室尾山
概 要 室尾山は朝来市和田山町にある標高629.5mの山です。 北西側が少し開けていて山並みを眺めることができます。 中腹にある法宝寺跡や里山体験学習館からも山並みを眺めることができます。 室尾地区のキャンプ場から登るルートもありますが、 今回は岡田地区の法宝寺から法宝寺跡を経て室尾山へ登り、 里山体験学習館を経て降るルートを歩きます。
起 点 朝来市和田山町 岡田地区
終 点 朝来市和田山町 岡田地区
岡田地区…八幡神社…峠…小沢…法宝寺跡…キャンプ場分岐…男山分岐…室尾山…男山分岐…キャンプ場分岐…里山体験学習館…切通…法宝寺跡…小沢…峠…岡田地区…(法宝寺)
所要時間 3時間20分
歩いて... 法宝寺跡までは広めの旧参道が続いていました。 法宝寺跡から室尾山までの山道の要所には標識が設置されていて分かり易くなっていました。 山頂の手前には息を弾ませながら登る急坂がありました。 山頂付近には過日に降った雪が少し残っていましたが、量はごく僅かだったので歩くのに支障はありませんでした。
関連メモ 室尾山, 室尾山, 室尾山
コース紹介
岡田地区
養父市から県道104号を南下して朝来市に入り、糸井橋交差点から県道10号に入っていきます。 更杵橋を渡って県道274号を東進し、坂を越えて降っていくと、県道273号の曲がり角との十字路に出ます。 左折して道なりに右へ曲がりながら進んでいくと、岡田バス停の手前にがあります。 脇に出る「法宝寺300m」などの看板に従って、へ入っていきます。 すぐにある分岐を直進し、左右の路地を見送って坂道を登っていくと、法宝寺の手前に「室尾山 法寶寺」の石柱が立つ駐車場があるので、 ここに車を止めさせて頂きました。
脇にはが三つ並んでいて、「壹番」,「二番」,「三番」と刻まれています。
高野山 真言宗 法宝寺
薬師如来(県重文)
宝篋印塔(県重文)
但馬六十六地蔵 札所
←300m
兵庫県指定有形文化財
←300m石造宝篋印塔
←50m冑塚古墳
←50m長束古墳
八幡神社
駐車場から西へ続く道を軽く降って左への曲がり角まで来ると、小川にが架かっています。 小橋を渡っていくと小広いに出ます。 境内を横切っていくと法宝寺跡へ続く旧参道に出られますが、 八幡神社を訪ねていくべく右に続くを登っていきます。 踊り場を過ぎて石段を登っていくと、右側に不動明王を祀るがあります。 更に石段を登って小広い境内に着くと、一段高い所に「八幡宮」の扁額が掲げられた八幡神社があります。 駐車場から4分ほどの所になります。 拝殿の奥に本殿がある形になっています。 由緒などを記したものは見かけませんが、岡田地区の鎮守でしょうか。
社殿の左側を進んでいくとがあります。 笹やシダ類などが茂ってあまり歩かれていない様子のを降っていきます。 程なくして、左右に通るに出ます。 左へ曲がって柵沿いに進んで浅い谷筋に出ると防護扉があります。 八幡神社から1分ほどの所になります。 左右に渡された鉄棒を外し、上下に取り付けられた小さな回転レバーを回せば容易に開けることができます。
防護扉を抜けて、石がゴロゴロする沿いを登っていきます。 最初は荒れていますが、すぐに歩き易いになります。 山道にしては幅が広いので、かつて中腹にあった法宝寺へ続く旧参道のように思えます。 分岐(*)まで来て、U字形に窪んだを登っていきます。 道には「国土調査」の赤頭短杭が点々と設置されています。 少し曲がりながら登っていくと、手前で分かれてきた道とします。 植林地の斜面に続く広めの道を登っていくと分岐があります。 防護扉から6分ほどの所になります。 標識類は見かけませんが、窪んだ急傾斜の右の道は見送って、緩やかな左の道を進んでいきます。
*下山時に正面の道を歩きましたが、そちらが本来の旧参道のように思えました。
