概 要 |
進美寺山は豊岡市日高町にある標高360.5mの山です。 北側には古刹の進美寺があります。
山頂からの眺めはあまり良くありませんが、登っていく途中には山並みや街並みを見渡せる眺めの広がる所があります。
今回は赤崎地区から進美寺山へ登り、進美寺を経て赤崎地区へ降るルートを歩きます。
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起 点 |
豊岡市日高町 赤崎地区
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終 点 |
豊岡市日高町 赤崎地区
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赤崎地区…伊久刀神社…五丁…七丁…九丁…分岐…白山権現…進美寺山…分岐…進美寺…水場…九丁…六丁…五丁…伊久刀神社…赤崎地区
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所要時間 |
2時間40分
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歩いて... |
進美寺までの道は参詣道になっているようで、普通の山道よりも広めの道が続き、丁仏が設置されていました。
この時は天候には恵まれたものの、道には雪に加えて落葉も結構積もっていて滑りやすくなっていました。
途中で脹ら脛や腰が痛くなりましたが、何とか山頂まで登れました。
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関連メモ |
進美寺山,
須留岐山,
進美寺山
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赤崎地区
豊岡市日高町の浅倉地区から円山川に架かる赤崎橋を渡っていきます。
橋を渡ったすぐの所にある分岐に立つ「赤崎」の標識に従って右折していきます。
路肩が広がって車数台分の駐車スペースがあるを道なりに左へ曲がっていきます。
赤崎地区の集落の手前まで来ると、路肩が広がって車を何台も止められる駐車スペースになっていたので、ここに車を止めさせて頂きました。
(農作業用の車を止めるためなのか、路肩は車1台分の幅で続いていました)
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すぐの所にある十字路を直進していくとY字路に出ます。
右へ進んでいくとがあります。
壁には「日前山 進美寺 1.2k」のが取り付けられていて、左へ分かれていく道を指しています。
標識に従って左折し、集落に続く坂道を登っていきます。
山際まで登ると地蔵堂があります。
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伊久刀神社
地蔵堂を過ぎて川沿いに登り始めると、で道が閉ざされていました。
その手前にある石碑や石仏の脇から左へ出るとがあります。
そこから右にあるを登ると上の境内に出ます。
右側にはがあり、中には囲炉裏がありました。
左側に伊久刀神社の社殿があります。
「伊久刀神社」の扁額が掲げられていましたが、由緒などを記したものは見かけませんでした。
両脇には小祠がありますが、名前は分かりませんでした。
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から出ると、地蔵堂からの道に出ます。
左へ曲がって登り始めると、すぐの所にがあります。
テープ状の紐で止められた扉になっていますが、開けるのが面倒だったので、右の川側を抜けていきました。
その先へ続く谷筋を川沿いに登っていくと、谷の左側にが見えてきました。
谷筋を横切っていくと石段に着きます。
石段のすぐ上の樹木には「進美寺道」のが取り付けられています。
ここが進美寺への参詣道の入口になるようです。
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真っ直ぐ続く石段を登り切って、斜面を横切るようにして続くを進んでいきます。
右前方の樹間からが見えてくると、道は左へ折れ曲がっていきます。
以前はよく歩かれた道なのか、普通の山道よりも広めに続いていました。
横木の階段らしきものも時折見かけますが、落葉が厚く積もって朽ち果てそうになっていました。
左斜面を少し進んでから、右・左と曲がりながら、かなり傾斜のある広い尾根の背を登っていきます。
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雪解けで道が濡れていて滑りやすくなっていたので、歩みは遅くなり勝ちでした。
腰掛けてひと休みするのに具合が良さそうなを過ぎていきます。
更に曲がりながら登っていくと、斜面を横切るようにして進んでいきます。
道なりに右へ曲がっていくと、自然石を積み上げたようなの所がありました。
そこを過ぎて左へ曲がると、樹間から山並みが見えてきました。
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五丁
「アカサキ72」のを過ぎていきます。
が幾つも剥き出すようになった尾根を登っていきます。
次第にが見られるようになりましたが、量は僅かなので助かりました。
左へ曲がっていくと、剥き出す岩の上に「五丁」と刻まれた石仏がありました。
伊久刀神社から15分ほどの所になります。
手前の樹木や電線に邪魔されながらも、などが見えました。
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眺めを確認したら、その先へ続くを進んでいきます。
「アカサキ73」の電柱を過ぎていきます。
尾根のと曲がりながら続く道を登っていきます。
が通る傍まで来ると、岩が剥き出した所を曲がっていきます。
