室尾山
概 要 室尾山は朝来市和田山町にある標高629.7mの山です。 北西側が少し開けていて山並みを眺めることができます。 山麓は「室尾ふれあい学習の森」になっていて、遊歩道が設定されています。 今回は室尾地区のキャンプ場から室尾山へ登り、里山体験学習館を経て降るルートを歩きます。 途中で、男山・法宝寺跡・室尾城跡にも立ち寄ります。
起 点 朝来市和田山町 室尾地区
終 点 朝来市和田山町 室尾地区
室尾地区…登山口…東屋…法宝寺跡分岐…男山分岐…男山…男山分岐…室尾山…男山分岐…法宝寺跡分岐…21世紀の森入山口…里山体験学習館…切通…法宝寺跡…切通…室尾城跡…切通…室尾山荘…室尾地区
所要時間 2時間20分
歩いて... 山麓の「室尾ふれあい学習の森」に続く遊歩道は広めで歩き易くなっていました。 山頂の手前はかなり傾斜の急な坂になっていて、脹脛が痛くなりました。 法宝寺跡や里山体験学習館の近くからは、山並みを眺めることができました。 男山や室尾城跡には標識類が設置されていなくて、場所を特定できませんでしたが、それらしい所はありました。
関連メモ 室尾山, 室尾山, 室尾山
コース紹介
室尾地区
豊岡の市街地から国道312号を南下し、上小田北交差点から県道2号に入って、円山川の右岸を更に南下していきます。 千石橋交差点から県道104号に入り糸井橋交差点を東へ曲がっていきます。 県道10号から分かれて県道274号に入っていくと、 「室尾森林自然 野外活動センター」のが立っていて、 東北東へ分かれていく小川沿いの一車線道路を指しています。 標識に従ってその道に入って谷筋の奥へ進んでいくと、登り坂になってくる所に(*)が立っていて、 右に分かれていく山道は「法宝寺跡0.7km」、左へ曲がりながら登っていく舗装路は「キャンプ場0.7km」となっています。 法宝寺跡への山道を見送って舗装路を曲がりながら登っていくとがあります。 そこを過ぎて坂道を100mほど登っていくと、左側にキャンプ場があります。 右側がトイレ設備のあるになっているので、そこに車を止めました。 脇には「室尾ふれあい学習の森」のがあって、今回登る室尾山までの道が載っています。 キャンプ場・室尾山荘・舗装路終点の三箇所から登れるようですが、今回はこのキャンプ場から登ることにしました。 案内板によると、ここから東屋まで15分、山頂までは50分とのことです。
案内板に載っている地図は、少しデフォルメされていて距離を正確に把握できないのが難点ですが、 枝道などがしっかりと描かれていて、とても参考になります。
*後日に道標から右へ分れていく山道を歩きました。(「室尾山」を参照)
室尾ふれあい学習の森
平成20年度 里山ふれあい森づくり事業
地域の皆さんのご協力のもと、森林整備や遊歩道整備などを行いました。 森林学習や健康づくりなど、訪れる皆さんの各自のスタイルでこの森林との関わりを深めていってください。
散策の目安 現在地 (50分、1.5km) → 室尾山
現在地 (15分) → 東屋
現在地 (6分、0.25km) → 法宝寺跡
法宝寺跡 (25分、0.75km) → 登山口
・たき火、たばこの吸い殻、ゴミの投げ捨てはやめましょう。
・森の中できけんな遊びはやめましょう。
・木や草花、いきものを大切にしましょう。
 (平成21年3月 兵庫県、朝来市、(社)兵庫みどり公社)
登山口
キャンプ場の入口にはが立っていて、 のある広場は「室尾山頂1.6km」となっています。 炊事棟には手彫りと思われるが何十個も並んでいました。 脇に設置された看板によると、この炊事棟は「室尾森林自然公園野外食堂棟」というようです。 炊事棟の左側から裏手の一段高い所に出て、右へ進んで山際まで行くとが立っていて、 森の中へ続く道は「室尾山頂1.55km」となっています。 ここが室尾山への登山口になります。
室尾ほっぽう寺亭
森と語ろう! 森で創ろう!
