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氷上地区
北近畿豊岡自動車道を氷上ICで降りて、県道7号を北上していきます。
氷上交差点まで来て、20mほど先にあるカーブミラーが立つ所から東へ続く狭い路地(*)に入っていきます。
右へ分かれていく道を見送って山際まで来ると氷上公民館があるので、ここに車を止めさせて頂きました。
*車に乗っていると路地があるのが分かり難く、注意していないと通り過ぎてしまいます。
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意春之墓
車で来た道を引き返して、県道7号の手前から左へ分かれていく道に入り、
すぐの所にあるの前を過ぎていきます。
突き当りを右折して県道7号に出て氷上バス停を過ぎ、
二俣になった所から左側のに入っていきます。
空き地まで来ると、「意春坊」のが立っています。
左へ分かれていく道の先に意春之墓があるようなので、ちょいと立ち寄っていきます。
建物の脇を過ぎて短い石段を左へ曲がりながら登っていくとに出ます。
「意春墓碑」の石碑や小屋を過ぎると、玉垣で囲まれて一角に意春之墓があります。
地域の苦難を救うために尽力されたお坊さんのようです。
意春墓碑
今から四百年余の昔、天正の頃、氷間下村(現、市辺)にたどり着かれた意春さんは、
毎年の洪水に悩む村人たちの苦難を見兼ね、氷間下村に足を止め、承陽山観音寺に住んで食糧の援助や田畑の復旧に力を入れ、
また有難い仏の教えを村人に伝えられました。
その傍ら川原の小石を集め、播州三木の別所氏の子孫、別所豊後守吉治の助けを得て一石一字の法華経の経塚を現在の二宮神社の境内に元和九年(1623年)十一月に造られました。
今は氷上町の文化財に指定されています。
その後も、村の堤防を修繕して洪水を防いだり、また十六丁と言われた道路工事など多くの仕事を残されました。
そして、「里の水難・火難を我が一身に引き受けてあげる」と遺言して、生きながら地面に穴を掘って入り、
寛永十九年(1642年)二月五日に亡くなられました。
以来、里人は毎年この命日に意春祭を催し、おにぎりを参拝者に配って、
その昔飢えに苦しんだ村人に対する意春さんのお慈悲を思い起こして、その徳を讃えています。
平成十三年三月 市辺長生会建之
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二宮神社
往復3分ほどで旧道まで引き返し、白壁の立派な民家の間を進んでいくと、
カーブミラーの立つ分岐から二宮神社のが始まります。
「二宮神社」の扁額が掲げられた石製の鳥居をくぐっていくと、石段が始まる所から右前方へが分かれていきます。
入口には「霧山371.7m」「登山口」のが立っていますが、正面にある二宮神社へ立ち寄っていきます。
石段を登っていくと、正面に二宮神社の社殿があります。
氷上公民館から15分ほどの所になります。
本殿の屋根には3本の鰹木が乗り外削ぎの千木が聳えています。
左側には僧の意春にまつわるがあります。
氷上町指定文化財 二宮神社経塚
指定年月日 昭和50年2月25日
所有者 管理者 市辺区
この経塚は、縦・横ともに3間(5.4m)四方、高さ1間(1.17m)の石造のもので、
法華経の経文を一石に一字づつ書いたものが埋納してあり、塚の頂部には、石仏や板碑が祀られる。
正面の凹部には、石龕が安置されていたらしく、この経文から元和9年(1623)11月に、僧意春が別所吉治の支援により建立したことがわかる。
平成7年3月 氷上町
氷上町指定文化財 経塚の龕及びその後壁板の復原について
この経塚は縦、横各々5.4m(3間)高さ1.7m(1間)の方形で四方は石垣が積んである。
中に一石に一字づつ法華経を掻いて埋めたもので上部は土と小石で埋め、
週央に石の龕(下図左。復元想像)が置かれ、その後の石の壁板に字が刻まれていたが、
何かで毀されていたのを拾い集めて復原を試みると、下図左のような龕が想像され、
又後の石壁板は左の通り略復原でき文字も略読む事ができる(下図右)。
それによると、意春という坊さんが元和九年(徳川時k代の初期今から(昭和59年)約360年前)に由良の城主別所吉治の援助で建立した事がわかる。
この経塚は丹波で最大と言われており、町文化財に指定されており、この金石文も、東地区で最も古いと考えられ、
共に市辺部落の誇りであり、大切に保存したものです。
僧意春と経塚の由来
今より凡そ四百年前即ち天正八年、織田信長の中国攻めにより播州三木城も落城し、
城主別所長治の菩提寺の住職意春上人は長治の子吉治と共に落ちゆく身となり丹波路へと向う。
やがて日数を重ねて旅をするうち氷間下村(現在の市辺)に辿りつき今の小守宇之助氏宅に一夜の宿をとり、
村人の厚い情により旅の草鞋をぬぐこととなった。
