千々見山
概 要 千々見山は新温泉町にある標高262.9mの山です。 山頂には小さな展望台があって、諸寄から浜坂にかけての山並みや海岸線を見渡すことができます。 南側から広い登山道が続いていて容易に山頂に立つことができますが、 今回は北西側の諸寄駅から登って、北東側の宇都野神社へ降るルートを歩きます。
起 点 新温泉町 諸寄駅
終 点 新温泉町 浜坂駅
諸寄駅…愛宕神社…千々見山…宇都野神社…浜坂護国神社…浜坂駅
所要時間 2時間30分
歩いて... 尾根には桃テープが点々と取り付けられていてルートを示していますが、 ロープや樹木に掴まりながら登り降りする急坂や、岩が剥き出す所もあります。 山頂の周りには樹木が育ってきていて、以前よりも眺めが悪くなっています。
関連メモ 千々見山, 千々見山
コース紹介
諸寄駅
諸寄駅(JR山陰本線)から歩いていきます。
駅舎を出た正面には、「」や、 「」などのがありますが、 今回登る千々見山は載っていません。
旅情を誘う穏やかな日本海の漁村
【諸寄駅周辺】 新温泉町諸寄
港を囲むように家々が密集した町並み。 時を経て味わいを増した焼き板の塀や浜へと通じる入り組んだ路地、 まるで映画のワンシーンのような風景に出くわす。 古くから天然の良港として栄え、北前船の寄港地でもあった諸寄港。 東西の岬に囲まれた穏やかな入江は、諸国の廻船が風待ちの港として利用した。 近年は、明治の歌人・前田純孝の故郷として知られている。 病に倒れ、晩年をこの地で過ごした純孝は、死の直前まで短歌をつくり続けた。 昭和44年、村の有志によって建立された諸寄海岸の歌碑には、晩年の歌が刻まれている。 純孝にまつわる歌碑や地元出身の先人たちの顕彰碑などが、数多く点在している。 飛騨・平湯の社会教育を指導し、今も「飛騨聖人」と名高い教育者・篠原無然や、 最期の絵師と称される美人画家・谷角日沙春なども諸寄の出身だ。 諸寄の散策は、駅から偉大な先人たちの碑をめぐるのもよい。
歴史と文化の街「浜坂」・北前船の寄港地「諸寄」
浜坂・諸寄は浜辺の集落です。 古くから北前船の寄港地と商人の町として栄え、数多くの文化人を輩出しました。 城山園地に登ると波穏やかな諸寄港の光景から「北前船」の寄港地として、 諸寄砥石や各地からの産物が積み降ろしされた当時の光景が偲ばれます。
漁村の街並み】  日本海航路が盛んであったころ、旧諸寄港は日和山で西風をさえぎられる絶好の風待ち港でした。 付近には、港町の家並みが、当時の雰囲気を残しています。 町を見下ろす 高台の為世永神社(いよながじんじゃ)は海の神である塩土翁命(しおつちのおきなのみこと)が祀られており、 安全を願い寄進された絵馬などがあります。 境内の玉垣には「陸奥国」「越後国」「下野国」などの旧国名と寄進した船主の名が刻まれています。
城山園地(諸寄の眺望)】  芦屋坂から城山園地に向かう、つづら折りの道を登ると展望のよい城山園地に着きます。 ここから見る天然の良港諸寄港の朝夕の光が織りなす景観は絶景です。 春の桜、冬の雪景色など、四季が楽しめる場所です。 ここから矢城ヶ鼻にかけての近畿自然歩道には、歌人・岡垣徹治、登山家・加藤文太郎などの歌碑や顕彰碑があります。
山陰海岸ジオパーク推進協議会
近畿自然歩道 浜坂文学めぐりのみち(浜坂駅〜諸寄駅)6.7km
近畿自然歩道は、私達の生活が近代化する中で、自然の残っている地域や名所・旧跡を帯状に結び、 身近に歴史や自然とふれあえるよう整備したものです。 コースには道しるべがありますので、それにしたがってお歩きください。
