釜床山
概 要 釜床山は朝来市生野町にある標高648.7mの山です。 傍には内山寺から鷲尾寺を経て岩屋観音へ至る巡礼の道が通っています。 山頂からの眺めは良くありませんが、南側の尾根からは山並みを眺めることができます。 今回は内山寺跡から石仏が並ぶ巡礼の道を通って稜線に出て山頂へ向かい、少し北から巡礼の道を引き返すルートを歩きます。
起 点 朝来市生野町 奥銀谷地区
終 点 朝来市生野町 奥銀谷地区
奥銀谷地区…寺町地蔵堂…鳥居跡…熊野神社跡…内山寺跡…鞍部…小峰…釜床山…鞍部…支尾根…支尾根…鞍部…内山寺跡…鳥居跡…天満宮…奥銀谷地区
所要時間 4時間30分
歩いて... 釜床山の南にある小峰の手前は急傾斜になっていましたが、振り返ると山並みを見渡せました。 内山寺跡までの参道は広いものの荒れ気味でした。 巡礼の道はかなり荒れていて迷う分岐もありましたが、所々に桃テープが取り付けられていて助かりました。 釜床山の西側の巡礼の道は荒れ方がひどく、消滅寸前の所が随所にありました。
関連メモ 古城山, 釜床山
コース紹介
奥銀谷地区
朝来市和田山町から国道312号を南下していきます。 生野駅(JR播但線)の手前にある坂道を登っていくと、「大明寺14km」「銀山湖6km」「史跡生野銀山3km」の標識が立つ分岐があります。 そこから国道429号に入り、口銀谷交差点を左折して東進していきます。 奥銀谷地区に入って生野銀山への道を右に分けていくと、 小野新橋の手前に広い駐車スペースがあるので、ここに車を止めました。
寺町地蔵堂
国道429号を引き返してきます。 生野銀山口バス停を過ぎると、生野銀山への道が分かれるがあります。 右へ続くへ入っていきます。 角にある奥銀谷地区コミュニティセンターを過ぎて3軒目の白壁の塀がある民家の横のへ入っていきます。 「寺町通り跡」のを過ぎていきます。 廃屋を過ぎた所にが立っています。 鳥居の右側にを祀る寺町地蔵堂があります。 駐車スペースから7分ほどの所になります。 中には地蔵まつりの写真や「寺町地蔵堂再建瓦懇志芳名」と題して多くの氏名を書いた板が掲げられていました。
寺町通り跡
昭和28年(1953)廃
地蔵菩薩御真言
おんかかかびさんまゑいそわか
弘法大師御真言
南無大師遍照金剛
鳥居の先には天満宮への石段が続いていますが、寺町地蔵堂の右側に続くを登っていきます。 金網柵に沿って登っていくとがあります。 正面には「天神坂」の標札が立っています。 左の道は天満宮へ登っていく石段の途中に続いていますが、右前方に続く坂道を登っていきます。 植林地に続くようになった道を1分ほど登って左へ曲がる所まで来ると、「天満宮(天神社)跡」のが立っています。 左・右と曲がって、広めの道を登っていきます。 往時にはこの先にあった内山寺熊野神社への参道だったようですが、大きな石がゴロゴロして荒れ気味になっています。
天神坂
天満宮(天神社)跡
焼飯天神ともいう
脇に倒れている「内山つつじ」の標札を過ぎていくと、樹間から僅かにが見える所がありました。 そこを過ぎてを更に登っていくと、 左側の斜面が少し伐採されてになっていました。 傾斜が緩やかになってきた道を進んでいくと、道端に「休み堂跡」の標札が立っていて、 傍にはが並んでいました。
内山つつじ
内山の 岩が根つづじ いわねども 千代のまつがねに 根ざしてぞ咲く
生野白石代官 千別
休み堂跡
緩やかな参道を進んで左の斜面が明るくなってくると、「金掘りの径」のが立っています。 その脇から僅かな小径が斜面に続いていました。 地形図に破線で載っている道のようです。 頭の取れた石仏を過ぎていくとが増してきます。 傾斜が緩やかになった所に「内山番所跡」のがありました。 その背後になだらかな所がありますが、そこに番所が建っていたようです。
金掘りの径
内尾谷・古城山に通じる
内山番所跡
延享2年(1745)復活される
鳥居跡
