ続く谷筋から尾根に登り、
五郎岳・こさつ峠を経て剣蛇ヶ岳へ登り、水澄不動尊へ降るルートを周回します。
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起 点 |
豊岡市 法花寺地区
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終 点 |
豊岡市 法花寺地区
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法花寺地区…酒垂神社…登山口…鞍部…小峰…五郎岳…こさつ峠…剣蛇ヶ岳…こさづ平展望広場…池の沢展望広場…水澄不動尊…法花寺地区
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所要時間 |
3時間40分
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歩いて... |
主尾根に出るまでは広めで明瞭な道が続きます。
五郎岳からは桃テープが点々と巻かれていてルートを示しています。
この日は天候に恵まれて、山頂からは山並みを見渡せる眺めが広がりました。
降りルートには標識類が幾つかありますが、半壊している標識が多く見られました。
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関連メモ |
剣蛇ヶ岳,
剣蛇ヶ岳,
剣蛇ヶ岳,
剣蛇ヶ岳,
剣蛇ヶ岳
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法花寺地区
豊岡市を通る国道312号の鎌田交差点から県道160号を東進していきます。
右へ曲がっていく県道160号から分かれて正面の道を進んでいくと、法花寺会館の隣に法花寺農村公園があります。
車を何台も止められる広さがあるので、ここに車を止めさせて頂きました。
もありますが、
本数は極僅かしかないので、バスの利用は当てにしない方が良さそうです。
バス停の傍に「」と題した案内板があって、剣蛇ヶ岳までの道が載っています。
また「」と題した案内板もあって、この付近の須恵器窯跡群が図示されています。
法花寺農村公園
農村総合整備モデル事業
完成年度 平成3年度
豊岡市
古代の窯業生産地
法花寺須恵器窯跡群 6世紀おわり〜8世紀はじめ
須恵器は青灰色のかたい土器で、5世紀はじめに朝鮮半島から焼成技術がつたわり、各地に普及する。
ロクロを使ってさまざまな器種をつくり、斜面にきずいたトンネル状の窖窯(あながま)で高温焼成したものだ。
良質の粘土とたくみな作り技、窯づくりや1000℃以上になる温度調節の技など、
高い技術をもつ専門の工人たちがかかわっていた。
法花寺には4箇所の窯場があり、部分的な発掘調査によって10基以上の窖窯がみつかっている。
これらは飛鳥時代から奈良時代にかけて築造されたもので、
古墳や横穴慕への副葬品、寺院・役所への納品用などに、盛んに須恵器を焼いていたようすをものがたっている。
この時代に法花寺の谷が但馬でも有数の窯業地であったことがわかり、
調査と研究をすすめながら大切に保存していきたい史跡である。
2006年3月 豊岡市教育委員会
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酒垂神社
公園の道路向かいに酒垂神社があるので、これからの散策の無事をお祈りしていきます。
鳥居をくぐって境内へ入ると、手水舎の先にがあります。
中へ入っていくと「大蔵大明神」「酒垂神社」のが掲げられています。
お酒に関連がある神社のようで、も奉納されています。
建物を過ぎていくとがあります。
屋根に3本の鰹木が乗り外削ぎの千木が聳える覆屋の中に、朱塗りの本殿があります。
重要文化財 酒垂神社本殿畧記
酒垂神社は杜氏の祖神酒造司の守護神である酒弥豆男命・酒弥豆女命(大蔵大明神)を祀る社である。
神社の創立は今から千三百年の昔、この地方を治めていた郡司物部韓国連久々比命が贄田に酒所を定めて醸酒した砌、
酒鮮子神等酒造神三柱を祀ったのが発祥であると伝えられている。
延長五年(927)勅旨によって制定された延喜制神明式には但馬城崎郡廿一座の一つに酒垂神社の名が誌され(式内社と云う)、
古くから朝野において崇敬された由緒ある神社である。
今の本殿は社蔵の棟札によると、永亨十年(1438)釿始・嘉吉元年(1441)柱立・文安元年(1444)遷宮、
造営の大工は伴大夫大伴久清で、蟇股にはこの時の墨書も誌されている。
建物は一間社流造こけら葺で、木割の太い柱に三ッ斗組をのせ、中備えは半肉彫の蟇股を飾り、妻組は虹梁大瓶束を組む。
これらの建築細部技法は当時の建築様式の特徴を示す優れたもので、殊に建立年代や工匠名が明確であり、
