概 要 |
戸牧尾根は豊岡市の市街地の南西を流れる戸牧川の南東側と北西側に続く尾根です。
尾根には樹木が茂っていて展望は良くありませんが、途中の展望地からは山並みを眺められます。
今回は南東側の尾根を縦走し、但馬空港を見学してから、北西側の尾根から戸牧川沿いの谷筋へ降るルートを歩きます。
(「戸牧尾根」は正式名ではなく、「戸牧地区にある尾根」という意味を表す当サイトの造語です)
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起 点 |
豊岡市 妙楽寺バス停
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終 点 |
豊岡市 妙楽寺バス停
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妙楽寺バス停…5番鉄塔…4番鉄塔…3番鉄塔…124.3m峰…2番鉄塔…鞍部…展望地…19番鉄塔…194.4m峰…但馬空港…39番鉄塔…戸牧地区…こうのとりスタジアム…妙楽寺バス停
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所要時間 |
3時間50分
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歩いて... |
南東側の尾根は送電線の巡視路になっているようで、分岐には赤い標識が立っていて、迷うことなく歩けました。
笹竹や夏草が茂る所も僅かにありますが、大部分は明瞭で歩きやすい道が続いていました。
北西側の尾根は南東側よりも少し歩かれていない様子でした。
途中にある分岐では地図と磁石で方角を確認する場面もありました。
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関連メモ |
戸牧いこいの森,
戸牧いこいの森,
佐野176m峰
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妙楽寺バス停
豊岡駅(JR山陰本線)の南にある妙楽寺バス停から歩いていきます。
反対方向の乗り場との間にある十字路を曲がって、西へ続くを進んでいきます。
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突き当たりのT字路を左折して小川沿いに続く道を進んでいくと、国道426号のがあります。
陸橋をくぐって数10m進んでいくと、右側の柵が途切れてコンクリート橋が架かっている所があります。
ここがになります。
数m入った所に「火の用心」の赤いが立っていて、
すぐ先の竹林へ入っていく道は「No5」となっています。
この時には入口付近に夏草が茂っていて先行きが不安になりましたが、
へ入っていくと、草はなくなって歩きやすくなりました。
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5番鉄塔
僅かな坂を登っていくと緩やかなになります。
倒れた竹が少し散乱して道が分かり難くなっていましたが、左側の尾根に向かって登っていきます。
何度か曲がりながらを登っていくと、
登り口から3分ほどで、緩やかなに出ました。
左側すぐの所に送電線の鉄塔「」が立っていますが、展望は得られません。
登り着いた所から右へ続くを進んでいきます。
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4番鉄塔
広めの尾根道を進んでいくと、すぐに硬質プラスチック製のが現れます。
送電線の巡視路でよく見かけるので、この道も巡視路のようでした。
1分半ほど登って階段が終わると、緩やかなになりました。
少し登り傾斜が増してくると、再びが現れます。
途切れながら続く階段を登っていきます。
階段が終わって広めの尾根道を登っていくと、送電線の鉄塔「」が立っています。
登り口から10分ほどの所になります。
周囲には樹木が茂っていて展望は得られません。
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4番鉄塔の先に続く尾根道を進んでいきます。
展望は得られないものの、広めでが続きます。
少し登り坂になった道を進んでいくと、4番鉄塔から2分ほどで僅かなに着きます。
高みを過ぎて少し降っていきます。
緩やかな起伏の尾根道を進んで降り坂になってくると、僅かな鞍部に着きます。
登り口から15分ほどの所になります。
脇には赤いが立っていて、この先の道は「No3」、今来た道は「No4」となっています。
