上山高原
概 要 上山高原は新温泉町にある高原です。 尾根には緩やかで広い旧牛道が続いています。 標高946.1mの上山の山頂にある展望台からは、四方の山並みを見渡せる眺めが広がります。 今回は青下地区から斜面を経て尾根に登り、尾根の背に続く旧牛道を通って上山高原へ登り、 山頂を経て同じ道を戻るルートを歩きます。
起 点 新温泉町 青下地区
終 点 新温泉町 青下地区
青下地区…白山神社…登山口…水場…中ノ段…風穴…木橋…旧草原界…網付場…上山高原…上山…上山高原避難小屋…上山高原…網付場…旧草原界…木橋…風穴…中ノ段…水場…登山口…青下地区
所要時間 3時間40分
歩いて... 青下地区から尾根に出るまでの道は結構傾斜がありましたが、夏草などはあまり茂っていなかったのは幸いでした。 旧牛道はマウンテンバイクでも十分に通れる快適な道になっていました。 高原にはススキが穂を出していて、秋の訪れを感じました。 上山の山頂の展望台からの眺めは、生憎と雲が広がっていたのが残念でした。
関連メモ 西ヶ丸ふれあいの森, 上山高原
コース紹介
青下地区
国道9号の蒲生トンネルの少し東側から県道262号を南下していきます。 石橋バス停を過ぎていくと、右に分かれていく道があります。 角にはがあります。 道路標識「青下3km」に従って右折して、坂道を登っていきます。 大きく左へ曲がって、三谷橋・猪谷橋・栃山橋・奥谷橋を過ぎていきます。 の下をくぐって降っていくと、 に突き当たります。 そこを右折して青下地区の集落に入って青下バス停を過ぎていくと、 「白山神社・青下天満宮」のの先に駐車場があるので、 ここに車を止めさせて頂きました。 脇には「上山高原エコミュージアム インフォメーション」と題したがあって、 今回歩くルートが載っているので参考になります。
上山高原エコミュージアム インフォメーション
上山高原には、自然性の高いブナ林と人の営みの中で育まれてきたススキ草原があり、 イヌワシやツキノワグマ等貴重で多様な生態系が育まれてきました。 「上山高原エコミュージアム」は、扇ノ山山麓に広がる上山高原や、麓の集落などをフィールドとして、 自然環境の保全や、環境と共生した暮らしを学び実践する取り組みを、地域住民をはじめ、多様な主体の参画と協働により進めています。
マナーは上山高原エコミュージアムの第1歩
上山高原は氷ノ山後山那岐山国定公園内にあります。
ごみは持ち帰ろう!
貴重な自然です。ごみは持ち帰りましょう。 特に、食べ物のごみは野生生物のえさとなり生態系をみだす原因にもなります。
植物、動物はとらないで! 山菜もね!
きれいな花やいろいろな動物や昆虫がみられますが、決してとらないでください。 とることによって絶滅してしまう種があります。
たき火・たばこのぽい捨ては、だめです!
風向きや乾燥の具合で大火事にもなります。 ちょっとした油断で大きな被害につながります。 絶対にやめましょう。
登山道のコースからむやみにはずれない!
