概 要 |
堂山は豊岡市の田結地区にある標高230.8m(点名:田結)の山です。
山頂までの道は「八十八ヶ所の森ハイキングコース」になっていて、八十八ヶ所霊場巡りの多くの石仏が出迎えてくれます。
山頂や尾根からは眺めが広がります。
今回は、風谷古墳を経て山頂へ登り、西光寺入口へ降るルートを周回します。
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起 点 |
豊岡市 田結地区
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終 点 |
豊岡市 田結地区
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田結地区…風谷古墳…稜線…鞍部…堂山…展望デッキ…西光寺入口…田結地区
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所要時間 |
2時間00分
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歩いて... |
風谷地先登り口から稜線に出るまでに標識類はありませんが、道は明瞭で疲労困憊するほどの急傾斜の所はありません。
しかし猛暑の中の登山とあって、止め処もなく噴き出す汗には参りました。
稜線に出ると、西光寺入口へ降るまで、採番された石仏が点々と続く登山道になります。
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関連メモ |
堂山,
捨ヶ鼻,
堂山,
堂山
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田結地区
城崎温泉から円山川の左岸に続く道路を北上し、河口付近に架かる港大橋を渡って県道11号を進んでいきます。
気比地区に入り、気比交差点の手前にある「気比の浜海水浴場」の標識が出るを左折して県道122号に入っていきます。
気比川に架かるを渡っていきます。
の手前まで来て右折していきます。
気比川北流に架かるを渡って海沿いに進んでいきます。
田結地区の集落の手前まで来ると広場があるので、ここに車を止めさせて頂きました。
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すぐに右側へ分かれていく道は見送って、色々な動植物が描かれたに沿って左へ曲がっていきます。
程なくして、カーブミラーが立つ(*1)があります。
防波堤には「」と題した案内図があります。
この図に載っている「風谷地先」へ向って、右の道へ入っていきます。
案内図とは少し違いますが、田結消防ポンプ庫の左側にあるを渡って左折していきます。
小川沿いに進んでいくと、左へ曲がっていく所にがあります。
右の路地に入り、民宿の先の最奥の民家を過ぎていくと地道になります。
脇には「豊岡市指定津波避難場所」「風谷地先登り口 この地点の海抜は6.8m」の(*2)が立っています。
*1 正面へ続く道は「 堂山」,
「 捨ヶ鼻」,
「 堂山」を参照。
*2 「登り口」とは 堂山の登山道を意味しているのではなく、風谷地先にある津波避難場所への入口を意味しているようです。
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風谷古墳
地道を進み始めると、すぐの所の左側に「豊岡市指定文化財 風谷古墳(1号墳)」のが立っています。
シダ類が茂って石がゴロゴロする所を登っていくと、程なくして大きな石で囲われた石室があります。
傍には「風谷古墳(1号墳)」の解説板があります。
これが風谷古墳になるようです。
駐車地から9分ほどの所になります。
の中は暗くて良く見えませんが、何も入っていないようです。
風谷古墳(1号墳)
津居山湾に面した谷あいに立地し、南向きの山裾斜面に築造されている。
かつてはもう1基が付近に所在していたらしいが、現状では浜辺近くの小井戸浜古墳とあわせて2基が残っている。
墳丘は推定の直径15m、高さ3m程度の円墳で、内部に南開口の横穴式石室を有している。
石室の全長は推定で約11mとなる長大なものである。
奥側の玄室(げんしつ)部分は、長さ5.4m、幅2.6m、高さは約2.7mをはかる。
玄室にいたるまでの羨道(せんどう)部は、現状の長さ3.66mで、高さは1.4mほどある。
羨道と玄室の境には、内部から見て右側に幅50cmの袖部を有している。
全体に大型の石を用い、とくに玄室天井は巨石一枚で架構されるなど、高度の築造技術がしのばれる。
出土品は現存しないが、石室のつくりからみて、6世紀末葉から7世紀初頭ころの築造らしい。
おそらく勢力の基盤が漁業や海上交通など、海とのかかわりの深かった豪族の墓であろう。
市内の横穴式石室では最大規模をはかり、古墳時代後期の地域史を知るうえで重要な古墳である。
平成3年12月 豊岡市教育委員会
防波堤に沿って進んだ所に 上の山入口があり、傍にがあります。
