概 要 |
城山は新温泉町の塩谷地区と芦屋地区の境にある標高175mほどの山です。
かつて芦屋城があった山頂からは、日本海の海岸線などを眺めることが出来ます。
今回は城山トンネルの東側から尾根にある切通に出て、遊歩道を通って城山園地を経て城山へ登ります。
城山からは北側にある急な道を降って切通に出て、城山トンネルの東側に戻るルートを歩きます。
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起 点 |
新温泉町 芦屋地区
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終 点 |
新温泉町 芦屋地区
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芦屋地区…登山口…切通…展望地…城山園地…城山…切通…登山口…芦屋地区
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所要時間 |
2時間30分
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歩いて... |
車道から切通へ登る道にはロープが張られた所もありますが、大したことはありません。
城山から切通へ降る道にもロープが張れた所がありますが、
こちらはロープや樹木に掴まりながら降るタフな急斜面になっています。
天候に恵まれて、展望地・城山園地・城山などからは眺めが広がりました。
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関連メモ |
城山,
城山
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芦屋地区
山陰近畿自動車道を久斗ICで降りて久斗橋交差点に出て西進していきます。
湯島街道踏切を渡り、福富橋の先の十字路を直進して岸田川の左岸の土手に出ます。
空色の清富橋や赤い白馬歩道橋を見送って道なりに左へ曲がっていくと、砂浜になった浜坂県民サンビーチ(芦屋浜)に着きます。
浜坂観光協会管理棟や山陰海岸ジオパーク館を過ぎて浜坂漁港の入口にある分岐まで来ると、
車数台分の空き地があるので、ここに車を止めさせて頂きます。
分岐の右側には「山陰海岸ジオパーク館」と「遊覧船乗り場」のが並んでいます。
分岐の左側にはとその解説板があります。
第3種 浜坂漁港
所在地:美方郡新温泉町芦屋地先
管理者:兵庫県 農政環境部農林水産局漁港課 但馬県民局但馬水産事務所
所管庁:水産庁
山陰海岸ジオパーク館
「ジオパーク」とは、科学的に見て特別に重要で貴重な、あるいは美しい地質遺産を複数含む一種の自然公園です。
館内では、山陰肝がんの地層をわかりやすく解説した模型をはじめ、
エリア内のジオサイト(地質遺産)の玄武岩や安山岩、凝灰岩など多種多様な岩石を展示しています。
また、学習支援も行っており、小さなお子樣からお年寄りまで、
さまざまな角度からジオパークについて体験的に学習することができます。
平成22年度 新温泉町
遊覧船乗り場
国立公園但馬海岸の雄大な自然と美しい海岸線が楽しめる遊覧船です。
1968年に就航したこの新温泉町で唯一の遊覧船は、「快速船いわつばめ」と名付けられ、
壮麗な海岸美、大自然が創り出した神秘的な傑作を、ゆったりとした気分でご覧いただけます。
数々の奇勝が連続し、世界屈指の景勝地である名勝・天然記念物「但馬御火浦(たじまみほのうら)」も、探勝することができます。
平成22年度 新温泉町
浜坂漁港修築碑
旧浜坂漁港は岸田川河口にあり、土砂の堆積や冬の荒波の影響を受けるため、
早くから新浜坂漁港の建設が待ち望まれていました。
戦後、その候補地として芦屋の砂浜が選ばれました。
地元では漁港修築の地元負担金達成のために、鯖巾着網漁業、婦人部10円貯金の推進など涙ぐましい苦難の道を乗り越え、
昭和23年10月兵庫県によって新漁港の修築工事が始められました。
以降30年間、港湾の整備と共に諸昨日設備の新設充実が図られ、現在見られる新浜坂漁港が完成しました。
この碑は、昭和51年5月漁業の発展と、先人の労苦の足跡を後世に伝えるため建立されました。
平成22年度 新温泉町
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登山口
分岐を左へ曲がって南へ続く車道脇の歩道を登っていくと、程なくしてがあります。
左脇には「」の案内板があって、
