概 要 |
三岳山は福知山市にある標高839.1mの山です。
中腹にある三嶽神社までは、野際地区からの名木巡りコースと喜多地区からの地蔵巡りコースがあります。
山頂からの眺めはあまり良くありませんが、各方面の樹間から少し山並みが見えます。
今回は喜多地区にある閉館した三岳青少年山の家(みたけ山荘)から地蔵巡りコースを往復します。
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起 点 |
福知山市 喜多地区
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終 点 |
福知山市 喜多地区
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喜多地区…喜多配水池…峠…三嶽神社…三岳山…三嶽神社…峠…喜多配水池…喜多地区…(金光寺)
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所要時間 |
2時間20分
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歩いて... |
三岳青少年山の家から三嶽神社までの参道は明瞭で、丁仏が点々と佇んでいます。
標識類は少ないものの、迷いそうな所はありません。
樹木に掴まりながら登り降りするような急坂はありませんが、
この日は気温が高くて、何度も立ち止まって、噴き出す汗を拭きながらの遅い登りとなりました。
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関連メモ |
三岳山,
三岳山
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喜多地区
豊岡市但東町から登尾トンネルを抜けて国道426号を南下していきます。
里の駅みたけを過ぎて戸倉口バス停まで来て、佐々木川に架かるを渡っていきます。
戸倉バス停・金光寺前バス停を過ぎていくと、「」の看板が出る所にがあります。
角にはが立っていて、
左へ登っていく道は「300m 三岳山登山口・250m 三岳青少年山の家 みたけ山荘」となっています。
脇に「三嶽神社由緒」のがあります。
無学のため誤読している文字もあろうかと思いますが、碑文を載せておきます。
左の道を曲がりながら登っていくと、分岐の左側に閉館したの駐車場があるので、
ここに車を止めさせて頂きました。
脇には「三岳山周辺案内」があって、
「」の案内図が載っています。
所要時間も載っていて、ここから山頂までは、登り1時間30分(60分+30分)、降り45分(15分+30分)となっています。
三嶽神社由緒
本山九合目に鎮座
本社は古来御嶽蔵王権現と称し祭神
は大己貴命開拓治病護身の神として
崇めらる大化年中役行者小角の開基
と伝え中世長く修験道の道場にして
社より上は女人結界地方山岳信仰の
中心たりき別当職は神宮寺断絶後金
光寺住持相続し来れるも明治四年三
嶽神社と改め専属の神職を喜多に置
き仝四十四年指定村社に昇格せらる
源頼光の見立山 うしとらに 大江の山を 見立てつつ 鬼賊退治を 祈りしとなむ
丹後天橋立大江山国定公園 三岳山周辺案内
大江山連峰地区
大江山連峰地区は丹後半島の南に位置し、標高600m〜800mの稜線が東西に連なっている連山地形です。
連山の山頂からは360度の視界が広がるパノラマ景観や、稜線からの山間景観、鬼嶽稲荷神社から見る雲海など、
さまざまな自然風景を見ることができます。
三岳山は海抜839m、福知山市の最高峰です。
市街から遠望できる三岳山は実に堂々としていて、かつて「丹波山上」と呼ばれていたのがうなずけます。
三岳山の名の由来については、源頼光が鬼退治のとき、この山から大江山を見立てたという説がありますが、
信仰の山、御嶽山から来ているものと思われます。
山頂近くの三岳神社は、古くは蔵王権現社といい、大化年間(7世紀中ごろ)に修験の開祖・役小角が、ここへ登って参籠したとき、
蔵王権現が現れたので、蔵王堂を建てたのが始まりと言われています。
三岳山は、平安時代から鎌倉時代にかけて北近畿屈指の修験道場であったと思われます。
その遺跡は、行者神社をはじめ実に多くの名残をとどめており、
この三岳神社の別当寺であった喜多の金光寺や下佐々木の威光寺などが、当時の密教信仰の拠点となり、
当地域の信仰の中心として栄えていたものと思われます。
「丹波志」には「本社より上女人結界」とあります。
登山道は、喜多の金光寺から登るコースと国道426号の仏坂口から野際まで車で入り、
七王子神社から登るコースがあります。
三岳山は、美しく植林されていますが、ところどころに、かつて原生林であったことがしのばれる植生が見られます。
山頂には、関西電力の反射板が立ち、三角点横の古い五輪塔との対照がなんとも印象的です。
環境省・京都府・福知山市
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駐車場の脇にあるを登っていきます。
