概 要 |
剣蛇ヶ岳は豊岡市と京丹後市の境に聳える標高422mの山で、白雲山とも呼ばれます。
山頂の北東側と西側が開けていて、山並みなどを一望できる素晴らしい眺めが広がります。
今回は法花寺地区から山頂まで続くハイキングコースを通って剣蛇ヶ岳に登り、
こさつ峠から五郎岳を経て降っていくルートを歩きます。
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起 点 |
豊岡市法花寺 法花寺農村公園
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終 点 |
豊岡市法花寺 法花寺農村公園
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法花寺農村公園…酒垂神社…水澄橋…白雲山登山口…水澄不動尊…池の沢展望広場…こさづ平展望広場…剣蛇ヶ岳…こさつ峠…五郎岳…鞍部…谷筋…林道…砂防ダム…法花寺農村公園
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所要時間 |
2時間40分
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歩いて... |
剣蛇ヶ岳までのハイキングコースの道々には標識類が設置されていて、分かり易くなっていました。
こさつ峠から尾根までは明瞭な道はありませんが、急斜面を真っ直ぐ登っていきました。
そこから五郎岳までは赤テープなどが続いていました。
谷筋に降りると道がはっきりしませんでしたが、それほど歩き難くはありませんでした。
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関連メモ |
剣蛇ヶ岳,
剣蛇ヶ岳,
剣蛇ヶ岳,
剣蛇ヶ岳,
剣蛇ヶ岳
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法花寺農村公園
豊岡の市街地から国道312号を東へ進み、鎌田交差点から「コウノトリの郷公園」の標識が出ている道に入っていきます。
法花寺地区の集落を進んでいくと、法花寺会館の隣に法花寺農村公園があります。
何台も駐車できるスペースがあるので、ここに車を止めさせてもらいました。
法花寺バス停もありますが、本数は極僅かしかありません。
バス停の傍に「」と題した案内板があって、
今回歩く剣蛇ヶ岳までの道が載っています。
また「」と題した案内板もあって、この付近の須恵器窯跡群が図示されていました。
法花寺農村公園
農村総合整備モデル事業
完成年度 平成3年度
(豊岡市)
古代の窯業生産地
法花寺須恵器窯跡群 6世紀おわり〜8世紀はじめ
須恵器は青灰色のかたい土器で、5世紀はじめに朝鮮半島から焼成技術がつたわり、各地に普及する。
ロクロを使ってさまざまな器種をつくり、斜面にきずいたトンネル状の窖窯(あながま)で高温焼成したものだ。
良質の粘土とたくみな作り技、窯づくりや1000℃以上になる温度調節の技など、
高い技術をもつ専門の工人たちがかかわっていた。
法花寺には4箇所の窯場があり、部分的な発掘調査によって10基以上の窖窯がみつかっている。
これらは飛鳥時代から奈良時代にかけて築造されたもので、
古墳や横穴慕への副葬品、寺院・役所への納品用などに、盛んに須恵器を焼いていたようすをものがたっている。
この時代に法花寺の谷が但馬でも有数の窯業地であったことがわかり、
調査と研究をすすめながら大切に保存していきたい史跡である。
(2006年3月 豊岡市教育委員会)
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酒垂神社
公園の道路向かいに酒垂神社があるので、これからの散策の無事をお祈りしていきました。
鳥居をくぐって境内へ入ると、手水舎の傍に大きな木がありました。
その先にはがあります。
中へ入っていくと「大蔵大明神」「酒垂神社」の扁額が掲げられていました。
建物を過ぎていくとがあります。
屋根に3本の鰹木が乗り外削ぎの千木が聳える覆屋の中に、朱塗りの本殿がありました。
社殿の左側にはとが、
右側にはがありました。
重要文化財 酒垂神社本殿畧記
酒垂神社は杜氏の祖神酒造司の守護神である酒弥豆男命・酒弥豆女命(大蔵大明神)を祀る社である。
神社の創立は今から千三百年の昔、この地方を治めていた郡司物部韓国連久々比命が贄田に酒所を定めて醸酒した砌、