今回歩く城山トンネルの東側から尾根にある切通までのルートが載っています。
「」の案内板もあります。
案内板の間にはとその解説板があります。
右折して、目指す城山を正面に眺めながら、車道脇のを進んでいきます。
浜坂漁港へ降る道との分岐まで来ると、
「蒼海躍魚」と刻まれたと浜坂港バス停があります。
分岐を見送って城山トンネルの手前まで来ると、鉄柵が設けられた石段が左側に現れます。
駐車地から13分ほどの所になります。
入口には年季の入った「城山登山口」の標識が立て掛けられています。
今回はここから尾根にある切通へ登っていきます。
山陰海岸ジオパーク散策モデルコース
歴史と文化の街「浜坂」・北前船の寄港地「諸寄」 浜坂・諸寄コース
浜坂・諸寄は浜辺の集落です。
古くから北前船の寄港地であったことから商人の町として栄え、数多くの文化人を輩出しました。
城山園地から見下ろす波穏やかな諸寄港の光景から「北前船」の寄港地として、
諸寄砥石や各地からの産物が積み卸しされた当時の活気が偲ばれます。
浜坂や諸寄は、現在漁業と温泉の街となっています。
浜坂湊は「松葉カニ」「ホタルイカ」の漁獲では日本有数の水揚げを誇っています。
浜坂ちくわや魚介類の干物も特産品となっています。
新温泉町山陰海岸ジオパーク館は山陰海岸ジオパークの拠点施設で、
ジオパーク全体の岩石・地質の情報が集約されています。
山陰海岸ジオパーク推進協議会
浜坂のまち 総合案内MAP
浜坂は兵庫県の最西北端に位置し、東は香美町、西は鳥取県、北は日本海に面する、雄大な自然に守られた癒やしの郷です。
松葉ガニ、ホタルイカ、ゲンゲなどの恵まれた海の幸、良質な天然温泉、山陰海岸の絶景名所、
また歌碑にあふれた文学の里でもある浜坂のまちをお楽しみください。
兵庫県 新温泉町
新田次郎文学碑
この文学碑には、山岳小説家新田次郎が新温泉町浜坂出身の登山家加藤文太郎をモデルに書いた小説「孤高の人」の一説が刻まれています。
昭和5年の冬、中央気象台に勤務していた新田次郎は、富士山観測所の交代勤務のための登山中に、文太郎と出会いました。
この出会いがきっかけで「孤高の人」を書いたと言われています。
その時のことを新田次郎は、「自分たちが2日かかって登った富士山を、文太郎は1日で登った。」、
また「突風が吹きまくる富士山の氷壁をまるで平地でも歩くような速さで歩き、まるで天狗のような奴だと言いながら見送ったものでした。」と記しています。
この文学碑は、平成2年作家藤原てい(新田次郎夫人)を招き、加藤文太郎を語る会を中心に建立・序幕されました。
平成22年度 新温泉町
新田次郎先生文学碑
単独行の加藤文太郎 孤高の人
観音山のいただきには寺があった。
そこから彼は、彼の故郷浜坂をしみじみと眺めおりした。
眼下に岸田川が流れていた。
岸田川をへだてて向こうに眼をやると、左から雪をいただいた三成山、空山、摺鉢山を背景として、
古墳のように、こんもりと小さくて丸い秋葉山、愛宕山、そして宇都野神社の山が見えた。
そして浜坂の町は、岸田川の流域にそって、上流側に頂点を置いた細長い三角形となって展けており、
その底辺の中間あたりに加藤の生家の赤い瓦屋根がはっきり見えた。
「孤高の人」より抜粋
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途切れながら続くを登っていきます。
小さくクランク状に左へ曲がって登っていくと、城山トンネルの真上にあるに出ます。
鉄柵沿いに進んでトンネルの上を横切り、短いを降っていきます。
雑木林の斜面に出て進んでいくと、僅かなを回り込んでいきます。
岩が剥き出す斜面に続く踏み跡を辿って登っていきます。
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切通
程なくして曲がっていきます。
標識類は見かけませんが、歩くのに問題はありません。
少し進んだ所を曲がりながら登っていきます。
更に曲がりながら登っていくと、太いが張られています。
急傾斜という訳ではありませんが、路面が左右に傾いたなので、
足を滑らせて左の谷へ落ちないよう、ロープに掴まりながら登っていきます。
ロープが終わると、近畿自然歩道が通る尾根にある切通に出ます。
登山口から15分ほどの所になります。
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正面には近畿自然歩道の標識が立っていて、
