磯砂山
概 要 磯砂山は京丹後市の峰山町と大宮町の境に聳える標高661.0mの山です。 日本最古の羽衣伝説が残され、天女が水浴びをしたとされる女池もあります。 山頂からは山並みなどを見渡せる360度の大パノラマが広がります。 今回は大成地区から羽衣茶屋を経ていくルートを往復します。 登山口から山頂までは、擬木の階段が1010段も続きます。
起 点 京丹後市峰山町 大成地区
終 点 京丹後市峰山町 大成地区
大成地区…登山口…峠…展望地…展望地…磯砂山…展望地…展望地…峠…女池…峠…登山口…大成地区
所要時間 1時間40分
歩いて... 折からの蒸し暑さも手伝って、擬木の階段では呼吸を整え、汗を拭き拭きの登りになりました。 途中には展望地が幾つかあるので、休憩を兼ねて眺めを楽しみながら登っていきました。 喘ぎながらもたどり着いた山頂では山並みを一望できる素晴らしい展望が待っていました。 女池にも立ち寄りましたが、この時にはほどんど水がありませんでした。
関連メモ 磯砂山, 磯砂山, 磯砂山, 磯砂山, 磯砂山, 大成峠, 磯砂山
コース紹介
大成地区
豊岡の市街地から国道178号を北東へ進んでいきます。 久美浜駅を過ぎて国道312号に入り、国道482号を右に分けて進んでいくと、 比治山トンネルを抜けた先に大路口バス停があります。 そこから府道704号(鱒留但東線)に入って南下していくとがあります。 「」と題した案内板には天女の館・コテージ・ふれあい広場・炊事シャワー棟・テントベース・遊歩道などが載っています。 駐車場に車を止めて、道路向かいにあるに立ち寄っていきました。 石段の先の鳥居をくぐるとがありました。 左右にも社があり、いずれにも白木の内宮が納められていました。 再び府道704号を南下して大成地区まで来ると、 橋の手前からが分かれていくがあります。 道路の右側には「ようこそ いさなご山(高さ661m)へ ←登山口 てっぺんまで2.3km」のが立っていて、 左に分かれていく林道を指しています。 林道の入口には「登山口まで1780m」「いさなご登山道」のが立っています。 分岐の手前には「」の案内図もあります。 その林道に入って登っていくとに着きます。 茶屋と云っても店舗が営業している訳ではなくて、単なる休憩所です。 トイレも併設されています。 茶屋の前の道幅が広がって駐車スペースになっているので、ここに車を止めました。
ミソン谷林道の起点になる分岐の20mほど手前の道路脇にも、数台ほどのがありました。 簡易トイレも設置されていました。
乙女神社
「丹後風土記」には日本最古の羽衣伝説が記載されていますが、それとは別に、 狩人の三右衛門(さんねも)と一人の天女が織りなす羽衣伝説が地元には伝わっていて、 天女と三右衛門の間には三人の美しい娘がいたとされます。 天女は三右衛門に隠された羽衣を見つけ、娘を残して天に帰ってしまった後、 毎年七月七日の夜に星となって三右衛門と三人の娘に会いにやってくるそうです。 この乙女神社は、天女の娘の一人が祀られているとされ、お参りすると美女が授かるといわれています。
 (羽衣ステーション、京丹後市観光協会)
羽衣伝説と乙女神社
むかし、比治の里に三右衛門という狩人が済んでいました。 ある日、三右衛門はいさなご山の頂の池で水浴する八人の天女を見かけ、その羽衣の1つをかくしました。 三右衛門は羽衣をかくされた天女を連れて帰って妻とし三人の娘をもうけました。 天女は農業や養蚕、機織り、酒づくりが上手で、この家はもとより比治の里はたいそう豊かになりました。 しかし、天恋しさにたえかねた天女は、三右衛門の留守に娘たちからかくし場所を聞き出し、 大黒柱の穴にあった羽衣を身につけると、外からかけ戻った三右衛門に、 「七日七日に会いましょう」と再会を約して大空に舞い上がっていきました。 乙女神社は、天女の娘の一人が祀られており、お参りすると美女が授かると言われています。
「丹後七姫」 イメージ花 【羽衣天女】
