東里ヶ岳
概 要 東里ヶ岳は豊岡市但東町にある標高663.5mの山です。 三等三角点のある山頂の北東側と南西側が開けていて、山並みを見渡すことが出来ます。 条件が良いと久美浜湾や天の橋立も見えます。 今回は北側の東里地区にある登山口から山頂へ登るルートを往復します。 山頂まで登山道が整備されています。
起 点 豊岡市但東町 東里地区
終 点 豊岡市但東町 東里地区
東里地区…東里岳登山口…67番鉄塔…休松…中間地点…比丘尼屋敷跡…展望地…572m峰…吉野神社跡…東里ヶ岳…572m峰…比丘尼屋敷跡…中間地点…休松…67番鉄塔…東里岳登山口…東里地区
所要時間 3時間40分
歩いて... 登山口から山頂までの山道には標識が点々と設置されて分かり易くなっていました。 張られたトラロープに掴まりながら登る急坂もありました。 山頂が近づくに従って展望が広がってきて、北東方面の山並みを見渡せました。 遠くは霞んでいたのが少し残念でしたが、天の橋立や依遅ヶ尾山なども見えました。
関連メモ 東里ヶ岳, 東里ヶ岳, 東里ヶ岳, 東里ヶ岳
コース紹介
東里地区
豊岡市の市街地から国道462号を南下していきます。 出合交差点から国道482号に入って北上していきます。 太田川に架かるを渡ると、 すぐの所から分かれていく道があります。 入口の空き地の脇に「」と題した案内板があります。 裏側には「東里ヶ岳登山道 こちら→」と書かれていて、右の道を指しています。 案内に従って右の道に入り、「但東町東里」の道路標識を過ぎていくと、東里地区の集落の手前に下村神社があります。 「駐車場」のも出ているので、ここに車を止めさせて頂きました。 ここにも「」と題した案内板がありますが、先ほどの案内板とほぼ同じ内容でした。 裏側には下村神社吉野神社の由緒が記されていました。
下村神社由緒
□鎮座地 豊岡市但東町東里字嶋辻
□御祭神 高霊下神(たかくしびしものかみ)
高皇産む霊尊の末裔で、対馬国造下県直の一族であろう。 対馬国造は対馬縣(現・対馬島、長崎県対馬市)を支配したとされ、国と同等に扱われたが、 実際は県だったと考えられており、国造ではなく県主であったとされる。 国造本紀(先代旧事本紀)によると初代神武天皇の時代、 高魂尊(高皇産霊神)の五世孫である建弥己己命(たけみここみのみとこと)を対馬縣主にしたことに始まるとされ、 また、日本書紀の顕宗天皇三年の条には、「 日の神が人に憑いて、阿閉臣事件(アヘノオミコトシロ)に『磐余の田を以て、我が祖・高皇産霊(タカミムスヒ)に奉れ』と告げた。 事代は直ちに奏上し、神の求めのままに田十四町を献った。対馬の下県直が、これをお祀りし仕えた 」との記事がある。 また一説には、聖武天皇の世に出石の主帳に任ぜられた漢の帰化人で光武帝の末裔である下村主東里が東里村によって祀られたとされる。
創立年不詳、明治三年に再建、明治三十八年上屋改築。 明治六年十月 村社に列せられる。
祭礼 十月上旬
吉野神社由緒
□鎮座地 豊岡市但東町東里字大谷の上
□御祭神 広国押武金日天皇(ひろくにおしたけかなひのすめらみこと)(第27代安閑天皇)
継体天皇の第一皇子、勾大兄広国押武金日天皇と称す。 幼少の時期から器量に優れ、武威にたけ、寛容な性格であったと伝えられる。 継体天皇25年(531年)即位。 都を勾金橋宮(まがりのかなはしのみや・現在の奈良県橿原市曲川町か)に遷す。 安閑天皇の治世の出来事として関東から九州までの屯倉が大量に設置されたが、 これは磐井の反乱に加勢して敗れた地方豪族が許しを乞うために献上したものだと考えられている。 このことによって、皇室財政は充実。 内政・外交の立て直しを助けた。 安閑天皇4年(535年)崩御。 神社の創立年は不詳であるが、宝暦10年(1760年)再建されたと伝えられる。 かつては東里ヶ岳の九合目、桜楽山粟丹寺廃寺跡直上の土地高燥にして北方の眺望に富んだ場所に鎮座していたが、 昭和41年、山麓の現鎮座地に遷座し、現在に至る。
祭礼 八月下旬 岳祭
東里岳登山口
