大師山石仏巡り
概 要 豊岡市の引野地区にある大師山自然公園の石仏巡りの道を歩きます。 採番された双体の石仏が公園を取り巻くように点々と設置されています。 尾根には眺めの広がる所があります。
起 点 豊岡市 引野地区
終 点 豊岡市 引野地区
引野地区…発願…中山分岐…展望台…122.2m峰…引野分岐…大師堂…結願…引野地区
所要時間 1時間20分
歩いて... 以前に来た時に見かけた標識類は朽ち果てていて、見かけなくなっている標識もあります。 石仏は風化が進み、倒れたり台座から落ちたりしているものが散見されます。 台座に刻まれた番号は苔生していたりして読み難いものもありますが、 前後関係から類推すると、壹番から八十八番までのすべての石仏に出会えました。
関連メモ 中山丘陵, 引野城跡
コース紹介
引野地区
豊岡を通る国道312号の蓼川大橋西詰交差点から円山川に架かる蓼川大橋を渡り、 を右折して県道249号を南下していきます。 円山川運動公園への道を右に分けた先にある「赤木正雄展示館」の標識が出るを左折していきます。 入口には「大師山自然公園 入園口 ここより800m先」の看板が立っています。 左右に分かれていく道を見送って集落の中を真っ直ぐ進んでいくとがあります。 左の道の入口には「大師山自然公園入口」の標柱が立っています。 傍の電柱にも「大師山自然公園」の標識が取り付けられていて、左に分かれていく道を指しています。 標識類に従って左折して、田んぼが広がる中に続くを真っ直ぐ進んでいきます。 左右に分かれていく道を見送って山際まで来ると、少し登った所に小広い所があるので、ここに車を止めさせて頂きます。
発願
駐車地の右側から正面に続く舗装路を歩き始めると、すぐの所にがあります。 細い閂を横へずらして扉を開けて通過し、道なりに左へ曲がりながらを登っていきます。 程なくして、石段が分かれていきます。 駐車地から2分ほどの所になります。 入口には「豊岡市指定文化財 大師山古墳群」の標柱が立っていて、傍に解説板もあります。 石段の入口には「壹番」のが佇んでいて、発願の場所になります。 このまま左前方の舗装路(*)を歩いてもこの先で合流しますが、 今回はここから大師山自然公園の周囲に続く石仏巡りの道を歩くべく、を登っていきます。
*左前方へ続く舗装路は「中山丘陵」を参照。
出入口
〜ご自由にお入り下さい〜
農作物を鹿等の被害から守る為防護ネットを設置しています。 出入後は門扉を閉めておいて下さい。
ゴミは持ち帰りましょう。
大師山自然公園協力会・豊岡市
ヤマビル注意!!
ヤマビル出没中につきご注意ください!
雨上がりや雨降りの蒸し暑い日は特に活動が活発になります。
活動時期 5月〜11月ごろ
豊岡市
豊岡市指定文化財 大師山古墳群
有形文化財 史跡 古墳十二基
昭和61年3月29日指定
豊岡市教育委員会
豊岡市指定史跡 大師山古墳群
大師山古墳群は、養父町・大藪古墳群や日高町・楯縫古墳群などとともに、但馬でははやくから知られていた古墳群である。 今、自然公園として整備されているこのあたりの尾根や斜面には約200基もの古墳が密集し、 まさに古墳と古墳がすそを接するような群集状態がよく観察できる。 1975年から翌年にわたり、公園の整備工事にともない13基の古墳が発掘調査された。 墳丘は直径6mから18m程度の円墳である。 内部構造は、木棺葬が3基、竪穴式石室が1基、竪穴系横口式石室とよばれる特異な石室が9基あり、 個性的な石室を主体的に採用していることが判明した。 竪穴系横口式石室は、長方形の石室の片側にやや簡単な入り口(横口部)を設け石室内部に段をなして降りていく構造になっており、 通常の横穴式石室とは異なった埋葬意識がうかがえる。 このタイプの石室が集中してい見つかった本古墳群は、但馬の古墳時代を研究する上できわめて重要である。 出土遺物は、須恵器とよばれる土器が約620点、武器・馬具・農工具などの鉄器約400点、 耳環・首飾りなどの装身具が約500点あり、内容豊かである。 この古墳群は6世紀後半頃を中心に築造されたもので、中筋地区一帯の開発を進めた有力な集団が残したものであろう。
平成4年3月 豊岡市教育委員会
石段が終わって擬木の階段を登り始めると、樹木の傍に佇む「二番」のを過ぎていきます。 少し右へ曲がりながら登って「三番」のまで来ると緩やかな道になります。 再び現れる階段を登っていくと、手前で分かれてきた舗装路に出ます。 正面には「6号墳跡」の標識が立ち、傍には「四番」のがあります。 左側にはがあって、「大師山5号墳」の解説板が立っています。
大師山5号墳
14.5×12mの円墳である。 内部は全長約7mの竪穴系横口式石室で、山側(南東)に入口がある。 玄室は羽子板形の平面形をしており、室内の高さは1.1mと低い。 入口から玄室には約90cmのゆるやかな段を降りる構造である。 この種の石室が採用され始めた6世紀前半頃の築造と考えられる。
豊岡市教育委員会
右へ続くを軽く登っていきます。 「五番」のを過ぎていくと、舗装路は右へ曲がっていきます。 水路の上を過ぎていくと「」があります。 案内図には多くの遊歩道が描かれていますが、整備されてから年月が経つようで、 草が茂ったり崩れたりして分かり難くなっている所が多くなっています。 このまま右へ続く(*)を登っていくと大師山自然公園の中心部へ出られます。 標識類がなくて分かり難いですが、石仏巡りの道はの斜面に続いています。
