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引野地区
豊岡を通る国道312号の蓼川大橋西詰交差点から円山川に架かる蓼川大橋を渡っていきます。
中筋交差点を右折して県道249号を南下していきます。
円山川運動公園への道を右に分けたすぐの所からに分かれていく道へ入っていきます。
入口には「大師山自然公園 入園口 ここより800m先」のが立っています。
左右に分かれていく道を見送って集落の中を真っ直ぐ進んでいくと、左へ分かれていく道の入口に「大師山自然公園入口」のが立っています。
傍の電柱にも「大師山自然公園」の標識が取り付けられていて、左に分かれていく道を指しています。
標識類に従って左折して、田んぼが広がる中に続く道を真っ直ぐ進んでいきます。
山際まで来ると、少し登った所に駐車スペースがあるので、ここに車を止めました。
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駐車スペースの右側から正面に続く舗装路を歩き始めると、すぐの所にの扉があります。
この時には大師山自然公園のトイレの改修工事中で「立入禁止」の張り紙がありましたが、
休日だったので工事はしていないだろうと思って、細い閂を横へずらして通過していきました。
道なりに左へ曲がりながら登っていくと、石段が分かれていきます。
入口には「豊岡市指定文化財 大師山古墳群」の標柱が立っていて、傍には解説板もありました。
石段の入口には「壹番」のが佇んでいて、石仏の道の起点になるようです。
このまま舗装路を歩いても同じ所に出ますが、今回は擬木の柵が設置された正面の石段を登っていきました。
出入口 ご自由にお入り下さい
農作物を鹿等の被害から守る為防護ネットを設置しています。
出入後は門扉を締めておいて下さい。
ゴミは持ち帰りましょう。
大師山自然公園協力会、豊岡市
クマ注意!
豊岡市
豊岡市指定文化財 大師山古墳群
有形文化財 史跡 古墳十二基
昭和61年3月29日指定
豊岡市教育委員会
豊岡市指定史跡 大師山古墳群
大師山古墳群は、養父町・大藪古墳群や日高町・楯縫古墳群などとともに、但馬でははやくから知られていた古墳群である。
今、自然公園として整備されているこのあたりの尾根や斜面には約200基もの古墳が密集し、
まさに古墳と古墳がすそを接するような群集状態がよく観察できる。
1975年から翌年にわたり、公園の整備工事にともない13基の古墳が発掘調査された。
墳丘は直径6mから18m程度の円墳である。
内部構造は、木棺葬が3基、竪穴式石室が1基、竪穴系横口式石室とよばれる特異な石室が9基あり、
個性的な石室を主体的に採用していることが判明した。
竪穴系横口式石室は、長方形の石室の片側にやや簡単な入り口(横口部)を設け石室内部に段をなして降りていく構造になっており、
通常の横穴式石室とは異なった埋葬意識がうかがえる。
このタイプの石室が集中してい見つかった本古墳群は、但馬の古墳時代を研究する上できわめて重要である。
出土遺物は、須恵器とよばれる土器が約620点、武器・馬具・農工具などの鉄器約400点、
耳環・首飾りなどの装身具が約500点あり、内容豊かである。
この古墳群は6世紀後半頃を中心に築造されたもので、中筋地区一帯の開発を進めた有力な集団が残したものであろう。
平成4年3月 豊岡市教育委員会
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石段はすぐに終わってになりますが、木の部分はなくて縦杭だけが残された状態になっていました。
樹木の傍に佇む「二番」のを過ぎて、少し右へ曲がりながら登っていきます。
「三番」のを過ぎて、階段を更に登っていきます。
最後に現れる縦杭の階段をひと登りすると、手前で分かれてきた舗装路に出ます。
正面には「6号墳跡」の標識が立ち、傍には「四番」のがあります。
左側にはがあって、「大師山5号墳」の解説板が立っています。
大師山5号墳
14.5×12mの円墳である。
内部は全長約7mの竪穴系横口式石室で、山側(南東)に入口がある。
玄室は羽子板形の平面形をしており、室内の高さは1.1mと低い。
入口から玄室には約90cmのゆるやかな段を降りる構造である。
この種の石室が採用され始めた6世紀前半頃の築造と考えられる。
豊岡市教育委員会
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右へ続くを軽く登っていきます。
「五番」のを過ぎていくと、舗装路は右へ曲がっていきます。
下を通る水路を過ぎた所には「」があります。
案内図には多くの遊歩道が描かれていますが、整備されてから年月が経つようで、
草が茂ったり崩れたりして分かり難くなっている所が多くなっています。
水路の左側から尾根へ出るもありますが、草が茂ってあまり歩かれていない様子です。
大師山自然公園案内図
この周辺は全国でも有数の古墳密集地である。
昭和59年9月から、公園建設に伴って合計10基が発掘調査された。
その結果、九州北部や朝鮮半島に原形をたどれる特異な石室が見つかり、一部は市の史跡に指定されている。
この貴重な郷土の歴史環境を永く後世に伝えたいものである。
昭和61年3月 豊岡市
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左にあるを過ぎていくと未舗装になります。
大木を回り込むようにして、道なりに曲がっていきます。
へ続く道を右に分けていきます。
の傍を過ぎていくと分岐があります。
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大師山自然公園
