宝山
概 要 宝山(田倉山)は朝来市和田山町と福知山市夜久野町の境にある標高349.7m(点名:倒鞍山)の山です。 南麓は宝山公園になっていて、「夜久野高原八十八ヶ所石仏巡り」も設定されています。 今回は夜久野茶堂付近の駐車場を起終点とし、林道を通って展望地まで登り、そこから山頂へ向かいます。 山頂からは北側にある白井峠を経て大町藤公園へ降ります。
起 点 福知山市夜久野町 平野地区
終 点 福知山市夜久野町 平野地区
平野地区…夜久野茶堂…林道入口…展望地…宝山…白井峠…大町藤公園…大森神社…林道入口…平野地区
所要時間 2時間20分
歩いて... 展望地までの林道に急傾斜の所はありませんが、湿度が高くて大汗を掻きました。 展望地から山頂までは横木の階段混じりの広い道が続きます。 白井峠へ降る尾根に明瞭な道はありませんが、植林地になっていて歩くのに問題はありません。 白井峠から大町藤公園へ降る谷筋には、最初は幅の広い道が見られますが、次第に道が狭く不明瞭になります。
関連メモ 宝山, 宝山, 宝山
コース紹介
平野地区
朝来市和田山町から県道273号を東進していきます。 バイパスに入って大町藤公園の入口を過ぎ、再び県道273号に入ってロータリーを左折していくと、 右から来る県道63号を合わせ左へ府道63号を分けた先に夜久野さわやかトイレがあります。 トイレの隣に車5台分の駐車場があるので、ここに車を止めさせて頂きます。 脇には「」の案内板(*)があって、今回登る宝山が載っています。
*案内板が以前にあった夜久野茶屋の所に「現在地」が記されていて、現状と合っていません。
夜久野高原八十八ヵ所石仏群巡拝コース
夜久野八十八ヵ所石仏について
夜久野八十八ヵ所石仏は、夜久野茶堂を中心として夜久野高原一帯に設けられた88の石仏で、 詩虚空八十八ヵ所大師霊場を移したものである。 夜久野茶堂は、本尊に弘法大師をまつているために、別名「大師堂」とも呼ばれている。 これは、寛政の昔(1789年〜1801年)一堂貞心禅者が諸国巡歴の途中、この地に至り、 草のおい繁った広野に水がなく旅人の難渋するを見て、ここに水を引き庵を再建し、茶を煮て旅人に供したと伝えられている。 この茶堂境内に石仏の第1番があり、金毘羅山、内藤塚、宝山を巡り、8の字を画くコースで全コース約4時間である。 創設時期は、文化13年(1816年)に日置村の住人が弘法大師像一体を刻んだのがはじまりとされ、翌年に完成している。 各霊場にあたる場所には、それぞれ四国八十八ヵ所観音札所と同名の観音像と弘法大師像が並べて立てられている。 建立年月、発起人、世話人などは、第1番に代表して刻まれている。
●1日コース… 一番から八十八番まで番号をおって巡拝する全周コース。
(所要時間…3時間〜4時間)
●健脚コース… 一番から七十一番までの山道中心の半周メインコース。
六十八番の後下山すれば京都府緑化センター・宝山公園がセットできます。
(所要時間…2時間)
●集約コース… 一番から十番まで引き返し茶堂を中心に八十八番、京都府緑化センター・宝山公園等自由に散策するコース。
(所要時間…1時間)
福知山市、福知山観光協会夜久野支部
夜久野茶堂
車で来たを引き返していきます。 四叉路を直進していくと、すぐに夜久野茶堂があります。 入口には夫婦イチョウの大木があって、 「夫婦イチョウと放光院」・「夜久野茶堂」・「夜久野茶堂(放光院)」の解説板が並んでいます。 境内には八十八ヵ所石仏群の1番と2番のが納められた祠があり、 70番と71番の石仏もあります。 いずれの石仏にも番号が書かれたドーナツ状の石があります。 可愛らしい仏像の看板があるもあって、座って写真を撮れそうです。