酒鮮子神等酒造神三柱を祀ったのが発祥であると伝えられている。
延長五年(927)勅旨によって制定された延喜制神明式には但馬城崎郡廿一座の一つに酒垂神社の名が誌され(式内社と云う)、
古くから朝野において崇敬された由緒ある神社である。
今の本殿は社蔵の棟札によると、永亨十年(1438)釿始・嘉吉元年(1441)柱立・文安元年(1444)遷宮、
造営の大工は伴大夫大伴久清で、蟇股にはこの時の墨書も誌されている。
建物は一間社流造こけら葺で、木割の太い柱に三ッ斗組をのせ、中備えは半肉彫の蟇股を飾り、妻組は虹梁大瓶束を組む。
これらの建築細部技法は当時の建築様式の特徴を示す優れたもので、殊に建立年代や工匠名が明確であり、
建築史上価値の高い神社建築遺構として昭和三十三年五月に国の重要文化財指定をうけ、棟札も附指定された。
本殿は江戸中期の大改造によって形態が改変され、覆屋に囲われていたが、
昭和四十三年から翌四十四年にかけて文化庁指導のもとに解体修理があり、
その際の調査で身舎は旧規がほゞ解明され、軒廻り柱間装置・天井などは建立当初の形式に復された。
しかし旧部材の残存しなかった庇や縁廻りは江戸中期の改修等による形を踏襲して修理されたが、
欠失していた屋根を復じ、全般には室町時代の容姿に復旧整備された。
覆屋も本殿の修理と同時に改築された。
大杉追憶の碑
酒垂神社の社頭に聳え立っていた大杉は樹令六百年とも伝えられ、
樹高三十八.三七メートル、直径三.三メートルあり、神木として室町期の建立に懸る本殿とともに
法花寺部落の誇るべき象徴であった。
しかし長年にわたる風雪により、もはや蘇生の手立てなく樹勢徐々に衰え、幹の内部に大空洞を生じ、
枝の末端も枯損するなど、いつ倒壊するかもしれぬ甚だ危険な状態になっていた。
したがって将来に不測の事故を未然に防止するため、止むなく断腸の思いで伐採することに決した。
昭和五十九年十月二十八日伐採奉告祭を斎行し、氏子一同が集まるなかで大杉に決別を告げた。
ここに伐採の由縁を記し、大杉追憶の資とし、後世に伝えたい。
昭和六十一年十月吉日 酒垂神社 氏子中
山の神社
山の神社は元 字山の神九二三ノ一番地上にあって、当時は奥組合によって祈ってゐたらしく、
大正三年頃建物をその儘当所に移転し、部落で管理してゐたが、六十五年余経って
ひどく破損した為、今回以前のまゝに再建す。
昭和四七年八月 上屋改築
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酒垂神社から出ると、法花寺農村公園の傍には「」があって、
剣蛇ヶ岳までの道が載っています。
その袂には白塗りのがあって、
「是より先百二十メートル 右 不動尊参道」「お堂まで約九百メートル」となっています。
傍には道標も立っていて、の右側に続く道は「白雲山山頂(登山ハイキング道)2.8km」
「水澄不動尊1.3km」、今来た道は「コウノトリの郷公園1.6km」となっています。
剣蛇ヶ岳は「白雲山」とも云うようでした。
「法花寺周辺案内図」には、剣蛇ヶ岳の山頂に「反射板」が描かれています。
以前にはあったのかも知れませんが、今回は見かけませんでした。
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すぐに右へ分かれていく道は見送っていきます。
少し登り坂になってきた道を進んでいくと、道は次第に右へ曲がっていきます。
曲がり角から道が分かれていますが、道なりに右へ曲がっていくと緩やかな道になります。
左へ分かれて登っていくを見送って、
田畑を眺めながら民家が散在するを進んでいくと、
舗装路が終わる所で道が二手に分かれています。
左の山際にが幾つか立っていて、
「水澄不動尊 ここから600m先」「コウノトリ営巣どうろ→」「山頂まで2,277m」となっているので、
ここは左側の道を進んでいきます。
法花寺地区急傾斜地崩壊危険区域
(注意)この区域内で土地の形状変更する場合は、知事の許可が必要ですから、
豊岡土木事務所管理課にご相談下さい。
(兵庫県)
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水澄橋
を過ぎて植林地を抜けていくと、右側にがありました。
「フリー公園ひらの」というようで、「アウトドア・キャンプ場」になっているようです。
傍には小川が流れていて、炊事するのにも良さそうな所でした。
