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高屋地区
JR山陰本線の豊岡駅の南側に架かる正法寺大橋を渡り、国道426号を横切って西進していきます。
信号機のある五叉路に出て左前方の道を進んでいくと、
「豊岡斎場」の看板が出るがあります。
分岐の左側の道の路肩が広がっているので、ここに車を止めさせて頂きます。
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峠道入口
手前の分岐の(車で来た向きには右側)を進んでいきます。
すぐの所に、小さながあります。
軽いで続く車道を進んでいきます。
少し進んでいくと、車道は鋭角に曲がっていきます。
夏草が茂っていて分り難くなっていますが、曲がり角に立つカーブミラーの袂から地道が続いています。
ここが地形図に実線で載っている峠道の入口になります。
駐車地から2分ほどの所になります。
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夏草が茂るに入っていくと道が泥濘んでいるので、靴を置く所を探しながら通過していきます。
程なくして泥濘みはなくなり、広めのになります。
僅かな段差を越えて緩やかで小広い所に出ると、谷筋がに分かれています。
左の谷筋に桃テープが巻かれた樹木があって、真ん中の尾根の左斜面に道が続いているので進んでいきます。
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峠A
右・左と曲がって、尾根のに続く道を登っていきます。
を回り込むように左へ曲がっていきます。
道には「地籍調査」の赤頭短杭や「図根点」の黄頭短杭が続いています。
次第にが目立つようになりますが、くぐったり跨いだりしながら通過していきます。
断続的に続く倒木群を通過して峠が見えてくると、
桃テープが巻かれた樹木がある辺りからに登れそうな様子です。
正面に続く深く窪んでくる道を登っていくと、標高100mほどの所にある切通になった峠Aに着きます。
峠道入口から8分ほどの所になります。
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地形図の実線で載っているは先へ降っていきますが、
道はすぐに不明瞭になって、泥濘んだ谷筋になります。
は切り立った崖になっています。
も切り立った崖になっていて登れそうにありません。
手前で見つけていた所から登るべく、来たを引き返していきます。
桃テープが巻かれた樹木まで戻って、左側の尾根を登っていきます。
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斜面に続く広めのを辿って登っていきます。
少し右へ曲りながら登って緩やかになると、尾根の背にあるに出ます。
緩やかで広めの道が正面に続いていて気になりますが、ここはを登っていきます。
に明瞭な道はありません。
樹木も茂っていますが、藪漕ぎするほどではないので助かります。
思いのほか傾斜が急なので、適度に生える樹木に手を掛けたりしながら登っていきます。
歩き易そうな所を選びながら登っていくと、標高120mほどの小峰Aに着きます。
峠Aから8分ほどの所になります。
中ほどには「地籍調査」の赤頭短杭があります。
周囲には樹木が茂っていて眺めは広がりません。
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127.9m峰
尾根は左右に延びていますが、を軽く降っていきます。
緩やかになった所から登り返していくと、標高120mほどのに着きます。
少し降っていくとになります。
次第に登り坂になる尾根を進んでいくと、樹木が茂り気味の高みに着きます。
峠Aから13分ほどの所になります。
中ほどには「岩井」があるので、地形図に載っている127.9m峰になるようです。
傍には「地籍調査」の赤頭短杭もあります。
周囲には樹木が茂っていて、残念ながらは広がりません。
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尾根が二手に分かれていますが、北西へ続くを降っていきます。
少し降って緩やかになると、右の樹間に僅かにが見えます。
少し進んでいくとになります。
尾根には「地籍調査」の赤頭短杭や「図根多角」の黄頭短杭が続いています。
少し左へ曲がりながら降っていくとに着きます。
右へ曲りながら登っていくと、標高110mほどの小峰Cに着きます。
127.9m峰から5分ほどの所になります。
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少し曲って降っていきます。
左の樹間には山並みが見えますが、方角からするとでしょうか。
しばらく降っていくとに着きます。
見えてくる高みへ向かって、を登り返していきます。
傾斜が緩やかになると、標高100mほどの小峰Dに着きます。
127.9m峰から10分ほどの所になります。
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軽いになる尾根を進んでいきます。
歩き易いを快調に進んでいきます。
右側の樹木が低くなったを進んでいきます。