前田純孝(翠渓)歌碑】  「東の啄木、西の翠渓」と言われ、数多くの秀れた短歌を詠みました。 与謝野寛・晶子らと「明星」に精力的に作品を発表し、明治44年に31歳の短い生涯を閉じました。
篠原無然之碑】  諸寄で生まれた無然は年少の頃から釈迦や孔子の影響を強く受け、自ら聖人になるべく人格形成に没頭しましたが、 やがて、その修行の場所に「飛騨」を選び、工女の労働条件の改善や社会教育などに努めました。 その遺徳は、飛騨地方の精神文化開発の先覚者として「飛騨聖人」といわれ尊敬されています。
城山園地】  駐車場のある中腹の広場は、城山周辺散策の拠点として、絶好の展望場所です。 四季折々で姿を変える景色の中でも、日本海に沈みゆく真っ赤な夕日は感動的です。
タンゴイワガサ・ワカサハマギク】  城山園地から矢城ヶ鼻をまわって、浜坂港へ下るコース沿いに群生しています。 両種とも野生では、越前〜但馬周辺の日本海側でしか見られない植物です。 タンゴイワガサはバラ科で5月下旬頃、ワカサハマギクはキク科で11月上旬頃が見頃です。
案内板の裏手には「」のがあります。 看板の右側にある石段をひと登りすると、の運動場があります。 運動場の入口の左側にあるを登っていきます。 自然石を積んだ石段に変わると防護扉があります。 上下に鎖付きのフックが掛けられているだけなので、容易に開けることが出来ます。
災害に強い森づくり(里山防災林整備)
〜県民緑税の活用〜 新温泉町諸寄地内
平成16年の台風災害を踏まえて、豊かな「緑」を次の世代へ引き継いでいくため、 県民共通の財産である「緑」の保全・再生を社会全体で支え、県民総参加で取り組む仕組みとして平成18年度から「県民緑税」を導入し、 防災面での機能強化を目的とした「災害に強い森づくり」を進めています。
【整備概要】  当地区は、集落(家屋)の裏山を中心にした森林整備として、主に人家や道路に危険を及ぼす倒木の伐採をしています。 その他にも人工林(スギ)や竹林の間伐も行っています。 また、簡易な防災施設(木柵等)の設置を行い、里山の防災機能を高めます。
平成25年度 兵庫県、新温泉町、兵庫みどり公社
防護扉を過ぎるとは終わりになります。 再び現れるを登っていきます。 石段が終ると、右・左と曲がりながらを登るようになります。 合わせて20回ほど曲がりながら登っていくと、右への曲がり角にが二つ並んでいます。 防護扉から7分ほどの所になります。 手前の石杭には「37」、奥の石杭には「36」の番号が書かれています。
石杭を過ぎて8回ほど曲がりながら登っていくと、右への曲がり角に「32」のがあります。 更に5回ほど曲がりながら登っていくと、右への曲がり角に「29」のがあります。 スキーの小回りターンのように右・左・右・左と曲がりながら登っていきます。 所々の樹木には桃テープが巻かれていて登山ルートを示しているように思えます。 先ほどの石杭から10回ほど曲がりながら登っていくと、右への曲がり角に「27」のがあります。 更に4回ほど曲がりながら登っていくと、右への曲がり角から諸寄漁港と浜坂漁港の間にある城山と思われる山が見えます。 防護扉から13分ほどの所になります。
愛宕神社
更に2回ほど曲がりながら登っていくと、城山の西側にあると思われる島が見えてきます。 所々に巻かれているを確認しながら、尾根を登っていきます。 次第に傾斜が弛んでくると、「24」と「23」のが並んでいます。 石杭を過ぎてに出ると、奥に祠が建っています。 名前を示すものは見かけませんが、情報によると愛宕神社というようです。 防護扉から16分ほどの所になります。 施錠された格子戸から中を覗ってみると、白木のが収められています。
