概 要 |
東里ヶ岳は豊岡市但東町にある標高663.5mの山です。
山頂の北東側と南西側が開けていて、山並みを見渡すことが出来ます。
条件が良いと久美浜湾や天橋立も見えます。
今回は北側の下村神社を起終点として、作業道を詰めて峠まで登り、
電波反射板を経て山頂へ登り、電波反射板まで引き返して北へ延びる尾根を降るルートを周回します。
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起 点 |
豊岡市但東町 東里地区
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終 点 |
豊岡市但東町 東里地区
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東里地区…峠…電波反射板…東里ヶ岳…電波反射板…作業道出合…68番鉄塔…舗装路出合…東里地区
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所要時間 |
3時間50分
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歩いて... |
峠までの作業道には分岐が何ヶ所かあって、どの道が正解なのかは不明です。
電波反射板の手前には急坂があって、樹木に掴まりながらの遅い登りとなりました。
生憎と霞んでいましたが、山頂からは眺めが広がり、天橋立や依遅ヶ尾山なども見えました。
電波反射板から北へ延びる尾根は、途中から伐採木が散乱して歩き難い植林地になります。
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関連メモ |
東里ヶ岳,
東里ヶ岳,
東里ヶ岳,
東里ヶ岳
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東里地区
豊岡市の市街地から国道462号を南下していきます。
出合交差点から国道482号に入って北上していくと、
太田川にが架かっています。
太田橋の先には「東里ヶ岳登山道 こちら→」の看板が見えます。
太田橋を渡ったすぐの所から分かれていく道があります。
入口には「」と題した案内板があります。
右の道に入り、「但東町東里」の道路標識を過ぎていくと、東里地区の集落の手前に下村神社があります。
「駐車場」のも出ているので、ここに車を止めさせて頂きました。
ここにも「」と題した案内板がありますが、先ほどの案内板とほぼ同じ内容でした。
裏側には下村神社と吉野神社の由緒が記されています。
社殿の左脇には御神木のがあります。
下村神社由緒
□鎮座地 豊岡市但東町東里字嶋辻
□御祭神 高霊下神(たかくしびしものかみ)
高皇産む霊尊の末裔で、対馬国造下県直の一族であろう。
対馬国造は対馬縣(現・対馬島、長崎県対馬市)を支配したとされ、国と同等に扱われたが、
実際は県だったと考えられており、国造ではなく県主であったとされる。
国造本紀(先代旧事本紀)によると初代神武天皇の時代、
高魂尊(高皇産霊神)の五世孫である建弥己己命(たけみここみのみとこと)を対馬縣主にしたことに始まるとされ、
また、日本書紀の顕宗天皇三年の条には、「
日の神が人に憑いて、阿閉臣事件(アヘノオミコトシロ)に『磐余の田を以て、我が祖・高皇産霊(タカミムスヒ)に奉れ』と告げた。
事代は直ちに奏上し、神の求めのままに田十四町を献った。対馬の下県直が、これをお祀りし仕えた
」との記事がある。
また一説には、聖武天皇の世に出石の主帳に任ぜられた漢の帰化人で光武帝の末裔である下村主東里が東里村によって祀られたとされる。
創立年不詳、明治三年に再建、明治三十八年上屋改築。
明治六年十月 村社に列せられる。
祭礼 十月上旬
吉野神社由緒
□鎮座地 豊岡市但東町東里字大谷の上
□御祭神 広国押武金日天皇(ひろくにおしたけかなひのすめらみこと)(第27代安閑天皇)
継体天皇の第一皇子、勾大兄広国押武金日天皇と称す。
幼少の時期から器量に優れ、武威にたけ、寛容な性格であったと伝えられる。
継体天皇25年(531年)即位。
都を勾金橋宮(まがりのかなはしのみや・現在の奈良県橿原市曲川町か)に遷す。
安閑天皇の治世の出来事として関東から九州までの屯倉が大量に設置されたが、
これは磐井の反乱に加勢して敗れた地方豪族が許しを乞うために献上したものだと考えられている。
このことによって、皇室財政は充実。
内政・外交の立て直しを助けた。
安閑天皇4年(535年)崩御。
神社の創立年は不詳であるが、宝暦10年(1760年)再建されたと伝えられる。
かつては東里ヶ岳の九合目、桜楽山粟丹寺廃寺跡直上の土地高燥にして北方の眺望に富んだ場所に鎮座していたが、
昭和41年、山麓の現鎮座地に遷座し、現在に至る。
祭礼 八月下旬 岳祭
御神木「ウラジロガシ」
腎石、胆石、膀胱結石等に効果を発揮する。
※臨床実験 徳島大学、関電病院、東洋紡小松島工場病院、勝浦病院等
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御神木の脇からに出ます。