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七丁
に続く参詣道を小さく曲がりながら登っていきます。
少し傾いた「アカサキ74」のを過ぎていきます。
次第に雪が増えてくる道を登って植林地のの辺りまで来ると、「七丁」の石仏がありました。
伊久刀神社から21分ほどの所になります。
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引き続き、雪がある参詣道を曲がりながら登っていきます。
植林地の脇を過ぎたりしながら登っていくと、少し傾いた「アカサキ76」のが立っています。
が増える所もありました。
雪が少し減ってきた道を登っていくと「アカサキ77」の電柱が立っていました。
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九丁
尾根の右斜面に続くを登っていきます。
雪に加えて落葉も結構積もっていて、滑りやすくなっていました。
電線の下を過ぎたりしながらを登っていきます。
「アカサキ78」の電柱を過ぎた所に分岐があります。
伊久刀神社から38分ほどの所になります。
角にはが立っていて、「右 山頂 白山権現」「左 進美寺観音堂」となっています。
傍には「九丁」の石仏もありました。
ここは進美寺山へ向って、を登っていきました。
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分岐
深くなってきた雪に怯みながらも3分ほど登っていくとがあります。
標識などは見かけず、どちらへ進めば良いのか迷う所です。
正面には斜面を巻くように緩やかな道が続いていましたが、
ここは折れ曲がっていく道を登っていきました。
雪を踏みしめながら登っていくと、樹間からが見えるようになりました。
に出て更に登っていきます。
鳥居の手前までくると、「アカサキ79」の電柱が立つ分岐に着きます。
九丁の石仏がある分岐から11分ほどの所になります。
電線が少し邪魔をしているのが残念ですが、右側にはが広がっていました。
道標類は見かけませんが、左前方へ降っていくのは進美寺への道で、進美寺山へは正面の道を登っていきます。
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「白山権現」の扁額が掲げられた石製のをくぐって、
益々深くなってくる雪を踏みしめながら登っていきます。
僅かなを越えて、軽く降っていきます。
馬の背のようなを過ぎて登り返していきます。
少し曲がりながら登ってが残る曲がり角まで来ると、
右側が開けていて、山並みや街並みを見渡せる眺めが広がっていました。
眼下には、来る時に渡ってきたが見えました。
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白山権現
雪が積もる尾根を3分ほど登っていくと、道がしている所があります。
雪があってよく分かりませんが、右の道の先には大木が根こそぎ倒れていたので、正面の尾根を登っていきました。
かなり傾斜のある所を登っていくと、すぐに右からの道と合流しました。
益々深くなる雪に難儀しながら登っていくと、白山権現の横に登り着きました。
進美寺への分岐から16分ほど、伊久刀神社から1時間7分ほどで登って来られました。
真東を向いたには「白山権現」と書かれた小さな札が掲げられていました。
中を覗ってみると、檜皮葺きの社が納められていました。
周囲には樹木が生えていて眺めは良くありませんが、南側の僅かに開けた所からなどを見下ろすことが出来ました。
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進美寺山 (標高360.5m)
祠の左側から奥へ入っていくと、「進美寺」のある小広い伐採地があります。
ここが地形図に載っている360.5m峰で、進美寺山の山頂になるようです。
鉄枠なども倒れていましたが、以前には何か構造物が設置されていたようです。
ここも眺めはあまり良くありませんでしたが、
西側の樹木越しにが僅かに見えました。
四等三角点
基本 No.111965
この測量標はすべての測量の基準です。
三角点を大切にしましょう。
(国土地理院)
三角点
基本測量
大切にしましょう三角点
(国土地理院)
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分岐
当初は進美寺山から東へ延びる尾根(*)を経て須留岐山まで行く予定でしたが、雪が思いの外深いので諦めました。
進美寺を経て赤崎地区へ戻るべく、登ってきた道を引き返していきました。
が見渡せる所を過ぎていくと、
山頂から10分ほどで進美寺への分岐まで戻ってきました。
赤坂地区へ戻るには正面の道が近道ですが、進美寺に立ち寄るべく、
戻るように折れ曲がって降っていきます。
*後日に東へ延びる尾根を歩きました。(「 進美寺山」を参照)
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進美寺
「アカサキ80」の電柱を過ぎて、を横切るように降っていくと、
分岐から6分ほどで、進美寺の本堂であるの横に着きました。
左側から正面へ回ってみますが、この時には雪囲いがされていて、建物の様子はあまりよく分かりませんでした。
正面には「日前山」の扁額が掲げられ、有形文化財の大きながありました。
観音堂の左側から 須留岐山へ続く道があります。(「 進美寺山」,
「 須留岐山」を参照)
兵庫県指定有形文化財 工芸進美寺鰐口
指定年月日 | 昭和四十八年三月九日 |
所在地 | 日高町赤崎 |
所有者 | 進美寺 |
観音堂正面にかかげられた経六十六cm厚さ二十五.七cm重さ四十八.七五Kgの大きな鰐口である。
