姫髪山
概 要 姫髪山は福知山市にある標高406.1m(点名:姫神)の山です。 南東側の斜面で大文字焼きが行われる山です。 山頂からの眺めは良くありませんが、東側の展望地からは山並みを見渡せる眺めが広がります。 長安寺からのルートを往復するのが一般的なようですが、 今回は姫髪山城跡がある南側の尾根から山頂に登って長安寺へ降るルートを周回します。
起 点 福知山市 和久寺地区
終 点 福知山市 和久寺地区
和久寺地区…登山口…姫髪山城跡…大岩…姫髪山…展望地…避難小屋…林道終点…林道起点…長安寺…和久寺地区
所要時間 2時間30分
歩いて... 南側の尾根は一般的は登山ルートではないようで標識類は見かけませんが、橙プラ杭の場所を示す桃テープが続いています。 樹木が茂り気味の所もありますが、行く手を阻むほどではありません。 広めの道や窪んだ道が見られる所もかなりあります。 しかし思いのほか傾斜が急な所が多く、何度も立ち止まって呼吸を整えながらスローペースで登りました。
関連メモ 姫髪山
コース紹介
和久寺地区
福知山市を通る国道9号の牧交差点から南下していきます。 岩井交差点を過ぎて降り坂になった先にある右折禁止の分岐を左から回り込むようにして降っていきます。 国道9号の下をくぐって西進していくと、登り坂になった所にがあります。 角には「長安寺」や「ショート観光コース 姫髪山(丹波大文字)」の標識があります。 標識に従ってしていきます。 姫髪山の南東側の斜面にあるを正面に眺めながら進んでいきます。 道の脇に建つを過ぎていきます。 程なくして「長安寺公園駐車場」の看板の出る所があるので、ここに車を止めさせて頂きます。
登山口
駐車場の脇にあるを登っていきます。 車止め鎖を過ぎていくと「下山古墳群」のがあります。 「」と「」が載っていて、 今回歩くルート上の小峰Aから247m峰にかけてが「姫髪山城跡」として描かれています。 すぐに道が三方へしていますが、一番左の地道を登っていきます。 すぐに防護柵に沿って続く広いになります。 右側の長安寺公園を眺めながら登って右へ曲がる所まで来ると、防護柵の扉があります。 駐車場から5分ほどの所になります。 ここが今回の登山口になります。 扉は開かれているので、ここから入っていきます。
下山古墳群
古墳 古墳時代 福知山市字和久寺
下山古墳群は、由良川の支流和久川の左岸に位置し、北側の山塊から南に伸びる樹枝状の丘陵にあり、 東西500m、南北500mの範囲に集中して総数100基を超える横穴式石室墳が営まれています。
昭和63年(1988)から5ヶ年にわたり30基の古墳が調査され、 古墳と古墳の間に小石室が作られていることが、当古墳群の特徴として注目されています。 全体的に低墳丘の古墳が多く、一見、木棺直葬系の埋葬施設を有するように見えますが、 発掘調査された古墳の全てが横穴式石室を有し、 未調査の古墳も石室部分の陥没が見られることから横穴式石室を埋葬施設とする古墳群であることが明らかとなっています。
墳形は方墳1基が確認された他は全て円墳で、墳丘規模は最大で径25mを測り、 径20m以上(4基)、10〜15m(21基)、10m以下(78基)のものに区分され、 径10m以下の小規模な古墳(小石室を含む)が全体の7割を占めます。
