千丈寺山
概 要 千丈寺山は丹波市春日町にある標高346mの山です。 今回は黒井城跡(保月城趾)になっている城山を経て千丈寺山へ登り、大野峠から下山するルートを歩きます。 千丈寺山は樹木が茂っていて展望は良くありませんが、手前にある城山からは四方の山並みをぐるりと見渡せます。 途中の尾根にも山並みを眺められる展望地があります。
起 点 丹波市春日町 黒井地区
終 点 丹波市春日町 黒井地区
黒井地区…三段曲輪跡…太鼓の段跡…石踏の段跡…東曲輪跡…三の丸跡…二の丸跡…城山…西の丸跡…展望地…兵主峠…小峰…千丈寺山…小峰…展望地…大野峠…防護扉…兵主神社…黒井地区
所要時間 3時間20分
歩いて... 旧町境になっている城山から大野峠までの尾根には、トラロープが張られた急坂も一部にありますが、 藪漕ぎなどの必要がない広くて明瞭な歩き易い道が続いています。 「地籍調査」や「図根多角」などの短杭が点々と設置され、テープ類も短い間隔で樹木に取り付けられていて、迷うことなく歩くことが出来ます。
関連メモ 黒井城跡, 黒井城跡
コース紹介
黒井地区
北近畿豊岡自動車道を春日ICで降りて、国道175号を西進していきます。 六反田交差点から北へ延びる道に入り、クランク状に左へ曲がって北上していくと、 の右側に「黒井城跡」の石碑が出る駐車場があるので、ここに車を止めさせて頂きました。
脇には「風雲急をつげる黒井城」や「戦国の武将 明智光秀」と題した解説板があり、 「」の案内図が載っています。 ゆるやかコース(*)と急坂コースがありますが、 「登り口(急坂コース)」の標識が指す駐車場の右側に続くを登っていきます。
道路向かいの局乃里公民館の前や少し手前にも駐車場があります。
ゆるやかコースは「黒井城跡」を参照。
風雲急をつげる黒井城
赤井(荻野)直正 vs 明智光秀
黒井城は、豪勇をうたわれた赤井(荻野)直正が城主で、戦国時代の丹波を代表する山城です。 赤井(荻野)直正は、自らを悪右衛門と名乗り、近隣の有力武将を従え、奥丹波三郡(氷上郡、天田郡、何鹿郡)を領し、 また度々但馬へ侵攻を続けました。 天下布武をめざす織田信長が、明智光秀に丹波平定を命じると、 この黒井城でも、明智の大軍と黒井勢との間に、二度にわたる激しい攻防戦がくり広げられました。 苛烈な戦国時代の遺構を、山中いたるところに残す黒井城跡は、貴重な『戦国の城』として国の史跡に指定されています。
丹波の赤鬼・悪右衛門 赤井直正
赤井(荻野)悪右衛門直正は、後屋城主赤井時家の次男として生まれ、幼名を才丸と言い、 当時朝日城に拠っていた土豪荻野十八人衆に迎えられて盟主となり、荻野姓を名乗りました。 その後、黒井城主となった直正は、黒井城の改修に手をつけ、 防御を固めると共に、その勢威を丹波一円に広げ、また但馬へも進出して、その勇猛ぶりは丹波の赤鬼と呼ばれました。 当時の名将十三人の内の一人にも数えられています。 天正四年(1576)、明智光秀の黒井城攻めでは、盟友であった八上城主波多野秀治と謀り、 機をみて双方から明智勢を挟み撃ちにし敗走させました。 後にこの作戦を「赤井の呼び込み戦法」と呼んでいます。 天正六年(1578)、反織田勢力の一翼を担った悪右衛門直正は病没。 内室は前関白近衛前久の娘か妹と伝えられ、夫妻の位牌は黒井の興禅寺に祀られています。
戦国の武将 明智光秀
第一回の黒井城攻略で、赤井、波多野勢の奇襲を受け敗走した明智光秀は、 再度の攻略の策として鐘ガ坂に金山城を築き、黒井城と八上城を分断。 ここを拠点にして八上城を落城させました。 天正七年(1579)、孤立した黒井城も間もなく落城。 明智光秀の丹波平定は、ここに終わりを告げました。 城下には、明智光秀が陣城とした茶臼山遺跡、水色桔梗の旗をなびかせた「旗立て」、軍兵が勢ぞろいした「太刀野」などの地名が残り、 明智勢黒井城攻めの名残りをとどめています。