撞座は繊細華麗な蓮花文様をうき出させ、各区はそれぞれ三条の圏線で区切る。
大きいだけに各区の間隔にゆとりがあり、張りの強い胴部の曲線とあいまって美しい形態にまとめあげられている。
銘帯の左右に刻銘があり、明徳三年(1392)進美寺の住職・幸円が願主となり寄進したものであることがわかる。
進美寺は行基が建立したと伝え、鎌倉時代には関東御祈祷所となった但馬国では最も著名な寺院である。
この鰐口は大きさにおいても古さにおいても、
制作の優秀さにおいても、当寺にふさわしい貴重な遺品といえる。
(日高町教育委員会)
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観音堂の先には、阿形・吽形の仁王像が納められたがあります。
その先の石段を降って一段低い所に出ると、右側には平屋のがあります。
かつては庫裡や寺務所だったのでしょうが、今では無住のお寺になっているようです。
左側にはが咲いていて、仄かな香りを漂わせていました。
六地蔵を安置したもありました。 石仏も幾つか見かけました。
建物の脇からは山並みが広がり、奥の方にはもよく見えました。
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更に石段を降っていくと広場があります。
正面から登ってくる広めの道の終点になっています。
小型車なら通って行けるだけの幅があって、進美寺周辺の保守路として使われているようでした。
手前の樹木が少し邪魔をしていますが、右側には山並みを見渡せる眺めが広がります。
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水場
仁王門の手前まで引き返して、右側のに続く道へ入っていきます。
「アカサキ79」の電柱が立つ分岐から降ってきた道よりも一段低い所に続く道になります。
になった斜面を横切るように進んでいきます。
僅かな谷筋に差し掛かると水場があります。
によると、進美寺の飲料用の水のようでした。
すぐ傍に「十一丁」のがあるので、
こちらの道が進美寺の参詣道になるようです。
この湧き水ハ寺の大切な飲み水です。
汚さないようにしてください。
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九丁
は普通の山道よりは広めで、斜面を横切るように緩やかな登り基調で続いていました。
人工的に削ったようなが幾つか積まれた曲がり角まで来ると、
右の樹間から僅かにが見えました。
になってきた道を進んでいきます。
斜面を横切るよにして降っていくと、「九丁」の石仏がある分岐に着きます。
仁王門の脇から10分ほどで着きました。
ここからは、最初に登ってきたを赤崎地区へ向かって降っていきます。
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六丁
「アカサキ78」の電柱の先に続く広めの参詣道を降っていきます。
「アカサキ77」のを過ぎて更に降っていきます。
登ってくる時には脹ら脛や腰が痛くなりましたが、降る時は快調であります。
しかし、で滑りやすくなっていたので、慎重に降っていきました。
「アカサキ76」の電柱を過ぎて、樹間から少し見えるを眺めながら降っていきます。
植林地へ入る辺りまで降ってくると、「六丁」の石仏が佇んでいます。
「九丁」の石仏がある分岐から9分ほど降った所になります。
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五丁
少し傾いた「アカサキ74」の電柱を過ぎていくと、が剥き出した所を曲がりながら降るようになります。
「アカサキ73」のを過ぎて降っていきます。
次第に眺めが広がってくると、岩が剥き出すようになります。
岩の上には「五丁」のが佇んでいます。
「九丁」の石仏がある分岐から14分ほど降った所になります。
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が剥き出す尾根を降っていきます。
「アカサキ72」の電柱を過ぎていくと、自然石を積み上げたようなの所を降っていきます。
腰掛けてひと休みするのに具合が良さそうながある所を曲がっていきます。
曲がりながら尾根を更に降っていくと、砂防ダムの下に出ます。
その手前で道(*)が右へ分かれていて紛らわしいのですが、その道を見送ったすぐ先を右へ曲がっていきます。
*この少し先にある石垣の辺りまで続いているようですが、旧来の道でしょうか。
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がある所まで来ると、先ほど見送った道が右側から降ってきていました。
段差が高くなっていて今では歩けない様子でしたが、でしょうか。
石垣の左側にはがありました。
程なくして現れるを降っていきます。
石段が終わると谷筋に降り立ちます。
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伊久刀神社
谷筋を横切って舗装路を降っていくとがあります。
来た時と同じように、左の川側を抜けていきました。
すぐにあるの脇から右へ入っていくと、伊久刀神社に着きました。
「九丁」の石仏がある分岐から29分ほどで降りて来られました。
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赤崎地区
左にある石段を降っていきます。
一段低い所に着いて左にあるの脇から出ると、先ほどの舗装路が通っています。
を過ぎて、赤崎地区の集落に続く坂道を降っていきます。
まで来て、突き当たりを右へ曲がっていきます。
すぐの所にあるY字路を左へ曲がると、車を止めておいた駐車スペースに着きます。
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