金剛童子山
概 要 金剛童子山は京丹後市弥栄町にある標高613.6mの山です。 役小角が「業場」として開いたとされ、往時には七堂伽藍があったようです。 山頂や展望地からは、丹後の山並みを見渡せる眺めが広がります。 今回は等楽寺地区から林道を歩き、途中から山道を登るルートを往復します。
起 点 京丹後市弥栄町 等楽寺地区
終 点 京丹後市弥栄町 等楽寺地区
等楽寺地区…展望地…高原線入口…神社跡…鞍部…展望地…金剛童子山頂上避難小屋…金剛童子山…金剛童子山頂上避難小屋…展望地…鞍部…神社跡…高原線入口…展望地…等楽寺地区
所要時間 3時間30分
歩いて... 林道や山道には気になっていた夏草も僅かで、歩き易くなっていました。 山道には傾斜が急な所もあって、何度も立ち止まって汗を拭い呼吸を整えながら登っていきました。 ザレ場のような急坂の所にはトラロープも垂らされていました。 生憎と曇り空の日だったので、展望地や山頂から広がる眺めは今ひとつでした。
関連メモ 金剛童子山, 金剛童子山
コース紹介
等楽寺地区
京丹後市弥栄町を通る国道482号から府道53号へ入って南東へ進んでいきます。 府道57号を左に分けて等楽寺地区に入っていきます。 の前を過ぎると、 クランク型に曲がっていく道が分かれていきます。 その道に入って等楽寺公民館を過ぎての手前まで来ると、 僅かな駐車スペースがあったので、ここに車を止めさせて頂きました。
歩く準備をして等楽寺バス停の前まで来ると、 左へ登っていくがあります。 入口には「金剛童子山登山道 高原線入口2.5km」のが立っていて、左へ分かれていく道を指しています。 この先の要所には同様の標識が設置されていて、山頂まで導いてくれます。 坂道を登っていくと、斜面に広がるに出ます。 道なりに左へ曲がりながら登っていくと、右側の谷筋にがあります。 ここから先は未舗装の林道になります。
林道を進み始めると、すぐの所に小さながあります。 には小社があって、丸い石や「講箱」と書かれた木札が納められていました。 を過ぎて少し右へ曲がっていきます。 竹林が現れると、戻るようにして右へ登っていく道が分かれています。 地形図に短い実線で載っている道のようです。 脇には「金剛童子山登山道」のが立っていて、正面に続く林道を指しています。
の斜面を横切るようにして続く道を軽く登っていきます。 傾斜が緩やかになって植林地を抜けると、正面が明るくなってが見えてきます。 程なくして谷筋に出ると、道は左へ曲がっていきます。 駐車スペースから12分ほどの所になります。 広くなった曲がり角には幼木が植林されていました。 人工的な斜面には、半円筒と円筒が重なったが設置されていました。 谷筋の上流側にはが流れていて、道の下の暗渠を通って下流へと流れていくようになっていました。
谷筋を過ぎて軽く登っていくと、の傍を過ぎていきます。 の先端を回り込むように右へ曲がりながら進んでいきます。 次第に左側の樹木が低くなってくると、を見渡せました。 を過ぎていくと、左の尾根を切り開いた所があります。 駐車スペースから19分ほどの所になります。 僅かな踏み跡が尾根の背に向かっていましたが、このまま林道を進んでいきます。
尾根のに続くようになった林道を進んでいきます。 僅かなを過ぎて、少し左へ曲がっていきます。 僅かなを過ぎて右へ曲がって植林地を登っていきます。 植林地を抜けると、土が露わになった左への曲がり角を過ぎていきます。
右へ曲がりながらを進んでいくと、 僅かなが道を横切っていました。 土が露わになった僅かなを左へ曲がっていきます。 僅かなを軽く右へ曲がりながら進んでいくと、 地面に突き刺さるようにして倒れた倒木がありました。
展望地