★黒井城址歴史スポット
本丸 城の中心。天守櫓があって、分厚い瓦が出土する。
本丸、二の丸の張り出し石垣 野づら積みの高石垣は迫力満点。
東曲輪野づら積み石垣 荒々しい石積みは戦国の世を偲ばせる。
太鼓の段 見張り所と太鼓やぐらがあった曲輪。
矢竹 戦いの矢に使用した矢竹。今も各所に群生する。
三段曲輪 正面を固める曲輪。三段に分かれている。
石踏の段 大手道最大の曲輪跡。切岸の遺構が見られる。
鉄パイプの手摺りが設置された道を進んでいくと、すぐにが現れます。 2分ほどかけて石段を登り切ると、正面に「本丸まで800m」のが立っています。 道なりに左へ曲がって、トラロープが張られたを登っていきます。 抉れ気味の尾根を注意しながら登っていくと防護扉があります。 駐車場から4分ほどの所になります。 取り付けられた小さな回転レバーを回せば容易に開けられます。
火気厳禁
禁 煙
平成15年度
森林整備地域活動
支援交付金制度
対象行為実施個所
三段曲輪跡
防護扉を過ぎて右へ曲がり、に登っていきます。 左へ曲がって防護柵から離れ、が茂る尾根を曲がりながら登っていきます。 前日の雨で滑り易くなっているので足元に注意しながら登っていくと、「本丸まで700m」のが立つ所で道が分岐しています。 どちらの道を進んでもすぐ先で合流しますが、左側の尾根を登っていきます。 岩盤が剥き出す尾根を小さく曲がりながら登っていくと、ベンチが設置されたに出ます。 緩やかになった尾根を進んで少し左へ曲がると、シダ類が茂る中に「三段曲輪跡」の標識が立っています。 駐車場から9分ほどの所になります。
足元がすべりやすいので注意して下さい。
緩やかで広い尾根を進んでいくと、ベンチの先に「本丸まで600m」のが立っています。 少し窪んだ登り坂になると小さながありますが、すぐ先で合流します。 右にあるベンチを過ぎて、を登っていきます。 「本丸まで500m」の標識まで来ると、道がしています。 駐車場から14分ほどの所になります。 どちらの道でもこの先で合流しますが、左側の尾根の背を登っていきます。 緩やかになった広い尾根を進んでいくと、手前で分かれてきた道が右から合流してきます。
太鼓の段跡
右からの道を併せていくと、少し曲がりながら続くになります。 左へ曲がって斜面を横切るように登っていくと、「本丸まで400m」のを過ぎていきます。 引き続き斜面を横切るように登っていくと、「太鼓の段へ」のが立っていて、右へ戻るようにして分かれていく道を指しています。 駐車場から21分ほどの所になります。 正面の少し先には「本丸まで300m」の標識が見えていますが、標識が指す右の道へ立ち寄っていきます。 斜面を横切るように続く登り基調のを進んでいきます。 傾斜が増した所を登っていくと、なだらかな広い場所に出ます。 手前の分岐から2分ほどの所になります。 先の方には「太鼓の段跡」の標識が立っています。 見張り所と太鼓やぐらがあった曲輪跡のようですが、周囲には樹木が茂っていて眺めは良くありません。 「椿群生林へ」のも立っていて、その先へ続く緩やかで広めの道を指しています。
石踏の段跡
往復5分ほどで手前の分岐まで引き返してきてその先へ登っていくと、 すぐの所に「本丸まで300m」のが立っています。 少し先に立つ「石踏の段跡へ」のを過ぎていきます。 登ってきた道を指す「降り口(急坂コース)」のを過ぎると、なだらかな広い場所に着きます。 正面には「石踏の段跡」の標識が立っています。 太鼓の段跡への立ち寄りも含めて、駐車場から28分ほどの所になります。 標識の先にはがあります。 四面に文字がびっしりと刻まれた赤井氏のもありますが、旧字体で書かれていて無学の私には読めませんでした。 左側が開けていてになっています。 景色を眺めながらひと息入れていきました。