軽く降って傾斜が緩やかになってくると、が道を横切っています。 左側の樹木の下から流れ出した水が、道を横切って右側の谷筋へ流れていました。 少し泥濘んだ所を過ぎていくと、が増してきます。 石仏が佇み「竹原野」の標識が立つを直進していきます。 植林地に続く坂道を登っていくと、正面に石垣が見えてきます。 中ほどに佇む石仏を過ぎていくと、「熊野神社 石段 鳥居跡」のが立っています。 寺町地蔵堂から19分ほどの所になります。 往時には石垣の上に鳥居が立っていたようです。 石垣の間を登った先は急斜面になっていますが、そこに石段が設けられていたものと思われます。 参道は石垣の手前から続いています。
熊野神社 石段 鳥居跡
寛政8年(1796)
すぐの所にある「内山寺・熊野神社」の標識を過ぎていくと、 「町石(一丁)」のが立っていて、袂には「一丁」と刻まれた石仏が佇んでいました。 右へ曲がりながら登っていくと、沢が流れるに出ます。 少し水が流れるを進んでいくと分岐があります。 寺町地蔵堂から23分ほどの所になります。 中ほどにはが立っていて、 正面の道は「至 岩屋観音 5km」、右の道は「熊野神社」、左の道は「内山寺」となっています。 左の開けた所が内山寺跡のようですが、先ずは右の道から熊野神社跡を訪ねていきました。
町石(一丁)
享保14年(1729) 施主 好右衛門
熊野神社跡
植林地に続くを登っていきます。 緩やかになった所に出ると、左側に低いが現れます。 放置された伐採木が目立つ所を左へ曲がりながら進んでいきます。 短いを登っていくと石垣があります。 脇には「熊野神社跡」の標札が立っていました。 この辺り一帯がかつて熊野神社のあった所で、石垣の間の石段を登ったなだらなか所に社殿が建っていたようです。
熊野神社跡
内山熊野大権現堂
内山寺跡
往復4分ほどで手前のまで引き返してきます。 僅かに水が流れる所の先に「鐘堂跡」のが立っています。 その先の石垣の前に「内山寺跡」のが立っていて、そこに内山寺の本堂が建っていたようです。 右手前にはがあって、往時には太鼓橋が架かっていたようです。 今では丸太橋が幾つか架かっていますが、どれも腐り気味で危なそうな様子でした。 石垣沿いに右へ進んだ所に「内山寺遺跡」と刻まれた石碑があります。 池の中に浮かぶには弁財天社があったようです。
鐘堂跡
寛永6年(1629)
夕露の はかなき世とは 内山の 入相の鐘に 人はしらなむ
杉野義宣 若林山師通称菊屋勘兵衛
松滝山 内山寺跡
高野派南院末 寺格3等格地20等
弁天池
池水の そこひ深くも 匂ふかな 内山寺の 園のつつじ
津田甚九郎 大掛屋推彰
太鼓橋跡
玉垣の 内山寺の 花つつじ ゆふくれないに 匂ふ池水
代官所役人 田中政雄
弁財天社跡
本尊 弁財天 延暦24年(804) 伝教大師作
内山寺遺跡
内山雪 内山の 峰より谷の こずえまで 白妙にふる 今朝の雪
内山月 名も高き 大内山の 月ぞとも 言ふべかりける 秋の今宵は
内山花 いつの世に たか植初し 内山の なみ木の花を よしのとも見む
内山時鳥 内山の 藤のさかりの 杜鵑 心の外の 初音なりける
生野代官所役人 渡辺信清
合わせて9分ほど居た熊野神社跡内山寺跡を後にして、その先のを進んでいきます。 この道はかつては内山寺から鷲尾寺を経て岩屋観音へ至る巡礼の道だったようです。 1分ほど進んだ所にが並んでいました。 その先にあるのような所の左側を過ぎていきます。 頭の取れた石仏を過ぎて植林地を登っていくと分岐があります。 内山寺跡から3分ほどの所になります。 正面には傾斜が増した尾根の背が続いていて、その左右にも道があります。 辺りに標識類は見かけず、どの道を進めば良いのか迷う所ですが、に続く道を進んでいきます。
少しを登っていきます。 緩やかになった道を進んでいくと、の脇を過ぎていきます。 道なりに右へ曲がりながら進んでいくとになります。 坂を登り切って支尾根に出ると、脇には「七十番」のが佇んでいました。 内山寺跡から7分ほどの所になります。
