概 要 |
宝山(田倉山)は朝来市和田山町と福知山市夜久野町の境にある標高349.7mの山で、京都府内で唯一の火山です。
南麓は宝山公園になっていて、「夜久野高原八十八ヶ所石仏巡り」の順路も設定されています。
今回は東側の林道から白井峠へ登って、宝山へ向かっていきます。
山頂からは、宝山公園の散策路を降るルートを歩きます。
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起 点 |
福知山市夜久野町 平野地区
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終 点 |
福知山市夜久野町 平野地区
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平野地区…林道分岐…登山口…白井峠…宝山…展望地…宝山公園…緑化センター…夜久野茶堂…平野地区
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所要時間 |
2時間10分
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歩いて... |
歩き始める時は霧のために一面は白く霞んでいましたが、降って来ると晴れ渡っていました。
宝山への登り降りの道には雪が残っていて、深い所では膝下辺りまでありました。
山頂にあるはずの三角点は、雪が積もっていて確認できませんでした。
宝山からの下山路の途中にある展望地からは、夜久野の街並みを見渡すことが出来ました。
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関連メモ |
宝山,
宝山,
宝山
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平野地区
朝来市和田山町から国道9号を東進していきます。
夜久野峠を過ぎ、「ドライブインやくの」のすぐ先を左折していきます。
ロータリーに出て左折していくと「道の駅 農匠の郷やくの」があります。
今回はここに車を止めさせてもらいました。
この時には霧が立ち込めていて、辺りは白く霞んでいました。
駐車場の脇には「」と「」があります。
案内図によると、このすぐ北側にあるのんびり広場を経て上夜久野駅へ行けるようですが、
この時には雪が積もっていて道がよく分からなかったので、東側にある府道531号を通っていくことにしました。
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案内板の横から道に出て右へ進んでいくと、夜久野荘の前に「」があります。
夜久野町化石・郷土資料館、夜久野高原温泉ほっこり館、やくの本陣などを過ぎていくとロータリーに出ます。
そこから車道を東へ降って緩やかになると、府道531号のに出ます。
角には祠があって、お地蔵さんが七体安置されていました。
十字路を左折して、緑色の路側帯が設けられた道を進んでいきます。
左へ道を分けて軽く降っていくと、JR山陰本線のがあります。
踏切を渡ってすぐに左折して、線路沿いに進んでいきます。
竹林を過ぎた所で、と接します。
何れを進んでもいいのですが、左側の道のすぐ先にある上夜久野駅を経ていきました。
道の駅から15分ほどで着いた駅前には大きな「夜久野上観光案内図」がありますが、
かなり風化が進んでいて、文字はほとんど読めませんでした。
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電話ボックスの脇の石段を登って道路に出て左へ進んでいきます。
線路に沿って進んでいくと、鉄道の夜久野トンネルの入口が見えてきた所にがあります。
角には「消防水利」の円い標識が立っています。
ここを右折して、正面のこんもりとした山へ向かっていきます。
軽く坂道を登っていくとすぐに左右に道が分かれています。
右側には「あさ草の観音」の解説板が立っていますが、左側へ進んでいきます。
あさ草の観音
その昔、奥水坂から三つの谷を渡って三谷に出たある人が、朝露を払って草刈りをしていた。
その時、草むらの中にピカッと光るものを見つけ、とり上げて見ると親指ばかりの観音さまであった。
もったいなやと有難く奉じて持ち帰った。
朝、草の中から見つけ出したもので「あさ草の観音」と名づけた。
観音のお告げがあったので、この観音を奉じて東国への旅に出た。
武蔵野の一本の大木の下で休んでいると、背に負っている観音さまが重くなり、
動けなくなったのでここが観音のお住まいの土地であろうとそこに庵を建てておまつりをした。
今の東京浅草の観音はこれに由来するといわれている。
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左の浅い谷筋に広がる田んぼを眺めながら、山際に続く舗装路を進んでいきます。
田んぼが終わってに差し掛かると、次第に雪が目立つようになりましたが、
まだ歩くのにはそれほど支障はありませんでした。
しばらく進んでいくと、再び田んぼが広がるようになります。
の所から右へ分かれていく道を見送っていきます。
進むにつれて次第に霧が晴れてきて、目指す宝山が左側に見えるようになってきました。
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林道分岐
谷筋が狭まる所まで来るとがあります。
地形図では、二重線の道が南へ曲がっていく角になるようです。
正面の道には「車両通行止」の看板が出ています。
ここは左へ戻るようにして続く道を進んでいきます。
少し雪が増えてきた道を進んでいくと、右側の山際にがありました。
傍にはオリエンテーリングのポスト「H」が立っていました。
池を過ぎて更に進んでいきます。
右から左へと曲がっていくと、右へ戻るようにして道が分かれていく分岐があります。
上夜久野駅から26分ほどの所になります。
このまま進んでいくと宝山公園の方へ出てしまうので、ここはを登っていきます。
ダメダメ ここで遊んじゃダメ!