貴重な自然を守ったり、危険を避けるためにも登山道以外には立ち入らないようにしましょう。 また、難所もありますので装備は充分にしてください。
 (特定非営利活動法人 上山高原エコミュージアム、新温泉町・兵庫県・環境省)
白山神社
駐車場の裏の杉林に神社が見えたので、山に登る前にちょいと訪ねていきました。 青下公民館の斜め前に「白山神社」の扁額が掛かるがあります。 青下公民館の左側からへ入っていきます。 右へ曲がりながら進んでを分けていくと、 石段を登った所の右側に白山神社がありました。 左側にはがあり、 傍には赤い鳥居と稲荷社と思われる小祠もありました。
白山神社の由緒
祭神 白山比淘蜷_(菊理媛尊)
創立 不詳
由緒 当社は往古白山権現と称し当村の氏神なるも、 中古、田中・岸田・青下・霧滝の四ヶ村を総合して岸田村と称せしところが、 明治初年社格創立の際、村社各に加列せられず、無格社白山神社と改称せらる。 創立年度詳らかならざるも、当村の由来沿革上より考うるに、天承以前の旧社たること明らかなり。 祭神は白山比淘蜷_(菊理媛尊)にて、加賀国白山より勧請せり故に白山権現と称せしものなりと日本記畧に云う。 当社は元字神路山に在りて、当村より凡30町を去る遠き山中に五反歩余りの平旦なる地あり。 是所に芳斉也しが、参路険隘且つ遠隔なるをもって、例祭の外参詣するものなし。 常日は只社殿の方向に向かって拝するのみ。 茲に於いて岸田四ヶ村々民一同協議の上、当村の現在位置に社殿を改築し之に遷座せしも、 神慮如何に窺い知る可らずとて、社は旧地に向けて造立せり。 時寛正元年9月、今よりさかのぼること530年余りなりと、今尚其の旧跡に土台石等存し、 今日に至るも其の跡頭然たり。 その後正徳2年、社殿改築の際、当村茂左衛門なるもの永遠社殿の修繕及び宵祭り箒火の用に供せん為、 境内の周囲三反歩余りを寄附せられしを以って、青下在の共有とし保管せり。 その後何回となく社及び鳥居を修復して維持管理に努め今日に至って居る。
 (平成元年9月 当村氏子中)
天満宮の由緒
菅原道真は後醍醐天皇の延喜3年(903)2月25日、太宰府の配所において冤罪のはれぬまま亡くなられた。 しかしその後20年ほどたって冤罪ははれ、村上天皇の天暦元年(947)6月9日、神霊として京都の北野にお祀りした。 皇室の御崇敬をはじめ国民の尊敬も亦厚く、特に江戸時代に及んで幕府は庶民のため、 全国の初等教育機関として寺子屋を設立せしめると同時に、その精神的中心として道真公の分霊を求め、 津々浦々に至るまで神霊は天神様として信仰を国民の間に確立せしめた。 青下天満宮は、明暦元年(1652)の建立にして、今よりさかのぼること334年前、 当村上村三郎左衛門氏が京都の北野天満宮より勧請して天神山に祀れるを初めとし、 その後明治26年、社殿が台風のため倒れたが再建され、 大東亜戦争が終わるまでは、近村民学校生徒等毎年2月25日には奉拝しにぎわったものであるが、 終戦後は参拝者もなくなり、昭和22年10月26日、維持管理上現在の社地に移転した。 此のたび天神様の御本体及びお社を修復し天神祭りを復活することとし、 5月第4日曜日を例大祭とし行事を行うこととした。
 (平成2年5月 当村実行委員会)
登山口
駐車場まで引き返して集落の奥へ進み始めると、すぐの所にがあります。 角に立つ「高丸の滝・鳴滝」「上山高原」のに従って、 右へ分かれていく坂道を登っていきます。 少し左へ曲がりながら登っていくとに出ます。 角には標識が立っていて、左の道は「高丸の滝1200m」、右の道は「鳴滝700m」、正面の道は「上山高原」となっています。 正面の民家の右側に続く狭い舗装路を進んでいくと森へ入っていきます。 ここが上山高原への登山口になります。 入口にはの板が落ちていて、 この先の道は「氷ノ山後山那岐山国定公園 上山高原」となっています。
植林地に続くを登っていきます。 すぐに植林地を抜けると明るくなった所に出ます。 少し右へ曲がりながら短い夏草が茂る道を登り始めると、のようなものがあります。 入口には鉄柵が設置されていましたが、名前は分かりませんでした。 そこを過ぎて再びを登っていきます。 夏草が少し茂っていましたが、以前に刈り払われたのか、伸び放題ではありませんでした。 道幅も広めで、往時にはよく歩かれた道なのだろうと感じながら登っていきました。 人工的なを過ぎて竹林が現れると分岐があります。 登山口から6分ほどの所になります。 角には「上山登山道」のが立っていて、正面の道を指しています。
