妙見山
概 要 妙見山は養父市と香美町の境にある1135.5mの山です。 山頂の周囲には樹木が茂っていて展望はあまり良くありません。 今回は妙見蘇武林道と大ナル林道の分岐点からキャンプ場跡を経て、大ナル新道を登っていきます。 山頂からは、妙見新道から妙見峠を経て、丁石地蔵が続くかつての参詣道を名草神社へ降っていきます。
起 点 養父市八鹿町 大ナルわかれ道
終 点 養父市八鹿町 大ナルわかれ道
大ナルわかれ道…林間駐車場…キャンプ場管理棟…登り口…見晴らし台…妙見山…大谷の頭…妙見峠…名草神社…三重塔…ケロケロ道…みたらしの池…大ナルわかれ道
所要時間 3時間20分
歩いて... キャンプ場跡から妙見山の山頂までは、途切れながらも横木の階段が続いていました。 しかし段差は高くはなくて、それほど歩き難くはありませんでした。 次第に息が切れてくるので、何度も立ち止まって呼吸を整え汗を拭きながら登っていきました。 妙見新道の途中から妙見峠の手前までは、尾根道のすぐ傍に林道が続いていました。
関連メモ 妙見山, 名草神社
コース紹介
大ナルわかれ道
八鹿駅(JR山陰本線)近くから県道267号を西進していきます。 石原地区にある石原バス停を過ぎて妙見蘇武林道を登っていくと、大ナル林道との分岐に着きます。 角には「」や「」、 「」などの標識類が幾つか並んでいます。 左側に10台程度のがあるので、今回はそこに車を止め、 妙見山登山コース案内図に載っている大ナル新道から妙見山へ登っていきます。
妙見山にようこそ!
このお山は古くは「石原山」と言われていましたが、「妙見大菩薩の鎮座される霊山」として妙見信仰の霊場として栄え、 「妙見山」と言われる様になりました。 また、近年は近畿百名山にも選ばれ、樹齢数百年の大杉や天然のブナ林、ザゼンソウなど貴重な動植物が生きる自然の宝庫として訪れる人々の癒しの山となっています。 キャンプ場をはじめ妙見山頂まで殆んどが、但馬妙見日光院の所有地となっております。 登山道のあちこちで、お地蔵様が見守って下さっています。 無事登山されます事をお祈りいたします。 そして、妙見さんの霊気を頂いてください。 なお、火の元には十分注意なされますようお願い致します。 お帰りの際には是非、日光院にご参拝頂き、妙見さんのご利益を頂いてください。 また化石、植物標本、但馬妙見信仰の歴史等につき展示しております妙見山資料宝物館もございますので、是非ご来館ください。
 (日本三妙見 但馬妙見 日光院)
妙見山登山コース案内図
妙見山山頂へは、二つのコースをたどって行くことができます。 コースの所々には、ルート距離表が設置してあり、頂上までのみちのりを確かめながら登れます。 また、道ぞいの植物に、やさしく解説したラベルを付けました。 参考にしてください。 みんなが気持ちよく散策できるように、マナーをまもって楽しいひとときをお過ごしください。 なお便所は、三重塔前にあります。
(注)この時は三重塔前にあるという便所は立入禁止になっていて、 妙見蘇武林道の傍にある妙見研修所の中のトイレを使うように貼り紙が出ていました。
水源かん養保健保安林
所在場所 養父郡八鹿町石原字妙見地内
この付近一帯の山林は、保安林に指定されています。 次の行為をしようとするときは、和田山農林事務所へ相談してください。
1.立木竹の伐採及び損傷
2.下草、落葉、落枝の採取
3.樹根、土石の採掘、その他の土地の形質の変更
山火事に注意しましょう。
 (兵庫県)
水源かん養保安林
養父郡八鹿町石原字妙見ほか
保安林内では、許可なく立木竹を損傷し、土石、樹木を採掘し、土地形質を変更する等の行為をしてはなりません。
=山火事注意=
 (兵庫県)
林間駐車場
僅かに登り坂になった大ナル林道を1分半ほど進んで傾斜が緩やかになると、道は右へ曲がっていきます。 そのから右へ戻るようにして登っていくが分かれています。 角には「妙見キャンプ場入口」「妙見登山道」「駐車場」などのが落ちていて、 右に分かれていく坂道を指していました。 林道はまだ先へと続いているようですが、右の坂道を登っていきます。 車一台がやっと通れるほどの幅しかない道を1分半ほど登っていくと、右側が少し膨らんだ所があって、 車を10台ほど止められそうな広さがありました。 手前に落ちていたによると林間駐車場というようでした。