駐車場から続くゆるやかコースが左の斜面から合流してきます。 (「黒井城跡」を参照)
手前のまで引き返して、「降り口(なだらかコース)」や「石踏の段跡」の標識が立つ所から左前方へ登っていきます。 左・右と何度か曲がりながら斜面を登っていくと、「本丸まで200m」のが立っています。 右へ曲がって斜面を横切るように登っていくと、所々にが剥き出すようになります。 尖った大岩まで来ると、右側が開けてを見渡せる展望地になっています。 石踏の段跡から6分ほどの所になります。
東曲輪跡
大岩の先にはがありますが、 上下に取り付けられた小さな回転レバーを回せば容易に開けられます。 防護扉を通過していくとがあります。 「多田方面」の標識が右へ降る道(*)を指していますが、 「本丸まで100m」の標識が立つを登っていきます。 岩盤が剥き出した道を左へ曲がりながら登っていくと、すぐになだらかな所に着きます。 石垣の前には「東曲輪跡」の標識が立っています。 北東から南西にかけての山並みを見渡せる展望地になっています。
*後日に多田方面へ降る道を歩きました。 (「黒井城跡」を参照)
三の丸跡
石垣の左側から、被せられたを登っていきます。 すぐになだらかなに出ます。 一段高い所の石垣の手前には「三の丸跡」の標識が立っています。 標識の手前から右前方へ分かれていく道があって、入口には「多田方面」のが立っています。 振り返ると、ここからも東曲輪跡と同様に山並みを見渡せますが、 少し高くて邪魔するものが少ないので、が良く見えます。
二の丸跡
を進んでいくと、山頂部の一段低い所を巡る道が分かれていきますが、右前方へ登っていきます。 すぐになだらかな広い尾根に出ると、中ほどに「二の丸跡」の標識が立っています。 手前には「黒井城跡基準点No.2」のがあります。 ここからも周囲の山並みを見渡せます。
東側の眺め、 南西側の眺め
城山 (標高356.8m)
石垣がある正面のへ登っていきます。 石垣の間を登っていくと、すぐになだらかなに着きます。 脇には「本丸跡」のが立っています。 奥へ進んでいくと、「城山」があるので、 地形図に載っている356.8m峰城山になるようです。 三角点の先に「保月城趾」と刻まれた石柱が立っていて、この一帯が黒井城跡(保月城趾)になるようです。 石踏の段跡から14分ほど、駐車場から46分ほどで登って来られました。 正面には目指す千丈寺山へ続く稜線が見えます。
景色を眺めながら休憩していきました。
石柱の背後から、山頂を取り巻くに降りていきます。 道は何処かと探していると、正面の尾根に僅かながあります。 標識類は見かけませんが、下の方に見える防護扉へ向かって急坂を降っていきます。 足元に注意しながら急坂を降っていくと、程なくしてに着きます。 上下に取り付けられた小さな回転レバーを回せば容易に開けられます。 防護扉を過ぎてその先へ降り始めると、が張られています。 トラロープに掴まりながら、急な尾根を降っていきます。
西の丸跡
曲がりながら斜面を降ってトラロープが終わると、の袂を過ぎていきます。 大きな岩を過ぎると、歩き易いに出ます。 この辺りから樹木に取り付けられた桃色などのテープ(*)を見かけるようになります。 少し曲がりながら降って浅い鞍部に着いて、が剥き出した尾根を登っていきます。 程なくして見えてくるへ向かって、傾斜が増してくる尾根を登っていきます。 小さく曲がりながら登っていくと、標高300mほどのなだらかな広い場所に着きます。 先の方には「西の丸跡」のが立っています。 城山から16分ほどの所になります。
*テープは今回の降り口である大野峠まで点々と取り付けられてルートを示していました。 ハイキング会でもあったのか、かなり短い間隔で取り付けられていて、道を誤ることもなく歩いていけました。