水場
植林地を更に登っていきます。 少しに出ると、岩の手前で道は右へ曲がっていきます。 次第に傾斜が増してくるを折れ曲がりながら登っていきます。 赤テープが所々に取り付けられていて、ルートを示しているようでした。 更に登っていくと石段が現れました。 登山口から15分ほどの所になります。 右側の山際にはコンクリート製ののようなものがあって、 上から引いてきたパイプを通して水を集めているようでした。 上面は簡単な蓋で覆われていましたが、水場のように思えました。 この先にかけて、所々で石段を見かけるようになります。
石段を過ぎていくと、上の方にが見えてきます。 谷筋のの手前まで来て右へ曲がり、植林地を更に登っていきます。 一段と傾斜が増してくるを折れ曲がりながら登っていくと、 頭を出す岩を所々で見かけるようになります。 折れ曲がりながら急斜面を更に登っていくと、大きな岩の袂に出ました。 先ほど見えていた岩になるようです。 登山口から22分ほどの所になります。
中ノ段
大きな岩を過ぎて更に登っていきます。 再びあるを回り込むようにして左へ曲がっていきます。 少しの所を過ぎて更に登っていきます。 次第に息が切れてくるので、何度も立ち止まりながらを登っていくと、 通信ケーブルのようなが地面の上を通っていました。 その先にあるを過ぎて更に登っていくと、 左への曲がり角に「中ノ段」のが立っています。 登山口から33分ほどの所になります。 頂部に案内図が取り付けられていたようですが、この時には剥がれて無くなっていました。
風穴
長いが横たわる脇を右へ曲がって登っていきます。 植林地から雑木林に変わった斜面を進んで大きな岩の袂に着くと、 「風穴」のが立っていて、 この先の道は「上山2.7km」、今来た道は「青下0.6km」となっています。 登山口から35分ほどの所になります。 ここの標識も案内図が剥がれて無くなっていました。 かなり登ってきたように思えましたが、上山まではまだかなりの道程のようです。
風穴を過ぎていくと、右に延びるが近づいてきます。 やっと急斜面が終わるのかと思っていると、その手前で左へ曲がって更にを登っていきます。 右へ曲がり、斜面を横切るように再びへ向かってきます。 根元から幹が分かれるの所まで来て左へ曲がると、やっと尾根の背に登り着きました。 ここは左馬殿道が通る尾根の東側にある尾根で、 駐車場の脇にあった案内図に載っている「馬の背」になるようです。 これまでよりも傾斜が弛んで歩き易くなった尾根を進み始めると、 すぐの所に「上山高原」のが立っていて、 今歩いている道は「順路」となっています。 登山口から41分ほどで登って来られました。 ここの標識も案内図が剥がれて無くなっていました。
緩やかで歩き易くなった尾根のに続く道を進んでいきます。 3分ほど進んでいくと、尾根が低くなったのような所があります。 そこを過ぎて右肩に続くようになった道を進み始めると、程なくしてボードウォークが現れます。 尾根の背に登り着いた所から4分ほどの所になります。 谷側にはが設置されて安全になっていました。
木橋
尾根の右肩に続くボードウォークを進んでいくと、途中にがあります。 壊れたのか意識的にこのようになっているのかは分かりませんでしたが、鎖柵の代わりにトラロープが張られていました。 更にを進んでいきます。 3分ほどでボードウォークが終わると、すぐ先に丸太のが架かっています。 手前の杉の木の袂には、木の枝で作ったが幾つか立て掛けられていました。
旧草原界
木橋を渡って左へ曲がり、斜面をに登っていきます。 大きくに折れ曲がりながら登り、 最後に左へ曲がるとに出ます。 広くて歩き易い尾根道を3分ほど進んでいくと「旧草原界」のが立っています。 木橋から6分ほどの所になります。 ここからは傾斜が更に緩やかになって、より快適に歩けるようになります。
網付場
緩やかで広いを快適に進んでいきます。 軽くを過ぎると、また緩やかな登り坂になります。 旧草原界の標識から5分ほど進んでいくと、道端に「上山高原」のがあって、 今歩いている道は「順路」となっていました。 そこを過ぎて軽く降っていくと、すぐに分岐があります。 登山口から1時間ほどで着きました。 脇には標識が立っていて、正面の道は「上山山頂2.0km」、 右の道は「海上・石橋3.1km」、今来た道は「青下1.3km」となっています。 この標識の頂部にはがありましたが、一部が剥がれて分かり難くなっていました。 正面すぐの所にはが架かっています。 その手前の道端にが倒れていました。 文字などは確認出来ませんでしたが、頂部にはまだ綺麗なが取り付けられていました。 それによると、ここは網付場というようです。 ここから法谷頭まで続く道が左前方へ分かれているようですが、 この時は熊笹などが茂るばかりで、明瞭な道は見かけませんでした。