無料で自由に使用できるとのことですが、申込みが必要のようでした。
小川に架かる白い柵付きのを渡って植林地を登っていきます。
樹木が減って明るくなった所を過ぎていくと、木板でできたが架かっています。
酒垂神社から17分ほどの所になります。
ここまでの道は、軽自動車なら通れる幅がありました。
橋を渡った所が広くなっていて、車を何台か止められる駐車場になっていました。
広めの道はここで終わって、この先から傾斜の増した山道が始まります。
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白雲山登山口
正面の植林地に続く山道を登っていきます。
この先にある不動尊の参道になっているようで、山道にしては広めになっていました。
1分半ほど登っていくと、「」と書かれた標識がありました。
そこを過ぎていくと道が二手に分かれています。
水澄橋から3分半ほど登った所になります。
角にはが立っていて、左の道は「山頂まで1,300m」、
この地点は「白雲山登山口」となっていました。
右の道は何も示されていませんが、すぐそこに水澄不動尊が建っています。
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水澄不動尊
山頂へ向かう前に水澄不動尊に立ち寄っていきました。
祠は向こう側を向いて建っています。
右側から正面に回っていくと、「水澄不動尊」と刻まれた石標があります。
祠の中を覗ってみると、小綺麗な祭壇にと思われる石像が安置されていました。
傍には解説板のようなものも立っていましたが、文字は確認できませんでした。
祠の前には「不動橋」と刻まれた標識もありましたが、それらしい橋は見かけませんでした。
祠を過ぎて石段を登った所に二段になったがありました。
は勢い良く水が流れ落ちていましたが、
の水量は僅かでした。
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往復6分ほどで白雲山登山口まで引き返してきて、その先に続く山道を登っていきます。
道標には青マジックで「55分」と書き込まれていましたが、山頂までの所要時間のように思えました。
これまでの参道とは違って普通の山道になってきます。
すぐに左へ曲がって、植林地の斜面を登っていきます。
横木の階段を登っていくと、明るい雑木林のを横切っていきます。
再び現れるを右へ曲がりながら登っていきます。
緩やかになった道を進んでいくと、また横木の階段が現れます。
階段に沿うようにしてトラロープも張られていましたが、登る分にはあまり必要ではありませんでした。
正面に見える尾根を目指して真っ直ぐに登っていきます。
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横木の階段を1分ほど登っていくと、左右に続く緩やかな尾根に出ます。
右へ曲がっていくと、すぐの所に「」の標識が立っていて、左下を指していました。
道らしきものは見かけなかったので、左側の谷の名前を表しているように思えました。
登り傾斜が増して植林地と雑木林を分ける尾根を登るようになると、
再びトラロープが張られたが始まります。
階段が終わって尾根の右肩を進んで植林地に入っていくと、
「」の標識が立っていて、正面に続く横木の階段を指していましたが、
右側の谷の名前でしょうか。
階段が終わって緩やかになった尾根を進んでいくと、小さな谷筋の左側の斜面を進むようになります。
谷側には「」の標識が立っていたので、この谷の名前のようでした。
振り返ると、谷筋の奥に山並みが連なっているのが見えました。
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池の沢展望広場
谷を横切った所から、戻るようにして横木の階段を登っていきます。
谷を横切って右に折れ曲がって谷を横切っていくと、「」の標識が立っていて、
支柱には「山頂まで750m」の板も取り付けられていました。
白雲山登山口から15分ほど登った所になります。
「広場」とは云っても特に広くなっている訳ではなくて、谷筋に山道が続いているばかりでした。
振り返るとを見渡すことが出来ましたが、
先ほどよりは見える範囲が広いようでした。
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植林地を掠めて左へ曲がっていくと、右へ曲がる角に「」の標識がありました。
