釜床山
概 要 釜床山は朝来市生野町にある標高648.7mの山です。 南側の内山寺から鷲尾寺を経て岩屋観音へ至る巡礼の道が通っていますが、 今回は西側の内山地区のふれあい広場を起終点として、 464m峰がある尾根を釜床山へ登り、ひとつ南側にある尾根を降るルートを歩きます。
起 点 朝来市生野町 円山地区
終 点 朝来市生野町 円山地区
円山地区…倭文神社…登山口…47番鉄塔…46番鉄塔…464m峰…小峰…巡礼の道…釜床山…小峰…巡礼の道…27番鉄塔…26番鉄塔…25番鉄塔…50番鉄塔…国道出合…登山口…円山地区
所要時間 4時間50分
歩いて... 今回のルートは登山道ではありませが、下草は生えておらず樹木も密生していないので、歩くのに支障はありません。 山頂の周りには樹木が茂って眺めは良くありませんが、送電線の鉄塔の傍からは山並みを眺めることができます。 50番鉄塔を過ぎると次第に急坂になり、脇の樹木に掴まりながら滑り落ちるように降っていきました。
関連メモ 古城山, 釜床山
コース紹介
円山地区
朝来市和田山町から国道312号を南下していきます。 播但連絡道路の生野北第2ICが見えてくると、円山下バス停の先に信号機が設置されたがあります。 交差点を左折した所にふれあい広場があるので、ここに車を止めさせて頂きました。
「ふれあい広場」のには「扶励合い広場」の表記も見られます。
倭文神社
ふれあい広場を出て、右へ続くを軽く降っていきます。 すぐの所にへの入口があります。 境内に入っていくと、すぐに本殿と拝殿からなる社殿があります。 拝殿には「式内倭文神社」の扁額が掲げられ、本殿の屋根には3本の鰹木が乗り外削の千木が聳えています。 右側には秋葉神社があり、左側には稲荷神社があります。 正面の石段から鳥居や手水舎があるに降りると、 「式内倭文神社」の石碑、「創建千三百年 遷宮三百年 記念碑」、「式内社」「倭文神社」の解説板などがあります。
創建千三百年 遷宮三百年 記念碑
式内倭文神社は、天羽槌命を祭神とし、創建は、和同5年(712)である。 正徳3年(1713)社殿を修造し、遷宮の時、鮭が遡上したことにより、鮭の宮と呼ばれる所以である。 創建1300年、遷宮300年にあたり、ここに記念碑を建立する。
平成24年(2012)10月吉日 氏子中
式内社
式内社とは10世紀の初め、醍醐天皇(897〜930)の御代に編纂されました延喜式神名帳に記載されている由緒正しい、 歴史の古い神社ということです。 但馬の国には131社あり、その内朝来郡には9社あります。 生野町内ではこの倭文(しどり)神社1社のみです。
倭文(しどり)神社(通称 鮭の宮)
祭神 天羽槌命(アメノハツチノミコト)
創建年代 和同5年(712)
正徳3年(1713)社殿を修造し遷宮式を行った時、偶然下流から鮭が遡ってきました。 村人達は、これをめでたい前兆として喜び鮭の宮と呼ぶようになりました。
平成5年3月 生野町教育委員会
登山口
円山川に架かるを渡っていきます。 右折して、の集落を円山川沿いに進んでいきます。 円山川に流れ込む沢に架かる小橋まで来ると、左前方へ登っていくコンクリート道があります。 ここが今回の登山口になります。 倭文神社への立ち寄りを含めて、ふれあい広場から9分ほどの所になります。 手前にはが二つ並んでいます。 左の石碑には「勇灘塚」と刻まれていますが、右の石碑は達筆すぎて読めませんでした。 その隣にはがあって、お地蔵さんが安置されています。
コンクリート道を登っていくと、すぐにに出ます。 分岐を右へ進んでいくとに入っていきます。 墓地の跡が続く植林地を進んでいくと、が現れる辺りで道が不明瞭になります。 ここで左へ曲がって、植林地のを斜めに登っていきます。 見えてくるへ向かって、思いのほか傾斜が急な斜面を横切るように登っていきます。 僅かな踏み跡を辿りながら登っていくと、左右に通る尾根にある浅い鞍部に出ます。 登山口から7分ほどの所になります。