下村神社を出て、コンクリートで固められた河床の太田川の左岸沿いの道を進んでいきます。 右への道を見送り、を渡って右岸沿いに登っていきます。 少し先のを渡り返した所に東里公会堂があります。 右へ分かれていく道を見送って太田川の沿いの道を更に登って「防火水そう」の赤い標識が見えてくると、左に小橋が架かっています。 入口にはが立っていて、 左のは「東里岳登山口 2700m 約150分」、正面の道は「吉野神社」となっています。 今回はここから東里ヶ岳へ登っていきます。
小橋を渡って、短い草が茂る道を進んでいきます。 民家への道を左に分けて、曲がっていきます。 山際までいくとがあります。 フックを外して通過すると、すぐの所にが立っていて、 右へ曲がっていく道は「東里岳登山口 2700m 約150分」となっています。 左には墓地がありますが、道標に従って右へ進んでいきます。 コンクリート製の蓋が被せられた小沢を跨いでいくと植林地へ入っていきます。 植林地を登り始めると防護網があります。 ビニール紐で括られた扉を開けて通過するのですが、 紐がキツく括られていて解くのに手こずり、通過するのに3分ほどかかりました。
開けたら閉める!
感電注意
こんもりとした高みの左側を進んで明るくなったに出ると、 「火の用心No67」の赤い標識が立っています。 そこから右へ踏み跡が分かれているようでしたが、道なりに曲がっていきます。 「火の用心No111,Np112」の赤いを過ぎて伐採された斜面に出ると、 正面の上に送電線の鉄塔が見えてきます。
67番鉄塔
斜面を折れ曲がりながら登っていくと、道は右側のへ入っていきます。 斜面を横切るようにして進んでいきます。 鋭角に左へ折れ曲がって斜面を横切るように登っていくと、 先ほど見えていた送電線の鉄塔「新綾部出石線六七」が立つ緩やかな鞍部に登り着きました。 東里岳登山口から17分ほどで登って来られました。 手前には「第一休憩所」のがありました。 に広がる山並みを眺めながら、ひと息入れていきました。
落ち着いたとこで、右側の尾根の背に続くを登っていきます。 少し右から左へ曲がりながら登っていくとに出ます。 緩やかになった植林地を進んでいくと、壊れかけた「あと2000m」のがありました。 67番鉄塔から5分ほどの所になります。
少し登り傾斜が増してくると、道の左右にが花を咲かせる所がしばらく続きます。 次第に右へ曲がって、を横切るように登っていきます。 鋭角に折れ曲がっていきます。 1分ほど進んで折れ曲がって登っていきます。 右斜面をしばらく進んで左へ折れ曲がっていくと、先の方がなくなった樹木が幾つかありました。 幹が裂けている木も見かけますが、雷でも落ちたのでしょうか。
休松
に巻き付かれた樹木を幾つか眺めながら、左斜面を登っていきます。 道なりに曲がって、僅かに窪んだ道を登っていきます。 右側が少し開けてくると、左へ曲がって尾根の背に出た所に「休松」のが立っています。 67番鉄塔から18分ほどの所になります。 道の左右には年期の入ったが設置されていました。 振り返ると、樹間から僅かにが見えました。 それらしい「松」はあるか探していると、根元から幹が二つに分かれたがありました。
休松を過ぎて植林地の尾根を登っていきます。 次第に傾斜が増してくるとが張られていましたが、 ロープに掴まらなくても何とか登ることができました。 トラロープ沿いに登っていくと「あと1500m」のが立っていました。 休松から3分ほどの所になります。 トラロープが終わっても傾斜が急な尾根は続き、次第に脹ら脛が痛くなってきました。
中間地点
植林地と雑木林を分けるようになったを登っていきます。 を過ぎていくと、 少し壊れた「中間地点」のが立っています。 休松から10分ほどの所になります。 距離は示されていませんが、東里岳登山口にあった標識では「2700m 約150分」となっていたので、山頂まで「あと1350m」という意味だと思われます。 休憩なども含めてここまで50分ほどで登って来られたので、「約150分」というのはかなり余裕をみた時間のようでした。
吉野神社跡への立ち寄りを除くと、ここから山頂まで56分ほどで登れました)
僅かにを登っていきます。 尾根の所々にはが取り付けられていました。 右側の樹間から谷向かいのを眺めなたりしながら、 歩き易い尾根を登っていきます。
