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湊宮地区
久美浜湾の西岸に続く府道49号(久美浜湊宮浦明線)を北上していきます。
「筏のりば」を過ぎていくと、信号機のないがあります。
角には菱形のが立っていて、
正面へ続く府道49号は「夕日ヶ浦9km」「小天橋2km」、左へ分かれていく府道122号は「風蘭の館3km」「蒲井浜2km」となっています。
交差点を左折して府道122号を登っていくと、左へ曲がるヘアピンカーブの手前に、路肩の広がった所が幾つかあるので、
一番先の電柱「旭86」「旭26」が立つ所に車を止めました。
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登山口
駐車地の先へ続く府道122号を100mほど進んでいくと、左へ曲がるがあります。
左側には「路面凍結防止剤」が入った半円筒形の黄色い設備があります。
右側にじじら山への登山口があります。
入口には「じじら山展望台 山頂まで500m」の大きなが立っています。
浅い谷筋へ入ってすぐの所に、丸太のがあります。
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入口付近には両側に丸太が敷かれた横木の階段のがあるのですが、
この時には落ち葉が積もって分り難くなっていました。
程なくして谷筋がに分かれていますが、朽ち果てそうになった横木の階段が続く左の谷筋を進んでいきます。
程なくして丸太のを過ぎていきます。
登り傾斜が増してくると、階段沿いにトラロープが続くようになります。
登山口から2分ほどの所になります。
ロープに掴まるほど危険な様子はなくて目的はよく分かりませんが、稜線に出るまで続いています。
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は最初のうちは地面を這っていますが、
倒木を過ぎた辺りから地上に張られるようになります。
が階段に進出してきている所を登っていきます。
階段を斜めに横切るように張られている所が何ヶ所かあって、
身を屈めてロープの下をくぐっていくのが少々面倒です。
かなり段差の高い横木の階段に難儀しながら登っていくと、丸太のベンチがあります。
登山口から5分ほどの所になります。
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更に続く横木の階段を喘ぎながら登っていくとが少し茂る所に入っていきますが、程なくして抜け出ます。
次第に汗も噴き出てくるので、振り返って僅かに見えるを眺めながら休み休み登っていきます。
が少し進出している所を過ぎていきます。
松の幼木が見られる所を過ぎて、煩わしいトラロープをくぐったりしながら、延々と続くを登っていきます。
少し蛇行するようになる横木の階段を登っていくと、正面の樹間が明るくなって稜線が見えてきます。
もうすぐ尾根に出られると分かって、気を取り直して登っていきます。
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次第に近づいてくる稜線を目指して、段差の高いを登っていきます。
振り返ってを眺めながら登ってきます。
休み休み登っていくと、は終わりになります。
トラロープが終ってもしばらく続く横木の階段を登っていくと、左右に延びる尾根に登り着きます。
登山口から13分ほどで登って来られました。
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173.5m峰 (点名:大向)
じじら山へは右の尾根を進んでいくのですが、三角点に立ち寄るべくを進んでいきます。
左へ曲がりながら登っていくと、すぐに一段高い所に出ます。
中ほどに「大向」があるので、地形図に載っている173.5m峰になるようです。
傍には丸太のベンチもあります。
以前に来た時には眺めが良かったのですが、樹木が育ったのか、
この時には西側に蒲井地区のが少し見えるだけでした。
眺めが広がる所を探しながら、北へ続くを進んでみます。
樹木が煩わしい尾根を進んでいくと、樹木が減ったに出ます。
右の樹間には、久美浜湾に突き出すが少し見えました。
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まで引き返して、じじら山へ向っていきます。
小さく左・右と曲がって稜線に登り着いた所を過ぎていくと、
すぐに丸太のがあります。
緩やかな尾根を進み始めると、左の樹間に僅かにを眺められますが、以前よりも樹木が邪魔をしています。
目指すを正面に眺めながら軽く降っていきます。
程なくして、緩やかな尾根になります。
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しばらく進んでいくとになりますが、173.5m峰への急な階段に比べれば楽勝です。
