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大河内地区
豊岡の市街地から国道426号を南下していきます。
出合交差点を右折していくと、登尾トンネルの手前から左へ旧国道が分かれていきます。
旧国道に入ったすぐの所に大河内集会所があります。
その前が駐車スペースのようになっていたので、ここに車を止めさせてもらいました。
集会所の右にはがあります。
中を覗ってみると仏像が幾つか安置されていましたが、名前などは分かりませんでした。
「廿一番 松風や…三…山…佛の…む」の額も掲げられていましたが、達筆すぎて読めませんでした。
お堂の右には、などが並んでいました。
災害に強い森づくり(里山防災林整備)〜県民緑税の活用〜
平成16年の台風災害を踏まえて、豊かな「緑」を次の世代に引き継いでいくため、
県民共通の財産である「緑」の保全・再生を社会全体で支え、
県民総参加で取り組む仕組みとして平成18年度から「県民緑税」を導入し、
防災面での機能強化を目的とした「災害に強い森づくり」を進めています。
整備内容
集落の裏山を対象にした森林整備に併せて、簡易防災施設(木柵・カゴ枠等)の整備を行い、里山の防災機能を高めます。
また人家裏にある危険な木を伐採し倒木の被害を防止します。
(兵庫県、豊岡市、(社)兵庫みどり公社)
但東町指定文化財 庚申塔
江戸時代 宝暦5年(1755)
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防護柵
小川に架かる橋の手前から左へ分かれていく道を見送っていきます。
右へ戻るようにして登っていく道も見送って、坂道を緩やかに登っていきます。
右の道に入った所に佇むを見送って、小川の上を過ぎていきます。
大きく右へ曲がっていく所まで来ると、小川沿いに道が左へ分かれていくがあります。
その道を見送って小川の上を過ぎていくと防護柵があります。
下をくぐっても行けそうでしたが、左の谷筋にはがあって、その手前に金網柵の扉があったので、
そこから向こう側へ抜けていきました。
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の集落を眺めながら旧国道を進んでいきます。
少し左へ曲がりながら進んでいくと、谷筋の奥にがあります。
その前を右へ曲がって、小規模な墓地や竹林を過ぎていきます。
左へ大きく曲がっていくと水利設備のようなものがありましたが、名前などは分かりませんでした。
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公園
道なりに少し曲がりながら進んでいくと、になってきます。
右側にある公園へ入っていく道が分かれているので、ちょいと立ち寄っていきました。
設置されてからそれほど年月が経っていない様子のベンチが幾つかある他は、何もない場所になっていました。
振り返るとも見える雰囲気の良い所です。
国道の付け替えに伴って利用されなくなったのでしょうか。
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車止めゲート
公園から旧国道に戻ってその先へ進み始めると、すぐの所に車止めゲートがあります。
錠前も取り付けられていて、自動車は通過できそうにありませんが、人が脇を抜けていくのには支障がありません。
ゲートを抜けて、その先の登り尾川に架かるを渡って、
右へ曲がりながら登っていきます。
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先ほどのを右下に眺めながら坂道を登っていきます。
道なりに左へ曲がっていくと、路肩が広がった所がありました。
右には深い谷があり、その向こう側にはが見えました。
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古道入口
景色を眺めながら旧国道を進んでいくと、を過ぎた所から右へ分かれていく道があります。
ここが旧登尾峠を越えていくの入口になります。
大河内集会所から28分ほどで着きました。
古道を歩き始める前に、左側に広がるなどの景色を眺めながらひと息入れていきました。
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落ち着いたところで、古道を歩いていきます。
最初は傾斜が急ですが、程なくしてになります。
へ降っていく道を分けて、尾根を回り込むように進んでいきます。
植林地の斜面を横切るように進んでいくと、
曲がり角に1m立方ほどのコンクリート製ののようなものがありました。
そこを右へ曲がって軽く登っていくと、左への曲がり角からへ道が分かれているようでしたが、
ここは左へ曲がっていく道を進んでいきました。
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テレビ用ケーブルが埋設された所を過ぎて、石がゴロゴロした道を進んでいきます。
右・左と曲がりながら緩やかに続く古道を登っていきます。
が設置された所を過ぎていくと、右の斜面には雑木林が広がっていました。
注意
この附近にテレビ用ケーブルを埋設しています。
掘削等には十分注意してください。
(テレビ共同受信施設組合)
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旧登尾峠
次第に右側の尾根が下がって峠が近づいた様子になると、樹間からが見えてきます。
植林地を抜けると、雑木の疎林になったの前に出ました。
左側にはが少し見えました。
尾根の左へ登っていく道らしきものがあって気になりましたが、右側の石垣が設置された所が旧登尾峠になります。
古道入口から18分ほどで登って来られました。
自動車が普及する前に使われていた道としては十分に広く、大八車も通行できたと思われる緩やかな道が続いていました。
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峠から尾根へ登っていこうとするのですが、石垣が続くばかりで、登れそうな所はありませんでした。
