五大山
概 要 五大山は丹波市の氷上町と市島町の境にある標高569.1m(点名:白毫寺)の山です。 北東側の与戸地区や西側の北由良地区からも登れますが、 今回は東側の白毫寺地区から330m峰を経て五台山に登り、 三日月山と363.8m峰(ヨコガワ峰)を経て大野峠から白毫寺地区へ降るルートを周回します。
起 点 丹波市市島町 白毫寺地区
終 点 丹波市市島町 白毫寺地区
白毫寺地区…白毫寺…330m峰…尾根の肩…五大山…三日月山…伐採地…鞍部…363.8m峰(ヨコガワ峰)…大野峠…舗装路終点…白毫寺地区
所要時間 4時間10分
歩いて... 白毫寺から大野峠までの尾根には、桃色や白色のテープが点々と取り付けられていてルートを示しています。 要所には標識も立っていて分かり易くなっています。 傾斜が急な所もあるので、登り時には何度も立ち止まて呼吸を整え、降り時には足元に注意しながら歩きました。 山頂や尾根からは山並みを眺められます。
関連メモ 五大山, 五大山, 五大山
コース紹介
白毫寺地区
福知山市から国道175号を南下し、塩津峠を越えて丹波市に入っていきます。 勅使交差点を右折して県道283号を西進し、勅使踏切を渡り美和川に架かる南橋を渡っていくと、 「天台宗五大山 白毫寺」の石碑の先にがあります。 左折した方が近道のように思えますが、石碑に従って直進していきます。 「白毫寺」などの標識が立つを左折していきます。 少し進んだ所のT字路を右折していくと、白毫寺の駐車場があるので、ここに車を止めさせて頂きました。
白毫寺
駐車場の先へ続く狭まったには「丹波高原アルペンルート登山道」のがあります。 今回登る五大山も描かれていますが、詳細な登山道は良く分かりません。 舗装路から分かれて左へ入っていくと白毫寺があります。 傍には「白毫寺五大山登山口」の標識が立っています。 摩尼車やを右に眺めながら進んでいくと白毫寺の山門があります。
丹波高原アルペンルート登山道
丹波高原アルペンルートは眺望に優れたルートであり、かっては白毫寺を軸とした産学宗教も盛んで回峰行が行われていました。 五大山頂は展望が360度開けており、鷹取山、五台山、粟鹿山、岩屋山、安全山、愛宕山、清水山、白髪山、松尾山、黒頭峰、夏栗山、三尾山、西ヶ嶽、三嶽、小金ヶ嶽、妙高山、高谷山などが良く見えます。
丹波の森協会、美和ふるさと観光協会
市指定文化財 白毫寺の太鼓橋
指定年月日 昭和54年3月19日 所有者 白毫寺
白毫寺は、寺伝によると慶雲2年(705)法道仙人の開基とされる。 鎌倉時代には七堂伽藍といわれるほど多くの堂宇が建ち並び、 南北朝時代に入って赤松貞範など地元領主の保護のもと丹波屈指の名刹として隆盛を極めたが、 織田信長の丹波攻略に伴い明智光秀率いる軍勢の兵火で焼失した。 その後、人々の厚い信仰により今日にまで復興した。 心字池に架かる太鼓橋は、人間の迷いの世界から仏の悟りの世界へ至る渡彼岸の思想を表しているとされる。 その規模は、長さ5.2m、幅2.05m、高さ1.75mで、覆い屋であるさや堂に納められている。 橋の構築時期は作風などからして江戸時代中期の元禄年間頃と推測され、 さや堂も同時期に完成したものと考えられている。 市内のみならず、全国的にも木造でこの種の橋は数少なく、優雅な姿を池に映している。
平成22年3月 丹波市教育委員会
天台宗 五大山 白毫寺
慶雲2年(705)に天竺インドの僧・法道仙人が開基。 本尊は法道仙人が伝えた薬師瑠璃光如来(秘仏)。 また、入唐求法から帰路の際に訪れた慈覚大師円仁が山号を「五台山」と命名(後に五大山と改称)し、 持ち帰った五種鈴(県指定文化財)などの密教法具を伝えた。 七堂伽藍が甍を競い最盛期には93坊を擁したが、織田信長の丹波攻略に伴い、 天正8年に明智光秀率いる軍勢によって焼き討ちに遭う。 しかし、人々の厚い信仰に支えられて立派に再興し現在に至る。 境内には彼岸の教えを表す太鼓橋が架かる心字池や枯山水の陰陽の庭などがある。 また、木々や花々は四季を通じて美しく、四月の桜、五月の藤やセッコク、秋の紅葉などが見所。 特に全長120mの藤棚に咲く”九尺藤”は圧巻である。
美和ふるさと観光協会
天台宗 五大山 白毫寺 由緒
