妙高山
概 要 妙高山は丹波市の市島町と春日町の境にある標高564.7m(点名:妙高山)の山です。 古くから修験道の霊地として開かれ、丹波比叡とも称され「ひょうご100山」にも選ばれています。 今回は東側にある神池寺を起終点として山頂へ登り、引き返す途中から少し南側を降るルートを歩きます。
起 点 丹波市市島町 多利地区
終 点 丹波市市島町 多利地区
多利地区…神池寺…登山口…ルート分岐…峠…妙高山…峠…ルート分岐…下山地…神池寺…多利地区
所要時間 1時間10分
歩いて... 行者堂の裏から山に入った所の分岐が分かり難いですが、それ以外は分かり易い広めの道が山頂まで続いています。 山頂は樹木に囲まれていて、残念ながら眺めは広がりません。 下山時に歩いた南側のルートには所々にテープが巻かれていて導いてくれますが、下山地の手前では分り難くなります。 神池寺にはクリンソウが咲き始めていました。
関連メモ 今のところ、関連メモはありません。
コース紹介
多利地区
福知山市から塩津峠を越えて丹波市に入り、国道175号を南下していきます。 市島支所前交差点を左折して県道59号に入って舞鶴若狭自動車道をくぐり、 「神池寺」を指す道路標識の出るから県道541号に入って南下していきます。 程なくしてがあります。 角には「妙高山」「神池寺」などのが立っていて右の道を指しています。 右へ曲がっていく県道541号を曲がりながら進んでいくと、 道の左右に大きなが立っていて、「妙高山神池寺総門」の表札が掛けられています。 右側には「神池寺総門」と刻まれたが並んでいます。 総門を過ぎて更に登っていくと、終点に神池寺の駐車場があるので、ここに車を止めさせて頂きます。 左側にはが咲き始めていました。
入山者へ御願い
此れより山林、土地は国有林・神池寺所有地・多利区各個人所有地です。 シキビ・山菜・草木の採取は何人たりとも一切禁じます。 右違反者は、処罰されます。
神戸営林署・妙高山神池寺・多利区地主
神池寺
右側にあるへ入っていきます。 入口には屋根付きのが立っていて、 「丹波比叡 妙高山」の解説文が書かれています。 袂には「妙高山登山口」の標識があります。 境内に入っていくと、白壁と石垣に囲まれた所にがあります。 少し先の左の一段高い所にはがあり、 前には県指定文化財になっている石造宝篋印塔があります。 奥に続く広い石段を登っていきます。
丹波比叡 妙高山
ここ妙高山は、ゆるやかな丹波高原に位置し、 古くから修験道の霊地として開かれ丹波比叡とも称されています。 ここには、聖武天皇が勅願所とされた神池寺があり、 周辺の森林には幹周り3mを超えるスギ、モミ、ケヤキ、アカガシ等の巨樹や貴重な植物類、鳥類が多く生息し多紀連山県立自然公園に指定されています。 その他、ひょうご森林浴場50選や保健保安林に指定されるなど四季を通じ、自然とのふれあいの格好の場となっております。
県指定文化財 石造宝篋印塔
指定年月日 昭和51年3月25日
所有者・管理者 神池寺
この宝篋印塔は、石英安山岩製で、現高1.55メートルを測る。 基礎は上端に反花を刻み出し、各面には輪郭付き格狭間(内部素面)を入れている。 塔身は四目nとも花頭窓様に形づくった龕を深く彫り込み、内に仏坐像を半肉彫りとしている。 これは宝篋印塔として類例の少ない手法である。 造立年代は明らかではないが、四方仏の像容や反花など各部の様式手法からみて南北朝時代のものと思われる。 構造手法の優れたもので、「太平記」にあらわれる神池寺衆徒の動向等とともに、当時を知る貴重な資料である。
平成5年11月 兵庫県教育委員会
登山口
真っ直ぐ続く石段を登っていくと「妙高山」の扁額が掲げられたがあります。 右側の吽形の像には「修理中 令和五年度中」の貼り紙がありますが、まだ完成しておらず少し遅れているようです。 更に石段を登っていくと、神池寺があります。 手前には「本堂再建記念碑」があります。 左側にはがあります。 右側は広いになっています。 本堂の右側が今回の登山口になります。 駐車場から9分ほどの所になります。 手前には「山頂」の標識が立っています。
本堂再建記念碑
昭和40年9月10日猛台風の禍に遭い全山壊滅の難を受く。 1300年の由緒ある當山の法燈を復興護持し豊かな以前と文化遺産の保持充実を希い妙高山神池寺復興開発奉賛会を結ぶ。 以来十方有縁の篤信により本堂再建諸堂修復神池寺会館再建境内並に参道開発など復興の大願成す。 昭和45年初秋本堂落慶法道仙人護持将来の本尊千手観世音菩薩を安置し開扉大法要を落慶す。 随書碑を建て後に伝う 昭和46年8月