踏み跡が右へ分かれていますが、標識には何も示されてはいません。
ここは標識に従って、正面に続く硬質プラスチック製のを登り返していきます。
右の踏み跡は、この先から北へ延びる尾根へ続く巻き道のように思えましたが、確かめた訳ではありません。
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階段は30秒ほどで終わって、その先に続く広めのを登っていきます。
再び現れるを登っていくと、左右に通る緩やかな尾根に着きました。
先ほどの鞍部から2分ほど登った所になります。
ここで道が左右に分岐しています。
角には赤いが立っていて、右の道は「No3」、今来た道は「No4」となっています。
今回は左の道を進んでいくのですが、右の道のすぐ先に鉄塔があるようなので、立ち寄っていくことにしました。
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3番鉄塔
広めで緩やかになったを進んでいきます。
ハイキング会でもあったのか、道に沿って桃テープが点々と取り付けられていました。
のような板も見かけましたが、設置されてからかなり年月が経つようで、
文字はほとんど消えていて判読出来ませんでした。
同様の板はこの先にかけて幾つも見かけたので、以前には整備されたハイキングコースになっていたのでしょうか。
降り坂になってきた道を進んでいくと、送電線の鉄塔「」が立っています。
登り口から18分ほどの所になります。
周囲には樹木が茂っていて展望は得られません。
はこの先にも続いていて、桃テープも取り付けられていました。
但馬文教府の傍まで続く尾根道(*)になりますが、今回は手前の分岐まで引き返していきました。
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まで引き返して、その先に続く広めの尾根道を進んでいきます。
少し登って僅かなを進んでいきます。
まで進むと、傾斜の増した降り坂になります。
右へ曲がって、桃テープや青テープが取り付けられた道を降っていくと鞍部に着きます。
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124.3m峰
鞍部から登り返していきます。
取り付けられている桃テープなどを確認しながら、広めの(*)を登っていきます。
上空を見上げるとが通っていました。
雑木林に続く広めのを緩やかに登っていくと、
樹木が少し低くなった高みに着きました。
登り口から29分ほどで登って来られました。
道端には(*)があるので、地形図に載っている124.3m峰になるようです。
眺めは良くありませんが、東側にが少し見えます。
汗を拭きながら、ここでひと息入れていきました。
*後日に来てみると、この辺りは展望の広がる 伐採地になっていました。(「 戸牧いこいの森」を参照)
*ここにある三角点は「 八條村」という名前のようです。
情報によると、かつてこの辺りには 八條村という集落がありましたが、
昭和8年(1933)に当時の 豊岡町に編入されたようです。
どのような村域だったのかは分かりませんが、村を代表する山として、この 高みも含まれていたように思われます。
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2番鉄塔
落ち着いたところで、右側の先に見えているへ向かっていきます。
緩やかで広めの尾根道を進んでいくと、道端に赤いが立っていて「No2」と記されていました。
その標識を過ぎていくと、送電線の鉄塔「」が立っています。
124.3m峰から2分ほどの所になります。
鉄塔の右側から僅かなが分かれていて、
桃テープや青テープが幾つか取り付けられていますが、豊岡病院前交差点の辺りへ降りて行けるのでしょうか。
ここは、正面に続くを進んでいきます。
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引き続き、広めでしっかりとしたが続きます。
3分ほど進んでいくと、僅かな高みを巻くようにして左へ曲がって降っていきます。
高みへ登っていくと思われる(*)があって桃テープも取り付けられていましたが、
ここは左へ曲がりながら降っていく明瞭なを進んでいきます。
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高みを巻き終えても、明瞭な踏み跡は合流してきませんでした。
緩やかになった広めのを進んでいくと、右側にが分かれていきます。
