概 要 |
来日岳は豊岡市城崎町に聳える標高567mほどの山です。
山頂からは豊岡盆地や円山川などを一望できる眺めが広がります。
条件に恵まれると、素晴らしい雲海に出会うこともできます。
来日地区と湯島地区の奥から山頂までは道路が通っていて自動車で登ることも出来ますが、
今回は旧来からある登山道を歩いていきます。
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起 点 |
豊岡市城崎町 来日バス停
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終 点 |
豊岡市城崎町 来日バス停
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来日バス停…天望…304mの頭…中間点…八畳岩…来日岳…展望台…切通…女人堂…寺谷川…稲荷神社…観音禅寺…来日地区…地固め地蔵…来日バス停
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所要時間 |
4時間10分
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歩いて... |
天望の前後では雲海を見ることが出来ましたが、来日岳の山頂に着いた時には残念ながら既に消えていました。
登山道は広めになっていて、道々には沢山の石仏が佇んでいました。
山頂まで自動車で登れるので歩く人が少なくなったのか、降り道には落ち葉や枯れ枝などが積もっていました。
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関連メモ |
来日岳,
来日岳
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来日バス停
来日バス停の20mほど城崎温泉寄りに架かる小橋を渡った所から、
円山川へ流れ込む宮代川沿いの道が分かれています。
入口には「」の大きな看板が設置されています。
その前に「」の案内標識が立って、左の道を指しています。
今回はここから来日岳へ登っていきます。
来日岳は標高567mほどでそれほど高くはありませんが、
ここは海抜2mなので、山頂までの標高差は565mほどになります。
ここは来日岳の東側になりますが、何故だか「西登山口」という表記になっています。
来日岳西登山口
この先50m
標高567m 頂上まで健脚 1時間40分
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登山口
「←くるひだけへ」の標識の指す川沿いの簡易舗装路を進み始めると、
JR山陰線のが架かっています。
その下を過ぎていくと、すぐに未舗装路に変わります。
まだ夏草がかなり生えている田んぼ沿いの小道を真っ直ぐ進んでいきます。
2本並んで立つ電柱を過ぎていくと、右側に金網柵の扉が現れます。
その脇には「」の標識が立っていて、扉の向こう側に続く山道を指しています。
ここが来日岳への登山口になります。
先ほどの入口にあった看板では「この先50m」となっていましたが、それよりも距離があるようでした。
前後に設けられたレバーを回して扉を開けて、涸れ沢に架かる木板の橋を渡っていきます。
お願い
このガード及びガード防護工に自動車が衝突した場合は、
以下の※印のJR西日本緊急連絡先へ下に表示する番号とともにご連絡をお願い致します。
No.1302
Newいのしかクン
素手でさわらないで下さい!
(関西鉄工株式会社)
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95分標識
木橋を渡った左側に生える樹木の袂には「」の白塗りの標識が倒れていました。
そこを過ぎていくと、すぐの所にがふたつ並んでいました。
これから登っていく道は昔からよく歩かれてきたようで、山頂まで続く道に沿って沢山の石仏が佇んでいます。
石仏を過ぎて、少し右へ曲がりながら続く山道を登っていきます。
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88分標識
かなり傾斜のある道を曲がりながら、雑木林を登っていきます。
岩盤が剥き出している所には階段状に切れ込みが入れてあって、歩き易くなっていました。
道端に佇む石仏を眺めながら登っていくと、やがて植林地が現れます。
その縁に沿って登っていくと、
曲がり角に生える樹木の幹に「」の標識が括り付けられていました。
登山口から9分ほどの所になります。
「△」の中には「来日」と刻まれていたので、山頂までの時間を表しているようでした。
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植林地の縁に続く広めでしっかりとした道を、右・左と曲がりながら登っていきます。
枯れ枝や落ち葉が深く積もっている訳でもなくて分かり易いのは良いのですが、かなり傾斜があります。
次第に息が切れ脹脛が痛くなってくるので、何度も立ち止まって汗を拭い、呼吸を整えながら登っていきました。
道々に佇む石仏を確認しながら登っていきます。
地面から立ち昇る蒸気で森は少し霞んでいました。