本堂の脇を進んでいくと、すぐの所に「春日明神跡」のが立っていて、 支柱に取り付けられた「登山道」の標識が左を指しています。 標識に従って本堂行者堂の裏手を進んで右へ曲がっていくとがあります。 標識類は見かけなくて迷う所です。 右の道はすぐ先の小高い所で行き止まりになっているので、ここは左の道を進んでいきます。 すぐにのような所に出ます。 少し右へ曲がりながらを進んでいきます。 程なくして標識が立っていて、 この先の道は「山頂」「神池寺会館・大覚殿」、今来た道は「本堂」となっています。
春日明神跡
保元3年(1158)平重盛が平家一門の安寧と国家鎮護を願い五輪塔を建て法華経を埋めたとある。 明治の神仏の分離により神社は廃された。 石垣の跡からも往時の壮大な神社であったことが推察できる。
ルート分岐
標識を過ぎて左へ曲がり始めるとがあります。 角には注意書きの標識が倒れています。 降り坂になっている右の道は見送って、左の道を登っていきます。 少し窪んだ道を登っていくと、程なくして分岐に出ます。 登山口から7分ほどの所になります。 手前には「本堂」のが倒れていて、今来た道を指しています。 角にもが倒れていて、 左の道は「神池寺会館・大覚殿」となっています。 左の道も気になりますが下山時に歩くことにして、先ずは妙高山へ向かってを登っていきます。
1.山火事をおこさないよう注意しましょう。
2.樹木を傷つけないようにしましょう。
3.ゴミは各自で持帰って下さい。
市島町緑化推進委員会
右へ曲がりながら登っていくと、の大木があります。 小尾根を左へ回り込んでいくとになります。 少し右へ曲がって、を横切るように進んでいきます。 軽い降り坂になって尾根の背に出ると、地形図に載っている破線の道が尾根を越えていくに着きます。 登山口から15分ほどの所になります。 脇にはが佇んでいます。 「右…」「左…」と刻まれていて、道標も兼ねているようです。 「文化三丙寅年」と刻まれているので、江戸時代の末期(1806)から行き交う人々を見守ってきたようです。
妙高山(標高564.7m)
尾根の左斜面に続く道を登り始めるとがあります。 脇には石杭があります。 標識は見かけませんが、ここは右へ曲がっていく道を登っていきます。 が点々と設置されている道を、何度か曲がりながら登っていきます。 合わせて5回ほど曲がりながら登っていくと、小広くなった妙高山の山頂に着きます。 登山口から20分ほどで登って来られました。 手前には石組の上に壊れたがあります。 祠の先には「ひょうご100山 妙高山 564.8m」のがあり、 傍には二等三角点「妙高山」があるので、地形図に載っている564.7m峰になるようです。 周囲には樹木が茂っていて残念ながら眺めは広がりませんが、水分補給をしながらひと休みしていきます。
落ち着いたところで、を引き返していきます。 広めの道にはが積もってフワフワしています。 が点々と設置されている道を曲がりながら降っていきます。 合わせて5回ほど曲がりながら降っていくと、右から来る道がしてきます。 尾根の背に出ると、地形図に載っている破線の道が尾根を越えていくに着きます。 妙高山から4分ほどの所になります。
ルート分岐
軽く登っていくとになります。 斜面を横切るように降って緩やかになるとに出ます。 小尾根を右へ回り込んで降っていくと、の大木があります。 左へ曲がりながら降っていくと、標識が立つルート分岐に戻ってきます。 妙高山から12分ほどの所になります。 登ってきたのは正面の道になりますが、「神池寺会館・大覚殿」の標識が指すを進んでいきます。
少し進んだ所から、に向かって左へ曲がって降っていきます。 点々と取り付けられている桃テープを辿りながら、谷筋のに続く踏み跡を降っていきます。 程なくしてがあります。 脇には標識が立っていて、 この先の道は「神池寺会館・大覚殿」、今来た道は「山頂」となっています。 標識がどちらの道を指しているのか不明ですが、桃テープが見られるを進んでいきます。 アセビが茂る所を過ぎて軽く降っていくと、窪んだ道が左から合流してきます。 妙高山から18分ほどの所になります。
左からの道を合わせて降っていくと、小さく曲がっていきます。 左右に続く谷筋の手前まで来て、左に見えるが巻かれた樹木へ向かって降っていきます。 明瞭な道を見かけなくなった尾根を真っ直ぐ降っていくと、段差の下にあるに出ます。 ルート分岐から降ってきた谷筋には平坦地が幾つか見られますが、往時に多くあったという堂宇や僧坊の跡でしょうか。 平坦地の中ほどには、登り時にも見掛けたのと同様の注意書きの標識が倒れています。 右前方からを降っていきます。 すぐに右へ曲がっていくと、僅かに水が流れるに出ます。 沢を跨いで左へ進んでいくと、左側にある広い平坦地にはクリンソウが生えています。
