概 要 |
進美寺山は豊岡市日高町にある標高360mほどの山です。
北側には古刹の進美寺があります。
山頂からの眺めはあまり良くありませんが、登っていく途中には山並みや街並みを見渡せる眺めの広がる所があります。
山頂までのルートは幾つかあるようですが、今回は北側にある日置神社の脇から続く尾根道と保守路を経て登っていきます。
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起 点 |
豊岡市日高町 江原駅
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終 点 |
豊岡市日高町 江原駅
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江原駅…秋葉神社…日置神社…姫路山珠持地蔵…保守路出合…車止めゲート…電波塔…進美寺…赤崎分岐…白山権現…進美寺山…鞍部…円山台分岐…須留岐山分岐…古墳…沢筋…農道終点…保守路分岐…江原駅
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所要時間 |
3時間40分
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歩いて... |
今では新たに保守路が出来ていて、往時の進美寺の参拝路は今では忘れ去れた道になっているようでした。
進美寺山から東へ延びる尾根を降ることも出来るようですが、明瞭な道は見かけませんでした。
須留岐山へ向かう尾根道の途中から農道終点へ降っていく道には一部に不明瞭な所もありましたが、
何とか歩いていくことが出来ました。
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関連メモ |
進美寺山,
須留岐山,
進美寺山
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江原駅
江原駅(JR山陰本線)から歩いていきます。
階上にある東口から駅舎を出て地上に降りると、
「」、
「」、
「」などがあります。
今回訪ねる進美寺や進美寺山も載っていますが、道順が分かるほど詳しくはありません。
駅前広場の先に続く道路を進んでいくと、すぐに江原駅前交差点があります。
左側の横断歩道を渡った所から左前方に分かれていく円山川沿いの道を進んでいきます。
日高町観光ゾーン案内
神鍋 [かんなべ Kannabe]
神鍋高原は、神鍋山(標高469m)を中心に1,000m級の山々に囲まれた四季折々の表情が豊かにある高原です。
良質で豊富な積雪で関西随一のスキー場として有名ですが、魅力は冬場だけではありません。
豊かな自然の中でテニス、ゴルフ、グラススキー、パラグライダーそして青空の下で楽しめる温泉…。
オールシーズン楽しめる心やすらぐところです。
十戸 [じゅうご Jugo]
十戸は日高町の中央に位置し、江原駅から神鍋高原へと向かう国道に面した山間の静かな地区。
古くから炭酸泉の源泉をもつ温泉地として親しまれ、また、豊富な清水を利用して虹マスの養殖が行われてきました。
最近では、近くに植村直己冒険館と記念スポーツ公園が整備され、新しい観光スポットとして人気を集めています。
阿瀬 [あせ Ase]
阿瀬は渓流や滝の宝庫。
そのなかでもとりわけ目をひく渓谷美を誇っています。
渓谷付近には、温泉施設を備えたオートキャンプ場があり、山歩きで疲れた体をゆっくり癒してくれます。
また広葉樹の多いこの渓谷は、新緑と紅葉が美しく全山が燃えるように染まる11月には「紅葉まつり」が開かれます。
円山川 [まるやまがわ Maruyamagawa River]
日高町の平野部を縦断し、満々と水をたたえて緩やかに流れる円山川。
川面に映る美しい山々を眺めながら河岸をそぞろ歩くと、今まで気付かなかった大切なものが見えてくるかもしれません。
上郷橋をわたって南下すると見晴らしのいい「植村直己ふるさと公園」に到着します。
(日高町観光協会)
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高いコンクリート塀沿いの道を進んでいくと、白壁塀のがあります。
境内の右側には庫裡と思われる建物や鐘楼があり、
左側には石仏が沢山納められた祠や石碑や大樹などがありました。
更に進んでいくと、円山川にが架かっています。
橋を渡っていくと、右側の奥には残雪を頂いた稜線が連なっていました。
良くは知らないのですが、方角からすると蘇武岳から妙見山にかけての山並みでしょうか。