その谷筋は見送って正面の尾根道を進んでいくと分岐があります。
124.3m峰から7分ほどの所になります。
角には赤いが立っていて、左へ降っていく道は「No1」、正面の道は「36」、今来た道は「2」となっています。
ここは正面の尾根道を進んでいきます。
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鞍部
1分ほど軽く登っていくと、松の木が生える僅かなに着きます。
そこから緩やかになったを進んでいきます。
次第に降り坂になってくる尾根道を進んでいくと、大きな木が生える浅い鞍部に着きます。
124.3m峰から15分ほどの所になります。
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鞍部を過ぎて登り坂になってくると、浅くU字形にになってきます。
道なりに右へ曲がって登ってに出ると、窪みは少なくなります。
僅かなを登って、緩やかになった広めの尾根道を進んでいきます。
時折、と思われる板を見かけますが、文字はほとんど消えていて判読出来ませんでした。
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展望地(36番鉄塔)
やがて正面にが近づいてきます。
傾斜が増した道を登っていくと、送電線の「」が立っています。
その手前を右へ曲がりながら登っていくとがあります。
角には道標が立っていて、右へ分かれていく道(*)は「豊岡病院方面」となっています。
その道を見送ってひと登りすると、小広くなった高みに着きました。
124.3m峰から22分ほどで着きました。
左側の樹木が低くなって、を眺められる展望地になっていました。
脇に設置されているに腰掛けて休憩していきました。
*後日に豊岡病院方面の道を歩きました。(「 戸牧いこいの森」を参照)
36番鉄塔の手前から南東へ降る巡視路があって、35番鉄塔から32番鉄塔を経て佐野地区へ降りて行かれます。
(「 佐野176m峰」を参照)
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展望地の先へ進み始めると、右へ分かれていく道があります。
入口にはが立っていて、右の道(*)は「大きな散策コース」となっています。
展望地の前後から道が右へ分かれていく形になっていました。
道標の内容は違っていますが、別の所へ行く道なのか、少し先で合流して同じ所へ続いている道なのかは分かりませんでした。
行く末が気になりましたが、歩くのはまたの機会にして、正面に続く道を進んでいきます。
雑木林の尾根には、広めで歩きやすい降り気味の道が続いていました。
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19番鉄塔
雑木林を抜けて青空が見える所に出ると、が茂る登り坂になります。
このまま夏草が茂る道が続くようなら引き返そうかと思いながら、
とりあえず正面に見える鉄塔までは行ってみようと登っていきました。
次第に背丈が高くなる夏草をかき分けながら登っていくと、
送電線の鉄塔「」が立つ尾根の肩に着きました。
展望地から5分ほどの所になります。
正面が開けていて、を見渡せる眺めが広がっていました。
ここで道は右へ曲がっていきます。
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の茂る所を過ぎて雑木林に入ると夏草がなくなって、歩きやすいになりました。
地形図に載っている176m峰と思われる僅かな高みを巻いて、そのを進んでいきます。
雑木林と植林地を分けるに出て広めの道を進んでいくと分岐があります。
展望地から10分ほどの所になります。
角には赤いが立っていて、左へ降っていく道は「No20」、正面の道は「No21」、
今来た道は「No19」となっています。
地形図によると「No20」と「No21」の鉄塔は尾根道から外れた所にあるようですが、ここは正面に続く道を進んでいきます。
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展望が開けない雑木林と植林地を分ける尾根道が続きます。
緩やかな起伏のある広めのを淡々と進んでいきます。
少し登り坂になってきた道を進んでいきます。
僅かな高みに着くと、分岐があります。
展望地から20分ほどの所になります。
地形図によると、これから向かう194.4m峰の東400m辺りにある標高190mほどの高みになるようです。
には「止」の板が取り付けられているので、
