杉ヶ沢高原
概 要 杉ヶ沢高原は養父市にある標高770mほどの高原で、轟大根の畑が広がっています。 南側にある天滝を経て登るのが一般的なようですが、 今回は轟地区の集落を経て高原まで車で登り、高原をひと巡りするコースを歩きます。 ログハウスや俵石を訪ねてから天滝まで往復し、標高796.2mの三角点「轟野」を訪ねます。
起 点 養父市 轟地区
終 点 養父市 轟地区
轟地区…記念碑…杉ヶ沢便所…天滝臨時駐車場…ログハウス…俵石…俵石…天瀧三社大権現…天滝…766m峰…杉ヶ沢高原…天滝臨時駐車場…杉ヶ沢便所…記念碑…796.2m峰…轟地区
所要時間 2時間40分
歩いて... ログハウスまでは未舗装ながら広い林道が続いていました。 俵石を過ぎてかなり傾斜のある横木の階段を降って天滝に着くと、流れ落ちる水で辺りはヒンヤリとしていました。 天滝から引き返す時には、喘ぎながらの登りになりました。 高原の中ほどにある一本杉の周辺には背丈を超すススキが一面に生えていたので、訪ねるのは省略しました。
関連メモ 天滝, 天滝
コース紹介
轟地区
旧八鹿町の市街地から国道9号を西進し、関神社前交差点から県道87号に入っていきます。 出合幼児センターや関宮バスターミナルを過ぎていくと、「氷ノ山国際スキー場あと6km」の看板の出るがあります。 広い車道は右へ曲がって橋を渡っていきますが、正面の道を進んでいきます。 出合小学校跡にある「であいの里」を過ぎた所に、橋が架かるがあります。 角には標識が立っていて、左へ続く道は「杉ヶ沢高原5km・轟3km」となっています。 標識に従って左折して、狭い坂道を登っていきます。 轟地区の集落にあるを過ぎていくとがあります。 正面には標識が立っていて、右の道は「杉ヶ沢高原」、左の道は「大屋町」、今来た道は「出合」となっています。 標識に従って右の道を更に登っていくと金網柵があります。 そこを過ぎた所の路肩が広がっていて、車2・3台は止められそうな駐車スペースになっていたので、 ここに車を止めさせてもらいました。
記念碑
金網柵の先に続く舗装路を曲がりながら登って高原に出ると、「拓魂」のがあります。 「轟大根」の栽培農業を苦労して成功させた記念碑のようでした。 舗装路は右へ曲がっていきますが、 ここから正面に細いが、左にが分かれていきます。 正面の舗装路の先にはススキが茂っているのが見えたので、今回は左に続く未舗装路を進んでいきました。
拓魂
この古里びとたちは きびしい自然の 掟をこえて 大地の恵みを轟大根 に結晶させた
高原大根栽培二十周年記念
建立 轟大根生産出荷組合 組合員一同
文 関宮町長 和田幹夫
書 綿貫墨石
昭和62年11月
左に広がるを眺めながら緩やかに登っていくと、 畑が終わった辺りからが茂ってきました。 前日の雨で水溜まりも出来ていました。 そんな中を少し濡れながら進んでいくと、すぐにへ入っていきます。 道なりに右へ曲がっていくと、広くて歩きやすい道が続いていました。
杉ヶ沢便所
程なくして少しになってきます。 軽く左から右へ曲がりながら降って傾斜がに着くと、 左へ10mほど入った所にトイレがありました。 この先で見かけた道標によると「杉ヶ沢便所」というようです。 その道路向かいから広めの道がへ降っていました。 歩きやすそうな道で、一本杉の辺りへ出られそうに思えましたが、 先の方にはススキが茂っているようだったので、このままを軽く登っていきました。
天滝臨時駐車場
坂を登り終えて降っていくと、2部屋に仕切られた小屋の建つ所に着きました。 ここで道が左右に分かれています。 角にはが立っていて、は「俵石1.3km」「天滝2.0km」、 は「梅ヶ久保林道」「天谷・尾の谷線林道」、今来た道は「杉ヶ沢便所0.2km」「関宮町 轟」となっています。 右の道には小さな道標もあって、こちら面は「天滝まで1.2km」、裏面は「天滝臨時駐車場」となっていました。 左の道にも小さな道標があって、こちら面は「レストハウス天滝まで6.2km」、裏面は「天滝臨時駐車場」となっていました。 ここは小広くなった場所で、天滝臨時駐車場になっているようでした。 左の道は梅ヶ久保林道のようで、 レストハウス天滝から轟地区へ続く舗装路に出られるようですが、ここは右の道を進んでいきました。