登り口には歌碑があります。
石段を登った所に標識が立っていて、左の道は「三岳山登山口」となっています。
左へ曲がって坂道を登っていくと、すぐの所にがあります。
角にはが立っていて、
正面の道は「金光寺」、左の地道は「2.2km 三岳山山頂・1.6km 三嶽神社」となっています。
緩やかな左の地道を進んでいくと、程なくして「三岳山登山口」のが立っています。
標識を過ぎて右へ曲がると、擬木の階段が始まります。
秋はまだ 残る日かずに 空さえて けさぞみたけの 山ははつ雪 福知山朽木初代城主 朽木稙昌
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喜多配水池
右側にある広いを過ぎていきます。
間隔の広いを登っていきます。
程なくして、右側に金光寺の歴代の住職のがあります。
植林地に続くは段差が高くなっています。
歩き難いので脇を通ったりしながら登っていくと、「二丁」のが佇んでいます。
「一丁」の石仏は見落としたのか、気が付きませんでした。
擬木の階段が終って緩やかになると、福知山北部簡易水道の喜多配水池があります。
駐車場から7分ほどの所になります。
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金網柵の曲がり角から続く道を進んでいきます。
少し石がゴロゴロするを右へ曲がりながら登っていきます。
赤頭短杭が点々と続く道を登って尾根の背に出ると、「三丁」のがあります。
左へ曲がって、尾根の背に続く石がゴロゴロするを登っていきます。
少し左へ曲がって尾根の左斜面に出ると、少し傾斜が緩やかになります。
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右へ曲がって登っていくと、「四丁」のを過ぎていきます。
左・右と曲がりながら石がゴロゴロする窪んだ道を登っていくと、「五丁」のがあります。
に出て、更に続く道を登っていきます。
少し窪んだ道を登っていくと「六丁」のを過ぎていきます。
更に登っていくと、「七丁」の石仏があります。
駐車場から22分ほどの所になります。
この日は気温が高くて止め処もなく汗が噴き出て疲れてもきたので、ちょいと立ち止まって水分補給をしていきます。
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峠
気を取り直して、曲がりながら続く道を登っていきます。
道なりに右へ曲がって、を登っていきます。
しばらく登っていくと「八丁」のがあります。
傾斜が緩やかな所を過ぎて僅かな降り坂になると、「九丁」のを過ぎていきます。
程なくして、緩やかな鞍部になった峠に着きます。
駐車場から29分ほどの所になります。
標識類はなくて分り難くなっていますが、ここから降る道(*)があります。
地形図に破線で載っている道で、七王子神社へ降りていけます。
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正面の道を進み始めると、すぐに尾根の背を外れてを登るようになります。
右へ曲がりながら登っていくと、尾根の背に出る手前に「十丁」のがあります。
に出て、左へ曲がって登っていきます。
雑木林になった斜面を右へ曲がりながら登っていくと、尾根の背に出る手前に「十一丁」のがあります。
尾根の背に出てしばらく登っていくと、「十三丁」の石仏が佇んでいます。
峠から9分ほどの所になります。
「十二丁」の石仏は見落としたのか、気が付きませんでした。
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尾根のを右へ曲がりながら登っていきます。
左へ曲がりながら登っていくとに出ます。
右へ曲がって登っていくと、「十四丁」のを過ぎていきます。
少し先を左・右と曲がりながら登っていくと、退色した「保安林」の標識の傍に「十五丁」のがあります。
尾根の左斜面を横切るように進んでいくと、「十六丁」の石仏があります。
この附近の森林は保安林です。
保安林内での立木の伐採等を行う場合は知事の許可が必要で、無断で行うと森林法で罰せられます。
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植林地の斜面を斜めに登っていくと、樹木に「注意!」のが取り付けられています。
尾根を回り込むように右へ曲がりながら登っていくと、「十七丁」のがあります。
石仏の所でが左前方へ分かれていますが、正面の道を進んでいきます。
程なくして、左から登ってくる名木巡りコースと合流します。
峠から21分ほどの所になります。
脇にはが立っていて、
右前方の道は「0.6km 三岳山山頂」、
左の道(*)は「1.2km 三岳山登山口(上佐々木)」「1.2km 七王子神社」、
今来た道は「三岳青少年山の家 みたけ山荘 1.6km」「三岳山登山口(喜多) 1.6km」となっています。
注意!
