概 要 |
堂山は豊岡市の田結地区にある標高230.8m(点名:田結)の山です。
山頂までの道は「八十八ヶ所の森ハイキングコース」になっていて、八十八ヶ所霊場巡りの多くの石仏が出迎えてくれます。
今回は集落から堂山へ登り、北東へ延びる尾根を通って捨ヶ鼻灯台へ向かいます。
少し引き返して神水の浜に出て、谷筋から尾根へ登って集落へ戻るルートを歩きます。
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起 点 |
豊岡市 田結地区
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終 点 |
豊岡市 田結地区
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田結地区…西光寺入口…展望デッキ…コナラ林…堂山…鞍部…灯台入口…73m峰…捨ヶ鼻灯台…73m峰…灯台入口…神水の浜…鞍部…展望地…小屋跡…上の山入口…小井戸浜古墳…田結地区
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所要時間 |
3時間50分
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歩いて... |
堂山の先から73m峰の手前の谷筋までは、赤テープが点々と取り付けられていてルートを示していました。
神水の浜から尾根へ登る谷筋は、かなり傾斜があって滑りやすくなっていたので、ゆっくり時間をかけて登りました。
最初は青空が広がっていましたが、次第に雲が広がってきて霧雨も少し落ちてくる生憎の天候になりました。
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関連メモ |
堂山,
捨ヶ鼻,
堂山,
堂山
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田結地区
城崎温泉から円山川の左岸に続く道路を北上し、河口付近に架かる港大橋を渡っていきます。
気比地区に入って気比川を渡り、津居山湾沿いの道を進んでいくと、田結地区に着きます。
集落の手前にある海辺の広場に車を止めさせてもらいました。
広場の道路向かいの小山の上には、田結地区の鎮守の八坂神社があります。
社の周囲には秋葉神社・神水神社・愛宕神社・久西神社の祠もあります。
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西光寺入口
すぐの所から右側へ分かれていく道は見送って、色々な動植物が描かれたに沿って、道なりに左へ曲がっていきます。
の立つ所から右の道へ入っていきます。
田結消防ポンプ庫の左側のを渡っていくと、
田結研修集会所の横に空き地のような所があります。
山際には六地蔵を祀るや小祠や「震災記念碑」と刻まれた石碑などがあります。
その碑文によると、この田結地区は大正14年に但馬地方を襲った北但大震災の震源地だったようです。
地蔵堂の左側には第一番の石仏も佇んでいます。
左側の石段の登り口に「八十八ヶ所の森ハイキングコース」と題したがあり、
堂山の山頂までは45分となっています。
案内板の脇には「堂山地先登り口」の標識もあります。
案内板に載っているこの西光寺入口から登っていきます。
豊岡市田結 八十八ヶ所の森ハイキングコース
八十八ヶ所の森の多くは、一度、伐採された後に成立する二次林であると推測されます。
この森の多くはヒノキ林やコナラ林が占めていますが、特徴的な植生としてはスダジイ林やケヤキ林が見られます。
また、尾根筋にササ草地がみられますが、これはシカによる食害により樹木が生育しにくいためです。
尾根の散策道を歩くと、遠くは京都の海岸線まで見渡すことができます。
田結の集会所横の一番札所から小井戸浜古墳の横を上に登り、
ミタノ、茶園、笹山口、堂山を経て西光寺に至る弘法大師ゆかりの八十八ヶ所霊場巡り。
大正6年に当時の西光寺の名倉実城住職の発願により、地区内外の多くの寄進を得て建造された。
石仏は当時の青年団が一体ずつ背負子で運んだという。
当初の巡路はイクリ林道を通り観音ヶ鼻、神水浜を回っていたが、北但大震災により石仏が海中に転落したため、
昭和4年に現在の巡路に改められた。
田結では春の彼岸に巡礼登山があり、それに先駆けて地区総日役の道直しが行われている。
上の山入口
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→1200m,45分→
←1200m,35分←
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林間広場(山頂)
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→1100m,35分→