道なりに左へ曲がっていくと、すぐの所で道がに分かれています。 どちらへ進もうかと辺りを見回していると、右側の道の先に桃テープが取り付けられていました。 左側の道は、地形図に破線で載っている道のようでした。 ここは右側の道を進んでいきます。 頭の取れた石仏を過ぎていくと、少し降り坂になります。 「六十五番」のを過ぎて更に降っていくと、苔生す谷筋に着きます。 内山寺跡から10分ほどの所になります。 ここで道が不明瞭になりますが、谷向かいの斜面に僅かながあって桃テープも取り付けられているので、 苔生した所を横切ってそこへ向かっていきます。
植林地に続く道を登っていくとが2体並んでいて、そのひとつには「六十八」と刻まれていました。 少し窪んだ道を登っていくと幅の広がったに着きます。 ここにもが2体佇んでいて、そのひとつには「廾八番」と刻まれています。 僅かに降っていくと支尾根は右へ降っていきますが、は左へ曲がっていきます。 内山寺跡から13分ほどの所になります。
頭の取れたを過ぎていきます。 大きな葉が積もって分かり難くなったを進んでいきます。 僅かなを回り込んでいきます。 登り坂になった道を進んでいくと支尾根に着きます。 内山寺跡から21分ほどの所になります。 脇にはが佇んでいました。
道なりに左へ曲がって降っていきます。 の脇を過ぎていきます。 緩やかな道になった道を進んでいくとが2体並んでいて、そのひとつには「七十三番」と刻まれていました。 登り坂になった道を進んでいきます。 道なりに少し右へ曲がって登っていくと緩やかな支尾根に着きます。 内山寺跡から26分ほどの所になります。 脇にはが2体並んでいて、そのひとつには「二十七番」と刻まれていました。
鞍部
緩やかになった道を進んでいきます。 程なくして登り坂になってきた道を進んでいくとが2体ありましたが、そのひとつは倒れていました。 一旦緩やかになって再び登り坂になる道を進んでいくと、道端にが2体倒れていました。 そのひとつには「六十三番」と刻まれていました。 が次第に近づいてくるのを感じながら登っていきます。 少し左へ曲がりながら登っていくと、稜線にある鞍部に出ます。 内山寺跡から35分ほどで着きました。 登り着いた稜線は、釜床山から古城山へと続く尾根になります。 巡礼の道は防護網をくぐって右前方へ続いていますが、 防護網沿いに右へ続くを登っていきます。
(左から尾根を降ってくる道は「古城山」を参照)
所々に桃テープが取り付けられたを登っていきます。 写真ではよく分かりませんが、が結構急で脹ら脛が痛くなってきました。 釜床山へ続くこの尾根は朝来市生野町の円山地区と竹原野地区の境になっているようで、 「国土調査」の青頭短杭が点々と設置されています。 鞍部から4分半ほど登っていくと、退色した「火の用心」のの先から硬質プラスチック製の階段が始まります。 左から小径が登ってきていますが、鞍部から先へ続く巡礼の道の途中から分かれてきた道になります。 階段を1分ほど登っていくと伐採地に出ます。 2年ほど前に来た時にはなかったように思いますが、近年になって伐採されたようです。 振り返ると、山並みを見渡せる眺めが広がっていました。 何度も振り返って景色を眺めながら、曲がりながら続く階段を登っていきました。
(左から来る小径は「古城山」を参照)
伐採地に曲がりながら続くを登っていきます。 右側の先に見えているのは送電線の鉄塔「大河内線28」になります。 再び雑木林に入って、硬質プラスチック製の階段を更に登ってくと、退色した「火の用心」の標識が立っています。 鞍部から12分ほどの所になります。 標識の袂からが右へ分かれていきます。 2年ほど前に来た時よりもはっきりした道になっていました。 先ほど見えていた鉄塔へ続く道のようですが、標識のに続く尾根を更に登っていきます。
小峰
階段が終わったを更に登っていきます。 左から登ってくるがありますが、 巡礼の道から分かれてきた尾根のようでした。 次第に広がってくる尾根を登っていくと、がある小峰に着きます。 鞍部から19分ほどで登って来られました。 地形図によると、釜床山の南300m辺りにある標高620mほどの高みになるようです。 ここで尾根が二手に分かれています。 は先ほど見えていた鉄塔へ降りていけますが、 釜床山へ向かってを降っていきます。