夫婦イチョウと放光院
推定樹齢300年とされる大イチョウは、幹周り3.6メートル、樹高30メートルの堂々たる樹勢を誇ります。 秋には多くのギンナンが収穫できる恵の樹でもあります。 地元では雌雄株よろしく二本の幹が寄り添いながら大地に根を張っている様子から「夫婦イチョウ」として古くから親しまれています。 夫婦円満、家内安全、縁結び、子宝成就の巨木としてもあがめられています。 この大イチョウは1700年代から今日に至る夜久野ヶ原の歴史をはじめとして「一道貞心」(境内に供養塔)、「茶堂水碑」(境内に水碑)、 「放光院」(大師堂・茶堂とも呼ばれ、その由来は境内の立て看板「夜久野茶堂」に解説)等々在りし日の出来事と歴史の足跡を我々に語りかけてくれます。 その他にも境内には「八十八ヶ所巡り」の案内看板が見られ、建てられた石仏からこの地方の大師信仰が伺えます。 放光院に弘法大師が安置されている所以です。 また秋になりますと、この境内はイチョウと紅葉が織りなす鮮やかな色彩に彩られ、見る者を重ね色の世界に誘ってくれます。 平成25年秋に、社団法人兵庫県緑化推進協会の「ふるさとの巨樹保存事業」の助成を受けて、 イチョウの根を活性化させるための土壌改良と樹勢安定を図る樹冠整形を施しています。 この他にも金浦区内や隣接地域には、太古の昔は火山だった田倉山、海に由来する磯部金浦池・鯨峠、 応仁の乱と夜久野合戦の古戦場、山城のあった夜久野城跡、山陰道裏街道・成相道、一里塚・道標、 春の江戸彼岸桜と秋の紅葉樹林を有する金毘羅山等が知られています。 現在地よりこの近辺を探訪・散策すると新たな歴史との出逢いや発見がありそうな予感がします。
朝来市山東町金浦区自治会
夜久野茶堂
本尊 不動明王と弘法大師を祀る
開基 一道貞心禅師
由緒  寛政年間(1789〜1801)信州稲荷山の一道貞心が諸国巡歴の途、この夜久野ヶ原を通りかかり、 かや、すすきが生い茂り、狐狼の住む荒野に旅人が難渋するのを知って庵を建て旅の便を図ることを発意した。 田倉山長者ヶ谷より流れる水脈を辿り、現茶堂の位置に庵を結び、茶を煮て道行く人々に供したのがその始まりであると伝えられる。 ちょうど丹波、但馬の境界地点に位置していることから、但馬の山東町、和田山町と共に、丹波側夜久野においても、 特に境を接する旧上夜久野、中夜久野両村域の住民にとっては、我が村、我が里の寺院としての意識感情がある。 古くから伝わる茶道の春秋二回の「大師まつり」には深い親しみを持ちつづけ、今日も縁日は賑わいをみせている。 開基が一道貞心禅師であったので禅宗寺院に属するが、世俗に親しまれる弘法大師をまつるので大師堂と呼ばれてきたのであろう。 現堂宇は昭和二十四年(1949)直見西垣高源寺が廃寺となるに際して移築したもので、同寺本尊不動尊像と大師像を併せまつっている。
夜久野茶堂(放光院)
所在地兵庫県朝来市山東町金浦字スクモ塚630番地
由緒江戸時代後期・寛政年間(1789〜1801)
開基一道貞心禅師(1810没)
本尊弘法大師 観音立像 不動尊像
但馬と丹波の国境に跨がる夜久野ヶ原は山陰道裏街道の一要関として西国三十三ヶ所の27番「書写山」から28番「成相寺」に通じる巡礼道として善男善女の旅人が杖を曳いた「成相道」の一隅に夜久野茶堂(放光院)がある。 「一道貞心」禅師の開基なる夜久野茶堂は、信州稲荷山(長野県千曲川市)の産とされ、 武士、剣道の達人であったが、故あって僧門に入り、西国巡礼の旅の途この夜久野ヶ原に錫を止めた。 