この先は道が狭くなっています。
注意して通行してください。
京都府福知山警察署
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三嶽神社
右前方の道を登っていくと、程なくしてが立っています。
鳥居の手前にはが可憐な花を咲かせていました。
鳥居の袂にはが控えています。
金額と氏名が刻まれた石柱の列を過ぎると、幅の広い石段の先にが見えてきます。
石段を登って玉垣で囲まれた小広い境内に出ると、正面に社殿があります。
扁額や由緒などを記したものは見かけませんが、
駐車場にあった案内図によると三嶽神社になるようです。
峠から23分ほど、駐車場から53分ほどで登って来られました。
狛犬の代わりなのでしょうか、社殿の右前にはが置かれています。
以前には左前にも羽を広げた木像がありましたが、壊れてしまったのか、この時に見かけませんでした。
本来のと思われるものは、境内の左の端に並べて置かれています。
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境内の左側から植林地を横切るようにが続いています。
入口には「行者神社 参道」のが倒れています。
行者神社(*)へ続くで以前は歩けたのですが、
この時は入口の樹木に「通行禁止!」の標識が取り付けられていました。
境内の右側には「植林紀念」と刻まれたがあります。
ベンチも設置されているので、三岳山へ向かう前に、水分補給しながらひと息入れていきます。
通行禁止!
この先は道がふさがっており、通行できません。
引き返してください。
京都府福知山警察署
ノギク公団造林地
契約面積 | 16.00ヘクタール |
契約期間 | 昭和37年度から55年間 |
土地所有者 | 三嶽神社 |
造林者 | 三嶽神社 |
立派な山を育てましょう。
森林開発公団 京都出張所
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落ち着いたところで、社殿の右側に続くを登っていきます。
ここにも「注意!」の標識があります。
すぐの所にがありますが、名前などは分かりませんでした。
小社の脇を過ぎていくと、石がゴロゴロするがあります。
以前には古びた横木の階段があったのですが、この時はすっかり無くなっていて、脇に踏み跡が出来ていました。
小刻みに曲がりながら続くを登っていきます。
従来の道に出て右へ曲がり、道に覆い被さるようなの下を過ぎていきます。
尾根の背に出てすぐに左へ曲がり、左斜面を進んでいきます。
注意!