右の道は「加藤文太郎記念碑0.3km」、正面の道は「崩の浜海水浴場0.4km」、左の道は「城山園地0.7km・岡垣徹治歌碑0.7km」となっています。
(*1)は加藤文太郎記念碑を経て矢城ヶ鼻灯台へ続いています。
(*2)は崩の浜へ降りていけますが、
手前に水溜りがあって浜辺までは出られません。
には城山の山頂へ続く踏み跡があります。
以前には「城山急登コース」のが立っていたのですが、数年前から見かけなくなっています。
急登コースは下山時に歩くことにして、先ずは城山園地へ向かってを進んでいきます。
*1 右の道は「 城山」,「 城山」を参照。
*2 正面の道は「 城山」を参照。
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歩き難かった山道から解放されて、歩き易いを進んでいきます。
切り立った岩壁の傍も何度か通りますが、等高線に沿うように広くてが続きます。
谷側にが設置されている所もありますが、特に危なそうな様子はありません。
右を振り返ると、北北東にある190m峰と思われる山が見えてきます。
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展望地
正面が明るくなってくると、またが続くようになります。
尾根を回り込む所まで来ると、ベンチが幾つか設置された所に出ます。
切通から9分ほどの所になります。
円い形のテーブル・ベンチの傍には「海中公園 海金剛と諸寄港」のがあります。
傍には近畿自然歩道の標識が立っていて、
この先の道は「城山園地0.4km・板垣徹治歌碑0.4km」、今来た道は「加藤文太郎記念碑0.6km」となっています。
正面には諸寄港などが広がる展望地になっているので、景色を眺めながらひと息入れていきます。
右下には小島が見えますが、地形図に載っているでしょうか。
山陰海岸国立公園 海中公園 海金剛と諸寄港
諸寄港から西の釜屋湾までの約1kmの外海岸は、凝灰角礫岩の断層が約70mの高さで続き、
散在する小島や洞門・洞窟が山陰海岸特有の美しさをつくっており、このあたりを海金剛とよんでいます。
東端に大きなタケノコを立てたように鴻の島がそびえ、近くに流紋岩の岩脈に沿ってできた竜宮洞窟や、
日本海の荒波によってできた巨大なポットホールのある池の島などがあります。
海底は動植物の生息に適し海中公園となっています。
諸寄港は、古くから知られた天然の良港で、風待ち潮待ち港として栄えました。
特に、江戸時代から明治時代には「御城米」などを運ぶ北前船の寄港地として全国各位の諸廻船が出入りしており、
為世永神社の玉垣などにその面影を偲ぶことができます。
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落ち着いたところで、ヘアピン状に曲がっていく道を進んでいきます。
広くて緩やかな道を進んでいくと、右前方へ降っていくが分かれていきます。
入口には近畿自然歩道のが立っていて、
右前方の小径(*1)は「塩谷海水浴場0.3km」、正面の道(*2)は「城山園地0.1km・岡垣徹冶歌碑0.1km」、今来た道は「加藤文太郎記念碑0.9km」となっています。
ここは少し左へ曲がりながら続く正面の道を進んでいきます。
岩壁が剥き出すに沿って進んでいきます。
左の尾根が低くなってくると分岐に出ます。
脇には近畿自然歩道のが立っていて、
正面の道は「城山園地・岡垣徹冶歌碑」、左へ戻るようにして続く道は「芦屋城跡0.6km」、今来た道は「塩谷海水浴場0.4km・加藤文太郎記念碑0.9km」となっています。
*1 右前方の小径は「 城山」を参照。
*2 標識には「岡垣徹 治」と「岡垣徹 冶」の表記が混在していますが、現地の表記のまま載せておきます。
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城山園地
舗装路になった正面の道を進んでいくと、すぐに城山園地に着きます。
展望地から7分ほどの所になります。
手前には井上真一のがあります。
自撮りや集合写真用なのか、「」もあります。
正面にはが建っていて、その背後に「風待ち湊 諸寄港」の解説板があります。
左側には「山陰海岸ジオパーク散策モデルコース」の案内板がありますが、浜坂高校西交差点にあったのと似た内容になっています。
更に左側には標識に出ていた板垣徹治のがあります。
正面に広がるなどの景色を眺めながら、東屋に入って休憩していきます。
峠越す また峠越す その度に 峰より高し 但馬の海は 井上真一の歌 彩月書