次第に傾斜が増してくるを右・左と曲がりながら登っていきます。 赤頭に交じって青頭も見かける「国土調査」のを確認しながら植林地の斜面を登っていきます。 手前の分岐から5回ほど曲がりながら登っていくと、上の方が明るくなってが近づいてきます。 少し左へ曲がりながら登っていくと、標高270mほどの尾根にあるに着きます。 防護扉から19分ほどの所になります。 右からは窪んだ合流してきます。 確かめた訳ではありませんが、手前の分岐から分かれてきた道のように思えます。 曲がりながら続いてきた道も結構傾斜が急だったので、周囲の様子を確認しながら呼吸を整えていきました。
小沢
落ち着いたところで、へ続く緩やかになった広めの道を進んでいきます。 僅かなになった道には少し倒木も見られますが、快適な道が続きます。 緩やかになった道を進んで僅かな谷筋に出ると、少し水が流れる小沢があります。 から5分ほどの所になります。 旧参道は正面の少し先を左へ曲がっていくように思えますが、倒木などがあって歩き難そうなので、 左に見えるテープが巻かれた樹木の所へ渡っていきます。
小沢を渡って、戻るように続く道を登っていきます。 すぐに右へ曲がっていくと、旧参道と思える右から登ってくるに出ます。 左へ続く広めの道を登っていくと、樹木が減ってに出ます。 道なりに右へ曲がって尾根の背に出ると分岐があります。 から9分ほどの所になります。 左側にはが生えていて、袂に「コナラ」の小板が落ちています。 角には(*1)が立っていて、 尾根を越えていく左の道は「室尾1.2km」、正面の道は「法宝寺跡50m」、今来た道は「岡田0.8km」となっています。 左の道(*2)も気になりますが、ここは正面の道を登っていきます。
*1 標識には「法宝寺跡50m」となっていますが、「万葉の森」の丸太小屋までは200mほどあります。
*2 後日に左の道を歩きました。 曲がりながら降って沢が流れる谷筋に出ると、壊れそうな丸太橋を渡っていきます。 横木の階段混じりの道が沢の北側に続いていますが、落ち葉や土が被っていて、階段があるのが分かり難くなっています。 倒木があったり笹が生えていたりしてあまり歩かれていない様子ですが、キャンプ場へ向かう道路に出られます。 (ルート図に緑色で表示)
*2 後日に改めて左の道を歩きました。(「室尾山」を参照)
法宝寺跡
尾根の背を登り始めると、「シカの影響を受けた森」と題したがあります。 その先で道が二俣に分かれているようですが、右側の道を登っていきます。 傾斜が緩やかになると(*)があります。 上下に取り付けられた小さな回転レバーを回せば容易に開けることができます。 防護扉を過ぎると、草に埋もれたを登るようになります。 右側に石垣が現れると、が階段を覆うようになります。 階段を登り切ると、なだらかになった植林地に出ます。 このなだらかな場所が法宝寺跡になるようです。 から16分ほどで登って来られました。
防護扉の手前から左前方へ分かれていく道があって、法宝寺跡を通る道の一段低い所に続いています。 途中には「室尾地区の文化財」と題した解説板があって、室尾地区の歴史などが記されています。 室尾山の南側には面積の狭い地区が並んでいますが、往時の繁栄の名残りのように思えます。 (ルート図に緑色で表示)
シカの影響を受けた森
この森には、多くのシカが住んでいます。 シカは植物をえさにしてくらしていますが数が多くなると森のようすがどんどん変化していきます。 森を観察してみるとシカと森の関係を知ることができます。
シカが多くなると森のようすが変わっていく仕組み
シカが多くなる
  → 餌が足りなくなる
      → 食べられる植物は食べつくされる
          → 好きな食べ物が多い林は、地面から植物が無くなってしまう
          → 嫌いな食べ物が多い林は、シカの食べない植物ばかりが残る
室尾地区の文化財