の先には大師堂が見えていますが、
先ずはを進んでいきます。
右上にある八角形のを過ぎていくと、
小広くなった所で広い道は終わりになります。
駐車スペースから13分ほどで着きました。
脇にはが3棟並んでいます。
手前が管理棟、真ん中がトイレ、奥が炊事棟のようで、ここが大師山自然公園の中心的な場所になるようです。
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登山口
手前にあったまで引き返してきて、
へ向かっていきます。
建物に掲げられた板によると、「中山弘法大師」が祀られているようです。
黒いシートが敷かれた所まで来ると、左側の斜面に登っていく道があります。
2年ほど前に来た時には「中山遊歩道登山口」のが立っていたのですが、今回は見かけませんでした。
草が茂って少し分かり難くなっていますが、ここから尾根へ登っていきます。
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石仏を幾つか過ぎて「七十二番」のまで来ると、道は右へ曲がっていきます。
石仏の左奥にある窪んだ踏み跡を登っても良いのですが、今回は見送っていきました。
曲がってそのまま進んでいくと森へ入っていきます。
その道は前回に歩いているので、今回はの石仏の脇から左の斜面を登っていきました。
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奥の院
踏み跡がはっきりしないを登っていきます。
に着いて、少し右へ曲がりながら軽く降っていきます。
に出ると、先ほど見えていた窪んだ踏み跡が左から合流していきます。
埋設された塩ビ管の上を過ぎて、正面に見える高みへ向かって登っていきます。
明瞭になってきたを右へ曲がりながら登っていきます。
樹木の袂を左へ曲がり、を横切るように登っていきます。
高みを左から巻くようにして登っていくと、ススキなどが茂るなだらかな所に着きます。
手前には「中筋小学校卒業生記念植樹」の標柱が立っていて、奥には大きながありました。
情報によると、この石仏は大師像で、登山口の傍にあった大師堂の奥の院になるようです。
振り返ると、山並みを見渡せる眺めが広がっていました。
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大師像のから、
ススキなどが茂るに続く踏み跡を登っていきます。
古びたが所々にあって、かつて遊歩道として整備された様子が覗えました。
何度も振り返って山並みを眺めながら登っていきます。
もよく見えました。
傾斜が緩やかになった小尾根を登っていくと、左右に通る緩やかな尾根に着きます。
管理棟などがある大師山自然公園から12分ほどで登って来られました。
出た所には、「中山遊歩道入口」のが倒れていました。
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122.2m峰
引野城跡へは尾根を右に進んでいくのですが、のすぐ先にある三角点まで往復してきます。
緩やかで広い尾根には、が点々と設置されています。
台座には「壹番」から「八十八番」の連番が振られていて、八十八ヶ所巡りの石仏の道になっています。
植林地へ入っていくと、左側に小広くなった所があります。
尾根に出た所から1分ほどの所になります。
斜めに向き合う「四十一番」と「四十二番」の石仏の間には「片間」があるので、
地形図に載っている122.2m峰になるようです。
周囲は樹木に囲まれて展望はよくありませんが、奥へ出るとが少し見えました。
( 122.2m峰の先へ続く 石仏の道は「 中山丘陵」を参照)
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往復3分ほどで尾根にまで引き返してきて、その先に続く尾根を進んでいきます。
少し開けた所に出ると、右側の僅かなに「五十一番」と「五十二番」の石仏が並んでいます。
そこを過ぎてになってきた道を進んでいきます。
傾斜が緩やかになってくると分岐があります。
122.2m峰から7分ほどの所になります。
角には「五十八番」のが佇んでいて、その脇から右へ戻るようにして踏み跡が分かれていきます。
尾根の中ほどには「引野城跡へ」のが倒れています。
右の踏み跡は大師堂の傍の登山口へ降りていく石仏の道になりますが、
引野城跡へ向かって正面の尾根を進んでいきます。
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引野城跡
植林地になったに明瞭な道はありませんが、
下草は生えておらず藪漕ぎの必要もなくて、快適に歩いていけます。
軽く登りながら進んでいくと、尾根が少し窪んだ所があります。
かつてのでしょうか。
堀切を過ぎて軽く登っていくと、少し左へ曲がっていきます。
この辺りからが広がって緩やかになってきます。
僅かなになった所を登っていくと、
右側が少し開けてが見える所があります。
122.2m峰から14分ほどの所になります。
地形図では、標高120mほどの緩やかな高みの北東端になるようです。
標識類は見かけませんが、この辺り一帯にかつて引野城があったようです。
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緩やかなを進んでいきます。
程なくして軽いになった尾根を進んでいくと、
尾根が僅かに二股に分かれている所に出ます。
中ほどには黄色のプラスチック短杭が設置されていました。
地形図では、標高120mほどの緩やかな高みの南西端になるようです。