程なくしてを渡っていきます。
道なりに進んでいくとがありますが、左に架かる小橋を渡っていきます。
程なくして、は左へ曲がっていきます。
曲がり角から右へ分かれていく道に入っていくと、すぐに未舗装の農道になります。
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山際に続く農道を進んでいくと、沢に架かるを渡っていきます。
左に続くようになる電気柵に沿って進んでいくと、は道を横切って右へ曲がっていきます。
フックを外して電気柵を通過していくと、程なくしてがあります。
下村神社から10分ほどの所になります。
上下に括られている紐を解いて通過していきます。
確かめた訳ではありませんが、ここでは防護扉の先はということにしておきます。
僅かな登り基調で続く作業道を進んでいくと、谷筋が次第に狭くなってきます。
電気柵と防護扉を通過するのに、合わせて3分ほどを要しました。
開けたら閉る
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植林地へ入っていくと、太い鉄管が埋設されたの上を通過していきます。
しばらく登っていくと、また太い鉄管が埋設されたの上を通過していきます。
盛り上がったの先端まで来て、右側を進んでいきます。
少し登っていくと、コンクリート護岸されて太い鉄管が埋設されたの上を通過していきます。
右側に谷筋が現れると、太い鉄管が埋設された沢の上を左へ回り込んでいきます。
下村神社から25分ほどの所になります。
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左から右へ曲がりながら登って沢が消える辺りまで来るとがあります。
防護扉から16分ほどの所になります。
右へ曲がっていく道は見送って正面の道を登り始めると、すぐに左から降ってくる道がします。
が増してくる道を、息を弾ませながら登っていきます。
浅い谷筋がに分かれていますが、左正面の谷筋を登っていきます。
少し登っていくと、左右に通る作業道に出ます。
下村神社から33分ほどの所になります。
どちらへ進めば良いのか迷いますが、ここは左の道を進んでいきます。
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右へ曲がりながら登っていくとまた左右に通る作業道に出ますが、
ここもを進んでいきます。
少し登っていくと、倒木を過ぎた先でまた左右に通る作業道に出ますが、
ここはを進んでいきます。
右へ曲がりながら続くを登っていきます。
傾斜が緩やかになるとまたがありますが、
左へ戻るように続く道を進んでいきます。
少し登って緩やかな道を進んでいくと、右上に峠が近づいてきます。
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峠
登り易い所を探しながら進んでいくと、削られたから登れそうです。
切り株の脇から斜めに登っていくと、細いが現れます。
少し左へ曲がりながら続く踏み跡を登っていくと、尾根にある小さな切通のようになった峠に着きます。
下村神社から43分ほどで登って来られました。
峠から降る道(*)がありますが、なめら平を経て国道426号に出られます。
に出て、水分補給をしながら休憩していきます。
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落ち着いたところで、延びる尾根を登っていきます。
尾根には「界」の赤プラ杭が点々と続きます。
峠から2分ほど登っていくと、標高340mほどのに着きます。
少し左へ曲がって降っていくと、植林地のになります。
すぐにになる尾根を進んでいきます。
標高360m辺りまで来ると、左から僅かな尾根が合流してきます。
峠から6分ほどの所になります。
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少し右へ曲がって、植林地のを登っていきます。
しばらく登っていくと、次第にが見られるようになります。
に明瞭な道はありませんが、上を目指して登っていきます。
次第にが増してきて脹ら脛が痛くなってきますが、我慢しながら登っていきます。
左から近づいてくる尾根を眺めながら登っていくと、「東」と刻まれたを過ぎていきます。
程なくして傾斜が緩やかになると、標高430mほどの高みに着きます。
峠から17分ほどの所になります。
ここで立ち止まって、ひと息入れていきます。
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少し右へ曲がって軽く降り始めると、が尾根を塞いでいます。
倒木を避けていくとになります。
程なくして登り坂になると、またが見られるようになります。
しばらく小岩が続くを登っていきます。
小岩が減ってくると、標高450mほどの緩斜地に出ます。
峠から25分ほどの所になります。
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程なくしてが増してくる尾根を登っていきます。