建築史上価値の高い神社建築遺構として昭和三十三年五月に国の重要文化財指定をうけ、棟札も附指定された。
本殿は江戸中期の大改造によって形態が改変され、覆屋に囲われていたが、
昭和四十三年から翌四十四年にかけて文化庁指導のもとに解体修理があり、
その際の調査で身舎は旧規がほゞ解明され、軒廻り柱間装置・天井などは建立当初の形式に復された。
しかし旧部材の残存しなかった庇や縁廻りは江戸中期の改修等による形を踏襲して修理されたが、
欠失していた屋根を復じ、全般には室町時代の容姿に復旧整備された。
覆屋も本殿の修理と同時に改築された。
国指定重要文化財 酒垂神社本殿
昭和三十三年五月十四日 指定
酒垂神社はその名前が酒樽を連想させ、また祭神も酒弥豆男命(さかみずおのみこと)、酒弥豆女命(さかみずめのみこと)といい、
酒造りとの関連が考えられる神社である。
国指定となっている本殿は、所蔵されている棟札により永享十年(1438)に建設が始められ、文安元年(1444)に完成したとされる。
しかし、昭和四三〜四四年に行われた解体修理において部材から発見された墨書きにより、
細部の造営はその後も引き続き行われ、報徳元年(1449)頃に完成したことが判明した。
指定されている建物は良く保存されており、側面に見える壺の形をした柱材などに室町時代のデザインをみることができる。
建立年代が明らかで保存もよく、建築細部の技法も優れ、棟札によって工匠名まで明確であり、建築史上の価値は高い。
豊岡市教育委員会
大杉追憶の碑
酒垂神社の社頭に聳え立っていた大杉は樹令六百年とも伝えられ、
樹高三十八.三七メートル、直径三.三メートルあり、神木として室町期の建立に懸る本殿とともに
法花寺部落の誇るべき象徴であった。
しかし長年にわたる風雪により、もはや蘇生の手立てなく樹勢徐々に衰え、幹の内部に大空洞を生じ、
枝の末端も枯損するなど、いつ倒壊するかもしれぬ甚だ危険な状態になっていた。
したがって将来に不測の事故を未然に防止するため、止むなく断腸の思いで伐採することに決した。
昭和五十九年十月二十八日伐採奉告祭を斎行し、氏子一同が集まるなかで大杉に決別を告げた。
ここに伐採の由縁を記し、大杉追憶の資とし、後世に伝えたい。
昭和六十一年十月吉日 酒垂神社 氏子中
山の神社
山の神社は元 字山の神九二三ノ一番地上にあって、当時は奥組合によって祈ってゐたらしく、
大正三年頃建物をその儘当所に移転し、部落で管理してゐたが、六十五年余経って
ひどく破損した為、今回以前のまゝに再建す。
昭和四七年八月 上屋改築
奉納
此処ニ
日本國唯一ノ重要文化財デアル酒ノ神「酒垂神社」
ヲ広ク世ノ人々ニシラシメル為
幸イ地元豊岡市ニ醸造元但馬酒造有限会社アリ
コノ蔵ハ毎年当神社ノ生強ノ水ニテ醸造スル事ヲ知リ
北但酒販協同組合ガ酒類御免許ノ獲得ヲ記念シ
但馬酒造(有)ト提携ノモトニ協同組合理事長成田
忠義ガコノ銘酒ノ商標を「神泉」ト命名シ図柄
ニコノ尊宮入リノラベル等一切考案シ郷土ノ酒トシテ
広ク但馬一円ニ宣伝拡大販売スルモノデアリマス
御照覧タマワリマスヨウ
敬白
昭和五拾年一月吉日 北但酒販協同組合
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法花寺農村公園の先へ続くを進んでいきます。
傍には「」(*)があって、 剣蛇ヶ岳までの道が載っています。
今回は、案内図に載っている左の道から登って、右の道を降ってきます。
案内図の袂には白塗りの標柱があって、「是より先百二十メートル 右 不動尊参道」「お堂まで約九百メートル」となっています。
傍にはも立っていて、
酒垂神社の右側に続く道は「白雲山山頂(登山ハイキング道)2.8km」 「水澄不動尊1.3km」、今来た道は「コウノトリの郷公園1.6km」となっています。
剣蛇ヶ岳は白雲山とも云うようです。
アマチュア無線用と思われるの傍を進んでいきます。
軽い登り坂になる道を進んでいくとがあります。
左の道を進んでいくと、先ほどの案内図に載っていた公会堂と思われる建物があります。
法花寺農村公園から3分ほどの所になります。
手前が広くなっていて、ここにも車を止められそうです。
脇にはがあります。
傍にある「」の看板によると、この建物は「公民館」となっています。
*「法花寺周辺案内図」には、剣蛇ヶ岳の山頂に「反射板」が描かれています。
以前にはあったのかも知れませんが、2013年4月に登った時には既に見かけませんでした。
法花寺 地区急傾斜地崩壊危険区域
(注意)この区域内で土地の形状変更する場合は、知事の許可が必要ですから、
豊岡土木事務所、管理課にご相談下さい。