僅かにを過ぎて軽く登っていきます。
傾斜が緩やかになると、標高90mほどの尾根の肩のような所に着きます。
127.9m峰から14分ほどの所になります。
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少し左へ曲がっていくとになります。
軽く登る所もあるで続く尾根を進んでいきます。
僅かな高みを過ぎると、軽いになります。
程なくして堀切のように窪んだ所に着きます。
127.9m峰から20分ほどの所になります。
には広い踏み跡が見られます。
も歩けそうな様子ですが、以前には尾根越えの道が通っていたのでしょうか。
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を登り返していきます。
が少し見られますが乗り越えていきます。
登り傾斜が増し始めて高みが近づいてくると、のような踏み跡が左斜面に現れます。
近道のように思えますが、高みを経ていくべく正面の尾根の背を登っていきます。
真っ直ぐ登っていくと、標高90mほどの高みに着きます。
127.9m峰から24分ほどの所になります。
尾根が左右に延びていますが、を降っていきます。
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少し降っていくとに着きます。
軽い登り坂になる尾根を進んでいくと、次第にが混じるようになります。
倒木や倒竹が見られる尾根を登っていくと僅かなに着きます。
中ほどには「地籍調査」の赤頭石杭があります。
益々竹が増えて竹林になる尾根を降っていくと、標高90mほどの鞍部に着きます。
127.9m峰から30分ほどの所になります。
には踏み跡が見られます。
も歩けそうな様子ですが、
ここにも尾根越えの道が通っていたのでしょうか。
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93.7m峰
倒竹が煩わしいを登り返していきます。
密度が高くて歩き難いを登っていくと、次第に竹が減ってきて歩き易くなります。
近づいてくるへ向かって尾根を登っていきます。
竹を見かけなくなると高みに着きます。
127.9m峰から34分ほどで歩いて来られました。
少し左側には「口岩井」があるので、地形図に載っている93.7m峰になるようです。
欠けた所のない綺麗な標石です。
周囲には樹木が茂っていて、残念ながらここも眺めは広がりません。
三角点
基本測量
大切にしましょう三角点
国土地理院
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尾根が二手に分かれていますが、を降っていきます。
軽い降り坂で続く尾根を曲りながら進んでいきます。
程なくしてのような急傾斜の所があります。
脇の樹木に手を掛けながら降っていくとに出ます。
またある切岸のような急な所を降っていくと、また平坦地に出ます。
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峠B
何段かある切岸のような所を過ぎていくと、左へ戻るように続くがあります。
左へ曲がって、急斜面を横切るように続くを降っていきます。
脇の木などに掴まりながら降っていくと、すぐにに降り立ちます。
峠道をひと登りすると、標高60mほどの峠Bに着きます。
93.7m峰から7分ほどで降りて来られました。
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は急な崖になっています。
の崖には登れそうな広い道のようなものが見られます。
が明るくなっているので、ちょいと立ち寄っていきます。
地形図に実線で載っている道が左右に続く明るい所に出ると山並みが広がります。
左側の少し先にが見えるので確認に行きます。
には「岩夫山」「橋本稔」と刻まれていますが、
「橋本稔」は石仏を建立した人の名前としても、「岩夫山」は何を意味しているのかは判りませんでした。
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峠Bまで引き返し、降ってきた踏み跡を過ぎて、
南東へ続くを降っていきます。
すぐに谷筋が広がってくると道がしているように見えます。
ここは右側のを降っていきます。
少し左へ曲がりながら、谷筋のに続く道を降っていきます。
やがて笹が茂るようになります。
以前に来た時には歩き易い道が続いていましたが、年月が経って歩き難くなっていました。
道が分り難くなりますが、山際を進んでいきます。
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もあるので足元に注意しながら進んでいきます。
が茂る道が続きますが、幸いにも背丈はそれほど高くはないので助かります。
程なくして左からの谷筋とすると笹の背丈が増してきますが、
背丈の少し低くなっている所に道が続いています。
谷筋を横切って、に続く道を更に進んでいきます。
笹が茂る所を抜けて開けた所に出ると小祠があります。
峠Bから13分ほどの所になります。
には石仏や石碑が4つ並んでいます。
右側の石碑には「南無阿弥陀仏」と刻まれています。