←1100m,45分←
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西光寺入口 |
ふるさとの魅力を後世に 『豊岡・港地区かるた』
ふるさとの魅力を再認識するとともに、後世に継承しようと豊岡市港地区の住民は、
地元の歴史や産業などを題材にした「港かるた」を約2年間かけ作成しました。
ここに記載しているかるたは、この八十八ヶ所の森について書かれたもので、
古くから地域住民に親しまれてきた森であることが伺えます。
(平成22年度里山ふれあい森づくり(ミニ里山公園型)事業、兵庫県)
豊岡市指定津波避難場所 堂山地先 登り口 海抜3.1m
震災記念碑(北但大震災)
大正十四年(1925年)五月二十三日午前十一時十一分未曾有ノ強震但馬地方ヲ震フ
当区震源地トシテ被害近郷ニ比ナシ
死者七人 傷人四十六人 全戸八十三ノ内全壊六十七 半壊十五 破損一也
時恰カモ春蚕期トテ各所ニ出火セシモ区民一致防火ニ努メ未然ニ止メル
然レドモ部落一円戦場ノ如キ惨状ニテ手ノ施シヤウナク取敢ヘズ小井戸浜 仲田 犬坂の三カ所ヘ各自避難ス
間モナク時難収拾ノ為 復興委員長磯崎為造氏外六名ノ委員ヲ選任シテ陣容ヲ整ヘ共同作業ヲ行ヒ震災復興ニ立チ上ガル
調査団ニヨル精査ノ結果当地ヲ震源地ト断定セリ
昭和十五年(1940年)十月建立
兵庫県城崎郡港村田結(現豊岡市田結)
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石段を登って右へ曲がり、金網柵沿いに登っていくとが現れます。
石垣の間の石段を登ると、左側は墓地になっています。
脇にはが立っていて、右へ続く道は「山頂を経由し上の山入口へ2,300m」となっています。
振り返るとの集落が見下ろせました。
すぐの所に立つ「海抜20m」の標柱を過ぎると横木の階段が現れます。
階段が終わって少し右へ曲がりながら登り始めると、道端に第八十三番のがあります。
西光寺入口から堂山の山頂を経て上の山入口まで、同様の石仏が点々と設置されています。
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採番された石仏を確認しながら、傾斜の急なに右・左と折れ曲がりながら続く広めの道を登っていきます。
横木の階段混じりの道を登っていくと、「堂山・上の山散策ルート」のが立っています。
道標を過ぎて更に登っていくと、階段状になったに出ました。
ベンチがひとつ設置された所から振り返ると、気比の浜を一望できる眺めが広がっていました。
左奥には来日岳、右奥には盛上山がよく見えました。
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展望デッキ
第七十九番の石仏を過ぎていくと、上の方にが見えてきます。
「堂山・上の山散策ルート」の道標を過ぎていくと、道から少し右へ入った所に展望デッキがあります。
西光寺入口から13分ほどで着きました。
先ほどと同様の眺めが広がっていました。
の真ん中にはテーブル・ベンチがひと組設置されていて、眺めを楽しみながらひと休みしていくのに良さそうな所でした。
来る時に渡ってきたや、
円山川の河口にあるもよく見えました。
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コナラ林
展望デッキから登山道に戻って、が混じる尾根を更に登っていきます。
を登って「堂山・上の山散策ルート」の道標を過ぎていくと、広くて明るい所に出ます。
ベンチが幾つか設置されていて、「コナラ林」と題した解説板もありました。
西光寺入口から20分ほどの所になります。
振り返ると、手前の樹木に邪魔されながらもを眺められました。
コナラ林
ドングリのできるコナラの林です。
落葉広葉樹林または夏緑広葉樹林とも呼ばれ、里山を代表する林です。
秋には紅葉していろどりゆたかな林へと変わります。
春にはコバノミツバツツジが咲きみだれ、山全体が紫色に染まります。
コナラ林は人々が材や枝葉を利用することによって守られてきた林です。
これからも人の手を加えることによって、明るいコナラ林とそこに暮らす生きものを守ることができます。
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尾根のに続く道を登っていきます。
開けた尾根が終って僅かに左へ曲がっていくと、混じりの緩やかな尾根になります。
林を抜けていくと、再びに出ます。
尾根の右側に続く道に立つ「堂山・上の山散策ルート」の道標を過ぎていきます。
植林の縁を登っていくと、また開けた尾根に出ます。
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を過ぎていくと、僅かなが現れます。
階段を登ると、またに出ます。