兵庫県自治振興助成施設
室尾森林自然公園野外食堂棟整備事業
この施設は、兵庫県の競馬収益金を財源とする自治振興資金の助成を受けて建設したものです。
 (和田山町)
道標を過ぎていくと、すぐにに入っていきます。 横木の階段混じりの道を折れ曲がりながら3分ほど登っていくとに出ます。 右からが登ってきていますが、駐車場にあった案内板に載っている「既設歩道」になるようです。 炊事棟の辺りから登ってくる道のようでしたが、確かめた訳ではありません。 左へ曲がって、背丈の低い笹のようなものが茂る広い尾根を登り始めると、すぐの所にと思われるものが設置されています。 解説文が書かれていた表面の板が剥がれ落ちたような雰囲気でしたが、それらしい板は辺りに見かけませんでした。
雑木林と植林地を分けるを緩やかに登っていくと、 両側に生える樹木を過ぎた所に分岐があります。 辺りを見回しても標識類は見かけないし、どうしたものかと暫し愚考しました。 の先には赤テープが取り付けられているので正しいルートのように思えましたが、 かなりシダ類が生い茂っていたので、意を決して傾斜の増したを登っていきました。
キャンプ場にあった案内板によると、右の道が「遊歩道」で、正面の道は「既設歩道」になるようです。
伐採されたのような明るい所を過ぎていくと、すぐに緩やかな尾根になります。 右へ曲がり始めると、すぐに右前方から登ってくる道が合流してきます。 手前にあった分岐の右側の道のように思えましたが、確かめた訳ではありません。 その道を合わせたすぐの所にが設置されていました。 正しいルートに戻ったことが分かってひと安心しました。 ベンチを過ぎていくと、すぐの所にが立っていて、 左へ曲がっていく道は「室尾山頂1.2km」となっています。 正面にも歩き易そうな道が続いていましたが、道標には何も示されてはいませんでした。 ここは道標に従って左へ曲がって登っていきます。
キャンプ場にあった案内板によると、 道標の立つ所から正面に続く道は「遊歩道」で、室尾山荘や舗装路終点へ続いているようです。
の斜面を横切るように進んでいきます。 大きな倒木を過ぎて、右・左と折れ曲がりながら横木の階段混じりの道を登っていきます。 先ほどの道標から3分ほど登っていくと尾根の背に出ました。 には赤テープも見られて歩き易そうでしたが、 緩やかになったを進んでいきます。
キャンプ場にあった案内板によると、 右の尾根は先ほどの道標の所から正面に続く「遊歩道」へ降りて行かれる「既設歩道」のようです。
東屋
緩やかな尾根を進んでいくと樹間からが見えました。 室尾山かと思いましたが、距離的に近そうだったので、その西に延びる尾根の肩か男山のようでした。 程なくしてシダ類が生い茂ってきます。 膝で掻き分けながら登っていくと、すぐに東屋に着きました。 キャンプ場の登山口から13分ほどで登って来られました。 東屋の中にはテーブル・ベンチがひと組設置されていました。 周囲には樹木が茂っていて展望は得られず、樹木越しに僅かにが見えるばかりでした。 東屋のすぐ先に「コナラ林で見られる樹木」と題したがあって、 が25種類載っていました。
コナラ林で見られる樹木
木の葉で名前を調べよう。
コナラ、アベマキ、クリ、カシワ、タカノツメ、コシアブラ、ウリカエデ、オオモミジ、ヤマザクラ、
イヌシデ、ネジキ、アセビ、ソヨゴ、クロモジ、アマツカ、ウワイズサクラ、ケヤキ、コバノガマズミ、
シロダモ、ウラジロガシ、リョウブ、カスミザクラ、ヤマツツジ、ヒサカキ、イタヤカエデ
解説板の先に続くを登っていきます。 1分ほどで階段を登り切って緩やかになった道を進んでいくと、左へ戻るようにしてが分かれていきます。 角にはが立っていて、左へ戻るようにして登っていく小径は「作業道 この先悪路」、 正面の道は「室尾山頂0.95km」、今来た道は「キャンプ場」となっています。 作業道(*)を見送っていくと、少し降り傾斜になった所から、右前方へ作業道が分かれていきます。 ここにもが立っていて、右前方の小径は「作業道 この先悪路」、 正面の道は「室尾山頂0.9km」、今来た道は「キャンプ場」となっています。