標識を過ぎて尾根の右側に出ると降り坂になってきます。
に降りて僅かな沢を渡って、その先へ登っていきます。
沢筋の右側の斜面を登っていくと、「もみじ谷」の標識が立っていました。
秋になると綺麗な紅葉を見られる所なのでしょうか。
振り返ってを眺めたりしながら登っていきました。
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こさづ平展望広場
やがて現れる横木の階段を登っていくと、正面に鞍部が近づいてきます。
あれがこさつ峠だろうと思いながら登っていくと、
「」が設置されていました。
白雲山登山口から24分ほど登った所になります。
案内板の内容は法花寺農村公園にあった「白雲山里山林内案内図」とほとんど同じでした。
脇には「」の標識も立っていて、支柱には「山頂まで450m」の板も取り付けられていました。
広くて緩やかな谷を正面へ登っていくと、すぐにこさつ峠のようですが、
先ずは右に立つ「動物に注意」と「山火事注意」の標識の間に続くを山頂へと登っていきました。
案内板や標識で「こさづ」の表記に揺れが見られます。
「白雲山里山林内案内図」と「林内案内板」では「こさず峠」及び「こさず平展望台」、
「法花寺周辺案内図」では「こさづ峠」及び「こさづ平」、
ここにある標識では「こさづ平展望広場」、峠で見かけた標識では「こさつ峠」となっていましたが、
現地での標識の表記を採用しておきました。
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下草のない明るい雑木林を緩やかに登っていきます。
道に落ち葉が積もっていて分かり難くなっている所もありましたが、
先の方に道を見つけて広い斜面を登っていきました。
道から少し離れた所には「」の標識が立っていました。
この辺りの斜面全体を自由に散策してもよいという意味なのでしょうか。
右へ曲がってを横切るように登っていくと、
道は高みを右から巻くようにして大きく左へ曲がっていきます。
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緩やかになった道を進んでいくと、浅いが広がってきます。
少し離れた所には「」の標識が立っていました。
周囲の樹木には巣箱が幾つか掛けられていました。
標識を過ぎていくと、鞍部がすぐそこに迫ってきます。
道は何処だろうと探していると、に立つ「山火事注意」と「動物に注意」の標識の先へと続いていました。
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斜面に続く道を緩やかに登っていくと、右へ曲がっていく所にが現れますが、
すぐに終わりになります。
斜面を登って左に曲がる所まで来ると、「記念育樹道」の標識が立っていました。
右側の樹木越しにはが広がっていましたが、眺めを愛でるのは山頂に着いてからにして、
左の先に続くを登っていきます。
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剣蛇ヶ岳 (標高422.0m)
横木の階段を真っ直ぐ登っていくと「」の標識が立っていて、右側を指していました。
右側には道が分かれていないので、その先の方に岩があるということなのでしょうが、
ちょっと見た所では確認できませんでした。
標識の左側に続く道を登っていくと、「」の標識が取り付けられた樹木の左から、
こさつ峠から登ってくる道が合流してきます。
その道を合わせて右へ進んでいくと、広くなったの山頂に着きました。
こさづ平展望広場から12分ほど、白雲山登山口から37分ほどで登って来られました。
緩やかになった山頂部を進んでいくと、
先の方には「」の標識が倒れ掛かっていました。
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山頂の中ほどには、各方面の眺めを示すが立っていて、
ここは「白雲山・剣蛇ヶ岳 標高422m」となっていました。
剣蛇ヶ岳の山頂は北東側と西側が開けていて、素晴らしい眺めが広がっています。
があり、ベンチも幾つか設置されているので、
軽く食事を採りながら、眺めを楽しんでいきました。
この時は少し雲が出ていたものの、山並みなどを見渡すことが出来ました。
標識によると、妙見山・氷ノ山、豊岡市街・コウノトリの郷公園、三川山、来日岳、久美浜湾・甲山、