室尾地区は、天平21年(748)僧行基によって法宝寺が建立されるなど、古くから開けた場所です。 寛平年間(889)には、京都の石清水八幡宮の別宮として、法宝寺の隣接地に八幡宮(室尾別宮)も勧請されました。 七宝寺(高生田)、正眼寺(岡田)ともに三職として祭事をつかさどり、盛時には15坊を擁し、 寺領は、朝来郡、養父郡、出石軍にまたがる100町歩(100ha)千石に及んだといわれています。 戦国時代までの室尾は、出石と京都を結ぶ大きな街道筋に位置する交通の要衝でした。 このため多数の城郭遺構等が残されています。 しかしながら江戸時代になると、街道が円山川沿いに開設され、室尾はだんだん衰えていくようになりました。 明治に入ってからは、明治22年に養父郡糸井村室尾となり、この糸井村が昭和30年に養父郡南但町、 昭和21年朝来郡和田山町に、さらに平成17年に朝来市になりました。 人々の生活が変化する中で、大正4年に八幡神社はふもとの岡田に移され、昭和9年には法宝寺も岡田に移転しました。 昭和30年代から各戸が次々とふもとに移転を始めるようになり、 昭和44年には、桐原神社もおろされ、室尾地区の山中から人家はすべて移転しました。 現在、この付近に住む人はいませんが、法宝寺跡をはじめとした遺構によりかつての街道筋のにぎわいがしのばれます。
を振り返ると山並みが広がります。 を振り返ると、雪を頂いた山が見えます。 なだらかな所を進んでいくと「万葉の森」の表札が掲げられた丸太小屋があります。 その先には「法宝寺跡」のが設置されていて、 「」と題した地図が載っています。 その右奥の一段高い所には「」の標柱が立っています。 周囲の様子を確認しながら、休憩していきました。
法宝寺跡 天平年間に行基が開設した非常に古いお寺です
この場所にはかつて法宝寺がありました。 法宝寺は天平21年(748)僧行基によって建立されたといわれ、全国的に見て非常に歴史が古いお寺です。 戦国時代までの室尾は、出石と京都を結ぶ大きな街道筋に位置し非常に栄えた場所でした。 また、江戸時代になると街道が円山川沿いに開設され、室尾はだんだん衰えていくようになりました。 明治に入ってからは、明治22年に養父郡糸井村室尾となり、この糸井村が昭和30円に養父郡南但町となり、 昭和31年朝来郡和田山町に、さらに平成17年朝来市になりました。 現在、この附近に住む人はいませんが、法宝寺跡をはじめとした遺構によりかつての街道筋のにぎわいがしのばれます。
年号西暦できごと
天平20年748 室尾山法宝寺が行基によって建てられた。
弘仁8年817 法宝寺の本尊を弘法大師が開眼し真言宗になると伝えられている。
寛平年中889 京都石清水八幡宮より八幡神社を勧進する。
鎌倉時代 法宝寺おおいに栄え、15の堂宇を有する。仁王像、阿弥陀如来像つくられる。
室町時代 法宝寺一帯は京都と出石を結ぶ街道として栄える。
応仁2年1468 夜久野が原の戦いで法宝寺が兵火に焼かれるが、再建される。
天正5年1577 11月9日但馬に侵攻した秀吉軍(小一郎秀長)、法宝寺に制札:破壊略奪の禁止命令を出す。(岡田の法宝寺に現存)
江戸時代初期 江戸中期以降、街道筋からはずれ法宝寺の勢力衰える。
大正4年1934 八幡神社岡田村に移転。
昭和9年1955 法宝寺庫裏大雪にて倒壊、岡田村に移転。
昭和30年代1955 このころから生活の不便さにより、一軒また一軒と麓への移転が進む。
「万葉の森」のの所から道が二手に分かれていますが、 正面に登っていく道は少し先で行き止まりなので、左前方に続く道を降っていきます。 左にを眺めながら軽く降っていきます。 すぐの所にがあります。 路肩が崩れた左の道はキャンプ場へ続いていますが、「室尾山頂1.3km」のが指す右の道を登っていきます。 軽く登っていくと防護扉があります。 これまでの扉と同様に、上下に取り付けられた小さな回転レバーを回せば容易に開けることができます。