*後日に左の道を歩きました。(「室尾山」を参照)
法宝寺跡分岐
作業道を見送って登り坂になった道を進んでいくと、すぐの所で左へ折れ曲がっていきます。 その角には「森の紅葉」と題したがありました。 解説板を過ぎて、雑木林の斜面を右・左と曲がりながら登っていくと、横木の階段を登り切った所に分岐があります。 東屋から7分ほどの所になります。 脇にはが立っていて、正面の道は「法宝寺跡0.5km」、 左の道は「室尾山頂0.8km」、今来た道は「キャンプ場」となっています。 左の道の入口には壊れかけた標識がありました。 読めない文字もありましたが「広葉樹(雑木)切らないで 山の教室」と書かれていました。 21世紀の森入山口を経て里山体験学習館法宝寺跡へ降りていくは下山時に歩くとして、 先ずは室尾山の山頂を目指してを登っていきます。
森の紅葉
この森では秋になると美しい紅葉を楽しむことができます。 紅葉は最低気温が8度より低くなると始まります。 10月上旬頃に北海道で始まり、約2ヶ月かけて日本列島を南下します。 但馬では、高い山の山頂付近で10月中下旬頃から紅葉が始まり、一気に山を下ってふもとの集落の木々を紅く染めます。 樹木が秋に葉を落とすのは、冬の寒さと感想に備えるためです。 夏の間は、葉が光のエネルギーと吸収した二酸化炭素と水分とから栄養分を合成して、枝に送り込んでいましたが、 冬を迎えると枝と葉の間に層をつくり、養分の通路をふさいで葉を落とすのです。 紅葉といっても色々な色に変化します。 枯れ葉の色はイチョウの黄色、カデやハゼの赤、ブナやナラの茶色の3種あります。 秋になり気温が下がると緑色の成分(クロロフィル)が分解して緑色が消え、黄色い成分(カロチノイド)が残った葉は黄色になり、 葉にたまった栄養分が赤い色素(アントシアン)になると赤くなり、褐色の色素ができると葉は褐色になります。
紅葉する葉 オオモミジ、イロハモミジ、ハウチワカエデ、ヤマハゼ、ナンキンハゼ、
ハナミズキ、ドウダンツツジ、ナナカマド
黄葉する葉 イチョウ、イタヤカエデ、イヌビワ、ウリハダカエデ、エノキ、カツラ、クロモジ、
タカノツメ、ユリノキ
褐色(茶色)になる葉 アベマキ、クヌギ、クリ、コナラ、ナラガシワ、ケヤキ、ブナ、ミズナラ、カシワ
斜面を横切るようにして登っていくとに出ます。 登り着いた所にはが立っていて、 右へ続く尾根道は「室尾山0.75km」、今来た道は「キャンプ場」となっています。 道標に従って、右に続く広いを登っていくと、 すぐの所に「クロモジ群生地」のがありました。 そのすぐ先にはが立っていて、この先の道は「室尾山0.7km」、今来た道は「キャンプ場」となっています。
男山分岐
道標を過ぎていくと、道は尾根の背から外れてを進むようになります。 左上に幾つもある大きな岩を眺めながら、雑木林の斜面を横切るように進んでいきます。 植林地になった僅かな谷筋まで来るとがあります。 法宝寺跡分岐から8分ほど、東屋から15分ほどの所になります。 脇にはが立っていて、右の道は「男山0.1km」、 左の道は「室尾山頂0.55km」、今来た道は「キャンプ場」となっています。 脇の樹木には「室尾山へ」と書かれた小板が取り付けられていて、左の道を指しています。 男山まで100mとのことなので、ちょいと立ち寄っていくことにしました。
植林地の斜面を横切って尾根に出ると、 樹木の袂に「室尾山へ」と書かれたが落ちていて、今来た道を指していました。 そのすぐ先から左へ分かれ降っていくがあって、 入口にはその小径を指す「下山」と書かれたが落ちていました。 麓の岡田地区へ降りて行かれるのでしょうか。
男山
小径を見送って、広くて緩やかなを進んでいきます。 数段の横木の階段を登って、その先へ続く緩やかなを登っていくと、 丸太のベンチが設置された所に着きました。 脇には「アカマツ林で見られる樹木」と題した解説板があって、 が20種類載っていました。 この先は降り坂になっているし、距離的にもここが男山のように思えますが、その旨を記した標識は見かけませんでした。 キャンプ場にあった案内板では「男山展望地」となっていたので眺めが広がるだろうと期待したのですが、 周囲は樹木に囲まれていて残念がら展望は得られませんでした。
