戸牧いこいの森
概 要 戸牧いこいの森は豊岡市の戸牧地区にある森です。 東谷へ降る「小さな散策コース」と、イチゴ谷へ降る「大きな散策コース」が設定されています。 所々の尾根からは山並みを見渡せる眺めが広がります。 今回は但馬文教府から南へ続く尾根を経て戸牧いこいの森に向かい、「小さな散策コース」を降るルートを歩きます。
起 点 豊岡市 妙楽寺地区
終 点 豊岡市 妙楽寺地区
妙楽寺地区…小峰…地籍図根三角点…104m峰…小峰…3番鉄塔…124.3m峰…2番鉄塔…17番鉄塔…16番鉄塔…小橋…旧道入口…妙楽寺地区
所要時間 1時間50分
歩いて... 但馬文教府から戸牧いこいの森へ至る尾根道はあまり歩かれていない様子ながらも明瞭に続いていましたが、 雨後や雪解けのため、かなり泥濘んで歩き難くなっていました。 尾根にある伐採地などからは来日岳・矢次山・大岡山などの山並みが広がり、 その背後には三川山から蘇武岳にかけての稜線も見えました。
関連メモ 戸牧尾根, 戸牧いこいの森
コース紹介
妙楽寺地区
豊岡駅(JR山陰本線)の東口から南へ進み、線路を跨いで西側へ行く道を分けて線路沿いに進んでいきます。 東へ曲がる所まで来ると、右を通る線路にがあります。 鉄橋の下をくぐって左へ曲がり、すぐにある二股の左の道を進んでいくと「但馬文教府」の標識が立つがあります。 標識に従って右折し、曲がりながら続く坂道を登ってに着くと、 但馬文教府への進入路が右にあります。 左には広い空き地があるので、ここに車を止めさせて頂きました。
脇にある電波設備の金網柵の角から、枯れススキが茂るに入っていきます。 を掻き分けながら進んでいくと、すぐに正面が開けてきます。 急坂をひと登りすると、緩やかで広い丘にが続いています。 右側にはを見渡せる眺めが広がります。 山並みを眺めながら作業道を軽く登っていくと尾根の右側へ降り始めますが、ここから左の尾根を登っていきます。 駐車スペースから7分ほどの所になります。
小峰
樹木が伐採された尾根を登っていくと、すぐに僅かな小峰に着きます。 駐車スペースから8分ほどの所になります。 右側には先ほど来の山並みが広がります。
豊岡市の名峰である(652.3m)、 (567.8m)、 (566.6m)もよく見えます。
地籍図根三角点
少し左へ曲がって、尾根の背に続くを軽く降っていきます。 尾根にはなどが茂り気味ですが、道は途切れることなく続いています。 軽く登っていくと、広くてに出ます。 左側には豊岡のが広がります。 右側には大岡山矢次山の間の奥にと思われる山も見えます。 少し右へ曲がっていくと地籍図根三角点があります。 駐車スペースから14分ほどの所になります。
地籍図根三角点
地籍調査
大切にしましょう
豊岡市
104m峰
地籍図根三角点の先に続く雑木林の緩やかなを進んでいきます。 道は明瞭に続いていますが、雨後や雪解けのため、かなり泥濘んで歩き難くなっていました。 1分ほど進んでいくと樹木にが取り付けられていますが、文字は消えて判読出来ませんでした。 点々と設置されている「地籍調査」の短杭を辿りながら進んでいくと軽いになります。 少し緩んで再び傾斜が増してくる道を登っていくと、分岐になった高みに着きます。 脇にある「筆界基準 0567 170 14 地籍調査」や「図根多角」の短杭のほかに標識類は見かけませんが、 地形図に載っている104m峰になるようです。 駐車スペースから19分ほどの所になります。 右の道も歩けそうな様子ですが、を進んでいきます。
小峰