再び僅かなを跨いでいきます。 僅かなまで来ると、右の尾根へが分かれていきます。 踏み跡を見送って道なりに左へ曲がっていくと開けた所に出ました。 駐車スペースから32分ほどの所になります。 右側にが広がる展望地になっていました。 少しずつ見える範囲が変わる山並みを眺めながら進んでいくと、 右奥の方にはも少し見えました。 日本海の水平線も朧気ながら見えていました。
になった尾根の先端を左へ曲がっていきます。 暫く続くの脇を過ぎていきます。 植林地を登るようになると、左へ曲がっていくがあります。 道に横たわるの脇を過ぎていくと、右へ曲がっていくヘアピンカーブがあります。
高原線入口
尾根のに続くようになった林道を進んでいきます。 緩やかな尾根の背を過ぎてに続くようになった林道を進んでいきます。 大木の脇から左へ登っていくを見送っていくと、すぐの所に分岐があります。 駐車スペースから44分ほどの所になります。 最初にあった標識によると、ここまでの距離が2.5kmということのようです。 角には「金剛童子山登山道 高原線入口」のが立っていて、 左へ戻るようにして登っていく山道を指しています。 林道はこの先へも続いていますが、を登っていきます。
高原線」が何を意味しているのか分かりませんでしたが、今回歩いた林道の名前でしょうか。 それともここから続く山道の名前でしょうか。 情報によると、ここから山道を少し登った辺りにかつて「高原」という集落があったようですが、 昭和42年に無人化して廃村になったようです。
山道を登り始めると、左からぼってくる急な道が合流します。 その道を併せて右へ登っていきます。 雑木混じりのにしっかりとした道が続いています。 明るくなったの脇を過ぎていきます。 次第にが広くなって、単なる山道ではない雰囲気になってきます。 6分ほど登っていくと、左前方の尾根に建物が見えてきました。 気になりながらも、尾根の右肩に続く道を登っていきました。 の先の少し広くなった所を過ぎていくと、 左へ戻るようにして登っていく道が分かれています。 高原線入口から7分ほどの所になります。 その先にはが二つ建っていました。 先ほど見えていた建物のようでしたが、入口には鉄柵が設置されていて近くまでは行けませんでした。 まだ新しそうな様子でしたが、どういう目的の建物なのかは分かりませんでした。
左の道を見送って、その先へと登っていきます。 少し荒れ気味の所を過ぎてを登っていくと、 再び戻るようにして道が分かれています。 気になったのでちょいとその道を登ってみると、すぐの所に消火栓のようなものがありました。 こんな山中の何処から水を引いているのかと思いますが、 この辺りの斜面にはかつて「高原」という集落があったそうで、その頃の名残でしょうか。
元の道に戻って、その先へ進んでいくと分岐があります。 高原線入口から10分ほどの所になります。 角にはのようなものがありましたが、 に水は溜まっておらず、枯れ葉などが積もるばかりでした。 防火用水なのか飲料用水だったのかは分かりませんが、山中にあっては重宝していたのでしょう。 標識類は見かけず、どちらへ進もうかと暫し愚考しました。 は先ほど分かれてきた林道へ続いているように思えたので、 ここは貯水槽の角を曲がっていくを登っていきました。
神社跡
の混じる斜面を登っていきます。 道端には人工的なも見かけました。 程なくして現れるを登っていくと、 緩やかでに出ました。 高原線入口から13分ほどの所になります。 周囲は植林地になっていますが、往時にはなだらかで広い所だったようです。 正面には石灯籠が立っていて、袂にはが佇んでいました。 建物の礎石のようなものも見かけましたが、かつてはここに神社が建っていたようです。
