上陰127m峰
概 要 豊岡の市街地の西側にある127.9m峰(点名:岩井)へ登ります。 福田地区の谷筋から峠を経て93.7m峰へ登って山頂へ向かいます。 山頂からは東北東へ延びる尾根を通って上陰地区へ降っていきます。 127.9m峰の東側には高屋城跡もあります。 尾根には樹木が茂っていて、展望の広がる所はほとんどありませんが、静かな尾根歩きを楽しめます。
起 点 豊岡市 福田地区
終 点 豊岡市 福田地区
福田地区…小祠…峠…93.7m峰…小ピーク…尾根の肩…小ピーク…127.9m峰…高屋城跡…金山分岐…四叉路…上陰地区…福田地区
所要時間 2時間20分
歩いて... 地籍調査の巡視路になっているのか、短杭やテープが点々と設置されていて、分かり易くなっていました。 樹木や太い竹が倒れて煩わしい所も少しありましたが、疲労困憊するような急坂はなくて、総じて歩きやすい道が続いていました。 分岐している所が何箇所かありましたが、地図と磁石で方角を確かめながら進んでいきました。
関連メモ 上陰127m峰
コース紹介
福田地区
豊岡の市街地から国道178号を西進していきます。 下陰池ノ内交差点を過ぎていくと、左へ分かれていく道があります。 入口に「禅 熊野山 新宮寺」のが立つその道へ入っていくと、 石垣と塀に囲まれたがあります。 謂われなどを記したものは見かけませんでしたが、曹洞宗の寺院のようです。 その前を過ぎたすぐの所に駐車スペースがあったので、ここに車を止めさせてもらいました。
新宮寺の手前まで引き返して、きものサロンの所を左折していきます。 左右に通る道に出ると、左側を流れる小川にが架かっています。 その橋を渡ってすぐに左折し、に続く道を進んでいきます。 最後の民家を過ぎると未舗装路になります。
田畑が広がるを進んでいきます。 右側の竹林の前には、が幾つか並んでいて、 その上に屋根のようなものが乗っているのが見えましたが、何なのかは判りませんでした。 機材置き場のような所を過ぎていくと分岐があります。 駐車スペースから9分ほどの所になります。 ここで谷筋が左右に分かれています。 左側を流れる小川には橋が架かっていて、その先へと小径が続いています。 橋を渡った所には「五荘小」のがあって、(*)を指していました。 正面にも道があるようでしたが、を進んでいきます。
*後日に左の道を歩きました。(「上陰127m峰」を参照)
小祠
山際を過ぎて、田畑が続くへ向かっていきます。 道なりに進んでいくと小祠が建っています。 先ほどの分岐から2分ほどの所になります。 祠の中にはが4つ並んでいました。 右側の石碑には「南無阿弥陀仏」と刻まれていました。 左側の石碑には「寛保三癸亥 豊岡 辻屋」と刻まれていて、仏像が彫られていました。 寛保3年(1743)と云えば、江戸時代の中期に建立されたようです。 祠の前は四角く空いていて、数段の石段を降りた所にはが溜められていましたが、この水を祀るための祠なのでしょうか。 当時は貴重な水だったのかも知れません。 壁には「寄附者芳名」と題して、氏名と金額がずらりと掲示されていました。
小祠の先に続くを進んでいきます。 過日の雨のためか、道は少し軟らかくなっていました。 次第に狭まってくる谷筋を2分ほど進んでいくと、右に僅かな谷筋が現れます。 谷の入口は泥濘んだになっていました。 右の谷筋へ続くが右へ分かれていきますが、見送っていきます。
谷筋の右側に続く道を更に進んでいきます。 所々には「地籍調査」の黄色のが取り付けられていました。 も少しありますが、広めで緩やかな道が続いていました。 谷筋が更に狭まってくると、道は曲がりながら登るようになります。 尾根を切り開いたと思われるを登っていくと、 左側の尾根が緩やかになって、簡単に登って行けそうになっていました。 93.7m峰へはこの辺りから登ろうかと思いながらやり過ごしていくとに着きました。 小祠から11分ほどで着きました。 の中ほどには「2455 238 13 地籍調査」と書かれたがありました。