意春の信仰と人柄はやがて村人の尊敬を集め現在の浄現寺境内にお堂(観音堂)を建てて住うこととなった。
ところが当時の佐治川は非常な荒川で毎年水害があり、その都度流域の田畑は荒れ住民の生活は困窮のどん底にあったという。
意春は村人の教化に努める傍らこれを救うため、由良の庄の領主となった吉治の帰依を得て、
市辺に内堤防を築き十六丁畷の土木工事を行った。
又後世の村人の幸せを念じつつ法華経の経文を一石に一文づヽ記し周りを石で囲う高さ一間横三間四面の経塚建立した。
伝えるところによると、この経塚に用いた石は佐治川の決潰により押し出された石を集めて田の復旧を兼ねたものであるという。
その規模は将に丹波随一のものであり、時は江戸初期の元和元年十一月であった。
意春は以来朝夕の勤行と托鉢によって村人の難渋を救い里人の厚い信仰を集めた。
後年村の西北の山麓に自ら穴を掘り一切の穀物と水を絶ち、
産業の発展と村人の火難水難を一身に受けるべく経文を唱えながら鉦の音の絶えた時を息絶えた時と思ってくれと言ひ遺して入定した。
時に寛永十九年壬午二月五日であり経塚建立より二十八年目である。
以来意春を水難火難の守り神としてその徳を讃え、
毎年旧暦二月五日を命日として近郷の人相集い盛大な供養の祈りを行うようになった。
入定されて三百三十有余年の今日も尚参詣する人多く線香の煙の絶えたことがない。
経塚の重要分解材指定を記念して
昭和五十一年三月五日 市辺区
経塚堂宇再建上梁 明治二十年二月五日
仝 右修理 昭和十八年十月十日
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境内の右に建つ小屋の脇から、石段の手前で分かれてきたに出ます。
すぐにに入りますが、
石がゴロゴロして倒木があり、深く抉れた所もあってかなり荒れています。
道がはっきりとしなくなりますが、雑木が何本かまとまって生えている所から、
左ののような所を横切っていきます。
少し広くなった所に出ると、その先にある涸れ沢にが何本か並べられて橋のようになっていますが、
渡ると折れてしまいそうな様子なので、浅い沢に降りて横切っていきます。
右へ曲がって、左右に続く防護柵へ向かって斜面を少し登っていくと防護扉があります。
二宮神社から2分ほどの所になります。
上下に取り付けられた小さな回転レバーを回せば容易に開けられます。
左右に続く防護柵には防護扉を幾つか見かけますが、土などに埋まっていたり傾いていたりして開け難くなっています。
ここの扉は幸いにも開け易くなっていました。
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に沿って右へ進んでいきます。
1分ほど進んでいくとに行く手を阻まれます。
跨ぐには広すぎるので、左へ曲がって沢沿いに斜面を登っていきます。
右前方にはが剥き出す尾根が見えます。
何処か渡れる所はないかと探しながら登っていくと、沢ががありました。
沢を渡って右へ進んでいくと、大きな岩が剥き出す尾根の下に出ます。
岩の左右いずれから登っても良さそうですが、今回は右側から登っていきました。
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岩が剥き出すを登っていきます。
尾根の背に出て左へ曲がり、其処彼処に岩が剥き出すを登っていきます。
明瞭な道は見かけませんが、下草は生えておらず樹木も密生していないので、歩くのに支障はありません。
少しを進んだりしながら登っていきます。
写真ではよく分かりませんがかなりなので、脇の樹木に掴まったりしながら登っていきます。
息を弾ませながら登っていくと、少し傾斜が緩んで広くなった所に出ます。
二宮神社から15分ほどの所になります。
右前方へ続く広い道がありますが、このまま左の尾根の背を登っていきます。
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が剥き出す所もある尾根を登っていきます。
松の幼木が見られる尾根を登っていくとがありますが、
左から回り込んで登っていきます。
尾根の背に復帰して、岩が剥き出すを更に登っていきます。
が巻かれた樹木を所々で見かけますが、登山ルートを示しているようです。
次第に傾斜がで歩き易くなってくる尾根を登っていきます。
標高200m辺りの緩やかな尾根に着いて、ひと息入れていきました。
二宮神社から22分ほどの所になります。
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落ち着いたところで、剥き出す岩が減ったを登っていきます。
登り傾斜が増してくると、再びが剥き出すようになります。
が茂る所に出て、その左側の登っていきます。
岩が剥き出す尾根を更に登っていきます。