振り返ると、山並みが少し見えました。
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少し左へ曲がって尾根の左側を登っていくと、「堂山・上の山散策ルート」のが立っています。
開けた所が終わると、雑木混じりのになります。
の右側を進んでいくと、
また植林地へ入っていきます。
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堂山 (標高230.8m)
傾斜が少し増してきたを登っていきます。
植林地を抜けて枯れたシダ類が茂る所に出ると、道がに分かれています。
どちらの道でも山頂へ続いていますが、左側の道を登っていきました。
シダ類が茂る所を抜けると、が近づいてきます。
その先へひと登りすると、堂山の山頂に着きました。
西光寺入口から35分ほどで登って来られました。
中ほどには「田結」があるので、地形図に載っている230.8m峰になるようです。
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山頂には「堂山」のと「堂山の森の眺望」と題した解説板があり、
テーブル・ベンチが幾つも設置されています。
東側には京丹後市の海岸線や山並みが広がっていました。
少し霞んでいましたが、遠くにはと思われる山並みが連なっていました。
近くには長いが見えますが、海水浴場になっている小天橋から箱石浜にかけての浜辺でしょうか。
西側には海に突き出した半島が見えますが、でしょうか。
景色を愛でながら、ここでひと息入れていきました。
堂山の森の眺望
標高約230mのこの地点から、遠くは京丹後市の海岸線まで見ることができます。
堂山の森を含むこの辺りの海岸線は「山陰海岸ジオパーク」に指定されており、
山陰海岸国立公園を中心とする京都府京丹後市の経ヶ岬から鳥取県鳥取市の白兎海岸までは、
日本列島がアジア大陸の一部であった時代の岩石から、
今日に至るまでの経過が確認できる貴重な海岸です。
これら地質遺産が連続する京都府(京丹後市)、兵庫県(豊岡市・香美町・新温泉町)、
鳥取県(岩美町・鳥取市)が、山陰海岸ジオパークの対象海岸となっています。
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鞍部
落ち着いたところで、捨ヶ鼻灯台へ向かっていきます。
テーブル・ベンチの先から北へ続くを降っていきます。
左側の樹間からを眺めながら、枯れたシダ類の間を降っていきます。
僅かな横木の階段を過ぎてその先へ降っていくと、すぐに鞍部に着きます。
ここで道が分岐しています。
が立っていて、左の谷筋へ降っていく道は「上の山入口へ1,200m」、
今来た道は「公民館まで1,100m」となっています。
上の山入口へは左のを降っていくのですが、
枯れたシダ類が茂る中に続く正面のから捨ヶ鼻灯台へ向かっていきます。
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何処を歩けば良いのか迷いながら枯れたの中を軽く登っていくと、すぐにシダ類を脱出します。
歩き易くなったを緩やかに登っていきます。
尾根を真っ直ぐ登っていくと、緩やかな高みに着きます。
少し右側の樹木に赤テープが取り付けられていて、もありました。
ハイキング会があったようで、捨ヶ鼻灯台の手前の谷筋まで、赤テープや小札が点々と設置されていました。
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右へ曲がって、を進んでいきます。
赤テープを確認しながら、尾根の先のが茂る所を軽く降っていきます。
少し疎らになったりするシダ類の中を進んでいくと、正面にが見えてきます。
シダ類がなくなった植林地へ入って、左前方へ続くを降っていきます。
尾根を1分半ほど降っていくと小札(2)がありました。
堂山から9分ほどの所になります。
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小札(2)を過ぎた所から、左の谷筋へ降っていく踏み跡があります。
神水の浜から登ってくる道になりますが、この時には気が付きませんでした。
傾斜が緩やかなになったを進んでいきます。
正面が明るくなってくると、が茂る所に出ます。
正面へ真っ直ぐ進んでいくと、尾根は右へ曲がっていきます。
堂山から12分ほどの所になります。
曲がり角にはがありました。
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軽く降っていくと、の縁を緩やかに登るようになります。
以前からよく歩かれているのか、明瞭な踏み跡がありました。
左側の樹間からは、目指すが見えました。
程なくして少し傾斜が増してくると、僅かなが現れます。
