室尾山
概 要 室尾山は朝来市和田山町にある標高629.5m(点名:岡田山)の山です。 北西側が少し開けていて山並みを眺めることができます。 今回は、南側にある法宝寺を起終点とし、南側の尾根から室尾山へ登り、 西南西に延びる尾根からキャンプ場へ降り、 法宝寺跡を経て法宝寺へ降るルートを周回します。
起 点 朝来市和田山町 岡田地区
終 点 朝来市和田山町 岡田地区
岡田地区…登山口…353m峰…稜線…室尾山…68番鉄塔…キャンプ場…切通…法宝寺跡…小峠…八幡神社…岡田地区
所要時間 4時間10分
歩いて... 登山口から尾根に出ると明瞭な道はありませんが、藪漕ぎするほどではなく、登るのに問題はありません。 しかし思いのほか傾斜が急なので、何度も立ち止まって呼吸を整えながらの遅い登りとなりました。 下山時には登山道から外れて68番鉄塔を訪ねましたが、 送電線の巡視路の階段に土砂などが積もっていて分かり難くなっています。
関連メモ 室尾山, 室尾山, 室尾山
コース紹介
岡田地区
養父市から県道104号を南下して朝来市に入り、糸井橋交差点から県道10号に入っていきます。 更杵橋を渡って県道274号を東進し、坂を越えて降っていくと、県道273号の曲がり角との十字路に出ます。 左折して道なりに右へ曲がりながら進んでいくと、岡田バス停の手前にがあります。 脇に出る看板に従って、に入っていきます。 すぐにある分岐を直進し、左右の路地を見送って坂道を登っていくと、 法宝寺の手前に「室尾山 法寶寺」の石柱が立つ駐車場があるので、ここに車を止めさせて頂きます。
脇にはが三つ並んでいて、「壹番」,「二番」,「三番」と刻まれています。
兵庫県指定有形文化財
←300m石造宝篋印塔
←50m冑塚古墳
←50m長束古墳
高野山 真言宗 法宝寺
薬師如来(県重文)
宝篋印塔(県重文)
但馬六十六地蔵 札所
←300m
登山口
駐車場から出て、奥へ続くを登っていきます。 谷筋の手前まで来ると「奥山二号池」のがあります。 右の道は見送って谷筋に入り、右へ曲がりながら登っていくとがあります。 横に渡された長い棒をずらし、短いレバーを回せば扉を開けられます。 防護扉を過ぎると、すぐにのようなものがありますが、地形図に二つ描かれている池の下の方でしょうか。 更に登っていくと、水を湛えたがあります。 これが先ほどの看板にあった奥山二号池でしょうか。 池を過ぎていくと、右側に登っていく小径があります。 駐車場から6分ほどの所になります。 入口には「64」と書かれた「火の用心」の赤い標識があるので、送電線の巡視路のようです。 ここが今回の登山口になります。
防災重点ため池 奥山二号池(令和元年5月31日指定)
この上流の奥山二号池が決壊すると家屋や公共施設等が浸水し人的被害を与えるおそれがあります。 避難場所・避難経路の確認など平常時から災害に備えましょう。
朝来市農林振興課
危険!!