右側には雑木林のが広がってきます。 少し傾斜が増してきたを登っていきます。 根元から幹が二股に分かれた樹木を過ぎていくと、「あと1165m」のが立っています。 中間地点から10分ほどの所になります。 「東里ヶ岳登山マップ」に載っている破線の道が分かれている所になるようです。 ここで道は尾根の背から外れて右へ曲がっていきます。 曲がり角の樹木には「鉤掛さん」のが取り付けられていて左上を指しています。 正面の急な尾根が破線の道になるようです。 明瞭な道は見かけませんでしたが、下草などは茂っておらず樹木も密生していないので、登れなくはなさそうでした。 破線の道の途中に描かれている鉤掛山が「鉤掛さん」のように思えました。 地形図によると、標高500mほどの緩やかな尾根の肩のような所のようです。
情報によると鉤掛さんから先は神域となり、心に鍵を掛けて樹木を犯さず、身の洗浄と安全を祈って、木の枝で鉤を作って付近の木に掛ける風習があったようです。
雑木林のを横切るようにして進んでいきます。 まで来ると道が不明瞭になりますが、 左へ曲がってを登っていきます。 樹間からを眺めながら支尾根を登っていくと、道は少し右へ曲がって右斜面を進むようになります。
を横切るように続く道を軽く登っていきます。 傾斜が緩んできた道を進んでいくと、「あと900m」のが立っています。 中間地点から19分ほどの所になります。
正面にが近づいてくると、 道は左へ折れ曲がってを横切るようにして登っていきます。 道なりに右へ折れ曲がっていくとふた瘤の高みが見えてきます。 目指す東里ヶ岳かとも思いましたが、その北北東にある572m峰のようでした。
比丘尼屋敷跡
近づいてくるに向かって登っていくと、小広くなった尾根の背に着きます。 中間地点から25分ほどの所になります。 中ほどには「比丘尼屋敷跡」のが立っていて、左の方を指しています。 その方向にはで囲まれた一角がありました。 礎石などは見かけませんでしたが、辺りは緩やかな所になっているので比丘尼屋敷があった所でしょうか。
比丘尼屋敷跡を過ぎていくと、すぐの所に分岐があります。 脇にはが立っていて、 正面の道は「山頂方面」「あと750m」となっています。 少し窪んだが左側から登ってきていますが、標識には何も示されてはいません。 「東里ヶ岳登山マップ」に載っている破線の道だとすると、鉤掛山を経てくる道でしょうか。 興味があるところですが、山頂へ向かって正面の道を進んでいきます。
展望地
僅かにを登っていきます。 涼やかな谷風が吹き上がってきて心地良く感じながら登っていくと、に着きます。 脇には「海が見える」のが立っていて左を指しています。 その道へ入っていくと、すぐに山並みが広がる展望地に出ました。 地形図によると、東里ヶ岳の北北東600m辺りにある標高550mほどの尾根の肩になるようです。 比丘尼屋敷跡から3分ほどの所になります。 標識にある海は何処だろうと探しますが、この時には遠くが霞んでいて確認できませんでした。
572m峰
手前まで引き返して、緩やかになったを進んでいきます。 左の樹間からを眺めながら進んでいくと、 程なくしてになってきます。 少し窪んだ尾根を登っていくと、僅かな高みに着きます。 標識類は見かけませんが、地形図に載っている572m峰になるようです。 比丘尼屋敷跡から8分ほどの所になります。
高みを越えて軽くいきます。 30秒ほど降っていくと、道は尾根の背を外れてに降りていきます。 正面の尾根も歩けそうな様子でしたが右へ降りていくと、「あと500m」のが立っていました。 少し進んで尾根の背に出て軽く登っていくと、僅かな高みに着きます。 比丘尼屋敷跡から10分ほどの所になります。 地形図によると、572m峰の南西70m辺りにある標高570mほどの高みになるようです。
正面の樹間にを眺めながら尾根を軽く降っていきます。 馬の背にようなに着いて、その先へ登り返していきます。 左の樹間から僅かにを眺めながらを登っていきます。 坂を登り切ると高みに着きます。 比丘尼屋敷跡から13分ほどの所になります。 地形図によると、572m峰の南西200m辺りにある標高570mほどの高みになるようです。