アカマツ林で見られる樹木
木の葉で名前を調べよう。
アカマツ、コナラ、アベマキ、クリ、ソヨゴ、コバノミツバツツジ、ヤマツツジ、サルトリイバラ、
カマツカ、ネジキ、タカノツメ、コシアブラ、マルバアオダモ、ネムノキ、リョウブ、シロダモ、
ヤマウルシ、ヌルデ、ヒサカキ、ホオノキ
往復7分ほどで男山からまで引き返してきて、道標「室尾山頂0.55km」の指す道を登っていきます。 1分ほどでに出るとが立っていて、右に続く尾根道は「室尾山頂0.5km」、 今来た道は「キャンプ場」となっています。 すぐ先にある丸太のベンチを過ぎて、植林地になった尾根を登っていきます。
広くて快適なを4分ほど登っていくと、 樹木に「室尾山」と書かれたが取り付けられていて、正面の道を指していました。 その少し先の右側の雑木林の中に「観音の森」のが立っていました。 植林地と雑木林を分ける尾根を登っていくと、次第に傾斜が増してきます。 脹脛が痛くなってくるので、何度も立ち止まりながらゆっくりと登っていきました。
程なくて尾根の背から少し外れて、尾根の右肩のを進むようになります。 右下には緩やかで樹木が疎らなが見えていました。 やがて尾根の背に出ると、枯れた大木が倒れていました。
室尾山 (標高629.7m)
広くて歩き易いを真っ直ぐ登っていくと、正面が明るくなって山頂らしきものが見えてきます。 息を弾ませながら登っていくと、室尾山に着きました。 男山分岐から20分ほど、男山への往復を含めてキャンプ場の登山口から56分ほどで登って来られました。 山頂の中ほどには少しくたびれた「室尾山 六二九.七米」のが立っています。 脇にはもあるので、地形図に載っている629.7m峰になるようです。
室尾山の山頂は樹木に囲まれていて展望は良くありませんが、 北西側が少し開けていて山並みを眺めることができました。 登ってきた疲れを癒しながら、しばらく休憩していきました。 山頂の東方面には緩やかな尾根が続いていました。 麓から眺めると室尾山は台形をしているようですが、この山頂は上辺の西端に当たるようです。
落ち着いたところで、室尾山から下山していきます。 登ってきた広いを引き返していきます。 かなり傾斜が急な所もあるので、滑り落ちないよう注意しながら降っていきました。 登ってきた時の記憶を辿りながら8分ほど降っていくと、左の雑木林の中に「観察の森」のがあります。 「室尾山」と書かれたが取り付けられた樹木を過ぎていくと、 丸太のベンチを過ぎた先で、道は尾根から外れて左へ曲がっていきます。 角にはが立っていて、左の道は「キャンプ場」、 今降ってきた道は「室尾山頂0.5km」となっています。
男山分岐
道標に従って左に曲がり、植林地の斜面を降っていくと男山分岐に着きます。 山頂から12分ほどで降りて来られました。 脇にはが立っていて、 正面の道は「男山0.1km」、右の道は「キャンプ場」、今降ってきた道は「室尾山頂0.55km」となっています。 道標「キャンプ場」に従って、右へ戻るようにして続く緩やかな道を進んでいきます。
植林地の斜面を横切っていくと、程なくして雑木林になります。 に出るとが立っていて、正面の道は「キャンプ場」、 今来た道は「室尾山頂0.7km」となっています。 道標を過ぎて降っていくと、すぐの所の左側に「クロモジ群生地」のがあります。 倒れていたので、脇の細木の幹の間に板を入れて立て掛けておきました。 標識を過ぎたすぐ先にが立っていて、 左の道は「キャンプ場」、今降ってきた道は「室尾山頂0.75km」となっています。
法宝寺跡分岐
道標に従って、尾根の背を外れて左に戻るようにしての斜面を降っていくと、 の立つ法宝寺跡分岐に着きます。 山頂から18分ほどで降りて来られました。 右はキャンプ場から登ってきた道ですが、道標「法宝寺跡0.5km」の指す正面の道を進んでいきます。