木橋を渡って、その先に続く広いを進んでいきます。 駐車場の脇にあった案内図によると、この道は旧牛道というようです。 マウンテンバイクでも十分に走れる緩やかな道が続いていました。 周囲に樹木が茂っていて見晴らしの効かないを淡々と進んでいきます。 網付場から14分ほど進んでいくと標識が立っていて、 正面の道は「上山1.1km」、今来た道は「青下2.2km 海上・石橋4.0km」となっています。 頂部のは少し剥がれていましたが、今回歩く範囲は確認できました。
少し傾斜が増したを進んでいきます。 次第に傾斜が緩んでくる道を真っ直ぐ進んでいくと、先の方がなってきます。 トンネルのようになった雑木林を抜けるとに出ます。 の傍を過ぎていくと、ススキが穂を出す上山高原が広がってきます。
刈り払われたを進んでいくとがあります。 標識類は見かけませんが、左の道は見送って真っ直ぐ進んでいきます。 左右に広がるなどを眺めながら進んでいくと、 上山高原を通る海上林道に出ました。 網付場から25分ほど、登山口から1時間28分ほどで登って来られました。 手前には標識が立っていて、この先の道は「上山山頂0.3km」、今来た道は「青下3.0km・海上4.8km」となっています。 「上山高原エコミュージアム インフォメーション」と題したもありました。 駐車場の脇にあった案内図と同様の内容ですが、異なる部分だけを載せておきます。
上山高原エコミュージアム インフォメーション
上山高原では貴重で豊かな生態系を育むブナを主体とした広葉樹林とススキ草原を保全・復元しています。
上山高原は、ブナの森とススキ草原があいまって、貴重で多様な自然が見られます。 森林と草原のバランスを考えながら自然の保全・復元活動に取り組んでいます。
森林ゾーンでは、スギなどの人工林を伐採し、広葉樹の苗を植え、ブナやミズナラを中心とした落葉広葉樹林を復元していきます。 ツキノワグマに代表される森の動物の生息地になります。
草原ゾーンでは、密生しているササや灌木を刈り取り、ススキ草原を復元しています。 イヌワシのえさ場や草原の生きものの生息地になります。
上山山頂のススキ草原】 かつて上山高原は牛の放牧地として常に草刈りや火入れがおこなわれていました。 現在はエコミュージアムの取り組みの1つとして多くの人々の手によってススキ草原が保全・復元されています。
ブナの自然林】 上山高原では、スギの植樹のために多くのブナが伐採されましたが、扇ノ山や畑ヶ平などに一部残っています。 鬱蒼としながらも落葉樹林特有の明るい林を見ることができます。
高原と集落を結ぶ道】 放牧や山菜取り、火入れなど麓の集落に住む人々は上山高原と深く関わってきました。 その昔、殿様も通った「左馬殿道」を中心に、各集落ごとに草原に通う道がもうけられ、人や牛が行き来していました。 現在は遊歩道として利用されています。
 (特定非営利活動法人 上山高原エコミュージアム、新温泉町・兵庫県・環境省)
牛の放牧による草原の管理
上山高原では、かつて但馬牛の放牧を行ってきました。 牛は、草原の状態にもよりますが、1頭につき1年間放牧して約1ha分のススキを食べると言われています。 ススキ草原を維持していくためには、人手による管理に加えて、 放牧による管理の面積を増やしていく方法もあります。
※植生の状況を踏まえて、放牧の頭数、期間を決める必要があります。
※放牧されている牛は有名は「但馬牛」で、仔牛は松阪牛や神戸牛などの全国の名牛の種牛になっています。
 (上山高原)
上山高原
舗装された海上林道に出て正面へ進み始めると、すぐ右側にがあります。 その先には車数台分の広さのがあり、ブロック造りのトイレもありました。 脇には「氷ノ山・後山・那岐山国定公園 上山高原山岳案内図」と題したがあって、 今回登ってきたルートも載っていました。 左側にはテーブル・ベンチが設置されていて、その先には目指す上山が見えています。 お昼には少し早い時刻でしたが、ベンチに腰掛けて昼食タイムにしました。
上山高原のススキ草原には、どんな生き物がすんでいるの?