羽衣椿(ツバキ科) 開花期:2月〜4月
日本原産の常緑低木で、ヤブツバキからの改良品種。 花の名のとおり、柔らかな花びらが羽衣のよう。 また、椿の散り際の儚さが、地上を離れ天に帰った天女のようで、 羽衣天女のイメージ花に選ばれました。
 (丹後広域観光キャンペーン協議会)
林道ミソン谷線
ミソン谷林道 起点 L=2,980m
羽衣茶屋からは林道が左右に分かれていますが、 「いさなご山登山道」のが指すを進んでいきます。 その入口には鉄パイプ製の車止めがありますが、この時には抜かれて脇に置かれていました。 「登山口まで310m」のに従って、左へ曲がっていく舗装路を進んでいきます。 右下を流れる沢の水音を聞きながら、谷筋に続く舗装路を緩やかに登っていきます。
登山口
沢を横切って向こう岸に続く舗装路を登っていくと、舗装路はになります。 左側には先ほどのと同様な鉄パイプ製の車止めが設置されていて、 脇に立つ「登山口 山頂まで1010段」のがその先へ続く道を指しています。 ここが「京都の自然200選」に選ばれている磯砂山への登山口になります。 羽衣茶屋から5分ほどの所になります。 右の山際にはベンチがひとつ設置されていました。 ここは左の車止めの先に続くが設置された道を進んでいきます。
「京都の自然二百選」 磯砂山
美しい自然 大切な自然を 永く子孫に伝えよう
 (平成5年8月31日選定 京都府)
山火事注意
守ります 山の緑と 防火のマナー
タバコの投げ捨てはやめましょう
 (森林国営保険、京都府)
手摺が終わると、幅の広いが始まります。 階段を登り始めると、脇に「いさなご登山道」「頂上まで1000段」のが立っています。 出来れば避けたい擬木の階段が1000段も続くなんて、登り切れるだろうかと不安になりながら登っていきました。 階段を4分ほど登っていくと左側が開けた所があって、振り返ると、樹木越しにが見えました。 ベンチが設置された曲がり角の辺りまで来ると、正面に高みが見えてきました。 一瞬『磯砂山か』と思いましたが、そんなに近いはずはなく、 方角からすると、磯砂山から南南西へ延びる尾根の先端のようでした。
階段が途切れて緩やかになった道を進んでいきます。 人心地付きながら削り取られたを歩いていくと鞍部になったに着きました。 登山口から7分ほどで登って来られました。 ここは尾根道と少しずれた峠道が交わる所で、脇にはベンチも設置されていました。 右の道には「女池まで200m」のが立っていますが、下山時に立ち寄ることにして、 先ずは左へ続くを進んでいきました。 すぐの所から右へ戻るようにして降っていく道がありますが、地形図に載っている上常吉地区へ続く破線の道のようでした。 その先には「」が立っていて、簡単な地図が載っていました。
後日に上常吉地区からの道を歩きました。 (「磯砂山」を参照)
展望地
磯砂山頂上まで460m」のを過ぎていくと、再び擬木の階段が現れます。 階段を登り始めると、すぐの所に「頂上まで780段」のが立っていました。 喘ぎながら3分ほどを登っていくと、 左側の樹木越しにを眺められる所がありました。 右へ曲がりながら更に登っていくと開けた所に出ました。 から5分ほど登った所になります。 右側が開けていてになっていました。 ベンチも設置されているので、眺めを楽しみながら疲れを癒していきました。
落ち着いたら、左の尾根に続く擬木の階段を登っていきます。 30秒もせずに階段が途切れてホッとしていると、少し先からまたが始まります。 再び途切れて再開する階段を登っていくと、左側が僅かに開けてを眺められる所がありました。 そこを過ぎていくと「頂上まで500段」のが立っていました。 展望地から2分半ほどの所になります。
標識を過ぎて階段を2分ほど登っていくと、再び左側が僅かに開けてを眺められる所がありました。 そこを過ぎて階段を更に登っていくと「頂上まで250段」のが立っていました。 展望地から8分ほどの所になります。 右側が開けていて、を見渡すことができました。