峠を抜けて京都府側に出ると、には笹などが茂るようになりました。
へ出てみると、を眺めることができました。
『さて、どこかに登れる所はないか』と探していると、峠を抜けたすぐの所に、何とか登れそうな所があったので、
そこから尾根に取り付くことにしました。
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木の根などに掴まりながら何とかを登って尾根の背に出ると、
右側にが続くようになります。
柵沿いに尾根を登っていくと、緩やかなで広いになってきます。
少し右へ曲がりながら進んでいくと、
右前方から登ってきて左へ横切っていく広いのようなものが現れました。
確かめた訳ではありませんが、峠を過ぎて古道を少し進んだ辺りから登って来られたのかも知れません。
その道を横切って、正面のこんもりとした高みへ登っていきます。
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尾根の肩
労せずしてに着くと、伐採地になった尾根の肩でした。
尾根に取り付いてから6分ほどで登って来られました。
北側には山並みが広がっていたので、景色を眺めながらひと休みしていきました。
ここからは右へ続くを進んでいきます。
夏から秋にかけてはススキなどが生い茂りそうな様子でしたが、この時はまだ芽吹いておらず、見通しは良くなっていました。
「生き物のすめる森復元」の標柱が立っていて、2003年に植樹が行われたようでした。
生き物のすめる森復元 実のなる木250本
2003年5月25日 総勢80名
但東町JBFA日本熊森林協会
協賛 西宮恵美寿ロータリークラブ
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小ピーク
落ち着いたところで、右に続く伐採地の尾根を進んでいきます。
何度も左側を振り返って、少しずつ見える角度が変わってくるを眺めながら進んでいきました。
程なくして登り傾斜が増してが迫ってくると、右側にもが広がるようになります。
の立つ山も見えていましたが、方角からすると南西にある633.3m峰でしょうか。
左右の景色を眺めながら尾根を登っていくと小ピークに着きました。
先ほどの尾根の肩の南東200m辺りにある標高510mほどの細長い高みになるようです。
何か目印はないかと周囲を覗っていると、「緑」の文字が書かれた赤短杭やがありました。
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尾根の肩
高みを過ぎていくと、僅かな降りになります。
正面の三国山方面の山並みの背後には、と思われる台形の山が聳えていました。
雑木の疎林を過ぎていくと、雑木林と植林地を分けるを登るようになります。
坂を登り切って、になった尾根を軽く登っていくと、開けたに着きます。
左側には山並みが広がっていました。
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小ピーク
少し右へ曲がって、植林地の縁に続くを登っていきます。
何度も振り返ってを眺めながら登っていきました。
少し傾斜が増した植林地の尾根を登っていくとに着きました。
最初の尾根の肩から19分ほどで登って来られました。
三国山の北東300m辺りにある標高540mほどの高みになるようです。
振り返ると、手前の樹木が少し邪魔をした山並みの眺めが広がっていました。
ここで尾根が二手に分かれていますが、地図と磁石で方角を確認して、南東の尾根を降っていきます。
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尾根の肩
かなり傾斜が急な植林地の尾根を2分ほど降ってに着くと、正面に急な尾根が現れます。
滑り落ちないよう注意しながら2分ほど登っていくと、次第に傾斜が緩やかになってきます。
尾根の上と思われる所に着いて、『ここが三国山か』と思いますが、標高550mほどの尾根の肩のようです。
三国山は、左の先へ続くをもう少し進んだ所になります。
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三国山 (標高577m)
雑木林の尾根を少し進んでいくと、軽く降るようになります。
に着いて、その先に見えているへ向かって登り返していきます。
雑木林の尾根を真っ直ぐ登っていくと、三国山の山頂に着きました。
手前の小ピークから10分ほど、旧登尾峠から40分ほどで登って来られました。
山頂には丹後スペースクラブ山岳研究部が設置した「三国岳577m」のが立っていました。
三国山の山頂は雑木林に囲まれていて展望は良くありません。
正面の樹間からは間近に三岳山が、北側の樹木が低くなった所からはが少し見えましたが、
青葉が茂る季節になるとほとんど見えなくなると思われます。
西から時計廻りに写した写真を載せておきます。
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三角点 (標高557.0m)
山頂の様子を確認したところで、三国山から下山していきます。
登ってきた道を引き返すのは面白くないので、地形図に破線で描かれている北側にある峠越えの道を降ろうと思って、
左へ続く尾根を進んでいきました。
軽く降ってに着いて登り返していきます。
1分ほど登っていくと、僅かにになります。
植林地になった尾根を少し左へ曲がり気味に進んでいきます。
登り坂になって僅かなを越えて、少し左へ曲がりながら降っていくと、
がありました。
三国山から7分ほどの所になります。
ここが地形図に載っている標高557.0mの地点になるようですが、何故だか山頂ではなくて降り尾根の途中にあります。
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三角点を過ぎてを2分ほど降っていくと、
右下すぐの所に並行するように(*)が接近してきます。
尾根の東側に沿うようにして続いていましたが、何処から来て何処へ向かう道なのかは分かりませんでした。
登り坂になって幅が広がってきた尾根を軽く登っていきます。