高みへ着いて少し左へ曲がり、緩やかになった広い尾根を進んでいきます。
地形図によると、標高200mの等高線で囲まれた所になるようです。
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を進んでいくと、程なくして少し降るようになります。
すぐに開けたに出ます。
地形図によると、標高200mの等高線で囲まれた東西に延びる尾根の西端になるようです。
その手前から右へ曲がっていきます。
尾根の背にはがありました。
堂山から19分ほどの所になります。
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緩やかで広い尾根を進んでいくと、程なくしてになってきます。
坂を登って、少し曲がっていきます。
緩やかになったを進んでいくと、左の一段低い所にも緩やかな尾根が続くようになります。
このまま正面の尾根を登っていくと226m峰に着くようですが、
左のの先に赤テープが見えたので、そこへ向かって降っていきました。
見えていた赤テープの所まで来ると、すぐ先の樹木にが取り付けられていました。
堂山から26分ほどの所になります。
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小札を過ぎて、引き続きを緩やかに登っていきます。
に取り付けられた赤テープを過ぎていくと、
直立した小さな樹木に赤テープが取り付けられています。
この先にも広い尾根が続いているので少し進んで見ましたが、赤テープは見かけなくなりました。
1分半ほどでここまで引き返してきて北西側へ降ってみると、に赤テープがありました。
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赤テープを確認しながらの斜面を降っていきます。
次第にが増してくるので、滑り落ちないよう足元に注意しながら降っていきました。
右・左と小さく曲がりながら降っていくとになってきます。
歩き易くなった広い尾根を進んでいくと開けた所に出ます。
地形図によると、226m峰から北へ延びる標高150mほどの尾根になるようです。
捨ヶ鼻灯台へはそろそろ左へ降らないといけないがと思いながら辺りを見回していると、
の入口に赤テープがありました。
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点々と取り付けられた赤テープを確認しながら、雑木林のを降っていきます。
になってくると、傾斜が緩やかになってきます。
を回り込むようにして、右へ曲がりながら進んでいきます。
少し降って次の谷筋に降り立つと、がありました。
堂山から43分ほどの所になります。
どうやら「小札(6)」は見落としたようでした。
ここで道は左へ曲がって、谷筋を降るようになります。
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灯台入口
谷底の僅かにに続く道を降っていきます。
程なくして谷底に降りて、を進むようになります。
再び右側を降っていくとに出ました。
そこを過ぎて更に谷筋を降っていくと、左前方から来て右側の尾根へ登っていくコンクリート打ちされた横木の階段に出ました。
脇の樹木にはが取り付けられていました。
堂山から52分ほどで降りて来られました。
採番された小札はここで終わりになります。
左前方へ進んでいくと神水の浜へ出られますが、右側の尾根を越えて捨ヶ鼻灯台まで往復します。
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73m峰
コンクリート打ちされた階段は、程なくして普通のになります。
右・左と折れ曲がりながら、かなり傾斜のある階段を登っていきます。
トラロープも張られていましたが、それほど必要な感じではありませんでした。
息を切らせながら登っていくと、広くてになってきました。
コンクリート打ちされた緩やかな横木の階段を更に登って僅かな高みに着くと、
脇に小さながありました。
文字などは確認出来ませんでしたが、地形図に載っている73m峰になるようです。
灯台入口から5分ほどで登って来られました。
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高みを越えて降っていくと、鎖が設置されてコンクリート打ちされたを降るようになります。
右側の入り江の先には、大きな岩が落ち込んだようなが見えました。
緩やかになると階段は終わって、を進むようになります。
左右の樹間から僅かに見える眺めを楽しみながら進んでいくと、
馬の背のような鞍部に、鎖が張られたコンクリート製のがあります。
階段を降って、その先へ登り返していきます。
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木の根が張り出して石がゴロゴロしている尾根を登っていくと、
