剣蛇ヶ岳
概 要 剣蛇ヶ岳は豊岡市と京丹後市の境にある標高422mの山で、白雲山とも呼ばれます。 山頂の南西側が開けていて、山並みなどを一望できる素晴らしい眺めが広がります。 今回は法花寺地区から山頂まで続くハイキングコースを通って剣蛇ヶ岳に登るルートを往復します。
起 点 豊岡市法花寺 法花寺農村公園
終 点 豊岡市法花寺 法花寺農村公園
法花寺農村公園…酒垂神社…白雲山登山口…水澄不動尊…池の沢展望広場…こさづ平展望広場…剣蛇ヶ岳…こさつ峠…こさづ平展望広場…池の沢展望広場…白雲山登山口…法花寺農村公園
所要時間 2時間40分
歩いて... 山頂までハイキングコースになっていて、所々に標識が設置されていて安心して歩いていけます。 思いのほか傾斜が急な所もあって、気温は低めながら何度も立ち止まって汗を拭きながらの遅い登りとなりました。 少し雲が出ていましたが、山頂からは山並みを眺められました。
関連メモ 剣蛇ヶ岳, 剣蛇ヶ岳, 剣蛇ヶ岳, 剣蛇ヶ岳, 剣蛇ヶ岳
コース紹介
法花寺農村公園
豊岡の市街地から国道312号を東へ進み、鎌田交差点から「コウノトリの郷公園」の標識が出ている県道160号に入っていきます。 コウノトリの郷公園を過ぎていくとがあります。 角には「白雲山登山口」などの標識があります。 右へ曲がっていく県道160号は見送って正面の道を進んでいくと、法花寺会館の隣に法花寺農村公園があります。 車を何台も止められる広い場所になっているので、ここに車を止めさせて頂きます。
手前には「」と題した案内板があって、この付近の須恵器窯跡群が図示されています。 の横には「」と題した案内板があって、 今回登る剣蛇ヶ岳までの道が載っています。
法花寺農村公園
農村総合整備モデル事業
完成年度 平成3年度
豊岡市
古代の窯業生産地
法花寺須恵器窯跡群 6世紀おわり〜8世紀はじめ
須恵器は青灰色のかたい土器で、5世紀はじめに朝鮮半島から焼成技術がつたわり、各地に普及する。 ロクロを使ってさまざまな器種をつくり、斜面にきずいたトンネル状の窖窯(あながま)で高温焼成したものだ。 良質の粘土とたくみな作り技、窯づくりや1000℃以上になる温度調節の技など、 高い技術をもつ専門の工人たちがかかわっていた。 法花寺には4箇所の窯場があり、部分的な発掘調査によって10基以上の窖窯がみつかっている。 これらは飛鳥時代から奈良時代にかけて築造されたもので、 古墳や横穴慕への副葬品、寺院・役所への納品用などに、盛んに須恵器を焼いていたようすをものがたっている。 この時代に法花寺の谷が但馬でも有数の窯業地であったことがわかり、 調査と研究をすすめながら大切に保存していきたい史跡である。
2006年3月 豊岡市教育委員会
酒垂神社
公園の道路向かいに酒垂神社があるので、これからの散策の無事をお祈りしていきます。 鳥居の脇には「重要文化財 酒垂神社本殿畧記」、「国指定重要文化財 酒垂神社本殿」、「大杉追憶の碑」が並んでいます。 鳥居をくぐって境内へ入ると、手水舎の先にがあります。 中へ入っていくと「大蔵大明神」「酒垂神社」のが掲げられています。 お酒に関連がある神社のようで、も奉納されています。 建物を過ぎていくとがあります。 屋根に3本の鰹木が乗り外削ぎの千木が聳える覆屋の中に、朱塗りの本殿があります。 社殿のには稲荷神社八幡神社には山の神社があります。
重要文化財 酒垂神社本殿畧記
酒垂神社は杜氏の祖神酒造司の守護神である酒弥豆男命・酒弥豆女命(大蔵大明神)を祀る社である。 神社の創立は今から千三百年の昔、この地方を治めていた郡司物部韓国連久々比命が贄田に酒所を定めて醸酒した砌、 酒鮮子神等酒造神三柱を祀ったのが発祥であると伝えられている。 延長五年(927)勅旨によって制定された延喜制神明式には但馬城崎郡廿一座の一つに酒垂神社の名が誌され(式内社と云う)、 古くから朝野において崇敬された由緒ある神社である。 今の本殿は社蔵の棟札によると、永亨十年(1438)釿始・嘉吉元年(1441)柱立・文安元年(1444)遷宮、 造営の大工は伴大夫大伴久清で、蟇股にはこの時の墨書も誌されている。 