この先は道が狭くなっています。
注意して通行してください。
京都府福知山警察署
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や木の根の脇を過ぎていきます。
道なりに右へ曲がっていくと尾根の背の近くに出ますが、またすぐにを進むようになります。
何度か曲がりながら植林地を登っていくと、
所々にが設置されていますが、朽ち果てそうになっていて既に役目を終えたようです。
更に曲がりながら登っていくと、次第に広いになります。
傾斜が増してくる尾根を右・左と曲がりながら登っていきます。
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三岳山 (標高839.1m)
植林地と雑木林を分けるを登っていきます。
山頂の手前まで来ると、ように登っていきます。
右へ曲がりながら登っていくと、山頂のに出ます。
標識へ向っていくと、三岳山の山頂に着きます。
三嶽神社から23分ほどで登って来られました。
中ほどには「三岳山山頂839.2m」のがあります。
以前には各方角を指す標識も立っていましたが、この時にはなくなっていました。
もありますが半壊しています。
傍には「三岳山」があるので、地形図に載っている839.1m峰になるようです。
駐車場にあったのと同様の「丹後天橋立大江山国定公園」と題した案内板もありますが、国定公園の説明が追記されています。
「」の案内図も載っていますが、
所要時間が少し異なっていて、登り1時間45分(70分+35分)、降り50分(15分+35分)となっています。
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山頂には大きな電波反射板があります。
山頂の周囲には樹木が茂り気味ですが、各方角の樹間から山並みを眺められます。
【】
【】
【】
【】
電波反射板の先には樹木が伐採されたが続いています。
北北東にある標高830mほどの高みまで歩いてみますが、山並みが少し見える所が何ヶ所かある程度です。
(所要時間に含めず)
西側に伸びる尾根を3分ほど降った所に展望岩(*)がありますが、以前に歩いているので今回は訪ねるのを省略しました。
お昼にはまだ早い時刻だったので、に腰を降ろして水分補給しながら休憩していきます。
丹後天橋立大江山国定公園
大江山連峰地区
大江山連峰地区は丹後半島の南に位置し、標高600m〜800mの稜線が東西に連なっている連山地形です。
連山の山頂からは360度の視界が広がるパノラマ景観や、稜線からの山間景観、鬼嶽稲荷神社から見る雲海など、
さまざまな自然風景を見ることができます。
三岳山は海抜839.2m、福知山市の最高峰です。
市街から遠望できる三岳山は実に堂々としていて、かつて「丹波山上」と呼ばれていたのがうなずけます。
三岳山の名の由来については、源頼光が鬼退治のとき、この山から大江山を見立てたという説がありますが、
信仰の山、御嶽山から来ているものと思われます。
山頂近くの三岳神社は、古くは蔵王権現社といい、大化年間(7世紀中ごろ)に修験の開祖・役小角が、ここへ登って参籠したとき、
蔵王権現が現れたので、蔵王堂を建てたのが始まりと言われています。
三岳山は、平安時代から鎌倉時代にかけて北近畿屈指の修験道場であったと思われます。
その遺跡は、行者神社をはじめ実に多くの名残をとどめており、
この三岳神社の別当寺であった喜多の金光寺や下佐々木の威光寺などが、当時の密教信仰の拠点となり、
当地域の信仰の中心として栄えていたものと思われます。
「丹波志」には「本社より上女人結界」とあります。
登山道は、喜多の金光寺から登るコースと国道426号の仏坂口から野際まで車で入り、
七王子神社から登るコースがあります。
三岳山は、美しく植林されていますが、ところどころに、かつて原生林であったことがしのばれる植生が見られます。
山頂には、関西電力の反射板が立ち、三角点横の古い五輪塔との対照がなんとも印象的です。
大江山連峰地区
「丹後天橋立大江山国定公園」は、2007年8月に全国で56番目の国定公園として誕生しました。
当地区は、丹後半島の南に位置し、標高600m〜800mの稜線が東西に連なっている連山地形です。
三岳山から大江山連峰にかけての山々は、古くからの伝説の山、信仰の山として親しまれてきた美しく雄大な姿を有する名山です。