参考までに、以前に見かけた解説板の内容を載せておきます。
(「 堂山」,「 堂山」を参照)
小井戸浜古墳
6世紀末から7世紀初頭の古墳時代後半に築造された円墳で、
漁業・海上交通など海に関係の深い豪族の墓と推定される。
この周辺には4基の古墳が確認されたが(港村誌による)、現存するものは、
平成3年に豊岡市の文化財に指定された「風谷古墳」とこの「小井戸浜古墳」の2基のみである。
玄室部の大きさは、奥行き約4.30m・巾約1.5m・高さ約1.8mであり、
玄室にいたる羨道部分の長さは約1.1mとされているが、その境界ははっきりしていない。
なお、天井は約1.8m四方の巨岩2枚で構成されている。
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地道に戻ってシダ類が茂る中に続く小径を進んでいくと、「豊岡市指定津波避難場所」「海抜10m」のを過ぎていきます。
シダ類が減って植林地の入口まで来ると、「豊岡市指定津波避難場所」「海抜20m」のが立っています。
棚田跡と思われる石垣が見られる谷筋に続くを登っていきます。
地形図には破線の道が左側に描かれているので、この辺りから登山道に出ようと探しながら進んでいきますが、
それらしい道は見かけませんでした。
少し登っていくと、またが茂るようになりますが、小径は続いています。
右側に竹林が現れると倒竹が煩わしくなるので、脇を通ったりしながら登っていきます。
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しばらく登っていくと、シダ類や倒竹が減って歩き易いになります。
両側に石積みが続きますが、この辺りもかつては耕作地だったようです。
またシダ類が茂る所に出ると、右側にが現れます。
程なくして谷筋が二手に分れています。
風谷古墳から22分ほどの所になります。
この辺りで小径が不明瞭になります。
どちらの谷筋でも良さそうですが、少しでも歩き易そうに思えるを進んでいきます。
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稜線
植林地の浅いを登っていきます。
近づいてくる稜線に向って登っていくと、に出ます。
更に登っていくと、緩やかな稜線に続く登山道に出ます。
風谷古墳から29分ほどの所になります。
猛暑の中を登ってきて大汗を掻いたので、水分補給をしながらひと息入れていきます。
正面はになっています。
左側にはがあります。
左の道(*)を進んでいくと、すぐの所に展望地がありますが、立ち寄るのは省略します。
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落ち着いたところで、緩やかなを進んでいきます。
軽く登っていくと、「第六十二番」のが佇んでいます。
この登山道は「八十八ヶ所の森ハイキングコース」になっていて、
上の山入口から西光寺入口まで採番された石仏が点々と続きます。
石仏は仏像の形ではなくて、平らな面に法絵のようなものが刻まれた形になっています。
右へ曲がりながら登っていくと、「堂山・上の山 散策ルート」のが立っています。
すぐ先にある「第六十三番」の石仏との間から左へ戻るように登っていく踏み跡がありますが、このまま正面の道を進んでいきます。
削られたに沿って、少し右へ曲がりながら進んでいきます。
少し左へ曲がって軽く降っていくと、夏草が少し茂る広い所に出ます。
中ほどには「堂山・上の山 散策ルート」の標識が立っています。
標識の手前で左へ戻るように登っていく踏み跡がありますが、正面の広いを軽く降っていきます。
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鞍部
程なくして、切通のようにを登っていきます。
左側にが続いていますが、落ち葉が厚く積もって分り難くなっています。
曲がりながら続くを登っていきます。
傾斜が緩やかになると鞍部に着きます。
稜線に出た所から15分ほどの所になります。
中ほどにはが立っていて、
右の道は「公民館まで1100m」、今来た道は「上の山入口へ1200m」となっています。
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堂山 (標高230.8m)
(*)にはシダ類が茂っています。
ここはを進んでいきます。
横木の階段を登ってシダ類が茂る所に出ると、「堂山・上の山 散策ルート」のが立っています。
シダ類の中を進んでいくと堂山の頂上に着きます。
稜線に出た所から19分ほど、風谷古墳から52分ほどで登って来られました。
中ほどには「田結」があるので、地形図に載っている230.8m峰になるようです。
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大木の袂には「第七十番」の石仏が佇んでいきます。
山頂には「堂山の森の眺望」と題したがあります。
以前に来た時には「堂山」の標識も立っていたのですが、この時には壊れていました。