展望地
眺めを確認したら、その先に続く擬木の階段を更に登っていきます。 僅かなのような所を過ぎて登っていくと開けた所に出ました。 先ほどの展望地から13分ほどの所になります 右側が開けていて、山並みを見渡せるになっていました。 少し霞んではいましたが、前方にはの一部が見えていました。 ベンチも設置されているので、ここでも眺めを楽しみながらひと休みしていきました。
落ち着いたら、傾斜も緩やかになって擬木の階段もなくなったを緩やかに登っていきます。 次第に幅が広がってくる尾根を1分ほど登っていくと、 四面に「南無妙法蓮華経」と刻まれたが立っていました。
広くて緩やかな尾根道を進んでいきます。 岩が幾つか頭を出している傍を過ぎていくと、が始まります。 僅かなのような所を過ぎていくと、右側に景色が広がってきました。 先ほどの石柱から3分ほど登った所になります。 道端にあるが腰かけるのに具合が良さそうでした。 これまでの展望地と同様に、を見渡せる眺めが広がっていました。
磯砂山 (標高661.0mm)
間隔が広がってきたを登り始めると、上の方にが見えてきました。 もうすぐ頂上だと思うと、足取りも軽くなってきました。 程なくして、木組みののある磯砂山の頂上に着きました。 から26分ほどで登って来られました。 展望台の傍にはもあるので、地形図に載っている661.0m峰になるようです。 ミソン谷林道の起点にあった案内図によると、山頂にあるこの広い場所は「てんてん広場」というようです。
三角点
基本測量
大切にしましょう三角点
 (国土地理院)
先ずは北西を向いている六角形のに登って、360度の大パノラマを堪能しました。 少し霞んではいたものの、宮津にあるや久美浜にあるも見えました。 山名などは特定できませんでしたが、北西から時計廻りに写した写真を載せておきます。
この磯砂山には日本最古の羽衣伝説が伝わっていて、そのがあります。 傍には「」と題した案内板もありましたが、 設置されてから年月が経つようで、かなり掠れていました。 尾根は北東側へも続いていて、10mほど低い所に岩が幾つか頭を出すがあります。 の上に登って、周囲の眺めを楽しんだりしました。 テーブル・ベンチも設置されているので、ひと休みしていくのに良い所ですが、 この時は日差しが強かったので、唯一の日陰であるの下に入って、早めの昼食タイムにしました。
いさなご山頂 661メートル 日本最古の羽衣伝説 発祥の地
羽衣天女の由来
奈良時代の丹後風土記に記された羽衣説話は、日本最古のものです。 いさなご山(比治山)の頂き近くにある家で水浴びをしていた八人の天女のうちの一人が、 ふもと比治の里の老夫婦の養女となりました。 天女は米づくりはもとより、酒づくりや養蚕機織りの技術に優れ、 比治の里はたいそう富み、豊かになりました。 この天女は丹後一帯の農業神、豊受大神(豊宇賀能売命)として祀られ、 古代丹後王国をまとめる精神的な象徴として、古くから親しまれていたことは有名です。
平成二年建之
お腹も満ちて展望も満喫したら磯砂山から下山していきます。 展望台から北西へ(*1)が続いていましたが、茂地地区へ降る道でしょうか。 ミソン谷林道の起点にあった案内図にはあまご茶屋を経て国道312号へ降りていく道が描かれていますが、 北東(*2)へ延びる尾根の先にその道が続いているのでしょうか。 これらの道にも興味がありましたが、今回は元来た道を引き返すことにしました。
*1 後日に北西へ延びる道を歩きました。 (「磯砂山」, 「磯砂山」, 「磯砂山」を参照)
*2 後日に北東の尾根を歩きました。 (磯砂山」, 「磯砂山」を参照)
展望地
間隔の広い擬木の階段を降っていきます。 程なくして階段が終わって、広い尾根道を緩やかに降っていきます。 丸い石があるの広がる所や「南無妙法蓮華経」のを過ぎていくと、 ベンチが設置されたに着きました。 眺めを確認してから、擬木の階段を更に降っていきます。