を降り始めたすぐの所に、向こう側を向いて「紅葉の森」のが立っていました。 標識を過ぎていくとになります。 少し登り坂に差し掛かると、砕石のような角張ったが散乱していました。 岩の傍を回り込んでいくと、作業道が左へ分かれていきます。 角にはが立っていて、右の道は「法宝寺跡0.4km」、左の小径は「作業道 この先悪路」、 今来た道は「室尾山頂0.9km」となっています。 脇の木には「室尾山」の小板が取り付けられていて、今来た道を指していました。
道標に従って右へ降っていきます。 尾根の背から左肩へ曲がって降っていくと、下の方に林道の曲がり角のようなが見えてきました。 これで山道は終わりになるのかと思いながらその道に降り立つと、 林道かと思った道はこれまでの道と同程度の幅の遊歩道でした。 降り立った脇の細い樹木に「室尾山」の小板が取り付けられていて、今降ってきた道を指していました。 それ以外に標識は見かけませんでしたが、右側は行き止まりになっているで、 左に続くを進んでいきました。
植林地に続く広めの道を1分ほど降っていくと、道端のに「室尾山」の小板が取り付けられていて、 今降ってきた道を指していました。 そのすぐ先から左へ作業道が分かれていきます。 入口にはが立っていて、正面の道は「法宝寺跡0.35km」、 左の小径は「作業道 この先悪路」、今来た道は「室尾山頂0.95km」となっています。
21世紀の森入山口
作業道を見送って、右側の浅い谷筋に広がるを眺めながらを降っていきます。 作業道の分岐から2分ほど降っていくと、左右に通る道に降り立ちました。 法宝寺跡分岐から9分ほどで降りて来られました。 脇には向こう側を向いた「21世紀の森入山口」のがありました。 その支柱には「室尾山」の小板が取り付けられていて、今降ってきた道を指していました。 「野鳥ノ森」「花木ノ森」の小板も落ちていて、今降ってきた道を指していました。 左右に通る道を示す標識類は見かけませんでしたが、 キャンプ場にあった案内板によると、右の道は東屋の下にあった「室尾山頂1.2km」の道標の立つ分岐へ続いているようなので、 ここは左へ降っていきます。
21世紀の森入山口 山の教室
平成元年より心豊かな人作りを目的に、手作りの森作りを子供たちとやっております。 モミジ・山帽子・コナラの植樹、遊歩道・丸太小屋の整備、子供たちは「良い体験や自然の大切さ」を学びました。 森は子供たちの思い出作りの空間であり、生きるすべを習う教室です。
 (山の教室)
すぐの所の山際にが立っていて、今降ってきた道は「室尾山頂1.1km」となっています。 道標を過ぎていくと、すぐにに出ます。 その手前から左へ分かれていく(*)があります。 標識類は見かけませんでしたが、キャンプ場にあった案内板によると、左の道は法宝寺跡へ続く遊歩道のようです。 今回は正面に広がる草地の広場を進んでいきました。 すぐの所に「室尾地区の文化財」と題した解説板がありました。 と室尾地区のも載っていました。 戦国時代までは街道筋だったとのことですが、往時の街道が何処を通っていたのか興味のあるところではあります。 解説板の先には壊れかけたがあり、正面には山並みが広がっていました。
拡大図にある「現在位置」はここではなく、これから訪ねる室尾城跡を示しているようです。
*後日に左の道を歩きました。 (「室尾山」, 「室尾山」を参照)
室尾地区の文化財
室尾地区は、天平21年(748)、行基によって法宝寺が建立されるなど、古くから開けた場所です。 寛平年間(889)には、京都の石清水八幡宮の別宮として、法宝寺の隣接地に八幡宮(室尾別宮)も勧請されました。 七法寺(高生田)、正眼寺(岡田)とともに三職として祭事をつかさどり、 盛時には15坊を擁し、寺領は、朝来郡、養父郡、出石郡にまたがる100町歩(100ha)千石に及んだといわれています。 戦国時代までの室尾は、出石と京都を結ぶ大きな街道筋に位置する交通の要衝でした。 このため多数の城郭遺構等が遺されています。 しかしながら江戸時代になると、街道が円山川沿いに開設され、室尾はだんだん衰えていくようになりました。 明治に入ってからは、明治22年に養父郡糸井室尾となり、 この糸井村が昭和30年に養父郡南但町、昭和31年朝来郡和田山町に、さらに平成17年に朝来市になりました。 人々の生活が変化する中で、大正4年に八幡神社はふもとの岡田にうつされ、昭和9年には法宝寺も岡田に移転しました。 昭和30年代から各戸が次々とふもとに移転を始めるようになり、 昭和44年には桐原神社もおろされ、室尾地区の山中から人家はすべて移転しました。 現在、この付近に住む人はいませんが、 法宝寺跡をはじめとした遺構により、かつての街道筋のにぎわいがしのばれます。