には京丹後市の海岸線や山並みが広がります。
遠くにはと思われる山並みが連なっています。
近くにはが見えますが、海水浴場になっている小天橋から箱石浜にかけても浜辺のようです。
に見える海に突き出した半島は平井ノ鼻でしょうか。
傍にはと思われる山も見えます。
お昼にはまだまだ早い時刻なので、に腰を降ろし、水分補給をしながら休憩していきます。
堂山の森の眺望
標高約230mのこの地点から、遠くは京丹後市の海岸線まで見ることができます。
堂山の森を含むこの辺りの海岸線は「山陰海岸ジオパーク」に指定されており、
山陰海岸国立公園を中心とする京都府京丹後市の経ヶ岬から鳥取県鳥取市の白兎海岸までは、
日本列島がアジア大陸の一部であった時代の岩石から、
今日に至るまでの経過が確認できる貴重な海岸です。
これら地質遺産が連続する京都府(京丹後市)、兵庫県(豊岡市・香美町・新温泉町)、
鳥取県(岩美町・鳥取市)が、山陰海岸ジオパークの対象海岸となっています。
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落ち着いたところで、から下山していきます。
短い夏草が茂る尾根の左側を過ぎて、を曲がりながら降っていきます。
の脇を降っていきます。
程なくしてに出ます。
「堂山・上の山 散策ルート」の標識まで来て、尾根を横切るように左へ曲がり、左肩を降っていきます。
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明るい尾根のをしばらく降っていきます。
の脇を進んでいきます。
植林地を過ぎてに出ると、
また「堂山・上の山 散策ルート」の標識が立っています。
標識を過ぎて、尾根の左肩を更に進んでいきます。
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になった尾根を降っていきます。
尾根の背を横切ってを降っていきます。
尾根の中ほどに出て降っていくと、解説板やベンチがあるが見えてきます。
程なくして広い尾根に出ると、中ほどに「コナラ林」の解説板があります。
堂山から15分ほどの所になります。
広い尾根は先の方まで続いていて、などの眺めが広がります。
コナラ林
ドングリのできるコナラの林です。
落葉広葉樹林または夏緑広葉樹林とも呼ばれ、里山を代表する林です。
秋には紅葉していろどりゆたかな林へと変わります。
春にはコバノミツバツツジが咲きみだれ、山全体が紫色に染まります。
コナラ林は人々が材や枝葉を利用することによって守られてきた林です。
これからも人の手を加えることによって、明るいコナラ林とそこに暮らす生きものを守ることができます。
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展望デッキ
尾根の右側に立つ「堂山・上の山 散策ルート」のへ向っていきます。
横木の階段が続くを降っていきます。
正面が明るくなってくると、左側にが見えてきます。
登山道から少し外れた所にあるに立ち寄っていきます。
斜面を横切るように進んでいくと、すぐにテーブル・ベンチが設置された展望デッキに着きます。
堂山から20分ほどの所になります。
正面にはが広がります。
左奥には来日岳、右奥には盛上山が聳えています。
車で来る時に渡ってきたも見えます。
円山川の河口付近にはも見えます。
景色を眺めながら、ひと息入れていきます。
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に戻って、段差の高い横木の階段を降っていきます。
尾根の右肩を降っていくと、「堂山・上の山 散策ルート」のを過ぎていきます。
を曲がりながら降っていきます。
樹間からが広がる所を過ぎていきます。
尾根の左肩に続くようになる道を降っていきます。
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落ち葉が厚く積もったを降っていくと、次第に歩き易くなります。
尾根の左肩を降っていくと、「堂山・上の山 散策ルート」のが立っています。
右前方にがあるので、登山道から外れて立ち寄っていきます。
コンクリート擁壁の上に出ると、田結地区の集落や田結漁港などを見下ろせます。
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に戻って、曲がりながら続く道を降っていきます。
傾斜が増してくる尾根を左・右と曲がって先ほどのの下に出て、
鉄パイプの手摺りが設置されたコンクリート階段を降っていきます。
左下にの集落を眺めながら降っていきます。
車を止めてきた駐車地や、最初に渡った小橋も見えます。
程なくして「豊岡市指定津波避難場所」「海抜20m」のを過ぎていきます。
小さな墓地の手前まで降りてくると「第八十四番」の石仏があります。
脇にはが立っていて、
今降ってきた道は「山頂を経由し上の山入口へ2300m」となっています。
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西光寺入口