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剥き出すの上を登っていきます。
少し緩やかになった尾根を登っていくと、目の前に巨岩が聳えています。
二宮神社から34分ほどの所になります。
手前には「霧山登山道」のが落ちていました。
巨岩は直登出来ませんが、左右を回り込むようにして踏み跡が続いています。
標識はの踏み跡を指しているように思えますが、
の踏み跡を登っていきます。
左側の踏み跡は少し進んだ所から崩れそうな急斜面を登るようになるので、右側の踏み跡の方が歩き易そうです。
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巨岩
岩が剥き出すを登っていきます。
左へ曲がりながらを登っていきます。
斜面を横切るように登っていくとの脇に出ます。
二宮神社から36分ほどの所になります。
左側に広がる山並みを眺めながらひと息入れていきました。
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巨岩の所を右へ曲がって、引き続きを登っていきます。
少し右へ曲がって、を斜めに登っていきます。
右側にはが広がってきます。
小さなの下をくぐって、引き続き所々に巻かれているテープを辿りながら登っていきます。
岩尾根を更に登っていくと、少し傾斜がになってきます。
右側には山並みを眺められます。
巨岩から14分ほどの所になります。
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岩尾根を更に登っていくと、次第に岩が減ってになってきます。
次第に山頂が近づいてきたことを感じながら、が生える所を登っていきます。
の下をくぐっていきます。
倒木を過ぎると、山頂部の西端に出ます。
手前にはが立っていて、「氷上町文化財指定二宮神社経塚へ」の板が今登ってきた尾根を指しています。
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霧山 (標高371.5m)
緩やかになったを進んでいきます。
右側にはが少し見えます。
植林地へ入っていくと、「霧山(高畑)372m」の標識が立つ霧山の山頂に着きます。
巨岩から21分ほど、二宮神社から58分ほどで登って来られました。
には、この先の尾根は「天王坂/権現山」、今登ってきた尾根は「市辺(二宮神社)」となっています。
傍には二等三角点「氷上」があるので、地形図に載っている371.5m峰になるようです。
傍の樹木の袂には壊れた「霧山氷上」のが落ちていました。
山頂には樹木が茂っていて展望は良くありませんが、水分補給などをしながら休憩していきました。
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落ち着いたところで、標識「天王坂/権現山」が指す東へ続くを進んでいきます。
「界」の黄短杭が見られる尾根を進んでいくとになります。
軽く降っていくとに着きます。
登り坂になった尾根を進んでいくと、小径が右前方へ分かれていきます。
霧山から9分ほどの所になります。
角にはが立っていて、
斜面を横切るように右へ続く道は「権現山」、正面の尾根は「天王坂」となっています。
右の道は権現山へ続いているようなので、を登っていきます。
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小峰
少し登っていくとになります。
程なくして見えてくるへ向かって登っていきます。
傾斜が増していくる尾根を登っていくと、標高340mほどの小峰に着きます。
霧山から13分ほどの所になります。
左側にはが立っていて、
左前方の尾根は「天王坂」、右の急坂は「権現山」、今来た尾根は「霧山」となっています。
右脇には「分水界の径」のがあって、右へ降る急坂を指しています。
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標識「天王坂」が指す左前方のを降っていきます。
この尾根は日本海側と瀬戸内側へ分水する境界の尾根になっているようです。
道端にアセビが見られるようになるとが増してきます。
程なくしてに着きます。
正面にあるに着くと「分水界の径」の標識が立っています。
高みを過ぎて降っていくと緩やかな尾根になります。
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正面に見えてくるへ向かって尾根を登っていきます。
少し登っていくと高みに着きます。
霧山から22分ほどの所になります。
中ほどにはが立っていて、
右の尾根は「天王坂」、今来た尾根は「霧山/権現山」となっています。
脇には石杭もありますが文字は確認できませんでした。
標識の板とは少しズレていますが、尾根の右斜面を降っていくがあります。