こんな日は山頂から綺麗な雲海が望めるのですが、登り始めた時刻が遅かったこともあって、
山頂に着く頃には既に消えているだろうと思いながら登っていきました。
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呼吸を整えながら登山口から24分ほど登っていくと、樹木が低くなった所がありました。
振り返ると、樹木越しに雲海が広がっていました。
手前の樹木が少し邪魔しているのが難点でしたが、何とか雲海を見ることが出来ました。
いま山頂に立っているともっと広い範囲を眺められるのだろうと思うにつけ、出発が遅れたことを残念に思うのでした。
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天望
雲海を確認してその先へ登っていくと、「天望」と書かれた標柱が立っていました。
登山口から28分ほど登った所になります。
先には尖った岩が露出していて、その上に半分ほどに割れたがありました。
「天望」とは眺めが良い所という意味なのでしょうか。
周囲には樹木が茂っていて、展望は良くありませんでした。
それでも、これから向かうの山頂はかろうじて見えていました。
こうして見ると山頂まではまだかなり距離がありそうだと思いながら、先へと登っていきました。
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大きな岩ののような所を過ぎていきます。
天望からは岩が剥き出した道が暫く続きます。
そろそろの季節が始まるようで、色付き始めた木もありました。
振り返るとまだ雲海が見えていました。
先ほどとは少し方角が違うようでしたが、豊岡盆地方面でしょうか。
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304mの頭
両側に熊笹が茂るようになった道を登っていくと、
「」の白塗りの標識が立つ高みに着きました。
ここが地形図に載っている304m峰になるようです。
天望から6分ほど、登山口から35分ほどで登って来られました。
周囲には樹木が茂っていて展望は得られません。
傍にはがふたつ佇んでいました。
その隣りにも古びたがありました。
文字は掠れていましたが「304mの頭」と書かれているようだったので、以前に使われていた標識でしょうか。
この先からは暫く降り坂が続くようになります。
これまでかなり傾斜のある道を登ってきて疲れたので、ここでひと休みしようかと思いましたが、
腰を掛けるのに良さそうな所が見当たらなかったので、休憩せずに進んでいきました。
写真を撮っていると、後方から父子と思われる3人連れが登ってきました。
元気が良さそうで、私を追い抜いてサッサと先へ進んでいきました。
今回の散策で出会った唯一組のハイカーでした。
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雑木林の尾根を2分ほど降っていくと登り坂になってきますが、
304mの頭への登りに比べると緩やかになっていました。
僅かに登ったり降ったりしながら、広めでしっかりとした道が続いています。
引き続き石仏も沢山佇んでいました。
304mの頭から7分ほど進んでいくと、正面の樹間からの山頂が見える所がありました。
心なしか天望から眺めた時より少し近づいてきたように思えて、気持ちにも少し余裕が出てきました。
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中間点
シダ類が茂る所を降り、両側が切り立った馬の背のようになった尾根を進んでいきます。
やがて登り坂になってくると、道端に「」の白塗りの標識がありました。
304mの頭から13分ほど、登山口から50分ほどの所になります。
「来日岳来日口」の板が鎖で取り付けられていて、袂には「中間点」と書かれた大きめの板も落ちていました。
手元の地形図によると、304m峰と来日岳の中間にある標高250mほどの暗部の西縁になるようです。
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約30分標識
登り坂になってきた尾根道を進んでいきます。
7分ほど登っていくと、が露出した所が暫く続きます。
次第に傾斜が増してきて、また脹脛が痛くなってきました。
道端に佇む石仏群に励まされながら汗を拭き拭き登っていくと、「約30分 頂上へ」の白塗りの標柱が立っていました。
「中間点」の標識のあった所から15分ほどの所になります。
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18分標識
少し傾斜が緩んできた広い尾根道を、点々と佇んでいる石仏を眺めながら登っていきます。
大木に抱かれるようにして佇むを過ぎていくと、
地面の近くに「」の白塗りの標識がありました。
「約30分 頂上へ」の標識のあった所から8分ほどの所になります。
「△」の中には「来日」と刻まれていたかどうかは確認できませんでした。
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あと10分標識