  慶雲2年(705)法道仙人により開基。 本尊は法道仙人が天竺より伝来せし閻浮壇金の薬師瑠璃光如来なり。 仙人は播州法華山一乗寺を開かれし後に丹波国に移り、 当地は正に仏法有縁の勝地なりと開山。 本尊を安置し、法燈の永照と当国の安寧を祈願するに、不思議なるかな、梵天帝釈や四天王の擁護あり。 諸天は歓喜し空中に妙音を奏で、天上より異香芬々たる花びらを舞い散らせり。 この時、本尊は眉間の白毫ゆおり光明を放ち給うが故に「白毫寺」と号すと伝う。
  その後、慈覚大師円仁が入唐帰国の折りに来錫。 この山の境地、さながら唐にて修行せし五台山に似たりと、将来の曼荼羅や五種鈴など密法仏具を奉納し、 山号を「五台山」と命名(現在は五大山を使用)。 以来、四方の学徒来集し隆盛を極む。
  鎌倉時代、法条時頼公巡国の折に当山に投宿し、縁起を聞いて感嘆。 諸堂再建に財を投じ、三方に下馬札を設けて崇敬を加え、更に当山護持に荘園を寄進。 こ れにより丹波屈指の名刹として隆盛し、堂塔伽藍は甍を競い、その数93坊に及ぶ。
 戦国の世に到り、織田信長の丹波攻略の命により明智光秀は数萬の軍兵を率いて幾度と来襲するも、 黒井城(保月城)の城主赤井悪右衛門直政は、白毫寺や神池寺の僧兵の援護により攻防し、光秀軍は敗れて撤退。 天正7年(1579)、光秀軍三度目の丹波攻略の折、裏山の堂床より黒井城へと送水せしことを知り、 白毫寺を堂塔一字残さず焼払いて水源を断ち、遂に落城に到る。
  しかしこの時、白毫寺西南に聳ゆ五軸の峯の頂に夜な夜な輝く光明の噂が光秀の耳に及ぶ。 この不思議を軍兵従えて調ぶれば、焼き討ちの猛火の中より飛び出でた本尊薬師如来が光明を放ちて鎮座せし姿に遇い、一同ひれ伏して感涙。 光秀は筆頭家老の斎藤利三を黒井城主に命じ置き、白毫寺復興に尽力したという。
  爾来、明治の廃仏毀釈・戦後の農地解放により往時の寺勢や寺域を滅すと雖も、 壇信徒はじめ十方の篤き信仰により、一千三百年の法燈を今に輝かす。
山門の手前を進んでいきます。 十二支と対応付けられた仏像が並ぶ道を真っ直ぐ進んでいくと、脇に「白毫寺五大山登山口」のが立っています。 すぐに道がに分かれています。 真ん中の地道を軽く登り始めると「丹波森の径」のが立っています。 少し右へ曲がって植林地を登っていくと、程なくして防護扉があります。 駐車場から5分ほどの所になります。 扉を止めているカラビナを外し、上下に設けられた小さなレバーを回せば開けられます。
鹿柵の扉です。 開けたら閉めて下さい。
白毫寺区自治会
防護扉を過ぎて、植林地に続く少しを登っていきます。 樹木には桃テープが取り付けられています。 この桃テープは大野峠に着くまで点々と続いていて、ルートを示しています。 程なくして左・右・左・右と曲がりながら、の斜面を登るようになります。 が剥き出す所を登っていきます。 次第に傾斜が緩やかになると、標高180mほどの尾根の背に出ます。 駐車場から12分ほどの所になります。 右へ曲がった所には、「界」のと「地籍調査」の赤頭短杭があります。
緩やかになった尾根を進んでいくと、程なくしてが増してきます。 尾根のから回り込むように登っていきます。 一旦尾根の背に出ますが、すぐにを登るようになります。 少し登っていくと、標高220mほどの尾根の背に出ます。
少し左へ曲がりながら進んでいくと、尾根の左肩に続くを登っていきます。 左側の樹間には少しが見える所もありますが、総じて眺めは広がりません。 引き続き取り付けられているを確認しながら登っていきます。 次第に傾斜が緩んでくると、標高240mほどの尾根の背に出ます。
「地籍調査」の赤頭短杭に混じって「図根多角」のも見かけるようになる尾根を軽く登っていきます。 少しが見られる尾根を登っていきます。 次第に傾斜が増してくると、尾根の背を外れてを登るようになります。 右上にある高みが、標高260mほどのになるようです。 緩やかになった狭い踏み跡を進んでいくと、程なくして標高250mほどの緩やかな鞍部に出ます。 駐車場から25分ほどの所になります。
