観音山
概 要 観音山は新温泉町の清富地区にある標高245.0m(点名:観音山)の山です。 山頂からは日本海などを望む眺めが広がります。 山頂の近くには、相應峰寺の圓通殿や仁王門などがあります。 今回は浜坂白馬公園を起終点とし、西側にある登山口から裏参道を通って観音山へ登り、 南東の参詣道を通って相應峰寺へ降るルートを周回します。
起 点 新温泉町 清富地区
終 点 新温泉町 清富地区
清富地区…登山口…120m峰…観音山…圓通殿…阿弥陀堂…展望地…極楽の鐘…仁王門…下山地…稲荷天堂…相應峰寺…清富地区
所要時間 2時間40分
歩いて... 裏参道と参詣道には石仏が点々と設定されています。 石仏は採番されていますが、番号は何系統かあるようで、番号を辿るのは諦めました。 裏参道の最初は急斜面を曲がりながら登っていきます。 参詣道は石畳の跡や擬木の階段が続く広い道になっています。 湿度が高い日とあって、たっぷりと汗を搾られました。
関連メモ 観音山
コース紹介
清富地区
山陰近畿自動車道を久斗ICで降りて、旧国道178号を西進していきます。 県道263号に入って湯島街道踏切を渡った先にある福冨橋を渡り、岸田川のの土手を進んでいきます。 清富橋を渡ってすぐに左折して、岸田川のの土手に続く道を進んでいきます。 白馬歩道橋まで来ると、田井川にが架かっています。 岸田川の右岸の土手に続く道は狭くて車の離合が出来ないためか、 手前には右の道を指す「帰り道」の標識が立っています。 『一方通行して下さい』という意味だと思われます。 白馬橋を渡った先を右折して浜坂白馬公園に着くと駐車場があるので、ここに車を止めさせて頂きます。
入口付近には「」があります。
車で来た道を引き返していくと、すぐの所にがあります。 坂道を少し登っていくと、左右に通るに出ます。 右側には「」と題した案内図があって、 諸寄コースと浜坂コースが紹介されています。 今回歩く観音山への登山ルートも載っていますが、あまり詳細な図ではありません。 傍には「七十八番」のが佇んでいます。 道路向かいにあるを横切っていきます。 端まで行くと「」の看板があってイラスト風の地図が載っていますが、 この付近を表した地図なのかどうかは分かりませんでした。 看板のすぐ先に新しい様子の「観音山登山道」の標柱が立っています。
山陰海岸ジオパーク散策モデルコース(山陰海岸国立公園)
歴史と文化の街「浜坂」・北前船の寄港地「諸寄」 浜坂・諸寄コース
浜坂・諸寄は浜辺の集落です。 古くから北前船の寄港地と商人の町として栄え、数多くの文化人を輩出しました。 城山公園に登ると波穏やかな諸寄港の光景から「北前船」の寄港地として、 諸寄砥石や各地からの産物が積み卸しされた当時の光景が偲ばれます。
相応峰寺「奥の院・円通殿」  「円通殿」には国指定重要文化財の「木造十一面観音菩薩立像」が安置されています。
新温泉町山陰海岸ジオパーク館  掘抜式の港・浜坂湊と浜坂県民さんビーチの一角にある建物で、 山陰海岸ジオパーク全体が分かる資料や岩石・化石等を展示しています。 また、顕微鏡観察など体験学習の設備を整えています。
旧市街地(近世の街並み)  浜坂の市街地は岸田川河口の砂州の上にできた町です。 近世には酒造や縫い針生産などえ栄え、但馬の中でも比較的早く都市化が進んできました。 あじわら川小径沿いには、旧家や古い石垣などが残っています。 付近には清水の湧く井戸の跡、揚げ橋、水神様、船着き場などが随所に残り、当時の生活を偲ぶことができます。
山陰海岸ジオパーク推進協議会
保健保安林
この保安林は、浜坂地域の保健休養の場として役立っています。 森林は、きれいな水や空気の大切な供給源となり、私達に安らぎと潤いを与えてくれます。 この保安林は、景観を保持し、自然とふれあう憩いの場として、保健やレクりぇーションに活用するため、特に指定されました。 保安林内においては、次の行為は知事の許可を受けなければなりません。
一、立木竹の伐採及び立木の損傷
二、土石の採取及び樹根の採掘
三、その他土地の形質を変更する行為