出土遺物は全体に少量で、須恵器が大半を占めます。 耳環、鉄刀、鉄鏃、玉類がわずかに出土し、須恵器は6世紀後半から7世紀前半を中心に7世紀中期頃までのものが出土しています。
古墳の築造は6世紀後半に始まり、7世紀中頃まで継続し、最盛期は7世紀前半になります。 石室は無袖構造のものが大半を占め、規模は6世紀代は巨大な石材を用いて大きく、その後、次第に縮小していきます。
小石室は古墳の位置関係などから7世紀前半に出現し、通常の石室墳の築造が停止した後に築造され、 7世紀中頃になると石室はさらに小型・簡略化し、天井石が架構されず、板材等による代用があったものと推定されます。
福知山市内には、牧正一古墳(牧)、奉安塚古墳(報恩寺)、向野西古墳群(向野)など多くの横穴式石室を持つ古墳がありますが、 概ね7世紀前半までに築造は終了しており、7世紀中頃まで築造を続ける下山古墳群は特異な例と言えます。 また、近接して古代寺院の和久寺廃寺が営まれ、近隣の半田遺跡を含む周辺一帯は天田郡衛の推定地となっていることから、 下山古墳群の被葬者は官人層とする可能性が想定され、古墳時代から奈良時代への律令社会へ変化する地域の様相を物語る遺跡です。
平成28年2月 福知山市教育委員会
扉を抜けて、1mほどのをよじ登っていきます。 広い斜面に出て何処を登れば良いのか探っていると、右へ続く防護柵の少し先にが取り付けられた樹木が見えます。 防護柵に沿って進んで桃テープが取り付けられた樹木まで来て、左へ続くを登っていきます。 斜面に明瞭な道はありませんが、下草は生えておらず樹木もそれほど密生していないので登るのに支障はありません。 しかし思いのほか傾斜が急なので、脇の樹木に手を掛けたりしながら登っていきます。 も見られますが、脇を通っていきます。 次第に尾根の背がはっきりしてくると、桃テープが巻かれた樹木の袂に「界」の赤プラ杭があります。 登山口から10分ほどの所になります。
姫髪山城跡
傾斜がもある尾根を登っていきます。 少しが見られる尾根を登っていきます。 先ほどの解説板に載っていた分布図によると、この辺りから姫髪山城跡になるようです。 傾斜が増してくる尾根を登って緩やかになると、標高200mほどのに着きます。 登山口から17分ほどの所になります。 周囲には樹木が茂っていて眺めは広がりません。 少し左へ曲がりながら軽く降って緩やかになると、先の方にのような急な所が現れて、「城跡」である雰囲気がしてきます。 脇の樹木に手を掛けながらよじ登って緩やかになると、小広くなった標高200mほどの小峰Bに着きます。 登山口から20分ほどの所になります。 ここも周囲に樹木が茂っていて眺めは広がりません。
尾根が左右に延びていますが、を降っていきます。 しばらく降っていくとに出ます。 鞍部の先へ尾根を登り返していくと、次第に傾斜がになります。 少し左へ曲がっていくとになります。 尾根には橙プラ杭が続くようになり、その場所を示していると思われる桃テープも見られます。 傾斜が緩やかになると、倒木が散乱気味の標高220mほどの小峰Cに着きます。 登山口から27分ほどの所になります。 ここも周囲に樹木が茂っていて眺めは広がりません。
抜かないで!