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小川に架かるを渡っていきます。
左に道を分けて軽く登っていくとがあります。
曲がって、建物の脇を進んでいきます。
建物を過ぎていくとになります。
再び舗装路になる所まで来ると分岐があります。
法花寺農村公園から7分ほどの所になります。
地形図に載っている実線の道が分かれている所のようです。
ここは右に架かる小橋を渡っていきます。
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小橋を渡ったすぐの所にがありますが、
右の道は見送って、植林地へ入っていく前方の道を進んでいきます。
少し曲がりながら進んでいくとがあります。
ここは左へ曲がって、尾根のに続く道を進んでいきます。
が見られる所を過ぎていくと、少し傾斜が増してきます。
しばらく登っていくと傾斜が緩やかになります。
左の谷筋には大きながあります。
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登山口
緩やかになった道を進んでいくと、太い管が埋設されたがあります。
左へ回り込んで、の縁を進んでいきます。
太い管が埋設された谷筋まで来ると分岐があります。
法花寺農村公園から17分ほどの所になります。
地形図に実線で載っている道は、すぐ先にある太い管が埋設された沢の先を左へ回り込んで戻っていきます。
今回はここを登山口としておきます。
手前の沢沿いにあるを登っていきます。
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すぐにを横切っていきます。
植林地に続く広めの道を軽く登っていくと、隣のに出ます。
僅かなを跨いでいきます。
左・右と曲がりながら、伐採木が見られるを登っていきます。
程なくして分岐があります。
登山口から5分ほどの所になります。
右の道は見送って、左の道を登っていきます。
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尾根の右斜面に続くを登っていきます。
少し左へ曲がりながら、を登っていきます。
尾根の背に出て右へ曲がり、少しを更に登っていきます。
左へ曲がりながら登っていくと、が道を塞いでいます。
倒木をくぐり抜けた先を右へ曲がって登っていきます。
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が続く広めの道を進んでいきます。
疲労困憊するような傾斜ではありませんが、この日は気温が高くて次第に汗が噴き出てくるので、袖で拭いながら登っていきます。
左へ曲がりながら登っていくと、のような所を過ぎていきます。
登山口から14分ほどの所になります。
右・左と曲がりながら、が厚く積もる道を登っていきます。
左へ曲がりながら登っていくと、「界」のがあります。
右へ曲がって、尾根のを登っていきます。
少し左へ曲がりながら登っていくと、標高220mほどの尾根の背に出ます。
登山口から22分ほどの所になります。
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鞍部
窪んだを登っていきます。
右・左と曲がりながら、の斜面を登っていきます。
近づいてくるに向って、汗を拭き拭き登っていきます。
道を塞ぐをくぐっていきます。
合わせて5回ほど曲がりながら登っていくと、標高250mほどの鞍部に出ます。
登山口から31分ほどの所になります。
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右へ曲がって、を登っていきます。
少し登っていくと、小さながあります。
を乗り越えながら尾根を登っていきます。
少し左へ曲がりながら登っていくと、標高270mほどのになります。
ちょいと左側へ出てみると、山並みが広がります。
鞍部から5分ほどの所になります。
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小峰
右へ曲がって、を軽く登っていきます。
を過ぎて、少し左へ曲がりながら登っていきます。
少し右へ曲がりながら、の尾根を登っていきます。
見えてくるへ向って登っていきます。
傾斜が緩やかになると、石杭や「界」の赤プラ杭がある標高300mほどの小峰に着きます。
鞍部から15分ほどの所になります。
ちょいと左側へ出てみると、谷向かいのが見えます。
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右へ曲がって、を降っていきます。
緩やかな所を過ぎるとになります。
少し登って植林地を抜けるとになります。
左にを眺めながら進んでいきます。
