城山
概 要 城山は新温泉町の塩谷地区と芦屋地区の境にある標高175mほどの山です。 かつて芦屋城があった山頂からは、日本海の海岸線などを眺めることが出来ます。 今回は、浜坂県民サンビーチを出発し、半島の先端にある矢城ヶ鼻灯台を訪ねてから城山へ向かいます。 近畿自然歩道の一部にもなっていて、歩き易い道が続いています。
起 点 新温泉町芦屋 浜坂県民サンビーチ
終 点 新温泉町芦屋 浜坂県民サンビーチ
浜坂県民サンビーチ…矢城ヶ鼻灯台…展望地…加藤文太郎記念碑…切通…展望地…城山…広場…新田次郎文学碑…浜坂県民サンビーチ
所要時間 2時間20分
歩いて... 浜坂漁港から矢城ヶ鼻灯台へは断崖を横切るように道が続いています。 灯台からは岩山に続く階段を登っていきます。 緩やかで歩き易くなった道を進んでいくと、加藤文太郎記念碑からは更に道幅が広がってきます。 東屋のある広場の手前から分かれる舗装路を大きく曲がりながら登っていくと、 テレビ中継局がある城山の山頂に着きました。
関連メモ 城山, 城山
コース紹介
浜坂県民サンビーチ
豊岡の市街地から国道178号を西進していきます。 香住道路と余部道路を経て余部鉄橋の下を過ぎ、新温泉町に入って湯島街道踏切を渡っていきます。 福富橋の先の十字路を直進して岸田川の左岸の土手に出ます。 空色の清富橋や赤い白馬歩道橋を見送って道なりに左へ曲がっていくと、 砂浜になった浜坂県民サンビーチ(芦屋浜)に着きます。 の手前が駐車スペースになっているので、 ここに車を止めさせてもらいました。 周囲には「」などの解説板が幾つか設置されています。 海岸に沿って砂防林のが続いています。 平成24年8月の調査の結果では、松が8133本あったようです。
山陰海岸国立公園
京丹後市八丁浜海岸から鳥取砂丘までの約75kmに及ぶ山陰海岸国立公園は、 海岸景観が特徴で、様々な海食地形や火成岩、堆積岩など岩石の種類の多さとその学術的価値などから、 国立公園を含む一帯が日本ジオパークに1つに認定されています。 一方、鳥取砂丘や小天橋に代表される海岸砂丘や砂洲の地形も多く見られ、 国立公園内には6か所の海域公園地区があります。
 (環境省)
浜坂県民サンビーチ松林〜守ろう「緑の遺産」育てよう松林〜
【松林[松の庭]について】
松(クロマツ)の植林が始まる昭和初期まで松林から浜坂漁港を含む一帯は、荒涼とした海岸の砂地が続いていました。 その後、飛砂防備保安林として昭和7年にクロマツの植林が始まり、 当時の人たちの尽力により育てられ、現在の松林となってます。 昭和62年には21世紀に引き継ぎたい[日本の白砂青松100選]に選ばれました。 砂防林だけでなく、観光のシンボル・憩いの場へと町の人たちにとってかけがえのない場所となり、 地域の方々による松林の清掃や保全が続けられています。 この貴重な「緑の遺産」をみんなで守り、次代につなげましょう。
 (新温泉町緑化推進委員会)
海岸クロマツ林の保全と再生をめざして
この松林は、砂と風から隣接する住宅、田畑を守るため、昭和初期に先人たちの努力により造られた「緑の遺産」で、保安林に指定されています。 兵庫県では平成15年度より現在の松林を保全しながら、未来の松林を育てることを目的として、 保安林改良事業によりクロマツの苗木を植栽しています。 この「緑の遺産」を未来につなぐための保安林改良事業の実施に、ご理解とご協力をお願いします。
 (兵庫県但馬県民局地域振興部)
芦屋浜の松林をご利用の皆様へ
この松林は飛砂防備保安林で、隣接する人家・田畑等を砂・風から守っています。 今、この松林はマツクイムシの被害により毎年100本程度枯れています。 このため、クロマツ苗木の植栽を始めました。 ご利用の皆様には、大変ご迷惑をおかけしますが、 この「緑の遺産」を未来へつなぐためにもご協力いただきますようお願いします。
 (兵庫県但馬県民局地域振興部)
目の前には、海水浴場にもなっている砂浜の浜坂県民サンビーチが広がっています。 浜辺の散歩道としてボードウォークも設置されています。 「恋人の聖地」にもなっているようで、そのモニュメントがありました。 右側にはが聳えて、 左側にはこれから向かう海に突き出したが見えます。 傍にはもありますが、この時は休館日でした。
世界ジオパーク 山陰海岸ジオパーク 恋人の聖地モニュメント