植林地に入っていくと、、正面が明るくなった所に「この付近の森(スギ・ヒノキ人工林)」のがありますが、 汚れがひどくて解説文は読めませんでした。 道は解説板の所から曲がっていきます。 左へ曲がりながら登っていくと、が道を塞いでいます。 倒木を過ぎていくと、右の尾根の背を登っていく道があります。 法宝寺跡から7分ほどの所になります。 左側にはがありますが、下山時に立ち寄ることにします。
尾根の背を登り始めると、右側に「室尾山頂1.1km」のが立っています。 そのすぐ先には「21世紀の森入山口」のがあり、 支柱には「室尾山」の小板が取り付けられています。 が少し生える所を登っていきます。 赤頭や青頭の「国土調査」の短杭が続く山道を登っていきます。 植林地に入って左へ曲がり始める所まで来るとが立っていて、 左へ曲がっていく道は「室尾山頂0.95km」、右の道は「作業路 この先悪路」、今来た道は「法宝寺跡0.35km」となっています。 傍にある切り株には「室尾山」のが取り付けられています。
21世紀の森入山口 山の教室
平成元年より心豊かな人作りを目的に、手作りの森作りを子供たちとやっております。 モミジ・山帽子・コナラの植樹、遊歩道・丸太小屋の整備、子供たちは「良い体験や自然の大切さ」を学びました。 森は子供たちの思い出作りの空間であり、生きるすべを習う教室です。
山の教室
左へ曲がりながら登って植林地を抜けると、雑木林のに出ます。 ここで道は右へ曲がっていきます。 入口の樹木の袂には「室尾山」のがあって、傍には杖のようなものも置かれています。 植林地と雑木林を分けるを登っていきます。 少し登り傾斜が増してくると木製の土留めがあります。 傍にはが立っていて、 左の土留めの先に続く道は「室尾山頂0.9km」、右の道は「作業路 この先悪路」、今来た道は「法宝寺跡0.4km」となっています。 傍の木には「室尾山」の小板が取り付けられています。
キャンプ場分岐
左のの先に続く道を登っていきます。 道には「図根多角」の黄頭短杭も見られます。 雑木林に変わる浅い谷筋まで来ると、涸れ沢を通す金属製のがあります。 U字溝を跨いで雑木林の斜面を横切るように登っていくと分岐があります。 法宝寺跡から19分ほどの所になります。 脇にはが立っていて、 正面の道は「室尾山頂0.8km」、左の道は「キャンプ場」、今来た道は「法宝寺跡0.5km」となっています。 (*)はキャンプ場へ降っていけますが、室尾山へ向かって正面の道を登っていきます。
*左の道は「室尾山」を参照。
雑木林の斜面を横切るように登っていくとに出ます。 正面にはが立っていて、 右へ続く道は「室尾山0.75km」、今来た道は「キャンプ場」となっています。 右の尾根を登っていくと、すぐの所にが立っていて、 正面の道は「室尾山0.7km」、今来た道は「キャンプ場」となっています。 標識を過ぎていくと、尾根の右斜面を登るようになります。
男山分岐
冬枯れの樹間から僅かにを眺めがら登っていきます。 尾根を回り込むように左へ曲がりながら進んでいくと、がある尾根が見えてきます。 植林地になった僅かな谷筋まで来ると分岐があります。 法宝寺跡から28分ほどの所になります。 脇にはが立っていて、 正面の道は「男山0.1km」、左の道は「室尾山頂0.55km」、今来た道は「キャンプ場」となっています。 脇の樹木には「室尾山へ」と書かれた小板が取り付けられていて、左の道を指しています。 正面の道(*)は男山へ続いていますが訪ねるのは省略して、 室尾山へ向かって左の短いの先に続く道を登っていきます。
男山へ続く道は「室尾山」を参照。
植林地の斜面を1分ほど登っていくとに出ます。 出た所にはが立っていて、 右に続く道は「室尾山頂0.5km」、今来た道は「キャンプ場」となっています。 右の尾根を登り始めると、すぐの所にある丸太のを過ぎていきます。 展望が得られない植林地のを登っていきます。 次第に傾斜が増して明るい尾根に出ると、手前の樹木に「室尾山」の小板が取り付けられています。