引き続き、雑木林の尾根に広めの道が続いています。
道々に佇む石仏は1体だったり2体並んでいたりします。
道の中央方向を向いていたり下側を向いていたりと、様々な姿で佇んでいます。
そんな石仏群を眺めながら登っていくと、「」の白塗りの標識がありました。
「△18分」の標識のあった所から8分ほどの所になります。
目指す山頂はもうすぐだと分かって元気が出てきました。
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が始まった木々を眺めながら広い尾根道を登っていくと、左へ道が分かれていきます。
先ほどの「あと10分」の標識のあった所から6分ほど、
「中間点」の標識のあった所から37分ほどの所になります。
ここでは標識類を見かけませんでした。
目指す来日岳へは正面に続く尾根道を登っていきますが、
今回は左の道の先にある八畳岩を経ていくことにしました。
正面の道を2分ほど登っていくと展望台があり、更に1分ほど登ると来日岳の山頂に着きます。
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少し降り気味に続く道を進んでいきます。
道はこれまでよりも狭くなりますが、しっかりとして明瞭に続いていました。
僅かに登りになってきた道を進んでいくと、手前の分岐から2分弱で分岐があります。
ここでも標識類は見かけませんが、右の道は展望台へ、左の道は八畳岩へ続いています。
右前方から降ってきて左前方へ続く道は、山頂の南東部を巡る頂上林間周遊道になっています。
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八畳岩
降り坂になった道を1分ほど進んでいくと、小広くなった所に出ました。
その先に大きな岩が頭を出していました。
これが通称「」と呼ばれる梶掛岩になります。
「中間点」の標識のあった所から40分ほどで到着しました。
岩の手前には八方位を刻んだ六角柱の石があり、傍に「城崎町→」と記した杭もありました。
たき火・たばこに注意
(社団法人 兵庫県治山林道協会)
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高さ2mほどの岩の上に出てみると、右手の方には円山川が流れる豊岡盆地方面を見渡す素晴らしい眺めが広がっていましたが、
天望の前後で見えていた雲海は、残念ながら既に消えていました。
正面には来日地区と結地区を結ぶが、
左手の方にはも見えていました。
八畳岩の谷側の下には弘法大師と不動明王の石仏があるようですが、確認するのは省略しました。
後日に石仏を確認しました。
岩の両側から降りて行かれますが、いずれもかなりの傾斜があります。
左側から降っていくと、を過ぎた所にが二体ひっそりと佇んでいました。
(「 来日岳」,
「 来日岳」を参照)
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八畳岩からの眺めを楽しんだら、来日岳の山頂へ向かって、
小広くなった所の手前から右側に続く横木の階段を登っていきます。
少し登っていくと、左下に立つ電波塔が樹間から見えてきました。
雑木林の斜面を巻くようにして途切れながら続く横木の階段を4分ほど登っていくとに出ました。
この道路は来日地区や湯島地区の奥から続いていて、ここまで自動車で登ってくることが出来ます。
脇には「」の標識が立っていて、
「八畳岩〜展望台」となっていました。
振り返ると、電波塔の先には方面の眺めが広がっていました。
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来日岳 (標高566.7m)
右の先に見えているへ向かって進んでいくと、舗装路はすぐに終わって、未舗装路が二股に分かれています。
左側にはがありました。
右側の道は電波塔へ続いているので、先ずは左側の高みへ続く道を登っていきます。
発電設備を過ぎていくと、すぐに「」の標柱が立つ来日岳の山頂に着きました。
八畳岩から7分ほど、麓の登山口から1時間40分ほどで登って来られました。
山頂には「来日山」があり、14体のが出迎えてくれます。
みずをのまないでください
(城崎町)
ゴミは持ち帰りましょう
KEEP the earth clean
(環境庁、城崎町、山陰海岸国立公園環境整備促進協議会)
三角点
基本測量
大切にしましょう三角点
(国土地理院)
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来日岳の山頂からは小径が二手に分かれています。
左側の道には「」の白塗りの標識がありました。
展望台を経て、先ほど八畳岩へ分かれていった分岐へ続いていますが、
右側の下に見えている先ほどの未舗装路へ降りていきました。
広い道に降りると、左側にが立っていて、その隣奥には発電設備がありました。
この電波塔はNHKのになっています。
広い道は電波塔の先を左へ曲がった所で細い山道に変わり、山頂から降りてきた道と合流しています。
右側には穂を出したススキを前景にして円山川が流れる豊岡盆地を見下ろすことができました。
お昼にはまだ早かったのですが、脇に腰を掛けて昼食タイムにしました。