また、貴重な植物の宝庫と知られ、秋には、見事な雲海も見ることができます。
環境省、京都府、福知山市
注意
この反射板は電気供給に必要な無線設備ですから、上に登ったり損傷を与えたりしないよう注意して下さい。
関西電力株式会社
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落ち着いたところで、を引き返していきます。
雑木林を掠めていくと、植林地のを降るようになります。
程なくして尾根のを曲がりながら降るようになります。
所々にある地面に埋もれて朽ち果てる寸前のが設置された植林地の右斜面を、何度も曲がりながら降っていきます。
やがて下の方に神社の屋根が見えてきます。
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三嶽神社
尾根のを更に降っていきます。
尾根の背から外れて右へ曲がり、道に覆い被さるようなの下を過ぎていきます。
道なりに左へ曲がって、石がゴロゴロする窪んだ道の脇に続くを小刻みに曲がりながら降っていきます。
窪んだ道が終わった所にあるの脇を過ぎていきます。
少し左へ曲がっていくと、三嶽神社の境内に降り立ちます。
三岳山から14分ほどで降りて来られました。
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ひと息入れてから、正面の広いを降っていきます。
石段が終わった先に並ぶ金額と氏名が刻まれたを過ぎていきます。
狛犬と御神燈が控えるをくぐっていきます。
程なくして、標識の立つ登山道の分岐に出ます。
右へ続く名木巡りコース(*)は見送って、元来た左前方のを降っていきます。
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右から踏み跡が合流する所まで来ると「十七」のがあります。
向かい側には「八」のタイルが嵌め込まれた石杭もあります。
尾根を回り込むように左へ曲がって降っていくと、
「注意!」の標識が取り付けられた樹木を過ぎた少し先に「十六丁」のがあります。
尾根の右斜面を横切るように降っていくと、退色した「保安林」の標識の傍に「十五丁」のがあります。
左・右と曲がって降っていくと、左へ曲がる手前に「十四丁」のがあります。
道なりに左へ曲がって尾根の右斜面降っていくと、少しシダ類が見られる尾根の背に出ます。
三嶽神社から8分ほどの所になります。
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峠
右・左と曲がりながら右斜面を降って尾根の背に出ると、「十三丁」のがあります。
になった尾根の右肩を通ったりしながら降っていきます。
尾根の背から少し右斜面を降り始めると「十一丁」のがあります。
左右を確認しながら降ってきましたが、「十二丁」の石仏は見つけられませんでした。
少し左へ曲がりながら降っていくとになります。
右へ曲がりながら降っていくと「十丁」のがあります。
左へ曲がりながら降って尾根の背に出ると、緩やかな鞍部になった峠に着きます。
三嶽神社から17分ほどの所になります。
七王子神社への道(*)が右後方へ分かれて降っていきますが、見送っていきます。
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軽い登り坂になる道を進んでいくと、程なくして「九丁」のがあります。
僅かな高みを越えて窪んだ道を降っていくと「八丁」のがあります。
右・左と曲がりながら少しを降っていきます。
右へ曲がって尾根の背を降っていくと「七丁」のがあります。
窪んだ道を曲がりながら更に降っていくと、右へ曲がり始める所に「六丁」の石仏があります。
峠から8分ほどの所になります。
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喜多配水池
右へ曲がって石がゴロゴロする道を降っていくと「五丁」のがあります。
左・右と曲がりながら、石がゴロゴロする少しを降っていきます。
更に左・右と曲がりながら降っていくと「四丁」のがあります。
道なりに左へ曲がって尾根の右斜面に続く窪んだ道を降っていくと「三丁」のがあります。
右・左と曲がりながら石がゴロゴロする道を降って尾根の背に出ると、金網柵で囲まれた福知山北部簡易水道の喜多配水池に出ます。
峠から18分ほどの所になります。