僅かに降り坂になったを進んでいきます。
20番鉄塔への分岐を過ぎて5分ほど進んだ所にある標高180mほどの高みから21番鉄塔を経て上佐野地区へ降りていく道があります。
(「 佐野176m峰」を参照)
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広めの尾根道を緩やかに降っていきます。
僅かな起伏のある尾根道を7分ほど進んでいくと、道は少し右へ曲がっていきます。
降り基調の道を進んで雑木林になってくると、傾斜が緩やかなを過ぎていきます。
太い竹林になったのような尾根を過ぎていきます。
竹林が終わって、次第に傾斜が増してきたを登っていきます。
僅かな高みに着くと、分岐があります。
展望地から34分ほどの所になります。
には「止」の板が取り付けられています。
県道50号へ出るにはになりますが、
右の道のすぐ先に三角点があるようなので、立ち寄っていくことにしました。
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194.4m峰
右の道を進んでいくと、1分もせずに刈り払われて明るくなった所に着きました。
その奥へ進んでいくとがありました。
ここが地形図に載っている194.4m峰になるようです。
この三角点の名前は「戸牧本谷」というようです。
この北側には戸牧地区の一番奥まで続く谷がありますが、それが「本谷」という名前なのでしょうか。
周囲は樹木に囲まれていて展望は得られないので、三角点を確認したら、手前の分岐へ引き返していきました。
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分岐まで引き返して、雑木林と植林地を分ける降り基調の緩やかなを進んでいきます。
樹間から垣間見えるを眺めたり、行き交う自動車の音を聞きながら進んでいくと、
194.4m峰から6分ほどで、県道50号で尾根が分断された所に着きました。
正面の樹間からはすぐ下に道路が見えました。
道は何処かと探していると、右側の斜面にが取り付けられていました。
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桃テープを辿りながら僅かな踏み跡を曲がりながら降っていくと、「空港」と書かれたがありました。
そこを過ぎて更に降っていくと、道が左右に分岐している所がありました。
どちらへ進もうかと周囲を覗っていると、左側に「空港」と書かれたが落ちていました。
標識に従って斜面を横切るように左へ進んでいくと、すぐに森を抜けてが見えてきます。
夏草が茂る所を注意しながら降っていくと、県道50号に降り立ちました。
194.4m峰から11分ほど、国道426号の傍の登り口から1時間52分ほどで着きました。
振り返って見ると、降ってきた所に道があるようにはみえませんが、夏草が茂らない季節では分かり易いのかも知れません。
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但馬空港
を北へ進んでいくとがあります。
信号を渡っていくとがあります。
「」を過ぎての先にあるターミナルビルに入っていきます。
見学・送迎デッキになっている屋上に上がると、丁度飛行機が到着したところでした。
タラップを手で押しながら機体の傍まで持っていって取り付けると乗客が降りてきました。
そんな様子をしばらく眺めていきました。
火山弾
但馬空港の敷地内には火山があります。
この火山は、但馬空港の造成工事によって滑走路の南端部から発見されたもので、
ここの地名をとって「上佐野火山」と名づけられました。
この火山は神鍋山より前に噴火しました(約20万年前)。
ここに展示してある石は、その噴火中に空中に放出されたもので、空港ができる時に記念として保存されました。
どちらも火山弾というもので、どろどろの熱い溶岩が砲弾のように空中に吹き飛ばされ、冷え固まったものです。
右の石は、落下した小さい火山弾が互いに熱で溶結したものです。
左の石は1個の大きな火山弾で、着地してから変形した様子も見られます。
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但馬空港交差点から北へ続く県道713号を進んでいきます。
空港レストラン「ジェットストリーム」の入口と職員駐車場の間にあるに入っていきます。
坂道を登って、道なりに左へ曲がっていきます。
右へ曲がる辺りから振り返ると、先ほど到着したが滑走路に待機していました。
しばらく様子を眺めていると、エンジンの爆音を轟かせながら飛び立っていきました。