「臨時」という言葉が気になりますが、 この時にはレストハウス天滝から天滝までの道が工事のために通行止めになっていたのと関係があるのでしょうか。
後日に梅ヶ久保林道を歩きました。 車一台が通れる未舗装路になっていました。 標識によると距離は1.4kmで、20数分で歩けました。 (ルート図に緑色で表示)
引き続き、広い道を緩やかに降っていきます。 降り傾斜が増してくると、された道になります。 少し左へ曲がりながら降って舗装が終わると、に着きます。 道の下にはが埋設されていて、小さな沢が流れていました。 谷筋を横切って左へ曲がる所までくると、山道が右の林へ分かれていきます。 角にはが立っていて、右の山道は「杉ヶ沢高原0.3km」、左へ曲がっていく広い道は「俵石1.1km」「天滝1.8km」、 今来た道は「梅ヶ久保林道」「天谷・尾の谷線林道」となっています。 また、小さな道標もあって、右の山道は「天滝1.0km」、今来た道は「天滝臨時駐車場0.2km」となっています。 天滝へは右の道の方が近道のようで、その先の方には道標も見えていますが、 今回は左へ曲がっていく広い道を進んでいきました。
ログハウス
緩く曲がりながら続くを進んでいきます。 右側の尾根が次第に下がってきて、どこでも歩けそうなが続くようになります。 そんな尾根の先端を右へ回り込んで降っていくと、しっかりとしたログハウスがあります。 記念碑「拓魂」から32分ほどで着きました。 この先で見かけた道標によると「森林浴の森 休憩所」というようです。 にはテーブル・ベンチが3組設置され、トイレも併設されていました。 これまで続いていた広い道はこのすぐ先で行き止まりになっていて、このログハウスへ来るための道のようでした。 周囲の樹木が伐採されていて、開けた感じの所です。 傍にはが立っていて、 右の森は「俵石0.5km」「天滝1.2km」、今来た道は「杉ヶ沢高原0.8km」となっています。
道標に従って右のへ入っていくと、不明瞭ながら広めの道が続いています。 「森林浴の森」と題した小鳥の絵が描かれたが道沿いに設置されているので、 それらを辿りながら奥へ進んでいきました。 この道で合っているのか不安になりながら進んでいくと、左前方にが現れます。 そちらへ向かっていくと道標が立っていて、その脇から続く横木の階段は「俵石0.3km」「天滝1.0km」、 今来た道は「森林浴の森 休憩所0.2km」「杉ヶ沢高原1.0km」となっています。
道標の脇から続く横木の階段を1分ほど登っていくと尾根の背に着きます。 手前には赤い「銃猟禁止区域」の標識が立っています。 そのすぐ先には青色の標識が立っていて、尾根を越えてその先へ降っていく横木の階段は「俵石・天滝」、 今登ってきた階段は「杉ヶ沢」となっています。
右へ曲がりながら続くを降っていきます。 階段は幅が広くて段差もそれほど高くはなくて、歩きやすくなっていました。 斜面を横切るようにして階段を降っていくと、浅い谷筋のような所に着きました。 中ほどの樹木の袂にはの板が置かれていて、左へ戻るようにして続く道は「俵石」、 今降ってきた階段は「杉ヶ沢高原」となっています。
クサリ柵が設置されるようになったを降っていきます。 右・左と何度か折れ曲がりながら続く階段を降っていくと、右へ曲がっていく角に道標が立っています。 右の階段は「天滝」、今降ってきた階段は「杉ヶ沢高原」となっています。 左にもがありますが、道標には何も示されてはいません。 俵石はいつ通過したのかと思っていると、左の踏み跡のすぐ先にそれらしい岩壁があったので、立ち寄っていきました。
俵石
狭くて傾いた踏み跡を注意しながら数10m進んでいくと、岩壁の下に着きました。 これが俵石のようでした。 ログハウスから12分ほどの所になります。 米俵のような形の岩が縦に幾つも積み重なるようになっていました。
俵石