左の樹間に僅かにを眺めながら登っていきます。
が茂る所まで来て、左側から避けて登っていきます。
が目立つ尾根を登っていきます。
やがて傾斜が緩んだ所に着きます。
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じじら山 (四神ヶ嶽)
少し左から右へ曲がりながら登っていくと、また傾斜がになります。
見えてくるへ向っていきます。
程なくして、小広いじじら山の山頂に着きます。
173.5m峰から10分ほどで到着しました。
情報によると四神ヶ嶽とも呼ぶようです。
以前に来た時には石積みの上にあったは少し離れた所に降ろされていますが、以前と同じく東を向いています。
石積みの傍にあった「建暦年間 蛭児大神 鎮座地乃跡」と書かれたも、少し脇に移されています。
山名の謂れなどを記したものは見かけませんが、行き交う千石船をここから監視していたのでしょうか。
「四神」とは青竜・朱雀・白虎・玄武のことでしょうか。
「じじら」という名前の意味もよく分かりません。
四神
四神(しじん)は、中国の神話、天の四方の方角を司る霊獣である。四獣(しじゅう)、四象(ししょう)ともいう。
東の青竜(せいりゅう)・南の朱雀(すざく)・西の白虎(びゃっこ)・北の玄武(げんぶ)である。
出典:ウィキペディア
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東側には小天橋などを見下ろせるのですが、ここでも樹木が育っていて眺め難くなっています。
大向水道の先にあるの集落も見下ろせますが、手前の樹木が邪魔をしています。
以前にはここから里に下ろされたという蛭児神社も見えたのですが、この時ははっきりしませんでした。
少し角度を変えると、久美浜湾に突き出すが見えます。
周囲の様子を確認したりしながら休憩していきます。
参考までに、湊宮地区にある蛭児神社にある解説板の内容を載せておきます。
蛭児神社
御祭神 天津日高彦穂々出見尊 火遠理命 豊玉毘賣命
由緒 当社は往古日留居大明神と唱え、四神ヶ嶽に奉斎されておりましたが、
鎌倉時代の建暦年間(1211〜1213)、勅諚に依り、将軍・右大臣源実朝公が、現在の地に移転したといわれています。
『玉葉集』に鎌倉右大臣の歌があります。
「 神風や 朝日の宮の宮移し 影長閑なる代にこそ有けれ」
とあります。
朝日の宮は即ち当社のことで、当時の造営が成り遷宮の有様を詠んだものであります。
後年社殿の炎上によって大永2年(1522)壬年8月18日再造営がなされた事は、丹後旧事記其の他の記録により明らかであります。
幕政時代、湊宮に船見番所がありましたが、享保2年代官飯塚二郎の代に、船見番所を改めて陣屋が置かれた。
其の当時、代官の崇敬があった様で、御剣一口の奉納の記録があります。
日留居大明神は延喜式の所載(第60代後醍醐天皇の時代897〜929に編修された神社明細帳)の村岡神社との説があります。
日留居は蛭児であることから後年社名を蛭児神社と称するようになった。
明治43年拝殿を改築し、境内社稲荷神社は元稲荷山にあり、小泉市太夫代官の奉祀崇敬する社で、明治維新の際、現地に移転した。
さらに、平成21年6月御本殿廻りの玉垣を僅か取り除き改修、其の他狛犬、灯籠の移設をも施した。
正面のみ石垣を新調し周囲は旧石垣を積みなおした。
境内西北程にも四神ヶ嶽山頂に向かい蛭児神社御鎮座の跡の遥拝所を造営し鳥居を建立した。
四神ヶ嶽(ジジラともいう) 蒲井村より大向村へ越える処の右の方に当り、この山上に村岡ノ神社がある。日留居大明神と云うとある。
「丹哥府志」に、次のような記述があります。
関が原の役のとき、福知山の城主小野木継殿介が、細川越中守の留守に乗じて、田辺の城を攻めた。
是に於いて、玄旨法印は、長岡玄蕃頭の妻及び松井佐渡守の妻子を皆、田辺城内に呼び寄せ、
その居城に火を放ち、一国一城のほかは、更に城塁を破壊し、悉く田辺城内に籠った。
しかし、なにぶん急なことであり、久美より田辺に待機する時間はなかった。
そこで、久美にいた佐渡の守の妻子は山深く隠れるように下知された。
よって、大西三郎佐衛門、大西惣兵衛などお供してこの山に隠れたとあります。
摂社 |
大川神社 御祭神 五元五柱神 保食神 大己貴神 少彦名神 埴安姫神 大土御祖神
日御碕神社 御祭神 天照皇大神 素盞鳴尊
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境内社 |
稲荷神社(天満宮合祀)
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落ち着いたところで、南南西へ続くを進んでいきます。
左右を覗いながら軽く降っていくと、左側の樹木にが取り付けられています。
ここを左前方へ進んでいきます。
壊れたを左に見ながら進んでいきます。
程なくして、半枯れの樹木にペンキが流れたがあります。