を避けたりしながら登っていきます。
やがて、これまでよりもが幾つか剥き出す尾根になります。
傾斜も増してくるので、岩や樹木に手を掛けながら登っていきます。
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左側から回り込むようにして、を登っていきます。
程なくして、傾斜が弛んだに復帰します。
まだ続くを通りながら登っていきます。
岩群を過ぎると、標高520mほどの緩斜地に出ます。
峠から38分ほどの所になります。
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程なくして、またが増してきます。
写真ではよく分かりませんがなので、脇の樹木に手を掛けながら登っていきます。
地形図ではそれほどには思えませんが、現地はかなりです。
太い倒木などにも掴まりながら登っていきます。
やがて正面の樹間にが見え隠れしてきます。
アセビの大木の間を抜けていきます。
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電波反射板
伐採地に出ると、が近づいてきます。
崩れやすい斜面を登っていくと、次第に傾斜がになってきます。
振り返るとが広がりますが、手前の樹木が少し邪魔をしています。
電波反射板の左側を登っていくと尾根の背に出ます。
峠から55分ほどで登って来られました。
電波反射板の裏側辺りには壊れたがありますが、以前に来た時よりも壊れ方がひどくなっています。
景色を眺めながら、急坂を登ってきた疲れを癒やしていきます。
東里が岳反射板
8m×8m 反射板 GL+6m
2007年10月
兵庫県但馬県民局 豊岡土木事務所 但東事務所
施工 日本無線株式会社
製作 電気興行株式会社
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落ち着いたところで、東里ヶ岳へ向ってを登っていきます。
少し左へ曲がりながら登っていくとになります。
登り傾斜が増してくるとが現れます。
大岩の左側に張られたに掴まりながら登っていきます。
しばらく続く大岩が終ると、標高620mほどの緩斜地に出ます。
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僅かに撓んだ所を過ぎて登り坂になると、の脇を過ぎていきます。
少し登っていくとになります。
少し左へ曲がって、僅かにを進んでいきます。
軽いになる尾根を進んでいきます。
傾斜が緩やかになると、標高650mほどの僅かな高みに着きます。
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東里ヶ岳 (標高663.5m)
高みの先へ僅かに降っていくとになります。
程なくしてになります。
左にを眺めながら登っていきます。
傾斜が緩やかになると、東里ヶ岳の山頂に着きます。
電波反射板から16分ほどで登って来られました。
中ほどには「東里岳」があるので、地形図に載っている663.5m峰になるようです。
傍には「東里ヶ岳 標高663.7米」の標識と標柱も立っています。
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少し霞んでいるのが残念ですが、山頂の北東側が開けていて山並みを見渡せます。
景色を眺めながら休憩していきます。
北北東の奥には斜台形をした、
北東には日本三景の、
東北東にはが見えます。
樹木に邪魔されながら、南西にもが見えます。
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(*1)へ続く尾根からは、郷路林道や国道426号へ降りていけます。
少し引き返した所にが立っていて、
北へ降る尾根(*2)は「東里地区方面下山口」となっています。
元来た西の尾根を降っていくと、程なくしてになります。
少し進んで軽く登るようになると、標高650mほどの僅かな高みに着きます。
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軽いになる尾根を進んでいきます。
緩やかになった尾根を進んでいくと、僅かにを過ぎていきます。
少し曲がりながら降っていきます。
次第に傾斜が弛んでくるを降っていきます。
傾斜が緩やかになると、大岩の脇を過ぎていきます。
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電波反射板
僅かにを進んでいきます。
軽く登っていくと、標高620mほどのに着きます。
すぐに降り傾斜が増してくると、の脇に張られたトラロープに沿って降っていきます。
大岩を過ぎるとになります。
少し右へ曲がりながら軽く降っていくと、電波反射板に戻ってきます。
東里ヶ岳から12分ほどの所になります。
お昼には少し早い時刻でしたが、この先は降るだけなので、
に腰掛けて昼食タイムにしました。
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お腹が満ちたところで、電波反射板から延びる尾根を降っていきます。