採石が目立つ尾根を登っていきます。
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振り返ってを眺めながら登っていきます。
次第にが茂るようになります。
傾斜が緩やかになると、左前方にが見えてきますが、
こさつ峠の手前にある尾根でしょうか。
尾根を塞ぐを避け、アオキの中を抜けていきます。
少し登って緩やかになると、標高320mほどの高みに着きます。
小峰から13分ほどの所になります。
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軽いになる尾根を進んでいきます。
少し降っていくとになります。
程なくしてになります。
少し登っていくと、標高320mほどの高みに着きます。
小峰から17分ほどの所になります。
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少し右へ曲がって、軽いになる尾根を進んでいきます。
少し曲がりながら軽く降っていきます。
程なくして、浅い鞍部に着きます。
小峰から19分ほどの所になります。
右側にある幾つかの樹木には桃テープが巻かれています。
ここから右の斜面を戻るように降っていく(*)があります。
林道を経て法花寺地区へ降りていけますが、今回は見送っていきます。
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五郎岳
すぐにになる尾根を進んでいきます。
少し登っていくと、正面にが見えてきます。
傾斜が緩やかになると、電波反射板の袂に着きます。
小峰から23分ほどの所になります。
周囲には樹木が茂っていて、残念ながら眺めは広がりません。
標識類は見かけませんが、麓にあった案内図によると、この辺りは五郎岳というようです。
に沿って左側を回り込むように進んでいきます。
鉄柵を過ぎると、樹木にが巻かれています。
この桃テープは剣蛇ヶ岳まで点々と続いていてルートを示しています。
振り返って、を眺めていきます。
あぶないからはいってはいけません
建設省豊岡工事事務所
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軽いになる尾根を進んでいきます。
緩やかな所を過ぎていくと、軽いになります。
少し登って、僅かにを過ぎていきます。
緩やかな所を過ぎていくとになります。
登るにつれて次第に傾斜が増してくるので、脇の樹木に手を掛けながら登っていきます。
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少し右へ曲がりながら、を登っていきます。
次第に痛くなる脹ら脛を庇いながらゆっくり登っていきます。
幾つかある倒木を乗り越えていくと、になります。
少し左へ曲がりながら、を登っていきます。
少し右へ曲がって、次第にになる尾根を進んでいきます。
『そろそろ右へ降りなければ』と思いながら降り口を探しながら進んでいくと、
桃テープが巻かれた樹木が幾つか集まる所があります。
五郎岳から20分ほどの所になります。
正面の尾根(*)は馬路峠へ続いていますが、桃テープに従って、アセビが茂るを降っていきます。
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こさつ峠
点々と続く桃テープを辿りながら、が茂る急な斜面を降っていきます。
をしばらく降っていくと、アセビを見かけなくなります。
程なくして、広い鞍部になったこさつ峠に降り立ちます。
五郎岳から24分ほどの所になります。
中ほどの樹木の袂にはが倒れていて、
正面の尾根は「剣蛇岳」、今降ってきた斜面は「五郎岳」となっています。
以前に来た時にはこの場所を示す「こさつ峠」の板もあったのですが、この時は見かけませんでした。
の先にはこさづ平展望広場があって、容易に降りていけそうです。
小さな沢が見られるも広くて歩き易そうな様子です。
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左右の谷筋は見送って、剣蛇ヶ岳に向かってを少し左へ曲がりながら登っていきます。
標高380mほどの高みを軽く登っていきます。
所々に取り付けられた桃テープを辿りながら進んでいくと、
標高380mほどの高みと剣蛇ヶ岳との間にある鞍部に着きます。
こさつ峠から3分ほどの所になります。
正面にはが降っています。
右には標高380mほどのがあります。
標識類は見かけませんが、中ほどに生える樹木の所を左へ曲がって、
その先の尾根に続くを登っていきます。
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を軽く登っていきます。