手前の道標まで引き返して、その先に続く道を進んでいきます。 道標から1分半ほど進んでが設置されるようになると、 山側には、先ほどと同様の俵石がありました。 道のすぐ傍にあって全体が収まらないので、行き過ぎた所から振り返ってを写しておきました。
斜面を横切るようにして続く緩やかな降り坂を1分ほど進んでいくと、大木の傍に青色のがあって、 この先の道は「天滝」、今来た道は「杉ヶ沢」となっています。 水が少し流れるを横切っていくと、崩れかけた斜面を横切るように続く狭い所を過ぎていきます。 登り坂になってきた道を進んでいくと、次第にが低くなってきます。 に出て真っ直ぐ進んでいくと分岐があります。 最初の俵石から8分ほどの所になります。 道標と青色のが立っていて、左の道は「天滝」、右の道は「杉ヶ沢高原」、 今来た道は「俵石」「杉ヶ沢へ」「杉ヶ沢高原」となっています。 今回はここから右へ登っていくのですが、 その前に天滝まで往復すべく、を降っていきました。
すぐに折れ曲がりながら続く幅の広いを降るようになります。 次第に傾斜が増してくる階段を2分ほど降っていくとが設置されるようになります。 階段を更に降って、曲がり角にある小さな「天滝まで0.2km」「天滝臨時駐車場まで1.0km」を過ぎていくと、 根こそぎ倒れた大木が道を塞いでいました。 倒れてから月日が経つようで、脇に迂回路が出来ていました。
次第に滝の音が大きくなってくる斜面を折れ曲がりながら降っていくと、 樹間からが見えてきます。 クサリ柵が設置された横木の階段が終わると分岐があります。 分岐に道標類は見かけませんが、右へ戻るようにして降っていく小径は天滝のすぐ傍へ続いていますが、 先ずは、正面にある神社を訪ねていきました。
天瀧三社大権現
坂をひと登りして祠の脇に出るとが立っていて、今来た道は「俵石」「杉ヶ沢高原」となっています。 そこを過ぎて正面に回ると、「天瀧三社大権現」の祠があります。 杉ヶ沢高原への分岐から12分ほどで降りて来られました。 祠の中には白木の社が安置されていて、長瓏寺の由来などを書いた板が掲げられていました。
天滝「長瓏寺」の由来について
享保十二年(元禄時代)修理の時の棟札に、 恭しく思うに往古より天滝有りて、天滝の麓に三社権現社本地大聖不動明王あり、 元亀四年(室町時代)台風により神社破損、その後天正二年時分、谷蔵坊の願いにより為主社壇に造立。 年月を経て大破したので享保十二年丁未(ひのとひつじ)の春、村中の氏子の深甚なる願いに依り建立する。 泰照山長谷寺隠居、孝憧謹書。とある。 以後西谷青年団の協力を得て現社殿に修復された。 従って第一回目の修理、元亀四年より今年まで長瓏寺及び天滝三社大権現の起源は四百二十年以上である。
長瓏寺
古くより天滝の不動様といわれ長谷寺に統合されているが、不動堂には三社権現が祭られ、四月十一日に祭りが行われてきた。 この日、長谷寺では不動堂にお参りし、お経を上げる慣わしであった。 祭りの当日、二歳の子どもを背負って天滝にお参りすると、「カンの虫」に効くと共に健康と繁栄の神としてしたわれ、 近在から多くお参りがあり、現在では四月第二日曜日に続けられている。
お不動様(不動明王)
お不動様は密教の本尊「大日如来」様がもろもろの悪霊を調伏するために忿怒の形相をとって現れた姿をいう。 従ってカンの虫に良く効くと昔から言い伝えられてきた。
平成六年五月吉日 泰照山長谷寺
兵庫県養父郡大屋町筏区 天滝を生かす会
祠の前は鉄柵で囲まれていて「名勝 天瀧」と刻まれた石碑やベンチなどがありました。 脇には「天瀧 落差九十八メートル」と題した解説板もありました。 名前を記したものは見かけませんでしたが、情報によると天滝展望台というようです。 目の前には、切り立った岸壁を流れ落ちるが間近に見えていました。
天瀧 落差九十八メートル
天瀧は、県下最高峰の氷ノ山を源流に落差九八m(平成二年実測)と県下一を誇る名瀑で、 その名の通り天から降るかのように流れ落ちる雄大さから、平成二年には「日本の滝百選」に選定されています。 この天瀧は、古く「大和長谷寺縁起」や「役の行者本記」にも書かれ、 また、弘法大師が仏運興隆の地を求めて全国行脚した際、滝の霊気に打たれて、 「この地こそ仏陀の我に恵み給いし聖地」と、谷の数をかぞえたところ、千に一つ足らなかったため、 居を高野山に求めた−との伝説が残っています。 また、登山口からの渓谷沿いの遊歩道は、原生林に囲まれ「森林浴の森日本百選」にも選定されています。