植林地と雑木林を分ける明るくなったを登っていきます。 写真ではよく分かりませんがかなり傾斜が急で脹脛が痛くなり息も切れてくるので、 何度も立ち止まって呼吸を整えながら登っていきました。 右側に続く浅い谷筋にはが見られるようになります。 が生える狭まった尾根を登っていきます。 雑木林になった尾根を登っていくと、道が分岐(*)してます。 男山分岐から15分ほどの所になります。 左脇には黄テープが巻かれた木があって、その袂には「図根多角」の黄頭短杭があります。 標識類は見かけませんが、左の道よりも傾斜が緩そうな右の道を登っていきます。
*左右の道はこの先で合流します。
雑木林のを登っていきます。 冬枯れの樹間からは僅かにが見えます。 植林地の手前まで来て道なりに左へ曲がって登っていくと、分かれてきた道と合流するに出ます。 ここでも道が分岐していますが、少しでも傾斜が緩そうな左の道を登っていきます。 残雪が見られるようになるを登っていきます。 少し右へ曲がりながら登っていくと、分かれてきた道と合流する尾根の背に出ます。
室尾山 (標高629.5m)
少し傾斜が緩んできた尾根を登っていくと、次第にが目立つようになります。 登るにつれての量が増えて道全体を覆うようになりますが、深くても3p程度だったので助かりました。 これ以上残雪が深くならないようにと願いながら登っていくと室尾山の山頂に着きます。 男山分岐から24分ほどで登って来られました。 中ほどには「岡田山」があるので、地形図に載っている629.5m峰になるようです。 以前に来た時には「室尾山 六二九.七米」の標柱が立っていましたが、この時には三角点の傍に倒れていました。
室尾山の山頂は樹木に囲まれていて展望はあまり良くありませんが、 北西側が少し開けていて山並みを眺めることができます。 ズームアップすると、の奥に雪を頂いた尾根が連なっていますが、 方角からすると氷ノ山でしょうか。 北へ延びる尾根の入口の樹木には「室尾山 山頂」のが取り付けられています。 の方角にも、冬枯れの樹間から僅かに山並みが見えます。 には緩やかな尾根が続いています。 麓から眺めると室尾山は台形をしているようですが、この山頂は上辺の西端に当たるようです。 当初は東南東400m辺りにある標高620mほどの東端の高みまで行く予定でしたが、残雪があるので止めることにしました。 周囲の様子を確認しながら休憩していきました。
室尾山からを引き返していきます。 残雪が減って降り傾斜が増し始める所まで来ると、尾根の少しを降るようになります。 登ってきた時には右側からこの辺りに出たように思うものの、はっきりとした場所は分かりませんでした。 傾斜が増した尾根を降っていくと、尾根の背を跨ぐようにに続く道が横切っていきます。 左右の道は登ってきた道になりますが、このまま真っ直ぐ降っていきます。 滑り落ちないよう足元に注意しながら急な尾根を降っていくと、分かれてきた道が左から合流してきます。 手前にはが巻かれた木があって、その袂には「図根多角」の黄頭短杭があります。
少し傾斜が緩んで歩き易くなるを降っていきます。 少しが生える狭まった尾根を降っていきます。 次第に傾斜が増してくる尾根を降っていくとへ入っていきます。 次第に傾斜が緩やかになって丸太のベンチを過ぎていくと、 「室尾山頂0.5km」「キャンプ場」の標識が立つ曲がり角に着きます。
男山分岐
「キャンプ場」の標識に従って、左へ続く少しを降っていきます。 の斜面を横切るように降っていきます。 短い横木の階段を降ると、「室尾山頂0.55km」「男山0.1km」「キャンプ場」のが立つ分岐に着きます。 室尾山から15分ほどの所になります。 男山(*)を訪ねるのは省略して、 「キャンプ場」の標識に従って、戻るようにして続く元来た道を進んでいきます。
男山へ続く道は「室尾山」を参照。
キャンプ場分岐