橋を渡った左側にがあって、
中には綺麗な前掛けをしたが納められていました。
右側にはがあって、
その上には「正一位 秋葉神社」と刻まれた石柱が立っていたので、ちょいと立ち寄っていくことにしました。
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秋葉神社
石段を登っていくと、石柱の傍に「秋葉神社」の扁額が掛かるが立っています。
鳥居をくぐって石段を更に登っていきます。
を二つ過ぎていくと、小振りの秋葉神社がありました。
手前には石灯籠が立っていて、社殿の前には真新しい狛犬が控えていました。
中を覗ってみると、檜皮葺きの社が納められていました。
由緒などを記したものは見かけませんでした。
地形図によると、この辺りからの西側を巻いていく道が続いているようなので、
社殿の裏手を探ってみましたが、それらしい道はなさそうでした。
以前にはあったのかも知れませんが、付け替えられたのでしょうか。
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元の道に戻ってその先へ進んでいきます。
左へ曲がりながら降っていくと、すぐに右へ分かれていく道があります。
その道に入っていくと鳥居が立っていて、脇には「式内 日置神社」と刻まれた石柱もありました。
鳥居の手前から広めのが右へ分かれています。
今回登っていく道になりますが、その前に日置神社を訪ねていくことにしました。
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日置神社
鳥居の先の幅の広い石段を登っていくと、屋根付きの扁額が掲げられたの先に、
社務所のような建物や手水舎がありました。
その先から右に続く石段を更に登っていくと日置神社の境内に着きました。
左側にはのような建物があり、寄付者や奉納者などの氏名を記した板が沢山掲げられていました。
右側の玉垣で囲まれた所に、本殿と拝殿から成る社殿がありました。
本殿と拝殿は葦の簀張りの渡り廊下で続いていました。
由緒などを記したものは見かけませんでしたが、社殿の柱には祭神などを記した板が取り付けられていました。
社殿の左右には小祠もありました。
日置神社
祭神 |
天櫛耳命(アメノクシミミノミコト)
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旧例祭日 |
十月十六日
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神拝詞 |
祓比給比 禊給比 守里給比 幸比給閉
(ハラヒタマヒ キヨメタマヒ マモリタマヒ サキハヒタマヘ)
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鳥居の所まで戻って、「式内 日置神社」の石柱の脇から続く未舗装路を進んでいきます。
作業小屋を過ぎて植林地の手前まで行くと、黒色と黄色のがありました。
「通行止」や「路肩注意」の看板も出ていましたが、自動車向けの看板だと解釈して、その先へ進んでいきました。
軽トラックなら通れそうな幅があって、明瞭で歩き易い道が続いていました。
右・左と曲がりながら、かなり傾斜のある坂道を登っていきます。
やがて傾斜が緩やかになって、快適な道が続くようになります。
右側の樹木越しには、日高のが見えるようになりました。
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姫路山珠持地蔵
少し登り坂になってきた道を左へ曲がりながら進んでいくと開けた所に出ました。
日置神社の鳥居から8分ほど登った所になります。
山際にがあって、中に真新しい石仏が安置されていました。
名前が記されていたと思われる板も取り付けられていました。
この時には文字がすっかり消えて確認できませんでしたが、情報によると「姫路山珠持地蔵」と書かれていたようです。
右側が開けていてになっています。
何枚も写真を撮りながら眺めを楽しんでいきました。
左側の高みが102.4m峰になるようです。
三角点もあるようですが、明瞭な道は見かけなかったので、登って確かめるのは省略しました。
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眺めを楽しんだら、尾根の右肩に続く広くて緩やかな道を進んでいきます。
あまり歩かれていないのか、道には堅くて細い笹竹が生えている所もありましたが、
密度はそれほど高くはなくて、歩いていくのに支障はありませんでした。