○大切な杭です御協力お願いします。
曲って降っていきます。 少し降っていくと緩やかなになります。 左前方に分かれていくがあって気になりますが、見送っていきます。 引き続き桃テープが見られるを登り返していきます。 程なくして、窪んだ道と明瞭な道との分岐に出ます。 登山口から31分ほどの所になります。 姫髪山城の主郭があったと思われる247m峰へは左の窪んだ道を登るようで気になりますが、 今回は立ち寄るのを省略して、巻き道になっている右の明瞭な道を進んでいきます。
尾根のを横切るように緩やかに続く道を進んでいきます。 ここにもが続いています。 尾根の背が近づいてくるとがあります。 右の道には桃テープが巻かれた木があって気になりますが、降り坂なので見送っていきます。 真っ直ぐ進んで浅い鞍部のようになった尾根の背に復帰すると、247m峰を巻き終えます。 登山口から35分ほどの所になります。
尾根の背を進み始めて登り坂になると、少しのようになります。 駐車場の傍にあった解説板に載っていた分布図によると、この辺りまでが姫髪山城跡のようです。 尾根のを通ったりしなら登っていきます。 程なくして、窪んだ道と広めの道のがあります。 どちらを進んでも少し先で合流するので、少しでも歩き易そうに思える右の道を進んでいきます。 程なくして分かれてきた道と合流して、尾根のを通ったりしながら広めの道を登っていきます。 尾根の背に出て登っていくとまた道が分岐していますが、すぐ先で合流します。
次第にが増してきて、右・左と曲がりながら窪んだ道を登るようになります。 所々に取り付けられているを確認しながら登っていきます。 曲がりながら更に登っていくと、次第に尾根のを進むようになります。 少し登っていくと傾斜がになります。 右側すぐの所には、緩やかでピーク感のない標高310mほどの小峰Dがあります。 登山口から50分ほどの所になります。 何かあるのか気になりますが、確かめるのは省略します。
大岩
右の尾根が低くなってくると、は不明瞭になります。 明瞭な道は見られませんが、高低差のほとんどないに復帰して進んでいきます。 軽く降っていくと、植林地のになります。 すぐにになります。 桃テープも続いていて安心ですが、思いのほか傾斜が急なので、何度も立ち止まって呼吸を整えながらゆっくり登っていきます。 雑木林に変わる急な尾根を頑張って登っていくと、次第にが目立つようになります。 程なくして左側に大岩が現れます。 登山口から1時間3分ほどの所になります。 情報によると近くに役行者像があるようですが、探すのは省略しました。
の右側を登っていきます。 大岩の上のに出て登っていきます。 が続くので、脇の樹木に手を掛けたりしながら登っていきます。 頑張って登っていくと、踊り場にような緩やかな所に出ます。 登山口から1時間10分ほどの所になります。
脇の樹木に手を掛けながら登って緩やかになると、 僅かに窪んだのような所があります。 急な尾根を更に登って傾斜が弛んでくるとが見えてきます。 気を取り直して、近づいてくるへ向かって登っていきます。 倒木が見えてくると、左右に延びる稜線に登り着きます。 登山口から1時間18分ほどで登って来られました。
姫髪山(標高406.1m)
左へ続くを軽く登っていきます。 1分もかからずに小広くなったの山頂に着きます。 中ほどには三等三角点「姫神」があるので、地形図に載っている406.1m峰になるようです。 傍の樹木には「姫髪山406m」の標識が取り付けられています。 別の樹木にもが取り付けられていますが、退色していて文字は判読できません。 周囲には樹木が茂っていて、残念ながら眺めは広がりません。
展望地
山頂の様子を確認したら、を引き返していきます。 稜線に登り着いた所まで戻ってくると、左前方にが見えます。 少し左へ曲がりながら軽く降っていくとに出ます。 姫髪山から2分ほどの所になります。 丹波大文字の送り火が行われる斜面の上になりますが、金網柵(*)が設置されて火床には入れないようになっています。 右側に眺めが広がる展望地になっています。 中ほどに置かれている具合の良いに腰かけて、景色を眺めながら休憩していきます。