キャンプ場管理棟
林間駐車場を過ぎていくと、道は鋭角に左へ折れ曲がっていきます。 次第に路面が荒れてきて、かなり凸凹状態になっていました。 これでは車で通るのは難しそうだと思いながら登っていくと、少し広くなった所にがありました。 建物の名前は分かりませんでしたがキャンプ場管理棟になるようです。 「冬季閉鎖中」の貼り紙が出ていましたが、を覗ってみると小奇麗になっていたので、 夏季には利用されているように思えました。 脇には山の名前などが書かれたや「水源かん養 保健 保安林」の看板などがありました。 ここで道が二手に分かれています。 大ナルわかれ道で見かけた看板「水源かん養保健保安林」には「炊事設備」が描かれているし、 左へ延びるは、現在は廃止されていると聞くキャンプ場へ続いているようでした。 右側の杉の大木に「山頂へ」のが取り付けられていたので、 ここは右に続く広めの道を進んでいきました。
新林業構造改革事業(森林総合利用促進事業
平成2年度施行
副管理棟1棟
林間駐車場407u
平成3年度施行
炊事施設1棟
キャンプ場1100u
給水施設他1式
林間歩道
 (施行主体 八鹿町)
登り口
広めの道を緩やかに登っていきます。 鋭角に右へ曲がり、次に左へ曲がった先にのようなものがありました。 そのすぐ先で、が右へ分かれていきます。 脇には「山頂へ」のが落ちていました。 立っていた時にはどちらを指していたのかは分かりませんでしたが、そのまま広めの道を進んでいきました。 やがて浅い谷筋の植林地になってくると、広めの道は林の中へ消えていました。 道は何処だろうと思って探していると、右の尾根へ戻るようにして登っていくがありました。 大ナルわかれ道から18分ほどの所になります。 雑然とした様子の登り口に立つの袂には、「妙見山登山コース 頂上まで1.5km」のが取り付けてありました。 どうやら右へ続く横木の階段が登山道のようでした。
右・左と曲がりながら、雑木の混じる植林地に続く横木の階段を登っていきます。 緩やかになった所では一時的に途切れることもありますが、妙見山の頂上まで階段が続いていました。 しかし、段差はそれほど高くはなく、土も流れ出してはいないので、歩き難くはありませんでした。 所々には赤テープが取り付けられていて、ルートを示しているようでした。 大きなを幾つも見かけました。 この妙見の山岳地帯に育成する杉は妙見杉といって、寒冷地に強い兵庫県を代表する品種のようです。 道々の樹木には簡単な解説を記したが取り付けられていました。 見落としたのも多々あろうかと思いましが、山頂までに見かけたものを載せておきます。 「これ、なんの木?」という小板も幾つか見かけましたが、答えが分からなかったので載せるのは省略します。
スギ(スギ科) この木は材をとるために植林されたもので、野生の木をみることはなかなかできません。 花期=4月。
ミズナラ(ブナ科) 日本の温帯を代表する樹木のひとつです。
ミズキ(ミズキ科) 冬の枝は赤く色づき、ダンゴ木とって正月のモチ飾りにします。 花期=5〜6月。
ミズキ(ミズキ科) この木は水分を多く含み、春に枝を折ると水が出ることから水木の名前がつきました。
ノリウツギ(ユキノシタ科) ウツギではなくアジサイの仲間です。
ミズナラ(ブナ科) コナラより高い山に生えます。
ミズナラ(ブナ科) 葉柄がほとんどないのがコナラとの区別点です。
ブナ(ブナ科) 日本海側のブナは、太平洋側のブナより葉が大きくなります。
トチノキ(トチノキ科) トチノキの冬芽は先端の頂芽が特に大きく、さわるとねばねばしています。 花期=5〜6月。
サワフタギ(ハイノキ科) 北海道の太平洋側を除く我が国全土に広く分布する小高木の落葉樹で、 ゆがんだ卵型の美しいるり色の実をつけます。