展望地
緩やかでを進んでいきます。 尾根(*)には「地籍調査」の赤頭短杭や「図根多角」の黄頭短杭が点々と設置されています。 尾根には樹木が茂っていて、冬枯れの樹間から僅かにが見える程度です。 西の丸跡から6分ほど進んでいくと、僅かなを右から巻いていきます。 右斜面を横切るように進んでいくと、を過ぎていきます。 尾根の背に出て進んでいくと、降り傾斜が増す所に大きな岩が剥き出しています。 西の丸跡から8分ほどの所になります。 岩の上に立つと、山並みを見渡せる展望地になっています。
*この尾根は旧春日町と旧市島町の町境になっているようです。
兵主峠
尾根を回り込むように降っていくと、傾斜が一段と急な所にが架けられています。 短い梯子を降って尾根を進んでいくと、右の樹間からが少し見えます。 降り傾斜が増してくると、またが頭を出しています。 手前の樹木が邪魔をしていますが、岩の脇からはを眺められます。 急な尾根を降っていくと、標高250mほどの狭い鞍部になった兵主峠に着きます。 西の丸跡から13分ほどの所になります。 右には「兵主峠」のが立っていて、 正面の尾根は「千丈寺山」、今来た尾根は「黒井城跡」となっています。 左には「黒井城跡登山道 城跡まであと500メートル」のがあって、今来た尾根を指しています。 標識には何も示されていませんが、右前方とに明瞭な道が見られます。 地形図には載っていませんが、かつては戸坂地区と黒井地区を結ぶ峠越えの道だったのでしょうか。
左右の道も気になりますが、を登り返していきます。 桃テープを辿って少し曲がりながら登っていきます。 程なくして標高260mほどのを越えていきます。 軽く降って、その先に続くを登っていきます。 引き続きが点々と設置されている尾根を登っていくと、標高270mほどの緩やかな高みを越えていきます。
小峰
軽く降っていくと、すぐにになります。 緩やかになったり登り坂になったりしながら続く明瞭で歩き易いを進んでいきます。 引き続きテープも点々と取り付けられていて、安心して歩いていけます。 やがて見えてくるへ向かって登っていきます。 坂を登り切ると、標高300mほどの小峰に着きます。 兵主峠から9分ほどの所になります。 右側の樹間からを少し眺められます。
軽く降っていくと、になります。 短杭が点々と設置されている尾根を進んでいくと、次第にになります。 脹脛を痛くしながら登っていくと、再びになってホッとします。 程なくして石杭の傍に標識が立っていて、この先の尾根は「千丈寺山」、今来た尾根は「黒井城跡」となっています。 兵主峠から16分ほどの所になります。 「大野峠 千丈寺山 迂回道」の板が右を指していて巻き道があるようですが、あまり明瞭な道ではありませんでした。
千丈寺山 (標高346m)
が増してくる尾根を登っていきます。 写真ではよく分かりませんがかなり急なので、脇の樹木に掴まったりしながら登っていきました。 息を弾ませながら登っていくと、先の方が明るくなってが見えてきます。 気を取り直して登っていくと、緩やかなに着きます。 緩やかな尾根を進んでいくと、少し掠れた「千丈寺山346m」の標識が立っています。 石標などは見かけませんが、ここが地形図に載っている346m峰千丈寺山になるようです。 兵主峠から21分ほど、城山から51分ほどで到着しました。 山頂には樹木が茂っていて、残念ながら眺めは良くありません。 丁度昼時になったので、右の方にある座り易いに腰掛けて昼食タイムにしました。