森林は国の宝です。保護育成に努め、後世に引き継いで行きましょう。
たきび・たばのの吸殻や、ごみの投げ捨てに注意し、樹木を大切に育てましょう。
平成10年度設置 兵庫県
標柱の先に続くを降っていきます。 水路に架かるコンクリート製のを渡っていきます。 すぐの所にが建っています。 鳥居の右側には、玉垣で囲まれた祠があります。 扁額は掲げられていませんが、側面に取り付けられた改修工事の寄進者の名前を書いた板によると恵比寿神社というようです。
登山口
神社を過ぎて、頭上を樹木が覆うを進んでいきます。 程なくして、岸田川のの傍に出ます。 明瞭な道は見かけませんが、岩が剥き出すを進んでいきます。 この時は潮位の高い時間帯でしたが、何とか水に濡れずに通過できました。 歩ける所が広くなってくると、前方にが見えてきます。 近づいていくと先ほどのと似た標柱で、「観音山登山口」と書かれています。 ここが今回の登山口になります。 浜坂白馬公園駐車場から11分ほどの所になります。
正面にある「廿八番」の石仏の前を左へ登っていくと、「萬霊」と刻まれたがあります。 鉄筋の階段を登り始めると、短いトラロープが垂らされた所を曲がっていきます。 角には「不安定」の標識が取り付けられています。 何度か曲がりながら狭い小径を登っていくと、「七十一番」や「第十二番」のを過ぎていきます。 番号は連続しておらず、何系統かあるようです。 更に曲がりながら登っていくとがあります。 左へ曲がった先を右へ曲がっていくと「七十三番」の石仏があります。 手前で分れてきたと思われる道が右からしてきます。 左の道を登っていくと、標高70mほどの緩斜地に出ます。 登山口から12分ほどの所になります。 左側に出てみるとが少し見えます。
緩やかになった尾根を進んでいくと、左側にが広がります。
が張られた所を過ぎていきます。 尾根の右斜面を登っていくと、桃テープが巻かれた樹木の所にがあります。 正面の道はしっかりしていて迷いますが、左側の尾根へ登っていきます。 踏み跡を辿って登っていくと、すぐにに出ます。 また尾根の右斜面を進むようになると、台座から落ちている「七十二番」の石仏があります。
120m峰
少し進んだ先を左へ曲がっていくとに出ます。 右へ曲がって、を登っていきます。 傾斜が弛んでまで来ると、左側が開けて、また眺めが広がってきます。
台座から落ちている「第十五番」のを過ぎていきます。 傾斜が緩やかになると、左にある120m峰の右肩に着きます。 登山口から23分ほどの所になります。
軽く降っていくと、すぐにになります。 程なくして、尾根のを登るようになります。 次第に尾根のを進むようになります。 傾斜が増してくると、曲がりながら登っていきます。 左の樹間に浜坂漁港190m峰方面が見えてきます。
曲がりながら更に登っていきます。 斜面を回り込んでを登っていきます。 回り込むようにして登っていきます。 尾根の背に出ると、標高150mほどの緩斜地になります。 登山口から32分ほどの所になります。
次第に傾斜が増してくるを進んでいきます。 窪んでを登っていきます。 尾根のを登っていくと、傾斜が弛んできます。 また傾斜が増してくる尾根を登っていきます。
次第に窪みが無くなってくると、少し傾斜がきます。 登り傾斜が少し増してくると、「第六十四番」や「第廿三番」などのが三つ並んでいます。 石仏群を過ぎると、標高180mほどの緩斜地になります。 登山口から39分ほどの所になります。 左の樹木越しにが見えます。
尾根の右肩を進んで「第六十三番」の石仏を過ぎると、僅かなになります。 少し左へ曲がりながら進んで緩やかになると、の傍に出ます。 次第にになる尾根の右肩を進んでいきます。 台座から降りた石仏を過ぎるとに出ます。 尾根の背を登って「第六十一番」の石仏を過ぎると緩やかな尾根になります。