左には僅かな高みがありますが、右へ続く植林地のを登っていきます。 尾根に明瞭な登山道はありませんが、下草は生えておらず樹木も密生していないので、歩くのに支障はありません。 息を弾ませながら登っていくと、根元付近から幹が分かれたの袂を過ぎていきます。 この尾根は円山地区と岩津地区の境界になっているためか、「国土調査」や「地籍図根」のが点々と設置されています。 浅い鞍部から5分ほど登っていくと、傾斜が少しになります。 すぐに傾斜が増してくる尾根を登っていきます。
正面に見えてくる高みへ向かって、植林地のを登っていきます。 曲がりながら続く尾根を登っていきます。 次第に傾斜が緩やかになると、のような所に着きます。 少し進んでいくと僅かなになります。 程なくして緩やかな尾根になります。
47番鉄塔
軽いになる尾根を進んでいきます。 坂を登り切ってになると、左へ曲がっていきます。 すぐに防護網が現れると、右へ戻るように降っていくがあります。 防護網に沿って降っていくと、送電線の鉄塔「生野北支線四七」の袂に出ます。 浅い鞍部から19分ほどの所になります。 左から正面にかけてが広がります。 送電線が続く尾根の左手前に聳えているのが目指す釜床山でしょうか。 景色を眺めながら、ひと息入れていきます。
手前の分岐まで引き返してきて、を進んでいきます。 程なくして軽いになります。 役目を終えて地面を這っている防護網に沿って降っていきます。 緩やかな所を過ぎていくとになります。 傾斜が緩んできた尾根を軽く登っていくと、標高370mほどの高みに着きます。 47番鉄塔から5分ほどの所になります。
右へ曲がって、になる尾根を進んでいきます。 程なくしてになります。 になる尾根を進んでいきます。 植林地を抜けるとに出ます。 道なりに左へ曲がると鉄塔が見えてきます。
46番鉄塔
振り返ると、送電線が続く先にが見えます。 近づいてくる鉄塔へ向かって、樹木が伐採されたを横切るように進んでいきます。 登り傾斜が増してくると、送電線の鉄塔「生野北支線四六」の袂に出ます。 47番鉄塔から12分ほどの所になります。 樹木が邪魔をしていますが、送電線が延びる方角に少しが見えます。 北側へ降るを確認したりしながらひと息入れていきます。
シダ類や小さな木が茂るを登っていきます。 シダ類などを掻き分けながら登っていくと、すぐになります。 森へ入る手前で振り返ると、広がる山並みを眺められます。
464m峰
「国土調査」や「図根多角」のが続く尾根を登っていきます。 思いのほかなので、脇の樹木に掴まったりしながら登っていきます。 横たわるを過ぎていきます。 傾斜が緩やかになると、少しアセビが茂る高みに着きます。 46番鉄塔から14分ほどの所になります。 少し左側には「国土調査」のがあるので、ここが地形図に載っている464m峰になるようです。 傍には「国土調査」の短杭もあります。 周囲は樹木に囲まれていては良くありませんが、 リュックを降ろして水分補給などをしながら休憩していきます。
落ち着いたところで、になる尾根を進んでいきます。 かなり傾斜がある尾根を降っていくと、標高430mほどのに着きます。 鞍部を過ぎて登っていくと、標高440mほどのが続くようになります。 少し左へ曲がっていくと、僅かなになります。 緩やかになった先を少し右へ曲がって降っていくと、再び緩やかな尾根になります。 464m峰から12分ほどの所になります。
が剥き出した所を登っていきます。 緩やかになると、僅かなを過ぎていきます。 軽く降っていくとになります。 登り坂になる尾根を進んでいくと、傾斜がを過ぎていきます。 標高450mほどの所まで来ると、次第に登り傾斜が増してきます。
かなりなので、脇の樹木に手を掛けながら登っていきます。 少しから回り込むように登っていきます。 右脇にあるを過ぎていきます。 464m峰から22分ほどの所になります。 標高490mほどの所まで来るとになります。 少し登っていくと緩やかな尾根になります。
になったり緩やかになったりする尾根を進んでいきます。 樹木が茂り気味になると、が増してきます。 樹木が減って歩き易くなると、前方にが見えてきます。 息を弾ませながら登っていくと、標高530mほどの尾根の肩のような高みに着きます。 464m峰から32分ほどの所になります。
小峰