建物は一間社流造こけら葺で、木割の太い柱に三ッ斗組をのせ、中備えは半肉彫の蟇股を飾り、妻組は虹梁大瓶束を組む。 これらの建築細部技法は当時の建築様式の特徴を示す優れたもので、殊に建立年代や工匠名が明確であり、 建築史上価値の高い神社建築遺構として昭和三十三年五月に国の重要文化財指定をうけ、棟札も附指定された。 本殿は江戸中期の大改造によって形態が改変され、覆屋に囲われていたが、 昭和四十三年から翌四十四年にかけて文化庁指導のもとに解体修理があり、 その際の調査で身舎は旧規がほゞ解明され、軒廻り柱間装置・天井などは建立当初の形式に復された。 しかし旧部材の残存しなかった庇や縁廻りは江戸中期の改修等による形を踏襲して修理されたが、 欠失していた屋根を復じ、全般には室町時代の容姿に復旧整備された。 覆屋も本殿の修理と同時に改築された。
国指定重要文化財 酒垂神社本殿
昭和三十三年五月十四日 指定
酒垂神社はその名前が酒樽を連想させ、また祭神も酒弥豆男命(さかみずおのみこと)、酒弥豆女命(さかみずめのみこと)といい、 酒造りとの関連が考えられる神社である。 国指定となっている本殿は、所蔵されている棟札により永享十年(1438)に建設が始められ、文安元年(1444)に完成したとされる。 しかし、昭和四三〜四四年に行われた解体修理において部材から発見された墨書きにより、 細部の造営はその後も引き続き行われ、報徳元年(1449)頃に完成したことが判明した。 指定されている建物は良く保存されており、側面に見える壺の形をした柱材などに室町時代のデザインをみることができる。 建立年代が明らかで保存もよく、建築細部の技法も優れ、棟札によって工匠名まで明確であり、建築史上の価値は高い。
豊岡市教育委員会
大杉追憶の碑
酒垂神社の社頭に聳え立っていた大杉は樹令六百年とも伝えられ、 樹高三十八.三七メートル、直径三.三メートルあり、神木として室町期の建立に懸る本殿とともに 法花寺部落の誇るべき象徴であった。 しかし長年にわたる風雪により、もはや蘇生の手立てなく樹勢徐々に衰え、幹の内部に大空洞を生じ、 枝の末端も枯損するなど、いつ倒壊するかもしれぬ甚だ危険な状態になっていた。 したがって将来に不測の事故を未然に防止するため、止むなく断腸の思いで伐採することに決した。 昭和五十九年十月二十八日伐採奉告祭を斎行し、氏子一同が集まるなかで大杉に決別を告げた。 ここに伐採の由縁を記し、大杉追憶の資とし、後世に伝えたい。
昭和六十一年十月吉日 酒垂神社 氏子中
山の神社
山の神社は元山の神九二三ノ一番地上にあって、当時は奥組合によって祈ってゐたらしく、 大正三年頃建物をその儘当所に移転し、部落で管理してゐたが、六十五年余経って ひどく破損した為、今回以前のまゝに再建す。
昭和四七年八月 上屋改築
奉納
此処ニ
日本國唯一ノ重要文化財デアル酒ノ神「酒垂神社」
ヲ広ク世ノ人々ニシラシメル為
幸イ地元豊岡市ニ醸造元但馬酒造有限会社アリ
コノ蔵ハ毎年当神社ノ生強ノ水ニテ醸造スル事ヲ知リ
北但酒販協同組合ガ酒類御免許ノ獲得ヲ記念シ
但馬酒造(有)ト提携ノモトニ協同組合理事長成田
忠義ガコノ銘酒ノ商標を「神泉」ト命名シ図柄
ニコノ尊宮入リノラベル等一切考案シ郷土ノ酒トシテ
広ク但馬一円ニ宣伝拡大販売スルモノデアリマス
御照覧タマワリマスヨウ
敬白
昭和五拾年一月吉日 北但酒販協同組合
酒垂神社から法花寺農村公園に戻って、法花寺バス停の先へ続く道を進んでいきます。 バス停の傍には「」があって、 剣蛇ヶ岳までの道が載っています。 案内図の袂には白塗りのがあって、 「是より先百二十メートル 右 不動尊参道」「お堂まで約九百メートル」となっています。 標柱の傍にはも立っていて、 酒垂神社の右側に続く道は「白雲山山頂(登山ハイキング道)2.8km」 「水澄不動尊1.3km」、今来た道は「コウノトリの郷公園1.6km」となっています。 今回登る剣蛇ヶ岳は「白雲山」とも云うようです。