この池は農業用ため池です。
この付近で遊ばないで下さい。
(池管理者)
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登山口
これまでは自動車の轍が明瞭に残っていてまだ歩き易かったのですが、ここからはそれも消えて雪が深くなってきました。
雪がないと歩き易い道なのでしょうが、かなりの雪に苦労しながら登っていきました。
では膝下辺りまであって、歩くのに疲れてきました。
何度も立ち止まってひと息入れながら登っていきました。
尾根が近づいて左へ曲がる辺りまで来ると、右の植林地から合流してくるがあるように見えましたが、
積雪のために定かではありません。
道なりに左へ曲っていくと、右へ登っていく小径があります。
入口には赤テープが取り付けられていて、すぐ上にはらしい所が見えていました。
ここが宝山への登山口になります。
先ほどの林道分岐から12分ほどの所になります。
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白井峠
植林地を1分半ほど登っていくと峠に着きます。
名前を記したものは見かけませんでしたが、手元の地図によると白井峠というようです。
積雪のため道は明瞭ではありませんでしたが、ここから南へ続く尾根のを登っていきます。
後日に、 白井峠から 大町藤公園へ降るルートを歩きました。
(「 宝山」を参照)
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木が茂っているためか、これまでの林道よりも雪が少なくて歩き易いのは幸いでした。
点々と赤テープが取り付けられていて、山頂までの道を示しているようでした。
疲労困憊するほどの傾斜ではありませんでしたが、雪道のために次第に疲れてくるので、立ち止まっては呼吸を整えながら登っていきました。
3分ほど登っていくと、尾根の右側を巻くようなが分かれていくようでしたが、
そのまま正面の尾根を登っていきます。
登るにつれて正面が明るくなってきます。
あの辺りが山頂なのだろうと思うと、疲れてはいても気持ちに余裕が出てきました。
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宝山 (標高349.7m)
少し傾斜が緩んで樹木も疎らになると、が明るくなってきます。
広がってきた尾根を真っ直ぐに登っていくと、緩やかになった宝山の山頂に着きました。
白井峠から14分ほどで登って来られました。
ここは地形図に載っている349.7m峰で三角点もあるようなのですが、
この時には一面に雪が積もっていて、何処にあるのか分かりませんでした。
(後日に来てみると、三角点はお堂の右側数mの所にありました)
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山頂にはお堂があって、中にが三体安置されていました。
壁にはお堂建築への寄付者の名前が書き出してありました。
お堂の中には腰掛けるのに具合のいいベンチが設けられているので、しばらく休憩していきました。
御礼
此のお堂の建築について多数の方々の御奉仕並に御鄭重な御寄附を頂きまして有難うございました。
厚く御礼申上ます。
昭和五十五年九月
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落ち着いたら、お堂の左側に続く幅の広い横木の階段を降っていきます。
道には雪が積もっていましたが、僅かに段差が見られるので、階段があることが分かりました。
この道は「夜久野高原八十八ヶ所石仏巡り」のコースになっていて、
採番されたが道沿いに点々と佇んでいます。
後日に山頂から西へ続く尾根を歩きました。
(「 宝山」,
「 宝山」を参照)
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展望地
点々と佇む石仏を確認しながら幅の広い横木の階段を降っていくと、
左から右へ曲がりながら尾根を越えていく林道に出ました。
山頂から6分ほどの所で、ベンチが幾つか設置された展望地になっています。
「」や「」もありました。
眼下に広がる夜久野のを眺めながらひと休みしていきました。