 (大屋町、筏区、天滝を生かす会)
時は流れど、昔も今も変らぬものは、美しい水の流であろう。 自然の造形美−! それが天滝なのだ! この景観を、心の財産として、いつまでも大切にしようね。
 (兵庫登山会)
天滝
手前のまで引き返して、左の小径から天滝のすぐ傍へ向かいました。 僅かなを横切っていくと、天滝のすぐ下の岩場に着きます。 見上げると、切り立った岩壁の上から勢いよく水が流れ落ちていて、辺りにはヒンヤリとした空気が漂っていました。 滝を愛でながら少し休憩していきました。
天瀧三社大権現からレストラン天滝方面へ降る道は「天滝」, 「天滝」を参照)
天滝を堪能したら、来た道を引き返していきます。 降ってくる時には快調でしたが、登りになるとかなり傾斜を感じました。 が並んで生えている所まで来ると、パラパラと大きな音がしました。 何だろうと思っていると、上から大きなが幾つか落ちてきたのでした。 危うく当たりそうになりましたが、何とか難を逃れました。 折れ曲がりながら続く横木の階段を登っていくと、根こそぎ倒れた大木が道を塞いでいる所に着きました。
次第に蒸し暑さで汗が噴き出して息も切れてくるので、 何度も立ち止まって汗を拭い呼吸を整えながら、かなり傾斜のあるを登っていきました。 やがて傾斜が緩やかになってくると、俵石杉ヶ沢高原との分岐に戻ってきました。 天滝から16分ほどで登って来られました。 噴き出す汗を拭いたり水分補給したりしながら、ここでひと息入れていきました。
落ち着いたところで、「杉ヶ沢高原」の標識に従って、正面の斜面を進んでいきます。 緩やかに登っていくと、すぐにが現れます。 先ほどまでの階段と比べると傾斜が緩やかで楽勝だと思っていると、 右へ曲がって斜面をに登るようになると、次第に傾斜が増してきました。 また汗が噴き出て息も切れてくるので、ゆっくりと登っていきました。 少し左へ曲がり始めると、階段が終わって緩やかな所に着きました。
ホッとひと息つきながら進んでいくと、次第にが盛り上がってきます。 そこへ向かっていくと、再び横木の階段が始まります。 喘ぎながら階段を登っていくと、道端に小さなが立っていて、 この先の道は「天滝臨時駐車場まで0.7km」、今来た道は「天滝まで0.5km」となっています。 道標を過ぎて右へ曲がりながら登っていくとに出ます。 そこから、傾斜が緩んで広くて快適になった尾根を進んでいきます。
766m峰
軽く登っていくと小さなが立っていて、 この先の道は「天滝臨時駐車場まで0.6km」、今来た道は「天滝まで0.6km」となっています。 そこを過ぎていくと、伐採された樹木が幾つか横たわる所に着きました。 脇には赤い「銃猟禁止区域」の標識が立っていました。 他に標識類は見かけませんでしたが、ここが地形図に載っている766m峰でしょうか。
少し降り坂になった尾根を進んでいくと青色のが立っていて、 この先の道は「杉ヶ沢」、今来た道は「天滝」となっています。 そこを過ぎていくと、右上の僅かな高みへ登っていく道と、左下へ僅かに降っていく道の分岐があります。 脇には道標が立っていて、この先の道は「杉ヶ沢高原0.3km」、今来た道は「天滝0.7km」となっています。 小さな道標もあって「天滝臨時駐車場まで0.5km」となっていますが、 いずれもどちらの道を指しているのかよく分かりませんでした。 しっかりしているを歩こうかと思っていると、 左の先の方に青色の標識らしきものが見えたので、を進んでいきました。
僅かな高みの左側に続くを進んでいくと、 見えていた青色のものは、これまでと同様の「杉ヶ沢」「天滝」の標識でした。 少し左・右と曲がって降り坂になってきた道を進んでいくと分岐があります。 脇にはが立っていて、正面の道は「杉ヶ沢高原」、 右の道は「俵石1.2km」「天滝1.9km」、今来た道は「天滝0.8km」となっています。 右の道の先には広い道が見えていましたが、このまま正面の道を進んでいきました。