神社跡の右前方へ進んでいくと、「金剛童子山登山道」のが立っていて、トラロープも張られていました。 傾斜は緩やかで危険な様子もありませんが、ルートを示しているようでした。 少し登った所にも「金剛童子山登山道」のが立っていました。 少し左へ曲がって、上に見えている尾根の背に向かってを登っていきます。 尾根の背が近づいてくると、道から少し離れた所にが建っていました。 道は右へ曲がって、尾根の右肩に続くようになります。 少し進んでいくと尾根の背に出ます。
尾根の背に続く広めの道を進んでいくと、すぐにを進むようになります。 程なくしてに出ますが、 またすぐにを進むようになります。 左側の尾根の何処かが地形図に載っている450m峰になるようですが、目立った高みは見かけませんでした。 少し右へ曲がりながら続く道を進んでいきます。 僅かに左へ曲がって尾根の背に出ると、「金剛童子山登山道」の標識が立っています。 標識が指す右のに続く道を進んでいきます。
鞍部
の中を緩やかに進んでいくと、少し降り坂になってきます。 のような所を過ぎていくと、浅い鞍部に着きます。 神社跡から12分ほどの所になります。 地形図で破線の道が尾根を横切っている所になるようですが、今では歩かれていないのか、左右に明瞭な道は見かけませんでした。
僅かなの右肩を過ぎていきます。 軽く降ってに着いて、その先の尾根を登り返していきます。 次第に傾斜が増してきて、右・左と曲がりながらを登っていきます。 道端には熊笹が見られるようになりますが、道の部分は刈り払われた様子がありました。 少し倒木がある所をに左へ折れ曲がって登っていきます。 益々傾斜が増してくるので、何度も立ち止まって汗を拭い呼吸を整えながら、ゆっくり登っていきました。
引き続き、道端に熊笹が茂るを登っていきます。 の間を過ぎていくと、を進むようになります。 根刮ぎの脇を過ぎていくと、 トラロープが垂らされた急坂が現れました。 神社跡から26分ほどの所になります。 ザレ場になっていてとても滑りやすいので、ロープにしっかり掴まりながら登っていきました。
トラロープはすぐに終わりますが、その先にもが続いていました。 滑り落ちないよう注意しながら慎重に登っていきました。 樹木が少なくなってまで来ると、 左側には山並みが見えました。
曲がって、次第に傾斜が緩んで歩き易くなってくる道を登っていきます。 道なりに曲がって、次第に近づいてくる尾根の背を感じながら登っていきます。 更に右へ曲がっていくと、左右に通る広い尾根道に出ました。 神社跡から32分ほど、高原線入口から45分ほどで登って来られました。 脇には「金剛童子山登山道」の標識が立っていて、 左の道は「山頂方面」、右の道は「作業道線方面」、今来た道は「高原・等楽寺方面」となっています。 熊笹が茂る正面にもがあるようでしたが、標識には何も示されてはいません。 右へ進んでいくと、作業道を経て味土野地区へ降りて行けますが、山頂へ向かってを進んでいきます。
標識には「高原」と「等楽寺」が同等に扱われていて、「高原」は集落の名前であることが覗えます。
(右の道は「金剛童子山」を参照)
展望地
これまでの急坂から解放されて、快適で広いを進んでいきます。 すぐに見えてくる高みへ向かってひと登りすると、 尾根道に出た所から1分半ほどで開けたに着きます。 ベンチが幾つか設置された展望地になっていて、 も設置されていました。 広がる景色を眺めながら、ひと休みしていきました。 生憎と曇り空の日だったので眺めは今ひとつでしたが、山並みや街並みなどを見渡すことができました。 北の方角にはもよく見えました。
後日に来てみると、木製デッキや案内板が設置されていました。 (「金剛童子山」を参照)