車を止めてきた長安寺公園駐車場の傍にあるも良く見えます。
*以前に来た時にはロープ柵でしたが、その時のがまだ残されています。
トラロープより下側には降りない様にして下さい。
大文字保存会
落ち着いたところで、展望地の先から右へ曲っていくに沿って降っていきます。 以前に来た時には自然木の階段が続いていましたが、 この時にはコンクリートブロックを縦に埋めた階段になっていました。 少し降っていくとが続くようになります。 写真では良く分かりませんが傾斜がかなり急なので、ロープに掴まりながら階段を降っていきます。 トラロープが終わった先へ降っていくと、に「進入禁止」の看板が出ています。 右側にある丹波大文字の火床の先にはが広がります。 道なりに左へ曲がると分岐があります。 緩やかに続く左の道を進んでしまいそうになりますが、右へ曲って続くコンクリートブロックの階段を降っていきます。
すぐに右へ曲って、を迂回するように曲がりながら続く階段を降っていきます。 斜面を斜めに降っていくと、またに「進入禁止」の看板が取り付けられた所に出ます。 防護柵の先にはの小径が続いています。 道なりに左へ曲がると階段が終わって、を横切るように続く道を進んでいきます。 程なくしてまたコンクリートブロックの階段が現れます。
これより先は、山肌が荒れるため進入禁止です。 右方の登山道を登って下さい。
大文字保存会
避難小屋
左・右と曲がりながら続くを降っていきます。 するように曲がりながら降っていきます。 曲がりながら続くを更に降っていきます。 植林地の尾根に入っていくとが続くようになります。 トラロープや階段が終わって緩やかで明るい尾根に出ると、三角屋根の避難小屋があります。 展望地から11分ほどの所になります。 右側にはが広がります。
ひと息入れてから、右へ戻るように続くを降っていきます。 すぐに左へ曲がって、を横切るように降っていきます。 雑木林の手前まで来て右へ曲っていくとに入っていきます。 トラロープが張られた所を左へ曲がっていきます。 トラロープが終わった先を曲がりながら更に降っていくと、左への曲がり角からまたが張られています。 すぐに右へ曲って、シダ類が少し見られるようになる植林地を降っていきます。
林道終点
それほど煩わしくないが茂る道を降っていくと左へ曲がっていきます。 少し先を右へ曲っていくと、左の樹間の先にのような所が見えます。 植林地の浅い谷筋に曲がりながら続くを更に降っていきます。 下の方にが見えてくると、小刻みに左・右と曲がっていきます。 程なくして、林道終点に出ます。 避難小屋から16分ほど、合わせて14回ほど曲がりながら降りて来られました。 右側には丹波大文字用の資材を運ぶためと思われるモノレールの始点があって、乗り物は小屋の中に格納されているようです。 左側にも小屋がありますが施錠されています。
林道起点
緩やかな林道を降り始めると、程なくして僅かなのような所を過ぎていきます。 右へ曲りながら降って僅かな谷筋を回り込む所まで来ると、向こう側を向いたが立っていて、右へ戻るように登っていく道があります。 の入口にある標識(*1)は「秦運公のえい歯碑(この上20米)」となっていて、 40mほど登っていくと石碑(*2)がありますが、立ち寄るのは省略します。 しばらく降っていくと、小さく左・右とに折れ曲がっていきます。 左の樹間に長安寺の墓地を眺めながら降っていくと、斜めに延びるに出ます。 角には「登山道→秦運公 えい歯碑」の標識が立っていて、今降ってきた道を指しています。 左へ折れ曲がって降っていくと、すぐの所に防護扉があります。 林道終点から11分ほどの所になります。 ここを林道起点としておきます。 フックが取り付けられた棒を金網に掛けるだけの簡単な構造なので容易に開けられます。
*1 「えい歯碑」の「えい」は「土中に埋めかくす」という意味の漢字ですが、 環境依存文字のため平仮名で表記しておきます。(以降の記載でも同様)
*2 石碑への道は「姫髪山」を参照。
姫髪山へ登られる方へお願い
鹿よけ扉を開けて登山して下さい。 下山の時は扉を閉めて下さい。 ご協力をおねがいします。
長安寺
長安寺