(右の尾根は「古城山」を参照)
北へ続くを降っていきます。 2分ほど降ってに着きます。 左右の樹間からは僅かにが見えました。 鞍部から尾根を登り返していきます。 程なくして正面に見えてくるへ向かって登っていくと、 尾根の肩のような緩やかな所に着きます。
釜床山 (標高648.7m)
道なりに少し右へ曲がっていくとになってきます。 僅かなの手前まで来ると、道は左へ曲がっていきます。 緩やかになった尾根を進んで植林地になるとになります。 植林地から雑木林に変わった尾根を登っていくと、が明るくなってきます。 そこへ向かって登っていくと金床山の山頂に着きました。 小峰から11分ほどで登って来られました。 山頂には「金床山」があるので、地形図に載っている648.7m峰になるようです。 山頂は樹木が刈り払われていますが、周りには樹木が茂っていて展望は得られません。
金床山からは尾根が二手に分かれています。 は広くて歩き易そうな様子ですが、 三角点の奥へ続くを降っていきます。 降り始めは緩やかな尾根ですが次第にが増してくるので、脇の樹木などに掴まりながら降っていきました。 大きな岩や根刮ぎ倒れたの脇を過ぎていきます。 最初は不明瞭ながら、次第に尾根が二股に分かれていきます。 右の尾根に引き込まれないよう、植林地と雑木林を分ける左の急な尾根を降っていきます。
鞍部
急坂を降っていくと、少し傾斜がに出ます。 僅かに右へ曲がっていくと、再びを降るようになります。 脇の樹木などに掴まりながら降っていくと、程なくしてになります。 尾根を更に降っていくと、左の斜面を横切るようにして続くが見えてきます。 次第に近づいてくる小径を眺めながら尾根を緩やかに降っていくと、その小径と合流する鞍部に着きます。 釜床山から15分ほどの所になります。 尾根道はこの先へも続いていますが、ここから左へ戻るようにして続くに入っていきます。
斜面を横切るようにして続く小径は、小峰の手前の鞍部から分かれてきたになります。 少しになった所を進んでいきます。 桃テープが巻かれたを左へ回り込んでいきます。 僅かな谷筋に差し掛かると、道が不明瞭になります。 鞍部から4分ほどの所になります。 落葉も積もって分かり難いですが、何とかは続いていました。
斜面を横切るようにして軽く登っていきます。 に着いて左へ回り込んでいきます。 次のに出ると、道が踏み跡程度になって更に分かり難くなっていました。 あらぬ所へ行かないようを辿りながら、斜面を横切るように登っていきます。 少し左へ曲がって、紅葉が始まった雑木林を横切っていきます。
が次第に低くなってくるのを眺めながら、斜面を軽く登っていきます。 (*)に着くと、が台座から落ちて倒れていました。 鞍部から15分ほどの所になります。 道は小尾根を左へ回り込むようにして軽く降っていきます。
*後日に左右に通る小尾根を歩きました。 (「釜床山」を参照)
荒れ気味の斜面を横切って、剥き出したを慎重に進んでいきます。 道にの下を過ぎていきます。 再びを進んでいきます。 少し曲がったり降ったりしながら斜面を進んでいきます。 を進むようになると、「六十番」の石仏が佇んでいました。 鞍部から21分ほどの所になります。
少し曲がりながら進んでいきます。 緩やかな広めの斜面になってくると、岩の袂に「七十八番」のが佇んでいます。 を横切るように進んでいきます。 僅かな谷筋を右へ回り込んで、軽く登っていきます。
支尾根
右の樹間から僅かにを眺めながら進んでいきます。 左の尾根が低くなってくると支尾根に着きます。 鞍部から29分ほどの所になります。 歩き易そうなが右へ降っていますが、 支尾根を回り込むようにして進んでいきます。
が茂る所を抜けていきます。 樹間に頭を出すを眺めながら進んでいきます。 谷筋に差し掛かると、道端に「七十九番」のが倒れていました。