NHK城崎テレビ中継放送所
この放送所はNHK神戸放送局の放送を送り出しています。
ここの設備は自動化されていて、機械の状況を定期的に点検しています。
受信できる世帯は約16,500世帯です。
どうかここの設備をいためないようにお願いいたします。
設備のあらまし
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総合テレビ
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教育テレビ
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FM
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空中線形式
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6ヶ双ループ1段4面
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総合と共用
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2ヶ双ループ1段4面
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送信チャンネル
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50チャンネル
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52チャンネル
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83.9MHz
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送信出力
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100ワット
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100ワット
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10ワット
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非常用電源
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自家発電装置10KVA
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自家発電装置10KVA
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自家発電装置10KVA
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開局年月日
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昭和40年12月
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昭和40年12月
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昭和40年9月
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お気付きの点はNHK神戸放送局へご連絡下さい。
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来日岳から下山する前に、展望台を訪ねていくことにしました。
山頂にある「くるひぐち→」の標識が指す道を降っていきます。
電源設備の建物の脇を過ぎて広めの尾根道を1分ほど降っていくと、道の右側に展望台がありました。
下階はコンクリート製で、上階は木製になっていました。
建物の中にある階段を登っていくと、上階には木組みのが設けられていました。
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手前の樹木が邪魔をしていて豊岡盆地方面は見えませんでしたが、
左の方には日本海へ流れ込む円山川のを見下ろすことが出来ました。
津居山湾の周囲には、津居山港から港大橋を経て気比地区や田結地区なども良く見えていました。
奥の方には丹後半島の山々が横たわっているはずなのですが、この時は霞んでいて見えませんでした。
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展望台の前を過ぎていく道が尾根道から分かれています。
その道が頂上林間周遊道になるようなので、ちょいと確かめに歩いてみました。
途中で鋭く左へ曲がって、尾根道から八畳岩へ向かう途中にあった分岐へ続いていました。
今回歩いて確認したところ、来日岳の山頂付近の道は概ね左の図のようになっていました。