の先が明るくなっていたので、ちょいと降ってみました。 少し降ると眼の前が開けてきて、山並みを眺められる景色が広がっていました。 右奥の方にはも見えました。 ここは4つの道がK字形に集まる分岐になっていて、が右へ2つ分かれていました。 それらの道を見送ってを降り始めると、 すぐの所の苔生した石の上にが佇んでいました。 「岩夫山」「橋本稔」と刻まれていましたが、 「橋本稔」は石仏を建立した人の名前としても、「岩夫山」は何を意味しているのかは判りませんでした。 地形図に実線で載っているこの峠越えの道は、その昔には地域を結ぶ生活道路として、多くの人が行き交った道だったように思えました。
手前のまで引き返して少し降っていくと、右側の尾根に続くがありました。 先ほど確認しておいた尾根が緩やかなになった所から登ろうかと思っていましたが、ここから登っていきました。 木に掴まったりしながら登っていくとに出ました。 その上の方にも平らな所が何段か続いていました。 以前に何かあった所なのでしょうか。 段差のある所を登って次の平らな所に出ると、左からが登ってきていました。 桃色のテープが点々と取り付けられたで、どこから来るのか気になりましたが、 桃色のテープが取り付けられた所から、正面の尾根へ登っていきました。
急な所を登っていくと、の尾根に出ます。 少し左へ曲がって、雑木が少し混じる植林地の尾根を登っていきます。 明瞭な道は付いていませんが僅かな踏み跡のようなものはあり、下草も生えていなくて歩きやすくなっていました。 尾根には「2466 238 13 地籍調査」などと書かれたが点々と設置され、 桃色のも樹木に点々と取り付けられていました。 この短杭やテープは、127.9m峰を過ぎて上陰地区に降りるまで、短い間隔で続いていました。 この尾根は上陰地区岩井地区の境界になっていて、その巡視路が通っているように思えました。
93.7m峰
短杭やテープを確認しながら雑木混じりの植林地の尾根を緩やかに登っていくと、僅かな高みに着きます。 「2481 238 13 地籍調査」の短杭の先に口岩井」があるので、 地形図に載っている93.7m峰になるようです。 から8分ほどで登って来られました。 近年に設置されたのか、傷ひとつ無い綺麗な三角点でした。 周囲には樹木が茂っていて展望は良くありませんが、右側の樹間から僅かにが見えました。 尾根はここで左へ曲がり、南東に向かって続くようになります。
四等三角点
基本測量
大切にしましょう三角点
国土地理院
尾根を降り始めると、すぐにが混じるようになりました。 倒れた竹がかなりあって歩き難い思いをしながらも、短杭やテープを確認しながら進んでいきました。 倒れた竹が減って少し歩きやすくなったを降っていくと、堀切のようになった鞍部に着きました。 93.7m峰から3分ほど降った所になります。 には僅かな踏み跡が降っていて、峠のようになっていました。 ここはを登り返していきます。
小ピーク
坂を登っていくと、のような所に着きます。 中ほどには「2182 238 13 地籍調査」のがあり、桃色や青色のテープも取り付けられていました。 少し右へ曲がって、緩やかになったを軽く登っていくと、程なくして太い竹は見られなくなります。 次第に登り傾斜が増してくる尾根を登っていくと、「2187 238 13 地籍調査」の短杭がある小ピークに着きました。 93.7m峰から8分ほどの所になります。 ここで尾根が二手に分かれています。 東北東へ延びるの方が歩きやすそうに思えましたが、 地図と磁石で方角を確認してみるに、谷筋にあった小祠の方へ続く尾根のようなので、 ここはテープが取り付けられた南へ延びるを降っていきます。
小ピークから僅かに降って、軽い登り坂になったを進んでいきます。 引き続き短杭が点々と設置され、テープも取り付けられています。 それらを確認しながら歩きやすくなった尾根を進んでいきます。 たまにもありますが、乗り越えたりして進んでいくと、尾根が窪んだ堀切のような所があります。 先ほどの小ピークから4分ほどの所になります。 窪地には「2192 238 13 地籍調査」の短杭がありました。 には僅かな踏み跡があって、峠のようになっていました。
尾根の肩