展望地
の開ける「頂上まで250段」のを過ぎていきます。 何度も立ち止まって呼吸を整え汗を拭きながら登ってきた擬木の階段ですが、降る時には快調に歩くことができました。 「頂上まで500段」のを過ぎていくと、 ベンチが設置されたに着きました。 ここでも眺めを確認してから、擬木の階段を更に降っていきました。
正面の樹木越しに山並みを眺めながら、幅の広いを淡々と降っていきます。 「頂上まで780段」のや「磯砂山頂まで460m」のを過ぎていくと、 女池への分岐になっているに着きました。 山頂から16分ほどで降りて来られました。 左は上常吉地区への道、右は大成地区への道ですが、 角に立つ「女池へ200m」のに従って、 正面に続くを登っていきます。
階段を登り始めてすぐの所に「磯砂女池の羽衣伝説」の解説板が立っています。 銘板が取り付けられたブナの木を過ぎていくと、階段が二手に分かれています。 標識類は見かけませんでしたが、正面の階段は僅かな高みを経ていく道で、左の階段は高みを巻いていく道になります。 いずれの階段も10mほど先で合流しますが、先ずは正面の階段を登っていきました。 すぐにに着きましたが、特に何もありませんでした。 左へ曲がっていくと、すぐに巻き道とします。
磯砂女池の羽衣伝説
北畠親房著の元元集(1337年)に、
「 丹後国風土記に曰く、丹後国比治の山(磯砂山)の山頂に井あり、その名を真井(女池)という。 この井に天女八人降り来て水を浴みき。 麓の和奈佐という老夫、天女の衣をかくし、児として無理に連れ帰る。 天女万病に効く天酒をよくす、十有余年するうち、老夫の家富みえ栄ゆるも、 老夫は”汝はもともと、わが児にあらず”と家より追う。 天女は泣く泣く放浪し、竹野の郡舟木の里にたどりて死す。 里人天女を奈具社にて祀る。 こは豊宇賀能売の命(伊勢神宮外宮の豊受大神)なり 」
と、このように女池の羽衣伝説は日本各地に数ある羽衣伝説の中でも、極めて格調の高いものである。
 (京丹後市)
緩やかになったを進んでいくと、すぐに擬木の階段が現れますが、 段数は少なく傾斜もそれほど急ではありません。 僅かなを越えて、雑木林と植林地を分ける尾根道を進んでいきます。
山火事注意
 (京都府)
女池
少し降り坂になったを進んでいきます。 程なくして傾斜が増した植林地を降るようになると、道は尾根の背から外れてへ降っていきます。 植林地に続く擬木の階段を降っていくと、平らになった所に降り立ちました。 道は左へ巻くようにして続いていますが、平らになった所に続く階段もありました。 どうやらここが女池のようですが、その旨の標識は見かけませんでした。 から5分ほどで着きました。 「池」とは云っても、この時にはほとんど水は溜まっておらず、中ほどが僅かに湿っているだけでした。 8人の天女が水浴びをした池とのことです。 今ではお盆のようにごく浅い状態になっていますが、 植林されていなかった当時にはもっと深い池だったのかも知れません。
後日に、女池の南へ続く尾根を歩きました。 (「大成峠」を参照)
女池を確認してから引き返してきました。 二手に分かれているの所では巻き道の方を降っていくと、往復11分ほどでまで戻ってきました。 ここから大成地区登山口へ向かって、を進んでいきます。
登山口
削り取られたを進んでいきます。 からはを僅かに眺められました。 程なくして現れるを降っていきます。 「いさなご登山道」「頂上まで1000段」のを過ぎていくと、 擬木の手摺が設置された道の先で、のある舗装路の終点に出ました。 から6分ほどで降りて来られました。
大成地区
谷筋に続く舗装路を降っていきます。 沢を横切って向こう岸に続くを降っていくと、 「登山口まで310m」の標識の先で、愛車を止めておいた最初の羽衣茶屋へ戻ってきました。 登山口から5分ほどで到着しました。 靴を履きかえたり汗を拭いたりしながら少し休んでから家路につきました。