林道から少し離れるようにして登って標高550mほどの高みに着くと、左前方に尾根が現れます。
右へ曲がりながら続く尾根や林道は見送って、植林地になった左の尾根を降っていきます。
*後日に右の林道を歩きました。
(「 三国山」を参照)
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展望地
1分ちょっと降って右側が雑木林になると、僅かにが見えました。
軽く登ってに着いて、少し右へ曲がりながら植林地を降っていきます。
再び右側が雑木林になってきたを登り返していくと、左側が開けた展望地に着きます。
三角点から16分ほどの所になります。
左前方には、先ほども少し見えたが広がっていました。
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展望地の先の方に出てみると、右側の少し先から前方へ延びるが見えます。
その尾根を降るべく、右へ進んでいきます。
少し進んでいくと、尾根が二手に分かれています。
前方へ延びる尾根は見送って、左へ曲がっていくを降っていきます。
北へ向かってを降っていくと、左側の谷筋の奥には山並みが広がってきます。
谷筋は枯れた萱や幼木が生えているだけなので、労せずして降りて行けそうな様子でしたが、
地形図に載っている峠越えの破線の道を歩こうと思って、このまま尾根を進んでいきました。
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峠
正面に見える稜線を目指してを進んでいきます。
萱などが煩わしい所を過ぎていくと、雑木混じりの植林地になります。
そろそろ降りも終わりそうになると、植林地から雑木林に変わる手前で、尾根を横切っていく道に出ました。
ここが地形図に載っている破線の道が通るになるようです。
三国山から32分ほどで降りて来られました。
(*)やは落ち葉が積もってはいるものの、かなりしっかりとした様子でした。
かつては、大河内地区と西石地区を結ぶ峠越えの道だったのでしょうか。
このまま明瞭な道が続くようにと念じながら、大河内地区へ向かって左の道を降っていきました。
*後日に右の道を歩きました。
(「 三国山」を参照)
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谷筋
倒木があるものの初めのうちは明瞭な道になっていましたが、
右へ曲がる辺りから樹木が茂ったりして怪しくなってきました。
手前にあった歩きやすそうな所から谷筋を降った方が良かったかと思いながら進んでいきました。
道はを折れ曲がりながら谷筋へ降りていくようでした。
僅かなを辿りながら降っていきましたが、遂にその踏み跡も分からなくなりました。
しかし、谷底はすぐの所に見えているし枯れた萱があるばかりなので、
それほど苦労することもなく谷筋に降り立ちました。
を見上げると、やはり降りて来られそうな様子に見えました。
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林道終点
谷筋を3分半ほど降っていくと植林地に入っていきます。
その左側の方を降っていくと、右へ曲がっていくが現れました。
何か作業をするのか、真新しい木棒が幾つも置かれていました。
その小径を降っていくとが見えてきます。
小径はそのダムへ向かって続いていますが、往時の峠越えの道のルートでしょうか。
植林地が終わる辺りから小径と分かれて左へ進んでいくと、すぐに林道の終点に出ました。
植林地に入ってから5分ほど、峠から15分ほどで降りて来られました。
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砂防ダム
舗装された林道を進んでいくと、すぐに砂防ダムの脇を過ぎていきます。
取り付けられた銘板によると向ヶ谷川堰堤(第2号ダム)というようで、高さは9.5m、幅は45mあるようです。
広がった谷筋を眺めながら林道を降っていくと、のような所の先で、左右に通る林道に出ます。
左の谷筋にもが見えていましたが、右へ続く未舗装の林道を降っていきます。
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防護柵
に出て、小川に架かる橋を二つ渡った所から林道が右へ分かれています。
降ってきた谷筋のひとつ北側にある谷筋を登っていく道のようでした。
その道を見送って川沿いに降っていくと、右へ分かれていくがあります。
その道も見送って降っていきます。
民家が見えてくると防護柵がありますが、留め具を外して開けて通過していきました。
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民家が増えてきたを降っていきます。
花を咲かせた桜を愛でながら降っていくと、左側ののような建物のシャッターが開いていました。
中を覗ってみると、石仏などが沢山並んでいました。
由緒
乗寄隣保に大切に祀られていた十王像は江戸時代末に地元の松山勘左衛門が彫刻したもので、
乗寄隣保各家の繁栄と家内安全を祈願したものと伝えられていた。
平成16年10月20日、希有の大型台風23号の大水害により裏山の崩壊と共に土石流に巻込まれて、
昭和7年春再建されたお堂と共に十王像や他の木像と周辺の石仏庚申塔も増水した川の濁流の中に没した。
数日後、下流から奇跡的に発見された十王像一体と数個の石仏が集められ、
今回乗寄隣保の仮安置場に祀られた。
平成17年6月5日 庚申の日 乗寄隣保
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大河内地区
石仏群を過ぎていくと、すぐにに出ます。
最初に通過していった防護柵が左側にありますが、右へ続く元来た道を降っていきます。
谷筋に広がるなどを眺めながら降っていきます。
左へ登っていくを分けてその先に架かる橋を渡っていくと、
車を止めておいた大河内集会所に着きます。
林道終点から18分ほどで到着しました。
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