姫路山珠持地蔵から8分ほど進んでいくと、少し広めになった尾根の背に出ました。
ここで道は右へ直角に曲がっていきます。
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冬枯れの樹間から垣間見える山並みなどを眺めながら、
尾根の背に続く広くて緩やかなを進んでいきます。
が何本か集まって生えている所を過ぎていくと、
道は尾根の背から外れて左肩に続くようになります。
姫路山珠持地蔵から16分ほどの所になります。
地形図によると、尾根の背に破線の道が続いているようですが、
正面の尾根にはそれらしい道はないように思えたので、ここは左肩に続く狭まってきた道を進んでいきました。
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斜面を横切るようにして続く緩やか道を進んでいきます。
崩れかけた所やぬかるんだ所もあったので、足元に注意しながら1分ほど進んでいくと植林地になってきました。
右側の尾根が次第に低くなってくるとに出ました。
左は降り坂になっているので、を登っていきます。
植林地を抜けると、笹竹などが茂るに出ました。
そこを過ぎて30秒ほど進んでいくと、左下に近づいてきた舗装路へ降りていく広めの踏み跡が分かれていました。
『10mもせずに降りて行けそうだが』と思いながらも見送って、更に狭まってくる道を進んでいきました。
後日に左下へ降りていく踏み跡を歩いてみました。
少し傾斜があるものの、それほど苦労することもなく舗装路に出られました。
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保守路出合
左下に続くを眺めながら、
道幅がどんどん狭まり傾いてもくる小径を進んでいきました。
これまでの広くて快適な道から一転して消えてしまいそうになって、
先ほどの踏み跡を降った方が良かったなと後悔しながらも進んでいきました。
松の幼木が植えられた所を進んでいくと、広めの踏み跡との分岐から1分半ほどで、舗装路のに降り立ちました。
尾根の背から外れて左肩を進むようになって7分ほど、姫路山珠持地蔵から23分ほどで歩いて来られました。
この舗装路は、地形図に載っている二重線の道とは違うようでした。
道路向かいにはが立っていました。
消えていて読めない所もかなりありましたが、この舗装路の由来が記されているようでした。
進美寺周辺の保守用に整備された道なのでしょうか。
昭和27年進美寺奉賛会(世話人熊田繁蔵)造成の道
是より左方向、進美寺参拝路巾員一、五○米
距離千三百米現拡張巾員六米路線路線の内の基本
昭和15年____の通り
熊田繁蔵氏の信条で造成された此の道を基本に五_六米に
拡巾にな_新しく___として開発した。
昭和六十三年七月 小林弥_
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車止めゲート
舗装路を1分ほど進んでいくとがあります。
左前方へ登っていく未舗装路も気になりましたが、正面に続く舗装路を進んでいきました。
小さく曲がりながら緩やかな登り坂になった道を進んでいくと、
保守路に降り立った所から7分ほどで、車止めゲートがありました。
「車止め」とは云っても、両側に支柱が立っているだけで、道を封鎖する部分はなくなっていました。
標識の左脇から小径が降ってきていますが、その道が旧来からある参拝路になるようです。
ゲートを過ぎて少し右へ曲がり、引き続き広くて歩き易いを進んでいきます。
正面にを眺めながら進んでいきます。
参拝路
後日に左側から来る道を歩いてみました。
地形図に載っている二重線の「町道日置進美寺線」で、少しU字形に窪んだ広めの道が尾根筋に続いていました。
麓にある保守路との分岐から登ってきましたが、24分ほどでここに出られました。
「一丁」から「十丁」の石仏が点々と設置されていたので、往時の 参拝路だったようですが、
枯れ枝や倒木があって、今では忘れ去られた道のようでした。
車輛通行止
ここからは、町道日置進美寺線です。
危険ですので車輛の通行を禁止します。
(日高町、豊岡警察署)
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50mほど進んでいくとU字形の車止めがありました。
そこを過ぎて更に50mほど進んでいくと、左側に続く小尾根の右肩を進むようになります。
程なくして傾斜が増してきた坂を登ってが更に近づいてくると、
道は大きく右へ曲がっていきます。
山際には「十四丁」と刻まれた(*)が佇んでいました。