法花寺周辺案内図」には、剣蛇ヶ岳の山頂に「反射板」が描かれています。 以前にはあったのかも知れませんが、2013年に来た時には既に見かけなくなっていました。
酒垂神社の右側を過ぎて軽く登っていくとがあります。 角には「MANATEA 200m先→」の標識があって右の道を指しています。 左の道(*1)からも剣蛇ヶ岳へ登れますが、今回は右の道を進んでいきます。 散在する民家を過ぎていくと、程なくしてがあります。 この左の道(*2)からも剣蛇ヶ岳へ登れますが、ここでも見送って正面の道を進んでいきます。 カーブミラーの立つまで来ると、 左の民家の壁に「」が貼り出されています。 更に進んでいくと「MANATEA P」の看板が立つがあります。 表札は見かけませんが、右側に建つ白壁の建物が古民家カフェのMANATEAでしょうか。 「」の看板を過ぎていくと舗装路は終わりになります。 法花寺農村公園から8分ほどの所になります。 左の山際にはが幾つか立っていて、 「水澄不動尊 ここから600m先」「コウノトリ営巣どうろ→」「山頂まで2,277m」となっています。
*1 左の道は「剣蛇ヶ岳」を参照。
*2 左の道は「剣蛇ヶ岳」を参照。
右に分れていく農道は見送って、左の山際に続くを進んでいきます。 電気柵と防護網が続く道を進んでいくとへ入っていきます。 小規模の竹林の脇を過ぎていくと、右側に建物があるのような開けた所があります。 以前には「フリー農園ひらの」という看板が出ていてアウトドア・キャンプ場になっていましたが、 廃業したようで看板類は見かけません。 程なくして、小川にコンクリート製の小橋が架かっています。 法花寺農村公園から13分ほどの所になります。 手前には「キケン車STOP」の看板が出ています。 名前を書いた標識類は見かけませんが、先ほど見かけた「法花寺・水澄不動尊周辺案内図」に載っているせせらぎ橋でしょうか。 案内図には手前に駐車場が描かれていますが、そのような場所は見かけません。
白雲山登山口
が生える所を過ぎていきます。 しばらく登っていくと、木板の上に鉄板が敷かれたが架かっています。 橋を渡った先が小広くなっていて、「駐車場」の標識や簡易トイレがあります。 先ほどの案内図に載っていた駐車場のようで、以前にはここまで車で入って来られたようです。 小刻みに左・右と曲がって、が増してくる道を登っていきます。 以前には「生望の坂」の標識があったので探しながら進んでいきますが、この時には見かけませんでした。 程なくして右前方にが見えてきます。 建物の傍まで来ると、「白雲山登山口」「山頂まで1300m」の標識が立っています。 法花寺農村公園から24分ほどの所になります。
水澄不動尊
右側すぐの所にあるに立ち寄っていきます。 祠の手前に「水澄不動尊縁起」と題した解説板があり、 裏面には民家の壁にあったのと同様の「」が載っています。 祠の壁には「水澄不動尊縁起」と「法花寺 水澄不動尊」の解説文が貼り出してあります。 祠の正面へ廻っていくと「水澄不動尊」と刻まれた石標があります。 傍には解説板の支柱がありますが、数年前から板は剥がれていて見当たりません。 祠は施錠されていないので引き戸を開けて中を覗ってみると、 小綺麗な祭壇にと思われる石像が安置されています。 祠の先の石段を登った所に、二段になったがあるので、ちょいと立ち寄っていきます。 この時はに倒木があって良く見えませんでした。 石段を曲がりながら登っていくと、の前に出ます。 更に岩の袂を登っていくともう少し近くまで行けますが、眺めはさほど変わりません。 岩壁にはと思われる像が刻まれています。
水澄不動尊縁起
天武天皇御宇朱鳥元年、役行者丹後國三谷の地より剣蛇嶽を越え但馬國へ入り給ふ。 白雲たなびく麓に一滝あり。 生強の水下りて以って酒造りの宮水となす。 竊に以んみるに三界の諸趣を利見し、四生の群萌を救拔するに至る者、必ず其地を撰び其所を得ずんば至らず。 故に鶏頭に会を設け鷲嶺に席を開く者也。 当尊に役小角の啓迪の阿里にして、山を白雲と号し、地を水澄と名付け、 磨崖に大悲の不動尊像を刻み、傍らに一堂を構え万全の行業を修す。 宜なるかな、其の陳迹今にも見る。 以来、滝水益々清冽に、白雲松樹を抱きて愈々栄え、 信者日々厚く、七難払わずして退き七福求めずして来る。 毎年八月十六日を本尊の会日とし、是れ密軌に依り修する者なり。 此日、徒衆を招き、宝前に集合し、各々罪障を懺悔せしむ。