墓地の手前にあるを降っていきます。
右へ曲がって、ロープ柵から金網柵に沿ってを降っていきます。
道なりに左へ折れ曲がって降っていくと、田結研修集会所の傍にある小広い所に降り立ちます。
展望デッキから16分ほど、堂山から40分ほどで降りて来られました。
壁には「豊岡市指定津波避難場所」「堂山地先登り口 海抜3.1m」の標識が取り付けられていて、
傍には「」と題した案内板があります。
山際にはなどが並んでいて、
「第一番」の石仏(*)もあります。
田結研修集会所の前には「」と題した解説板があります。
*「第八十五番」から「第八十八番」の石仏は西光寺にあります。
豊岡市田結 八十八ヶ所の森ハイキングコース
八十八ヶ所の森の多くは、一度、伐採された後に成立する二次林であると推測されます。
この森の多くはヒノキ林やコナラ林が占めていますが、特徴的な植生としてはスダジイ林やケヤキ林が見られます。
また、尾根筋にササ草地がみられますが、これはシカによる食害により樹木が生育しにくいためです。
尾根の散策道を歩くと、遠くは京都の海岸線まで見渡すことができます。
田結の集会所横の一番札所から小井戸浜古墳の横を上に登り、
ミタノ、茶園、笹山口、堂山を経て西光寺に至る弘法大師ゆかりの八十八ヶ所霊場巡り。
大正6年に当時の西光寺の名倉実城住職の発願により、地区内外の多くの寄進を得て建造された。
石仏は当時の青年団が一体ずつ背負子で運んだという。
当初の巡路はイクリ林道を通り観音ヶ鼻、神水浜を回っていたが、北但大震災により石仏が海中に転落したため、
昭和4年に現在の巡路に改められた。
田結では春の彼岸に巡礼登山があり、それに先駆けて地区総日役の道直しが行われている。
上の山入口
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→1200m,45分→
←1200m,35分←
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林間広場(山頂)
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→1100m,35分→
←1100m,45分←
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西光寺入口 |
ふるさとの魅力を後世に 『豊岡・港地区かるた』
ふるさとの魅力を再認識するとともに、後世に継承しようと豊岡市港地区の住民は、
地元の歴史や産業などを題材にした「港かるた」を約2年間かけ作成しました。
ここに記載しているかるたは、この八十八ヶ所の森について書かれたもので、
古くから地域住民に親しまれてきた森であることが伺えます。
平成22年度里山ふれあい森づくり(ミニ里山公園型)事業、兵庫県
震災記念碑(北但大震災)
大正十四年(1925年)五月二十三日午前十一時十一分未曾有ノ強震但馬地方ヲ震フ
当区震源地トシテ被害近郷ニ比ナシ
死者七人 傷人四十六人 全戸八十三ノ内全壊六十七 半壊十五 破損一也
時恰カモ春蚕期トテ各所ニ出火セシモ区民一致防火ニ努メ未然ニ止メル
然レドモ部落一円戦場ノ如キ惨状ニテ手ノ施シヤウナク取敢ヘズ小井戸浜 仲田 犬坂の三カ所ヘ各自避難ス
間モナク時難収拾ノ為 復興委員長磯崎為造氏外六名ノ委員ヲ選任シテ陣容ヲ整ヘ共同作業ヲ行ヒ震災復興ニ立チ上ガル
調査団ニヨル精査ノ結果当地ヲ震源地ト断定セリ
昭和十五年(1940年)十月建立
兵庫県城崎郡港村田結(現豊岡市田結)
ラムサール条約登録湿地 円山川下流域・周辺水田 田結湿地
2008年4月に1羽のコウノトリが飛来したことをきっかけに、地区をあげて休耕田を湿地として再生する活動が始まり、
約12ヘクタールの湿地が再生されました。
湿地には生きものの命が溢れています。
毎年、2月下旬にはアカガエルが産卵し、湿地にたくさんの卵塊を見ることができます。
子育て中のコウノトリは、幼いヒナのためにオタマジャクシやカエルなどの小さなエサを採りににこの湿地を訪れます。
また、絶滅危惧種のオオアカウキクサやキタノメダカなど、非常に重要な個体群の生息地となっており、生きものの宝庫と言えます。
豊かな生態系に惹かれ、毎年多くの研究者、学生、企業、湿地作業ボランティアが訪れ、
より豊かな環境になるよう、地区住民と協働した湿地保全活動が続けられています。
2011年には、地区の助成たちによる湿地ガイドグループ「案ガールズ」が結成され、訪れる人に田結の魅力が語られています。
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田結地区
最初に渡ってきたを渡っていきます。
田結消防ポンプ庫を過ぎていくと、左右に通るに出ます。
左折して、沿いに進んでいきます。
左からの道を合わせていくと、車を止めておいた駐車地に着きます。
西光寺入口から3分ほどで到着しました。
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