「恋人の聖地」とは、NPO法人・地良い活性化支援センター(静岡市)が 地域の活性化などを目的として平成18年から行っている取り組みです。 この藻油面とは、愛を誓い合い、プロポーズうするのにふさわしい観光スポット100ヵ所を選定するプロジェクトに、 浜坂県民サンビーチ一帯が認定されたことを記念して建てられました。 4ヘクタールの広い松林は、若者のデートスポットにもなっています。
山陰海岸ジオパーク 但馬御火浦
「但馬御火浦」は、香美町御崎から新温泉町鬼門崎までの海岸で、国指定名勝・天然記念物に指定されています。 この付近の海岸部の地質は、古第三紀初期の矢田川層群に属する流紋岩類とそれを貫く花崗岩、 新第三紀中新世の北但層群に属する安山岩質溶岩・凝灰岩類および礫岩などからなっています。 節理の発達した岩脈や断層が多く、それらに沿った断崖絶壁に海食崖や海食洞などの波食地形が多く見られ、 山陰海岸でもっとも変化に富んだ海岸でもあります。 また、浜坂海岸先端に見える鋸のような形をした岬の岩は、 今から約6500万年前の日本列島がアジア大陸の東端にあった頃に噴出した矢田川層群に属する流紋岩で、 平行な筋の入った白く、硬い岩石です。 山陰海岸ではこの付近でしか見ることができない岩石で、大陸時代の火山活動を示すものです。
 (新温泉町)
日本の白砂青松100選 浜坂県民サンビーチ
1987年1月10日選定 (社)日本の松の緑を守る会
浜坂県民サンビーチ”松の庭”においでの皆さん、 この恵まれた自然環境を守り育てながら次の世代へ引き継いでいくため、あなたもお手伝いをしてください。
1.自動車は林の中や緑地帯へ絶対乗り入れないでください。
2.火は使わないでください。(木炭がらは必ず取り除いてください)
3.タバコの吸がらはポイ捨てしないでください。
4.愛犬のフンは持ち帰ってください。
5.ゴミは持ち帰っていただくことを原則としています。
●空カンや空ビンは資源ですから持ち帰ってあなたのまちのリサイクルゴミにだしてください。
 (新温泉町・新温泉町善意銀行・浜坂観光協会・但馬浜坂浜の松を大切にする会)
山陰海岸ジオパーク館を過ぎていくとT字路があります。 角には近畿自然歩道の道標が立っていて、左の道は「城主塩冶周防守之碑0.5km」、 今来た道は「浜坂海岸レクリエーションセンター0.6km・加藤文太郎記念図書館1.1km」となっています。 正面の道は浜坂漁港へ続いていますが、左折していきます。 坂を少し登った所にある浜坂高校西交差点を右折していくと、右側にが見えてきます。 「浜坂諸寄漁港線」の道路標識の所までくると、右下へ降っていく道があります。 角には「蒼海躍魚」と刻まれたがあります。 このまま進んでいくと、城山の下の抜けて国道178号に出るので、ここは右へ分かれていく道を降っていきます。
第3種 浜坂漁港
所在地:美方郡新温泉町芦屋地先
管理者:兵庫県 農政環境部農林水産局漁港課 但馬県民局但馬水産事務所
所管庁:水産庁
坂道を降ってに沿って進んでいくと近畿自然歩道の道標が立っていて、 この先の道は「矢城ヶ鼻灯台10.km・加藤文太郎記念碑1.7km」、 今来た道は「遊覧船乗り場0.1km・城主塩冶周防守之碑0.5km・山陰海岸ジオパーク館0.6km」となっています。 の傍を過ぎていくと、やがて舗装路は終わりになります。 ここが矢城ヶ鼻灯台へのになります。 傍には近畿自然歩道の道標が立っていて、正面の道は「矢城ヶ鼻灯台0.5km・加藤文太郎記念碑1.2km」、 今来た道は「遊覧船乗り場0.6km・山陰海岸ジオパーク館1.1km」となっています。 「山陰海岸国立公園 城山園地案内図」と題したもありました。 右側は船を陸揚げ出来そうなになっていました。
自然歩道で結ぶ3ルート
城山園地〈海の見える浜坂文学散歩みち〉
浜坂県民サンビーチ〈海岸遊覧基地・「松の庭」〉
観音山歩道〈相応峯寺・十一面観音立像〉
海の見える浜坂文学散歩みち
前田純孝資料館諸寄基幹集落センター内
篠原無然生誕の地碑諸寄郵便局前
前田純孝歌碑諸寄岡の浜
富田砕花詩碑浜坂ユースホステル前庭
岡垣徹冶歌碑城山園地の展望地
加藤文太郎記念碑城山歩道・浜坂港展望地
新田次郎文学碑浜坂県民サンビーチ〈松の庭〉
田中冬二詩碑ユートピア浜坂庭園
森梅園彰徳碑浜坂・すこやか広場
 (浜坂町観光協会・浜坂町産業観光課)
コンクリート補強されたを登っていきます。 左に曲がってを抜けていくと、断崖を横切るようにして狭い道が続きますが、 擬木の手摺りが設置されているので安心です。 右側に広がる日本海の向こうになどを眺めながら進んでいきます。
落石 危険!