しばらく登っていくと、左から登ってくるに出ます。
ちょいと先へ出てみると、樹間からが見えます。
少し右へ曲がって、を登っていきます。
少し撓んだ所を過ぎて登り傾斜が増してくると、先の方がなってきます。
息を弾ませながら登って右からの尾根と合流すると、剣蛇ヶ岳の山頂部の端に出ます。
こさつ峠から12分ほどで登って来られました。
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剣蛇ヶ岳 (標高422.0m)
山頂の中ほどにはが立っていて、
「妙見山・氷ノ山」、「久美浜湾・甲山」、「豊岡市街・コウノトリの郷公園」、 「経ヶ岬」、「来日岳」などが各方角を指しています。
「三川山」、「京丹後市」の板は下に落ちていました。
以前には一番上の板に「白雲山・剣蛇ヶ岳 標高422m」と書かれてましたが、この時には文字が消えて判読できませんでした。
傍には三角点のような標石がありますが、「三角点」の文字は見かけません。
遠くが少し霞んでいますが、西側が開けていて山並みを見渡せます。
北西の方角にはが良く見えます。
樹木に邪魔されながら、北東の方角にもが少し見えます。
がありますが、麓の案内図に載っていた電波反射板の跡でしょうか。
コンクリートに腰掛けて、水分補給をしながら休憩していきます。
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落ち着いたところで、剣蛇ヶ岳から下山していきます。
東南東へ延びる尾根(*)から口三谷地区へ降りて行けますが、
車を止めてきた法花寺農村公園へ戻るべく、来た尾根を引き返していきます。
登り着いたまで引き返して、左側の尾根を降っていきます。
かなり急な傾斜の尾根を降っていくと、樹木の袂に「大神岩」のがあります。
以前に来た時には向こう側を向いて立っていて左を指していましたが、この時には板が地面に落ちていました。
左には道が分かれていないので、その先の方に岩があるということなのでしょうが確認できませんでした。
標識の先に続くを降ってきます。
アオキが茂るようになって階段が終わると、「記念育樹道」の標識の手前を右へ曲がっていきます。
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に入って、斜面を横切るように続く踏み跡を降っていきます。
に出て、回り込むように左へ曲がって降っていきます。
横木の階段も見られますが、落ち葉などが積もって分かり難くなっています。
斜面を横切るように更に降って「動物に注意」や「山火事注意」の標識を過ぎていくと、に出ます。
右側のすぐ先には鞍部が見えますが、剣蛇ヶ岳へ向かっていった時に通った所になります。
左へ曲がって、浅いを降っていきます。
左側に立つ壊れた標識を過ぎていくと、右の斜面に山道が現れます。
桃テープも巻かれているので、軽い登り坂になった右の道を進んでいきます。
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こさづ平展望広場
標高380mほどの高みを巻くように右へ曲がりながらを登っていきます。
小尾根の背に出て右へ曲がり、を横切るように降っていきます。
少し左へ曲がりながら降っていくと、壊れた「小鳥の楽園」のがあります。
壊れた「動物に注意」と「山火事注意」の標識の間を過ぎると、浅い谷筋に出ます。
剣蛇ヶ岳から15分ほどの所になります。
中ほどには「こさづ平展望広場」のが立っていて、背後にはこさつ峠が見えます。
傍には「」も設置されていて、この広場から山頂にかけてが載っています。
左へ曲がって、浅いを降っていきます。
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谷筋にはが途切れながら続いていますが、
落ち葉が積もって分かり難くなっています。
しばらく降っていくと、「もみじ坂」のを過ぎていきます。
道を塞ぐ倒木を高巻いていくと、僅かなを跨いで植林地へ入っていきます。
斜面を回り込むように軽く登っていくと、半壊した「動物に注意」のを過ぎていきます。
少し降るようになると、岩の袂に「水晶の丘」の標識があります。
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池の沢展望広場
左・右と曲がって、を降っていきます。
半壊した「山火事注意」の標識を過ぎると、シダ類が生え始めた谷筋に出ます。
剣蛇ヶ岳から25分ほどの所になります。
脇には壊れた「池の沢展望広場」のがあります。
左に続く谷筋の先にはが見えます。