左の尾根も歩けそうな様子ですが、黄色の短杭が見えているを降っていきます。
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降り口
傾斜が増したを降っていきます。
程なくしてになりますが、この辺りも引野城跡に含まれるのでしょうか。
地形図に載っている標高50mほどの西へ延びる支尾根へ降ろうと思いますが、なかなか良さそうな降り口が見つからず、
をしばらく進んでいきました。
右側に太い竹が混じるようになると、僅かな小尾根が右側に現れました。
122.2m峰から20分ほどの所になります。
正面に続く尾根も歩けそうな様子ですが、目指す標高50mほどの支尾根から離れてしまうので、
ここから右にある僅かなを降っていきました。
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太い竹が混じるを降っていきます。
かなり傾斜が急なので竹などに掴まりながら降っていくと、狭いながらもに降り立ちます。
小尾根は正面へと続いていますが、右側にあるを横切っていきます。
程なくして現れる僅かなを辿りながら谷筋を横切っていくと、
目指していた標高50mほどの支尾根に出ました。
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朝日城跡
左へ曲がって、緩やかになったを降っていきます。
情報によると、この緩やかなにはかつて朝日城があったようですが、その旨の標識類は見かけませんでした。
伐採木などを跨ぎながら進んでいくと、正面にこんもりとしたが現れます。
少し左から回り込むように登っていくとが現れます。
右へ曲がって防護柵沿いにひと登りすると高みに着きます。
降り口から10分ほどで降りて来られました。
周囲よりも高いこの場所には、かつて主郭があったのでしょうか。
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須賀神社
防護柵にあるを開けて通過していきます。
上下に取り付けられた回転式レバーを回せば開くのですが、何故だか非常に固くなっていて、回すのに苦労しました。
1分半ほど格闘して何とか開けて通過すると、正面の下にが建っています。
正面は急斜面になっているので、左側のが茂る所を降っていきます。
中ほどに焚き火の跡が残るに出て振り返ると社殿があります。
扁額や由緒書きなどは見かけませんでしたが、情報によると須賀神社というようです。
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大きなの間を抜けて、
鉄パイプの手摺りが設置されたを左へ降っていくと、舗装路の曲がり角に降り立ちます。
右へ少し登った所にはがあります。
左側にはが広がっていて、来日岳もよく見えました。
告
当所は、公衆衛生上、最も清潔を必要とする施設であり、一般の方は許可なく入ることはできません。
豊岡市企業部水道課
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舗装路に出た所まで引き返してきて右へ曲がり、少し先をヘアピン状に曲がって降ってきます。
民家が近づいてくると蘇武岳方面のが広がってきます。
少し左へ曲がりながら舗装路を降っていくとがあります。
大きなを左に見て右へ曲がっていくと県道249号に出ます。
須賀神社から7分ほどで降りて来られました。
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右折して、を北上していきます。
中郷浄水場への道を右に分けていくと分岐があります。
左にはとがあります。
このまま県道を進んでも良いのですが、少しでも雰囲気のある道を歩くべく、
手前の右側にある民家の脇から続く未舗装のへ入っていきます。
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網柵で囲まれたグラウンドのような所を回り込むように左へ曲がっていくと、すぐの所に小さなが架かっています。
右折して石橋を渡り、田んぼの間に続く農道を真っ直ぐ進んでいきます。
まで来て道なりに左折し、
コンクリート製のに沿って進んでいきます。
墓地の傍を過ぎていくと十字路に出ます。
右側の防護柵の先にはの鳥居が見えていますが、このまま直進していきます。
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十字路の先に続くを真っ直ぐ進んでいきます。
立派な塀がある民家の前を過ぎていくと、左右に通るに出ます。
右折して、の中を曲がりながら進んでいきます。
集落を過ぎて、になった道を進んでいきます。
山際まで来ると、右の笹竹の中に「八十八番」のが佇んでいきます。
そのすぐ先には、右から降ってくる遊歩道があります。
大師山自然公園にあった大師堂から降ってくる道で、石仏の道の終点になります。
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引野地区
広めの未舗装路を進んでいくと、左への曲がり角にがあります。
右へ分かれていく山際に続く道は行き止まりになっているので、左へ曲がっていきます。
すぐの所にあるを右折して、田んぼが広がる中に続く農道を真っ直ぐ進んでいきます。
左右に通るに出て右折していきます。
山際まで行くと、車を止めておいた駐車スペースがあります。
須賀神社から25分ほどで到着しました。
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