ここで水泳、魚釣り水遊び等は、してはいけません。
朝来市
巡視路に入っていくとになります。 「国土調査」の赤頭短杭が続く僅かなを辿りながら進んでいくと、先の方が明るくなってきます。 明るい所の手前を右へ曲がっていくと、が巻かれた樹木があります。 中ほどには「No02」と書かれた「火の用心」の赤い標識が立っています。 右へ曲がっていくと、送電線の巡視路でよく見かける硬質プラスチック製のが現れます。 落ち葉などが積もった階段を左・右と曲がりながら登っていくと、 「国土調査」の青頭短杭や赤頭短杭が並ぶ小尾根に出ます。 登山口から9分ほどの所になります。 巡視路は正面へ降っていて、送電線の鉄塔「奥多々良木出石線六四」へ出られます。 ここで巡視路と別れて、を登っていきます。
に明瞭な道はありませんが、下草は生えておらず樹木も密生していないので登るのに問題はありません。 しかし思いのほか傾斜が急なので、脇の樹木に手を掛けながら登っていきます。 斜面には「国土調査」の青頭短杭が続いています。 少し左へ曲がってがハッキリしてくると、 「国土調査」の青頭短杭と「界」の赤プラ杭が並んでいます。 少し傾斜がに着いてホッとしますが、すぐに傾斜が増してきます。 左の樹間にを眺めながら登っていきます。 緩やかになった尾根を少し左へ曲がっていくと、標高320mほどの高みに着きます。 登山口から28分ほどの所になります。 中ほどには、先ほどと同様の「国土調査」の青頭短杭と「界」の赤プラ杭が並んでいます。
353m峰
「国土調査」の青頭短杭が続く尾根を軽く降っていくとに着きます。 すぐにになる尾根を進んでいくと、 「国土調査」の青頭短杭に加えて「図根多角」の黄頭短杭も見かけるようになります。 傾斜がもありますが、すぐに傾斜が増してきます。 点々と続く境界杭を辿りながら登っていくと高みに着きます。 この場所を示す標識類は見かけませんが、ここが地形図に載っている353m峰になるようです。 登山口から35分ほどの所になります。 中ほどに「国土調査」のと退色した「界」の赤プラ杭が並んでいて、 傍には「図根多角」の黄頭短杭も見かけます。 水分補給をしながらひと息入れていきます。
気を取り直して、先へ続くを降っていきます。 境界杭が点々と続く尾根を降っていくとになります。 すぐに降り坂になるとに着きます。 鞍部を過ぎてを登り返していきます。 次第に傾斜が増してくる尾根を頑張って登っていくと、傾斜が弛んだ標高340mほどの緩斜地Aに着いてホッとします。 353m峰から10分ほどの所になります。
すぐにが増してくる尾根を登っていきます。 「国土調査」の赤頭短杭と「界」の赤プラ杭に加えて「兵公」と刻まれたが並ぶ所を過ぎていきます。 役目を終えて地面を這う防護網が続くようになると、標高360mほどのに着きます。 353m峰から14分ほどの所になります。 立ち上がる所もある防護網が続く尾根を軽く降っていくとに出ます。 すぐにが増してくるので、脇の樹木に手を掛けながら登っていきます。 頑張って登っていくと、標高410mほどの緩斜地Cに着きます。 353m峰から25分ほどの所になります。
またが増してくる尾根を汗を拭き拭き登っていきます。 何度も立ち止まって呼吸を整えながら、益々傾斜が増してくるを登っていきます。 と「国土調査」の赤頭短杭と「界」の赤プラ杭が続く尾根を頑張って登っていきます。 次第に傾斜がきて、脇の樹木に手を掛けなくても登れるようになります。 アセビが見られるようになる尾根を登っていくと、標高480mほどの緩斜地Dに着きます。 353m峰から41分ほどの所になります。
僅かに降る所もあるを進んでいきます。 程なくしてになります。 益々が増してくるので、また脇の樹木に手を掛けながら登っていきます。 左の樹間に僅かにを眺めたりしながら休み休み登っていきます。 やがて尾根になどが生い茂ってきます。 アセビなどをプチ藪漕ぎしながら進んでいくと、標高520mほどの緩斜地Eに着きます。 353m峰から50分ほどの所になります。
アセビが茂る所を過ぎるとが増してきます。 が幾つか剥き出す所を登っていきます。 小岩が見られる尾根をしばらく登っていくと、「国土調査」の小円盤が取り付けられたがあります。 がまだ続く尾根を登っていきます。 いつしか防護網を見かけなくなった尾根を登っていくと、標高570mほどの緩斜地Fに着きます。 353m峰から1時間4分ほどの所になります。