車を止めてきた道の駅を探してみましたが、樹木に隠れて見えないようでした。
その北側にあるのんびり広場やベゴニア園は確認できました。
夜久野高原撮影ポイント
山火事を出さないようタバコのポイ捨てはやめよう
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眺めを確認したら、林道に出た所の左側から正面のに分かれていく道を降っていきます。
すぐの所に佇むを過ぎて、幅の広い横木の階段を降っていきます。
左側に広がる夜久野の街並みを眺めがら階段を降っていくと、向こう側を向いたがあります。
中には赤い前掛けをした石仏が三体安置されていました。
祠を過ぎて少し雪が少なくなってきた階段を1分半ほど降っていくと、再び祠があります。
中には赤い前掛けをした石仏が二体安置されていました。
脇にはオリエンテーリングのポスト「Z」が立っていました。
展望地の先へ続く林道は「 宝山」,
「 宝山」を参照。
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祠を過ぎて階段を降っていくと、すぐに分岐があります。
右には「八十八ヵ所石仏めぐり順路」の標識が立っていて、
この先の道は「55m先に67番石仏」、今来た道は「15m先に66番石仏」となっています。
傍には「」の立て看板が倒れていました。
左には「やくの高原八十八ヶ所石仏めぐり」の標識が立っていて、正面の道(*)を指しています。
左へ戻るようにして分かれていく道を指す標識は見かけませんでしたが、ここはを降っていきます。
*後日に正面の道を歩きました。
(「 宝山」,
「 宝山」を参照)
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再び雪が深くなってきたを右・左と大きく曲がりながら降っていきます。
樹間からなどを眺めながら降っていきます。
5分ほど降って僅かに登り始める所から、幅の広い横木の階段が右へ分かれて降っていきます。
標識類は見かけませんでしたが、ここはを降っていきます。
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宝山公園
横木の階段を真っ直ぐに2分ほど降っていくと宝山公園に降り立ちます。
展望地から13分ほどで降りて来られました。
左にはがあり、右にはがありました。
脇には「」と、宝山を歌った中学校歌が掲示されていました。
このは春や秋には綺麗に彩られるようですが、この時には雪が積もって寒々としていました。
宝山と宝山公園について
宝山(田倉山ともいう)は京都府福知山市夜久野町と兵庫県朝来市和田山町にまたがる京都府内唯一の火山です。
火山はおよそ30万年前から噴火を始め、何万年もかけて三回の溶岩噴出を起し、
その溶岩台地が夜久野ヶ原を形成しています。(六十四番石仏付近から一望できる)
この宝山は最後に噴出したスコリア(軽石)が堆積した火口丘であり、火口跡を巡る稜線の一部が山頂で、
標高349.7mの三角点が設置されています。
宝山公園はこの宝山の山腹にひらかれており、春は桜、秋は紅葉の名所として、
また江戸期の文化十三年から十四年にかけて設けられた夜久野八十八箇所石仏巡りの順路として、
また夜久野ヶ原を見渡せる手軽なハイキングコースとしても毎年多くの人たちが訪れています。
利用者の皆さんへ
公園は自然の中のみんなの施設です。譲り合って大切に使うとともに、
春から秋にかけては、ハチやイノシシ、マムシなどにも気をつけましょう。
次の人の為に、使用後のあと片付けをしっかりとお願いします。
(福知山市)
竜城中学校歌
一、 |
白雲なびく 竜ヶ城
仰ぐ五峰の 松風に
わが学び舎は 生気みち
若き力を 鍛えなん
ああ竜城 われらが母校
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二、 |
若草萌ゆる 牧川の
清きせせらぎ 音さえて
希望を高く かかげつつ
真理の道を 求めなん
ああ竜城 われらが母校
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宝陵中学校歌
一、 |
冬凛冽の 霜に耐え
青春翠に よそおえる
秀でて高き 宝山