経ヶ岬、京丹後市などが見えるようです。
細かくは同定できませんでしたが、
西側から時計方向に東側へかけての眺めを載せておきます。
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眺めを楽しんだら剣蛇ヶ岳から下山していきます。
東南東の方にも尾根(*)が続いていますが、今回はこさつ峠へ降ることにしました。
山頂に着く手前にあったを右へ降っていきます。
結構傾斜のある丸い尾根の背を4分ほど降っていくとに着きました。
剣蛇ヶ岳へ登ってくる途中で見かけた鞍部のようです。
中ほどに生える樹木に赤テープが巻かれていて、その右の先の樹木にも赤テープが巻かれていました。
道はそれらが示す方向に、正面の僅かな高みを右側から巻くようにして続いています。
*後日に東南東へ続く尾根を歩きました。
久美浜町の 口三谷地区へ降りていけました。
(「 剣蛇ヶ岳」,
「 剣蛇ヶ岳」を参照)
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こさつ峠
高みの右斜面に続く道を緩やかに降っていくと、広くなった鞍部に着きました。
剣蛇ヶ岳から7分ほどで降りて来られました。
中ほどに生えている樹木の袂にが倒れていたので起こしてみると、
正面の斜面は「五郎岳」、今降ってきた道は「剣蛇岳」、ここは「こさつ峠」となっていました。
右には緩やかなが続いていて、広々として雰囲気の良い所でした。
地形図によると、右へ降ると京丹後市の久美浜町三谷へ続いているようでした。
かつては豊岡と久美浜を結ぶ峠越えの道だったのでしょうか。
標識には書かれていませんでしたが、左へ降ると、登ってきた時に通ったこさず平展望広場があるようです。
登ってきた道を降っても良いのですが、同じ道は出来るだけ避けようと思って、
五郎岳を経ていくことにしました。
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標識に従って正面のを登っていきますが、明瞭な道は付いていませんでした。
次第に倒木も増えてきて歩い難い状態になりましたが、
幸いにも下草などは生えていなかったので、倒木を避けながら何とか登っていけました。
かなり傾斜のある斜面を3分ほど登っていくと、左右に通る尾根に出ました。
地形図によると、(*)を進んでいくと馬地峠へ降っていけそうでした。
そこまで足を延ばしてみようかとも思いましたが、
今回は五郎岳へ向かってを進んでいきました。
*後日に右の尾根を歩きました。(「 剣蛇ヶ岳」を参照)
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緩やかな尾根を左へ進んでいくと、樹木に赤スプレーで印が付けられていました。
この目印はこの先にかけても続いているので、それらを辿りながら進んでいくと、
正面の樹間からが見えてきました。
目印を確認しながら進んでいくと、程なくしてが増してきます。
電波反射板に向かってかなり傾斜のある斜面を降っていくと、緩やかで歩き易い鞍部になってきました。
(真っ直ぐ進んでいくと西側の谷筋へ降りていくので、途中から斜面の左側を降っていきます)
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五郎岳
急傾斜の斜面が終わって快適になった鞍部を進んでいくと、程なくしてになります。
歩き易い雑木林の尾根を軽く登っていくと電波反射板の脇に出ました。
標識類は見かけませんでしたが、ここが五郎岳になるようです。
こさつ峠から18分ほどで着きました。
周囲には樹木が茂っていて展望は良くありません。
は尾根の真ん中に立っているので、鉄柵の囲いに沿って右側から巻いていきます。
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鞍部
電波反射板を巻いて尾根を1分ほど降っていくと鞍部に着きました。
ここで左の谷筋へ道が分かれています。
手前の樹木にはが二重に巻かれていました。
また赤スプレーでが書かれている木もあって、尾根の左側を指していました。
正面へ登り返していく道(*)もしっかりとしていて、歩いてみたい気持ちにもなりましたが、
今回はここから谷筋へ分かれていくを降っていきます。
道へ入った先にも赤スプレーや赤テープの印があったので、この道で合っているようでした。