稜線
程なくして左の樹間に見えてくる稜線に元気付けられて、傾斜が増してくるを登っていきます。 右の樹間にを眺めながら登っていきます。 近づいてくるに向かって尾根を登っていきます。 頑張って登っていくと、左右に延びる標高620mほどの稜線に登り着きます。 353m峰から1時間12分ほどで登って来られました。 ここまで来れば、室尾山の山頂までは楽勝です。 眺めが広がる所を求めて、続く尾根を少し歩いてみます。 手前の樹木が邪魔をしていますが、少し見えるを眺めながら、 長く続いた急な尾根を登ってきた疲れを癒やしていきます。
室尾山(標高629.5m)
落ち着いたところで、西へ延びる僅かな起伏で続くを進んでいきます。 右の樹間に見えるを眺めながら進んでいきます。 程なくして登り坂になると、が見えてきます。 軽く登っていくと室尾山の山頂に着きます。 稜線に登り着いた所から5分ほどの所になります。 中ほどには三等三角点「岡田山」があるので、地形図に載っている629.5m峰になるようです。 三角点の傍には「室尾山629.7m」の標識が落ちていて、脇の樹木には「室尾山629.7m」の標識が取り付けられています。 山頂の周囲には樹木が茂っていて眺めは今ひとつですが、 北へ延びるを少し進んだ辺りから景色を眺めたりしながら、ここでもひと休みしていきます。
地形図によると、2013年に来た時は標高629.7mとなっていましたが、2019年に来た時には629.5mになっていました。 その間に再測量が行われて標高が変更されたようです。
へ延びる尾根を降っていきます。 ここからは良く歩かれている登山道になります。 程なくして右側にが広がってきます。 白い三角屋根の建物が頭を出していますが但馬ドームのようです。 歩き易い尾根を降っていくと、尾根の右肩と左肩を降る道のがあります。 いずれの道にも桃テープが巻かれていますが、少し先で合流するので、今回は左の道を降っていきます。 尾根の左肩に続く道を降って尾根の背に復帰すると、手前で分れてきた道が右からしてきます。 尾根を真っ直ぐ降っても良いのですが、道なりに左へ曲がっていきます。 すぐに右へ折れ曲がって降っていくと尾根の背に復帰します。
が少し見られる尾根を降っていきます。 少し左へ曲がって、植林地と雑木林を分けるを降っていきます。 次第に降り傾斜が増してくる尾根を降っていくとへ入っていきます。 傾斜が緩やかになってくると、丸太のを過ぎていきます。 程なくして、尾根の背を外れて左へ曲がっていきます。 角には標識が立っていて、左の道は「キャンプ場」、今来た道は「室尾山頂05.km」となっています。
道なりに左へ曲がって、植林地の斜面に斜めに続くを降っていきます。 短い横木の階段を降ると分岐があります。 室尾山から17分ほどの所になります。 脇にはが立っていて、 正面の道は「男山0.1km」、右へ戻るように続く道は「キャンプ場」、今来た道は「室尾山頂0.55km」となっています。 今来た道を指す「室尾山へ」の標識もあります。 男山へは(*)を進んでいくのですが、今回は省略します。 ここはキャンプ場へ向かって、戻るようにして続くを進んでいきます。
男山へ続く道は「室尾山」を参照。
植林地の斜面を横切るように降っていくとになります。 アセビが少し見られる雑木林のを横切るように降っていきます。 横木の階段も見られる道を降っていくと、植林地になったに出ます。 程なくしてが立っていて、 この先の道は「キャンプ場」、今来た道は「室尾山頂0.7km」となっています。 傾斜が緩やかになると標識が立っていて、左へ曲がっていく道は「キャンプ場」、今来た道は「室尾山頂0.75km」となっています。 室尾山から21分ほどの所になります。 登山道(*)は左へ曲がっていきますが、今回は送電線の鉄塔を訪ねるべく、正面の尾根を進んでいきます。
*左へ続く登山道は「室尾山」, 「室尾山」, 「室尾山」を参照。
68番鉄塔
に明瞭な道はなく樹木が少し煩わしい所もありますが、行く手を阻むほどではありません。 少し降っていくとに出ます。 軽いになる尾根を進んでいきます。 程なくして高みに着くと、送電線の鉄塔「奥多々良木出石線六八」が立っています。 室尾山から24分ほどの所になります。 鉄塔に邪魔されながらも、左側に広がるを眺めながらひと息入れていきます。