にある桃テープが巻かれた樹木の所から奥へ進んでいきます。 少し降っていくとになります。 程なくして軽く登っていくと、またになります。 軽く登っていくと、またになります。 ツバキの木が見られるようになると登り坂になります。
登り傾斜が増してくると、太いが張られています。 愛宕神社から4分ほどの所になります。 砕石や樹木の根が張り出すを登っていきます。 しばらく登って傾斜が少しと、ロープは途切れます。 右から近づいてくる尾根を眺めながら、を真っ直ぐ登っていきます。 僅かなロープが見られる所まで登ると、右から来る尾根と合流します。 愛宕神社から8分ほどの所になります。
少し左へ曲がって、が増してくる尾根を登っていきます。 尾根を塞ぐ倒木を跨いでいくと益々が増してくるので、脇の樹木に手を掛けながら登っていきます。 次第に脹ら脛が痛くなってきますが、我慢しながらを登っていきます。 更に傾斜が増してくると、幾つもが見られるようになります。 愛宕神社から14分ほどの所になります。 岩に手を掛けたりしながら、急な岩場を登っていきます。
岩場が終るとになります。 ホッとしながら進んでいくと、程なくしてが増してきます。 登るにつれて次第に岩が見られるようになると、短いが張られています。 ロープが途切れたすぐ先にもロープの端があるので、中ほどが切れたようです。 益々が増えてくるので、樹木や岩に手を掛けながら登っていきます。 愛宕神社から23分ほどの所になります。 岩を巻くように左側から登っていくと少し傾斜が弛んできて、樹木などに手を掛けなくても登れるようになります。
千々見山 (標高262.9m)
岩場が終って、が茂る尾根を登っていきます。 広がる尾根を登っていくと、正面の樹間にが見えてきます。 ツバキの森を抜けると、千々見山の山頂部にある展望台に着きます。 愛宕神社から30分ほどで登って来られました。 小広くなった山頂部のの樹木が伐採されています。 木を避けながら少し降ってみると、北東の方角に浜坂の街並みやなどを見下ろせます。
山頂部にある木組みの展望台へ登ってみます。 2016年6月に来た時にはが綺麗に直されていましたが、この時にはまた壊れかけていました。 両側に設置されている手摺りに掴まり、両側の縦棒の付近に足を置きながら慎重に登っていきます。 以前には北側に眺めが広がったのですが、この時は樹木が育ち青葉も茂っていて眺めは今ひとつでした。 それでも、北西側には方面、 北東側にはの街並みなどが見えます。
展望台の傍に生える樹木の袂には、 「千々見山 標高262.9m」「千々見山頂上」のが落ちています。 南へ延びる尾根には(*)が続いていて、浜坂と諸寄を結ぶ道のに降りていけます。 桃テープが巻かれた所からへ入っていきます。 明瞭な道はありませんが小岩の脇を軽く登っていくと、すぐに一番高い所に出ます。 中ほどには「上山」があるので、 地形図に載っている262.9m峰になるようです。 傍には「地籍調査」の青頭短杭もあります。
*南の峠へ降りていく広い道は「千々見山」, 「千々見山」を参照。
三角点を確認したら広い道まで戻り、 先ほどのが巻かれた所から東へ向っていきます。 すぐの所に生える樹木の手前にある枯れ株に巻かれた退色したを過ぎていきます。 降り傾斜が増し始めると、が点々と続くようになります。 細い木が煩わしい所を抜けていくと、になります。 少し右へ曲がって、次第に降り傾斜が増してくると、ロープが続くようになります。 千々見山から3分ほどの所になります。