風待ち湊 諸寄港
指定年月日 |
町指定 船絵馬 昭和60年3月1日
町指定 航路図 昭和62年3月20日
町指定 船名額 昭和62年3月30日
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所有者・管理者 |
宗教法人 為世永神社他
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諸寄港は、江戸時代から明治時代にかけて日本海を北前船が往来していた当時、「風待ち湊」として賑わった港である。
諸寄の為世永神社境内には、全国の船主から寄進された古い玉垣や天保・万延・明治時代に奉納された船絵馬がある。
また、諸寄の各家々には北前船の航路図や船名額、引札、船往来手形、客船帳など船の航行に関する古文書が多く残されている。
諸寄港西側の岬を「日和山」と呼び、かつては暗夜を照らしていた常夜燈跡や和船を係留した杭跡などの史跡がある。
諸寄港には、北前船の「風待ち湊」としてにぎわった当時の面影がいたる所に残っている港である。
平成7年3月 浜坂町教育委員会
しばしばも 汝とながめし 大ぶりの 島はもとはに 忘れざらなん 徹冶
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車道(*)になっている広い道は国道178号へ降りていけますが、近畿自然歩道になっているを引き返していきます。
ヘアピン状に曲がる角には「 諸寄港と千束断崖(諸寄西海岸)」の解説板があります。
舗装路を引き返していくと、程なくして手前にあったに出ます。
脇には「芦屋城跡」の解説板があります。
展望地へ続く左の地道は見送って、「芦屋城跡0.6km」の標識が指す城山へ向かって、正面の車止めの先に続く舗装路を登っていきます。
登り始めると、右前方の奥にが見えてきます。
右の樹間にも近くのが見えてきます。
擬木で出来た丸太のベンチを過ぎていきます。
山陰海岸ジオパーク 諸寄港と千束断崖(諸寄西海岸)
城山園地は、八鹿類層の安山岩中に流紋岩の岩脈・岩床でできたもので、一帯には花崗岩と北但層群が分布します。
諸寄港は天然の良港で北前船の寄港地、風待ち港として発展した港です。
ここから見る諸寄の美しい海と日本海に沈む夕日は絶景です。
諸寄港から西に行くと玄武岩質安山岩の重層構造からなる高さ約120mの大岩壁があります。
但馬海岸最高の岩壁ともいえます。
凝灰角礫岩と集塊溶岩からできており、噴火口の跡ともいわれています。
また、断崖の西ふもとにある東洞門は、安山岩の溶岩の中にできた亀裂洞門で県指定天然記念物に指定されています。
新温泉町
町指定史跡 芦屋城跡
指定年月日 昭和60年3月1日
所有者・管理者 芦屋区 他
芦屋城は戦国時代の武将塩冶周防守が居城にしていた城で、
周囲を断崖絶壁に囲まれた地形は天然の要害となっており、
海上交通を押さえるために築かれた城である。
芦屋城は、天正8年(1580)羽柴秀吉が但馬を攻めたとき落城した。
城主塩冶周防守は、鳥取城主吉川鳥取の雁金城と丸山城で戦ったがいずれも落城し、自決した。
昭和59年発掘調査が本丸部分について行なわれ、
建物跡や青磁・白磁・天目茶碗、古銭・硯などが多数出土した。
平成9年3月 浜坂町教育委員会
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傾斜が増してくる道を登っていくと、ヘアピン状に曲がっていきます。
上空に張られた電線の下を過ぎて擬木の手摺りが設置された所まで来ると、ヘアピン状に曲がっていきます。
右にを眺めながら登っていきます。
しばらく登っていくと、またヘアピン状に曲がっていきます。
また擬木の手摺りが設置された所に出ます。
冬枯れの季節にはなどが見えそうですが、
青葉が茂る季節では手前の樹木が邪魔をしています。
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城山
ヘアピン状に曲がって登っていきます。
少し登っていくと、NHKのがあります。
舗装路はここで終わって、左へ戻るように続くを登っていきます。
階段をひと登りすると、小広くなった城山の山頂部に着きます。
城山園地から16分ほどで登って来られました。
左へ進んでいくとが設置されています。
左下に広がるなどを眺めながら、ここでも休憩していきます。
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奥にもあるテーブル・ベンチの先から右側の僅かな高みへ続くがあります。