当時の夜久野ヶ原は、往還の一大難路で水が乏しく旅人の苦難を見かね此処に一寺を創し仏に旅人の一路平安を祈ると共に湯茶を接待するため、 僅かな手道具をもって日夜苦難のうえ水源を宝山(田倉山)長者ヶ谷から茶堂前まで六丁(約600m)の間に水を引き、 小さな茅葺きの庵を建て、十数年、旅人に湯茶を接待し行旅を慰めたことから「夜久野茶堂」(大師堂)とよばれており、 その資金は、付近住民の喜捨浄財によったものである。 「一道貞心」が建てた茶堂には弘法大師像が祀られ「夜久野大師」としてこの地方にその名が聞こえ、 夜久野ヶ原に八十八ヶ所の石仏を祀り、春、秋の2回の「夜久野大師祭」には各地から多数が参詣し、 当地方の一大名物として賑わいをみせ、今も祭事としてその名を残し引き継がれている。 夜久野茶堂を「放光院」というのは、明治40年、野間村(田ノ口)にあった放光庵が信仰上の都合により茶堂を移転し「放光院」とよばれている。 現堂宇は、昭和24年、廃寺になった上夜久野直見(西垣)の「高源寺」の建物を移築したもので弘法大師を祀る大師堂には観音立像と不動尊像を合わせて祀っている。
平成30年9月
林道入口
県道63号を左に分けて、を進んでいきます。 程なくして塩見牧場へ続く(*)が右へ分れていきます。 軽く登ってソーラーパネル群が見えてくるとがあります。 角には「八十八ヶ所石仏めぐり順路」のが立ち、背後に5番の石仏が佇んでいます。 右の道に入って曲がりながら登って傾斜が緩やかになると、地道が右へ分れていきます。 駐車場から12分ほどの所になります。 標識などは見かけませんが、右の道は林道宝山線というようです。
塩見牧場へ続く舗装路は「宝山」を参照。
右の道へ入っていくとすぐに分岐がありますが、夏草が茂り気味のを進んでいきます。 軽く登っていくと、小規模のを過ぎていきます。 左側にある広い所を見送っていくとがあります。 白い標柱の傍にコンクリートで囲まれた15cm四方ほどの穴がありますが、この穴の中に標石があるのでしょうか。 右へ曲がりながら登っていくと、小尾根を回り込む所に出ます。 林道入口から10分ほどの所になります。 ここから右へ降っていく(*1)が分れています。 入口には「夜久野高原八十八ヵ所石仏めぐり」の標識が立っています。 右の道は見送って左へ曲がると、すぐにがあります。 脇には「やくの高原八十八ヶ所石仏めぐり」の標識が立っています。 右の道(*2)からも展望地へ行けますが、今回は続く林道を更に登っていきます。
*1 右の道は「宝山」を参照。
*2 右の道は「宝山」,「宝山」を参照。
地籍図根三角点
地籍調査
少し荒れた所もあるを軽く登っていきます。 次第に低くなってくるに沿って登っていきます。 少し左へ曲がりながら進んでいくと、が明るくなってきます。 右へ回り込む所まで来ると分岐があります。 左へ分れていく幅の広い横木の階段の入口には「宝山噴火口跡地」のが立っています。 左の道(*)からも宝山へ登れますが、今回は見送っていきます。
*左の道は「宝山」を参照。
展望地
右へ回り込んでいくを進んでいきます。 次第にが低くなってきます。 しばらく登っていくと、尾根を回り込む開けた所に出ます。 林道入口から22分ほどの所になります。 脇には「」があって、 今回歩く予定にしている宝山から白井峠へ降る道が載っています。 駐車場で見かけたのと同じタイトルの「」の案内板もありますが、 雰囲気は少し異なっています。 少し雲が出ていますが、目の前にはを一望できる眺めが広がる展望地になっています。 ここから宝山へはもうひと息ですが、林道に急傾斜の所はなかったものの、湿度が高くて大汗を掻いて疲れたので、 設置されているに腰かけて、景色を眺めながら休憩していきます。