が増してくるので、ロープや脇の樹木に掴まりながら降っていきます。 ロープが途切れると、尾根に剥き出すの左脇を降っていきます。 すぐに現れるに沿って、少し左へ曲がりながら降っていきます。 に出て、更に続くロープに沿って降っていきます。 ロープが終って傾斜が少し弛んだ尾根を降っていくと、 「ロープにたよるな」や「山頂まであと少し」の小板を過ぎていきます。
千々見山 山頂まであと少し
浜坂中学校トライやる/2013
急登 ロープにたよるな
浜坂中学校トライやる/2013
ロープや樹木に掴まらなくても良くなる尾根を降っていくと、「地籍調査」のと赤頭短杭を過ぎていきます。 少し右へ曲がっていくと、またが張られています。 ロープに掴まりながら降っていくと、「右・浜坂中学 左・うつの神社」のがあります。 ここで左へ曲がって、剥き出すの脇を降っていきます。 斜面を横切るように降ってロープが終るとに出ます。 振り返って眺めると、かなり大きなです。 千々見山から19分ほどの所になります。
右・浜坂中学 左・うつの神社
お気を付けて
浜坂中学校トライやる/2013
次第に傾斜がきて、樹木などに手を掛けなくても降れるようになります。 しばらく続くを快調に降っていきます。 少し左へ曲がりながら、を更に降っていきます。 右へ曲がって、少し傾斜が増してくるを降っていきます。 点々と続く桃テープを辿りながら、緩やかになる尾根を降っていきます。
小さな段差を降りて、を進んでいきます。 しばらく続くを快調に進んでいきます。 程なくして僅かなになります。 軽く登っていくと、すぐに標高100mほどの僅かな高みに着きます。 千々見山から32分ほどの所になります。
曲がって、北東へ延びる尾根を降っていきます。 少し降っていくと、次第に傾斜がになります。 少し曲がりながら降っていきます。 植林地に入って降り傾斜が増してくると、またロープが続くようになります。 千々見山から37分ほどの所になります。
宇都野神社
ロープに掴まりながら、を降っていきます。 ロープが終ると、左下の樹間にが見えてきます。 尾根を真っ直ぐ降っていくと、が見えてきます。 玉垣の間を曲がっていきます。 石垣に沿って進んでいくと、すぐに宇都野神社の境内に出ます。 千々見山から43分ほどで降りて来られました。
宇都野神社は本殿と拝殿から成る形をしていて、本殿の屋根には外削ぎの千木が聳えています。 社殿の左側の一段高い所には、愛宕神社(軻遇突智命)・二柱神社(天鈿女命・天児屋根命)のがあります。 更に左側には「神武天皇社」と刻まれたがあります。 社殿の右側には、三柱神社(素盞鳴尊)・八柱神社(稲田女尊)・伊那神社(木花開耶姫命)・針神社(金山毘古命)・稲荷神社(保食命)のが並んでいます。 小社群の横にはがあります。 社殿の前にはがあります。 いずれも記紀に登場する神や神社になります。
出雲大社
宇都野神社より、磁石の真西より1°北の方角161km先の位置になります。
磁石で指す「真北」は地図上の経線が示す「北」より西に傾いた方向になります。 当地での差は約7.5度程度ですので、経度・緯度をもとにして描かれている地図では地図の「真西」より約6.5度南の方向になります。
伊勢神宮
宇都野神社より、磁石の真東より40°南の方角244km先の位置になります。
磁石で指す「真北」は地図上の経線が示す「北」より西に傾いた方向になります。 当地での差は約7.5度程度ですので、経度・緯度をもとにして描かれている地図では地図の「真東」より約32.5度南の方向になります。