少し右へ曲がりながら続く広いを進んでいきます。 引き続き設置されている「地籍調査」や「図根多角」の短杭を確認しながら歩き易い道を進んでいくと、軽いになります。 広い尾根道を登っていくと、背丈の低い笹が生える小峰に着きます。 駐車スペースから23分ほどの所になります。 ここで道が分岐しています。 以前には左前方の道を指す「空港」の標識がありましたが、この時には見掛けませんでした。 右の道(*)は15番鉄塔へ続いていますが、を降っていきます。
*右の道は「戸牧いこいの森」を参照。
少し降っていくと、すぐにになります。 尾根の右肩を過ぎて、尾根の背に続く僅かなになった道を進んでいきます。 少し左へ曲がっていくと、になります。 軽い登り坂になってくると分岐があります。 駐車スペースから31分ほどの所になります。 角には「1428 170 14 地籍調査」の短杭があります。 以前には「文教府」の標識があって今来た道を指していましたが、この時には見掛けませんでした。 左前方の道も明瞭に続いていて迷う所ですが、正面の道を登っていきます。
3番鉄塔
植林地と雑木林を分ける尾根を軽く登っていくと、 道は少し曲がっていきます。 左下には先ほどが続いています。 軽く登って正面が明るくなってくると、送電線の鉄塔「九日市支線三」の袂に出ます。 駐車スペースから35分ほどの所になります。 手前の樹木には「空港」のが取り付けられていて正面の道を指していますが、文字は消えていて判読出来ません。 周囲には樹木が茂っていて展望は良くありません。 は鉄塔の下を過ぎて正面へ続いています。
すぐに現れる硬質プラスチック製のを登っていきます。 階段を登り切るとがありますが、難なく跨いでいきます。 緩やかになった尾根を進み始めると、すぐの所に分岐があります。 駐車スペースから38分ほどの所になります。 脇には「火の用心」の赤い標識が立っていて、は「No4」、 今来たの道は「No3」となっています。 左の道は4番鉄塔5番鉄塔を経て九日市下町の住宅地へ降りていけますが、 に続く緩やかな道を進んでいきます。
(左の道は「戸牧尾根」を参照)
分岐のすぐ先の樹木にが取り付けられていますが、文字は消えていて判読できません。 少し進んでいくと、僅かなへ登っていきます。 まで進むと、傾斜の増した降り坂になります。 右へ曲がって、を降っていきます。 緩やかになった尾根を進んでいくと鞍部に着きます。
鞍部からを軽く登り返していきます。 正面が明るくなってくると、緩やかになった伐採地に出ます。 駐車スペースから46分ほどの所になります。 2014年7月に来た時には樹木が茂る尾根でしたが、その後1年ほどの間に樹木が伐採されて、山並みを見渡せる展望地になっています。
大岡山の左奥には雪を頂いた山が見えますが、方角からするとでしょうか。 は少し樹木が邪魔をしていますが、 はよく見えました。
124.3m峰
少し左へ曲がって、上空を通る送電線を眺めながらの尾根を進んでいきます。 雑木林に入ってを緩やかに登っていくと、 樹木が少し低くなった高みに着きます。 駐車スペースから51分ほどの所になります。 道端には「八條村」があるので、 地形図に載っている124.3m峰になるようです。 眺めは良くありませんが、東側にが少し見えます。
情報によると、かつてこの辺りには八條村という集落がありましたが、 昭和8年(1933)に当時の豊岡町に編入されたようです。 どのような村域だったのかは分かりませんが、村を代表する山として、この高みも含まれていたように思われます。