*後日に正面の道を歩きました(「 剣蛇ヶ岳」を参照)
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かなり傾斜のある細い道を降っていきます。
落ち葉が積もっていて踏み外すといけないので、常に足元に注意しながら降っていきました。
樹間から見えるを眺めながら斜面を横切るように降っていくと、
2分ほどでに出ました。
歩き易くなった尾根を30秒ほど降っていくと、再び樹木に赤テープが二重に巻かれていました。
ここからへ戻るようにして降っていきます。
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植林地になった谷筋を回り込んで、右前方の樹間からを眺めながら降っていきます。
4分ほどでに出て、広い尾根を降っていきます。
左から合流してくる道を合わせて降っていきます。
次第に傾斜が増してくるを降っていくと、
少しU字形に窪んだ所には、落ち葉が厚く積もっていました。
尾根の背を5分ほど降っていくと、道は大きく右へ曲がってへ降っていきます。
曲がり角の樹間からは山並みが少し見えていました。
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谷筋
植林地の斜面に続く道を、右・左と曲がりながら降っていきます。
次第に荒れた様子になってくる道を降っていくとに降り立ちました。
尾根から右へ曲がって4分半ほど、五郎岳から20分ほどで降りて来られました。
傍の木には赤テープが付けられていました。
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谷筋には明瞭な道はありませんが、僅かな沢沿いに降っていきます。
幸いにも下草などは生えておらず、歩くのにはそれほど苦労しませんでした。
3分ほど降っていくと、太いに巻きつかれた木がありました。
そこを過ぎて2分半ほど降っていくと、谷の中ほどに大きな丸い岩がありました。
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林道
岩の脇を過ぎて次第にが目だつようになると、
正面から登ってきて右へ続く林道の曲がり角に出ました。
谷筋に降り立ってから8分ほどで出られました。
林道は右側のへ緩やかに続いていますが、正面に続く林道を降っていきます。
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砂防ダム
右側の谷筋に大きなダムを眺めながら林道を1分半ほど降っていくとの脇に出ました。
ダムの上を歩かないようにするためか金網柵が設置されてはいますが、短いのであまり効果はなさそうでした。
柵の脇からちょいとの上に出て、を確認してみました。
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砂防ダムを過ぎて林道を更に降っていくと、右側が開けてを見渡せる所がありました。
林道を更に降っていくと、砂防ダムから3分ほどで、沢の向こう側に続くに出ました。
右側に曲がっていった林道が、ダムの向こう側を経てループ状に続いているのでしょうか。
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中ほどの一部がコンクリート舗装された道を降っていくと、
先ほどと同様の山並みを見渡せるようになってきました。
舗装部分が広がった道を降っていくと、少し広がったが脇にあって、
車を数台なら止められそうになっていました。
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空き地を過ぎて降っていくと、左右に通る舗装路に降り立ちました。
砂防ダムから5分ほどで降りて来られました。
降り立った道は、最初に水澄不動尊へ向かっていった法花寺地区の道でした。
ここからはを引き返していきます。
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法花寺農村公園
谷筋に広がる田畑を眺めながら民家が散在する道を進んでいきます。
道なりに左へ曲がりながら降っての脇を過ぎていくと、
最初の法花寺農村公園に戻ってきました。
五郎岳から42分ほどで降りて来られました。
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