昭和四年、堂を修し、以って今日に至る。
平成八年十一月四日 <移転・新築大護摩行>
令和元年十月四日 <修繕工事>
法花寺区
縁起えんぎ:物事の起こり 社寺などの期限・沿革や由来
御宇ぎょう:天下を治めている期間
生強ききょう:宮水酒造用水として良質
竊にひそかに
三界さんがい:一切衆生が生まれ、また死んで往来する世界 欲界・色界・無色界の三つの世界
諸趣しょしゅ:色々な迷いの境界
四生ししょう:生物を生まれ方から4種に分類したもの 胎生・卵生・湿生(虫類)・化生
群萌ぐんもう:あらゆる人々
役小角えんのおづぬ:奈良時代の山岳呪術者 役行者
啓迪ひらき導くこと
大悲苦しみを救おうとする慈悲の心
行業行い、修行
陳迹昔何かが存在した跡、遺跡・旧跡
清冽水などが清らかに澄んで冷たいこと
密軌関係を深めることかな
徒衆としゅ:大衆・庶民、あとに従う人々
宝前神仏の御まえ
罪障善果を得るさたげとなる悪い行い
不動尊はお寺です。 お賽銭を入れたら、頭上のドラみないなやつを鳴らし、静かに手を合わせ心の中で祈ります。 終わったら一礼。 これでオッケーです。
法花寺 水澄不動尊
当地区内には古くより不動の滝と称する自然の滝があり、その岩肌には不動明王が刻まれ、 地区民はもとより広く但馬一円人々から親しまれれ、信仰を集めています。 不動尊の億へ進むと落差10mの上下二段の滝があり、それぞれに趣の違う二段の蓮瀑です。 その滝壺のほとりに昭和2年(1927)、村人の奉仕により『おこもり堂』が建築されていましたが、 長年の風雪により老朽化が進み、平成8年(1996)に多くの方々より多大なるご支援を賜り、 大改築し同時に竣工記念大護摩行も執り行いました。 このあたり一帯は『里山ふれあい森づくり事業』として、地区の方々のボランティアにより散策しやすいように整備されました。 太古の昔、豊岡盆地は大きな湖で、祥雲寺・法花寺の谷と下宮の谷と金剛寺の谷が三つの入り江になっており、 このことから三江と呼ばれるようになった。 絹巻、大田井、出石、養父、粟鹿の五社の神々がこの山に集まって、 湖の水を北の日本海に流して干拓する相談をされたといわれている。 山の神、大神谷、神路(五郎)嶽など、神という字がついた地形が残っているのはその所以だろうか。
(三江誌、三峠物語より抜粋あり)
令和元年 法花寺地区
10分ほど居た水澄不動尊を後にして、「白雲山登山口」の標識の先へ続くを登っていきます。 これまでは水澄不動尊の広い参道でしたが、これからは普通の山道になります。 すぐに左へ曲がって、植林地のを斜めに登っていきます。 少し右へ曲がりながら軽く降っていくと、僅かなを回り込んでいきます。 程なくして現れるを登っていきます。 階段が終って、の斜面を少し曲がりながら登っていきます。 再び現れる横木の階段を過ぎて尾根の背が見えてくると、また現れる横木の階段に沿ってが垂らされていますが、特に掴まって登るほどではありません。 階段が終ると尾根の背に出ます。 白雲山登山口から6分ほどの所になります。
右へ曲がって尾根を進み始めると、すぐの所に半壊した「大神谷」のがあります。 程なくして植林地になって、ロープが張られたを登っていきます。 一端途切れてまた現れる横木の階段を登り始めると、道端に半壊した「小垂神酒谷」のを過ぎていきます。 階段が終って、になる道を進んでいきます。 僅かに撓んだ所を過ぎて登って小さな谷筋の左側の斜面を進むようになると、道端に半壊した「大垂神酒谷」の標識があります。
池の沢展望広場
を横切っていきます。 短い横木の階段を左へ曲がりながら登って、再びを横切っていきます。 右へ曲がって、また谷筋を横切るように進んでいきます。 中ほどには半壊した「池の沢展望広場」のが落ちていて、支柱には「山頂まで750m」の標識が残っています。 白雲山登山口から21分ほどの所になります。 「広場」とは云っても特に広くなっている訳ではなくて、谷筋に山道が続いているばかりです。 振り返るとが少し見えます。