2番鉄塔
右へ続くを進んでいきます。 林の中へ入っていくと、「火の用心No2」のを過ぎていきます。 僅かに降ったりしながら尾根道を進んでいくと、送電線の鉄塔「九日市支線二」の袂に出ます。 124.3m峰から2分ほどの所になります。 眺めは良くありませんが、左側にが少し見えます。 右側には樹木に邪魔されながらもが微かに見えます。
正面に続くを進んでいきます。 を跨いだりしながら進んでいきます。 の左肩を過ぎて、再び尾根の背を進んでいきます。 2番鉄塔から3分ほど進んで僅かな高みの手前まで来ると、 明瞭な尾根道は高みを巻くように左へ曲がっていきます。 曲がり角から右前方へ続く踏み跡が分かれています。 但馬空港の近くまで続く尾根道は左の道(*)になりますが、右前方のを登っていきます。
*左の道は「戸牧尾根」を参照。
の周りには背丈の低い笹が茂っていて、 これまでの明瞭の尾根道とは違ってあまり歩かれていない様子です。 倒木もあって煩わしくなっていますが、歩くのに支障はありません。 1分ほど登っていくと緩やかなに着きます。 地形図によると、標高120mほどの細長い高みになるようです。 道には「図根多角」や「1487 170 14 地籍調査」の短杭があります。 高みの先の笹が茂るを緩やかに降っていきます。 広がってくるを降っていくと、左右に通る明瞭な道に出ます。 尾根道と分かれて3分ほどの所になります。 標識類は見かけませんが、戸牧いこいの森の「大きな散策コース」になります。 左の道(*)は36番鉄塔のある高みへ続いていますが、今回は右へ進んでいきます。
*左の道は「戸牧いこいの森」を参照。
両側に笹が茂る明瞭でを進んでいきます。 少し右へ曲がりながら進んでいくと、ベンチが設置された分岐に出ます。 124.3m峰から12分ほどの所になります。 脇にはが立っていて、 正面の道は「豊岡病院方面」、左の道は「この先行き止まり」、今来た道は「大きな散策コース」となっています。 「火の用心No17」の赤い標識や、「里山とは」と題した解説板もあります。 (*)は東谷へ降りて行けますが、 今回はを降っていきます。
*左の道は「戸牧いこいの森」を参照。
里山とは
この辺りは、杉や檜の山とは違う「里山」です。 通常、山と言えば家を建てるときなどに使う杉や檜の木材をとるための山を思い浮かべますが、「里山」は幾分違います。 石油やガスが普及する1960年代までは、私達は薪や炭などの燃料となる木を里山から採っていました。 また落葉は田んぼや畑の肥料として使っていました。 私たちの生活のために、里山は適度に木を伐られていたわけです。 そうすることで太陽の光が多く入る明るい林があり、昆虫がたくさん棲み、動物もたくさん棲める豊かな森がありました。 このように里山は私たちと深いつながりがあったのです。
山火事注意! たばこのポイ捨てはやめましょう
クマなどに注意しましょう! 鈴などの音の鳴るものを身につけましょう
みんなで森をきれいに! ゴミは持ち帰りましょう
17番鉄塔
松の木が混じる雑木林のを降っていきます。 傾斜が緩やかになってくると、左側にが見えてきます。 僅かなになったしっかりとした道を進んでいきます。 軽く登るようになると、送電線の鉄塔「豊岡国府線一七」が立つ分岐になった高みに着きます。 124.3m峰から17分ほどの所になります。 手前にはが立っていて、今来た道は「大きな散策コース」となってます。 左へ降っていく道にもが立っていて、「小さな散策コース(東谷へ)」となっています。 正面には豊岡病院来日岳などのが広がります。 振り返ると、尾根にあるも見えます。 景色を眺めながらひと息入れていきました。