高みを過ぎて軽く降るようになると、右側がになってきます。 少し登り坂になってくると分岐があります。 比丘尼屋敷跡から16分ほどの所になります。 門柱のように生える樹木にはが取り付けられていて、 正面の横木の階段は「↑山頂 ロープに従う」、右の道は「吉野神社 栗丹寺 跡」となっています。 東里ヶ岳へは正面の階段を登っていくのですが、 の先にあるという吉野神社跡へ立ち寄っていくことにしました。
吉野神社跡
植林地を横切るように狭い山道を進んでいくと、僅かながありました。 脇には「馬の水呑場」の標識がありました。 以前には吉野神社まで馬も登って来たということでしょうか。 往時はもっと深かったのかも知れませんが、この時には落葉や土などが積もって、非常に浅くなっていました。 そこを過ぎていくと、のような石組みがあり、傍にはポリバケツが置いてありました。 その先にがありました。 ここが神社跡なのかと思って辺りを見回してみても、それらし石碑などは見かけません。 左上に続く坂道があったので登って小広くなった所に出ると、中ほどに「吉野神社跡」のがありました。 傍には社殿で使われていたと思われる木材が積まれていました。 谷側にある大木には「フクロウの巣」のが取り付けられていて、それらしい洞がありました。
吉野神社跡
昭和四十一年 遷宮
吉野神社跡からまで往復10分ほどで引き返してきて、 トラロープが張られた10数段の横木の階段を登っていきます。 登り始めには「山頂マデあと265m」のが取り付けられています。 階段が終わった少し先までは続いていますが、それほど急傾斜ではないので、掴まらなくても登っていけました。 僅かにを過ぎて登り傾斜が増してくると、 山頂まで続くトラロープが現れます。
植林地を抜けて雑木林になったを登っていきます。 最初のうちはまだ傾斜がそれほど急ではないので、トラロープに掴まらなくても登っていけました。 次第に左側の樹間から見えるようになるを眺めながら登っていきます。 も見かけましたが、既に役目を終えたようで、紐のようになって地面に落ちていました。 次第に傾斜が増して汗が噴き出てくるので、休み休み登っていきました。
樹木が低くなってが見えてくると、益々傾斜が増してきます。 崩れやすい尾根になっているし、トラロープに掴まりながら登っていきました。 何度も立ち止まって振り返り、次第に広がってくるを眺めながらゆっくり登っていきました。 樹木がされて明るくなった尾根を登っていきます。 すぐそこに見えている山頂ですが、なかなか着きません。 遅々とした歩みで登っていくと東里ヶ岳の山頂の端に登り着きました。 吉野神社跡への分岐から14分ほど、東里岳登山口から1時間56分ほどで登って来られました。 登り着いた所の樹木の袂には「東里地区方面下山口」のが立っていました。
東里ヶ岳 (標高663.5m)
を左へ進んでいくと、 すぐの所に「東里ヶ岳663.7」の標識と「東里ヶ岳 標高663.7米」の標柱が立っています。 傍には「東里岳」があるので、地形図に載っている663.5m峰になるようです。 3年前に来た時には各方面を示す標識を数多く見かけましたが、この時には整理されてスッキリとしていました。 山頂の北東側が開けていて山並みを見渡せます。
遠くは霞んでいたのが少し残念でしたが、も見えました。 眼下にはも見えました。 にも少し山並みが見えました。 お昼にはまだ早かったのですが、ベンチ代わりに置かれている丸太に腰を降ろして昼食タイムにしました。
お腹も満ちたところで、登って来た道を引き返していきます。 「東里地区方面下山口」のの所から、 トラロープに掴まりながらを降っていきます。 休み休み登ってきた急坂も、降る時は快調であります。 伐採地からに入って、トラロープ沿いに降っていきます。 が現れるとトラロープは一端途切れます。 再び現れるトラロープに沿って降っていきます。 程なくして10数段の横木の階段を降っていくと、吉野神社跡への分岐に着きます。 山頂から8分ほどで降りて来られました。
東里ヶ岳の北西にある電波反射板までの尾根は「東里ヶ岳」, 「東里ヶ岳」, 「東里ヶ岳」を参照。