落ち着いたところで、宝山へ向かっていきます。 左へ回り込んだ所で道が三方に分れています。 先ほどの「宝山周辺案内図」によると、右へ戻るようにして降っていく道と左前方へ登っていく道は「散策路」、 正面へ続く林道宝山線は「林内作業路」となっています。 (*)は宝山公園塩見牧場へ降りて行けます。 入口には「やくの高原八十八ヶ所石仏めぐり」のが立っています。 宝山へ続いていて、入口には「夜久野高原八十八ヶ所石仏めぐり」の標識が立っています。
*右の道は「宝山」, 「宝山」, 「宝山」を参照。
広い間隔で続くを登っていきます。 段差が低くて登り易くなっています。 程なくしての石仏が佇んでいます。 少し傾斜が緩やかになって横木の階段が途切れると、の石仏を過ぎていきます。 の石仏を過ぎていくと登り傾斜が増してきます。 また続くようになる段差の低い横木の階段を登っていくと、60番の石仏を過ぎていきます。
宝山 (標高349.7m)
59番〜57番のが佇む道を登っていきます。 の石仏の辺りまで来ると御堂が見えてきます。 55番の石仏を過ぎると、御堂が建つ宝山の山頂に着きます。 展望地から6分ほどで登って来られました。 の中には54番の石仏が安置されています。 壁には御堂の建立に際して寄付や奉仕をされた方々の氏名が掲示されています。 ベンチも設置されているので、日差しを避けながらひと休みするのに良い所です。 御堂のすぐ先に「倒鞍山」があるので、地形図に載っている349.7m峰になるようです。 傍には「宝山 山頂(標高349m)」と「349.7m 宝山(田倉山)京都府唯一の火山」のが立っています。 周囲には樹木が生えていて展望は得られませんが、ここでも水分補給をしながら休憩していきます。
お礼
此のお堂の建築について多数の方々の御奉仕並に御鄭重な御寄附を頂きまして有難うございました。 厚く御礼申し上げます。
昭和55年9月
御堂建築寄附者御芳名 順不同 ・・・
三角点
基本測量
大切にしましょう三角点
国土地理院
落ち着いたところで、宝山の先へ続くを進んでいきます。 すぐの所に53番のが佇んでいます。 (*)は左へ曲がりながら続いていて、うっかりしていると進んでしまいそうになります。 明瞭な道は見かけませんが、方角を確認して、53番の石仏の右脇からが茂る所へ入っていきます。 トンネルのようになった樹木の下を過ぎていくと、すぐに植林地に出ます。
*左へ曲がりながら続く石仏巡りの道は「宝山」, 「宝山」を参照。
白井峠
背丈の低い笹が見られる植林地の斜面を降り始めると、 桃テープや青テープが巻かれた樹木の袂に「国土調査」や「十」のがあります。 点々と設置されている短杭を辿りながら、次第に尾根の背がはっきりしてくるを降っていきます。 先ほどの「宝山周辺案内図」に「散策路」として載っている尾根になります。 明瞭な道は見かけませんが、次第に笹が減り傾斜も弛んできてになります。 尾根を真っ直ぐ降っていくと、広めの道が尾根を越えていく鞍部になった峠に着きます。 宝山から10分ほどの所になります。 標識類は見かけませんが、手元の地図によると白井峠というようです。 中ほどには「国土調査」などのが並んでいます。 右側のすぐ下には(*)の曲がり角が見えていて、容易に降りていけます。 ここは地形図に破線で載っている峠越えの道を辿るべく、を降っていきます。
*林道へ降りる右の道は「宝山」を参照。
すぐに右へ曲がっていくを降っていきます。 この道にも「国土調査」の短杭が見られます。 次第になどが目立つようになって道が分り難くなりますが、 所々に設置されている短杭を確認しながら広めの道を辿って降っていきます。 次第に笹やシダ類は減ってきますが、道幅が狭くなりになってきます。 またシダ類が茂るようになるの斜面を曲がりながら降っていきますが、もはや明瞭な道は見かけなくなります。 短杭の場所を示していると思われるを探しながら降っていきます。 やがて、浅い谷筋の右側に降り立ちます。 白井峠から11分ほどの所になります。