のようになった尾根を進んでいきます。 少しを左へ曲がりながら登っていきます。 少し右へ曲がって、を登っていきます。 少し登っていくと、尾根のを登るようになります。 左の尾根が低くなってくると、標高280mほどの尾根の背に復帰します。
が茂るようになる尾根を進んでいきます。 アセビが茂る所を1分ほどで抜けるとになります。 少し傾斜が増してくる尾根を登っていくとになります。 右側にはが見えてきます。 緩やかな尾根を進んでいくと分岐があります。 駐車場から36分ほどの所になります。 中ほどにはが立っていて、 正面の道は「五大山」、右前方の道は「芝生広場」、今来た道は「白毫寺」となっています。 右の道(*)はキャンプリゾート「森のひととき」の芝生広場に降りて行けそうですが、 五大山を目指して正面の尾根を進んでいきます。
*この先にある分岐から降りていく道に合流するように思えますが、確かめた訳ではありません。
次第に尾根の背を外れてを進むようになります。 少し登って330m峰の北側を過ぎるとになります。 尾根の背に復帰すると、程なくしてになります。 少し登っていくと、僅かなを越えていきます。 少し降って緩やかになると分岐があります。 駐車場から42分ほどの所になります。 中ほどにはが立っていて、 正面の道は「五大山」、右前方の道は「芝生広場」、今来た道は「白毫寺」となっています。 袂には「遊歩道案内」と題した半壊したが置いてあって、 正面の道は「五大山」、右前方の道は「エルム」、今来た道は「白毫寺」となっています。 右前方の道(*)はキャンプリゾート「森のひととき」の芝生広場に降りて行けますが、 五大山を目指して正面の尾根を進んでいきます。
*右前方の道は「五大山」を参照。
この先にかけて「エルム」や「エルムいちじま」の標識を見かけますが、 運営会社が変わったようで、散策時点ではキャンプリゾート「森のひととき」になっています。
点々と設置されている「地籍調査」や「図根多角」の短杭を眺めながらを軽く登っていきます。 傾斜が緩やかになると、「五大山登山道」のを過ぎていきます。 傾斜が増したり少し緩んだりしながら続く尾根を登っていくと、次第にが増してきます。 息を弾ませながら登っていくと、が剥き出す所を過ぎていきます。 右側の樹間に山並みを眺めながら登っていきます。
尾根の肩
が剥き出す尾根を登っていきます。 程なくして尾根の背を外れてを登るようになります。 正面が明るくなってくると、桃テープに混じって「走る栄養研究所」のも見かけるようになります。 程なくして、樹木が伐採された標高410mほどの尾根の肩のような所に着きます。 駐車場から1時間1分ほどの所になります。 脇の樹木にはが取り付けられていて、 この先の道は「五大山」、今来た道は「白毫寺」となっています。 以前に来た時には地籍図根三角点を見かけたのですが、この時には確認を漏らしました。 右側が開けていて、を見渡せます。 水分補給をしながらひと息入れていきます。
落ち着いたところで、緩やかになったを進んでいきます。 程なくしてが増してきます。 少しが茂る所を過ぎると高みが見えてきます。 次第に傾斜が緩やかになると、標高450mほどの小峰Bに着きます。 尾根の肩から7分ほどの所になります。 中ほどにはがあって、脇に「地籍調査」の短杭もあります。 右前方が開けていてを眺められます。
になる尾根を進んでいきます。 が剥き出した尾根を降っていきます。 傾斜が緩やかになると鞍部に着きます。 鞍部を進んでいくと、すぐにになります。 脇の樹木にが取り付けられていて、 正面の道は「五大山」、今来た道は「白毫寺」となっています。
鞍部を過ぎて、尾根の背を外れてを登っていきます。 斜面を横切るように登って傾斜が少し緩やかになると、右側にが見えてきます。 傾斜が増してくる斜面を登って、道なりに曲がっていきます。 剥き出したの上を登っていきます。 傾斜が緩やかになると、標高490mほどの小峰Cに着きます。 尾根の肩から18分ほどの所になります。 左脇の樹木には「五大山登山道」のが取り付けられています。 正面にも尾根が続いていますが、を降っていきます。
正面にを眺めながら降っていきます。 が生える尾根を降っていきます。 程なくして緩やかなに着きます。 登り返して大岩が見えてくると、脇の樹木に「五大山」のが取り付けられています。 尾根に頭を出す大岩の右側を登っていきます。