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道なりに左へ曲がって、谷筋のに続く道を降っていきます。
左へ曲がると、が道を塞いでいます。
倒木を過ぎて右へ曲がり、谷筋のに続く横木の階段混じりの道を降っていきます。
階段が終わると、また谷筋に出ます。
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谷筋の右側に出て植林地を降っていくと、「大垂神酒谷」のが倒れています。
左前方にを眺めながら降っていきます。
の脇を過ぎていきます。
植林地の斜面をしばらく降っていくと、トラロープが張られたが現れますが、ロープに掴まる必要はありません。
階段が終わった所には、壊れた「小垂神酒谷」の標識があります。
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標識を過ぎて、を横切るように降っていきます。
傾斜が増してくると再びを降るようになります。
ここでもトラロープが張られていますが、掴まる必要はありません。
階段が終わってに着くと、壊れた「大神谷」の標識があります。
剣蛇ヶ岳から36分ほどの所になります。
標識を過ぎて左へ曲がると、が張られるようになります。
横木の階段も見られますが、落ち葉などに埋もれて分かり難くなっています。
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垂らされた状態のトラロープに沿って続くを降っていきます。
階段が終わって左へのまで来ると、また横木の階段が現れます。
少し右へ曲がりながら斜面を降っていくと、道を塞ぐを幾つか過ぎていきます。
僅かなになる道を、少し左へ曲がりながら進んでいきます。
程なくして、右下に水澄不動尊が見えてきます。
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祠を眺めながら降っていくと、少し水が流れるに出ます。
道なりに曲がって降っていきます。
程なくして広い道に降り立ちます。
剣蛇ヶ岳から43分ほどで降りて来られました。
角には向こう側を向いた「白雲山登山口」のが立っていて、
「山頂まで1,300m」の小札が取り付けられています。
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水澄不動尊
車を止めてきた法花寺農村公園へ向う前に、左側すぐの所にあるに立ち寄っていきます。
以前に来た時には見かけませんでしたが、祠の手前に「水澄不動尊縁起」と題した解説板があり、
裏面には「」が載っています。
祠は向こう側を向いて建っているので、右側から正面へ回っていきます。
祠の前には「水澄不動尊」と刻まれた石標があります。
傍には解説板の支柱のようなものがありますが、板は剥がれて落ちています。
祠は施錠されていないので引き戸を開けて中を覗ってみると、小綺麗な祭壇にと思われる石像が安置されています。
水澄不動尊縁起
天武天皇御宇朱鳥元年、役行者丹後國三谷の地より剣蛇嶽を越え但馬國へ入り給ふ。
白雲たなびく麓に一滝あり。
生強の水下りて以って酒造りの宮水となす。
竊に以んみるに三界の諸趣を利見し、四生の群萌を救拔するに至る者、必ず其地を撰び其所を得ずんば至らず。
故に鶏頭に会を設け鷲嶺に席を開く者也。
当尊に役小角の啓迪の阿里にして、山を白雲と号し、地を水澄と名付け、
磨崖に大悲の不動尊像を刻み、傍らに一堂を構え万全の行業を修す。
宜なるかな、其の陳迹今にも見る。
以来、滝水益々清冽に、白雲松樹を抱きて愈々栄え、
信者日々厚く、七難払わずして退き七福求めずして来る。
毎年八月十六日を本尊の会日とし、是れ密軌に依り修する者なり。
此日、徒衆を招き、宝前に集合し、各々罪障を懺悔せしむ。
昭和四年、堂を修し、以って今日に至る。
平成八年十一月四日 <移転・新築大護摩行>
令和元年十月四日 <修繕工事>
法花寺区
縁起 | えんぎ:物事の起こり 社寺などの期限・沿革や由来 |
御宇 | ぎょう:天下を治めている期間 |
生強 | ききょう:宮水酒造用水として良質 |
竊に | ひそかに |
三界 | さんがい:一切衆生が生まれ、また死んで往来する世界 欲界・色界・無色界の三つの世界 |
諸趣 | しょしゅ:色々な迷いの境界 |
四生 | ししょう:生物を生まれ方から4種に分類したもの 胎生・卵生・湿生(虫類)・化生 |
群萌 | ぐんもう:あらゆる人々 |
役小角 | えんのおづぬ:奈良時代の山岳呪術者 役行者 |
啓迪 | ひらき導くこと |
大悲 | 苦しみを救おうとする慈悲の心 |
行業 | 行い、修行 |
陳迹 | 昔何かが存在した跡、遺跡・旧跡 |
清冽 | 水などが清らかに澄んで冷たいこと |