その少し先の樹木にも矢印板が取り付けられています。
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少し左へ曲がって、剥き出すへ向っていきます。
根元付近から幹が分かれている樹木まで来ると、赤ペンキのがあります。
すぐに剥き出すがあります。
小岩を右から回り込んでいくと、樹木にが幾つか取り付けられています。
小岩を過ぎて、矢印板や赤ペンキのマーキングを辿りながら広い斜面を降っていくと、
赤頭短杭も見かけるようになります。
写真では良く分かりませんが、歩く部分には樹木が生えていなくて広い道のようになっています。
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適度な間隔で見られる赤頭短杭・矢印板・赤ペンキのマーキングを確認しながら、広い道のようなを降っていきます。
久美浜湾に突き出すを正面に眺めながら降っていきます。
かなりが急なので、脇の樹木に手を掛けたりしながら降っていきます。
少し傾斜がもあって、ホッとしながら降っていきます。
また傾斜が増してくる斜面を降っていきます。
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樹間にが見える所が何度かあります。
カキのも見えます。
足元に注意しながら降っていくと、矢印板と赤ペンキのマーキングが見られるがあります。
じじら山から20分ほどの所になります。
このまま正面(*)へ降っても良いのですが、ここで少し右へ曲がって降っていきます。
*赤頭短杭が続く正面の斜面を降るルートはルート図に緑色で表示。
途中にはが見える所があります。
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少し樹木が茂り気味のを降っていきます。
次第に傾斜が歩き易くなります。
細い倒木が行く手を遮る所まで来ると、が取り付けられています。
ここにも赤頭短杭が見られます。
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小尾根
左側にはが見えます。
左へ曲がって斜面を横切っていくと、が取り付けられた樹木があります。
小尾根に出て右へ曲がると、根元付近から幹が分かれた樹木があります。
じじら山から26分ほどの所になります。
樹木に近づいていくとが取り付けられていて、袂には赤頭短杭があります。
正面のには樹木が茂り気味で歩き難そうです。
左右を覗っていると、左のに赤ペンキのマーキングがある樹木が見えるので、左へ降っていきます。
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見えていた赤ペンキのマーキングがある樹木を過ぎていくと、小さなを切り開いたような所があります。
窪んだ所を過ぎて植林地になると、左側に棚状のが幾つか見られます。
道のようになっていて、すぐ北側の小尾根(*)に出て降りていけます。
今回はこのままを降っていきます。
程なくして大きなを避けていきます。
の脇を降っていきます。
谷筋の左側に現れる小径を辿って降っていきます。
*北側の小尾根を降る道はルート図に緑色で表示。
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下山地
道を塞ぐの下をくぐっていきます。
更にあるを跨いだりくぐったりしながら進んでいくと、先の方が明るくなってきます。
車道が近づいてくると、左上に(*)があります。
広い道を降っていくと、すぐに府道49号に出ます。
じじら山から36分ほどで降りて来られました。
振り返ると、脇の樹木にが取り付けられています。
*棚状の平坦地から小尾根を降ってくると、ここに出られます。
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右へ続くを進んでいきます。
左側に広がるを眺めながら進んでいきます。
程なくしてが立っています。
道路標識を過ぎると、すぐに空下交差点があります。
下山地から7分ほどの所になります。
正面には「蒲井浜2km」などのの標識、右側には道路標識があります。
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湊宮地区
右折して、谷筋に続くを進んでいきます。
別荘風の建物を過ぎて金網柵で囲まれたが見えてくると、左に分かれていく地道を見送っていきます。
次第に狭くなるを軽く登っていきます。
やがて左側に広いがありますが、入口にはロープが張られています。
「旭86」「旭26」の標識が取り付けられた電柱まで来ると、車を止めておいた駐車地に着きます。
下山地から20分ほどで到着しました。
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