すぐに登り坂になる尾根を進んでいくとがあります。 標識類は見かけませんが、ここはを登っていきます。 緩やかになって右へ曲がっていくとに出ます。 何処が道なのか分り難くなりますが、真っ直ぐ進んで正面に建物が見えてくると、に登っていく道があります。 斜面を斜めに登って左へ曲がると、先ほどから見えていた建物がある広くてなだらかな所に出ます。 登山口から50分ほどで登って来られました。 建物に表札などは見られませんが、すぐ傍にある圓通殿の寺務所でしょうか。 右からは荷物運搬用と思われるが登ってきています。
観音山 (標高245.0m)
標識類は見かけませんが、寺務所と思われる建物とコンクリート製の小屋の間が観音山へのになります。 建物の裏手の雑然とした様子の広い所に出て、 「山火事注意」の標識が取り付けられた所を道なりに曲がっていきます。 すぐに左へ曲がって、が見られる道を登っていきます。 右へ曲がっていくと、また「山火事注意」のが取り付けられています。 左へ曲がって擬木の階段を登っていくと、広くなった山頂に着きます。 寺務所と思われる建物から5分ほどの所になります。 正面にはテーブル・ベンチが設置され、その先の樹木には「観音山」のが取り付けられています。 左奥には三等三角点「観音山」があるので、地形図に載っている245.0m峰になるようです。 右側にはが並んでいます。
三角点の先にもテーブル・ベンチが設置されています。 湿度が高くてかなり汗を掻いたので水分補給をし、広がる景色を眺めたりしながら休憩していきます。
には日本海が広がります。  と思われる海岸線も見えます。
にも浜坂漁港などの眺めが広がります。  半島の先にあるも見えます。
圓通殿
落ち着いたところで、と思われる建物まで引き返してきます。 左へ曲がって進んでいくと、すぐの所にがあります。 左手にはがあります。 鉄の扉の上には「十一面観音」の扁額が掲げられているので、これが観音堂になるようです。 麓の相應峰寺にある解説板によると、お堂に安置されている十一面観音菩薩立像は毎年春に公開されるようです。 圓通殿の正面へ回っていきます。 前にはひと際大きながあり、台座には「万人講」と刻まれています。
阿弥陀堂
勅額 圓通殿 御寶前」と書かれた幟旗が並ぶを進んでいきます。 すぐにあるを過ぎていきます。 並ぶ幟旗の間を進んでいくと阿弥陀堂があります。 圓通殿から2分ほどの所になります。 手前には「第十六番」などのが並んでいます。 の中には赤い帽子と前掛けをした六地蔵が並んでいて、 格子戸の奥に阿弥陀像があるようです。 両側には千羽鶴が吊り下げられています。
展望地
阿弥陀堂の先へ続く緩やかなを進んでいきます。 程なくして軽いになります。 少し登って小尾根を回り込む所まで来るとになります。 脇には「三十六番」の石仏が佇んでいます。 右側の一段低い所にベンチが設置されています。 圓通殿から4分ほどの所になります。 左側に眺めが広がるになっています。 「節句には日本一のこいのぼりが揚がります」と書かれたが脇に立っていますが、 この場所に柱を立てて揚げるということでしょうか。
極楽の鐘
元の参詣道に戻ると、すぐの所に鐘楼があります。 支柱の袂には「極楽の鐘」と「10丁目」のが置かれています。 支柱には「御祈りの心で三回」と書かれた板が取り付けられていますが、撞くのは止めておきました。
仁王門
鐘楼の先へ続く緩やかなを進んでいきます。 程なくして、左へ登っていくがあります。 左の階段を見送っていくとが見えてきます。 左からはが降ってきます。 以前に来た時には「作善上人の墓」の標識があったのですが、この時には見かけませんでした。 ここの階段を登っていくと作善上人の墓(*)がありますが、今回は訪ねるのを省略します。 左の階段を見送っていくと、向こう側を向いた仁王門に着きます。 圓通殿から8分ほどの所になります。
作善上人の墓への道は「観音山」を参照。
振り返って、仁王門を眺めていきます。 袂には「仁王門」と「9丁目」のが置かれています。 名前の通り、両側には赤いが治められていて、 右側は「阿形」、左側は「吽形」の姿をしています。 仁王門を後にして先へ進み始めると、すぐの所に設置されているベンチの傍にも「9丁目」のがあります。
火気に注意!!