お腹が満ちたところで、が取り付けられた所から尾根を降っていきます。 少し右へ曲がりながら斜面を降っていくとに出ます。 左の樹間から僅かにを眺めながら急な尾根を降っていきます。 脇の樹木に掴まりながら降っていくと、次第に傾斜が緩んで歩き易くなります。 尾根の中ほどにはが立っていて、 正面の尾根は「大野峠」、今来た尾根は「千丈寺山」、右から来る踏み跡は「黒井城跡 千丈寺山 迂回道」となっています。 千丈寺山から5分ほどの所になります。 右の千丈寺山の手前にあった標識が立つ分岐から続く巻き道のように思われます。
小峰
傾斜が増したり緩やかになったりするを降っていきます。 標識の所から4分ほど降っていくと、標高260mほどのになります。 右の樹間から僅かにを眺めながら進んでいきます。 軽いになった尾根を進んでいきます。 下草が生えていなくて藪漕ぎの必要もない尾根を快適に進んでいくと、標高270mほどの小峰に着きます。 千丈寺山から12分ほどの所になります。 中ほどには「0175 T 15 地籍調査」の赤頭短杭があります。 地形図にはこの辺りから南西へ降っていく破線の道が描かれていますが、気が付きませんでした。
展望地
僅かに降って、になった尾根を進んでいきます。 軽い登り坂になると、高みを巻くように尾根の背を少し外れてを登るようになります。 標高270mほどの高みの東側まで来ると、右側の樹木が伐採された明るい所に出ます。 千丈寺山から14分ほどの所になります。 右側が開けていて、を眺められる展望地になっています。 景色を眺めながらひと息入れていきました。
大野峠
左へ曲がって尾根の背に復帰し、正面の樹間にと思われる高みを眺めながら降っていきます。 次第に降り傾斜が増してくるとが張られています。 ロープや樹木に掴まりながら降っていくと、V字形に切り開かれた峠に降り立ちます。 千丈寺山から22分ほどの所になります。 中ほどには「大野峠」のが立っていて、 正面の尾根は「ヨコガワ峰」、今降ってきた尾根は「千丈寺山」となっています。 峠には少し荒れ気味ながら明瞭なが通っていますが、 かつては戸坂地区と稲塚地区を結ぶ峠越えの道だったのでしょうか。 ここからは地形図に破線で載っているを降っていきます。
植林地の浅い谷筋に続くを小刻みに曲がりながら降っていきます。 往時は歩き易かったであろうは分岐もなくて明瞭に続いていますが、 倒木や落ち葉が散乱し深く抉れた所もあって歩き難くなってます。 十数回曲がりながら降って傾斜が緩んでくると、左前方にが見えてきます。 右へ曲がりながら降って砂防ダムの脇を過ぎていくと、隣の谷筋に出ます。 大野峠から8分ほどの所になります。 谷筋には採番されたやコンクリート製のがあります。
防護扉
道なりに左へ曲がって、谷筋の右側に続くを緩やかに降っていきます。 程なくして見えてくるの脇を過ぎていきます。 歩き易くなった道を降っていくとがあります。 左へ戻るように分かれていく道は、地形図に破線で載っている道のようです。 右側の石垣の上にはが二つ並んでいます。 両方とも文字がびっしり刻まれていますが、無学の私には読めませんでした。 左の道を見送っていくと、植林地の出口に防護扉があります。 大野峠から13分ほどで降りて来られました。 取り付けられた小さな回転レバーを回し、横に渡された長くて重い鉄棒を持ち上げて通過していきます。
舗装路になった道を緩やかに降っていくと、右側に「八幡神社」の扁額が掲げられたがあります。 その先には社殿が見えていますが、立ち寄るのは省略しました。 左へ分かれていく道を見送っていくと、左から来るに出ます。 角には石標が立っていて文字が刻まれているようですが、判読出来ませんでした。 樹木の袂にが佇む十字路を直進していきます。 程なくして(*)に出ますが、深く考えずに一番広い右前方の道を進んでいきました。 右に分かれていく道を見送って道なりに左へ曲がりながら進んでいくと、防火水槽の脇を過ぎていきます。
*左前方の道の方が近道だったようです。