勇姿を胸に 湛えなん
太古の空を こがしたる
真紅の炎 血潮とせん
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二、 |
夏七彩の 虹かかり
秋玲瓏の 月冴ゆる
聖なる丘陵の たたずまい
隆盛清く 受けつがん
誇りも高き 文明の
不滅の命 育まん
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三、 |
四季かがよえる 宝陵の
命の水を 併せつつ
光と流る 牧川や
いざふるいたて 諸人よ
理想の川を 尋めゆきて
大志の海に 船出せん
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正面に続く舗装路を降っていくと、すぐに左右に通る道に出ます。
手前には「」の標識があります。
左の道は白井峠への登山口へ向かっていった林道分岐へ続いているようです。
道標類は見かけませんが、右の道を進んでいきます。
1分ほど進んでいくと、右へ分かれていく道があって、その上にが見えていました。
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駐車場を見送っていくとがあります。
道標類は見かけませんでしたが、左の道を進んでいきます。
道なりに左へ曲がりながらを過ぎていくと、左右に通る府道63号に出ます。
出た所の脇には「」と題した案内板が設置されていて、簡単な案内図が載っていました。
道路の向かい側には「火山跡 宝山公園 入口P300」の看板が出ていて、今来た道を指しています。
振り返ると、今回登ったが聳え、
夜久野の街並みを見渡せたもよく見えました。
樹木見本園
公園や生け垣に利用される樹木「山桜・里桜」、京都自生の樹木を展示しています。
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緑化センター
右へ曲がっていくとすぐの所に京都府緑化センターの入口があります。
脇にある「」によると、
先ほど降ってきた道は緑化センターの敷地内のようでした。
車高2m以上の車両の進入はご遠慮下さい。
(京都府・緑化センター)
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夜久野茶堂
京都府緑化センターの入口を見送って車道をその先へ進んでいくとに出ます。
道の駅へは左へ進んでいくのですが、四叉路の右側すぐの所に夜久野茶堂があるので立ち寄っていきました。
お堂の前には「」と題した案内板(*)がありました。
*後日に来てみると、案内板は四叉路の角にある夜久野さわやかトイレの脇に移設されていました。
夜久野茶堂
本尊 不動明王と弘法大師を祀る
開基 一道貞心禅師
由緒
寛政年間(1789〜1801)信州稲荷山の一道貞心が諸国巡歴の途、この夜久野ヶ原を通りかかり、
かや、すすきが生い茂り、狐狼の住む荒野に旅人が難渋するのを知って庵を建て旅の便を図ることを発意した。
田倉山長者ヶ谷より流れる水脈を辿り、現茶堂の位置に庵を結び、茶を煮て道行く人々に供したのがその始まりであると伝えられる。
ちょうど丹波、但馬の境界地点に位置していることから、但馬の山東町、和田山町と共に、丹波側夜久野においても、
特に境を接する旧上夜久野、中夜久野両村域の住民にとっては、我が村、我が里の寺院としての意識感情がある。
古くから伝わる茶道の春秋二回の「大師まつり」には深い親しみを持ちつづけ、今日も縁日は賑わいをみせている。
開基が一道貞心禅師であったので禅宗寺院に属するが、世俗に親しまれる弘法大師をまつるので大師堂と呼ばれてきたのであろう。
現堂宇は昭和二十四年(1949)直見西垣高源寺が廃寺となるに際して移築したもので、同寺本尊不動尊像と大師像を併せまつっている。
夜久野高原八十八ヵ所石仏群巡拝コース
夜久野八十八ヵ所石仏について
夜久野八十八ヵ所石仏は、夜久野茶堂を中心として夜久野高原一帯に設けられた88の石仏で、
詩虚空八十八ヵ所大師霊場を移したものである。
夜久野茶堂は、本尊に弘法大師をまつているために、別名「大師堂」とも呼ばれている。
これは、寛政の昔(1789年〜1801年)一堂貞心禅者が諸国巡歴の途中、この地に至り、