が幾つか巻かれてルートを示しているようなので、その踏み跡を降っていきます。
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斜面を横切るように降っていくと、程なくしてに出ます。
写真ではよく分かりませんがかなりのなので、脇の樹木に掴まりながら降っていきました。
次第に緩やかになってくると、標高250mほどの鞍部に着きます。
霧山から31分ほどの所になります。
左にはが降っています。
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2級基準点
鞍部を過ぎて登っていくと傾斜がになります。
近づいてくるへ向かって、傾斜が増してくる尾根を登っていきます。
傾斜が緩やかになると、標高270mほどの高みに着きます。
霧山から34分ほどの所になります。
左側にはが立っていて、
この先の尾根は「天王坂」、今来た尾根は「霧山/権現山」となっています。
傍には「2級基準点 交2-H3」のがあります。
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標識「天王坂」が指す正面の尾根(*)を降っていくと天王坂へ出られるようですが、
今回は北西に延びる尾根を妙音寺へと降っていきます。
2級基準点がある所の西側は傾斜が急ですが、
高みから10mほど引き返すと、北西に延びる尾根のがあります。
雑木林から植林地に変わる尾根を降っていくと、岩が幾つか剥き出すになります。
のようになった所を進んでいきます。
次第にになってくると高みが見えてきます。
次第に緩やかになると、標高230mほどの小峰に着きます。
2級基準点から7分ほどの所になります。
右側が開けていて、を少し眺められます。
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小峰を過ぎるとになります。
写真ではよく分かりませんがかなり傾斜が急なので、脇の樹木に掴まりながら降っていきました。
左を振り返ると、霧山から標高340mほどの小峰にかけてのが樹間から見えます。
右前方にもが見えます。
引き続き急傾斜の尾根を樹木に掴まりながら降っていきます。
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峠
所々に巻かれているテープを確認しながら降って次第に傾斜が緩んでくると、右下にが見えてきます。
程なくし尾根を横切るが正面に見えてきます。
足元に注意しながら急な尾根を降っていくと、標高160mほどの峠に降り立ちます。
2級基準点から19分ほどの所になります。
には登り坂の林道と降り坂の林道があります。
(*)にも林道が続いています。
*左側の林道は6分ほどでの傍に降りていけます。
途中には左右に分かれていく林道や防護扉があります。
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左右の林道を見送って、に続く尾根を登り返していきます。
近づいてくる高みへ向かてを登っていきます。
峠から3分ほど登っていくと、標高180mほどの高みに着きます。
中ほどに見える幾つかの岩に近づいていくと、玄室を四角く囲んだ形になっていてのように思われます。
ここで尾根が二手に分かれています。
も歩き易そうで気になりますが、
斜面のような広いを降っていきます。
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展望岩
広い尾根を軽く降っていくと、正面にが現れます。
尾根道はその手前から右側を巻くように続いていて桃テープも巻かれていますが、
左側から岩の上に出られそうに思えるので立ち寄っていきます。
左側を回り込むように進んでいくとに着きます。
傾斜が急な所を四輪駆動でよじ登ると岩の上に出ます。
2級基準点から28分ほどの所になります。
左側に山並みや氷上町の街並みなどを見渡せる展望岩になっています。
今回登った霧山から標高340mほどの小峰にかけての稜線や、これから向かう193m峰なども良く見えます。
丁度昼時になったので、平らになった所に腰かけて、景色を愛でながら昼食タイムにしました。
岩の前は断崖ですが、かなり大きな岩なので、先の方に出なければ恐怖心は感じません。
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193m峰
展望岩から引き返して、に巻かれている桃テープの所を降っていきます。
すぐに尾根の背に出て降っていくとに着きます。
窪んだ道が左右に続いていますが、を登り返していきます。
頂上が近づいてくると一面にが茂るようになります。
膝で掻き分けながら登ってシダ類が茂る所を抜けると、アセビが生える高みに着きます。
