城山
概 要 城山は新温泉町の塩谷地区と芦屋地区の境にある標高175mほどの山です。 かつて芦屋城があった山頂からは、日本海の海岸線などを眺めることが出来ます。 今回は南側の城山園地を起終点とし、切通から崩の浜と加藤文太郎記念碑まで往復してから、 城山急登コースを登るルートを歩きます。
起 点 新温泉町 塩谷地区
終 点 新温泉町 塩谷地区
塩谷地区…展望地…切通…崩の浜…切通…加藤文太郎記念碑…切通…城山…塩谷地区
所要時間 1時間40分
歩いて... 近畿自然歩道になっている道や山頂からは、諸寄や浜坂方面の眺めが広がります。 崩の浜へ降る道には擬木の階段や石畳が続きますが、手前に大きな水溜りがあって浜辺までは出られませんでした。 城山急登コースはかなりの急傾斜で、ロープや樹木に掴まりながらのタフな登りとなりました。
関連メモ 城山, 城山
コース紹介
塩谷地区
JR山陰本線の浜坂駅の南側を通る国道178号を西進していきます。 峠にある城山公園バス停まで来るとがあります。 傍には「山陰海岸ジオパーク散策モデルコース」のがあって、今回歩くルートが一部載っています。 右へ分かれていく道の入口には「城山園地」のがあります。 右の道に入って曲がりながら登っていくと、東屋が建つ城山園地に着きます。
山陰海岸ジオパーク散策モデルコース(山陰海岸国立公園)
歴史と文化の街「浜坂」・北前船の寄港地「諸寄」 浜坂・諸寄コース
浜坂・諸寄は浜辺の集落です。 古くから北前船の寄港地と商人の町として栄え、数多くの文化人を輩出しました。 城山園地に登ると並み穏やかな諸寄港の光景から「北前船」の寄港地として、 諸寄砥石や各地からの産物が積み卸しされた当時の光景が偲ばれます。
山陰海岸ジオパーク推進協議会
山陰海岸国立公園 山陰海岸ジオパーク 城山園地
−諸寄の町並み−
城山園地からは、陸地に向って扇を開いたような湾が広がった天然の良港と、 北前船寄港地として栄え日本遺産にも認定されている諸寄の町並みを一望できます。 (現在地から約500m)
−矢城ヶ鼻灯台−
矢城ヶ鼻灯台からは、東は名勝「但馬御火浦」から西は千賊断崖含む荒々しい岩壁まで、270度の大パノラマが一望できます。 夕日スポットとしても有名です。 (現在地から約1,700m)
東屋の傍には「山陰海岸ジオパーク散策モデルコース」の案内板がありますが、城山公園バス停の傍にあったのと同様の内容です。 「風待ち湊 諸寄港」の解説板もあります。 目の前には諸寄港などを見渡せる眺めが広がります。
両側には井上真一と岡垣徹冶のがあります。 自撮りや集合写真用なのか、「」もあります。 振り返ると、今回登る城山に立つが見えます。 山陰海岸ジオパークの「諸寄港と千束断崖(諸寄西海岸)」の解説板もあります。 解説板の左側に続く広い地道を進み始めると、すぐの所にがあります。 正面には「芦屋城跡」の解説板があります。 傍に「落石による通行止めと迂回ルート(サブルート)の通行について」と題したがありましたが、 今回歩くルートは問題がなさそうです。 手前には近畿自然歩道のが立っていて、 正面の車止めの先に続くコンクリート道は「芦屋城跡0.6km」、 左前方の広い地道は「塩谷海水浴場0.4km・加藤文太郎記念碑0.9km」、今来た道は「城山園地・岡垣徹冶歌碑」となっています。
風待ち湊 諸寄港
指定年月日 町指定 船絵馬 昭和60年3月1日
町指定 航路図 昭和62年3月20日
町指定 船名額 昭和62年3月30日
所有者・管理者 宗教法人 為世永神社他
諸寄港は、江戸時代から明治時代にかけて日本海を北前船が往来していた当時、「風待ち湊」として賑わった港である。 諸寄の為世永神社境内には、全国の船主から寄進された古い玉垣や天保・万延・明治時代に奉納された船絵馬がある。 また、諸寄の各家々には北前船の航路図や船名額、引札、船往来手形、客船帳など船の航行に関する古文書が多く残されている。 諸寄港西側の岬を「日和山」と呼び、かつては暗夜を照らしていた常夜燈跡や和船を係留した杭跡などの史跡がある。 諸寄港には、北前船の「風待ち湊」としてにぎわった当時の面影がいたる所に残っている港である。
平成7年3月 浜坂町教育委員会
峠越す また峠越す その度に 峰より高し 但馬の海は 井上真一の歌 彩月書
しばしばも 汝とながめし 大ぶりの 島はもとはに 忘れざらなん 徹冶
山陰海岸ジオパーク 諸寄港と千束断崖(諸寄西海岸)
城山園地は、八鹿類層の安山岩中に流紋岩の岩脈・岩床でできたもので、一帯には花崗岩と北但層群が分布します。 諸寄港は天然の良港で北前船の寄港地、風待ち港として発展した港です。 ここから見る諸寄の美しい海と日本海に沈む夕日は絶景です。 諸寄港から西に行くと玄武岩質安山岩の重層構造からなる高さ約120mの大岩壁があります。 但馬海岸最高の岩壁ともいえます。 凝灰角礫岩と集塊溶岩からできており、噴火口の跡ともいわれています。 また、断崖の西ふもとにある東洞門は、安山岩の溶岩の中にできた亀裂洞門で県指定天然記念物に指定されています。