オオカメノキ(スイカズラ科) 葉がかめの甲らを思わせることからこの名がでたとも、 実が大神の実と信じられたことから出たなだともいわれます。
ブナ(ブナ科) 冬芽は多くの芽鱗につつまれています。
ブナ(ブナ科) 樹皮には地衣類がついて独特の模様になります。
ナナカマド(バラ科) 霧きては くれなゐいそぐ ななかまど 草村素子
見晴らし台
傾斜が増してきた斜面を、右・左と曲がりながら登っていきます。 次第に息が切れ汗も滲んでくるので、何度も立ち止まって呼吸を整えながらゆっくりと登っていきました。 登り口から16分ほど登っていくと、平らになった所に着きました。 中ほどにはが生えていました。 大ナルわかれ道で見かけた「妙見山登山コース案内図」に載っている見晴らし台という所のようでしたが、 樹木が茂っていて、正面の樹間から僅かにが見える程度でした。 案内図によると、林間駐車場の先から分かれてきた道がこの辺りで合流するように描かれていますが、 今ではあまり歩かれていないのか、それらしい明瞭な道には気付きませんでした。 ここで道は左へ曲がって、尾根の背を登るようになります。
緩やかになったを進み始めると、 すぐの所に「妙見山登山コース 頂上まで0.9km」のがありました。 次第に傾斜が増してくる横木の階段を登っていくと、見晴らし台から8分ほどで、少し明るくなった尾根の肩に出ました。 道端の樹木に「妙見山登山コース 頂上まで0.7km」のが取り付けられていました。
尾根を更に登っていくと、樹間からが見える所がありました。 の空いたもありました。 見上げると、四方に広げた枝に若葉を沢山付けていました。 左右の樹間から見える僅かな山並みなどを眺めながら横木の階段を登っていくと、僅かな高みに着きました。 見晴らし台から15分ほどの所になります。 周囲は樹木に囲まれていますが、明るくなっていて何だか心が和みます。 この先は僅かな降り坂になっていました。
少し降って緩やかになったを進んでいくと、 右側が少し開けてを眺められる所がありました。 方角からすると、妙見山の山頂の少し北から北東へ延びる支尾根でしょうか。 その奥の方に見える高みはでしょうか。 快適な尾根道を進んで登り坂になってくると、左側が開けてを見渡せる所がありました。
傾斜が増してきた尾根を登っていきます。 の袂を過ぎていくと、 道端の樹木に「妙見山登山コース 頂上まで0.3km」のが取り付けられていました。 見晴らし台から27分ほどの所になります。 標識を過ぎて傾斜が緩んできたを進んでいくと、 大きな葉を伸ばすバイケイソウの群落があります。
妙見山 (標高1135.5m)
尾根を更に登っていくと、左側にが見える所がありました。 そこを過ぎていくとが見えてきました。 先ほども見かけた植物のを眺めながら最後の横木の階段を登っていくと、 妙見山の山頂に着きました。 見晴らし台から36分ほど、キャンプ場管理棟の先の登り口から53分ほどで登って来られました。 山頂には「妙見山1142m」と書かれたが立っていますが、文字は消えかかっていました。 中ほどには八方位を示すが設置されていました。 10mほど左側には「妙見山」もあるので、地形図に載っている1135.5m峰になるようです。
四等三角点
基本 No.110577
この測量標はすべての測量の基準です。 三角点を大切にしましょう。
 (国土地理院)
妙見山の山頂の周りには樹木が茂っていて展望は良くありませんが、 梢越に僅かにが見えました。 お昼にはまだまだ時間が早かったのですが、手頃な所に腰を降ろし、 持参したおにぎりなどを食べながら休憩していきました。
ひと心地ついたところで、妙見山から下山していきます。 山頂付近には道を示す標識類を幾つか見かけましたが、どれも壊れて地面に落ちて、文字も読み難くなっていました。 西側にも緩やかな尾根が続いていましたが、妙見峠へ向かって北東側の急坂を降っていきました。 その道を示す標識類は見かけず歩き出しの部分もはっきりしなかったので、合っているの不安になりながら降っていきましたが、 急坂はすぐに終わって、広くて緩やかなになってきました。 快適な道を降っていくと、樹木の袂に「妙見山登山コース 頂上まで0.3km」のが取り付けられていました。 妙見山から4分ほど降った所になります。 向こう側を向いて取り付けられているので、降ってきた方角からは、標識があることが分かり難くなっていました。