観音山は浜坂町の誇です。
広いが見られる参詣道を降っていきます。 石畳の跡も見られる参詣道を右へ曲がりながら降っていくと、 左への曲がり角に「第四十五番」のが佇んでいます。 次の右への曲がり角まで来ると、石仏の脇に「8丁目」のが置かれています。 並ぶを過ぎていきます。 道なりに左へ曲がっていくと、並ぶ石仏群の傍に「7丁目」の標識があります。 仁王門から8分ほどの所になります。
ポツンと設置されたを過ぎていきます。 「四十九番」の石仏を過ぎていくと、右への曲がり角にが並んでいます。 右へ曲がって、擬木の階段も見られるを降っていきます。 尾根を跨いで右へ曲がる所まで来ると、また石仏が幾つか並んでいます。 仁王門から12分ほどの所になります。 ベンチも幾つか設置されていて、ひと休みするのに良さそうです。 右側の石仏の袂には「6丁目」のがあります。
のような所を降っていきます。 「廿一番」のがある所を右へ曲がっていきます。 「四十八番」の石仏の先にある「第十一番」のなどを過ぎていきます。 左への曲がり角まで来ると「十九番」のがあります。 道なりに左へ曲がっていくと、並んだ石仏の間に「5丁目」の標識があります。 仁王門から16分ほどの所になります。
「第十七番」と「十八番」のが並んでいる所を右へ曲がっていきます。 少し降った所を左へ曲がっていくと、石仏が並んでいる所に「4丁目」のがあります。 右へ曲がって、石仏が続くを更に降っていきます。 二つ並んだ石仏を過ぎていくと、石仏のない所に「3丁目」のがあります。 少し先にある石仏群を過ぎて尾根の背に出ると、ベンチが設置された所に石仏が幾つか並んでいます。 仁王門から25分ほどの所になります。
少し窪んだ所を過ぎて、尾根の右斜面に続く参詣道を降っていくと、「第十八番」のを過ぎていきます。 参詣道の真ん中にあるの蓋を過ぎていきます。 程なくして、ベンチが設置された尾根の背に出ます。 仁王門から27分ほどの所になります。 山際にはが並んでいて、 その中の台座から降りた石仏に「二丁」と刻まれていますが、 これまでと同様の標識は見かけませんでした。
右へ曲がって、のような所を降っていきます。 の跡のような所を降っていくと、「第六番」の石仏があります。 を曲がりながら降っていくと、 ベンチの手前に「第四番」と「五番」の石仏が並んでいます。 「四番」の石仏を過ぎて降っていくと、左側に「四十五番」の石仏があります。 仁王門から32分ほどの所になります。 右側には苔生して番号が判読できない石仏が並んでいて、その背後に「1丁目」のがあります。
下山地
三つ並んだを過ぎていきます。 「第三番」と「三番」のを過ぎていきます。 更に降っていくと、右にある小径へ入った所にが三つ並んでいて、 その中に「第貳番」があります。 参詣道に戻って左へ曲がりながら降っていくと、舗装路に降り立ちます。 仁王門から37分ほどで降りて来られました。
稲荷天堂
道は正面へ続いていますが、右側すぐの所にあるに立ち寄っていきます。 石垣沿いに進んで右側の石段を登ると、正面に社殿があります。 扁額は掲げられていませんが、壁に「正一位稲荷大明神」や「正一位稲荷天堂」の文字が書かれたがあるので、 「稲荷天堂」という名前なのでしょうか。 社殿の右側には「愛宕神社 軻遇突智尊」、左側には「稲荷神社 保食神」のがあります。 稲荷神社の奥には小社が三つ納められらた祠もありますが、名前は分かりませんでした。 左にある相応峰寺の裏側まで行くと、荷物運搬用のがありますが、 圓通殿の傍で見かけたモノレールへ続いているのでしょうか。