眺めを確認したら、先へ続くを降っていきます。 左へ曲がりながら降っていくとがあります。 角には退色した「火の用心」の赤い標識があります。 書き込まれた文字も見られますが、ほどんど消えていて判読出来ません。 その袂には白い標識が倒れていますが、これも文字が消えていて判読出来ません。 愚考の末、左前方の道を進んでいきます。 送電線の鉄塔が見えるまで来て右へ降っていくと、 土砂などに埋もれて上からは分り難い硬質プラスチック製の階段が続くようになります。 茂る樹木の脇を過ぎて、その先へ続くを降っていきます。 石がゴロゴロするようになった所を道なりに曲がっていきます。 左右に傾いて歩き難い斜面を降っていくと登山道に降り立ちます。 68番鉄塔から9分ほどの所になります。 出た所にはが立っていて、 前方の道は「室尾山頂0.95km」、右へ戻るように続く道は「キャンプ場」、今来た道は「作業路 この先悪路」となっています。
キャンプ場へ向かってを進んでいきます。 程なくしてに出ると、降り傾斜が増してきます。 すぐに見えてくるへ向かって降っていきます。 傾斜が緩やかになると東屋に着きます。 68番鉄塔から12分ほどの所になります。 手前には「コナラ林で見られる樹木」と題した解説板が倒れていて、 葉の形と木の名前が25種類載っています。
コナラ林で見られる樹木
木の葉で名前を調べよう。
コナラ、アベマキ、クリ、カシワ、タカノツメ、コシアブラ、ウリカエデ、オオモミジ、ヤマザクラ、
イヌシデ、ネジキ、アセビ、ソヨゴ、クロモジ、アマツカ、ウワイズサクラ、ケヤキ、コバノガマズミ、
シロダモ、ウラジロガシ、リョウブ、カスミザクラ、ヤマツツジ、ヒサカキ、イタヤカエデ
東屋の先へ続くの尾根を降っていきます。 曲がりながら続くを降っていくと雑木林になってきます。 合わせて4回ほど曲がりながら降っていくと、尾根の背にあるに出ます。 角には半壊した標識が立っていて、今来た道は「室尾山頂1.2km」となっています。 右へ曲がったすぐの所にある丸太のベンチを過ぎて、少し左へ曲がって降っていきます。
右前方に山並みを眺めながらを降っていきます。 少し夏草が茂るようになる尾根を降っていくとがあります。 左からの道を合わせて、狭くなったを軽く降っていきます。 背丈の低い笹が茂るようになると脇にがありますが、文字などは消えていて全く判読出来ません。 解説板を過ぎるとが途切れます。 降ってくる向きには分り難くてこのまま正面の尾根を進んでしまいますが、ここから右へ戻るように続く道があるので降っていきます。 68番鉄塔から22分ほどの所になります。
キャンプ場
の斜面に続く道を降っていきます。 左・右・左と曲がりながら降っていくとの谷筋に出ます。 少し曲がりながら進んでいくとキャンプ場の端に出ます。 68番鉄塔から25分ほどで降りて来られました。 出た所には標識が立っていて、今来た道は「室尾山頂1.55km」となっています。 キャンプ場には「室尾ほっぽう寺亭」や炊事棟と思われるが建っています。 広場を横切っていくとに出ます。 出た所には標識が立っていて、今来た道は「室尾山頂1.6km」となっています。 道路向かいにはがあって、 「アカマツ林で見られる樹木」「コナラ林で見られる樹木」「動物のフィールドサイン」などが貼り出されています。
切通
左へ続くを登っていきます。 舗装路の終点まで来ると、小さながあります。 正面の地道を登っていくと「火の用心」のが立っていて、 「奥多々良木出石線 No66 No67」と書かれています。 標識を過ぎると、左から降ってくる(*1)がありますが、里山体験学習館からの道になります。 すぐに切通に出ます。 キャンプ場を出てから4分ほどの所になります。 切通の先にがあります。 脇には標識が立っていて、右の道(*2)は「室尾城跡180m」、正面の道は「法宝寺跡200m」となっています。
*1 左の道は「室尾山」, 「室尾山」, 「室尾山」を参照。
*2 右の道は「室尾山」, 「室尾山」を参照。
正面の道を進んでいくとがあります。 角には壊れた標識がありますが、文字は消えて判読出来ません。 左の道には「火の用心」の赤い標識が立っていて、「奥多々良木出石線 No66 No67」と書かれています。 左の道を少し登っていくとになります。 僅かな谷筋を右へ回り込んでいくとがありますが、この時には開け放たれていました。 防護扉を過ぎて登っていくと分岐があります。 左の道(*)には「室尾山頂1.3km」の標識が立っています。