社殿の正面に続くを降っていきます。 石段を降り終えると、社務所などがある境内に出ます。 左側にはがあます。 前には重要無形民俗文化財になっている麒麟獅子舞の像があります。 左側には「」があります。 社務所を過ぎると、右側にがあって、隣には「鮑之霊水」の解説板があります。 解説板の左側にはがあり、多くの絵馬が掛けられています。 隣には「宇都野神社麒麟獅子舞」の解説板があります。
鮑之霊水
当社(宇都野神社)境内にある「鮑之霊水」は、社伝によると、人皇十代、崇神天皇の御代に、 始動将軍・彦坐命(ひこいますのみこと・日子坐命とも書く)が丹波・但馬に来られて賊を平定され、 海路出雲国に向かわれるとき、宇都野真若命は、彦坐命をお迎えして塩谷浦で命の御船を修理し、あるいは新造された。 このとき、舟に穴があいて海水が入ってきた際、大鮑が穴をふさいでくれた。 このため彦坐命は宇都野真若命に命じて、この大鮑を「船魂潮路守の大神」として、宇都野の地に祀らせられ、これを鮑宮と称した。 宇都野真若命は、この霊鮑をこの地に放養されたが、この清水を「鮑水」というようになったと伝えられておる。
兵庫県指定重要無形民俗文化財 宇都野神社麒麟獅子舞
兵庫県美方郡新温泉町浜坂 宇都野神社
「麒麟獅子舞」は、江戸時代中頃から鳥取県東部地域と兵庫県内では、新温泉町と香美町に伝えられている因幡系の獅子舞で、 頭の形が太神楽系に獅子舞とは異なり、頭部に一本の角があり、頭が獅子というよりも空想の動物「麒麟」に煮ていることから「麒麟獅子」と呼ばれています。 新温泉町内には9地区に伝承されており、いずれの地区の麒麟獅子舞も氏神の祭礼日、五穀豊穣・家内安全・無病息災・厄払いとして舞われます。 宇都野神社の麒麟獅子舞は、毎年7月第3日曜・月曜日(海の日)に行われる夏祭り(川下祭)と、 毎年10月8日に行われる秋祭りの年2回、神前で奉納した後、各家々の玄関などで舞われます。
新温泉町教育委員会、宇都野神社麒麟獅子保存会
宇都野神社を出て、トイレの先に続くを進んでいきます。 真っ直ぐ進んでいくと、小川が流れる所にがあります。 右の道は見送って正面の道を進んでいきます。 左右にある大きな石灯籠を過ぎていくと、「宇都野神社」の扁額が掛かるがあります。 大鳥居を過ぎて、右側に神社を眺めながら進んでいくとがあります。 宇都野神社から6分ほどの所になります。 右の道の入口には「浜坂護国神社」の石柱が立っていて、「浜坂相撲場」の解説板もあります。 浜坂駅へは正面へ進んでいくのですが、右側にある神社へ立ち寄っていきます。
世界ジオパーク 山陰海岸ジオパーク 浜坂相撲場
浜坂相撲場は平成4年相撲の振興を願い整備され、同年6月21日に佐渡ヶ嶽部屋一行を招き、土俵開きが行われました。 毎年6月に青少年の健全育成を目的として、新温泉町浜坂相撲連盟と美方青年会議所の主催により、 「新温泉町浜坂相撲大会兼わんぱく相撲美方場所」が行われています。 郷土出身の大相撲力士が参加するなど、相撲の盛んなまちにふさわしい大会となっています。 隣接する浜坂護国神社は、明治39年、日清・日露戦争戦死者の慰霊のため、現在の場所に創建されました。
浜坂護国神社
右の道へ入っていくと、すぐにがあります。 背丈の低い草が茂る参道を進んでいくとが立っています。 鳥居をくぐって石畳の参道を進んでいくと、本殿と拝殿からなる浜坂護国神社があります。 手前には「浜坂護国神社(由来)」と題した解説板があります。 神社の左側には立派ながありますが、 入口の解説板に載っていた浜坂相撲場のようです。
浜坂護国神社(由来)