植林地の斜面を横切るように降っていくとになります。 アセビが少し生える所を過ぎていくと、植林地になったに出ます。 「室尾山0.7km」「キャンプ場」の標識を過ぎていくと、尾根の背を外れて曲がっていきます。 曲がり角には「室尾山0.75km」「キャンプ場」の標識が立っています。 になった斜面を横切るように降っていきます。 冬枯れの樹間から僅かに山並みを眺めながら降っていくと、 「室尾山頂0.8km」「法宝寺跡0.5km」「キャンプ場」のが立つ分岐に着きます。 男山分岐から7分ほどの所になります。 キャンプ場へ降る右の道(*)は見送って、「法宝寺跡0.5km」の標識が指す元来た正面の道を進んでいきます。
*右の道は「室尾山」を参照。
少し左へ曲がりながら降っていくと、涸れ沢を通す金属製のがある浅い谷筋を回り込んでいきます。 植林地になった斜面を降って石垣や土留めがある所まで来ると、 「室尾山頂0.9km」「法宝寺跡0.4km」の標識が立って「室尾山」の小板が取り付けられた木がある作業路とのに出ます。 右へ曲がって降っていくと、雑木林のに出ます。 樹木の袂には「室尾山」の小板があって、傍には杖のようなものも置かれています。 左へ曲がって植林地を降っていくと、「室尾山頂0.95km」「法宝寺跡0.35km」の標識が立って「室尾山」の小板が取り付けらた切り株がある作業路とのに出ます。 道なりに右へ曲がりながら降って太い竹が少し生える所を降っていくと、 樹木の袂にある「21世紀の森入山口」の標識の所に戻ってきます。
里山体験学習館
すぐ先にある「室尾山頂1.1km」の標識を過ぎていくとに出ます。 は左の倒木の先に続いていますが見送っていきます。 正面の開けた所を進んでいくと「室尾地区の文化財」と題したがありますが、 法宝寺跡の一段低い所の道にあるのと同じ解説文になっています。 法宝寺跡にあった解説板と同様のも載っていますが、「現在位置」が間違っているようです。 正面に広がる山並みを眺めながら左前方へ降っていくと建物が二つあります。 男山分岐から18分ほどの所になります。 には「里山ギャラリー」「室尾里山保存会」「山の教室 室尾小屋」の標識が掲げられ、 には「里山体験学習館」の標識が掲げられています。
切通
奥の建物の右側を進んでいくと、左へ降っていくがあります。 広い道を降り始めるとがあります。 以前に来た時にはしっかりとしていましたが、この時には倒壊していました。 傍には「里山農園」の標柱が立っています。 小屋を過ぎて降っていくと、右下にとその先に延びる舗装路が見えてきます。 それらを眺めながら広い道を降っていくと切通のような所に降り立ちます。 里山体験学習館から3分ほど、室尾山から37分ほどで降りて来られました。 (*)を30mほど降ると、 先ほどから見えている建物や舗装路へ出られますが、左の切通を抜けていきます。
*右の道は「室尾山」, 「室尾山」を参照。
法宝寺跡
切通を過ぎた所にが立っていて、 左の道は「法宝寺跡200m」、右の横木の階段は「室尾城跡180m」となっていますが、 室尾城跡(*)を訪ねるのは省略して左の道を進んでいきます。 すぐの所にがあります。 角に立つ右の道を指す標識には「行き止まり」となっています。 右の道は法宝寺跡の一段低い所に続く道になりますが崩落した所もあって歩き難いので、 「火の用心」の赤い標識が立つ左の道を登っていきます。 軽く登っていくと、路肩がしている所があります。 更に進んでいくとがありますが、 上下に取り付けられた小さな回転レバーを回せば容易に開けることができます。 再びある路肩が崩落した所を登っていくと、「室尾山頂1.3km」の標識が立つに出ます。 左の道を見送って登っていくと、なだらかな法宝寺跡に着きます。 切通から6分ほどの所になります。
室尾城跡は「室尾山」, 「室尾山」を参照。
小沢