谷筋を回り込んで、を軽く登っていきます。 樹間からを眺めながら進んでいきます。 少し左へ曲がりながら進んでいくと、樹木の脇に2体のが佇んでいて、 そのひとつには「二十三番」と刻まれていました。 僅かなを過ぎて、その先へ進んでいきます。
支尾根
に着いて左へ回り込んでいくと、 道端に「八十番」のが佇んでいます。 僅かな谷筋を右へ曲がりながら進んでいくと、が次第に低くなってきます。 軽く登っていくと支尾根の背に出ます。 鞍部から44分ほどの所になります。 (*)の入口には桃テープが取り付けられていて、尾根の先の方にも桃テープが見えました。 釜床山の手前にあった小峰へ登っていけるように思えますが、確かめた訳ではありません。
*後日に左の尾根を歩きました。 (「釜床山}を参照)
尾根の背を降り始めると、すぐの所にが取り付けられています。 正面は西へ延びる緩やかな支尾根(*)で歩き易そうな様子ですが、巡礼の道は左へ曲がっていきます。 を過ぎて降っていくと、退色した「火の用心 No28」の標識が立っています。 右からは支尾根からの道がしてきます。
*後日に正面の支尾根を歩きました。 (「釜床山}を参照)
斜面を緩やかに降っていくと、「火の用心 No28」の標識が立っています。 鞍部から48分ほどの所になります。 標識の所から左前方へとが分かれて登っていきます。 鞍部から小峰へ登っていく途中に出られますが、このままを進んでいきます。
(左の小径は「古城山」を参照)
鞍部
右・左と小さく曲がって降っていくと、頭の取れたが倒れています。 その先へ降っていくと、が2体倒れていて、そのひとつには「八十一」と刻まれていました。 僅かな沢が流れるを回り込んでいきます。 斜面を緩やかに進んでいくと、稜線にある鞍部に出ます。 釜床山の北にあった鞍部から52分ほどで着きました。 防護網をくぐって、正面に続く元来た巡礼の道を引き返していきます。
植林地の斜面に続く道を降っていくと、岩の脇にが倒れています。 「六十三番」のや倒れたを過ぎて降っていきます。 傾斜が緩やかになってくると、「二十七番」の石仏が佇む小尾根に出ます。 鞍部から7分ほどで着きました。
小尾根を右へ回り込んで降っていくと、「七十三番」のを過ぎていきます。 登り坂になってくると、の脇を過ぎていきます。 右へ曲がりながら登っていくと、石仏が佇むに着きます。 支尾根を右へ回り込んで降っていくと谷筋に着きます。
大きな葉が積もって分かり難い斜面を登っていくと、頭の取れたがあります。 その先へ登っていくと、が左へ分かれていく所に出ます。 左の支尾根を見送って右へ曲がっていくと、「廾八番」のが佇んでいます。 少し窪んだ道を降っていくと、「六十八」のがあります。 更に降っていくと、苔生す谷筋に出ます。 鞍部から21分ほどで着きました。
苔生した所を横切って、左前方のを登っていきます。 「六十五番」のや頭の取れた石仏を過ぎていくと、 地形図に破線で載っている道とのに着きます。 右から降ってくる道を合わせていくと、すぐに「七十番」の石仏が佇む支尾根に出ます。 鞍部から25分ほどで着きました。
支尾根を右へ回り込んで降っていきます。 道なりに左へ曲がりながら緩やかになってくる道を進んでいくと、倒れたの脇を過ぎていきます。 少し窪んだ道を降っていきます。 僅かなを右へ曲がっていくと、 道が三方に分かれているに出ます。 正面へ降って頭の取れた石仏を過ぎていくと、のような所に出ます。 湿地の右側を進んでいくと、並んだがあります。 それらを過ぎていくと、内山寺跡にある弁天池の畔に着きます。 鞍部から31分ほどで降りて来られました。
内山寺跡
お昼を過ぎた時刻になったので、内山寺跡で遅い昼食を兼ねてひと休みしていきました。 食事を終えてから、周りを少し散策してみました。 「内山寺遺跡」の石碑の裏手に出ると、の周囲に墓石や石仏が幾つも寄り添った場所がありました。 その右に茂るシダ類の中にのようなものが頭を出していました。 気になったので、シダ類を掻き分けて近づいていくと、白化粧したようなと墓石が2基並んでいました。 今でこそ辺りにはシダ類が茂ったりしていますが、往時にはかなり広い境内だったようです。