「ピーッ」という警戒音が聞こえたので目を凝らしていると、
10数頭の鹿の群れが正面の斜面を横切っていきました。
栄養状態が良いのか、どれも丸々とした大型の鹿でした。
距離が離れていたので安心でしたが、かなり迫力がありました。
坂を更に登っていくと、鋭角に左へ曲がっていきます。
緩やかになった道を進んでいくと、「十五丁」と刻まれたが佇んでいました。
車止めゲートから11分ほどの所になります。
*左側の小尾根から石仏の脇へ降ってくる踏み跡がありました。
ちょいと小尾根に登ってみると、小径が続いていました。
車止めゲートを過ぎて100mほどの所から尾根の背に続く道のようで、往時の参拝路だったようです。
地形図に載っている二重線の道は、更に南下してから右・左と折れ曲がって電波塔の辺りに登っていくように描かれています。
どうやら二重線の道は往時の参拝路を表しているようで、今回歩いている保守路は載っていないようでした。
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電波塔
広くて歩き易い道を進んでいくと、左側の奥に尖った山が見えてきました。
方角からするとでしょうか。
左へ曲がる所まで来ると、右側が開けていて、などを見下ろすことが出来ました。
そこを過ぎていくと、先ほど見えていた電波塔の脇に出ました。
「十五丁」の石仏から3分ほどの所になります。
建物の扉に取り付けられた銘板によると、携帯電話会社の江原基地局というようでした。
手前には「十六丁」と刻まれたが佇んでいました。
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電波塔を過ぎた先で、道がに分かれています。
保守路は右側の緩やかな道だとは思いながらも、左側の坂道が気になったので歩いていくことにしました。
少し登っていくと、左側にがありました。
そのまま正面の高みへ登っていきました。
程なくして右肩に続く小径を進むようになります。
右側から登ってくる坂道と合流すると、少し段差になった広い所に出ました。
脇には「十七丁」と刻まれたが佇んでいたので、
旧来の参拝路はこちらの道だったようです。
左側の数段の石段を登って平らな所に出てみると墓地がありました。
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石仏を過ぎて降っていくと、手前で分かれてきた保守路が右から合流してきます。
その先は山の上とは思えないほどのになっていました。
左側には先ほども見えた高みなどを見渡せる眺めが広がっていました。
広場の先へ進んでいくと、進美寺へ登っていく幅の広いがあります。
この時には石段の傍に軽トラックが止められていました。
山際の補修などの作業を行っている人を見かけたので、その方々が乗って来られたようでした。
ここまで続いてきた保守路は、小型車なら通って行けるだけの幅があって、
進美寺周辺の保守用に使われているようでした。
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広い石段を登っていくと、広くなった境内に着きました。
左側には平屋の大きな建物がありましたが、進美寺の庫裡や寺務所だったのでしょうか。
振り返ると、手前の樹木に邪魔されながらも、を眺めることが出来ました。
境内には満開のが仄かな香りを漂わせていました。
脇には大きな石の上に乗った「十八丁」と刻まれたが佇んでいました。
奥の方には六地蔵を安置したもありました。
小振りの石仏も幾つか見かけました。
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進美寺
境内の奥にある石段を更に登っていくと立派ながあります。
両脇には阿形・吽形の仁王像が納められていました。
仁王門をくぐっていくと、進美寺の本堂である観音堂に着きました。
保守路に降り立った所から30分ほど、日置神社の鳥居から1時間10分ほどで到着しました。
以前は参拝者で賑わったお寺だったようですが、今では無住となって静かな佇まいを残しています。
お堂の正面には解説板にもある有形文化財の大きながありました。
兵庫県指定有形文化財 工芸進美寺鰐口
指定年月日 | 昭和四十八年三月九日 |
所在地 | 日高町赤崎 |
所有者 | 進美寺 |
観音堂正面にかかげられた経六十六cm厚さ二十五.七cm重さ四十八.七五Kgの大きな鰐口である。
撞座は繊細華麗な蓮花文様をうき出させ、各区はそれぞれ三条の圏線で区切る。
大きいだけに各区の間隔にゆとりがあり、張りの強い胴部の曲線とあいまって美しい形態にまとめあげられている。