頭上に注意して歩きましょう。
 (環境省・兵庫県)
を進んでいくと、灯台が見えてきた所に分岐があります。 角には近畿自然歩道の道標が立っていて、右の道は「矢城ヶ鼻灯台」、 左の急な石段は「加藤文太郎記念碑0.8km」、今来た道は「マリンポーチ1.5km」となっています。
矢城ヶ鼻灯台
僅かな鞍部に続く両側に手摺の設置された緩やかな階段を右へ進んでいくと、 浜坂県民サンビーチから28分ほどで矢城ヶ鼻灯台に着きました。 灯台には「」と 「」の銘板が取り付けられていました。 裏側へ回ってみると、コンクリート製のが設置され、 景色を眺めながらひと休みするのに具合が良さそうになっていました。 石組の上には、ここから見える景色を記したもありました。
矢城ヶ鼻灯台からは、日本海の海岸線などを一望できる眺めが広がります。 西側には半島が突き出し、東側には観音山などを見渡せました。 西から東にかけての眺めを載せておきます。
灯台からの眺めを堪能したら引き返し、道標「加藤文太郎記念碑」に従って、 岩壁の上に設けられた急なを登っていきます。 鎖が張られた手摺が設置されているので安心ですが、それがないと足が竦みそうな階段です。 途切れ気味に続く石段を登っていくと、次第に眺めが広がるようになります。 振り返ると、を見下ろせ、 左の方には浜坂漁港などを見渡せました。 巨岩の袂を過ぎて、石段を更に登っていきます。
展望地
僅かなを過ぎていくと、緩やかな所に着きました。 矢城ヶ鼻灯台から7分ほどで登って来られました。 ここにも灯台にあったのと同様の方位盤があり、ベンチも二組設置された展望地になっていました。 手前の樹木に邪魔されながらも、などが見えました。
展望地の先からは、広めでが続きます。 開けた所からなどを眺めながら進んでいくと、 190m峰へ続く尾根が聳えています。 突き当たりには近畿自然歩道の道標が立っていて、この先の道は「加藤文太郎記念碑0.5km」、 今来た道は「矢城ヶ鼻灯台0.4km」となっています。
190m峰の東側を巻くようにして、等高線に沿って続く緩やかな道を進んでいきます。 所々には過日の雪がまだ残っていましたが、幅が広くて歩き易くなっていました。 左側には樹木が茂っていて、はあまり良くありません。 冬枯れの季節なので海などが少し見えていましたが、青葉が茂る季節では見え難くなりそうでした。
加藤文太郎記念碑
緩やかな道を更に進んでいくと、丸太の輪切りのベンチなどが幾つも設置された展望地に着きます。 矢城ヶ鼻灯台から20分ほどの所になります。 手前の樹木に邪魔されて展望はそれほど広がりませんが、 などを見渡すことができました。 車を止めてきたもよく見えました。 山側の植え込みの奥には「不撓不屈の岳人 加藤文太郎 ふるさとの碑」と刻まれたが建っています。 読めない部分もありましたが、碑文によると明治38年3月11日に浜坂町に生まれ、 六甲山・但馬連山・日本アルプス等の単独登山を続け「不死身の加藤」とよばれ国宝的存在とまで賞賛された人のようです。
切通
幅が更に広がって、軽四駆なら通って行けそうなを進んでいきます。 3分ほど進んでいくと切通に着きます。 地形図によると、手前の190m峰とこの先の城山の間にある鞍部になります。 ここから正面の高みへ続く(*1)が分かれています。 入口には「城山急登コース」の標識が立っています。 ちょいと覗いてみるとかなりの急坂で歩き難そうだったので、登るのは止めておきました。 切通を抜けた所からは、が分かれて右へ降っていきます。 降り口には近畿自然歩道の道標が立っていて、右の石段は「崩の浜海水浴場0.4km」、 正面の道は「城山園地0.7km・岡垣徹治歌碑0.7km」、今来た道は「加藤文太郎記念碑0.3km」となっています。 右の急な階段は崩の浜(*2)へ降りていけるようですが、また登ってこないといけないので、立ち寄るのは省略しました。
