旅情を誘う穏やかな日本海の漁村
【諸寄駅周辺】 新温泉町諸寄
港を囲むように家々が密集した町並み。
時を経て味わいを増した焼き板の塀や浜へと通じる入り組んだ路地、
まるで映画のワンシーンのような風景に出くわす。
古くから天然の良港として栄え、北前船の寄港地でもあった諸寄港。
東西の岬に囲まれた穏やかな入江は、諸国の廻船が風待ちの港として利用した。
近年は、明治の歌人・前田純孝の故郷として知られている。
病に倒れ、晩年をこの地で過ごした純孝は、死の直前まで短歌をつくり続けた。
昭和44年、村の有志によって建立された諸寄海岸の歌碑には、晩年の歌が刻まれている。
純孝にまつわる歌碑や地元出身の先人たちの顕彰碑などが、数多く点在している。
飛騨・平湯の社会教育を指導し、今も「飛騨聖人」と名高い教育者・篠原無然や、
最期の絵師と称される美人画家・谷角日沙春なども諸寄の出身だ。
諸寄の散策は、駅から偉大な先人たちの碑をめぐるのもよい。
歴史と文化の街「浜坂」・北前船の寄港地「諸寄」
浜坂・諸寄は浜辺の集落です。
古くから北前船の寄港地と商人の町として栄え、数多くの文化人を輩出しました。
城山園地に登ると波穏やかな諸寄港の光景から「北前船」の寄港地として、
諸寄砥石や各地からの産物が積み降ろしされた当時の光景が偲ばれます。
【漁村の街並み】
日本海航路が盛んであったころ、旧諸寄港は日和山で西風をさえぎられる絶好の風待ち港でした。
付近には、港町の家並みが、当時の雰囲気を残しています。
町を見下ろす
高台の為世永神社(いよながじんじゃ)は海の神である塩土翁命(しおつちのおきなのみこと)が祀られており、
安全を願い寄進された絵馬などがあります。
境内の玉垣には「陸奥国」「越後国」「下野国」などの旧国名と寄進した船主の名が刻まれています。
【城山園地(諸寄の眺望)】
芦屋坂から城山園地に向かう、つづら折りの道を登ると展望のよい城山園地に着きます。
ここから見る天然の良港諸寄港の朝夕の光が織りなす景観は絶景です。
春の桜、冬の雪景色など、四季が楽しめる場所です。
ここから矢城ヶ鼻にかけての近畿自然歩道には、歌人・岡垣徹治、登山家・加藤文太郎などの歌碑や顕彰碑があります。
山陰海岸ジオパーク推進協議会
近畿自然歩道 浜坂文学めぐりのみち(浜坂駅〜諸寄駅)6.7km
近畿自然歩道は、私達の生活が近代化する中で、自然の残っている地域や名所・旧跡を帯状に結び、
身近に歴史や自然とふれあえるよう整備したものです。
コースには道しるべがありますので、それにしたがってお歩きください。
【前田純孝(翠渓)歌碑】
「東の啄木、西の翠渓」と言われ、数多くの秀れた短歌を詠みました。
与謝野寛・晶子らと「明星」に精力的に作品を発表し、明治44年に31歳の短い生涯を閉じました。
【篠原無然之碑】
諸寄で生まれた無然は年少の頃から釈迦や孔子の影響を強く受け、自ら聖人になるべく人格形成に没頭しましたが、
やがて、その修行の場所に「飛騨」を選び、工女の労働条件の改善や社会教育などに努めました。
その遺徳は、飛騨地方の精神文化開発の先覚者として「飛騨聖人」といわれ尊敬されています。
【城山園地】
駐車場のある中腹の広場は、城山周辺散策の拠点として、絶好の展望場所です。
四季折々で姿を変える景色の中でも、日本海に沈みゆく真っ赤な夕日は感動的です。
【タンゴイワガサ・ワカサハマギク】
城山園地から矢城ヶ鼻をまわって、浜坂港へ下るコース沿いに群生しています。
両種とも野生では、越前〜但馬周辺の日本海側でしか見られない植物です。
タンゴイワガサはバラ科で5月下旬頃、ワカサハマギクはキク科で11月上旬頃が見頃です。