ススキ草原には草原の環境に適した生き物が生息しています。 かつて生息していたけれども今はもう生息していない種類もあります。 草原が復元されると戻ってくる可能性もあります。
イヌワシ(タカ目タカ科)】 羽を広げると2mにもなる大型猛禽類。 森林にすみ草原で狩りを行います。 断崖や岩棚に営巣します。 ピーウとかポイヨーという鳴き声をします。 国天然記念物。
ウスイロヒョウモンモドキ(タテハチョウ科)】 草原に生息する。 アザミやオカトラノオなどの蜜を吸う。 7月上旬から8月にかけて見られる。
リンドウ(リンドウ科)】 秋の山を代表する20〜100cmの多年草。 葉は対生し、9〜11月にかけて青紫色の鐘形の花を咲かせます。 根茎は漢方薬(健胃薬)として使われます。
センブリ(リンドウ科)】 日当たりのよい山野に生える2年草。 古くから根茎や漢方薬(健胃薬)として知られています。 苦みが強く千回振り出してもまだ苦いことからこの名がついたとされています。
オミナエシ(オミナエシ科)】 日当たりのよい山野の草地などに生える多年草。 高さ60〜100cm。 8〜10月にかけて黄色の小さい花を散房状に咲かせます。
 (上山高原)
落ち着いたところで、左前方に見える上山へ向かっていきます。 テーブル・ベンチの傍から続く刈り込まれたに入っていきます。 入口には標識が立っていて、その道は「上山三角点0.25km」、 正面の林道は「避難小屋0.5km、畑ヶ平高原3.7km」、今来た道は「海上4.8km、青下3.0km」となっています。 ほとんどど地面に埋まった広いを緩やかに登っていきます。 僅かなに着いて少し左へ曲がり、 軽く降っていくと浅い鞍部に着きます。 少し幅が狭くなったを登り返していきます。 ここの階段もかなり地面に埋まっていて歩き難くはありませんでしたが、結構傾斜があるので、ゆっくり登っていきました。 途中で振り返ると、海上林道に出た所から休憩した所にかけての上山高原がよく見えました。
上山 (標高946.1m)
息を弾ませながらを真っ直ぐ登っていきます。 次第に傾斜が緩んでくる階段を更に登っていくと、先の方にが見えてきます。 正面に見える標識に向かって真っ直ぐ登っていくと、緩やかで広い上山の山頂に着きました。 海上林道から9分ほどで登って来られました。 中ほど立つ標識は「上山三角点943m」となっていました。 傍には「東丸」があるので、地形図に載っている946.1m峰になるようです。
標識の左の方には、先ほどから見えている木組みの展望台があります。 架けられている階段を登って上に立つと、四方の山並みをぐるりと見渡せる眺めが広がります。 この時は生憎と低い雲が一面に広がっていて、山の端が少し隠れている所もあったのが残念でした。
南南西の方角には小ヅッコから扇ノ山へ続くが見えました。 北北西の方角にはの沿岸も少し見えました。
展望台からの眺めを確認したら、上山から下山していきます。 登ってきた道を引き返しても良いのですが、 今回は標識の所から西南西に延びる僅かなを降っていきました。 を過ぎて、傾斜が増してくる踏み跡を降っていきます。 正面にを眺めながら降っていくと分岐があります。 角には標識が立っていて、正面の道は「避難小屋」、左の道は「扇ノ山4.6km・畑ヶ原高原3.4km」、 今来た道は「上山三角点0.2km」となっています。 右側は「海上・石橋5.2km」となっていますが、それらしい道は確認できません。 頂部にこの付近のがあって、 右へ道が続くように描かれているので、以前には道があったようです。 畑ヶ平林道へ続く左馬殿道(*)になりますが、 このまま真っ直ぐに降っていきます。
*後日に左馬殿道の一部を歩きました。 (「西ヶ丸ふれあいの森」を参照)
少し左へ曲がりながら、草が刈り払われて緩やかになったを進んでいきます。 幾つか設置されたを過ぎていくと海上林道に出ます。 山頂から7分ほどで降りて来られました。 出た所には標識が立っていて、左側は「避難小屋」、今来た道は「上山山頂0.7km」となっています。 正面の林道を指す文字は剥がれていて読めませんでした。 手前には「上山高原コース」と題したがあって、 行程6kmほどの「基本コース」と行程2kmほどの「ショートコース」などが紹介されていました。 林道の右側には広い駐車スペースがあります。
上山高原コース