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金網柵の右側を過ぎて、幅の広いを降っていきます。
階段を脇を通ったりしながら降っていくと「二丁」のがありますが、
木に隠れていてこちら側からは見え難くなっています。
擬木の階段を真っ直ぐ降っていくと、金光寺の歴代の住職のがあります。
擬木の階段が終ると、左側に広いがあります。
道なりに左へ曲がりながら降っていくと、緩やかになった所に「三岳山登山口」の標識が立っています。
峠から22分ほど、三嶽神社から40分ほどで降りて来られました。
左右を確認しながら降ってきましたが、「一丁」の石仏は見つけられませんでした。
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喜多地区
緩やかな地道を進んでいくと、程なくして金光寺へ向うに出ます。
脇には「金光寺」「2.2km 三岳山山頂・1.6km 三嶽神社」のが立っています。
右へ曲がってを降っていきます。
「三岳山登山口」の標識がある所から右の石段を降っていくと、閉館した三岳青少年山の家(みたけ山荘)の駐車場に着きます。
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金光寺
家路につく前に、金光寺を少し訪ねていきました。
三岳青少年山の家の下の方にある六社神社の隣から参道が始まります。
仁王門をくぐり駐車場の脇を過ぎていくと、金光寺の寺務所があります。
更に登っていくと不動堂があって、振り返ると眺めが広がります。
(所要時間に含めず)
この金光寺は真言宗高野山派に属し大化年間(西暦645年頃)に創建されたということです。
この寺の宝物のうち市の指定文化財としては絵画の愛染明王図、種子曼荼羅図、金光寺古文書、石造仏として裏山に宝篋印塔があります。
絵画はいずれも鎌倉時代の作品で当時の面影を充分に残しており、古文書は隆盛であった当寺あての寄進状が多く見受けられまう。
また宝篋印塔は無銘ではあるが形成手法から見て南北朝時代(西暦1340年頃)を下らないと思われます。
いずれにせよこの寺の歴史を知るうえに貴重な文化財であります。
福知山市教育委員会
金光寺とその文化財
金光寺は、三岳山の中腹にあり、山麓の佐々木荘は平安時代から始まる比叡山妙香院の荘園として中世−近世に至るまで大いに栄えたと伝えられます。
金光寺も密教寺院として、あるいは三嶽蔵王権現の別当寺でもあり、
また修験道の聖地である三岳山の山伏寺として発展し、以下の貴重な文化財が残されました。
しかしながら江戸時代初期には、下佐々木所蔵の『寺社方覚帳』では金光寺のほか宝寿院と宝光院の二坊のみが記載されており、
江戸時代末期からは不動堂を本堂とする金光寺だけが現存することとなります。
絹本著色愛染明王像図
「輪宝筈羯摩文」と呼ばれる装飾を施した絵絹の中に描かれた愛染明王です。
明王は、仏・菩薩・明王・天の4種類に分けることができる仏に一つで、
愛染明王は一般的に全身赤色、三目六臂で憤怒の形相をしており、
弓矢などを持ち容易に救うことのできない人々を導くという役目をもっています。
金光寺に伝えられるこの明王は、大円相中という円内の蓮台に座し、獅子の冠を着けた姿で描かれており、六臂の腕を持っています。
描画はのびのびと闊達に表現され、画相の諸特徴からみて、鎌倉時代の製作と考えられ、同時代の愛染明王としては出色の作品です。
紫絹金泥種子曼荼羅図
縦98.8cm横67.8cmを測る絹地に横8、縦12、合計96の種子曼荼羅を金泥で描いたもので、
両界曼荼羅・理趣経曼荼羅系の各別尊曼荼羅をはじめとして、薬師十二神将・請観音経・仁王経・法華経・六地蔵・三十仏・三衣梵字・福徳・知恵・二十五菩薩・十二光仏等の諸曼荼羅、
さらに、熊野・日吉山・白山・箱根・走湯山の修験霊場の諸曼荼羅を描いています。
書体から考えて鎌倉時代を下らないものと思われます。
このほか、紙本墨書の金光寺文書があります。
鎌倉時代から江戸時代におよぶ御教書・寄進状・令旨・禁制・置文・枯却状・書状・掟書などを四巻の巻物にして整理したもので、
福知山地方の中世の歴史を研究する上には欠くことのできない史料です。
平成18年3月 福知山市教育委員会
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