僅かなに着く数m手前で、道は左へ曲がっていきます。
地形図によると、73m峰の北側にある標高50mほどの高みのようです。
踏み跡はその頂きまで続いていますが、周囲に樹木が茂っていて展望は良くないので、そのままやり過ごしていきます。
降り始めると、目指す捨ヶ鼻灯台が正面の下の方に見えてきます。
そこへ向かって続く鎖の設置された石段を降っていきます。
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石段を降り終えて、岩がゴロゴロするを進んでいきます。
少し登って、大きな岩が剥き出しているを越え、鎖が設置された石段を降っていきます。
石段が終わって、コンクリート打ちされたを緩やかに進んでいくと、
目指す捨ヶ鼻灯台が間近に迫ってきます。
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捨ヶ鼻灯台
崩落した土石が少し覆っているを進んでいきます。
右側には、先ほどのが見えていました。
鎖が設置された20数段の急なを登っていくと捨ヶ鼻灯台に着きました。
灯台入口から15分ほどで到着しました。
灯台の袂はコンクリート打ちされ、周囲にはコンクリート柱付きのが設置されて安全になっていました。
捨ヶ鼻灯台
初点 昭和39年11月
管理事務所 香住航路標識事務所
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捨ヶ鼻灯台の周囲には、樹木が茂ってはいるものの眺めが広がっていました。
歩き始めは青空が広がっていましたが、次第に雲が広がってきました。
左側には神水岬が海に突き出ていて、その奥には来日岳も遠望できました。
正面にはが聳え、
城崎マリンワールドの沖に浮かぶ竜宮城のあるもよく見えていました。
対岸には津居山漁港の入口の岬にあるも見えました。
振り返ると、先ほどの標高50mほどのが良く見えました。
景色を眺めながら、ひと息入れていきました。
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73m峰
落ち着いたところで、捨ヶ鼻灯台から引き返してきます。
急な石段を降り、コンクリート打ちされたを進んでいきます。
大きな岩が剥き出している瘤を越えていきます。
鎖が設置されたを登って、
標高50mほどの高みの右肩を越えていきます。
短い石段を登ってを進んでいきます。
鎖が設置された石段を登っていくと73m峰に着きます。
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灯台入口
コンクリート打ちされたを降っていきます。
樹木が無くなって開けた所に出ると、堂山から226m峰へ続く稜線が広がってきます。
次第に傾斜が増してくるを降っていきます。
右・左と曲がって、コンクリート打ちされた階段を降っていくと、小札(8)のある灯台入口に着きます。
往復31分ほどで戻って来られました。
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神水の浜
右へ曲がってコンクリート打ちされた横木の階段を降っていくと、左からが合流してきます。
正面へ続くコンクリート打ちされた小径を進んでいくとになってきます。
次第に明瞭になってくる涸れ沢に沿って進んでいくと、一段とが合流する所に出ます。
谷筋の右側に続く小径を進んでいくと神水の浜に出ます。
灯台入口から5分ほどで着きました。
海岸の傍までいくとが架かっています。
その先には流木などが溜まっていて歩き難くなっていたので、橋は渡らずに右側から迂回していきました。
目の前に広がる海を眺めながら、ひと休みしていきました。
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神水の浜の南側にあるに続く階段を登っていくと、
上の山入口へ至る林道に出られますが、南へ続く谷筋の奥から尾根へ登っていきます。
谷筋にはが続いています。
今では耕作されていない様子ですが、石垣や水路などが残っていて往時が偲ばれます。
右側のに出て、すぐ先から右へ続く谷筋へ入っていきます。
入口にはが取り付けられていますが、
灯台入口までと比べると、この先はずっと少なくなります。
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所々にはがあって、この谷筋にもかつては棚田があった様子でした。
が茂る所を過ぎていくと、正面に尾根が見えてきます。
神水の浜から5分ほどの所になります。
ここで谷筋が左右に分かれていますが、左側の樹木に取り付けられたに従って、左の谷筋を登っていきます。
すぐに石がゴロゴロした所を登るようになると、ここにも赤テープが取り付けられていました。