鉄塔の先に立つ標識「入り口へ(下山)」が指す右側に続く緩やかな「」を進んでいきます。 左側にを眺めながら進んでいきます。 左へ曲がりながら進んでいくとになります。 軽く降って松の木が少し生える伐採地に出ると、山並みを見渡せる眺めが広がります。
16番鉄塔
正面に来日岳を眺めながら、の尾根を降っていきます。 樹木が少し茂るようになると、「森林と健康」と題したがあります。 その先にあるベンチを過ぎていくと、「散策コース」の標識の先の道の脇に、送電線の鉄塔「豊岡国府線一六」が立っています。 124.3m峰から25分ほどの所になります。
森林と健康
森の中を歩いていると気分がとても良くなります。 森林浴は血圧を下げる効果やストレスホルモンの分泌を抑える効果があると言われています。 では、なぜでしょうか? ひとつは、樹木から発散される「フィトンチッド」という物質のおかげだと言われています。 それは樹木が菌などから自分を守るために発散する揮発性物質で、主な成分はテルペン類と呼ばれる有機化合物です。 このように森には私たちに健康をもたらしてくれる神秘的な力があります。 太古の昔から森の中で暮らしてきた私たちのDNAには「森」が深く刻まれていて、自然に心が穏やかになるのでしょう。
【山火事注意! たばこのポイ捨てはやめましょう】
【クマなどに注意しましょう! 鈴などの音の鳴るものを身につけましょう】
【みんなで森をきれいに! ゴミは持ち帰りましょう】
鉄塔の傍にある「入り口へ(下山)」の標識に従って、その先に続くを降っていきます。 雑木林が近づいてくると、を降るようになります。 少し曲がりながら続く段差の高いを降っていきます。 右へ曲がって階段が終わると、植林地の脇のに降り立ちます。 短い横木の階段を降ったりしながら植林地の中を進んでいきます。
小橋
緩やかな植林地を進んでいくと、正面が開けて国道426号のが見えてきます。 木の階段が途切れて緩やかになった所を進んでいくと、細見川に架かるが見えてきます。 急なを降っていきます。 最後に短い木橋を渡ると、小橋の脇に降り立ちます。 124.3m峰から35分ほどで降りて来られました。 木橋の手前には「散策路入り口」の標識が立っていて、今降って来た階段を指しています。 傍には「」や「戸牧1号窯」の解説板があるので、 ここが戸牧いこいの森の入口になるようです。
戸牧いこいの森案内図
この森は、その昔、薪をとったり炭の材料をとったりする生活の場としての森でした。 今では、生活の場としてではなく、春にツツジが咲き、秋にはカエデなどの紅葉が楽しめる憩いの場となっています。 古墳や土器などを焼いた窯の跡もあり、大昔から人間は森と関わってきた様子がうかがえます。 また、尾根からは豊岡の街や但馬空港を眺めることができます。 散策を楽しみながら皆さんでいろんな発見をしてみて下さい。
小さな散策コース ちょっと歩いてみよう
今いる場所から、ぐるっと一周できる小さなコースです。 気軽に散策してみて下さい。
大きな散策コース ちょっと頑張って体力づくり!
今いる場所から、ぐるっと一周できる大きなコースです。 弁当や水筒を持つなどして、少し頑張って散策してみてください。
自然を大切に
・たばこのポイ捨てはやめましょう。
・ゴミは持ち帰りましょう。
・木や草花を大切にしましょう。
・鉄塔に登ったりしないで下さい。危険です!