堀切を過ぎて坂を登り、緩やかになったを登っていきます。 登り傾斜が少し増してくると、僅かな高みを巻くようにしてを登っていきます。 程なくしてに出て更に登っていくと、傾斜が緩んだ尾根の肩に着きます。 堀切から4分ほどの所になります。 道端には「2198 238 13 地籍調査」の短杭がありました。 正面の樹間からは稜線が見えますが、これから向かう127.9m峰から東北東へ延びる尾根のようです。 ここで道は少し右へ曲がっていきます。
小ピーク
心なしか、これまでよりも少し歩きやすくなったを進んでいきます。 やがて少し登り傾斜が増してきます。 今回歩いている尾根にはずっと獣の足跡が続いていて、にもなっているようです。 その部分が少し泥濘んでいるので、脇の方を歩いていきました。 尾根の肩から3分ほどで坂を登り切ると、緩やかな尾根が暫く続くようになります。 道端には「2203 238 13 地籍調査」のがありました。 地形図によると、127.9m峰の北北西230m辺りにある標高100mほどの細長い小ピークになるようです。
僅かに降ってから、軽い登り坂になった尾根を登っていきます。 右側の樹間からが僅かに見えますが、総じて尾根からの展望は良くありません。 僅かに起伏のあるを進んでいくと、次第に登り傾斜が増してきます。 左側に見えているが次第に近づいてきます。 右側の樹間からを眺めながら、正面に迫ってくる高みへ向かって登っていきます。
127.9m峰
が少し茂っている所を登っていくと、笹竹や細木などが茂る高みに着きました。 登り着いた所には岩井」があるので、ここが地形図に載っている127.9m峰になるようです。 93.7m峰から31分ほどで登って来られました。 三角点の傍には「2215 238 13 地籍調査」の短杭もありました。 周囲は樹木が茂っていて展望は良くありませんが、西から時計回りの写真を載せておきます。
前方には僅かにが見えました。 背後の樹間からは僅かにも見えました。
127.9m峰からは尾根が二手に分かれています。 地図と磁石で方角を確認し、南西へ延びる右の尾根(*)は見送って、東北東へ延びるを進んでいきます。 最初は笹竹などが茂っていますが、掻き分けて進んでいくと、すぐに歩きやすい尾根になりました。 上陰地区高屋地区の境界になるこの尾根にも、地籍調査の短杭やテープが点々と設置されていました。 「0114 172 13 地籍調査」の短杭を過ぎていきます。 僅かなが近づいてくると、その手前に堀切のような所があります。 127.9m峰から2分ほどの所になります。 には僅かな踏み跡があって峠のようになっています。
*後日に右の尾根を歩きました。(「上陰127m峰」を参照)
高屋城跡
左側から回り込むようにして正面の高みへ登っていくと、広くて緩やかな尾根になっていました。 地形図によると、東北東へ100mほど続く標高130mほどの緩やかな尾根になります。 情報によると、かつて高屋城があった所のようです。 今では樹木が少し生えていますが、この広さなら、かなりの規模の山城だったように思われます。 石垣などの遺構は見かけませんでした。
軽く登りながら続く広い尾根の先へ進んでいきます。 少し左側から回り込むようにして僅かな高みへ登っていくと、一段高い所に着きました。 へ進んでいくとのような崖になっていました。 その手前には「0024 174 14 地籍調査」の短杭がありました。 とても降りて行けそうもないがと思案していると、右側に窪んだ所があったので、 そこから回り込むようにしての下へ降っていきました。 手前にあった堀切とこの堀切との間に山城が築かれていたように思えました。
堀切の先へ続く少し傾斜のあるを降っていきます。 左の樹間からは、 右前方には豊岡駅周辺のが見えました。 緩やかになったを過ぎて軽く登り返していきます。 127.9m峰までの尾根に比べて少し歩きやすいように感じながら、緩やかなを登っていきます。 僅かな高みに差し掛かると、道はその手前から少し右へ曲がっていきます。 堀切から5分ほどの所で、地形図によると、127.9m峰の東北東250m辺りから東へ延びる標高110mほどの尾根になるようです。 曲がりかけた所には「0033 176 14 地籍調査」の短杭がありました。
