下山古墳群
古墳 古墳時代 福知山市字和久寺
下山古墳群は、由良川の支流和久川の左岸に位置し、北側の山塊から南に伸びる樹枝状の丘陵にあり、
東西500m、南北500mの範囲に集中して総数100基を超える横穴式石室墳が営まれています。
昭和63年(1988)から5ヶ年にわたり30基の古墳が調査され、
古墳と古墳の間に小石室が作られていることが、当古墳群の特徴として注目されています。
全体的に低墳丘の古墳が多く、一見、木棺直葬系の埋葬施設を有するように見えますが、
発掘調査された古墳の全てが横穴式石室を有し、
未調査の古墳も石室部分の陥没が見られることから横穴式石室を埋葬施設とする古墳群であることが明らかとなっています。
墳形は方墳1基が確認された他は全て円墳で、墳丘規模は最大で径25mを測り、
径20m以上(4基)、10〜15m(21基)、10m以下(78基)のものに区分され、
径10m以下の小規模な古墳(小石室を含む)が全体の7割を占めます。
出土遺物は全体に少量で、須恵器が大半を占めます。
耳環、鉄刀、鉄鏃、玉類がわずかに出土し、須恵器は6世紀後半から7世紀前半を中心に7世紀中期頃までのものが出土しています。
古墳の築造は6世紀後半に始まり、7世紀中頃まで継続し、最盛期は7世紀前半になります。
石室は無袖構造のものが大半を占め、規模は6世紀代は巨大な石材を用いて大きく、その後、次第に縮小していきます。
小石室は古墳の位置関係などから7世紀前半に出現し、通常の石室墳の築造が停止した後に築造され、
7世紀中頃になると石室はさらに小型・簡略化し、天井石が架構されず、板材等による代用があったものと推定されます。
福知山市内には、牧正一古墳(牧)、奉安塚古墳(報恩寺)、向野西古墳群(向野)など多くの横穴式石室を持つ古墳がありますが、
概ね7世紀前半までに築造は終了しており、7世紀中頃まで築造を続ける下山古墳群は特異な例と言えます。
また、近接して古代寺院の和久寺廃寺が営まれ、近隣の半田遺跡を含む周辺一帯は天田郡衛の推定地となっていることから、
下山古墳群の被葬者は官人層とする可能性が想定され、古墳時代から奈良時代への律令社会へ変化する地域の様相を物語る遺跡です。
平成28年2月 福知山市教育委員会