新温泉町
町指定史跡 芦屋城跡
指定年月日 昭和60年3月1日
所有者・管理者 芦屋区 他
芦屋城は戦国時代の武将塩冶周防守が居城にしていた城で、 周囲を断崖絶壁に囲まれた地形は天然の要害となっており、 海上交通を押さえるために築かれた城である。 芦屋城は、天正8年(1580)羽柴秀吉が但馬を攻めたとき落城した。 城主塩冶周防守は、鳥取城主吉川鳥取の雁金城と丸山城で戦ったがいずれも落城し、自決した。 昭和59年発掘調査が本丸部分について行なわれ、 建物跡や青磁・白磁・天目茶碗、古銭・硯などが多数出土した。
平成9年3月 浜坂町教育委員会
展望地
左前方のを進んでいきます。 岩が剥き出すに沿って進んでいきます。 左下に擬木の階段が見えてくると、広い道は少し曲がっていきます。 脇には近畿自然歩道のが立っていて、 この先の道は「加藤文太郎記念碑0.9km」、今来た道は「城山園地0.1km・岡垣徹冶歌碑0.1km」、 左へ戻るように降る擬木の階段(*)は「塩谷海水浴場0.3km」となっています。 標識を過ぎていくと、テーブル・ベンチが設置された開けた展望地に出ます。 城山園地から6分ほどの所になります。
中ほどには「山陰海岸国立公園 海中公園 海金剛と諸寄港」の解説板があります。 正面にはが見えます。 手前には近畿自然歩道のが立っていて、 この先の道は「加藤文太郎記念碑0.6km」、今来た道は「城山園地0.4km・岡垣徹治歌碑0.4km」となっています。
この先にかけて「岡垣徹」と「岡垣徹」の表記の標識が混在していますが、現地の表記のまま載せておきます。
*後日にへの道を歩きました。 標識の傍からが途切れながら続いています。 途中にはベンチが設置されたがあります。 10分ほどでに降りると、 国道178号の諸寄交差点まで海沿いにが続いています。 (ルート図に緑色で表示)
山陰海岸国立公園 海中公園 海金剛と諸寄港
諸寄港から西の釜屋湾までの約1kmの外海岸は、凝灰角礫岩の断層が約70mの高さで続き、 散在する小島や洞門・洞窟が山陰海岸特有の美しさをつくっており、このあたりを海金剛とよんでいます。 東端に大きなタケノコを立てたように鴻の島がそびえ、近くに流紋岩の岩脈に沿ってできた竜宮洞窟や、 日本海の荒波によってできた巨大なポットホールのある池の島などがあります。 海底は動植物の生息に適し海中公園となっています。 諸寄港は、古くから知られた天然の良港で、風待ち潮待ち港として栄えました。 特に、江戸時代から明治時代には「御城米」などを運ぶ北前船の寄港地として全国各位の諸廻船が出入りしており、 為世永神社の玉垣などにその面影を偲ぶことができます。
切通
右へ曲がっていく広くてを進んでいきます。 程なくして左前方にが見えてきます。 山腹にあるも見えます。 展望地から8分ほど進んでいくと切通に着きます。 地形図によると、北側の190m峰と南側の城山の間にある鞍部になるようです。 中ほどには近畿自然歩道のが立っていて、 この先の道は「加藤文太郎記念碑0.3km」、左の道は「崩の浜海水浴場0.4km」、今来た道は「城山園地0.7km・岡垣徹治歌碑0.7km」となっています。 以前に来た時に気になっていたので、崩の浜まで往復することにします。
標識の脇から続くを降っていきます。 すぐに左・右と曲がってになると擬木の階段は途切れます。 路面が傾いて歩き難い道を降り、また現れる擬木の階段を降っていくと、「火の用心」のを過ぎていきます。 程なくして、正面の樹間にが見えてきます。 更に続く擬木の階段を何度か曲がりながら降っていきます。
崩の浜
左右にが茂るようになる擬木の階段を降っていきます。 擬木の階段が終って緩やかになると、の道になります。 短いがある所を小さくクランク状に曲がっていきます。 また現れるの道を進んでいきます。 浜辺が近づいてくると、大きな水溜りがあって進めなくなります。 切通から12分ほどの所になります。 海水浴場になっている崩の浜はすぐ先に見えますが、ここで引き返すことにします。
切通
荒れ気味のの道を引き返していきます。 短いを小さくクランク状に曲がって石畳の道を進んでいきます。 右・左と何度か曲がりながらを登っていきます。 「火の用心」のを過ぎていきます。 更に続く擬木の階段を曲がりながら登っていくと切通に出ます。 往復25分ほどで戻って来られました。
加藤文太郎記念碑