*1 後日に城山急登コースを歩きました。 (「城山」,「城山」を参照)
*2 後日に崩の浜への道を歩きました。 (「城山」を参照)
後日に切通から東側の斜面に続く道を歩きました。(「城山」を参照)
切通を過ぎて、城山の西側を巻くようにして続く広くて緩やかな道を進んでいきます。 右の崖下を覗いてみると、と思われる海岸が見えていました。 振り返るとが聳え、山腹にはも見えました。
展望地
切通から9分ほど進んでいくとに着きました。 テーブル・ベンチが二組設置され、「山陰海岸国立公園 海中公園 海金剛と諸寄港」と題した解説板もありました。 正面にはを見下ろせる眺めが広がっていました。 対岸に灯台が見えていましたが、案内図によるとというようです。 振り返ると、半島の先に浮かぶも見えました。
山陰海岸国立公園 海中公園 海金剛と諸寄港
諸寄港から西の釜屋湾までの約1kmの外海岸は、凝灰角礫岩の断層が約70mの高さで続き、 散在する小島や洞門・洞窟が山陰海岸特有の美しさをつくっており、このあたりを海金剛とよんでいます。 東端に大きなタケノコを立てたように鴻の島がそびえ、近くに流紋岩の岩脈に沿ってできた竜宮洞窟や、 日本海の荒波によってできた巨大なポットホールのある池の島などがあります。 海底は動植物の生息に適し海中公園となっています。 諸寄港は、古くから知られた天然の良港で、風待ち潮待ち港として栄えました。 特に、江戸時代から明治時代には「御城米」などを運ぶ北前船の寄港地として全国各位の諸廻船が出入りしており、 為世永神社の玉垣などにその面影を偲ぶことができます。
展望地を後にしてその先へ1分ほど進んでいくと、近畿自然歩道の道標が立っています。 正面の道は「城山園地0.1km・岡垣徹冶歌碑0.1km」、今来た道は「加藤文太郎記念碑0.9km」となっています。 右下を指す板もあって「塩谷海水浴場0.3km」となっていますが、それらしい道(*)には気が付きませんでした。
*後日に塩谷海水浴場へ降る道を歩きました。 (「城山」を参照)
広くて緩やかな道を進んでいくと、程なくしてが見えてきます。 などを見ながら進んでいくと、 先ほどの展望地から5分ほどで、左右に通る舗装路に出ます。 角には近畿自然歩道の道標が立っていて、右の道は「城山園地・岡垣徹冶歌碑」、 左の道は「芦屋城跡0.6km」、今来た道は「塩谷海水浴場0.4km・加藤文太郎記念碑0.9km」となっています。 脇には「町指定史跡 芦谷城跡」の解説板が立っていました。 この右側すぐの所が、東屋などのある広場になりますが、芦谷城跡のある城山の山頂まで往復してきます。
町指定史跡 芦谷城跡
指定年月日 昭和60年3月1日 所有者・管理者 芦谷区 他
芦谷城は戦国時代の武将塩谷周防守が居城にしていた城で、 周囲を断崖絶壁に囲まれた地形は天然の要害となっており、海上交通を押さえるために築かれた城である。 芦谷城は、天正8年(1580)羽柴秀吉が但馬を攻めたとき落城した。 城主塩谷周防守は、鳥取城主吉川径家を頼り、翌年羽柴秀吉が鳥取城を攻めたとき、 再び鳥取の雁金城と丸山城で戦ったがいずれも落城し、自決した。 昭和59年発掘調査が本丸部分について行なわれ、建物跡や青磁・白磁・天目茶碗・古銭・硯などが多数出土した。
 (平成9年3月 浜坂町教育委員会)
を過ぎて、電波塔が建つ城山へ向かって舗装路を登っていきます。 右・左と大きく曲がりながら登っていきます。 樹間からはなどが眺めがられます。 右下から登ってくる電線を過ぎて更に登っていくと、NHKの浜坂デジタルテレビ中継放送所があります。 舗装路はここで終わり、左へ戻るようにして続くを登っていきます。
城山 (標高175.7m)