*右へ続く舗装路は「中山丘陵」, 「引野城跡」を参照。
大師山自然公園案内図
この周辺は全国でも有数の古墳密集地である。 昭和59年9月から、公園建設に伴って合計10基が発掘調査された。 その結果、九州北部や朝鮮半島に原形をたどれる特異な石室が見つかり、一部は市の史跡に指定されている。 この貴重な郷土の歴史環境を永く後世に伝えたいものである。
昭和61年3月 豊岡市
が続いているようですが、生い茂るススキなどに隠れて分かり難くなっています。 左へ曲がり始めた所にある「六番」のを過ぎていきます。 分かり難い道を辿って、採番された石仏を確認しながらを登っていきます。 右下に広がってくるを眺めながら登っていきます。 傾斜が緩やかになって「廿番」の石仏まで来ると、軽い降り坂になります。
中山分岐
少し降っていくと浅いになります。 軽く登っていくと分岐に出ます。 発願から21分ほどの所になります。 手前の樹木の袂には壊れた「中山遊歩道入口」のが落ちています。 (*)は中山神社加陽城跡へ続いています。 ここは「廿三番」の石仏の先へ続くを進んでいきます。
*左の道は「中山丘陵」を参照。
展望台
壊れた「廿五番」のを過ぎていきます。 程なくしてがあります。 発願から22分ほどの所になります。 角に標識が落ちていますが、文字は判読出来ません。 のすぐ下には舗装路が登ってきています。 右側には半壊した「展望台」の標識があります。 手前の樹木が少し邪魔をしていますがが広がります。
122.2m峰
少し右へ曲がりながら進んでいくと、「三十番」のを過ぎていきます。 歩きやすい尾根を進んでいくと、「三十五番」のがあります。 少し登り坂になる尾根を進んでいくと、道の真ん中に「四十番」のがあります。 傾斜が緩やかになると、右側の少し高い所に「四十一番」と「四十二番」の石仏が並んでいます。 石仏の間には「片間」があるので、地形図に載っている122.2m峰になるようです。 発願から31分ほどの所になります。
軽いになる尾根を進んでいきます。 道の真ん中にある「四十五番」のを過ぎていきます。 「四十六番」の石仏まで来ると分岐に出ます。 発願から33分ほどの所になります。 (*)は奥の院を経て大師堂へ降っていけます。 ここは石仏が並ぶを進んでいきます。
*右の道は「引野城跡」を参照。
引野分岐
「五十番」の石仏を過ぎていくとになります。 を降っていきます。 右側の尾根の背には「五十一番」と「五十二番」のが並んでいます。 「五十五番」のを過ぎて、少し右へ曲がりながら降っていきます。 「五十八番」の石仏がある緩やかな所まで来ると分岐があります。 発願から42分ほどの所になります。 登り坂になる引野城跡須賀神社へ続いています。 ここは戻るように続くを進んでいきます。
*正面の尾根は「引野城跡」を参照。
軽いになる道を進んでいくと「六十番」の石仏を過ぎていきます。 へ向かって降っていきます。 左側には「六十五番」の石仏と「弘法大師一千百年紀念」のが並んでいます。 少し右へ曲がって、水が流れるを横切っていきます。 谷筋から大師山自然公園の斜面に出ると、「七十番」の石仏があります。 右へ登っていく僅かな踏み跡(*)もありますが見送っていきます。
*右の踏み跡は「引野城跡」を参照。
大師堂
倒れた「七十二番」の石仏がある所を曲がっていきます。 「七十六番」の石仏を過ぎていくとが見えてきます。 広い所に降り立つと、左側に大師堂があります。 発願から54分ほどの所になります。 掲げられている板によると、「中山弘法大師」が祀られているようです。 建物の右前には「七十七番」のがあります。 傍には番号の確認できない石仏(採番されていない?)もあります。 「新四国中山霊場」と刻まれたもありますが、 今歩いている石仏巡りの道のことのようです。
大師堂の右側にある「七十五番」のの所から降っていきます。 右へ曲がりながら降って「八十番」の石仏まで来ると、の横を過ぎて植林地に入っていきます。 深くもありますが、脇を通っていきます。 「八十七番」のを過ぎていくと、切通のような所が見えてきます。 切通まで来ると分岐がありますが、正面の石段を降っていきます。
曲がりながら続くを降っていきます。 傾斜がでは石段が途切れます。 また現れる石段を曲がりながら降っていくとになります。 正面が明るくなってくると防護扉があります。 落ち葉が厚く積もって開け難くなっていますが、掛けられた針金を外すと扉を開けられます。
結願
防護扉の先へ続くを降っていきます。 右側にはが散乱していますが、 「祐達」や「妙現」の文字が見られるので、寺院関連の墓地でしょうか。 程なくして、左右に通る農道に降り立ちます。 発願から1時間8分ほどの所になります。 振り返って、を確認していきます。 笹などが茂って分かり難くなっていますが、左側には「八十八番」のがあるので、結願の場所になります。 傍には番号の確認できない石仏(採番されていない?)もあります。
引野地区
右へ続く農道を進み始めると、すぐの所にがあります。 右の道はしばらく進んだ所で行き止まりになっているので、左の道を進んでいきます。 小川を渡った先のを右へ曲がっていきます。 真っ直ぐ進んでいくと、車で来たに出ます。 右へ曲がって山際まで来ると、少し登った所に車を止めておいた駐車地があります。 結願から6分ほどで到着しました。