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次第にが増してきます。
踏み固められた地面ではなく、崩れやすくなっている所がほとんどで、登るのに苦労しました。
足元に注意しながら登っていくと、またがありました。
かつてはかなり奥の方まで棚田か畑地があったようです。
崩れやすくて疲れるを更に登っていきます。
赤テープを見かけなくなって、この道で合っているのか不安になりながら登っていきました。
植林が現れる所まで登ってくると、やっと赤テープを見つけてホッとしました。
神水の浜から19分ほどの所になります。
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次第に狭まってくるを登っていきます。
この辺りでも石垣を見かけましたが、相当奥まで棚田か畑地があったようです。
緑色のが生えた段差もありました。
植林地を抜けて、益々狭まって浅くなってくるを登っていきます。
やがて左右の尾根との高低差が少なくなってきて、そろそろ稜線に出られそうな雰囲気がしてきます。
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正面にもが見えてきて谷筋も終わりに近づいてきますが、なかなか尾根に着きません。
久しぶりで見かけたを過ぎると、稜線はもうすぐそこです。
正面付近の稜線に、と思われるものが見えました。
そこへ向かって登ろうとするのですが、急斜面で滑りやすそうだったので躊躇していると、
戻るようにして左へ登っていく緩やかなが現れました。
これ幸いとその道を登っていくと、左右に通る尾根に登り着きました。
神水の浜から34分ほどで登って来られました。
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鞍部
ひと息入れてから、右へ続く元来た尾根を登っていくと、
すぐの所にがありました。
先ほど見えていた小札になります。
植林地の尾根を登っていくと、シダ類が茂るに出ます。
シダ類が茂る所を過ぎていくと、開けたに出ます。
を過ぎて左へ降っていきます。
シダ類が茂る所を降っていくと、道標の立つ鞍部に着きます。
尾根に登り着いた所から8分ほどで着きました。
道標「上の山入口へ1,200m」に従って、に続く道を降っていきます。
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すぐの所に佇む第六十九番の石仏を過ぎてを降っていきます。
落葉に埋もれたを曲がりながら降っていきます。
谷筋の左に続くようになった階段を降っていくとが立っていて、
右の道は「上の山入口へ1,100m」、今来た道は「公民館まで1,200m」となっています。
谷筋は正面へ続いていますが、道標に従って右へ僅かに登っていくと、すぐの所に「堂山・上の山散策ルート」の道標が立っています。
鞍部から4分ほど降った所になります。
道標のすぐ先で道がに分かれています。
標識類は見かけませんが、右の道は地形図に載っている破線の道へ続いているように思えたので、
左の道を進んでいきました。
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の斜面に入って、苔生した土手沿いに進んでいきます。
斜面を横切るように少し右へ曲がりながら進んでいくと分岐があります。
鞍部から7分ほどの所になります。
正面に登っていく道と、左へ降っていく道に分かれていて、「堂山・上の山散策ルート」の道標が立っています。
傍には第六十三番の石仏が佇んでいました。
は地形図に載っている破線の道のように思えます。
先ほどの二股の右の道を進んでいくとここに出られそうに思えましたが、確かめた訳ではありません。
ここは道標に従って、を降っていきます。
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展望地
植林地の尾根を降っていくと、正面にが見えてきます。
その高みの右側に続く道を降っていくとに出ます。
少し先へ進んでいくとテーブル・ベンチが設置されています。
右側の樹木が切り開かれていて、
円山川の対岸にある盛上山や津居山などを見渡せるになっています。
鞍部から10分ほどの所になります。
海に浮かぶ竜宮城のあるも見えました。
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小屋跡
展望地からの眺めを確認して、その先へ進んでいくとに出ます。
周囲は開墾された様子になっていましたが、 その昔には畑地として利用されていたのでしょうか。
左側の山際を進んでいくと壊れた小屋がありました。
鞍部から12分ほどの所になります。
2013年1月に来た時にはまだ建っていましたが、いつ壊れたのでしょうか。