杉ヶ沢高原
少し降り坂になった道を左へ曲がりながら降っていくと、になってきます。 次第に夏草が茂るようになった道を進んでいくと、背丈を超すススキが一面に茂っていました。 足元を見ると、道らしきものは続いているようでした。 この先に広がる所が一本杉のある杉ヶ沢高原のようですが、今回は諦めて引き返すことにしました。
後日に一本杉の周辺を歩きました。 この少し先で小径が二手に分かれ、中ほどの湿地にあるの少し離れた所を経てその先で合流していました。 杉ヶ沢便所から西へ降る道は一本杉の東側の辺りに続いていました。 (ルート図に緑色で示しておきます)
往復2分半ほどで、道標の立つ手前のまで引き返してきます。 左側へ降っていくと、すぐに広い道に出ました。 ここはログハウスへ向かっていく手前にあった浅い谷筋の分岐でした。 俵石への分岐から18分ほどで着きました。 道標「梅ヶ久保林道」「天谷・尾の谷線林道」「天滝臨時駐車場0.2km」に従ってを横切り、 元来た道を引き返していきます。
天滝臨時駐車場
左へ曲がりながら続くコンクリート舗装された坂道を登っていきます。 少し右へ曲がって傾斜が緩やかになるとになります。 両側にススキが生える道を真っ直ぐに進んでいくと、梅ヶ久保林道との分岐にある天滝臨時駐車場に着きます。 道標「杉ヶ沢便所0.2km」「関宮町 轟」に従って、小屋の前から左へ続く広い道を進んでいきます。
記念碑
坂を登って軽く降っていくと、のある緩やかな所に着きます。 軽く曲がりながら登っていくと、森を抜けてが茂る所に出ます。 道なりに左へ曲がってススキの茂る所を過ぎて降っていくと、記念碑「拓魂」のある舗装路に戻ってきました。 ログハウスへ向かっていく手前の浅い谷筋から17分ほどで着きました。 これで散策を終えてもいいのですが、地形図に載っている796.2mの三角点を探しに出かけることにしました。
左に広がるを眺めながら、正面に続く坂道を登っていきます。 二つ並んだまで来ると、 その先から農道が分かれて左の畑地へ降っていきます。 その道は見送って、少し先の二つ並んだ作業小屋を過ぎて更に登っていくとに着きます。 降り坂になった舗装路を進んでいくと、左側にが見えてきます。 地形図によると、どうやらあの辺りに三角点がありそうに思えました。 坂を降り切ると、農道が左へ分かれていきます。
に入って、高みを巻くようにして進んでいきます。 前日の雨で水溜まりが出来ていましたが、何とか通過していきました。 右へ曲がりながら更に進んでいくと、小屋や温室のある所で、道は行き止まりになっていました。 どうしたものかと辺りを見回していると、右側にある小さなゴミ焼却炉のような所の後にがあり、 その上に出られそうだったので、登っていくことにしました。
796.2m峰
右へ曲がっていく踏み跡を登っていくと、すぐに草刈りされたに出ました。 そこから左へ曲がって、先に見える電柱を目指して農道を真っ直ぐ登っていくと、 僅かな高みを取り巻くに出ました。 左へ曲がって高みに沿って回り込んでいくと、 夏草が茂る所に3m四方ほどのコンクリート製の設備があるに着きました。 辺りを探してみると、設備の右側の草が茂る所に三等三角点「轟野」がありました。 ここが地形図に載っている796.2m峰になるようです。 周囲は広々とした大根畑の高原になっていて、奥の方にはも眺められました。
右からの周回路を合わせて左へ降っていくと、草が茂るコンクリート舗装されたになります。 緩やかになった所から右へ曲がって真っ直ぐ降っていくと、先ほどの舗装路に出ます。 振り返っての様子を確認してから、舗装路を右へ進んでいきます。
轟地区
三角点のある高みへ向かっていったを右へ分けていきます。 坂を越えて降っていくと、右の奥にはが見えました。 高原の景色を眺めながら舗装路を降っていくと、記念碑「拓魂」のあるに着きます。 往復26分ほどで戻って来られました。 記念碑を過ぎて道なりに左へ曲がっていくと、車を止めておいた駐車スペースに着きます。