展望岩から6分ほどの所になります。
赤プラ杭の他に標識や標石類は見かけませんが、地形図に載っている193m峰になるようです。
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193m峰の先に続くを降っていきます。
一旦緩やかになって再び降り坂になる尾根を進んでいくと、標高170mほどの緩やかなに着きます。
鞍部を過ぎて、すぐに見えてくるへ向かって登っていきます。
標高180mほどの高みに着くと、脇に石積みがあります。
展望岩から11分ほどの所になります。
何かの跡のようにも思えますが、よくは分かりませんでした。
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高みの先へ続くを降っていきます。
桃テープが巻かれた樹木がある所まで来ると、分岐になっています。
自然に続くの尾根は歩き易そうで、
テープがなければそのまま降ってしまいそうな様子です。
標識類は見かけませんが、少し下に幾つか見える桃テープに従って、広いを降っていきます。
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峠
広いを降っていくと、下の方が明るくなってきます。
傾斜が緩やかになると、林道の三叉路になった標高160mほどの峠に着きます。
展望岩から16分ほどの所になります。
右から来て左へ曲がっていく林道は、地形図に破線で載っている道のようですが、曲がり方がもう少し鋭角になっています。
(*)やが何処へ続いているのか気になりますが、
車を止めてきた氷上公民館へ戻るべく、を進んでいきます。
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緩やかな林道を進んでいくと、植林地になった右下の谷筋にが見えてきます。
程なくしてになります。
シダ類が茂る所に剥き出すの脇を過ぎていきます。
そろそろ右へ折れ曲がって、右下に見えていた林道へ続いているのかと思いながら降っていきますが、一向に曲がっていきません。
降り傾斜が増してくると防護扉があります。
峠から4分ほどの所になります。
上下に取り付けられた小さな回転レバーを回せば容易に開けられます。
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波多野宗高碑
防護扉を抜けると道が分かり難くなります。
シダ類が茂っていますが、曲がって降っていきます。
シダ類を膝で掻き分けながら降っていくと、程なくして折れ曲がっていきます。
次第にシダ類が減って歩き易くなると、鳥居が立つ小広くなった境内に出ます。
峠から6分ほどの所になります。
には波多野宗高と思われる像が安置された石祠・「贈従三位波多野宗高碑」の石碑・「大正三年長田音蔵索首塚」の石柱などが並んでいます。
由緒が刻まれていると思われる石碑もありますが、旧字体で書かれていて無学の私には読めませんでした。
奥の方には「波多野宗高追慕碑」や「鳥居二基奉献者」のがあります。
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妙音寺
をくぐって、その先に続く石段を降っていきます。
石段が終わって左へ曲がると、妙音寺の歴代の住職のものと思われるが並んでいます。
墓地を過ぎていくと、妙音寺の本堂の脇に降り立ちます。
波多野宗高碑から3分ほど、峠から11分ほどで降りて来られました。
お寺の謂れなどを記したものは見かけませんでした。
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本堂の手前を曲がって降っていきます。
道なりに左へ曲がりながら降っていくと、石垣の下にあるに出ます。
突き当りまで進んで右へ曲がり、民家の間を抜けた所にある十字路に出て、その先の水路を渡って正面の道を進んでいきます。
右側には畑地の奥にが続いています。
左上には先ほどのが見えますが、
しても樹木が邪魔をしていて、
全体の姿がはっきりとは分からないのが残念です。
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氷上地区
まで来ると、八柱神社へ続く道(*)が左へ戻るように分かれていますが、立ち寄るのは省略しました。
民家の間にあるを左へ進んでいきます。
墓地が続くを進んでいきます。
小屋の脇まで来ると、左側にが並んでいます。
右から来る道に出ると、車を止めておいた氷上公民館が正面にあります。
妙音寺から13分ほどで到着しました。
*展望岩へ登るのが目的なら、左の道の奥に続く林道から峠に出るのが近道になります。
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