横木の階段をひと登りすると城山の山頂に着きます。 車止めから12分ほどで登って来られました。 正面のに登ってみましたが、三角点は見かけませんでした。 その周囲にはなどが幾つか設置されていました。 樹木に邪魔されながらも、が見えました。
山頂の右側には民放のがあります。 今では使われていないのか、MBS・SUN・ABC・KTV・YTVのチャンネル番号は白塗りされていました。 特徴的なを眺めながら裏手に回ってみると、 先の方はテーブル・ベンチが設置された展望地になっていました。 正面にはが聳え、右側にはなどを見下ろせました。 この山頂にはかつて芦谷城があったとのことです。 小規模の城を造るほどの広さはありそうですが、その遺構のようなものは見かけませんでした。
広場
城山から来た道を引き返してくると、9分ほどでの所まで戻ってきました。 その先へ数10m進んでいくと、のある広場に出ます。 広場にはの歌碑があります。 国道178号からここまで車で登ってくることが出来、車を何台も止められる広さがあります。 振り返ると、先ほど登ったにあった電波塔が見えていました。
峠越す また峠越す その度に 峰より高し 但馬の海は 井上真一の歌 彩月書
しばしばも 汝とながめし 大ぶりの 島はもとはに 忘れざらなん 徹冶
自然を大切に
ここは、山陰海岸国立公園です。 マナーを守って、但馬の自然をきれいに美しく保ちましょう。
お願い 私たちの大切な浜坂町の自然を汚さないようにしましょう。
ごみを山や海などにすてるのは、やめましょう。
 (建設省・浜坂町、山陰海岸国立公園但馬地域環境整備促進協議会)
正面が開けていて、諸寄港を見下ろすことが出来ました。 山際には「山陰海岸ジオパーク 諸寄港と千束断崖(諸寄西海岸)」の解説板がありました。 東屋の傍には「風待ち湊 諸寄港」の解説板がありました。 「山陰海岸国立公園 城山園地案内図」と題したもありますが、 最初に矢城ヶ鼻灯台へ向かっていった入口にあったのと同様の内容でした。
山陰海岸ジオパーク 諸寄港と千束断崖(諸寄西海岸)
城山園地は、八鹿類層の安山岩中に流紋岩の岩脈・岩床でできたもので、一帯には花崗岩と北但層群が分布します。 諸寄港は天然の良港で北前船の寄港地、風待ち港として発展した港です。 ここから見る諸寄の美しい海と日本海に沈む夕日は絶景です。 諸寄港から西に行くと玄武岩質安山岩の重層構造からなる高さ約120mの大岩壁があります。 但馬海岸最高の岩壁ともいえます。 凝灰角礫岩と集塊溶岩からできており、噴火口の跡ともいわれています。 また、断崖の西ふもとにある東洞門は、安山岩の溶岩の中にできた亀裂洞門で県指定天然記念物に指定されています。
 (新温泉町)
風待ち湊 諸寄港
指定年月日 町指定 船絵馬 昭和60年3月1日
町指定 航路図 昭和62年3月20日
町指定 船名額 昭和62年3月30日
所有者・管理者 宗教法人 為世永神社他
諸寄港は、江戸時代から明治時代にかけて日本海を北前船が往来していた当時、「風待ち湊」として賑わった港である。 諸寄の為世永神社境内には、全国の船主から寄進された古い玉垣や天保・万延・明治時代に奉納された船絵馬がある。 また、諸寄の各家々には北前船の航路図や船名額、引札、船往来手形、客船帳など船の航行に関する古文書が多く残されている。 諸寄港西側の岬を「日和山」と呼び、かつては暗夜を照らしていた常夜燈跡や和船を係留した杭跡などの史跡がある。 諸寄港には、北前船の「風待ち湊」としてにぎわった当時の面影がいたる所に残っている港である。
 (平成7年3月 浜坂町教育委員会)
曲がりながら続くを降っていきます。 6分ほど降っていくと、右側にが見えてきます。 建物を眺めながら降っていくと、その建物へ続く道が分かれていきます。 入口には「」の標識が出ていました。