鳥居跡
15分ほど居た内山寺跡を後にして、 熊野神社跡へのから参道を引き返していきます。 水が流れるを進んでいきます。 左へ曲がりながら降って、「一丁」のと「町石(一丁)」の標札を過ぎていきます。 「内山寺・熊野神社」の標識を過ぎていくと、内山寺跡から4分ほどで熊野神社の鳥居跡に着きます。
「熊野神社 石段 鳥居跡」の標識を過ぎて植林地に続く坂道を降っていくと、 石仏が佇み「竹原野」の標識が立つがあります。 傾斜が緩やかになってくると、が道を横切っている所を過ぎていきます。 軽く登って傾斜が緩やかになると、「内山番所跡」のが立っています。 降り坂を進んで頭の取れた石仏などを過ぎていきます。 右の斜面が明るくなると、小径が右へ分かれていく「金掘りの径」のが立つ所に出ます。 緩やかな参道を進んでいくと、内山寺跡から13分ほどで「休み堂跡」の標札が立って石仏が並ぶ所に着きます。
右側の斜面が少し伐採されて階段状になった所を過ぎて、降り傾斜が増してきたを降っていきます。 樹間から僅かに山や街が見える所を過ぎていくと、 「内山つつじ」のが倒れています。 大きな石がゴロゴロしてを降っていきます。 道なりに左へ曲がっていくと、右への曲がり角に「天満宮(天神社)跡」のが立っています。 その先へ坂道を降って赤い屋根の建物が見えてくると、「天神坂」の標札が立つ分岐に着きます。 内山寺跡から21分ほどで降りて来られました。 最初の寺町地蔵堂へは正面の金網柵沿いに降っていくのですが、天満宮を訪ねていくべく、を進んでいきます。
天満宮
広めの道を軽く登っていくと、左から登ってくるの途中に出ます。 石段を横切ってその先へ進んでいきます。 道なりに右へ曲がって登っていくと、再びの途中に出ます。 広めの道は石段を横切った先で途絶えています。 左に続く石段を登っていくと、すぐに小広くなった天満宮の境内に出ます。 「天神坂」の標札が立つ分岐から3分ほどで着きました。 正面に建つ社殿には「天照皇大神」「天満宮」「秋葉大権現」のが掲げられていました。 右側には赤い鳥居が立っていて、「白菊稲荷」の扁額が掲げられたがありました。 由緒などを記したものは見かけませんでした。
社殿の正面に続くを降っていきます。 横切っていく広めの道を二つ見送っていくと、 寺町地蔵堂の傍に立つに降り立ちます。 廃屋の前を過ぎ「寺町通り跡」の標札を過ぎて狭い路地を進んでいくと、に出ます。 左折して国道429号のに出ると、 正面の小野大橋の右側に石碑が見えたので、ちょいと立ち寄っていきました。 近くへ行くと「マロニエ」の碑でしたが、20〜25mになるという樹木がどれなのかは分かりませんでした。
マロニエ
このマロニエは、秩父宮妃殿下のご好意により同宮邸にあったものを、 日本にマロニエを普及させる会(市川新会長)を通じて生野町に寄贈されたものです。 平成元年10月に町制施行100周年記念事業としてフランスから招いた生野銀山近代化の父と言われるフランシスク・コワニェ(1835〜1902)の子孫 ギイ・ルイゾン夫妻とコワニェの母校サン・テチェンヌ国立高等鉱山学校のサン・レモン校長らの手によって植えられました。
生野町
マロニエの歌
佐藤春夫作詩
「マロニエの花咲きぬ」より抜粋
一、 五月の陽ざし集まるところ 廣葉の木漏れ日まぶしく 葉がくれにマロニエ咲くきぬ 梢に窺ひ見る異形の花白し
二、 ウヰン留学のかへりの日 ズボンのポケットにしのばせて こっそり持ちこんだこの木の實 やがて愛でたく咲き出でむ よき花ぞ種ゑよと云ひぬ
三、 初花白く三つ咲き出でぬと わが何處に何人にか告ぐべき もうともに見んと思ひしこの花 いかに愛でたく奇しくとも 君とともに見ではかひなきものを
奥銀谷地区
生野銀山口バス停やを過ぎていきます。 右側を流れるを眺めながら進んでいきます。 道なりに右へ曲がりながら進んで小野新橋の手前まで来ると、車を止めておいた広い駐車スペースがあります。 天満宮から11分ほどで到着しました。