銘帯の左右に刻銘があり、明徳三年(1392)進美寺の住職・幸円が願主となり寄進したものであることがわかる。
進美寺は行基が建立したと伝え、鎌倉時代には関東御祈祷所となった但馬国では最も著名な寺院である。
この鰐口は大きさにおいても古さにおいても、
制作の優秀さにおいても、当寺にふさわしい貴重な遺品といえる。
(日高町教育委員会)
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観音堂の左右の奥から山道が続いていますが、先ずは右側の道から進美寺山へ登っていきました。
「十二丁」と刻まれたの脇から続くに入り、
植林地の斜面を横切るようにして進んでいきます。
雑木林になってきた斜面を左へ曲がりながら巻くように登っていくと、
「アカサキ55 E17 6711」や「アカサキ80」の標識が取り付けられた電柱が立っていました。
後日に来てみると、電柱の谷側の樹木が伐採されて、
電線に邪魔されながらも方面を眺められるようになっていました。
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赤崎分岐
電線の下に続く山道を更に登って左右に通る尾根に出ると、
「アカサキ55 E16 8611」や「アカサキ79」の標識が取り付けられた電柱の立つ分岐に出ました。
進美寺から3分ほど登った所になります。
道標類は見かけませんでしたが、右側は赤崎地区へ降っていく道のようでした。
電線が降っていく正面にはを見渡せる眺めが広がっていました。
横木の階段混じりの左側の尾根道のすぐ先には、
「白山権現」の扁額が掲げられたが立っていました。
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鳥居を過ぎて、尾根の背に続く道を登っていきます。
馬の背のような所を過ぎて少し曲がりながら登っていくと、の残る曲がり角がありました。
赤崎分岐から3分ほど登った所になります。
右側が開けていて、山並みや街並みなどを見渡せる眺めが広がっていました。
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白山権現
広めになった尾根道を登っていくと、道がしている所がありました。
右側の方が明瞭なようですが、すぐ先で大木が根こそぎ倒れていて歩き難いので、ここは正面の道を登っていきます。
歩き始めははっきりしない様子ですが、すぐに明瞭な道になってきます。
灌木が生える尾根の背を登っていくと、の横に登り着きました。
進美寺から10分ほど、麓の日置神社の鳥居から1時間30分ほどで登って来られました。
真東を向いた祠の正面には「白山権現」と書かれた小さな札が掲げられていました。
中を覗ってみると、檜皮葺きの社が納められていました。
周囲には樹木が生えていて眺めは良くありませんが、
南側の僅かに開けた所からなどを見下ろすことが出来ました。
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進美寺山 (標高360.6m)
祠の左側から奥へ入っていくと、のある小広い伐採地がありました。
ここが地形図に載っている360.6m峰で、進美寺山の山頂になるようです。
鉄枠なども倒れていましたが、以前には何か構造物が設置されていたようです。
ここも眺めはあまり良くありませんでしたが、
西側のが樹木越しに僅かに見えていました。
お昼にはまだまだ時間がありましたが、腰かけるのに具合が良さそうな所を探してひと休みしていきました。
四等三角点
基本 No.111965
この測量標はすべての測量の基準です。
三角点を大切にしましょう。
(国土地理院)
三角点
基本測量
大切にしましょう三角点
(国土地理院)
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鞍部
進美寺まで引き返してきて、観音堂の裏手から左側に続くを進んでいきます。
歩き始め所は崩れた土砂が積もっていました。
道を塞いでいるの下をくぐり、
根こそぎの脇を慎重に進んでいくと、歩き易い道になってきました。
右の尾根が次第に低くなってくると、進美寺から3分ほどで鞍部に着きました。
脇には「十八丁」と刻まれたが佇んでいました。
鞍部を過ぎて東へ延びる尾根の右肩に続く道を進んでいきます。
進美寺山から東へ延びる尾根を降ってくるとここに来られそうですが、明瞭な道は見かけませんでした。
樹木が密生している訳ではないので、何とか降れそうに思いましたが、