道を確認してから引き返し、八畳岩を含めて55分ほど居た来日岳の山頂部を後にして、
西南西へ続く広いを進んでいきました。
左の図は距離があまり正確に描けていないので、相対的な位置関係だけを参考にしてください。
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舗装路に沿って、広場のようななだらかなが続いています。
僅かに右へ曲がりながら緩やかに進んでいくと、ヘアピン状(*)に左へ折れ曲がっていきます。
次の曲がり角まで来ると、少し入った所に建設省のがありますが、入口は鉄柵で閉ざされていました。
*後で知ったのですが、曲がり角から旧来の 登山道が降っています。(「 来日岳」を参照)
建設省 来日無線中継所
施設の概要とお願い
この無線中継所は、建設省(国)が直接管理している一級河川「円山川」に関する工事、維持管理にとって必要な河川テレメータ・
移動無線施設等、各種通信の中継を行っています。
この無線局の施設に関しお気付きの点がありましたら管理者へ御連絡下さい。
所在地 |
兵庫県城崎郡城崎町来日字岳1918-2
東経 134度47分18秒
北緯 35度3分32秒
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管理者 |
豊岡市幸町10-3 近畿地方建設局 豊岡工事事務所
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(城崎郡城崎町は、2005年の近隣市町との合併により「豊岡市城崎町」になりました)
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降り口
来日無線中継所の前をヘアピン状に右へ曲がって少し進んでいくと、
左側の樹木が低くなって眺めが開けた所に出ます。
来日岳の山頂から9分ほど降った所になります。
蛇行して降っていく舗装路の奥の方には幾重にも重なるを見渡せる眺めが広がっていました。
良くは知らないのですが、矢次山や三川山から蘇武岳にかけての山々でしょうか。
夏草が茂っていて分かり難くなっていましたが、
白いガードレールが始まる手前から、幅の広いが左へ降っています。
標識類は見かけませんでしたが、ここが旧来からある登山道になります。
このまま舗装路を進んでも来日地区へ降りられますが、今回は左の階段を降っていきました。
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幅の広い横木の階段を降っていきます。
蛇行して近づいてくる舗装路の脇を過ぎていくと、降り口から1分ちょっとで緩やかな道になります。
土止め柵が設置された所を過ぎて広めの道を進んでいくと、道端に石仏が佇んでいました。
来日岳に登って行った道と同じように、この道でも石仏を幾つも見かけました。
来日地区まで続く舗装路があるので、今ではあまり歩かれていないのか、
登ってきた道よりも落ち葉や枯れ枝などが目立ちました。
それでも広めになった様子をみると、以前にはよく歩かれてきた道であることが感じられます。
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降り口から18分ほど降ってくると、が幾つも露出している所がありました。
そんな岩の上にもが佇んでいました。
岩を過ぎて下の方が明るくなってくると分岐があります。
降り口から21分ほど降った所になります。
右脇には石仏が佇んでいました。
左の道もしっかりとしていますが、少し降った先の伐採地で不明瞭になっているので、
ここは正面に続く道を降っていきます。
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切通
広い道を真っ直ぐ降っていくと、舗装路が通るの上に出ます。
道はその手前を左へ曲がっていきます。
壊れかけて不明瞭になった横木の階段を降っていくと、金網で補強されたの上に出ます。
山側には「」の白塗りの標識があって、今降ってきた道を指していました。
また石垣の下には「」の標識もありました。
階段状に石積みされた所を降っていくと舗装路に降り立ちました。
降り口から24分ほどで降りて来られました。
降り立った道は、来日岳の山頂から続いている舗装路になります。
右側には切通が見えていますが、左へ降っていきます。
山火事防止
緑を守ろう
(城崎町防火協会、豊岡消防署城崎分署)
(看板の「城崎町」の「町」の文字は消されていましたが、市町合併のためと思われます)
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広いを真っ直ぐに降っていきます。
右側には疎林が続いていますが立入禁止になっていました。
小屋を過ぎて右側が開けてくると、降り傾斜が少し増してきます。
切通のような所まで来ると、道は大きく右へ曲がっていきます。
道端に立つ電柱を過ぎた先からが左へ分かれています。
舗装路に降り立った所から4分ほどの所になります。
入口には「」の標識が立っていて、
脇には「」の白塗りの標識が倒れていました。
この道が先ほど降ってきた登山道の続きになります。
ここでも舗装路から分かれて山道を降っていきました。