落ち着いたところで、金剛童子山の山頂へ向かっていきます。 「金剛童子山登山道 山頂へ」の標識に従って、滑りやすくなったを降っていきます。 横木の階段も見かけましたが、殆ど土砂に埋まって階段の用を成していませんでした。 緩やかになったを進んでいきます。 傾斜が増してきた道を登って尾根の背に出ると、道は左へ曲がっていきます。 角には「金剛童子山登山道」のが立っていて、 左の道は「山頂(行者堂)」、正面の道は「味土野線近道・不動明王石像」となっています。 熊笹などが茂っていて明瞭ではありませんでしたが、正面には道があるようでした。 ここは左へ続く広いを進んでいきます。
金剛童子山頂上避難小屋
広くて快適なを進んでいきます。 少し傾斜が増してきたを登っていきます。 明るくなってきた正面へ向かって登っていくと、の建つ小広くなった所に着きます。 展望地から8分ほどで到着しました。 周囲が1.5mほど高くなった窪地で、かつて行者堂があった所でしょうか。 小屋には真新しい「金剛童子山頂上避難小屋」の板が取り付けられています。 「金剛童子山613m」の標識も取り付けられていて、ここが金剛童子山の山頂部になるようです。 「役小角と金剛童子山」の解説板も取り付けられています。 には石像が安置された祠もあります。 右からは味土野地区からの道が登ってきています。 フックを外して小屋の中を覗ってみると、役小角とおぼしきがあります。 丸太を輪切りにした椅子も沢山置かれていて、ひと休みするのに良い場所になっています。 脇には「金剛童子山登山道」の標識が立っていて、右の道は「味土野方面」、今来た道は「高原線・作業道線方面」となっています。
(右の道は「金剛童子山」,「金剛童子山」を参照)
役小角と金剛童子山
役小角は7〜8世紀に大和国葛城山にいた実在の人物であるが、 後世修験道の祖として信仰を集め、役行者とも呼ばれている。 全国各地には役小角が登ったと伝えられている山がたくさんあり、 高下駄を履き鬼神を従え、独特の風貌をした像も多数残されている。 『丹哥府志』によると、役小角が金剛童子山を「業場」として開いたとされている。 また金剛童子山への道筋に「休堂」「かねかけの業場」「御手洗の池」「行者堂」「西の業場」等があるとしている。 現在それらの全てを確認することはできないが、金剛童子山周辺が、修行の場であったことは確かである。 地元では金剛童子山を熊野山、行者山とも呼んでおり、往時は七堂伽藍が存在していたと伝えられている。 上山寺(京丹後市丹後町上山)は、明法上人開基を伝えるが、 『丹哥府志』には役小角が金剛童子山を開いた際に、庵を結んだところといわれている。
窪地の正面へ登ってみると、樹木が伐採されて、東側には山並みを見渡せる眺めが広がっていました。
金剛童子山 (標高613.6m)
窪地のすぐ先には金剛山」があるので、 地形図に載っている613.6m峰になるようです。 三角点を過ぎた所には、がひとつ設置されていました。 その先にはが広がっていました。 奥の方にはも見えるようですが、この時には霞んではっきりしませんでした。
展望地
まで引き返してきて、 「高原線・作業道線方面」のが指す元来た道を降っていきます。 窪地の周囲の高みを越えて広い尾根道を快適に3分ほど降っていくと、の立つ所から右へ曲がって、 少し傾斜が増した道を降っていきます。 緩やかになってきた広い尾根道を進んでいくと、程なくしてになります。 かなり傾斜のある坂道を登っていくと、展望地になった高みに戻って来きました。 金剛童子山頂上避難小屋から6分ほどで着きました。 丁度昼時になったので、ベンチに腰を降ろして、広がるを眺めながら昼食タイムにしました。
お腹が満ちたところで、神社跡から登ってきたを引き返していきます。 広いを降っていくと、1分ほどで標識の立つ分岐に着きます。 味土野地区へ続く正面の道は見送って、 「金剛童子山登山道 高原・等楽寺方面」の標識が指すを降っていきます。
(正面の道は「金剛童子山」を参照)
左・右と曲がりながらを降っていきます。 2分ほど降っていくと、を眺められる所を過ぎていきます。 次第に傾斜が増してくる道を降っていくと、トラロープが垂らされたザレ場が現れます。 ロープに掴まりながら、右へ続くを滑り落ちるように降っていきました。