密軌 | 関係を深めることかな |
徒衆 | としゅ:大衆・庶民、あとに従う人々 |
宝前 | 神仏の御まえ |
罪障 | 善果を得るさたげとなる悪い行い |
不動尊はお寺です。
お賽銭を入れたら、頭上のドラみないなやつを鳴らし、静かに手を合わせ心の中で祈ります。
終わったら一礼。
これでオッケーです。
法花寺 水澄不動尊
当地区内には古くより不動の滝と称する自然の滝があり、その岩肌には不動明王が刻まれ、
地区民はもとより広く但馬一円人々から親しまれれ、信仰を集めています。
不動尊の億へ進むと落差10mの上下二段の滝があり、それぞれに趣の違う二段の蓮瀑です。
その滝壺のほとりに昭和2年(1927)、村人の奉仕により『おこもり堂』が建築されていましたが、
長年の風雪により老朽化が進み、平成8年(1996)に多くの方々より多大なるご支援を賜り、
大改築し同時に竣工記念大護摩行も執り行いました。
このあたり一帯は『里山ふれあい森づくり事業』として、地区の方々のボランティアにより散策しやすいように整備されました。
太古の昔、豊岡盆地は大きな湖で、祥雲寺・法花寺の谷と下宮の谷と金剛寺の谷が三つの入り江になっており、
このことから三江と呼ばれるようになった。
絹巻、大田井、出石、養父、粟鹿の五社の神々がこの山に集まって、
湖の水を北の日本海に流して干拓する相談をされたといわれている。
山の神、大神谷、神路(五郎)嶽など、神という字がついた地形が残っているのはその所以だろうか。
(三江誌、三峠物語より抜粋あり)
令和元年 法花寺地区
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祠の先の石段を登った所に、二段になったがあるので、ちょいと立ち寄っていきます。
この時はに倒木があって良く見えませんでした。
石段を曲がりながら登っていくと、の少し下に出ます。
左の大岩の袂に続く石段を更に登っていくと、上段の滝の直下に出ます。
岩壁にはと思われる像が刻まれています。
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往復7分ほどで「白雲山登山口」の標識が立つ所まで引き返してきて、植林地に続くを降っていきます。
向こう側を向いた「生望の坂」のを過ぎていきます。
を左・右と小さく曲がりながら降って沢の傍に出ると、水澄橋が架かっています。
「白雲山登山口」の標識が立つ所から4分ほどの所になります。
以前には橋は木板で出来ていましたが、老朽化したのか、数年前から木板の上に鉄板が敷かれています。
橋の手前には車を何台か止められる広さのがあって、簡易トイレも設置されています。
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水澄橋を渡った所には「クルマ キケン STOP」のが立っています。
右側を流れる沢の水音を聞きながら、植林地に続くを緩やかに降っていきます。
樹木が減ってに出ると、道に短い芝草が生えています。
短い植林地を抜けると、沢に白い柵付きのが架かっています。
橋を渡っていくと、建物が幾つか建つ広場が左側にあります。
以前に来た時には「フリー農園ひらの」の標識が取り付けられていてアウトドア・キャンプ場になっていましたが、
廃業したのか、この時には見かけませんでした。
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小規模なの下を進んでいきます。
植林地を抜けて広い谷筋に出て、に沿って降っていきます。
左右に広がる田んぼや畑の間に続くを進んでいきます。
僅かな沢の上を過ぎて左から道が合流する所まで来ると舗装路に出ます。
「白雲山登山口」の標識が立つ所から17分ほどの所になります。
右の山際にが幾つか立っていて、
「水澄不動尊 ここから600m先」「コウノトリ営巣どうろ→」「山頂まで2,277m」となっています。
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法花寺地区
民家が散在するを緩やかに降っていくと、
「」の看板を過ぎていきます。
五郎岳への(*)を右に分けていきます。
最初に公民館(公会堂)へ向っていったを左へ曲がっていきます。
の横を過ぎていきます。
右への曲がり角まで来ると、車を止めておいた法花寺農村公園があります。
「白雲山登山口」の標識が立つ所からから26分ほどで到着しました。
法花寺 地区急傾斜地崩壊危険区域
(注意)この区域内で土地の形状変更する場合は、知事の許可が必要ですから、
豊岡土木事務所、管理課にご相談下さい。
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