先の方にある石垣の脇から、枯れススキが覆うを降っていきます。 次第に傾斜が緩やかになるとがありますが、 上下に取り付けられた小さな回転レバーを回せば容易に開けることができます。 「シカの影響を受けた森」と題した解説板を過ぎて降っていくと、 「室尾1.2km」「法宝寺跡50m」「岡田0.8km」の標識が立つに出ます。 右の道(*)を見送って左へ曲がって降っていくとがあります。 登ってきたのは右の道になりますが、このまま正面の道を進んでいきます。 崩落気味の所を過ぎて降っていくと、倒木などがある荒れた小沢に出ます。 法宝寺跡から7分ほどの所になります。
*右の道は「室尾山」を参照。
右へ曲がって、少し水が流れる荒れたを渡っていきます。 倒木などがあるを進んでいきます。 少しになると、僅かな倒木を跨いでいきます。 傾斜が緩やかになると、標高270mほどの尾根にあるに着きます。 法宝寺跡から12分ほどの所になります。
を越えると正面に窪んだ急傾斜の道がありますが、登ってきたへ続く道を降っていきます。 赤頭に交じって青頭も見かける「国土調査」の短杭を確認しながらの斜面を降っていきます。 右・左と大きく曲がりながらの斜面を降っていきます。 5回ほど曲がりながら降っていくと、 左から窪んだ急傾斜の道がしてきます。 左からの道を併せて左へ曲がりながら降っていくと分岐があります。 から12分ほどの所になります。 登ってきたのは右前方の道になりますが、軽い登り坂になった正面の道を進んでいきます。
軽く登って左へ曲がり始めるとになります。 少し降っていくとに出ます。 道なりに右へ曲がって、を降っていきます。 程なくして、最初に登っていったU字形に窪んだ道が右からしてきます。 右からの道を併せて石がゴロゴロする涸れ沢沿いを降っていくと、最初に通過してきた防護扉に着きます。 から16分ほどの所になります。
防護扉を過ぎると八幡神社からが左にありますが、見送っていきます。 正面に続く荒れてを進んでいきます。 抉れはすぐになくなって歩き易くなる道を軽く降っていくと、八幡神社の下にある小広いの脇に出ます。 境内に入って元来た道を進んでも良いのですが、このまま正面の道を降っていきます。 道なりに左へ曲がりながら降っていくと、小川に架かる小橋に出ます。 小橋の手前から左へが続いています。 入口には頭が取れた石仏があって、台座には「新四國八十八ヶ所 法寶寺」と刻まれています。
岡田地区
小橋を渡っていくと「室尾山登山口」のが立っています。 車道に出て左へ登っていくと、最初に渡っていったがあります。 道なりに右へ曲がって坂道を登っていくと、左右に通る車道の先に車を止めておいた駐車場があります。 から24分ほどで降りて来られました。
法宝寺
家路につく前に、傍にある法宝寺を訪ねていきました。 「室尾山 法寶寺」の石柱の脇から坂道を登っていくと、左側にがあります。 門をくぐっていくと、正面の石段の上になどあります。 右のを進んでいくと石段の上に本堂があって、 「室尾山 法宝寺 本尊 薬師如来 納経所」や「養父郡八十八ヶ所霊場 御本尊 薬師如来 第六十七番札所 法宝寺」の木札が掲げられています。 更に右へ進んでいくと、「但馬六十六地蔵 第四十五番札所 岡田 地蔵堂」の板が掲げられたがあり、 傍には天然記念物に指定されている大きなクスノキがあります。 右側にはの街並みや山並みを見渡せます。 (所要時間に含めず)
朝来市指定文化財 金剛力士立像(彫刻)
平成25年10月22日指定
向かって右に阿形の那羅延金剛、左に吽形の密迹金剛の一対。 口を開けた阿形は、右手を下げて五指を下に向けて広げ、左手は曲げて独鈷所を持つ。 右足を右前に出し、左足を軸に立つ。 口を閉じた吽形は、右手を下げて五指を下げて広げ、左手は曲げて拳を握る。 左足を左前に出し、右足を軸に立つ。 両像とも前後左右に立て四材を寄せたヒノキの寄木造で、眼は玉眼(水晶)を入れ内身部の彩色は、ベンガラの朱を塗る。 幅広い胸や、腕や膝、背中の筋肉表現、腰や裳の衣文の表現には鎌倉中期から後期にかけての写実的な表現感覚がうかがえる。