* 左の道は「室尾山」, 「室尾山」を参照。
法宝寺跡
右に見えるを眺めながら正面の道を登っていきます。 程なくしてなだらかで小広い所に出ます。 キャンプ場を出てから9分ほどの所になります。 左側には「万葉の森」の標識、右側には「火の用心」の赤い標識があります。 脇には「法宝寺跡」のが倒れています。 積もった落ち葉を払い除けてみると、「」と題した地図も載っています。 以前には法宝寺があった所のようです。 その先には「万葉の森」の表札が出る丸太小屋があります。 へ進んでいきます。 樹木に邪魔されながらも右側にが見えます。 左側には送電線のが見えます。
法宝寺跡 天平年間に行基が開設した非常に古いお寺です
この場所にはかつて法宝寺がありました。 法宝寺は天平21年(748)僧行基によって建立されたといわれ、全国的に見て非常に歴史が古いお寺です。 戦国時代までの室尾は、出石と京都を結ぶ大きな街道筋に位置し非常に栄えた場所でした。 また、江戸時代になると街道が円山川沿いに開設され、室尾はだんだん衰えていくようになりました。 明治に入ってからは、明治22年に養父郡糸井村室尾となり、この糸井村が昭和30円に養父郡南但町となり、 昭和31年朝来郡和田山町に、さらに平成17年朝来市になりました。 現在、この附近に住む人はいませんが、法宝寺跡をはじめとした遺構によりかつての街道筋のにぎわいがしのばれます。
年号西暦できごと
天平20年748 室尾山法宝寺が行基によって建てられた。
弘仁8年817 法宝寺の本尊を弘法大師が開眼し真言宗になると伝えられている。
寛平年中889 京都石清水八幡宮より八幡神社を勧進する。
鎌倉時代 法宝寺おおいに栄え、15の堂宇を有する。仁王像、阿弥陀如来像つくられる。
室町時代 法宝寺一帯は京都と出石を結ぶ街道として栄える。
応仁2年1468 夜久野が原の戦いで法宝寺が兵火に焼かれるが、再建される。
天正5年1577 11月9日但馬に侵攻した秀吉軍(小一郎秀長)、法宝寺に制札:破壊略奪の禁止命令を出す。(岡田の法宝寺に現存)
江戸時代初期 江戸中期以降、街道筋からはずれ法宝寺の勢力衰える。
大正4年1934 八幡神社岡田村に移転。
昭和9年1955 法宝寺庫裏大雪にて倒壊、岡田村に移転。
昭和30年代1955 このころから生活の不便さにより、一軒また一軒と麓への移転が進む。
先の方にある石垣の脇から、枯れススキが覆うを降っていきます。 次第に傾斜が緩やかになるとがあります。 小さなレバーが上下に取り付けられていますが、この時には閉じられておらず、扉を押すだけで開けられました。 扉を過ぎると、すぐに右からが合流してきますが、 切通の先にあった分岐から来る道になります。 その途中には「室尾地区の文化財」と題した解説板があって、室尾地区の歴史などが記されています。 二股になった所から右の窪んだ道を降っていくと、「シカの影響を受けた森」と題したが倒れています。 左からの道を合わせていくと分岐があります。 法宝寺跡から4分ほどの所になります。 脇にはが立っていて、 尾根を越えて右へ降っていく道(*1)は「室尾1.2km」、正面から左へ曲がっていく道は「岡田0.8km」、今来た道は「法宝寺跡50m」(*2)となっています。
*1 右の道は「室尾山」を参照。
*2 標識には「法宝寺跡50m」となっていますが、「万葉の森」の丸太小屋までは200mほどあります。
シカの影響を受けた森
この森には、多くのシカが住んでいます。 シカは植物をえさにしてくらしていますが数が多くなると森のようすがどんどん変化していきます。 森を観察してみるとシカと森の関係を知ることができます。
シカが多くなると森のようすが変わっていく仕組み
シカが多くなる
  → 餌が足りなくなる
      → 食べられる植物は食べつくされる
          → 好きな食べ物が多い林は、地面から植物が無くなってしまう
          → 嫌いな食べ物が多い林は、シカの食べない植物ばかりが残る
室尾地区の文化財