浜坂ユースホステルを見送って更に降っていくと、広場から8分半ほどで国道178号の切通に出ます。 出た所にはがあり、「浜坂ユースホステル」の標識が今来た道を指しています。 脇には「山陰海岸国立公園 城山園地案内図」と題したがあります。 内容はこれまでに見かけたのと同様ですが、破損が少なくて見やすくなっていました。 山際には大きなが幾つか並んでいました。
切通を過ぎて、左前方へ続く国道を降っていきます。 途中のには、赤い前掛けをしたお地蔵さんが佇んでいました。 小さくS字形に曲がりながら降って浜坂の街が近づいてくると、国道178号は右へ曲がっていきます。 その角から正面に分かれていく道を進んでいきます。
新田次郎文学碑
を渡った先の芦屋踏切北交差点を左折していきます。 宮谷川に架かる芦屋橋を渡っていくと、 矢城ヶ鼻灯台へ向かって曲がっていったがあります。 右側の横断歩道を渡った所にがあります。 傍には「世界ジオパーク 山陰海岸ジオパーク 浜坂のまち 総合案内MAP」と題したもありました。
新田次郎先生文学碑
単独行の加藤文太郎
孤高の人
観音山のいただきには寺があった。 そこから彼は、彼の故郷浜坂をしみじみと眺めおりした。 眼下に岸田川が流れていた。 岸田川をへだてて向こうに眼をやると、左から雪をいただいた三成山、空山、摺鉢山を背景として、 古墳のように、こんもりと小さくて丸い秋葉山、愛宕山、そして宇都野神社の山が見えた。 そして浜坂の町は、岸田川の隆起にそって、上流側に頂点を置いた細長い三角形となって展けており、 その底辺の中間あたりに加藤の生家の赤い瓦屋根がはっきり見えた。
「孤高の人」より抜粋
世界ジオパーク 山陰海岸ジオパーク 新田次郎文学碑
この文学碑には、山岳小説家新田次郎が新温泉町出身の登山家加藤文太郎をモデルに書いた小説「孤高の人」の一節が刻まれています。 昭和5年の冬、中央気象台に勤務していた新田次郎は、富士山観測所に交替勤務のための登山中に、文太郎と出会いました。 この出会いがきっかけで「孤高の人」を書いたと言われています。 その時のことを新田次郎は、 「自分たちが2日かかって登った富士山を、文太郎は1日で登った」、また 「突風が吹きまくる富士山の氷壁をまるで平地でも歩くかのような速さで歩き、まるで天狗のような奴だと言いながら見送ったものでした」 と記しています。 この文学碑は、平成2年作家藤原てい(新田次郎夫人)を招き、加藤文太郎を語る会を中心に建立・除幕されました。
浜坂県民サンビーチ
角には近畿自然歩道の道標が立っていて、正面の道は「山陰海岸ジオパーク館(便所あり)0.1km」、 左の道は「城主塩冶周防守之碑0.4km・遊覧船乗り場0.4km」となっています。 正面に続く道を緩やかに降っていくとに出ます。 角に立つ近畿自然歩道の道標「浜坂海岸レクリエーションセンター0.6km・加藤文太郎記念図書館1.1km」に従って右折していきます。 を過ぎていくと、車を止めておいた浜坂県民サンビーチに戻ってきました。 国道178号に出た所から20分ほどで着きました。 まで出て海の香りを感じてから家路につきました。
「松の庭」を育てていきましょう
この松の林は、昭和7年(1932)から昭和13年(1938)ごろの間に飛砂を防ぐことと、 当時世界的な大恐慌のなか景気浮揚事業として稚苗を植え育てられたものです。 わたしたちは、この先達の苦労に感謝しながら、森林浴にみどりの恩恵にと有効に利用させていただき、 次の世代に継がなければなりません。 この見事な林相を「はまさかまちの庭」として愛し育てていきましょう。
・ゴミは捨てないで持帰りましょう。
・木は傷めないようにしましょう。
・火は絶対に使わないようにしましょう。
 (新温泉町・但馬浜坂浜の松を大切にする会)
「日本の白砂青松100選」浜坂県民サンビーチ
 (社)にほんの松の緑を守る会(1987年1月10日選定)