広い畑地の中に続く道を真っすぐ進んでいくとに突き当たります。 左へ曲がっていくと、右側にがあります。 池の中ほどにが見えますが、どうやってお参りに行くのでしょうか。 軽く登って、を過ぎていきます。 X字路に出ると左に明光寺が見えますが、立ち寄るのは省略しました。
山際に続く道を進んでいくと、左側にがあります。 右から来る道路に出ると、左脇になどが並んでいます。 「比叡山開創一千二百年慶讃記念」の石柱が立つを直進していきます。 左にを眺めがら進んでいくと、 左前方に城山が見えてきます。
兵主神社
右へ曲がり始めると「兵主神社」の石柱や鳥居が立つがあります。 脇には「兵主神社」と題した解説板があります。 左へ曲がって、兵主神社を進んでいきます。 左の池にある厳島神社を過ぎていくと、木製のがあります。 鳥居を過ぎた所に「」があります。 注連縄が渡されたを過ぎると兵主神社の社殿の前に出ます。 防護扉から33分ほどの所になります。 拝殿の背後に鎮座する本殿の屋根には5本の鰹木が乗り内削ぎの千木が聳えていました。
兵主神社
由緒ある延喜式内神社で、祈願すると疱瘡がなおるといわれ、公家や貴族もお参りしたと言われています。 周囲の社叢には多くの巨木右があり、中低木や草木をはじめ高木にまつわるツル植物など豊富な植生を保っています。 社叢全体が兵庫県の環境緑地保全区域となっている貴重な鎮守の森です。 社殿に向かって右奥手にある「オガタマノキ」は、樹齢300年の巨木で町指定の天然記念物です。
近畿自然歩道 環境省・兵庫県
市指定文化財 兵主神社社叢
指定年月日昭和44年8月31日
所 有 者兵主神社
社殿をめぐる森は巨木が多く、この地域ではめずらしく樹種が多い。 また中木や樹下の草本の種類も豊富で、樹木にまつわる蔓性植物がよく育ち、伐採を戒めて護りつづけられた貴重な鎮守の森である。 巨木のうち最大のものはムクノキ(目通り幹囲6.4m・高さ37m)で、 スギ・ケヤキの幹囲5m近いものや、最大は幹囲4mをこえるカヤも多く、その他クス・ツガの巨木も多い。 これらのうち社殿の背後にあるオガタマノキは、分布上めずらしい喬木で高さ30mに近く、樹勢は旺盛である。 地面にもり上がって発達した板根は特異であり、4月に芳香がある白い花が咲く。 日本西南の暖地に自生するが県下ではこの木のほかに自生は知られていない。 オガタマはオキタマ=神霊を招く意で、サカキの真物がこの木という説もある。 また、社叢の下草の中に、新嘗祭に用いる”おみごろも”に摺染するヤマアイが多いのもオガタマノキと共に興味深い。 中小木にはシロダモ・カゴノキ・ムラサキシキブ・ヒサカキ等種類が多く、 下草にはエビネランなどや蔓性植物も多数あり、湿地には陸貝類も育って、 小さな自然林そのままの姿がみられ、安定した社叢である。 面積は約12ヘクタールにも及んでいる。
平成23年3月 丹波市教育委員会
右側の神輿庫の脇を進んでいくと、の脇に出ます。 角には兵主神社の駐車場があります。 右折して、を回り込むようにして左へ曲がり、南側に沿って真っ直ぐ東へ進んでいきます。 突き当りのまで来て、右前方の道を軽く登っていきます。 両側に墓地が見られるを越えていきます。 子供たちの賑やかな声が聞こえてくると、の祠があります。 祠の前には「洗心の水」があります。 祠の先へ進んでいくと、六地蔵を納めた祠があります。
黒井地区
右上にある墓地を過ぎていくと、の校舎が見えてきます。 校舎のすぐ傍を通っていくと、最初に車で来たに出ます。 左折して坂道を登っていくと、へ続く道の入口に「駐車場」「黒井城跡登山口」などの標識が立っています。 「興禅寺」の板が右の道を指していますが、立ち寄るのは省略して正面のを登っていきます。 黒井小学校の校庭を駆け回る児童たちを左に眺めながら坂道を登っていくと、車を止めておいた駐車場に着きます。 防護扉から50分ほどで到着しました。