里山体験学習館
テーブル・ベンチの脇から左下に続く道を降りていくと建物が二つありました。 には「里山ギャラリー」「室尾里山保存会」「山の教室 室尾小屋」の標識が掲げられ、 には「里山体験学習館」の標識が掲げられていました。 道は何処に続いているのか探っていると、 里山体験学習館の前の「」の標柱のある一角から少し右へ出て、 そこから左へが降っていました。
切通
広い道を降り始めると、すぐの所にがありました。 その横を過ぎて更に降っていくと、右下の谷筋にとその先に延びる舗装路が見えてきました。 それらを眺めながら広い道を降っていくと切通のような所に降り立ちました。 里山体験学習館から2分半ほど、室尾山から37分ほどで降りて来られました。 右側の広めの道を降ると、先ほどから見えている建物の脇にすぐに降りられますが、 切通の先に法宝寺跡室尾城跡があるので、立ち寄っていくことにしました。 切通を過ぎた所にが立っていて、 左の道は「法宝寺跡200m」、右の横木の階段は「室尾城跡180m」となっていますが、先ずは法宝寺跡へ向かっていきました。
左の道を進み始めると、獣捕獲用の檻を過ぎた所に分岐があります。 どちらも同じ程度の道になっているので、何か標識類はないかと探していると、 左側の道に入ったすぐの所に壊れたがあって、「法宝寺跡」の板が左側の道を指しているようでした。 板はもう一枚ありましたが、文字は確認できませんでした。 キャンプ場にあった案内板によると、右側の道(*)は法宝寺跡を巻いて降っていく道のようでした。 ここは左側の登り気味の道を進んでいきました。
*後日に右側の道を歩きました。 (「室尾山」を参照)
僅かな登り坂になった道を1分ほど進んでいくと、路肩がしている所がありました。 谷側に寄らないよう注意しながら過ぎていくと、次第になどが生い茂ってきました。 膝でシダを掻き分けながら進んでいくとがありました。 扉は半開きになっていて留め具も見かけなかったので、そのまま通っていきました。 次第に草が少なくなってくると分岐があります。 左へ登っていく道(*)にはが立っていて、「室尾山頂1.3km」となっています。 確かめた訳ではありませんが、キャンプ場にあった案内板によると、 里山体験学習館の傍の草地の広場の手前から左へ分かれてきた道のようです。 左からの道を併せて正面の道を登っていきます。
*後日に左の道を歩きました。 (「室尾山」, 「室尾山」を参照)
法宝寺跡
沿いに登っていくと右側が開けてきて、を見渡せるようになります。 石垣が終わる辺りの樹木の袂には、「法宝寺跡」と書かれた輪切りのがあります。 簡単な解説文も見かけましたが、掠れていてよく読めませんでした。 そのすぐ先に「万葉の森」のがあります。 その隣の樹木には消えそうなが寄り掛かっていて、今来た道は「至 室尾山」となっています。 その先には「法宝寺跡」の解説板が設置されています。 里山体験学習館の手前の草地の広場で見かけた解説板と同じような「法宝寺周辺の遺構」と題したも載っていました。 植林地になった緩やかなこの一帯が法宝寺跡になるようです。 切通から4分ほどで着きました。 往時にはかなり栄えた大きな寺院だったようですが、今では「万葉の森」の表札が掲げられたと、 左側の一段高い所に立つ「薬師堂跡」のがあるばかりです。
法宝寺跡の先に続く道は法宝寺の傍に降りられます。 (「室尾山」,「室尾山」,「室尾山」を参照)
途中から分れる道を降ると、キャンプ場へ登る道路の途中に出られます。 (「室尾山」を参照)