北の方には来日岳などのが広がっていました。
道なりに右へ曲がっていくと、円筒形のがあります。
先ほどの尾根道から少し見えていた施設になります。
舗装路はそこで終わっていますが、金網柵沿いに左へ進んでいきます。
金網柵が右へ曲がる角から、北東に尾根が延びています。
ここが降り口になりますが、この時にはが茂っていて、道があるのが分かり難くなっていました。
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夏草をかき分けながら降っていくと、すぐに歩きやすい尾根になりました。
これまで歩いてきた南東側の尾根に比べると少し荒れ気味の様子ながらも、明瞭なが続いていました。
南東側の尾根には桃テープが点々と取り付けられていましたが、こちらの北西側の尾根では見かけませんでした。
降り基調のを進んでいくと分岐があります。
降り口から9分ほどの所になります。
標識類は見かけないので地図と磁石で方角を確認し、
北北西へ続くは見送って、東へ続くを降っていきました。
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樹間からの頂部を眺めながら尾根道を緩やかに降っていくと再び分岐があります。
降り口から17分ほどの所になります。
ここでも標識類は見かけないので地図と磁石で方角を確認し、
南東へ続くは見送って、北北東へ続くを進んでいきました。
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39番鉄塔
右側の谷向かいの尾根に立つを眺めながら、緩やかに続く尾根道を降っていきます。
枯れ枝や倒木などもありますが、夏草は僅かしか生えておらず、まずまずのが続いています。
浅くU字形にを降ってその先へ進んでいくと、
送電線の鉄塔「」が立っています。
降り口から26分ほどの所になります。
周囲は樹木に囲まれていて展望は得られません。
尾根道はこの先へも続いているようでしたが、
鉄塔の右側の植林地に桃テープが取り付けられたがあったので、
ここから降ることにしました。
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植林地が終わって、雑木林に続く広めの山道を降っていきます。
鉄塔から4分ほど降っていくと、樹間からや舗装路が見えてきます。
道はその手前を左へ曲がって、斜面に沿うようにして緩やかに降っていきます。
程なくして、右下にや舗装路が見えてきます。
真っ直ぐに舗装路に向かって降ればすぐに出られそうに思えますが、道は斜面に沿って続くばかりで、なかなか舗装路に降りていきません。
戸牧川に架かるが見えてくると、やっと舗装路に降り立ちました。
39番鉄塔から7分ほど、空港保安施設の脇の降り口から34分ほどで降りて来られました。
脇には「39」の赤い標識が立っていました。
振り返ると、生い茂る夏草のためにがあるようにはみえませんが、
夏草の茂らない季節では明瞭なのかも知れません。
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戸牧地区
に続く舗装路を降っていきます。
住宅が建ち並ぶ所まで来ると、左から川が合流してきます。
その川を併せて戸牧川沿いに続く道路を進んでいくとがあります。
正面に続く川沿いの道には「車両(農耕車等を除く)通行禁止」の看板が立っていますが、
歩くのは問題がなさそうなので、そのまま川沿いを進んでいきました。
建物が現れて登り坂になってくると車道に出ました。
舗装路に降り立った所から15分ほどで着きました。
右側には細見口橋が架かっています。
左側すぐの所の道路向かいから、「車両進入禁止」の車止めのある川沿いのに入っていきます。
碧雲の街
三方を山に囲まれた戸牧は、先人達の汗と叡智により純朴な農村として栄えてきた。
時移り、戦後は社会経済が変貌し、文教体育施設、住宅団地などの誘致、
更には、都市計画道路、空港関係事業など当地区を取り巻く環境が大きく変化した。
この現状をふまえ、将来を見据えた魅力ある街づくりを図るため、平成3年2月地権者の決断により組合を設立、
多くの方の協力と国県市関係当局の指導援助を得、8年の歳月を経て完成、昔日の面影を一新。
ここに先人の遺徳を偲び、地域発展の礎となることを祈念し、この碑を建立する。
(平成10年10月吉日 豊岡市駅西戸牧土地区画整理組合)
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こうのとりスタジアム