南東へ延びる尾根もあるので、間違えることのないように磁石で方角を確かめながら降りる必要がありそうでした。
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円山台分岐
雑木林の尾根の右肩に続く緩やかな道を2分ほど進んでいくと分岐があります。
左の道の入口には「」と書かれた板が取り付けられていました。
『はて?進美寺から来たのに変だな』と思いながら、右前方へ降っていく道を覗っていると、
数m先に「」と書かれた板が落ちていました。
左前方へ登っていく道の先には「」と書かれた板が取り付けられていました。
どうやら「進美寺」の板は今来た道を指しているようでした。
ここは左前方へ続く道を登っていきました。
地形図では「須留 岐山」の表記になっていますが、ここの標識は「須留 喜山」となっていました。
後日に右前方の道を歩きました。(「 進美寺山」を参照)
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須留岐山分岐
尾根の右肩に続く道を緩やかに登っていきます。
冬枯れの樹間からと思われる高みを眺めながら進んでいくと、
広いに出ます。
丸い尾根の背を軽く登っていくと、再び「」の標識が立っていました。
円山台分岐から5分ほどの所になります。
標識の手前から僅かな踏み跡が左へ分かれています。
このまま尾根道を進んでいくと、301m峰を経て須留岐山へ行けそうでしたが、今回は左の道を進んでいきました。
後日に 須留岐山への道を歩きました。(「 須留岐山」を参照)
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古墳
左傾斜の斜面を進んで降り坂になってくると、硬質プラスチック製の階段が現れます。
『送電線の巡視路などでよく見かける階段だが』と思いながら降っていくと、
分岐から3分ほどの所に、こんもりとした高みがありました。
何だろうと思っていると、真ん中にある大きな石の下がになっていました。
どうやら古墳のようでしたが、説明を記した標識などは見かけませんでした。
ここで道が不明瞭になりました。
古墳の先は急斜面になっているし、右側の斜面にも明瞭な道はありません。
あれこれと探っていると、左側に続く僅かな踏み跡を見つけました。
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傾斜が増してきた小径を降っていくと、左側には先ほど登ったが聳え、
中腹にはも見えていました。
この道で良いのかと不安になりながらも草木を掻き分けて降っていくと、に出ました。
辺りを覗っていると、斜面を横切るようにして右へ続く明瞭な道を見つけてひと安心したのでした。
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斜面を横切って左へ曲がり、尾根の背を降っていくと、
再び硬質プラスチック製の階段が現れたので、気持ちも楽になってきました。
以前には付近に送電線の鉄塔が立っていたのかも知れませんが、この時には見かけませんでした。
ここから沢筋に降り立つまでは、途切れながらも続く階段を辿って降っていけば迷うことはありません。
遠くに広がる山並みを眺めながら淡々と降っていきます。
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沢筋
雑木林の尾根の背に続く階段を降っていきます。
少し右へ曲がって傾斜が増してきた階段を慎重に降っていくと沢筋に降り立ちました。
古墳から13分ほどで降りて来られました。
には水が僅かに流れているだけでした。
硬質プラスチック製の階段は沢向かいの斜面へ登っていきますが、ここで階段から分かれて、左へ続く沢沿いに進んでいきます。
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農道終点
沢筋には明瞭な道を見かけませんでしたが、樹木が密生している訳ではないので、何とか歩いて行けました。
沢からあまり離れないよう注意しながら歩けそうな所を探して、沢を渡ったり渡り返したりしながら緩やかに降っていきました。
程なくして植林地になってきた沢筋の左岸を進んでいくと、
沢の右岸に高さ1m半ほどのが現れました。
沢に降りて崖を登っていくとに出ました。
沢筋に降り立った所から10分ほどの所になります。
ここからは快適な道が続きます。
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農道を2分ほど進んでいくと、左岸に萱などが生えるがありました。