軽く登るようになると、右側が開けた僅かなに着きました。 少し降って緩やかになったを進んでいきます。 この先にかけても僅かに登る場面がありますが、全体としては降り基調の尾根道が続きます。 樹木越しに僅かにが見える所もありますが、総じて展望は良くありません。 少し傾斜が増した所を降っていくと、幹が絡まった樹木の根本に 「妙見山登山コース 頂上まで0.5km」のが取り付けられていました。 妙見山から17分ほどの所になります。 先ほどの標識との距離差と所要時間の関係が不自然のように思えますが、あまり気にしないことにしましょう。
標識を過ぎた少し先から降り傾斜が増してきます。 樹間から僅かに見えるを眺めながら降っていくと、 左側から林道が接近してくる鞍部に着きました。 先ほどの標識から3分ほどの所になります。 林道との高低差は僅かなので容易に降りていけるし、未舗装なので歩いても雰囲気は悪くなさそうに思えましたが、 これから向かう妙見峠へ続いているかどうか分からないので、 このまま尾根道を進んでいくことにしました。
後日に林道を歩きました。(「妙見山」を参照)
鞍部から登り返して僅かなを越えていきます。 左下に並行するを眺めながら、僅かな起伏がある尾根道を進んでいきます。 少し登ってから降っていくと、また林道と接する所に出ました。 先ほどよりも高低差が少なく、容易に降りていけるようでしたが、ここでも尾根道を進んでいきました。
大谷の頭
次第に登り坂になってくるを進んでいきます。 右側の樹木が途切れてを眺められる所を過ぎて登っていくと高みに着きました。 大ナルわかれ道で見かけた「「妙見山登山コース案内図」に載っていた大谷の頭で、 地形図によると標高は1020mほどあるようです。 妙見山から25分ほどの所になります。 脇の樹木の袂には「妙見山登山コース 頂上まで1.2km」のが取り付けられていて、 傍には「大谷の頭」と記した標識が置かれていました。 正面にが少し見えていましたが、展望はほとんど得られませんでした。 「妙見峠まで0.4km」という表記に元気付けられて、高みの先へ降っていきました。
傾斜の増したを2分ほど降っていくと、また林道と接する所に降り立ちました。 もはや林道との高低差はなく、『林道に出た』という感じの所です。 ここでも林道を歩くのは止めて、を進んでいきました。
妙見峠
尾根道を登り返していきます。 1分半ほど登っていくと、傾斜が緩やかなになってきます。 少し登ってから降っていくと、鞍部になった妙見峠に着きました。 大谷の頭から8分ほど、妙見山から33分ほどで着きました。 鞍部にはが二つ並んでいました。 右側のお地蔵さんには「十三丁」と刻まれていました。 脇には「妙見山登山コース 頂上まで1.6km」と「三重塔まで1.0km」のがありました。 「名草神社へ」「山頂へ」「妙見山頂へ」などの道標もありましたが、 壊れ落ちていて、どの道を指しているのか分からない状態でした。 ここは尾根道と峠道が十字に交わっている所になります。 左右に通る峠道は、かつて香美町作山地区から名草神社へ詣でる参詣道になっていたようで、 今でも丁石地蔵が点々と設置されています。 地形図によると正面の尾根道は金山峠へ続いているようですが、道標類は見かけませんでした。 U字形に窪んだ(*)は作山地区へ降りて行かれるようですが、 ここは名草神社へ向かってを降っていきます。
*後日に作山地区からの道を歩きました。(「妙見山」を参照)
斜面に広がる植林地を右・左と曲がりながら降っていきます。 往時の参詣道ということで、通常の山道よりも広めの道が続いていました。 道々に設置されている丁石地蔵を「」「」…と確認しながら降っていきます。 少しU字形に窪んだり倒木があったりもしますが、総じて歩き易い道になっていました。 展望の得られない植林地を淡々と降っていくと、道が二股に分かれていました。 妙見峠から13分ほど降った所になります。 ここは角に佇む「」の石仏が向いている左側の道を降っていきました。