1.山火事をおこさないよう注意しましょう。
2.樹木を傷つけないようにしましょう。
3.ゴミは各自で持帰って下さい。
市島町緑化推進委員会
下山地
山際を軽く降っていくと、「」のが向こう側を向いて立っています。 左側にあるは花が咲き始めています。 少し泥濘んだ所を進んでいくとお堂の前に出ます。 妙高山から26分ほどで降りて来られました。 扁額などは見かけませんが、これが標識にあった大覚殿でしょうか。 左へ進んでいくとがあって、近づいた私に気が付いた大きなウシガエルが何匹も池に飛び込みました。 池を過ぎた右側にはがあります。 広場は見送って、テントが張られた左側のへ降りていきます。
保健保安林
保安林内では、許可なく立木竹を損傷し、土石、樹木を採掘し、土地形質を変更する等の行為をしてはなりません。
=山火事注意= 兵庫県
神池寺
駐車場の脇を進んでいくとがあります。 右の道の先に車を止めてきた駐車場が見えますが、神池寺の境内を少し歩くべく、左の道を進んでいきます。 少し進んでいくと、左側の石段の上にが並んでいます。 には「このお堂は入れますので中でお参り下さい」と書かれているので、 引き戸を開けて中を覗ってみると、左右に石仏が並んで小綺麗になっています。 石段を降りて神池寺事務所へ向かっていくと、脇に「丹波比叡 妙高山神池寺縁起」と題した解説板があります。
丹波比叡 妙高山神池寺縁起
神池寺の開基は奈良朝元正天皇の養老2年(718)天竺より渡来された持明法道仙人が観世音菩薩を安置されたことにより始まる。 山容が経典に出てくる須弥山に似ているので妙高山に、山嶺に不増不滅の霊池が有るので神池寺と名付けられた。 聖武天皇は凶賊によって焼失した山内を天皇勅願の霊場と定められ堂塔を整備される。 その後、行基菩薩や慈覚大師等高僧貴人の来錫が多くあり、 清和天皇は諸堂を再建され、天台宗の道場として寺勢ますます高まり、 堂宇56、僧坊200、山内は実に偉観を呈したと伝える。 保元年間には平重盛が登山一宇一石に法華経を書写し山中北谷に五輪塔を建て平家一門の菩提を祈る。 また、奈良の春日明神を勧請して本堂奥に春日神社を建立する。 春日部庄全域の鎮守神として明治の神仏分離令発布まで祭礼が行われていた。 後醍醐天皇の元弘年間には征夷大将軍大塔身や護良親王が登山され、 宗徒に令旨と綿旗を授け、一同京都五条西洞院まで押し寄せたが、戦いに敗れ悉く戦死した。 賊軍は当山に迫り堂塔僧坊焼失する。 その後阿耨法師の銅像示現の霊夢により山内千歳杉の洞内から将来仏を得て再興にかかる。 明智光秀の全山焼き討ちはあったものゝ徳川歴代将軍の庇護により、丹波の一大霊場として君臨していた。 ところが、明治時代に入ると寺領の大部分が官有地として国に取り上げられ護持の資がなくなり堂塔荒れはじめる。 また初年まで蔵していた大塔身や護良親王の御鎧も神祇官からの御沙汰状により奉納となった。 この御鎧が現在の鎌倉神社のご神体である。 明治から大正・昭和を中興し整いかけた境内も、昭和40年の未曾有の台風により壊滅的打撃を受ける。
多利地区
神池寺事務所の手前を曲がって、元来た道を進んでいきます。 車止めを過ぎると、車を止めておいた駐車場があります。 大覚殿から10分ほどで到着しました。
帰路の途中で、妙高山神池寺総門の手前にあるクリンソウ群生地を訪ねていきます。 道路脇にある駐車場に車を止めて少し引き返すと、 に「クリンソウ(九輪草)自生地保護区」の案内板が出ています。 材木置き場のような所の手前から山際に続くを進んでいきます。 少し右へ曲がりながら進んでいくと、木道が敷かれた谷筋にが咲いています。 まだ時期が少し早かったようで、はチラホラと咲いている程度でした。 クリンソウ群生地への立ち寄りは所要時間に含めず)
クリンソウ(九輪草)自生地保護区
クリンソウ(学名Primula Japonia)はサクラソウ科、サクラソウ属の多年草で丹波市での自生は珍しく、 兵庫県ではレッドデータブックBランクに指定されている絶滅を危惧されている貴重な植物です。 花の見ごろは5-6月で、大きな根性葉から高さ30センチ〜50センチほどの花茎をだしピンク色のかわいい花を車輪状の数段つけます。 倒竹では地元住人や自然研究科、植物愛好家の皆さんによって自生の群生地を見守り変化を研究観察しています。
見学者の皆様も以下のルールをお守りいただき群生地保護にご協力を御願いいたします。
1.採集は絶対にしないでください。
2.足元にあるクリンソウを踏まないでください。特に写真等撮影の際には十分気を付けてください。
3.ゴミは捨てないでください。すべて持ち替えてください。
連絡先 「妙高山のクリンソウを守る会」 鴨庄コミセン内