法宝寺跡 天平年間に行基が開設した非常に古いお寺です
この場所にはかつて法宝寺がありました。 法宝寺は天平21年(748)僧行基によって建立されたといわれ、全国的に見て非常に歴史が古いお寺です。 戦国時代までの室尾は、出石と京都を結ぶ大きな街道筋に位置し非常に栄えた場所でした。 また、江戸時代になると街道が円山川沿いに開設され、室尾はだんだん衰えていくようになりました。 明治に入ってからは、明治22年に養父郡糸井村室尾となり、この糸井村が昭和30円に養父郡南但町となり、 昭和31年朝来郡和田山町に、さらに平成17年朝来市になりました。 現在、この附近に住む人はいませんが、法宝寺跡をはじめとした遺構によりかつての街道筋のにぎわいがしのばれます。
年号西暦できごと
天平20年748 室尾山法宝寺が行基によって建てられた。
弘仁8年817 法宝寺の本尊を弘法大師が開眼し真言宗になると伝えられている。
寛平年中889 京都石清水八幡宮より八幡神社を勧進する。
鎌倉時代 法宝寺おおいに栄え、15の堂宇を有する。仁王像、阿弥陀如来像つくられる。
室町時代 法宝寺一帯は京都と出石を結ぶ街道として栄える。
応仁2年1468 夜久野が原の戦いで法宝寺が兵火に焼かれるが、再建される。
天正5年1577 11月9日但馬に侵攻した秀吉軍(小一郎秀長)、法宝寺に制札:破壊略奪の禁止命令を出す。(岡田の法宝寺に現存)
江戸時代初期 江戸中期以降、街道筋からはずれ法宝寺の勢力衰える。
大正4年1934 八幡神社岡田村に移転。
昭和9年1955 法宝寺庫裏大雪にて倒壊、岡田村に移転。
昭和30年代1955 このころから生活の不便さにより、一軒また一軒と麓への移転が進む。
往復14分ほどで法宝寺跡からまで引き返してきて、 道標「室尾城跡180m」が指す横木の階段を登っていきます。 階段はすぐに終わって、雑木混じりの植林地になった緩やかなを進むようになります。 少し傾斜が増した所を登って緩やかになると、 何やら意味ありげなを過ぎた先の道端に壊れた石祠がありました。 切通から3分ほどの所になります。 傍には五輪塔のようなものもありましたが、名前などは分かりませんでした。
室尾城跡
石祠を過ぎていくと、すぐに雑木の疎林になった広めの所に出ました。 左側を向いたなどが沢山並んでいました。 脇にはと思われるものが設置されています。 解説文が書かれていた表面の板は剥がれ落ちたような雰囲気でしたが、それらしい板は辺りに見かけませんでした。 この先へ続く緩やかな尾根を少し歩いてみましたが、これと云ったものは特に見かけないまま降り坂になってしまいました。 標識類は見かけず、城の遺構にようなものも見かけませんでしたが、解説板らしきものもあるし、 切通から180mということなので、距離的にもこの辺り一帯が室尾城跡だということにして、引き返すことにしました。
*後日に室尾城跡の先へ続く尾根を歩きました。(「室尾山」を参照)
往復12分ほどでまで引き返してきて、 里山体験学習館から降ってきた道を分けての先へ降っていきます。 坂道を降っていくと、すぐに屋根だけの建物が見えてきます。 手前の山際には、輪切りのがありました。 「森の交流館30m」と書かれていて右を指していましたが、右の方にはそれらしい建物は見かけませんでした。 先ほどの里山体験学習館のことかとも思いますが、 もっと距離があるようだし、標識の設置されている場所も少し不自然に思えました。 の脇へ降り立つと、中には水道の蛇口が幾つも並んでいました。 この先からは舗装路が続いています。 路肩が少し広がっていて、車数台は止められそうなになっていました。
室尾山荘
小型車なら通っていける幅のある舗装路を降っていきます。 車を止めておいたキャンプ場のを正面に眺めながら2分ほど降っていくと、 右側の小広い所にがあります。 建物の入口には「室尾山荘 赤い屋根」の表札が掲げられていました。 キャンプ場にあった案内板によると、ここからも山道が続いているようなので、ちょいと山際まで行ってみると、 「室尾山入口」のが倒れていて、そこから右へ登っていくがありました。