当社は明治39年(1906)日露戦争の戦勝を期し、日清・日露戦死者の慰霊のため、 塔時の浜坂在住の戦友が相図り、広く町内に寄付を求めて創建された招魂社である。 本殿屋根は桧皮葺であったが、風雪により雨漏り等も生じたため、 大正14年、当時の在郷軍人分会長 山本宇一氏の寄進に寄り銅板に葺き替えられた。 また、現在の鳥居は昭和3年、石鳥居に再建され、本殿、拝殿の犬走りは「稲葉社御影石」で構造された。 昭和12年には川越松一氏の初議により、広く町民の寄付を募り、 南西側に土塁を築き、本殿を移転、拝殿、渡り廊下、石段を併建して現在の圍構となった。 大東亜戦争終結後の昭和22年、占領軍による取り壊しを怖れ、宇都野神社の飛び末社、浜坂護国神社として届け、 祭典は浜坂町主催で行われた。 昭和29年10月1日町村合併により、旧大庭、西浜両村の戦没者も合祀、浜坂町護国神社と改められ、 毎年4月10日を例祭とし、神仏両様の招魂祭が行われていた。 現在は9月に遺族会浜坂支部により、慰霊祭が行われており、管理、清掃は浜坂地区の遺族が行っている。 尚、大正時代に全国の市町村では多くの忠魂碑が建立されたが、地方の一町でありながら護国神社を有するのは希である。
遺族会浜坂支部
往復4分ほどでまで引き返してきて、右へ進んでいきます。 右側にあるグラウンドで野球をする子供達を眺めながら進んでいくと、カーブミラーが立つに出ます。 左折して進んでいくとに出ます。 右脇には「川下参道」のが立っています。 道路を渡った所にある浜坂踏切を渡っても良いのですが、今回は国道178号とJR山陰本線の線路を跨ぐ浜坂歩道橋を渡っていきます。
浜坂駅
ループ状に階段を登って、を渡っていきます。 浜坂北小学校のグラウンドで野球をする子供達を眺めながらループ状に階段を降っていくと、線路沿いのに出ます。 浜坂町農協会館や浜坂駅前交番を過ぎていくと、浜坂駅(JR山陰本線)に着きます。 宇都野神社から23分ほどで到着しました。 駅舎の右側には「」がありますが、今回登った千々見山は載っていません。 案内図には「」の拡大図も載っています。 駅前には「」がありますが、 今回登った千々見山は「至 千々見山」として名前が載っているだけです。
辻からのぞく海辺の歴史
【浜坂駅周辺】 新温泉町浜坂
「浜坂」の地名に由来するように「浜」に「坂」のあるまち。 浜坂漁港は松葉ガニやホタルイカの水揚げ量がトップクラスを誇る。 量、質ともに安定して揚がることから、「カニ元」として名をはせている。 カニのプロ「かにソムリエ」がいる宿もあり、カニや浜坂のことを詳しく教えてくれる。 浜坂は陸路が発達するまで廻船業で栄えた。 岸田川に流れ込む味原川には、昔、舟だまりがあり舟が着いたという。 「あじはら小径」と呼ばれる一帯には、高い石垣に白壁の塀がある旧家が続き、味わい深い。 森家・七釜屋屋敷を改修した浜坂先人記念館「以命亭」もこの一角にある。 緩やかな丘陵地帯。 坂道を上り下りして浜へ向うと、路地は迷路のように入り組んで行く。 古い蔵、竹輪の製造工場、トロ箱が並んだ魚屋さん、今と昔が混在する不思議な漁師町。 辻につきあたるのが面白く、じっくり散策したくなる町だ。
湯けむりのぼる夢千代の里
【湯村温泉】 新温泉町湯
嘉祥元年(848)、慈覚大師により開かれたと伝えられる湯村温泉。 脇続ける98度の熱泉は、1分間に470リトルと豊かな湯量を誇り、一般家庭でも蛇口をひねれば温泉が出てくる。 吉永小百合主演のNHKドラマ夢千代日記の舞台となった温泉地。 湯けむりがまちを包み、観光客が荒湯の湯壺でたまごや野菜をゆでる光景に情緒が漂う。 夜はライトアップされ、荒湯周辺がロマンチックな雰囲気に。 もうもうと立ちのぼる湯けむりと温泉の匂い、入り組んだ路地を行くのもまた面白い。