立入禁止
このエリアは希少植物を保護していますので、青シデの大木群内の立入りを禁じます。
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女人堂
入口付近には夏草が茂っていましたが、すぐに分かり易い道になります。
石垣の脇を左へ曲がっていくと、僅かな水の流れが道を横切っています。
山側には小さな沢があって、心地よい水音を響かせていました。
そこを過ぎて植林地の斜面を横切るように進んでいくと、道端に石仏が佇んでいました。
その少し先にあるコンクリート製ののような物を過ぎていくと、
右へ曲がっていく角に女人堂がありました。
舗装路から4分半ほど降った所になります。
中には立膝をして頬杖をついたが安置されていました。
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植林地の斜面を曲がりながら降っていきます。
枯れ葉や枯れ枝がかなり積もって、今ではあまり歩かれていない様子ですが、広めで分かり易い道が続いていました。
大きな洞や苔むした大木などを眺めながら、次第に傾斜が増してくる道を降っていきます。
登ってくると息が切れそうな傾斜の所もありました。
の脇を過ぎて石ころが目立つようになると、
道に水が流れていて沢のようになっている所もありましたが、
それほど長くは続かず、すぐに歩き易い道になりました。
引き続き、道々にはが佇んでいます。
倒れているのが2体ほどあったので、台座の上に起こしておきました。
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寺谷川
やがて左側の下に谷筋が続くようになります。
更に降っていくと、右側のに降り立ちました。
緩やかになった道を道なりに進んでいくと、作業小屋の先で沿いの道に出ました。
これで山道は終わりになります。
女人堂から25分ほどで降りて来られました。
脇には「」の標識が倒れていて、今降ってきた道を指していました。
左へ100mほど進んだ所には第壹号堰堤がありますが、川沿いに続く道を右へ降っていきます。
(「第壹号堰堤」の「号」は、号偏に「乕」と書きます)
寺谷川砂防堰堤
砂防ダムに立入ったり貯水池で遊んではいけません。
危 あぶない 険
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稲荷神社
寺谷川に架かるの傍に佇む石仏を過ぎていくと、
右側にはや空地が広がってきました。
その先へ緩やかに降っていくと、木板の橋の向こう側に赤い鳥居と祠が見えたので、
ちょいと立ち寄っていきました。
橋を渡って鳥居をくぐっていくと、「」の扁額が掛る祠には小振りの社が納められていました。
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観音禅寺
稲荷神社を過ぎていくと「高峰山 観音禅寺」と刻まれた石柱が立っていたので、、ここでも立ち寄っていきました。
右へ曲がった先では祠に納められたが出迎えてくれました。
その先へ進んでいくと、石段を登った先に観音禅寺の本堂がありました。
右側には庫裡と思われる建物もありましたが、お寺の謂れなどを記したものは見かけませんでした。
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来日地区
民家が建ち並ぶようになった道を降っていきます。
この辺りの集落は来日地区になります。
道なりに左へ曲がりながら進んでいくと左右に通る道路に出ます。
そこを左へ曲がっていくと来日川沿いに出ました。
川向こうに咲く彼岸花などを眺めながら川沿いに進んでいくと、左側にはが広がってきました。
振り返ると、今回登ったが聳えていて、
山頂に幾つも立っているもよく見えていました。
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地固め地蔵
こんもりとした小山の所まで来ると、瓦屋根の祠がありました。
中には大小のお地蔵さんが安置されていました。
但馬六十六地蔵尊の第五十五番の地固め地蔵なのだそうです。
傍には題目石などの石碑が幾つか並んでいて、来日地区の文化財に関する解説板も立っていました。
小山へ続く石段もありましたが、鉄扉で閉ざされていました。
このすぐ先に架かる来日島橋という名前からすると、
ここにあるこんもりとした小山は来日島というのでしょうか。
以前はこの辺りまで水が来ていて、そこに浮かぶ小島だったのかも知れません。
但馬六十六地蔵尊 第五十五番御詠歌 来日
くるしいも なにもおもうて ひとぶねも めいどのつかい たつとしらずや
ただたのめ ぢぞうぼさつの ごせいがん くるひはごぜに ちかきよのひと
来日の文化財
雲光寺薬師如来像 |
雲光寺薬師堂の結跏趺座木彫薬師座像。
高さ115センチ、桧一本造。
台座裏に「長保三年九月八日恵心僧都源信之作也」と記されている。
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地固め地蔵 |
堂々辻の石地蔵。
高さ150センチ、厚さ25センチ。
但馬国地固め六十六地蔵のうちの第五十五番とされている。