頭のとれた「」の石仏を過ぎていくと分岐があります。 妙見峠から15分ほど降った所になります。 角には朽ち果てそうになったがありました。 標識類は見かけないし、『どちらの道を降るべきか』と愚考しても分からないので、 意を決して右側の抉れた道を降っていきました。 1分半ほど降った所に「」の石仏を見かけたので、結果として正しい道を選んだようでした。 石仏を過ぎて2分ほど降っていくと、左側から降ってくる道がしてきました。 手前で分かれてきた道のように思えましたが、確かめた訳ではありません。
左からの道を併せて1分ほど降っていくと、左へ登っていく道が分かれていました。 手前の細い木には解説を記した小板が幾つか取り付けられているほかには、標識類は見かけませんでした。 しかし、今更登る道を選ぶこともなかろうと思って、正面に続く道を緩やかに降っていきました。
ウワミズザクラ(バラ科) 昔この木の材に溝を彫って占いに用いたので上溝桜の名が。
コシアブラ(ウコギ科) 昔この木の樹脂をこして塗料に使ったのでコシアブラの名が。
ヤマボウシ(科ミズキ) 花びらのように見えるのは葉の変化した総苞(そうほう)というもので、花は中心にあります。 花期=6〜7月。
」の石仏を過ぎていくと、道が二手に分かれています。 妙見峠から22分ほど降った所になります。 脇には「妙見登山道」のが倒れていました。 右の道を降っていくと三重塔へ出られますが、名草神社へ向かって左の道を進んでいきました。 すぐの所には「」の石仏が佇んでいました。 コンクリート舗装路になった坂道を登っていくと、 左側にはの群生地がありました。
ザゼンソウ群生地
このあたりはザゼンソウが群生しています。 ザゼンソウ(サトイモ科)は高い山の谷間などに生える多年生草木です。
花からのお願いです。
抜き取ったり踏み荒らしたりしないでください。 ザゼンソウは山が似合います。
 (八鹿町)
石垣の上に建つ建物を眺めながら進んでいくと、広くなったに着きました。 左側には社務所にもなっていると思われる平屋の大きな建物がありました。 その前を過ぎていくと、名草神社拝殿がありました。 石段を登っていくと、中央の通路の両側は広いになっていました。 拝殿には人を模った多くのを納めたものや、 などの様々な絵が掲げられていました。
県指定文化財 名草神社拝殿
昭和四十二年三月月三十一日指定 <桁行五間、梁間二間、割拝殿、入母屋造桧皮葺>
棟札に元禄元年(1688)五月から同二年六月にかけて建立されたと伝えている。 本殿と庭をへだてて相対し がけのふちに立っている。 柱は円柱、組物は出組で軒支輪をつけている。 中央間馬道の上部には、大虹梁をかけ、中備えに蟇股を置いている。 組物、木鼻などは古調で見るべきものがあり、保存も完好である。 江戸時代中期の代表的な割拝殿として貴重な遺構である。
 (昭和五十一年一月 兵庫県教育委員会)
県指定文化財 名草神社本殿
昭和四十三年三月三十一日指定
<桁行九間、梁間五間、正面三間、向拝付入母屋造、正面千鳥破風、軒唐破風付桧皮葺>
棟札によると、宝暦四年(1754)建築であることが知られる。 平面は七区に分けた内々陣を中心に、内陣外陣と四周の庇で構成されている。 これは真言系の神仏習合の社殿として建築史上とくに重視すべき点である。 柱は身舎の部分を円柱、庇を大面取方柱、向拝を几帳面取方柱とし、 組物は外廻りを出三斗、正面庇と外陣のさかいを出組、内部を二手先とするなど、 ところによって意匠をかえているのも興味ぶかい。
 (昭和五十一年一月 兵庫県教育委員会)
名草神社
拝殿を抜けていくと、石畳の参道の先に名草神社の社殿がありました。 妙見峠から26分ほどで降りて来られました。 右側にはが二つありました。
県指定文化財 名草神社本殿
指定年月日 昭和42年3月31日
所有者・管理者 名草神社