僅かにを進んでいきます。 緩やかな尾根を進んでいくと、軽いになります。 傾斜が緩やかになると、少し曲がっていきます。 程なくして軽いになる尾根を進んでいきます。 やがて小岩が剥き出した所に老大木が生える標高530mほどの小峰に着きます。 464m峰から35分ほどの所になります。 周囲には樹木が茂っていて展望は良くありませんが、 右側の樹間に送電線の鉄塔が立つが見えます。
右へ曲がって、が剥き出す尾根を降っていきます。 少し降っていくとになります。 程なくして軽いになります。 少し降っていくとになります。 緩やかな所を過ぎて、次第に傾斜が増してくる尾根を登っていきます。
巡礼の道
が少し剥き出す尾根を登っていきます。 脇の樹木に手を掛けながらを登っていきます。 息を弾ませながら登っていくと、左右に通る巡礼の道(*)に出ます。 小峰から12分ほどの所になります。 内山寺跡へ続いています。 鷲尾寺岩屋観音へ続いているようです。 脇にはが佇んでいて、 台座には「願主 車屋昭三郎」と刻まれています。 以前に来た時には倒れていたことを思い出したりしながら、ひと息入れていきます。
*左右に通る巡礼の道は「釜床山」を参照。
落ち着いたところで、石仏の背後に続くを登っていきます。 これまでと同様に登るのに支障はありませんが、 思いのほかなので、脇の樹木に掴まりながら登っていきます。 が幾つも剥き出す尾根を登っていきます。 倒れ掛かった木の下を過ぎたりしながら登っていくと、が見えてきます。 呼吸を整えながら登っていくと、緩やかな尾根の肩に着きます。
釜床山 (標高648.7m)
少し左へ曲がって、を進んでいきます。 正面のへ向かって進んでいきます。 程なくして、釜床山の山頂に着きます。 巡礼の道から9分ほど、登山口から2時間6分ほどで登って来られました。 以前に来た時から少し成長した気がする松の幼木の中には「金床山」があるので、 地形図に載っている648.7m峰になるようですが、名前を記した標識類は見掛けません。 周囲には樹木が茂っていて眺めは良くありません。 丁度昼時になったので、座れそうなに腰掛けて昼食タイムにしました。
お腹が満ちたところで、右前方にあるを降っていきます。 少し降っていくとになります。 少し進んでいくと、尾根が分岐している尾根の肩に着きます。 釜床山から4分ほどの所になります。 中ほどには「国土調査」のがあります。 も歩けそうな様子ですが、見送っていきます。
を降っていきます。 少し降っていくとになります。 少し進んでいくと、尾根が分岐している尾根の肩に着きます。 釜床山から6分ほどの所になります。 西の尾根は見送って、左へ曲がっていくを降っていきます。
小峰
少し降っていくとになります。 左の樹間には僅かにが見えます。 少し進んでいくとになります。 傾斜が緩やかになると、標高620mほどの小峰に着きます。 釜床山から12分ほどの所になります。 (*)を降っていくと28番鉄塔へ出られますが、 南南西へ続くを降っていきます。
*左の尾根は「古城山」を参照。
巡礼の道
倒木を過ぎて、歩き易くなったを降っていきます。 左前方の樹間に僅かに山並みを眺めながら降っていくと、尾根がに分かれていますが、右側の尾根を降っていきます。 少し降っていくとまた尾根がに分かれていますが、ここでも右側の尾根を降っていきます。 緩やかな尾根を降っていくと、右から来るに出ます。 小峰から11分ほどの所になります。 巡礼の道(*)はすぐ先で左へ曲がっていきますが、石仏が佇む所から正面の尾根を降っていきます。
*右から来て左へ曲がっていく巡礼の道は「釜床山」を参照。
27番鉄塔
軽いで続く尾根を進んでいきます。 少し降った先を小さく左へ曲がっていくと、広いのような所に出ます。 すぐに右へ曲がると「火の用心」の赤いが立っています。 高みの左肩を登っていくと、退色した「火の用心No28」のが立っています。 緩やかになった左肩を進んでいくと、送電線の鉄塔「大河内線二七」が立っています。 巡礼の道から5分ほどの所になります。 鉄塔に邪魔されながらも山並みを眺められます。