左側の石碑には「寛保三癸亥 豊岡 辻屋」と刻まれていて、仏像が彫られています。
寛保3年(1743)と云えば、江戸時代の中期に建立されたようです。
祠の前は四角く空いていて、数段の石段を降りた所には水が溜められていますが、この水を祀るための祠なのでしょうか。
当時は貴重な水だったのかも知れません。
壁には「寄附者芳名」と題して、氏名と金額がずらりと掲示されています。
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四叉路
煩わしかった笹から解放されて、歩き易くなったを進んでいきます。
少し左へ曲がりながら進んでいくと四叉路に出ます。
峠Bから16分ほどの所になります。
(*)は国道178号に出られます。
は谷筋の奥へ続いているようです。
今回は小橋を渡った先へ続くを進んでいきます。
以前に来た時には「五荘小」の標識があって正面の道を指していましたが、今回は見かけませんでした。
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峠C
小橋を渡って左へ曲がると、夏草が茂りになります。
右へ曲って谷筋の左側のに続く道を軽く登っていきます。
笹も茂ってきますが、背丈はそれほど高くはないので助かります。
彼方此方が泥濘んだ道を靴を泥だらけにしながら進んでいくと、次第にが増してきます。
少し右へ曲がり始めると、が次第に低くなってきます。
右から左へ曲がりながら登っていくと、切通になった峠Cに着きます。
四叉路から10分ほどの所になります。
中ほどには「福田」の標識が倒れていますが、立っていた時には今来た道を指していたのでしょうか。
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を過ぎていくと壊れた「北中」の標識があります。
右へ曲って、に続く歩き易くなった道を進んでいきます。
左下にはがあって、運動会の最中でした。
程なくしてが左へ分かれて降っていきますが、見送っていきます。
すぐ先に分岐があります。
地形図に実線で載っている道が分岐している所です。
左の道は信楽寺方面に降りて行けそうですが、今回は右の道を進んでいきます。
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五叉路
切通のようになった所を降り始めると、すぐに道が分岐しています。
四叉路から14分ほどの所になります。
からは、来た道と並行するように石段(*)が降ってきます。
出口には「金山」の標識が倒れています。
には広い道が降っていて、上陰地区の集落へ出られます。
には登り坂の石段と降り坂の地道があって、全体では五叉路になっています。
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上陰地区
を降っていきます。
少し左へ曲がりながら降って集落が見えてくるとが茂るようになります。
茂る笹に隠れて足元は見えませんが、以前に来た時にはがあったように記憶しているので、慎重に降っていきます。
地面を擦るように石段を確認しながら降っていくと上陰地区の集落に出ます。
四叉路から18分ほどで歩いて来られました。
降り立った所にはがあって、
中に石仏や五輪塔などが納められています。
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の集落を進んでいきます。
左へ分かれていく路地を見送っていくとがあります。
壁には「」が掲げられていて、この付近の地図が載っています。
道なりに真っ直ぐ進んでいくとに出ます。
右折したすぐ先から分かれていく道に続く歩道を進んでいきます。
立派な塀が見られる民家を眺めながら進んでいくと、信号機のある五叉路に出ます。
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高屋地区
最初に車で来たを進んでいきます。
しばらく進んでいくと「八幡宮」の扁額が掲げられたがあって、
高屋八幡神社に続く石段が見られますが、今回は立ち寄るのを省略します。
更に進んでいくと「雅成親王の御墓」のがあって石段が続いていますが、ここでも立ち寄るのは省略します。
民家を見かけなくなって登り傾斜が増してくると、「豊岡斎場」のが見えてきます。
分岐まで来て左の道に入っていくと、すぐの所に駐車地があります。
上陰地区に降り立った所から30分ほどで到着しました。
雅成親王の御墓(宮内庁所管)
雅成親王は、後鳥羽天皇の第四皇子で、土御門、順徳、両天皇の皇弟にあたられ六条の宮様とも申し上げた方であります。
親王二十二歳の承久三年、後鳥羽天皇の討幕の挙(承久の変という)ありました。
戦い利あらず、遂に上皇方は敗北され敵側の大将北条泰時により父君上皇は隠岐に親王は高屋の地に配流となったのであります。
親王は、黒木の御所で、三十年間灰色の日々を送られていましたが、
建長七年(1255年)二月十日この地で五十七歳の生涯を終えられたのであります。
御墓はこの石段を登ったところにあります。
なお、親王の配所であった黒木の御所の跡を示す碑が、墓所の南前、現在の高屋厚生年金住宅の横に建てられています。
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