妙見山の中腹、標高800mの高地に本殿がある。 別名を妙見社とも言い、名草彦命、天御中主神など7神を祭祀する。 本殿は宝暦4年(1754)に造られた大規模な建築で、正面が9間(17.50m)、側面が5間(9.04m)で、 屋根はこけら葺で入母屋造、正面に千鳥破風と唐破風をつける。 彫刻は精巧で、向拝の両側の柱には口をおさえた獅子と耳をおさえた獅子、 その上の軒下には力童子など、多数の彫刻がある。 平面は内々陣・内陣・外陣の3区に分かれ、その周囲に庇がめぐるもので、 江戸時代の神仏習合の神社建築として特筆される。
 (平成3年11月 兵庫県教育委員会)
開運・招福お守入 おみくじ
このおみくじには開運を招く八体の縁起物のお守のいずれかが納まっております。 いつもお身体につけて開運のお守としてたいせつにお持ち下さい。
だるま 人に忍と福と寿命の三徳を与える福の神。
銭亀 長寿延命と財宝授与。
かえる 旅行・外出先から無事安全に帰ります。
小槌 振れば諸難を払い財宝を授かります。
招き猫 商売繁昌・家内安全の縁起物。
恵比須 笑いを招く神。商売繁昌・大漁満足の福神。
大黒天 工業・商業・農業の神として授福神の代表。
熊手 かっこめといわれ、運や財をかき込む縁起物。
拝殿を抜けて社務所のある境内まで引き返して広い石段を降っていくと(*)の前に出ました。 今では使われていないようで、「危険です 立入禁止」の貼り紙が出ていました。 右からは、手前で分かれてきた道が合流してきます。 脇には「下馬」と刻まれたがありました。 ここで馬から降りて神社へ詣でるようにという意味でしょうか。 「横参道」のもあって、右の道を指していました。
*後日に来てみると、建物はなくなっていて、代わりにトイレが建っていました。
トイレは参道の入り口から下に見えるコンクリートの建物(妙見研修所)の中にあります。
三重塔
建物の前を左へ進んでいくと三重塔があります。 出雲大社の本殿の柱として妙見杉を提供した縁で建てられた塔のようでした。
国指定重要文化財 名草神社三重塔
明治三十七年二月十八日指定
<三間三重塔婆>
この三重塔は、島根県出雲大社に出雲国主尼子経久が願主となって大永七年(1527)六月十五日に建立したものと伝えます。 出雲大社の本殿の柱に妙見杉を提供した縁で、塔は日本海を船で運ばれ、 寛文五年(1655)九月に標高800mのこの地に移築されました。 高さは24.1m、一重の一辺の柱間は4.7mあります。 屋根はこけら葺で、各重には高闌付縁があります。 心柱は二重から塔の先端まで伸びています。 大永七年の材料は松・けやきが主体で、寛文五年に移築されたとき、妙見杉で補っています。 彫刻では一重の軒隅で力士が屋根を支えています。 蟇股には凡字のほかに蓮、牡丹、琵琶、雲の透かし彫りがあります。 また三重の軒隅には「見ざる・言わざる・聞かざる・思わざる」を表した四猿の彫刻があります。 昭和六十二年十月に解体修理が完成し、丹塗りも鮮やかな、三重塔が四百六十年ぶりによみがえりました。
 (昭和六十三年十一月 八鹿町教育委員会)
三重塔の左側には「妙見の大スギ」のを保存した展示館がありました。 傍には倒れたが横たえられていました。
妙見の大スギ
国指定…大正13年12月9日
樹高…48m 樹齢…1500年
目通り…11m10cm(周囲の長さ)
樹齢1500年といわれた妙見の大スギの根株を保存しています。 平成3年9月、最大瞬間風速40m以上という台風19号によって根本から倒壊しました。 この時に約40本の大杉が倒れたり、ヒビ割れの被害を受けました。 大杉は地上7.2mのところから幹が2本に分かれ、並立していたことから夫婦杉と呼ばれ、 三重塔とともに八鹿町のシンボルとして親しまれてきました。 昔から妙見には樹齢400年前後の杉の古木が自生しており、 江戸時代には出雲大社本殿の心柱に提供された由緒もあります。 妙見杉は妙見の山岳地帯に育成する杉で、寒冷地に強い兵庫県を代表する品種です。 多くの人に夫婦杉の姿を思い出していただければ幸いです。
この展示館は夫婦杉の根株を保存するためのもので、三重塔との景観を考えて切妻造の神社建築としました。