大岩を右から巻くように曲がりながら登っていきます。 「五大山登山道」の標識が取り付けられた樹木まで来ると、トラロープが張られたがあります。 岩の上に出てみると、左側にが広がります。 右へ曲がって、が剥き出す尾根を登っていきます。 少し登っていくと、傾斜が緩んだ尾根の背に出ます。 右側にはが広がります。
傾斜が増してくると、またが幾つも剥き出す尾根を登るようになります。 しばらく続くを登っていきます。 小岩の先へ登っていくと、トラロープが張られたがあります。 岩の上からは山並みを見渡せる展望地になっています。
少しが剥き出す尾根を登っていきます。 傾斜が緩やかになると、標高520mほどの細長い小峰Dに着きます。 尾根の肩から33分ほどの所になります。
小峰の先へ降っていくとになります。 降り坂になった尾根を進んでいくと、が少し茂る所を進んでいきます。 左側にはが広がってきます。 緩やかになった尾根を進んでいくと、右側にが見えてきます。 正面に高みを眺めながら尾根を降っていくと、松の幼木が目立つに着きます。 左側に広がる山並みを眺めながら登っていきます。
松の幼木が目立つ尾根を登っていくと、尾根を塞ぐを越えていきます。 大岩を過ぎて小岩が剥き出す急な尾根になるとが張られているので、ロープに掴まりながら登っていきます。 トラロープが終わると、尾根のを登っていきます。 程なくして、標高540mほどの緩やかな小峰Eの左肩に着きます。 尾根の肩から45分ほどの所になります。 軽く降り始めると、右側にが広がってきます。
五大山 (標高569.1m)
緩やかになった尾根を進んで登り坂になると、脇の樹木に「五大山・愛宕山」のが取り付けられています。 尾根の背を外れて、アセビが茂るを進んでいきます。 少し曲がりながら登っていくと、尾根の背に復帰します。 傾斜が増す尾根を登っていくと五大山の山頂に着きます。 尾根の肩から50分ほど、駐車場から1時間55分ほどで登って来られました。 中ほどのマウンドには「白毫寺」があるので、 地形図に載っている569.1m峰になるようです。 三角点の後には「白毫寺三角点」や「五大山 白毫寺 569.1m」のがあります。
五大山の山頂は南側が開けていて、山並みを見渡せる眺めが広がります。
北東側にもが見えます。 山頂にはが立っていて、 ここは「五大山569m」、この先の道は「愛宕山」、左の道は「三日月山」、今来た道は「白毫寺/エルム」となっています。 標識の裏側には「氷上町南由良、北由良方面」と「市島町白毫寺方面」の簡単な説明文が書かれています。 へ降る尾根(*)は鷹取山五台山へ続いています。 丁度昼時になったので、「白毫寺60分」の標識の傍にあるに腰かけて昼食タイムにしました。
*北西へ降る尾根は「五大山」, 「五大山」を参照。
氷上町南由良、北由良方面
春日町黒井方面(黒井城跡経由)エルムいちじまには下れません。 登山装備、地図持参でない方は行かないで下さい。
市島町白毫寺方面
白毫寺経由エルムまで約2時間。 途中、遊歩道経由エルム90分。 小学生低学年以下の子供連れの方は、下りに難儀します。
お腹が満ちたところで、三日月山へ向ってを降っていきます。 少し曲がりながら降っていくとになります。 小さく左・右と曲がりながら降っていくと、傾斜が増したを降るようになります。 この尾根にも桃テープや「走る栄養研究所」の白テープが点々と取り付けられています。 尾根の右斜面をしばらく降っていくとに復帰します。 緩やかな尾根を進んでいくと分岐があります。 五大山から6分ほどの所になります。 脇にはが立っていて、 正面の道は「三日月山」、右前方の道は「南由良(巡視路)」、今来た道は「五大山」となっています。 右の道(*)は地形図に破線で載っている道のようですが、正面の尾根を進んでいきます。
*後日に右の道を歩きました。(「五大山」を参照)
小岩が剥き出して「地籍調査」のがある所まで来ると、少し左へ曲がって降っていきます。 傾斜が増した尾根を降っていくと、標高510mほどのに着きます。 登り坂になる所まで来ると、「火の用心」のが立っていて右を指しています。 右の斜面に踏み跡が見られますが、先ほどの分岐から分かれた道に出られそうに思えます。 正面に見える高みへ向って、植林地と雑木林を分ける急なを登っていきます。 点々と続く境界杭を眺めながら登っていくと、標高540mほどの緩やかな尾根の北端に着きます。