少し右へ曲がって、明瞭な尾根の背を進んでいきます。 根元から何本も幹が分かれているを過ぎていくとへ入っていきます。 少し左へ曲がりながら軽く登っていきます。 僅かなに着くと、「0041 176 14 地籍調査」の短杭がありました。 植林地を抜けて雑木林になった尾根を快調に進んでいきます。 軽い登り坂になってくると、尾根が少し窪んで次第にらしい様子になってきます。 僅かな高みの手前まで来ると、道は少し右へ曲がっていきます。 堀切から15分ほどの所になります。 曲がりかけた所には「0059 176 14 地籍調査」の短杭がありました。
金山分岐
広くて明瞭なを軽く降っていきます。 引き続き点々と設置されている地籍調査の短杭やテープを辿りながら進んでいきます。 程なくして、馬の背のようになった浅いに着きます。 尾根の僅かに左側から尾根の背に出て、快適な尾根道を進んでいきます。 と思われる僅かな高みが近づいてくると、道はその手前から巻くようにして左へ曲がっていきます。 道なりに軽く登っていくと分岐に着きます。 127.9m峰から27分ほどの所になります。 中ほどには「0078 176 14 地籍調査」の短杭があります。 左右に通る道は、地形図に載っている破線の道になります。 金山稲荷神社へ続いていますが、 今回はを降っていきました。
引き続き短杭やテープが設置された道を進んでいきます。 1分半ほど進んでいくと少しが増した所があります。 そこを過ぎて緩やかになった道を降っていくと分岐があります。 金山分岐から5分ほどの所になります。 左から登ってくる(*)があって気になりますが、ここは正面に続く道を進んでいきます。
*左の道は、すぐに谷筋の植林地へ降りていきますが、そこで不明瞭になっています。
尾根の右肩に続く緩やかな道を50mほど進んでいくと、再び分岐があります。 をひと登りするとが覆う明るい所に出ますが、 道はそこで不明瞭になっています。 そこから右前方へ続く樹木が茂る尾根を無理矢理に降っていけば、 最初の「五荘小」のあった谷筋の分岐の辺りへ降りて行けそうに思えましたが、 ここはを降っていきます。
広くて快適なを緩やかに進んでいきます。 の縁を過ぎてその先へ降っていくと、 左側の樹間から五荘小学校が見えてきます。 そこを過ぎていくと墓地に出ました。
四叉路
を過ぎて右へ曲がると、が現れます。 階段を降っていくと四叉路に降り立ちました。 金山分岐から12分ほど、127.9m峰から41分ほどで降りて来られました。 降りた所には「金山」のが立っていて、今降ってきた階段を指していました。
(「金山」とは金山稲荷神社のある小山を指しているようです)
左に戻るようにして続く(*1)を過ぎていくと五荘小学校へ出られます。 (*2)も気になりますが、今回は正面の道の道を降っていきました。
*1 後日に切通の先へ続く道を歩きました。(「上陰127m峰」を参照)
*2 後日に確認すると、少し下で左へ折れ曲がって、正面の道を降った所に出ました。 正面の道よりも距離は長いものの、傾斜は緩やかになっていました。
上陰地区
左上にある墓地へ続く階段を見送って、を降っていきます。 道にはが剥き出しになっていました。 階段状に削られていますが、苔生して滑りやすくなっていたので、慎重に降っていきました。 程なくして石段を降るようになると、上陰地区の集落に降り立ちます。 四叉路から3分ほどで降りて来られました。 降り立った所の脇にはがあって、石仏や五輪塔などが安置されていました。
四叉路から右の道を降ってくると、ここに出られます)
福田地区
上陰地区の集落に続く道を進んでいきます。 最初のを左へクランク型に折れ曲がって進んでいくと、 国道426号のの袂に出ます。 左折して国道426号を進んでいきます。 中陰交差点から左前方へ分かれていく道に入っていきます。 豊岡北中学校への道を左に分けていくと、国道178号の下陰池ノ内交差点の傍に出ます。 そこを左折して国道178号を進み、「禅 熊野山 新宮寺」の石柱の立つ道へ入っていきます。 の前の石垣を過ぎていくと、車を止めておいた駐車スペースがあります。 上陰地区に降り立った所から22分ほどで到着しました。