草のおい繁った広野に水がなく旅人の難渋するを見て、ここに水を引き庵を再建し、茶を煮て旅人に供したと伝えられている。
この茶堂境内に石仏の第1番があり、金毘羅山、内藤塚、宝山を巡り、8の字を画くコースで全コース約4時間である。
創設時期は、文化13年(1816年)に日置村の住人が弘法大師像一体を刻んだのがはじまりとされ、翌年に完成している。
各霊場にあたる場所には、それぞれ四国八十八ヵ所観音札所と同名の観音像と弘法大師像が並べて立てられている。
建立年月、発起人、世話人などは、第1番に代表して刻まれている。
●1日コース… |
一番から八十八番まで番号をおって巡拝する全周コース。
(所要時間…3時間〜4時間)
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●健脚コース… |
一番から七十一番までの山道中心の半周メインコース。
六十八番の後下山すれば京都府緑化センター・宝山公園がセットできます。
(所要時間…2時間)
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●集約コース… |
一番から十番まで引き返し茶堂を中心に八十八番、京都府緑化センター・宝山公園等自由に散策するコース。
(所要時間…1時間)
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(福知山市、福知山観光協会夜久野支部)
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平野地区
十字路から東へ続くを進んでいきます。
雪原の奥に聳えるを振り返りながら進んでいきました。
「」を過ぎていくと、
十字路から11分ほどで「道の駅 農匠の郷やくの」に着きました。
入口にはが佇んでいました。
出発時には霧で霞んでいましたが、宝山へ登って戻ってくると、
の周囲は綺麗に晴れ渡っていました。
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丁度昼時になったので、駐車場の傍にあるに入って、
名物だという「十割そば」を食べていきました。
何かに載せるのか、この時には店内で料理の撮影が行われていました。
次々に出される料理を黒装束の綺麗なお姉さんカメラマンが写していました。
お腹も満ちたところで、北側にあるのんびり広場に出てみると、広場の先には青空に映える宝山を眺めることができました。
国道9号を挟んだ南側にあるに立ち寄ってから家路につきました。
やくの玄武岩公園案内板
この公園内に見られる玄武岩の柱状節理は、
今から30〜40万年前の宝山の火山噴火によって流出した溶岩(小倉玄武溶岩と呼ばれています)が冷え固まって形成されたものです。
また、この場所はかつて砕石場として利用されていた所であり、
園内にはまるで人工的に石を敷きつめたように、玄武岩の切り口が規則正しく並んでいます。
(夜久野町)
玄武岩
京都府内唯一の火山”田倉山”。
その田倉山が30数万年前に噴火した際の溶岩が冷え固まって出来た岩(火成岩)の一種が玄武岩です。
ここでは、玄武岩の垂直に立つ柱状節理とその上面の並行節理、溶岩流表面の発砲状態を観察することが出来ます。
玄武岩は大切な文化財です。
傷つけたり、持ち帰ったりしないで下さい。
ここの玄武岩の柱状節理は、京都府指定文化財です。(平成17年3月指定)
(夜久野町教育委員会)
福知山十景 小倉の玄武岩
京都府自然200選、府指定天然記念物。
宝山の噴火により噴出した溶岩が固まる時に形成された六角形の柱状節理が見られます。
夜間はライトアップされ、幻想的な空間となります。
【福知山十景めぐり】
大原神社と産屋 〜約23km〜
福知山城と福知山通り 〜約1km〜
由良川と音無瀬橋と花火大会 〜約10km〜
天寧寺 〜約25km〜
小倉の玄武岩 〜約23km〜
長安寺 〜約7km〜
三段池公園 〜約1km〜
元伊勢三社(外宮〜約3km〜内宮〜約0.4km〜天岩) 〜約5km〜
二瀬川渓流 〜約6km〜
大江山連峰・ブナの原生林・雲海
(福知山市観光振興課)
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