室尾地区
室尾山荘を後にして舗装路を降っていくと、すぐにキャンプ場に着きました。 出発時には気が付きませんでしたが、左側の駐車場にある案内板の裏側には蝶の解説が載っていました。 「コナラ林で見られる樹木」と題した解説もありましたが、東屋の傍で見かけたのと同様の内容でした。
キャンプ場から100mほど降った所に室尾自然体験学習館があるので、家路に着く前に立ち寄っていきました。 「室尾自然体験学習館」の表札が掲げられた入口からを窺ってみると、ガランとした広い空間になっていました。 道路脇にはキャンプ場にあったのと同様の「室尾ふれあい学習の森」と題した案内板があります。 その裏には「この付近の森」「シカの影響を受けた森」「コナラ林のようす」「いろいろなドングリ」などの解説が載っていました。
この付近の森(スギ・ヒノキ人工林)
この附近の谷筋や周辺斜面にはスギやヒノキが植栽されています。 このような森は人工林と呼ばれています。 スギやヒノキの人工林は枝打ち、間伐などの管理の有無によってかなりの雰囲気が変わってきます。 スギやヒノキの人工林に入って暗いと感じたことはありますか? そのような林は、今後、間伐や枝打ちなどの管理を行ってゆく必要のある林です。 その林と手入れされた林を比べてみましょう。 間伐や枝打ちが適切に行われている林では、適度に木漏れ日が入り、下層植物が多くなります。 適切な手入れによって、下層に植物が増えることで土砂災害を防いだり、 水源林として水をたくわえる機能が高まり、様々な生き物が生息する林になります。
シカの影響を受けた森
シカが多くなると森のようすが変わっていく仕組み
シカが多くなる → 餌が足りなくなる → 食べられる植物は食べつくされる → 好きな食べ物が多い林は地面から植物が無くなってしまう。嫌いな食べ物が多い林はシカの食べない植物ばかりが残る。
シカの嫌いな植物
シカは、やわらかい草を好んで食べます。 毒のある植物や臭い臭いのある植物やトゲのある植物、繊維質の多い植物などは、あまり食べません。
オオバイノモトソウ、ベニバナボロギク、タケニグサ、ジャケツイバラ、ウリハダカエデ、
シロダモ、アセビ、イワヒメワラビ
コナラ林のようす
この付近の森には、コナラ林が広がっています。 このコナラ林は、県内で広く見られる林です。 昔は、このコナラ林やアカマツ林を利用していました。 薪は燃料に、落ち葉や枝は肥料の材料に、また、森で採れるフキ、ゼンマイなどは食べ物として利用され、 森は地域の人々の生活と切っても切れない関係でした。 1960年代に燃料が石炭から石油、電気、ガスに転換したことをきっかけに、森は利用されなくなりました。 このコナラ林も手入れがされなくなって、40年〜50年ほど生長した姿です。
コナラ(ブナ科) 山野の明るい場所に自生し細長いドングリが実ります。 樹皮はふぞろいに割れ、クワガタムシやカブトムシがよく集まる樹木です。
アベマキ(ブナ科) コナラより大きな丸いドングリが実ります。 樹皮は厚く、コルク層が発達し、昔は樹皮からコルクを採取していました。
クリ(ブナ科) 野生のクリの木です。 実は小さいですが、幹はかたくて腐りにくいので、昔は、電車のまくら木などに使われていました。
タカノツメ(ウコギ科) 3枚の小葉が特ちょうの落葉広葉樹です。
コシアブラ(ウコギ科) 手のひら状の5枚の小葉が特ちょうの落葉広葉樹です。
カシワ(ブナ科) 毛の多い大きな葉が特ちょうです。 「かしわもち」は、この葉を使います。
いろいろなドングリ
ドングリの見分け方のポイント!!
1 常緑樹(冬に葉が枯れない)か落葉樹(冬に葉が枯れる)かを見分ける。
2 葉っぱの形を見る。
3 殻斗(かくと)と言われるどんぐりの帽子を見る。
4 ○印がこの森でよくみられます。
落葉樹のドングリ クヌギ、○アベマキ、○コナラ、○カシワ、ミズナラ、ナラガシワ、
○クリ、ブナ、○イヌブナ
常緑樹のドングリ ウバメガシ、○シラカシ、アラカシ、○ウラジロガシ、イチイガシ、
○ツクバネガシ、アカガシ、マテバシイ、シリブカガシ