ひと息入れてから、「加藤文太郎記念碑0.3km」の標識が指す広くてを進んでいきます。 僅かな登り坂になる道を進んでいくと、テーブル・ベンチがある開けた所に出ます。 切通から3分ほどの所になります。 脇には近畿自然歩道のが立っていて、 左へ曲がっていく道は「矢城ヶ鼻灯台0.9km」、今来た道は「城山園地1.0km・岡垣徹冶歌碑1.0km」となっています。 正面にはが広がります。 右側にはが見えます。 左の植え込みの奥には「不撓不屈の岳人 加藤文太郎 ふるさとの碑」と刻まれたが建っています。 読めない部分もありましたが、碑文によると明治38年3月11日に浜坂町に生まれ、 六甲山・但馬連山・日本アルプス等の単独登山を続け「不死身の加藤」とよばれ国宝的存在とまで賞賛された人のようです。 周囲の様子を確認したりしながら休憩していきます。
切通
から切通へ引き返していきます。 軽い降り坂のを進んでいきます。 緩やかになった道を進んでいくと切通に着きます。 往復9分ほどで戻って来られました。 ここから左側の尾根へ続くがあります。 以前に来た時には「城山急登コース」のがあったのですが、この時には見かけませんでした。 今回はここから城山へ登っていきます。
加藤文太郎記念碑の先に続く道は「城山」を参照。
後日に切通から東側の斜面に続く道を歩きました。(「城山」を参照)
樹木に巻かれたテープも見られるを横切るように続く踏み跡を登っていきます。 脇の樹木に手を掛けながら登っていくと、根元から幹が分かれたが見えてきます。 樹木を巻くように曲がって登っていきます。 頑張って登っていくと、緩やかな尾根の背に出ます。
左へ曲がって、所々に椿が咲くを進んでいきます。 程なくしてになります。 所々にが巻かれた樹木があるので、登る人もいるルートのようです。 しばらく登っていくとになります。 程なくして目指す城山が見えてきますが、まだ標高差がありそうです。
右の樹間に辺りの海を眺めながら進んでいきます。 次第にになります。 が増してくるので、脇の樹木に手を掛けながら登っていきます。 やがて太いロープが張られるようになります。 切通から9分ほどの所になります。
ロープに掴まりながらを登っていきます。 を総動員して、樹木やロープに掴まって体を引き上げるようにして登っていきます。 頑張って登っていくと、ロープは曲がっていきます。 切通から12分ほどの所になります。 かなりのを横切るように進んでいきます。 ロープが張られていなければズリ落ちてしまいそうな傾斜で、『もう無理か』とくじけそうになります。
城山 (標高175.7m)
少し右へ曲がりながら急斜面をに登っていきます。 更に右へ曲がって、急斜面をするように登っていきます。 また左へ曲がって、ロープを跨いだりしながら急斜面をに登っていきます。 やがてロープが張られるようになるので、 両手で掴まりながら登っていきます。 しばらく登ってロープがになると山頂が近づいてきます。 気を取り直して登っていくと、やっとのことで城山の山頂に着きます。 切通から25分ほどのタフな急斜面でした。 城山園地の傍にあった「芦屋城跡」の解説板によると、ここにはかつて芦谷城があったとのことです。 小規模の城を造るほどの広さはありそうですが、その遺構のようなものは見かけませんでした。
正面にある美方郡広域事務組合の電波塔「はまさか基地局」の右側にはが設置されています。 眼下にはなどを見下ろせます。 左側へ進んでいくと、日本エレクトロニックシステムズ株式会社が設置するytv・ABC・MBS・KTV・SUNの「浜坂放送局」があります。 その先の少し低い所にも、が設置されています。 こちら側からはなどを見下ろせます。 奥にあるテーブル・ベンチの先から右側の僅かなへ登ってみますが、三角点などの標石は見かけません。
僅かな高みから降りて、テーブル・ベンチの先に続く広いを降っていきます。 程なくして現れる擬木の手摺りが設置されたを降っていきます。 擬木の階段が終ってコンクリート道になると、NHKのの前を右へ曲がっていきます。 擬木の手摺りが設置された曲がり角まで来ると、が見えてきます。 道なりに左へ曲がっていきます。
右側にを眺めながらコンクリート道を降っていきます。 少し降った所を曲がっていきます。 擬木の手摺りが設置された所まで来て曲がっていきます。 白いガードレールが設置された所を過ぎていくと、正面に標高150mほどのが見えてきます。 左の尾根が低くなってくると、ロープが張られた踏み跡があります。 尾根の背に出て高みへ続いているように思えますが、確かめるのは省略します。
塩谷地区
少し降った所を曲がっていきます。 少し降っていくとが設置されています。 左にはが広がります。 が設置された所を過ぎていきます。 焦げ茶色のガードレールが設置された所を過ぎていくと、車止めがあるに出ます。 分岐を過ぎていくと、車を止めておいた城山園地に着きます。 城山から14分ほどで降りて来られました。