軽く登っていくと、山頂部の中ではに着きます。
過日に見かけた国道178号にある城山園地バス停の傍の「城山園地案内図」には「175.7」と記されていますが、三角点などの標石は見かけません。
正面へ降って山頂部に登り着いた所に戻ると、左側に日本エレクトロニックシステムズ株式会社が設置するytv・ABC・MBS・KTV・SUNのがあります。
金網柵に沿って右から背後へ回り込んでいくと、美方郡広域事務組合のがあります。
電波塔の先にはテーブル・ベンチが設置されています。
先へ出てみると、などを見下ろせる眺めが広がりますが、
以前よりも樹木が育って少し見え難くなっています。
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しばらく居た城山の山頂部を後にして下山していきます。
以前に登ったことのある城山急登コースを降ることにします。
テーブル・ベンチから少し引き返した所に、太いロープが張られたがあります。
ここが切通へ続く城山急登コースの降り口になります。
3本張られた太いロープや脇の樹木に掴まりながら、を斜めに降っていきます。
滑り落ちるように降っていくと、程なくしては2本になります。
しばらく降っていくとは1本になります。
急傾斜の斜面を横切るように進むようになって、前後の傾斜は少ないものの、左右の傾斜はかなり急になっています。
谷底に落ちないようロープにしっかり掴まりながら進んでいくと尾根の背に出ます。
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右へ曲がって、更に続くロープに掴まりながらを降っていきます。
に続く踏み跡を辿って、小さく曲がりながら降っていきます。
尾根にはツバキの木が見られますが、花の季節ではないので咲いていません。
しばらく降っていくとロープは終わりますが、傾斜がは更に続いています。
脇の樹木に手を掛けたりしながら降っていくと緩やかな尾根になります。
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切通
緩やかな尾根を進んでいくとが増してくるので、また脇の樹木に手を掛けながら降っていきます。
しばらく降っていくと、またになります。
軽い登り坂になる尾根を進んでいくと、僅かなを過ぎていきます。
軽く降っていくとしてきて、尾根の背を歩き難くなります。
右にある踏み跡を降ってすぐに左へ曲がり、尾根のを降っていきます。
踏み跡を辿って降っていくと、近畿自然歩道が通る尾根にある切通に戻ってきます。
城山の山頂部から27分ほどで降りて来られました。
ロープや樹木に掴まりながら急斜面を降ってきて疲れたので、ひと息入れていきます。
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気を取り直して、登山口へ向かってを引き返していきます。
張られた太いロープに掴まりながら、路面が左右に傾いたを慎重に降っていきます。
足を滑らせて右の谷へ落ちないように掴まりながら降っていくと、ロープは終わりになります。
右・左と曲がりながら続くを辿って降っていきます。
何度か曲がりながら降っていくと僅かな谷筋に出ます。
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登山口
緩やかになった道を進んで短い石段を登ると、城山トンネルの真上にあるに出ます。
左側にはが広がります。
鉄柵沿いに進んでトンネルの上を横切っていくと、道路の右側にあるが見えてきます。
少し降った所を小さくに左へ曲がっていきます。
途切れながら続く石段を降っていくと、年季の入った「城山登山口」の標識が立て掛けられている登山口に降り立ちます。
切通から15分ほどで降りて来られました。
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芦屋地区
元来た車道沿いの歩道を引き返していくと、「蒼海躍魚」と刻まれたと浜坂港バス停があります。
浜坂漁港から登ってくる道を合わせて先へ進んでいくとに出ます。
横断歩道を渡って、を過ぎていきます。
車道脇のを降っていきます。
浜坂漁港の入口にある分岐まで来ると、車を止めておいた駐車地が右側にあります。
登山口から12分ほどで到着しました。
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