大町藤公園
にも明瞭な道は見かけませんが、夏草やシダ類は背丈が低いので、歩くのに支障はありません。 少し水が溜まってもあるので、迂回しながら進んでいきます。 やがて右側に僅かなが現れます。 シダ類が茂る所を膝で掻き分けながら進んでいくと、明るくなった先の方にが見えてきます。 駐車場を取り巻く防護柵に沿って進んでいくとがあります。 鎖が掛けられているだけなので、容易に扉を開けることができます。 扉を抜けていくと、大町藤公園第3大町公園駐車場の東端に出ます。 白井峠から23分ほどで降りて来られました。 振り返って、防護柵のを眺めていきます。
大森神社
駐車場を斜めに横切って車止めを過ぎると、大町藤公園へ続くに出ます。 左前方へ続く車道を進み始めると、になっている駐車場があります。 駐車場を見送って県道273号のバイパスの手前まで来ると、左側にがあるので立ち寄っていきます。 小振りののような所をくぐっていきます。 石垣に設置された石段を登っていくと、正面に社殿があります。 大町藤公園の駐車場に出た所から6分ほどの所になります。 扁額は掲げられておらず由緒を記したものも見かけませんが、手元の地図によると大森神社というようです。 社殿の左右には境内社と思われる小祠がありますが、名前は分かりませんでした。
足首の辺りが少しチクチクするので、靴と靴下を脱いで確認すると、合わせて6匹ほどのヤマビルが両足に吸い付いていました。 朝露に濡れたシダ類などが茂る谷筋で取り付かれたようです。 急いでヤマビルを退治しながら、神社の前で休憩していきました。
ドクターヘリ臨時離着陸場
・救急ヘリコプターが使用する際は、安全確保にご協力ください。
・着陸から離陸まで、ヘリコプターには近寄らないでください。
・離着陸の際、砂埃がたつ場合がありますのでご注意ください。
朝来市 南但消防本部
石段を降りた先にあるのような所から大森神社を出ていきます。 すぐに県道273号のに出ます。 左へ曲がって、車で来たを登っていきます。 曲がりながら登っていくと、右から降ってくるが合流してきます。 次第に傾斜が緩やかになると、右前方へ登っていくが分れていきます。 まで来ると、右から降ってくる舗装路が合流してきます。
になる道を進んでいきます。 少し降っていくと、分岐の手前にが建っています。 小屋の手前には「やくの高原八十八ヶ所石仏めぐり」の標識が立っていて、左へ続く小径を指しています。 大森神社から15分ほどの所になります。 傍には12番の石仏が佇んでいます。 その奥には13番のがあって、背後に「」と題した小さな案内板があります。 脇から森の中へ巡拝コースの小径が続いていますが、今回は見送っていきます。 小屋の先にある分岐からへ入っていきます。
林道入口
少し登っていくとがありますが、左の地道は見送っていきます。 緩やかな所を過ぎて降り坂になると、民家の先にがありますが、左の道は見送っていきます。 すぐ先でをしていましたが、脇を通らせて頂きました。 軽く登ってに出ると、右側に山並みが広がります。
緩やかな道を進んでソーラーパネル群が見えてくると、最初に歩いていった林道宝山線入口に戻ってきます。 大森神社から25分ほどの所になります。
平野地区
曲がりながら降っていくと、5番の石仏が佇むに出ます。 左折して県道273号沿いの歩道を降っていくと、塩見牧場からのが左から合流していきます。 真っ直ぐ進んでまで来ると、県道63号が右から合流してきます。 府県境になっている四叉路まで来ると、夜久野さわやかトイレの隣に車を止めておいた駐車場があります。 大森神社から34分ほどで到着しました。