防護扉を過ぎると、すぐに長安寺の脇に出ます。 第二駐車場への道が左へ戻るように分かれていきますが、見送っていきます。 前方へ続く坂道を降っていくと、左側にがあります。 車を止めてきた長安寺公園駐車場へは正面の道の方が近道ですが、左の駐車場の先にあるを訪ねていきます。 薬師堂弁財天堂などを過ぎていくと大方丈があります。 長安寺は「福知山十景」に選ばれていて、「丹波のもみじ寺」としても広く知られているようです。 手水舎の傍には「」があります。 山門をくぐって石段を降り、右側の地蔵堂の前から更に石段を降っていくと、 駐車場があった所から分かれてきたに出ます。
長安寺 福知山市指定文化財
石造五輪塔 一基
絹本著色仏涅槃図 一基
木造薬師如来立像 一基
木造薬師如来坐像 一基
長安寺は往古真言宗の鎮護道場として栄え増したが西暦1530年頃に禅寺となり、現在は臨済宗南禅寺派に属しています。 この寺には数多くの宝物があり、そのうち四件が市の指定文化財になっています。 そのうち開山堂の裏にある石造五輪塔は、福知山市初代城主杉原家次の墓で、市内で最も大きいものです。 また絹本著色仏涅槃図は、市内の涅槃図の中でも最も古い様式のものであり、室町時代の優品です。 二躰の木造薬師如来像のうち立像は、一本造で表現が著しく肥満した重厚で地方色豊かなものであり、 平安時代前期の作とみられ市内で最も古い仏像のひとつです。 また坐像は、寄木造で中央色豊かなものであり、平安時代末期の作と思われます。
福知山市教育委員会
福知山十景 長安寺
臨済宗南禅寺派の禅宗寺院。 境内には四季折々の景観と枯山水の庭があり、特に秋には紅葉は見事で「丹波のもみじ寺」として広く知られています。 背後の姫髪山は「丹波大文字」で有名です。
【福知山十景めぐり】  大原神社と産屋 〜約23km〜 福知山城と福知山通り 〜約1km〜 由良川と音無瀬橋と花火大会 〜約10km〜 天寧寺 〜約25km〜 小倉の玄武岩 〜約23km〜 長安寺 〜約7km〜 三段池公園 〜約1km〜 元伊勢三社(外宮〜約3km〜内宮〜約0.4km〜天岩) 〜約5km〜 二瀬川渓流 〜約6km〜 大江山連峰・ブナの原生林・雲海
福知山市観光振興課
和久寺地区
左側にあるの前には、 「長安寺 由緒」が書かれた看板と「」の案内図があります。 右へ曲って軽く降っていくと、左右にが立つ所から長安寺を出ていきます。 右側には先ほどと同様の「」があります。 左側にはがあって、その前が砂利敷の駐車場になっています。 正面の車道を真っ直ぐ降っていくと、展望地からも見えていたが左側にあります。 大正池を過ぎると、車を止めておいた長安寺公園駐車場があります。 林道起点から18分ほどで到着しました。
長安寺 由緒
今をさかのぼる1400年前、第31代用明天皇の第3王子、麻呂子親王(聖徳太子実弟)が勅命によって丹波の国大江山に棲む鬼賊征伐の途次、 戦勝祈願のため薬師如来像を刻みこの地に奉祀され、この薬師如来を信仰し続けて当寺の沿革が始まった。
平安時代末期になり、薬師如来を本尊となし真言宗の鎮護道場として金剛山善光寺の創建となる。 25ヶ寺の坊を有し、三重の塔、諸堂完備し中世に栄えていたが、応永年間(1394)火災にかかり諸堂ことごとく消失した。
時代は下って文明6年(1474)夢窓国師の法嗣悦堂禅師が諸国巡錫の際、七堂伽藍を再建し、禅宗に改め瑞鳳山長安寺と改称した。
その後も戦乱時代が続き、再三消失し、天文13年これを嘆かれた福知山初代城主、杉原家次公(豊太閤の正妻寧子の方の伯父)の帰依により、 眼光恵透禅師が入山し、山号を医王山と改め再々創建された。 薬師如来は安泰であり、別に一堂を建てて安置し、薬師如来は広く瑠璃光を放ち、深く衆生に加護を垂れて来た。 又寺内には諸堂完備し、杉原家次公の塔所、開山堂、弁天堂、観音堂、重森完途氏作の四十九灯薬師三尊庭園、心経堂、等々が建立され、 現在臨済宗南禅寺派別格地となっている。 境内には私立長安寺公園があり、市民の盛んな信仰と遊園の地で親しまれ、 春は桜、特に秋の紅葉の名所として見頃の11月上、中旬頃は、孝雄、箕面に優る美しさを誇り、「丹波のもみじ寺」として知られている。
(長安寺史より)