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僅かな植林地を抜けるとに出ます。
左の尾根沿いに進んでいくとを降るようになります。
植林地を降っていくと「堂山・上の山散策ルート」のが立っていて、
脇には第五十二番の石仏が佇んでいました。
山並みが僅かに見える所を過ぎて更に降っていくとに出ます。
少し左へ曲がった所にある「堂山・上の山散策ルート」の道標を過ぎていくと、その先には切り開かれた広い尾根が暫く続くようになります。
鞍部から20分ほどの所になります。
ベンチが幾つか設置されていて、ひと休みするのに良さそうな所です。
少し降っていくと正面が開けてきて、などの山並みを見渡せました。
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開けた尾根のに続く道を降っていきます。
採番された石仏が幾つもあるを降っていくと、やがて雑木林に入っていきます。
入口の大きな樹木には「88ヶ所大師道」と書かれたが取り付けられていて、今降ってきた道を指していました。
傾斜が増してきた雑木林のを、何度も曲がりながら降っていきます。
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上の山入口
点々と設置されている採番された石仏を確認しながら3分ほど降っていくと、
樹間からが見えてきます。
「海抜20m」の標柱を過ぎていくと、眼下に小規模のが見えてきます。
「海抜10m」の標柱を過ぎていくとに降り立ちました。
降り立った所には道標が立っていて、今降ってきた道は「山頂を経由し公民館まで2,300m」となっています。
短い石段を降ると、左右に通る道路に出ます。
脇には「八十八ヶ所の森ハイキングコース」と題した案内板や「上の山登り口」の標柱があって、
ここが案内板に載っている上の山入口になります。
鞍部から34分ほどで降りて来られました。
第二番の石仏も傍に佇んでいました。
豊岡市指定津波避難場所 海抜20m
豊岡市指定津波避難場所 海抜10m
豊岡市指定津波避難場所 上の山登り口 この地点の海抜は3.2m
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小井戸浜古墳
左側には「小井戸浜古墳」の看板が立っています。
その袂にある輪切りの丸太の階段を登っていくと、すぐに小井戸浜古墳があります。
大きな石で囲われた四角いがありますが、中には特に何も入っていないようでした。
看板に記されているは、集落の奥の谷筋にあります。
そこで見かけた解説板の内容も載せておきます。
(「 堂山」を参照)
小井戸浜古墳
6世紀末から7世紀初頭の古墳時代後半に築造された円墳で、
漁業・海上交通など海に関係の深い豪族の墓と推定される。
この周辺には4基の古墳が確認されたが(港村誌による)、現存するものは、
平成3年に豊岡市の文化財に指定された「風谷古墳」とこの「小井戸浜古墳」の2基のみである。
玄室部の大きさは、奥行き約4.30m・巾約1.5m・高さ約1.8mであり、
玄室にいたる羨道部分の長さは約1.1mとされているが、その境界ははっきりしていない。
なお、天井は約1.8m四方の巨岩2枚で構成されている。
風谷古墳(1号墳)
津居山湾に面した谷あいに立地し、南向きの山裾斜面に築造されている。
かつてはもう1基が付近に所在していたらしいが、現状では浜辺近くの小井戸浜古墳とあわせて2基が残っている。
墳丘は推定の直径15m、高さ3m程度の円墳で、内部に南開口の横穴式石室を有している。
石室の全長は推定で約11mとなる長大なものである。
奥側の玄室(げんしつ)部分は、長さ5.4m、幅2.6m、高さは約2.7mをはかる。
玄室にいたるまでの羨道(せんどう)部は、現状の長さ3.66mで、高さは1.4mほどある。
羨道と玄室の境には、内部から見て右側に幅50cmの袖部を有している。
全体に大型の石を用い、とくに玄室天井は巨石一枚で架構されるなど、高度の築造技術がしのばれる。
出土品は現存しないが、石室のつくりからみて、6世紀末葉から7世紀初頭ころの築造らしい。
おそらく勢力の基盤が漁業や海上交通など、海とのかかわりの深かった豪族の墓であろう。
市内の横穴式石室では最大規模をはかり、古墳時代後期の地域史を知るうえで重要な古墳である。
(平成3年12月 豊岡市教育委員会)
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田結地区
傍にあるを眺めながら、道路を左へ進んでいきます。
を渡って、
色々な動植物が描かれた沿いに進んでいきます。
道なりに右へ曲がりながら進んでいくと、車を止めておいた広場に着きます。
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