三日月山 (標高541m)
少し細い木が煩わしくなるを進んでいきます。 程なくして僅かなになります。 緩やかな所を過ぎると軽いになります。 やがて樹木が伐採された緩やかなに着きます。 中ほどまで進んでいくと、丹波市森林組合の地籍図根三角点があります。 ここが三日月山のようです。 五大山から18分ほどの所になります。 周囲の様子を確認しながらひと息入れていきます。
地籍図根三角点の脇には「三日月山541m」のが立っていて、 この先の道は「黒井城址」、右の道(*)は「天王坂」、今来た道は「五大山」となっています。 手前には「分水界の径」の標識もあります。 少し先にも「分水界の径」のが立っていて、右の道を指しています。 ここは「黒井城址」の板が指すを進んでいきます。 になる尾根を進んでいきます。 尾根が広がってきますが、桃テープを辿りながら降っていきます。 細い木が煩わしいを少し曲がりながら降っていきます。 大きく右へ曲がる所まで来ると標識が立っていて、 右へ曲がっていく道は「黒井城址」、今来た道は「三日月山」となっています。 三日月山から4分ほどの所になります。
*後日に右の道を歩きました。 (「五大山」を参照)
右へ曲がって降っていくとになります。 程なくして剥き出すを過ぎていきます。 岩群を過ぎて降り坂になると、左前方にが広がってきます。 少し進んだ所からは、右側にもが広がってきます。 緩やかな所を過ぎて軽く登るようになると、あまりピーク感のない標高480mほどの緩やかな高みに着きます。 三日月山から11分ほどの所になります。
緩やかな尾根を進んで少しアセビが見られるようになるとになります。 緩やかになる尾根を進んで剥き出すの脇を過ぎると、また降り坂になります。 少し降って緩やかになると、が幾つか見られるようになります。 少し降っていくとになります。 軽い登り坂になる尾根を進んでいくと、標高440mほどの僅かな高みに着きます。 三日月山から18分ほどの所になります。
伐採地
高みを過ぎて降っていくとになります。 少し進んで降り坂になると、の左側を過ぎていきます。 程なくして、のような緩やかな尾根になります。 軽いになる尾根を進んでいきます。 程なくして、明るくなった伐採地に出ます。 三日月山から22分ほどの所になります。
引き続き点々と取り付けられているを辿りながら尾根を降っていきます。 左側に窪んだ所が現れるとが張られています。 急傾斜ではないので掴まるためではなくて、ルートを示すのようです。 トラロープが終るとが張られるようになります。 程なくして緩やかな尾根になります。
降り坂になると、また張られているの手前を左へ曲がっていきます。 傾斜が増してくるを降っていきます。 尾根にはが散乱していて、少し雑然としています。 途切れながら続く桃テープに導かれながらを曲がりながら降っていきます。 曲がりながら降って桃テープ群が終ると、次第に傾斜が緩んできます。
鞍部
切れた桃テープも見られますが、もう必要がなさそうなになります。 歩き易くなった尾根を進んでいくと、両側にが立っています。 右側のでは、この先の道は「ヨコガワ峰」、今来た道は「三日月山」となっています。 左側の「水源」「横峰」の標識は何処を指しているのか分かりませんでした。 少し進んでいくと、標高300mほどの緩やかなに着きます。 右へ曲がっていくと、すぐの所に分岐があります。 三日月山から37分ほどの所になります。 脇には文字が消えかかった標識があって、「吹上げ」「水源まで700m」と書かれているようです。 右側の斜面には広い踏み跡があって気になりますが、 プラスチック製の筒のようなものがあるを進んでいきます。
馬の背のような尾根を進み始めると、尾根の背を外れてを進むようになります。 すぐに登り坂になるとが現れます。 少し倒木が見られる尾根を登っていくとになります。 近づいてくる標高320mほどのへ向って登っていきます。 高みの左肩を過ぎていくと、緩やかな尾根の背に出ます。 三日月山から43分ほどの所になります。