相應峰寺
石段を引き返した所から、曲がっていきます。 山門・白壁の蔵・鐘楼などを過ぎていくと、の境内に出ます。 本堂の前はになっていて、十一面観世音菩薩像などがあります。 傍にはが並んでいて、その中に「第壱番」の石仏があります。 庭園から振り返って本堂を眺めていきます。
から境内を出て行きます。 すぐに左へ曲がって、広いを降っていきます。 両側に立つ大きな仁王像の間を過ぎていくと、「大辯財天」の扁額が掛かるが立っています。 先には小池があって、火焔を背負ったがあります。 以前に来た時には「銀水」と書かれた立札があったのですが、この時には見かけませんでした。 道路に出て振り返ると、左側に「観音山 相應峰寺」と刻まれた石柱があり、 右側に「圓通殿観世音菩薩 但馬西國第廿九番札所」などの石柱があります。 左側には駐車場があって、脇に「観音山 相応峰寺(天台宗)」と題した解説板があります。
観音山 相応峰寺(天台宗)
指定文化財(国) 十一面観音立像明治34年8月2日
(県) 両界曼荼羅図昭和62年3月6日
(町) 不動明王画像昭和52年4月3日
(町) 十六善神像昭和58年4月1日
(町) シイの原生林昭和60年3月1日
所有者・管理者 宗教法人 観音山相応峰寺
相応峰寺は、天平9年(737)行基によって開かれたと伝えられている。 当初は「九品山極楽寺」と呼ばれていたが、貞観元年(859)清和天皇より「相応峰寺」の号を賜り、「観音山相応峰寺」と改められた。 観音山の山頂には観音堂があり、平安時代初期の作と推定される本尊十一面観音菩薩立像が安置されており、毎年春に公開される。 その他相応峰寺には、両界曼荼羅図など多くの文化財が伝えられている。 また、観音山山頂周辺には、シイの原生林をはじめ貴重な樹木が茂っている。
平成8年3月 浜坂町教育委員会
正面の道路を進み始めた所に建つ民家の手前を右折して、を進んでいきます。 道なりに右へ曲がって、の下を進んでいきます。 防護柵に沿って進んでいくと、が設置された道が右へ戻るように分れていきます。 縦杭の階段の先には幟旗が幾つも並んでいて気になりますが、立ち寄るのは省略します。 防護柵に沿って更に進んでいくと、曲がり角に小池のような所があって、「金水」の標識が立っています。 岩壁にはなどが幾つか並んでいて、火炎を背負った石像もあります。 以前に来た時には「金水 但馬の名水に選ばれました」と書かれた小板もありましたが、 この時には板はあっても文字が消えて判読出来なくなっていました。
清富地区
金水を過ぎた先にあるを右折していきます。 防護柵に代わって鉄製の手摺りが続くようになる道を、に沿って進んでいきます。 川沿いへ降りていくもありますが、入口は網で塞がれています。 川から離れていくと公園へ降りていくもありますが、ここでも入口は網で塞がれています。 程なくして、浜坂白馬公園が見えてきます。 「花の散歩みち」の標識が出る所を折れ曲がっていきます。 「浜坂白馬公園 案内図」を過ぎていくと、車を止めておいた駐車場が右側にあります。 社寺への立ち寄りを含めて、下山地から27分ほどで到着しました。
白馬橋を渡った先にある分岐を「帰り道←」の標識に従って左折して家路につきます。