対岸へ渡る小橋も架けられていました。
自動車の轍が残るようになったを進んでいくと、開けた谷筋になってきます。
道なりに少し右へ曲がりながら進んでいくと、左右に通る道に出ました。
農道終点から5分半ほどの所になります。
これまでの沢が、左右を流れる小川に注ぎこんでいる所になります。
右にも広めの道が続いていましたが、左側に架かるを渡っていきました。
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谷筋に続く田圃や畑などを眺めがら農道を進んでいきます。
そろそろ苗代作りの作業が始まろうとしているようでした。
小川はコンクリート護岸されていて、川底もコンクリートで固められていました。
5分ほど進んでいくと、右を流れる小川にが架かっています。
ふたつの道がX字形に交わっている所になっています。
橋の向こう側には、地形図に載っている二重線の道が続いていました。
橋のこちら側では道がに分かれています。
川沿いの道と、川から離れていく道になりますが、今回は川から離れていく左側の道を進んでいきました。
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保守路分岐
引き続き田圃などが続く谷筋の農道を進んでいきます。
作業小屋の前の小橋を過ぎていくと、橋を渡った所に分岐があります。
農道終点から19分ほどの所になります。
日置橋へは正面の道を進んでいくのですが、のすぐ先で道が二手に分かれていたので、
ちょいと寄り道していきました。
右側の道の入口には「車輛通行止」のが立っていました。
それに載っている案内図によると、左側の道は「町道日置進美寺線(歩道)」で、
右側の「私道」の途中には、神社から続く破線の道が続いているように描かれています。
その破線の道は姫路山珠持地蔵を経てきた今回の道で、
右側の実線の道は、破線の道から降り立った保守路になります。
左側の道の入口には、3体のお地蔵さんを納めたがありました。
後日に左側の道を歩いてみたところ、保守路に降り立った先にあった車止めゲートへ続いていました。
地形図に二重線で載っている道で、往時には進美寺への参拝路だったようです。
保守路に降り立った所から降ってくるのが右側の道になります。
(「車止めゲート」の箇所を参照)
車輛通行止
ここから約1.3km先からの町道日置進美寺線は車輛通行止です。
(日高町、豊岡警察署)
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保守路への分岐から引き返してその先へ進んでいきます。
2分ほど進んでいくとがあります。
左へ分かれていく道の入口には「法尺谷の墓地」の標識が出ていて、奥の山際にはが見えていました。
そこを過ぎて1分ほど進んでいくと、道端に「」と刻まれた石碑がありました。
石碑を過ぎていくと、左右に通る道路に出ます。
左折して民家が点在する道路を進んでいくと、日置神社へ続く道の入口に戻ってきました。
紀念碑
中谷溜池新築幹線道路改修
昭和二年六月建之 向日置統治整理組合
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江原駅
元来た道を引き返していきます。
日置橋を渡って左側に続く円山川沿いの道を進んでいくと江原駅前交差点に出ます。
横断歩道を渡って道路を進んでいくと、江原駅(JR山陰本線)に戻ってきました。
保守路分岐から19分ほどで到着しました。
お昼を過ぎた時刻になったので、交差点の傍にあるたにやま食堂に入ってみました。
昔懐かしい大衆食堂で、カウンター席とテーブルが3つほどの小さな店でした。
店内に掲げられた「あきない」の額を読みながら食事をしていきました。
営業時間は11:00〜14:00と16:30〜20:00のようでした。
あきない
商売はあきないという それはおもしろくて しかたがないから あきないなのだ
いつもおもしろいから 笑顔がたえないから 「笑売」となる
「いらっしゃいませ」 「ありがとうございます」 いつも活発だから 「勝売」となる
あきない商売を おもしろくないと 思っているとすぐあきる
いつも不平不満や 愚痴がでて心が次第に 傷ついて 「傷売」となってしまう
こんなお店にはそのうち 誰もよりつかなくなり 「消売」となって消えてしまう
「笑売」をしているのか 「傷売」をしているのか
「勝売」をしているのか あきない商売をしているのか
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