・クマなどに注意しましょう。鈴などの音の鳴るものを身につけましょう。
 (平成18年3月 兵庫県)
戸牧1号窯
兵庫県教育委員会では、平成11・12年度に公立豊岡病院建設予定地内の遺跡の発掘調査を行いました。 この丘の斜面からは、須恵器(すえき)という焼き物を焼いた窯跡が見つかり、戸牧1号窯と名付けられました。 調査の結果、長さ約9.3m、幅約1.3mにわたって地面を溝状に堀り、天井を粘土で作る「半地下式」の窯であることが分かりました。 天井は木の枝骨組みにワラを混ぜた粘土で作られたものでしたが、調査時には崩れていました。 また、窯の上部から溝が延びていましたが、これは日本海沿岸地域に多くみられる特徴です。 出土した土器(杯や高杯)から判断したところ、7世紀中頃に作られた窯と考えられます。 戸牧1号窯の製品は、今のところ、どこで使われていたか分かりませんが、 豊岡周辺の窯の数が少ないため、豊岡盆地全体に製品を供給していた可能性もあります。 但馬地域で発見されている末木の窯跡は約30基で、しかも発掘調査が行われているのは数基にすぎません。 但馬の古代窯業を考えるうえで、戸牧1号窯の調査は貴重な材料になりました。
細見川に架かるを渡って、右へ続く広い地道を進んでいきます。 国道426号のをくぐっていきます。 陸橋を抜けた所から細見川にあるを渡っていくと、15番鉄塔へ続く道がありますが見送っていきます。 舗装路になった坂道を登っていくと車道に出ます。
15番鉄塔へ続く道は「戸牧いこいの森」を参照)
15番鉄塔から北へ降りてきた所にあるを右に眺めながら、車道を緩やかに降っていきます。 右の畑地から登ってくるを合わせていきます。 左へ曲がりながら降っていくと、戸牧川が架かっています。 橋を渡った先で車道から離れ、「車両進入禁止」の車止めがある戸牧川沿いの道路に入っていきます。
旧道入口
三角地にある公園の端までいくと、道端にはが並んでいます。 石碑には「南無阿弥陀佛」と刻まれていて、お地蔵さんが安置された祠の中には「佛説摩訶般若波密多心経」が書かれた額が掲げられています。 石碑は元禄4年(1692)に建立されたようです。 川向こうに建つを過ぎていきます。 豊岡病院臨時駐車場を過ぎていくと、カーブミラーが設置されたがあります。 このまま戸牧川沿いに道路を進んだ先を右へ曲がり、こうのとりスタジアムの脇を登っていくと、車を止めてきた駐車スペースに着きますが、 駐車スペースへ続く実線の道が地形図に描かれていて気になるので、その道を歩くことにします。 右に架かるを渡って右へ曲がると、少し先の民家の間に坂道があります。 戸牧憩いの森の入口から13分ほどの所になります。
民家の間に続く狭いを登っていきます。 民家が終わるとに出ます。 畑を囲うトタン板に沿って真っ直ぐ進んでいくとに向かっていきます。 竹林の縁に入っていくと、しっかりとしたが続いています。 こうのとりスタジアムの脇を登っていく道路が出来るまでは、戸牧地区妙楽寺地区を結ぶ生活道路だったのでしょうか。 右・左と曲がりながら登っていくと、小規模な墓地の脇に出ます。
墓地の先にもが続いていますが、次第に歩かれていない様子になります。 それでも落葉に埋もれた石段のようなものもあるので、往時にはよく利用されていた道であることが感じられます。 少し左へ曲がって、の斜面を横切るように軽く登っていきます。 雑木林を抜けるとに出ます。 この辺りで道が不明瞭になりますが、右前方へ笹を掻き分けながら進んでいくと、 すぐに左右に通るに出ます。 左へ曲がって登り始めると、すぐの所に分岐があります。 旧道入口から7分ほどの所になります。 には送電線の鉄塔「豊岡国府線一二」が立っていて、 その先に続く明瞭な道を降っていくとこうのとりスタジアムへ出られますが、笹が茂る右の旧道を進んでいきいます。
妙楽寺地区
笹を掻き分けながら僅かに登っていくと、のような所を過ぎていきます。 峠を過ぎて軽く降っていくとになります。 斜面を横切るように緩やかに進んでいくと、次第にが目立つようになります。 道も不明瞭になりますが真っ直ぐ進んでいくと、車を止めておいた広い空き地の端に出ます。 旧道入口から11分ほどで到着しました。 みても、笹などが茂るばかりで、道があるようには見えません。
地形図に載っている実線の道は空き地を横切って東へ続いているようですが、行く末を確かめるのは省略しました。