程なくしてが幾つも剥き出す尾根を登るようになります。 小岩群が続く尾根を登っていくとが尾根を塞いでいますが、右側を巻いていきます。 尾根の背に復帰して登っていくと、標高340mほどの高みに着きます。 三日月山から46分ほどの所になります。 右側には少しが見えます。
363.8m峰 (ヨコガワ峰)
小岩が剥き出す尾根を降っていくと、伐採木が散乱する緩やかなになります。 植林地を抜けて広いになると登り坂になります。 左へ曲がりながら登っていくとになります。 正面が明るくなってくると、少しアセビが茂る伐採地に出ます。 三日月山から53分ほどの所になります。 中ほどには「稲塚」があるので、地形図に載っている363.8m峰になるようです。 脇には「登山道」の標識と壊れた標識があります。 壊れた標識の文字は判読できませんが、 情報によると、ここは「ヨコガワ峰・稲塚三角点」、この先の道は「大野坂」、今来た道は「三日月山」と書かれているようです。 周囲には樹木が茂っていて眺めは良くありませんが、周囲の様子を確認しながらひと息入れていきます。
桃テープと白テープが取り付けられた樹木の所から、へ続く道を進んでいきます。 尾根の右斜面を降っていくと、程なくして「登山道」のが立っています。 右へ曲がって、はっきりしてくるを降っていきます。 次第に傾斜が増してくるを降っていきます。 標高270m辺りまで降ってくると、少し左へ曲がっていきます。
大野峠
程なくして、広くてになります。 軽い登り坂になると、標高260mほどの緩やかなを過ぎていきます。 降り傾斜が増してくると、また張られたがルートを示しています。 しばらく続く桃テープが終った先へ降っていくと、の手前を右へ曲がっていきます。 また張られるようになる桃テープに沿ってを斜めに降っていきます。 道なりに左へ曲がっていくと、切通のようになった大野峠に降り立ちます。 363.8m峰から18分ほどの所になります。 降り立った所には「大野峠」の標識が立っていて、 この先の道は「千丈寺山」、今来た道は「ヨコガワ峰」となっています。 峠には少し荒れ気味ながら明瞭な広めの道が通っていますが、 かつては戸坂地区と稲塚地区を結ぶ峠越えの道だったのでしょうか。
右の道は稲塚地区へ降りていけますが、 切通を過ぎていくを降っていきます。 少しが見られるものの、それほど歩き難くはありません。 何度か曲がりながら、植林地のを降っていきます。 左へ曲がりながら降っていくと谷筋に出ます。 大野峠から6分ほどの所になります。 脇にはがあって、 中にはお地蔵さんが安置されています。
舗装路終点
右へ曲がって降っていくと、僅かに水が流れる沢に架かるを渡っていきます。 に続く広い道を軽く降っていきます。 しばらく降っていくと、道が分岐する所にが架かっていますが、 左の道は見送って小橋を渡っていきます。 程なくして右前方に分かれていくを見送って、 正面の広い道を進んでいきます。 正面が明るくなってくると、のような建物が見えてきます。 防護柵に沿って右へ曲がりながら進んでいくと舗装路終点に出ます。 大野峠から14分ほど、五大山から1時間46分ほどで降りて来られました。
左へ続くを軽く降っていきます。 左側に続くに沿って真っ直ぐ進んでいきます。 少し左へ曲がっていくとがあります。 上下に設けられた小さなレバーを回せば扉を開けられます。 右側に続くようになった防護柵に沿って進んでいくとがあります。 左折して、防護柵を見かけなくなった舗装路を進んでいきます。
鹿柵の扉です。 開けたら閉めて下さい。
白毫寺区自治会
白毫寺地区
左の山際にある墓地を眺めながら軽く登り、緩やかになった所にあるを直進していきます。 また軽い登り坂になる道を進み、民家が現れる所にあるを直進していきます。 地道になった道を軽く登ってに入っていくと、軽い降り坂になります。 植林地を抜けるとがありますが、右前方の道を進んでいきます。 小川に架かる小橋を渡ると、車で来たに出ます。 左折して車道を進んでいくと、程なくして車を止めておいた白毫寺の駐車場があります。 舗装路終点から16分ほどで到着しました。