植林地へ入って左・右と曲がりながら登っていくと、「水晶の丘」のが倒れています。 「動物に注意」の標識を過ぎていくとになります。 に降りて、僅かに水が流れるを渡り、その先へ登っていきます。 道に覆い被さるの下を過ぎていきます。 蕾が膨らみ始めたタニウツギを眺めながら登っていくと「もみじ谷」の標識が立っています。
こさづ平展望広場
やがて現れる横木の階段を登っていくとが見えてきます。 途切れながら続く横木の階段を登っていくとが見えてきます。 程なくして、「」が立つ所に出ます。 白雲山登山口から33分ほどの所になります。 脇には「こさづ平展望広場」の標識があります。 以前に来た時には「山頂まで450m」の板が支柱に取り付けられていましたが、この時には見かけませんでした。 正面の浅い谷筋をひと登りするとこさつ峠になりますが、 桃テープが見られるに続く僅かな踏み跡を登っていきます。
案内板や標識で「こさづ」の表記に揺れが見られます。 「白雲山里山林内案内図」と「林内案内板」では「こさ峠」及び「こさ平展望台」、 「法花寺周辺案内図」では「こさ峠」及び「こさ平」、 ここにある標識では「こさ平展望広場」、以前に峠で見かけた標識では「こさ峠」となっていましたが、 現地での標識の表記を採用しておきます。
所々に巻かれているを確認しながら、広い斜面に続く踏み跡を登っていきます。 少し右へ曲がりながら進んでいくと、「小鳥の楽園」のが落ちています。 尾根が近づいてくるとが立っていますが、朽ちていて文字は判読出来ません。 道なりに左へ曲がっていくとになります。 斜めに傾いた踏み跡を降っていくと浅い鞍部に出ます。
が巻かれた樹木と壊れた「山火事注意」の標識の所まで来て、少し右へ曲がっていきます。 程なくして、壊れた「動物に注意」のを過ぎていきます。 が茂る尾根を進んでいきます。 落ち葉などに埋もれたが現れると、浅い谷筋を回り込むように曲がりながら登っていきます。 樹木が茂る尾根に出ると、「記念育樹道」の標柱が立っています。
剣蛇ヶ岳(標高422m)
左へ曲がって、を登っていきます。 山頂が近づいてくるとが現れます。 階段が終ると、樹木の袂に「大神岩」のが倒れています。 標識を過ぎるとに着きます。 左からの尾根を合わせていくと、広くなった剣蛇ヶ岳の山頂に着きます。 こさづ平展望広場から15分ほど、白雲山登山口から49分ほどで登って来られました。
中ほどには「白雲山・剣蛇ヶ岳 標高422m」の標識が立っていて、各方面の眺めを示す板が取り付けられています。 以前に比べて損傷が進んで袂に落ちている板もありますが、 「妙見山・氷ノ山」、「久美浜湾・甲山」、「豊岡市街・コウノトリの郷公園」、「経ヶ岬」、「来日山」、「三川山」、「京丹後市」の板があります。 参考までに、2013年6月に来た時に写したを載せておきます。 山頂にはがありますが、「法花寺周辺案内図」に描かれていた電波反射板の跡でしょうか。 南西側に広がる景色を眺めながら休憩していきます。
以前よりも樹木が育って見え難くなっていますが、北東側にも依遅ヶ尾山などのが少し見えます。
落ち着いたところで、剣蛇ヶ岳から下山していきます。 東南東へ延びる尾根(*)から口三谷地区へ降りて行けますが、 車を止めてきた法花寺農村公園へ戻るべく、登って来たルートを引き返していきます。 登り着いたまで引き返してきます。 登ってきた左側の尾根を降っても良いのですが、こさつ峠を経て行くべく、右側の尾根を降っていきます。 少し左へ曲がりながら降っていくとになります。 降り傾斜が増し始めると、少し曲がっていきます。 見えてくるに向かって降っていきます。 程なくして鞍部に着きます。 剣蛇ヶ岳から5分ほどの所になります。 には登ってきた谷筋が見えます。 ここはに続く広めの踏み跡を降っていきます。
*東南東の尾根は「剣蛇ヶ岳」, 「剣蛇ヶ岳」を参照。
こさつ峠