室尾地区は、天平21年(748)僧行基によって法宝寺が建立されるなど、古くから開けた場所です。 寛平年間(889)には、京都の石清水八幡宮の別宮として、法宝寺の隣接地に八幡宮(室尾別宮)も勧請されました。 七宝寺(高生田)、正眼寺(岡田)ともに三職として祭事をつかさどり、盛時には15坊を擁し、 寺領は、朝来郡、養父郡、出石軍にまたがる100町歩(100ha)千石に及んだといわれています。 戦国時代までの室尾は、出石と京都を結ぶ大きな街道筋に位置する交通の要衝でした。 このため多数の城郭遺構等が残されています。 しかしながら江戸時代になると、街道が円山川沿いに開設され、室尾はだんだん衰えていくようになりました。 明治に入ってからは、明治22年に養父郡糸井村室尾となり、この糸井村が昭和30年に養父郡南但町、 昭和21年朝来郡和田山町に、さらに平成17年に朝来市になりました。 人々の生活が変化する中で、大正4年に八幡神社はふもとの岡田に移され、昭和9年には法宝寺も岡田に移転しました。 昭和30年代から各戸が次々とふもとに移転を始めるようになり、 昭和44年には、桐原神社もおろされ、室尾地区の山中から人家はすべて移転しました。 現在、この付近に住む人はいませんが、法宝寺跡をはじめとした遺構によりかつての街道筋のにぎわいがしのばれます。
正面から曲がっていく道を降っていきます。 右下に道が見えてくるとがあります。 いずれの道も少し先で合流しますが、今回は正面の道を進んでいきます。 して狭くなった所を通過していきます。 程なくして、倒木などがある荒れたに出ます。
小峠
右へ曲がってすぐにを渡り、対岸に続く道へ向かっていきます。 植林地のを横切るように続く道を軽く登っていきます。 を跨いだりしながら登っていくと、左の尾根が次第に低くなってきます。 少し左へ曲がりながら登っていくと、標高270mほどの尾根にある小峠に着きます。 法宝寺跡から11分ほどの所になります。
小峠を過ぎるとすぐにがあります。 正面の道は窪んだ急坂になっているので、右前方の緩やかな道を降っていきます。 程なくしてがあります。 左の道は急なショートカットになっているので、正面の道を進んでいきます。 少し先を左へ曲がっていくと、左前方から降ってくるショートカットとします。 道なりに曲がりながら、の斜面を降っていきます。 小峠から合わせて5回ほど曲がりながら降っていくと、左から窪んだ急坂が合流してきます。 小峠から12分ほどの所になります。 左から来る道は小峠の先から分れてきた道のように思えますが、確かめた訳ではありません。
左からの道を合わせて左へ曲がりながら降っていくとがあります。 いずれの道もこの先で合流しますが、今回は軽い登り坂になる左の道を進んでいきます。 軽く登って左へ曲がり始めるとになります。 少し降っていくとに出ます。 道なりに右へ曲がって、を降っていきます。 程なくして、手前で分れてきた道が右から合流してきます。
八幡神社
右からの道を合わせて降っていくと、次第にになります。 水が流れた跡のよう抉れた道になるので、 歩き易い所を選んで降っていくとがあります。 左右に渡された鉄棒を外し、上下に取り付けられた小さなレバーを回せば扉を開けられます。 に続くシダ類が茂る抉れた道からも車道に出られますが、今回は見送っていきます。 防護柵に沿って続く草などが茂るを登っていきます。 すぐに右へ曲がって登っていくとの境内に出ます。 小峠から23分ほどで降りて来られました。 正面に廻って、「八幡宮」の扁額が掲げられた社殿を眺めていきます。 拝殿の奥に本殿がある形になっています。 由緒などを記したものは見かけませんが、岡田地区の鎮守でしょうか。
正面に続くを降っていきます。 踊り場に着くとがあります。 中には「金毘羅大権現」と「秋葉大権現」の札が納められた小祠が安置されています。 先へ続くを更に降っていきます。 石段を降り切ると、なだらかで広い所に出ます。
岡田地区
参道は正面に立つの先へ続いています。 今回は左に架かるを渡っていきます。 小橋には「八幡池」の看板が取り付けられています。 小橋を渡ってに出て、左上にある八幡池の下を登っていきます。 左右に通る車道に出ると、車を止めておいた駐車場が道路向かいにあります。 八幡神社から5分ほどで到着しました。
防災重点ため池 八幡池(令和元年5月31日選定)
この上流の八幡池が決壊すると家屋や公共施設等が浸水し人的被害を与えるおそれがあります。 避難場所・避難経路の確認など平常時から災害に備えましょう。
朝来市農林振興課