鞍部
ザレ場が終わって、歩き易くなったを降っていきます。 道端に熊笹が茂るを降っていきます。 何度も立ち止まって呼吸を整えながら登ってきた道も、降る時には快調であります。 少し倒木がある所を左にに折れ曲がって降っていきます。 僅かなを過ぎて軽く登っていくと、 僅かなの左肩を過ぎていきます。 植林地に入っていくと浅い鞍部に着きます。
のような所を過ぎていくと、 「金剛童子山登山道」のが立っている所に出ます。 少し左へ曲がって、450m峰がある尾根のを緩やかに降っていきます。 右側の尾根が次第に低くなってくると尾根の背に出ます。
すぐに尾根の背から外れて、を降るようになります。 程なくしてに出ます。 また尾根の背から外れてに続くようになった道を降るようになります。 やがて、右側の尾根に小屋が建つ所まで来ると、道は左へ曲がって斜面を降るようになります。
神社跡
広くなった斜面を降っていくと、「金剛童子山登山道」のが立っています。 少し右へ曲がりながら、やトラロープ沿いに降っていきます。 緩やかになってくると、再び「金剛童子山登山道」のが立っています。 その先のなだらかで小広い所に神社跡があります。 展望地から23分ほどで降りて来られました。
を降って旧境内を出ていきます。 の混じる斜面を降っていくと、貯水槽のあるに出ます。 右へ曲がって、を右に分けて降っていきます。 広い道を降って少し荒れ気味の所を過ぎていくと、二つの建物への道を右に分けていきます。
高原線入口
の脇を過ぎて、 熊笹の茂るを降っていきます。 明るくなったの脇を過ぎて植林地を降っていくと、 道がしています。 正面の急坂の下には林道が見えていますが、左へ曲がっていく道を降っていくと、 「金剛童子山登山道 高原線入口」の標識が立つ林道に降り立ちます。 神社跡から10分ほどで降りて来られました。 車を止めてきた駐車スペースへ向かって、右へ続くを降っていきます。
展望地
尾根の左肩に続く林道を進んでいきます。 林道は程なくしてを過ぎて右肩に続くようになります。 を左へ曲がって倒木を過ぎていくと、 再びがあります。 道なりに右へ曲がって植林地を降っていくと、暫くが続くようになります。 になった尾根の先端を右へ曲がっていくと、左側に山並みが広がる展望地に出ます。
踏み跡が分かれているを右へ曲がっていきます。 地面に突き刺さるようにして倒れたを過ぎて、僅かな谷筋を軽く左へ曲がっていきます。 土が露わになった僅かなを右へ曲がり、 その先のを左へ曲がりながら進んでいくと、 土が露わになった右への曲がり角を過ぎていきます。
に続く林道を降っていきます。 僅かなを過ぎて左へ曲がっていきます。 僅かなを右へ曲がっていくと、 前方にが広がってきます。 少し左へ曲がりながら降っていくと、右の尾根を切り開いた所に着きます。 高原線入口から22分ほどの所になります。
を過ぎていくと、右側にが広がってきます。 の先端を回り込むようにして左へ曲がっていきます。 岩壁の傍を過ぎていくと、道の下に暗渠が通っている谷筋に出ます。
右へ曲がって谷筋を過ぎていくとへ入っていきます。 が現れた林道を降っていくと、 左へ登っていく道が分かれていくがあります。 左の道を見送って道なりに左へ曲がっていくと、小社が納められたがあります。
等楽寺地区
祠を過ぎて舗装路になると、左側の谷筋にがあります。 に続く道を降っていきます。 右へ曲がりながら降っていくと、斜面にあるに出ます。 畑地を横断して道なりに左へ曲がりながら降っていくと、等楽寺地区に続くに降り立ちます。 正面にを見て右へ曲がっていくと、 車を止めておいた駐車スペースがすぐの所にあります。 高原線入口から42分ほどで降りて来られました。