左へ曲がりながら続く広いを進んでいきます。 しばらく進んでいくとに出ます。 少し右へ曲がって降っていくと、鞍部になったこさつ峠に着きます。 剣蛇ヶ岳から8分ほどの所になります。 中ほどに生える樹木の袂にはが落ちていて、 正面の斜面は「五郎岳」、今来た尾根は「剣蛇岳」となっています。 以前に来た時には「こさつ峠」のもあったのですが、この時には見かけませんでした。 には小さな沢が見られる浅い谷筋が続いています。 林道まで続く破線の道が地形図に描かれていて気になりますが、今でも林道まで降りていけるのでしょうか。
こさづ平展望広場
の浅い谷筋を降っていきます。 に明瞭な道は見かけませんが、沢が流れている訳でもないので歩くのに何の問題もありません。 緩やかに降っていくと、程なくして「林内案内板」や「こさづ平展望広場」の標識があるこさづ平展望広場に戻ってきます。 剣蛇ヶ岳から10分ほどの所になります。
横木の階段が途切れながら続くを降っていきます。 が道を塞いでいるので、高巻くように続く踏み跡を通っていきます。 道に覆い被さる倒木が見えてくると、「もみじ谷」のを過ぎていきます。 の脇を過ぎていきます。 僅かに水が流れるを渡っていきます。
池の沢展望広場
少し登っていくと、倒れかかった「動物に注意」のを過ぎていきます。 降り坂になって左への曲がり角まで来ると、「水晶の丘」のが倒れています。 左・右と曲がりながら降っていくとになります。 谷筋を横切る所まで来ると、半壊した「池の沢展望広場」と「山頂まで750m」の標識がある池の沢展望広場に出ます。 こさづ平展望広場から8分ほどの所になります。 左に見えるを再度眺めていきます。
植林地を掠めて左へ曲がり、再びを横切っていきます。 植林地まで来て、短い横木の階段を右へ曲がりながら降っていくと、またを横切っていきます。 道端にある半壊した「大垂神酒谷」のを過ぎていきます。 緩やかになった道を進んでいくと、剥き出すを過ぎていきます。 降り傾斜が増してくると、ロープが張られた横木の階段を降っていきます。
横木の階段が終ると、道端に半壊した「小垂神酒谷」のがあります。 少し左へ曲がると、またロープが張られたを降るようになります。 階段が終って歩き易くなった尾根を降っていくと、半壊した「大神谷」のがあります。 標識を過ぎると、尾根の背を外れて、ロープが張られた左斜面を降るようになります。 こさづ平展望広場から19分ほどの所になります。
白雲山登山口
ロープが垂らされたを降っていきます。 階段が終って、の斜面を曲がりながら降っていきます。 左へ曲がって植林地になると、僅かなを回り込んでいきます。 右から左へ曲がりながら植林地の斜面を降っていくと、右前方の樹間にが見えてきます。 谷筋まで来て道なりに右へ曲がって水澄不動尊への道の入口まで来ると、「白雲山登山口」「山頂まで1300m」の標識が立っています。 こさづ平展望広場から25分ほどの所になります。
水澄不動尊の参道になっているを降っていきます。 しばら降っていくと、「駐車場」の標識が出ているに出ます。 すぐ先に架かるを渡っていきます。 が生える明るい所を過ぎていきます。 植林地に入って降っていくと、小川に架かるコンクリート製の小橋を渡っていきます。
を左に見ながら進んでいきます。 植林地に入って、僅かなの傍を過ぎていきます。 植林地を抜けていくと、左側にが広がってきます。 が続く道を進んでいきます。 少し左へ曲がって水路沿いに進んでいくと、舗装路の終点になっている分岐に出ます。 白雲山登山口から15分ほどの所になります。
法花寺農村公園
法花寺 地区急傾斜地崩壊危険区域」の看板を過ぎて降っていくと、 古民家カフェのMANATEAと思われるがあります。 カーブミラーの立つ分岐まで来ると、「法花寺・水澄不動尊周辺案内図」が壁に貼り出されているを過ぎていきます。 少し先にある五郎岳へ続く道とのを直進していきます。 「MANATEA 200m先→」の標識があるを左へ曲がっていきます。 の杜の横を進んでいきます。 右への曲がり角まで来ると、車を止めておいた法花寺農村公園に着きます。 白雲山登山口から24分ほどで到着しました。