平成25年10月 朝来市教育委員会
法宝寺略縁起
当山は、朝養二郡の境の室尾山に、天平20年(748)に行基菩薩が開山、 弘仁8年(817)に空海商人巡錫のおり本尊の開眼をされたと伝える。 往古は石清水八幡宮を勧請し、その別当として本坊法宝寺、岡田正眼寺、新岡七宝寺がつとめ(三職)十五ヶ坊、宝塔等の七堂伽藍が完備し、 千石の寺領を有して南但の名刹として栄えた。 天正5年(1577)には秀吉但馬攻ありその際寺を兵火から守るための禁制札がおかれた。 寺領もこの時没収されたという。 近世に入って寺運も衰え寺領も減じ、まして明治の廃仏棄釈には八幡宮とも分離し衰退の度を加えた。 昭和9年(1934)の大雪には庫裡倒壊の大打撃を受け、その再建に際し、俊猛法印と檀徒は幾多の難問を解決し、 昭和11年(1936)に山麓のこの地(浜家屋敷跡)に移転し法灯を現在に伝えている。
高野山 真言宗 室尾山 法宝寺
朝来市指定文化財 法宝寺のクスノキ(天然記念物)
平成25年10月22日指定
元文一揆(1738)で東河庄野村の庄屋であった小山弥兵衛は遠島により壱岐(長崎県)へ流された。 弥兵衛には孫娘(後の心諒尼)があり、幼い頃に祖父の健在を知った心諒尼は、尼になれば全国に修行の旅に行けると考え、 祖父に会いたい一心で仏門に入り修行を行い、師の許しを得て、寛政元年(1789)壱岐に渡り、弥兵衛と対面をはたした。 在島50年の弥兵衛は自分が無事であることを野村に伝えてほしいという願いとともに、三本のクスノキの苗木を持ち帰らせた。 心諒尼はこれを小山家、夜久家(弥兵衛の母の里)、浜家(弥兵衛の妻の里、現法宝寺)に植えた。 今日残っているのは、このクスノキのみであり、亭々とそびえるクスノキに、清純至誠の生涯を送った心諒尼が偲ばれる。
幹周4.53m 枝張17.5m 樹高約23m 樹齢200年超
平成25年10月 朝来市教育委員会
但馬六十六地蔵尊
但馬地方を巡る総延長約175kmの道に祀られているお地蔵さんです。 新羅の王子の天日槍(あめのひぼこ)が但馬に渡来し、当時は泥海だった土地を開拓した際に、 泥が早く乾いて地面が固まるようにと祈願して祀られたようです。
1 香美町香住区七日市
2 新温泉町福富
3 新温泉町三谷
4 新温泉町井土
5 新温泉町金屋
6 新温泉町久斗山
7 香美町香住区大野
8 香美町香住区下岡
9 香美町香住区奥安木
10 香美町香住区相谷
11 豊岡市竹野町奥須井
12 豊岡市竹野町松本
13 豊岡市竹野町羽入
14 豊岡市竹野町林
15 豊岡市竹野町御又
16 豊岡市竹野町床瀬
17 豊岡市日高町太田
18 豊岡市日高町山宮
19 豊岡市日高町羽尻
20 豊岡市日高町田口
21 豊岡市日高町名色
22 豊岡市日高町稲葉
23 豊岡市日高町山田
24 香美町村岡区長瀬
25 香美町村岡区味取
26 香美町村岡区和田
27 香美町村岡区村岡
28 香美町村岡区福岡
29 養父市関宮町福定
30 養父市関宮町関宮
31 養父市八鹿町高柳
32 養父市八鹿町馬瀬
33 養父市八鹿町天子
34 養父市稲津
35 養父市伊豆
36 養父市大屋町山路
37 養父市内山
38 朝来市桑市
39 朝来市生野町円山
40 朝来市柴
41 朝来市和田山町筒江
42 朝来市和田山町殿
43 朝来市和田山町枚田
44 朝来市和田山町玉置
45 朝来市和田山町岡田
46 朝来市和田山町林垣
47 朝来市和田山町高田
48 養父市上薮崎
49 養父市八鹿町伊佐
50 養父市八鹿町浅間
51 豊岡市日高町浅倉
52 豊岡市日高町藤井
53 豊岡市佐野
54 豊岡市滝
55 豊岡市城崎町来日
56 豊岡市城崎町湯島
57 豊岡市津居山
58 豊岡市城崎町楽々浦
59 豊岡市城崎町結
60 豊岡市金剛寺
61 豊岡市下宮
62 豊岡市出石町奥小野
63 豊岡市但東町木村
64 豊岡市出石町寺坂
65 豊岡市出石町出石
66 豊岡市出石町奥山