尾根には大きめの赤頭短杭がしばらく続きます。
が少し煩わしい所もありますが、行く手を遮るほどではありません。
少し右へ曲がりながら降っていくとが増してくるので、脇の樹木に手を掛けながら降っていきます。
が少し見られるようになる尾根を降っていきます。
小岩が少し見られる所を降っていきます。
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尾根の中ほどに剥き出すの脇を降っていきます。
次第に傾斜がきて、樹木に手を掛けなくても降れるようになります。
少し傾斜が増してくる尾根を降っていくと、根刮ぎ倒れたが尾根を塞いでいます。
標高450m辺りまで来ると、左側が少し開けた所があります。
電波反射板から21分ほどの所になります。
ちょいと脇に出てみると、が広がります。
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少し曲がって降っていきます。
次第に傾斜が弛んできて標高420m辺りまで来ると尾根が二手に分かれていますが、を降っていきます。
標高400m辺りにあるを進んでいきます。
少し右へ曲がりながら続くを進んでいきます。
標高380m辺りまで来て植林地に入っていくと、次第に降り傾斜が増してきます。
電波反射板から27分ほどの所になります。
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傾斜が増してくる尾根を降っていくと、の脇を過ぎていきます。
「東」と刻まれた石杭を過ぎていくと、が茂るようになります。
次第にが目立ってきて歩き難くなります。
標高280m辺りまで来ると、傾斜が少し弛んできて歩き易くなります。
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作業道出合
傾斜が増してくるを、少し右へ曲がりながら降っていきます。
右側に緩やかな斜面が見えてくると、次第に傾斜がきます。
やがて、作業道のような広い道に出ます。
電波反射板から55分ほどの所になります。
作業道はから続いていますが、
ここはへ続く作業道を進んでいきます。
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倒木が目立つ道を進み始めると、少し曲がっていきます。
道は不明瞭になりますが、のような所を降っていきます。
少し左へ曲がりながら降っていくと、が混じるようになります。
右側に鉄柵が現れると、大きなの傍を過ぎていきます。
少し左へ曲がりながら植林地を降っていきます。
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倒木を跨いでいくと、左から作業道がしてきます。
を少し右へ曲がりながら降っていきます。
がゴロゴロする所を過ぎていきます。
少し曲がりながら降っていきます。
右下には小川が流れるようになります。
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68番鉄塔
小川に沿って進んで送電線の鉄塔が見えてくると、
が道を塞いでいます。
右の小川にはがあります。
防護網に沿って、を登っていきます。
ひと登りして小広い所に出ると、送電線の鉄塔「新綾部出石線六八」の袂に出ます。
作業道出合から10分ほどで降りて来られました。
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舗装路出合
防護網をくぐって鉄塔を過ぎると、の花が綺麗に咲いています。
右へ曲がると、すぐ下にが見えてきます。
崩れ易い斜面や太い伐採木の上を降っていくと、の前に出ます。
低くなった防護網を跨いで小橋を渡ると、左右に通る舗装路に出ます。
振り返って、を眺めていきます。
右へ続く道のすぐ先に吉野神社がありますが、立ち寄るのは省略します。
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左へ続く舗装路を降っていくと程なくしてがありますが、
紐で括られているだけなので容易に開けられます。
民家が現れると、を渡っていきます。
右へ曲がったすぐの所に東里ヶ岳のがあります。
入口にはが立っていて、
右の小橋を渡っていく道は「東里岳登山口 2700m 約150分」、今来た道は「吉野神社」となっています。
右の道(*)が本来の登山道になります。
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東里地区
右の登山道は見送って、少し降った所にある東里公会堂の先に架かるを渡っていきます。
公園のようになっている住居跡を過ぎていくと、を渡り返していきます。
程なくして、の杜が近づいてきます。
左からの道を合わせた所にが立っています。
鳥居をくぐって境内に入ると、車を止めておいた下村神社の駐車場に着きます。
68番鉄塔から14分ほどで到着しました。
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