宝暦頃の作と思われる。
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題目石 |
堂々辻に南面して立てられており、流紋岩質で高さ約2メートル。
表面に梵字と南無大師遍照金剛と刻み、寛永十三年丙子三月二十一日の文字があり、城崎町内でも古い方である。
今一つ、立屋には山腹の巨岩に南無妙法蓮華経と刻んだものがあり、これには元禄七年の文字がある。
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町石 |
雲光寺跡の入口にある石の舟形地蔵。
背面に享和改元六月造之とあり、下に十二丁と彫られている。
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白雲寺大般若経 |
現在数巻が雲光寺峰高氏に伝わっており、奥書に建久三年、建久四年等の文字があり、
町内でも最も古い部類に属する。
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盤珪禅師遺品 |
盤珪禅師は十七世紀に雲光寺の中興開山となった関係で、
雲光寺峰高氏には彼の書、趙州一処無の掛軸、彼の作という釈迦牟尼佛木像などの遺品が所蔵されている。
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梶掛岩 |
来日山頂付近にある巨岩で、その大きさから俗に八畳岩と呼ばれる。
上面平坦、下は洞窟状をなし、弘法大師、不動明王の石仏をまつる。
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千本搗き |
十二月一日伊勢講の午後に行われる民俗行事。
各戸から餅米小豆を持寄り、経3センチ、長さ120センチ位の樫棒4本を杵とし、
五人一組となり伊勢音頭に合わせて行うにぎやかな餅搗きである。
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来日ヤーチャ踊り |
五穀豊穣を祈ってのにぎやかな踊り。
三百年の伝統を誇るとともに、男女組合せの踊りは全国的にも珍しい。
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(来日区、豊岡市教育委員会)
但馬六十六地蔵尊
但馬地方を巡る総延長約175kmの道に祀られているお地蔵さんです。
新羅の王子の 天日槍(あめのひぼこ)が 但馬に渡来し、当時は泥海だった土地を開拓した際に、
泥が早く乾いて地面が固まるようにと祈願して祀られたようです。
1 香美町香住区七日市
2 新温泉町福富
3 新温泉町三谷
4 新温泉町井土
5 新温泉町金屋
6 新温泉町久斗山
7 香美町香住区大野
8 香美町香住区下岡
9 香美町香住区奥安木
10 香美町香住区相谷
11 豊岡市竹野町奥須井
12 豊岡市竹野町松本
13 豊岡市竹野町羽入
14 豊岡市竹野町林
15 豊岡市竹野町御又
16 豊岡市竹野町床瀬
17 豊岡市日高町太田
18 豊岡市日高町山宮
19 豊岡市日高町羽尻
20 豊岡市日高町田口
21 豊岡市日高町名色
22 豊岡市日高町稲葉
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23 豊岡市日高町山田
24 香美町村岡区長瀬
25 香美町村岡区味取
26 香美町村岡区和田
27 香美町村岡区村岡
28 香美町村岡区福岡
29 養父市関宮町福定
30 養父市関宮町関宮
31 養父市八鹿町高柳
32 養父市八鹿町馬瀬
33 養父市八鹿町天子
34 養父市稲津
35 養父市伊豆
36 養父市大屋町山路
37 養父市内山
38 朝来市桑市
39 朝来市生野町円山
40 朝来市柴
41 朝来市和田山町筒江
42 朝来市和田山町殿
43 朝来市和田山町枚田
44 朝来市和田山町玉置
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45 朝来市和田山町岡田
46 朝来市和田山町林垣
47 朝来市和田山町高田
48 養父市上薮崎
49 養父市八鹿町伊佐
50 養父市八鹿町浅間
51 豊岡市日高町浅倉
52 豊岡市日高町藤井
53 豊岡市佐野
54 豊岡市滝
55 豊岡市城崎町来日
56 豊岡市城崎町湯島
57 豊岡市津居山
58 豊岡市城崎町楽々浦
59 豊岡市城崎町結
60 豊岡市金剛寺
61 豊岡市下宮
62 豊岡市出石町奥小野
63 豊岡市但東町木村
64 豊岡市出石町寺坂
65 豊岡市出石町出石
66 豊岡市出石町奥山
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来日バス停
来日島橋を見送って来日川沿いに続く道を進んでいきます。
JR山陰線のを渡って更に川沿いに進んでいくと、
旧内川村役場跡の先にある県道3号のに出ます。
その左側すぐの所に来日バス停があります。
寺谷川が流れる谷筋に降り立った所から25分ほどで到着しました。
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