 (平成6年 名草神社)
ケロケロ道
展示館を過ぎて広い道を降っていくと妙見蘇武林道(*)へ降りられますが、 今回は三重塔の右側に続くケロケロ道を降っていくことにしました。 入口には「自然探勝・森林浴 ケロケロ道(モリアオガエル生息地)みたらしの池へ300m」のが立っていて、 その先に続くを指しています。 手前の大木には「妙見山登山コース みたらしの池まで0.3km」のが取り付けられていました。
妙見蘇武林道を横切って東へ続く旧参道を降っていくと日畑地区へ出られます。
(「名草神社」を参照)
みたらしの池
植林地に続く横木の階段を曲がりながら降っていきます。 コンクリート製のの脇を過ぎていくと、明るいになってきます。 右から左へと大きく曲がりながら階段を降っていくと、林道の手前にあるが見えてきました。 これがみたらしの池になるようです。 「池」とは云っても水は僅かしかなく、いつ干上がるかと心配になりそうな水深しかありませんでした。 モリアオガエルの生息地とのことですが、この時にはカエルの鳴き声は聞こえませんでした。
クロモジ(クスノキ科) 樹皮には芳香性の油があるので、香水・香料の原料にします。
池を過ぎてをひと登りすると、左右に通る妙見蘇武林道に出ました。 三重塔から5分ほどで降りて来られました。 脇には「自然探勝・森林浴 ケロケロ道(モリアオガエル生息地)名草神社三重塔へ300m」のが立っていて、 今来た階段を指していました。 それ以外の標識は見かけませんでしたが、林道を右へ降っていきます。
林道を歩き始めると、道の左側が膨らんだがありました。 かなり広い場所で、多くの車を止められそうでした。 右側には「式内 懸社 名草神社 従是五十丁」と刻まれたが向こう側を向いて立っていました。 その傍の林の中にはが並んでいました。 には「豊稜」と刻まれ、裏面に解説文が載っていましたが、 モニュメントには何も書かれていないようでした。 駐車スペースの端まで来ると、向こう側を向いた「氷ノ山後山那岐山 国定公園 妙見山」のが設置されていました。
豊稜
 (兵庫県知事 金井元彦書)
妙見路の昔、美方の郡より伊勢街道として、又妙見詣での路として、 或は木材搬出の道として多くの人に利用されていたが、幅は狭く全くの歩道であった。 昭和三十八年、地域開発の要請に答えて林道の開発を計画し着工した。 起伏の激しい岩に閉ざされた山嶽、山陰特有の雨、雪に阻まれ工事は難行したが、関係者の不屈の努力が実を結び、 六年の歳月と一億余円の経費をもって遂に今日の完成を見た。 この時、妙見連邦を含む氷ノ山後山那岐山が国定公園に指定され、 さらに石原を起点として国立公園但馬海岸を結ぶスカイラインが計画されている。 ここに完成を記念し、この碑を建設する。
昭和四十四年七月
概況
名称林道妙見線、妙見猿尾線
延長八二七八米(石原から妙見まで)
幅員四米
事業費九千九百三十万円
着竣工自 昭和三十八年七月
至 昭和四十四年三月
工事者南但土木建築株式会社
「妙見山」の看板を過ぎて林道を5分ほど進んでいくと、小さなを渡っていきます。 山際の電柱には「妙見特別母樹林」の看板が寄りかかっていました。 谷筋のを流れる水が心地よい音を響かせていました。 杉が並んで生えているを更に2分ほど進んでいくと、二つ目の谷筋を渡っていきます。 道の下には大きな鉄管が通されていて、水を流すようになっていました。 を流れる水は、先ほどの沢よりも少な目のように思えました。
妙見特別母樹林
指定樹種スギ、樹令150〜300年
面積13.71ヘクタール、本数21本
指定年月日昭和47年3月31日
銘柄妙見天然スギ
 (兵庫県)
大ナルわかれ道
二つ目の谷筋を過ぎて林道を3分半ほど進んでいくと、最初の大ナル林道との分岐に戻ってきました。 三重塔から22分ほどで到着しました。 歩き始めの時は角のに止めているのは私の車だけでしたが、 妙見山に登って戻ってみると、3台ほど増えていました。 山道では誰にも出会いませんでしたが、 それらに乗って来られた方々も妙見山へ登っていかれたのでしょうか。