四季を通じて様々な表情を見せる美しい上山高原は、山地に溶岩が広がることでできました。 ススキ草原が広がる高原、多くの野生動物を育むブナ林など、豊かな自然に触れ合うことができます。
上山高原エコミュージアム拠点施設「上山高原ふるさと館」
上山高原エコミュージアムでは、自然観察会などの野外活動や各種体験活動を行なうとともに、 ブナ林やススキ草原、野生動物のモニタリングや保全活動を行っています。
上山高原でみることができる季節ごとの主な動植物
<通年> (動物,鳥)イヌワシ、クマタカ、コゲラ、ヤマガラ、ウグイス、アオバト、イワナなど
(植物)ブナ、カツラ、トチノキ、ユキザサ、ススキなど
<春> (花)ショウジョウバカマ、ウワミズサクラ、フタリシズカなど
<夏> (動物,鳥)オオルリなど
(昆虫)イチモンジチョウ、アサギマダラ、ヒョウモンチョウ類など
(花)カキラン、ヒメモチ、サンカヨウ、タケシマラン、タジマタムラソウ、イワタバコなど
<秋> (花)リンドウ、オミナエシ、アジウスギ、ジンジソウ、ダイモンジソウなど
上山はどうやってできたの? 〜溶岩でできている上山高原とスコリア丘「上山」〜
(1) 上山高原周辺を溶岩が覆った
扇ノ山周辺で火山活動が起きました。 たくさんの溶岩が上山高原一帯まで流れ、やがて冷えて固まりました。 こうして、上山高原一帯は厚い溶岩で覆われました。
(2) 溶岩の上にスコリア丘ができた
上山がある場所で噴火が始まりました。 飛び散ったマグマが冷えて固まった”スコリア”が火口の周りに降り積もり、スコリアでできた丘”上山”を作りました。 上山から流れ出た溶岩もまた周辺を覆いました。
(3) 地面が風雨などにより削られた
風雨などで地面が削られ、現在の地形ができあがりました。 川は大地を削り、渓谷や滝ができました。
 (山陰海岸ジオパーク推進協議会)
上山高原避難小屋
林道から少し左へ入った所に上山高原避難小屋があります。 右側の階段を登って裏へ回って小屋の中を覗いてみると、 正面にがあり、 右側がになっていました。 「御自由に感想等をお書き下さい」と書かれたノートが置かれていて、感想などが書き込まれていました。 小屋の手前にはこれまでにも見かけた「上山高原エコミュージアム インフォメーション」と題した案内板がありますが、 地図はかなり剥がれていて、ほとんど見えなくなっていました。
上山高原避難小屋の利用心得
・ゴミはすべて持ち帰ってください。
・利用後は清掃して帰ってください。
・緊急時以外は火気厳禁です。(やむをえずコンロ等使う場合は土間で)
・小屋の周辺での焚火は厳禁です。
・緊急時以外は宿泊できません。
・利用者は使用簿に記載してください。
・利用後は入口の扉、窓を確実に閉めてください。(雪が吹き込みます)
・ペットは持ち込めません。
・トイレは冬場は水がでません。備え付けのポリタンクの水で流してください。
・冬期は2Fから出入りしてください。
 (温泉町 企画観光課)
上山高原エコミュージアム インフォメーション
上山高原には、自然性の高いブナ林と人の営みの中で育まれてきたススキ草原があり、 イヌワシやツキノワグマ等貴重で多様な生態系が生まれてきました。 「上山高原エコミュージアム」は、扇ノ山山麓に広がる上山高原や、麓の集落などをフィールドとして、 自然環境の保全や、環境と共生した暮らしを学び実践する取り組みを、 地域住民をはじめ、多様な主体の参画と協働により進めています。
上山高原の自然の保護・復元作業
背後に広がるスギ林は、最終的に落葉広葉樹林へとなるよう育林作業を行っています。
北側に広がる草原ゾーンでは、ササや灌木の密生地をススキ草原に戻す作業を行っています。
上山高原のブナ林
上山高原には、かつて広大なブナの森が広がっていました。 昭和10年頃から40年代にかけて、開拓や造林事業のために多くのブナやトチノキが伐採され、トロッコで運び出されました。 このブナ林を復元させるためには、スギ人工林の間伐と広葉樹の植栽を進める必要があります。 まずは、スギ人工林とブナの林との混交林化を図り、段階を追って全面積をブナの林へと変えていきます。 ブナ林を復元させることで、ツキノワグマなどに代表される冷温帯動物の生息地になります。
※ブナの苗は、地元産の種子をホームステイで育成しています。
 (上山高原)
上山高原