三角地にある公園の端までいくと、道端にはが並んでいました。
石碑には「南無阿弥陀佛」と刻まれていて、
お地蔵さんが安置された祠の中には「佛説摩訶般若波密多心経」が書かれた額が掲げられていました。
石碑は元禄4年(1692)に建立されたもののようでした。
その先へ更に進んでいくと、カーブミラーの設置されたがあります。
には「こうのとりスタジアム」の標識があって右の道を指しています。
橋の際には玄武岩の玄さんも佇んでいました。
右の橋を渡って、左側にある広いグラウンド沿いの坂道を真っ直ぐ登っていくと、
正面の丘にこうのとりスタジアムがあります。
道はスタジアムを左から巻くようにして登っていきます。
第96回全国高等学校野球選手権兵庫県大会の会場になっていて、
この日は、村岡vs佐用、生野vs加古川南の試合が行われるようでした。
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スタジアムの左に続く道を曲がりながら登っていきます。
陸橋「みてやまはし」を渡って降り始めると、へ登っていく道に出ます。
但馬文教府に立ち寄るのは省略して、その先へ降っていきました。
左・右と曲がっての前を過ぎていくと、
「妙楽寺 ヒシロ遺跡 石造遺物」の扁額が掲げられたお堂があります。
中にはなどが並んでいて、
壁面には発掘時の様子などが掲示され、遺跡周辺のも載っていました。
ヒシロ遺跡について
妙楽寺ヒシロ遺跡は、里山のなかの遺跡。
ヒシロという字(地名)が何を示しているかは不明。
15世紀を前後する墓が造られた自機を中心とする遺跡です。
付近一帯にはかつて妙楽寺という大寺があったと伝えられています。
いつのころからか墓地となり、五輪塔や石仏が供養のために建てられました。
やがて山城に利用されたこともありましが、そのうち人々の記憶からきていき、ヒシロの地は山に戻りました。
調査された遺跡は、水源地の建設によって消滅することとなりました。
そのため、ここに調査で出土した五輪塔や石仏を中心に、ありし日の墓のようすを復元してみました。
復元にあたっては、足りない部分を一部、別の部材で補ったり、足りないままにしており、
あえて統一した扱いにはしていません。
(2005年3月 豊岡市水道事業所、豊岡市教育委員会)
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への道を見送って妙楽寺地区の集落に出ると、
左側に「妙楽寺 地蔵堂」の扁額が掲げられたお堂があります。
中には赤い前掛けをしたが安置されていました。
高野山 真言宗 末代山 妙楽寺
厄除秘鍵大師 妙楽寺 行事予定
1月1日 | 修正会 |
1月20日 | 秘鍵大師厄除護摩祈祷 真言禅(阿字観)・法話会 |
2月3日 | 節分星まつり |
2月20日 | 秘鍵大師厄除護摩祈祷 真言禅(阿字観)・法話会 |
3月春分の日 | 彼岸御講 |
4月第3日曜日 | 柴燈護摩法会 |
5月20日 | 秘鍵大師厄除護摩祈祷 真言禅(阿字観)・法話会 |
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6月20日 | 秘鍵大師厄除護摩祈祷 真言禅(阿字観)・法話会 |
8月16日 | 施餓鬼法会 |
9月秋分の日 | 彼岸御講 |
10月20日 | 秘鍵大師厄除護摩祈祷 真言禅(阿字観)・法話会 |
11月20 | 祖師講 安らぎ観音(無縁墓)・法話会 |
12月31日 | 除夜の鐘 |
通年 | 祈祷随時受付 |
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厄除開運、交通安全、福寿増長、家内安全、身体健全、商売繁盛、息災延命、病気平癒、学業成就、心願成就、産生安穏(安産)
妙楽寺地区急傾斜地崩壊危険区域
この地域内で土地の形状変更等をする場合は、知事の許可が必要ですから豊岡土木事務所管理かにご相談ください。
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妙楽寺バス停
地蔵堂の先には「こうのとりスタジアム」の看板の立つがあります。
そこを直進して突き当たりのT字路を右折していきます。
田んぼの向こうにを眺めながら真っ直ぐ進んでいくと、信号機のある十字路があります。
左側にはがあります。
十字路を直進していくと、妙楽寺バス停に戻ってきました。
戸牧川沿いの舗装路に降り立った所から45分ほどで到着しました。
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