東里ヶ岳から郷路林道へ降る東の尾根は「東里ヶ岳」,「東里ヶ岳」を参照。
東里ヶ岳から小谷地区へ降る尾根は「東里ヶ岳」を参照。
572m峰
植林地と雑木林を分ける尾根を降っていきます。 少し登り坂になってくると、標高570mほどのに着きます。 高みの先へ降って馬の背のようなを過ぎていきます。 標高570mほどのを過ぎていきます。 尾根の背を外れてに降りて進んでいくと、 「あと500m」のが立っています。 尾根の背に戻って軽く登っていくと572m峰に着きます。
比丘尼屋敷跡
少しを降っていくと、 道端にがありました。 登って来る時には気が付きませんでしたが石碑のようでした。 何やら文字が刻まれているようでしたが、判読できませんでした。 展望地へのを過ぎていきます。 僅かに窪んだ道を降って標識の立つを過ぎていくと、 小広くなった所にある比丘尼屋敷跡に着きます。 山頂から19分ほどで降りて来られました。
左側にある赤テープの所から、を降っていきます。 を横切るようにして曲がりながら降っていきます。 傾斜が緩やかになってくると、「あと900m」のが立っています。 に出て降っていきます。 右なりに右へ曲がって、雑木林のを横切るように進んでいきます。 尾根の背に出ると、手前に「鉤掛さん」の標識が取り付けられ、その先に「あと1165m」の標識が立っている所に着きます。 比丘尼屋敷跡から9分ほどの所になります。
中間地点
根元から幹が二股に分かれたを過ぎて、傾斜が増してきた尾根を降っていきます。 窪んだ道が分かれていくのような所がありますが、左側を降っていきます。 僅かにを降っていきます。 植林地になってくると、「中間地点」の標識が立つ所に着きます。 比丘尼屋敷跡から14分ほど、山頂から34分ほどで降りて来られました。 あと半分の所まで来ました。
休松
程なくしてを降るようになります。 傾斜が増してきた尾根を降っていくとが張られています。 「あと1500m」のを過ぎていきます。 トラロープが終わった先へ降っていくと、両側にベンチが設置された休松に着きます。 中間地点から7分ほどで着きました。
右へ曲がって、僅かにを降っていきます。 道なりに左へ曲がってを進んでいくと、先の方がなくなった樹木が幾つか生える所に出ます。 右へ折れ曲がって、をしばらく降っていきます。 左・右と折れ曲がって植林地を降っていくと、道の左右にが花を咲かせる所がしばらく続きます。 緩やかになった植林地を進んでいくと、壊れかけた「あと2000m」の標識があります。
67番鉄塔
少し右から左へ曲がりながら降っていきます。 尾根の背に出て降っていくと、正面にが見えてきます。 傾斜が緩んで明るくなってくると、送電線の鉄塔「新綾部出石線六七」が立つ緩やかな鞍部に着きました。 中間地点から21分ほど、山頂から55分ほどで降りて来られました。 右に広がるを眺めてから、 「第一休憩所」の標識の立つを降っていきます。
植林地のを降っていきます。 道なりに右へ曲がって進んでいくと伐採されたに出ます。 折れ曲がりながら斜面を降っていくと、植林地へ入っていきます。 「火の用心」のを二つ過ぎていきます。 こんもりとした高みの右側を進んで降っていくと防護網があります。 来る時にビニール紐を解き易く括っておいたので、容易に開けて通過できました。
東里岳登山口
植林地を出ると、正面にが広がってきます。 コンクリート製の蓋が被せられたを跨いでいきます。 墓地への道を分けて民家が見えてくるとがあります。 フックを外して通過し、民家への道を分けて左へ進んでいくと、道標の立つ東里岳登山口に出ました。 67番鉄塔から14分ほど、東里ヶ岳の山頂から1時間11分ほどで降りて来られました。
昭和41年に山麓に遷座した吉野神社は、ここから左へ200mほど進んだ所にあります。 電気柵と防護柵を過ぎて対岸に立つ送電線の鉄塔の所まで来ると、 左を指す「吉野神社」のが立っています。 標識が指す石垣の上を進んで植林地へ入った所にがあります。
東里地区
太田川沿いの道を降っていきます。 の先の小橋を渡っていきます。 少し先に架かるを渡り返していくと、 のある森が近づいてきます。 左からの道を合わせていくと、車を止めておいた下村神社に着きます。