僅かな起伏で続く尾根のを進んでいきます。 送電線の巡視路でよく見掛ける硬質プラスチック製のも途切れながら続きます。 尾根の背を通っていても良さそうに思いますが、何故だか左肩に続いています。 程なくして退色しかけた「火の用心No26」のを過ぎていきます。 軽く降っていくと、緩やかなを進むようになります。 程なくして軽い登り坂になると、また左肩を通るようになります。
少し登って降り坂になると、退色した「火の用心No27」のを過ぎていきます。 軽い登り坂になると、僅かなの左肩を過ぎていきます。 少し降っていくと、緩やかなになります。 程なくして、軽いになります。 左の樹間に山並みを眺めながら進んでいきます。
程なくして、左前方の樹間に送電線のが見えてきます。 尾根の背を進んで登り坂になると、左肩にが現れます。 角の樹木の袂には「2153 E 国土調査」の短杭や赤プラ杭があります。 正面の尾根の背は道が不明瞭になるので、左肩の小径を進んでいきます。 尾根の左肩に続く道を進んでいくと、左側にが広がってきます。 しばらく左肩を進んでいくとに出ます。 軽く登り始めると、また左肩を進むようになります。
26番鉄塔
倒木をくぐっていくと、小さく右・左とに曲がっていきます。 2回ほど曲がりながら尾根の背を登っていくと、樹木が伐採された小広いに出ます。 手前には退色した「火の用心」の標識が立っています。 左下に見える鉄塔へ向かって、アセビが少し茂るを降っていきます。 程なくして送電線の鉄塔「大河内線二六」の袂に出ます。 27番鉄塔から18分ほどの所になります。 鉄塔に邪魔されながらも山並みが広がります。
左の先に少し見えるを眺めなたりしながら休憩していきます。
鉄塔から引き返してくると、小広い高みに出る手前から左へが続いています。 小径に入った所には退色した「火の用心No25」の標識が立っています。 軽く登って尾根の背に出て、僅かなを越えていきます。 歩き易いを軽く降っていきます。 が放置された所まで来ると、少し左へ曲がっていきます。 少し降っていくと、緩やかな広い尾根になります。
25番鉄塔
少し右へ曲がりながら進んだ所から、を降っていきます。 左・右と数回曲がりながらを降っていきます。 広い道のような尾根を降っていくと、退色した「火の用心No26」のを過ぎていきます。 正面が明るくなってくると、また退色した「火の用心No26」のが立っています。 樹木が伐採された所に出ると、朱色に塗られた送電線の鉄塔「大河内線二五」が立っています。 26番鉄塔から18分ほどの所になります。 ここでも、鉄塔に邪魔されながら山並みを眺められます。
鉄塔の下には「高光度航空障害灯管制器」の銘板が取り付けられたがあります。
鉄塔の先へ続くを降っていきます。 左側に少しを眺めながら降っていきます。 程なくして「火の用心No24」のを過ぎていきます。 枯れ葉や土に埋もれた硬質プラスチック製のを、小刻みに曲がりながら降っていきます。 降り傾斜が増し始めると尾根が二手に分かれてますが、左側の尾根を降っていきます。
途切れながら続く硬質プラスチック製のを降っていきます。 少し眺めが広がる所に出るとが通っています。 脇に立つには「ヤマグチ34E3N9」と「ヤマグチ34E12G9」の標識が取り付けられています。 先ほどの25番鉄塔にあった装置まで電気を送っているのでしょうか。 途切れながらも更に続く硬質プラスチック製のを曲がりながら降っていきます。 谷向かいの山へ延びる送電線を眺めながら降っていきます。
50番鉄塔
左にを眺めながら降っていきます。 まだまだ続く硬質プラスチック製の階段混じりのを降っていきます。 正面に見えてくるへ向かって降っていきます。 伐採地に出て降っていくと、送電線の鉄塔「生野北支線五0」が立っています。 25番鉄塔から19分ほどの所になります。 少し手前から山並みを眺めなたりしがら休憩していきます。
見上げると、これまで続きてきた大河内線は鉄塔を素通りし、南北に続くの鉄塔になっています。
鉄塔の手前には「火の用心」の標識が立っています。 は荒れ気味ながら49番鉄塔へと続いています。 の最初には硬質プラスチック製の階段がありますが、少し先で道が不明瞭になります。 今回は正面に続く尾根を進んでいきます。