避難小屋から出て、北へ続くを軽く降っていきます。 傾斜が緩やかになってくるとが立っていて、今来た道は「避難小屋0.2km」、 右側は「畑ヶ平林道・畑ヶ平高原3.5km」となっています。 右側に道はありませんが、上山から降ってくる途中にあった左馬殿道への分岐に立つ標識「扇ノ山4.6km・畑ヶ原高原3.4km」と併せて考えると、 以前にはここからその分岐へ続く道があったようです。 少し降り坂になった林道を進んでいくと、左側に「上山高原の火入れ」のがあります。 そこを過ぎていくと、のある休憩した所に戻ってきます。 上山へ向かってから30分ほどで戻って来られました。 その少し先から旧牛道に入って、車を止めてきた駐車場へ向かって、元来た道を引き返していきます。
上山高原の火入れ
上山高原では、かつて牛の放牧のための牧草を維持するため、火入れを行ってきました。 火入れによって、古いススキが焼かれ、新しい芽吹きにつながります。 この火入れも草原の維持管理手法の1つとして利用できます。 早春の雪解け直後に火入れを行います。 火が延焼しないように周囲をあらかじめ刈り取っておき、風向きに気をつけながら火をつけます。
火入れは、全面積を一気に行うと生息している生き物を根絶やしにしてしまう可能性があるため、 順番に行い、生き物が避難出来る経路を確保しておきます。
保安林内では火入れは禁止されています。
 (上山高原)
網付場
緩やかな上山高原に続く広いを進んでいきます。 雑木林の森へ入って少し傾斜が増した尾根道を降っていくと、 「青下2.2km 海上・石橋4.0km」のが立っています。 標識を過ぎて、広くて緩やかなを淡々と進んでいきます。 やがて現れるを渡っていくと、分岐になった網付場に着きます。 海上林道から19分ほどの所になります。 海上地区石橋地区へ続くが左へ分かれていきますが、 「青下1.3km」の標識が指す正面の尾根道を進んでいきます。
木橋
軽く登って、「上山高原」のを過ぎていきます。 少し降って登り返していくと「旧草原界」のが立っています。 少し傾斜が増してきた道を降っていくと、大きく曲がっていきます。 その先を何度かジグザグに折れ曲がりながら降っていくと丸太の木橋が架かっています。 海上林道から27分ほどの所になります。
木橋を渡って、尾根の左肩に続くを進んでいきます。 ボードウォークが終わった少し先に、尾根が低くなったのような所があります。 そこを過ぎて尾根の右肩に続くようになった道を進んでいくと、「上山高原」の標識が立っています。
中ノ段
標識を過ぎて少し傾斜が増した道を降り始めると、 根元から幹が分かれるの所から右へ折れ曲がって斜面を降るようになります。 右・左と何度か折れ曲がりながら、雑木林のを降っていきます。 の袂にある「風穴」の標識を過ぎて、 植林地になった急な斜面を更に降っていきます。 が横たわる所を左へ曲がって降っていくと、 右への曲がり角に「中ノ段」の標識があります。 海上林道から37分ほどの所になります。
水場
植林地の急な斜面を右・左と折れ曲がりながら降っていきます。 少しの所を過ぎて更に降っていきます。 の脇を右へ曲がっていきます。 更に降っていくと、再びがあります。 その前を右へ曲がっていくと、頭を出す岩を見かけるようになります。 所々で石段も現れる斜面を降っていくと、上からパイプが引かれた水場が山際にある石段の所に着きます。 海上林道から48分ほどの所になります。
折れ曲がりながら斜面を更に降っていくと、少しに出ます。 を左へ曲がって植林地を更に降っていくと、左前方が明るくなった所に出ました。 樹間からはが少し見えました。
登山口
植林地を更に降っていくとが現れます。 竹林と植林地の間を降っていくと、「上山登山道」の標識が立つがあります。 人工的な石垣を過ぎて植林地を降っていきます。 植林地を抜けて短い夏草が茂る道を降っていくと、 のようなものがあります。 再び植林地に入って降っていくと、民家の裏にある登山口に降り立ちました。 海上林道から1時間2分ほどで降りて来られました。
青下地区
民家の脇に続く狭い舗装路を降っていくとに出ます。 左右にあるという鳴滝高丸の滝も気になりましたが、訪ねるのは又の機会にということにして、正面の坂を降っていきました。 少し右へ曲がりながら降っていくと、「高丸の滝・鳴滝」「上山高原」の標識があるに出ます。 左折して青下地区の集落を少し進んでいくと、車を止めておいた駐車場に着きます。