左右の巡視路を少し歩きましたが、いずれも国道312号へ降る明瞭な道は見つけられませんでした。
(所要時間に含めず)
樹木が少し煩わしくなるを進んでいきます。 程なくして樹木が減って歩き易くなる尾根を進んでいくと、苔生したがあります。 石杭を過ぎると、の植林地を降るようになります。 写真では良く分かりませんが、かなりのなので、脇の樹木に手を掛けながら降っていきます。 頭を出した岩群の脇を過ぎていきます。
更に続くを降っていきます。 やがて下の樹間にが見えてきます。 真っ直ぐ降っていくと、左右に通る僅かなが現れます。 正面は急傾斜なので、何処かへ続いていることを信じて踏み跡を右へ進んでいきます。 消えそうになりながら続く踏み跡を辿って急斜面を横切っていくと、剥き出したの脇を過ぎていきます。 踏み跡が次第に不明瞭になるので、左下に見えている国道312号へ向かって、脇の樹木に掴まりながら雑木林の斜面を降っていきます。
国道出合
やがて国道の脇に立つが見えてきます。 また斜面を横切るように進んでいくと、の脇を過ぎていきます。 桃テープが巻かれた樹木を過ぎて植林地を横切っていくとに出ます。 左へ曲がっていくと、すぐに国道312号に出ます。 50番鉄塔から25分ほど、釜床山から2時間2分ほどで降りて来られました。 道路向かいには大西自動車工業の建物が並んでいます。 出た所には「火の用心No56」の赤いが立っています。 送電線の巡視路の出口のようですが、どのルートを通ってくるのかは分かりませんでした。
右へ続く国道312号沿いのを進んでいきます。 土留め柵に沿って進んでいくとが架かっています。 「鉱石の道」の解説板が設置されていて「」が載っていますが、今回のルートは載っていません。 播但連絡道路の傍までいくと、円山簡易郵便局の前にがあります。 そこから右へ分かれていく道に入り、すぐにある円山橋を渡っていきます。
鉱石の道 産・業・遺・産 明延・神子畑・生野
「鉱石の道」とは、明治中期以降から昭和62年の明延閉山まで、明延鉱山、神子畑鉱山(神子畑選鉱場)、生野鉱山の3鉱山を相互に結んで鉱石などを運んだ道です。 周辺には、近代以降の産業遺産が数多く点在しています。 この地域に残されたさまざまな建造物や機械などから先人の歩みを感じることで、近代化産業の歴史と再会してみましょう。
明延鉱山  明延鉱山では銅や錫などが採掘され、日本一の錫鉱山でした。 明延探検坑道では、鉱山操業当時の機械や採掘跡など、そのままの状況が見られます。 また奈良、東大寺の大仏鋳造にも明延産出の銅が献上されたと言う言い伝えもあり、 残された岩肌の色や採掘跡の形から、時代の移り変わりや採掘方法の違いも見ることができます。 しかし、昭和62年(1987)に閉山し、その歴史に幕を閉じました。
生野鉱山  生野鉱山では明治維新後に政府により着任したフランス人コワニエらによって、軌道や巻揚機の新設など、 数々の先進的施策を行いめざましい近代化を成し遂げました。 明治9年には近代工場や洋風建築の建設が進められ、日本の鉱山開発の模範となる近代的な工場がつくられました。 明治22年以降皇室財産になりましたが、明治29年には民間に払い下げられ、国内有数の大鉱山として操業してきました。 しかし、昭和48年に閉山、1200年の長い歴史に幕を閉じました。
神子畑選鉱場  明延鉱山から明神電車に載せられて運ばれてきた鉱石を、比重の違いや浮力を利用して、亜鉛、銅、錫などに選別していました。 選別された鉱石のなかで、錫は主に生野へ運び、さらに製錬されていました。
登山口
円山集会所を過ぎていくと、右側にがありますが、訪ねるのは省略しました。 円山地区の集落に続く道を進んでいくとがあり、その前には円山公民館前バス停があります。 円山川に流れ込む沢に架かる小橋を渡ると、最初に登っていった登山口があります。
円山地区
円山川沿いに進んでいくと、民家の前にリアルなが腰掛けています。 程なくして架かるを渡っていきます。 倭文神社の右側を回り込むように進んで国道312号の手前まで来ると、車を止めておいたふれあい広場があります。 国道出合から20分ほどで到着しました。