烏ヶ岳
概 要 烏ヶ岳は福知山市の猪崎地区と印内地区の境にある標高536.5mの山です。 電波塔が建ち並ぶ山頂からは山並みを見渡せます。 北東側にある観音寺からのルートがよく歩かれているようですが、 今回は南西側にある三段池公園から醍醐寺の東側の尾根を登って420m峰を経て山頂へ至り、醍醐寺の西側の尾根を降るルートを歩きます。
起 点 福知山市 猪崎地区
終 点 福知山市 猪崎地区
三段池公園…醍醐寺…登山口…見晴台…420m峰…小枝峠…電波反射板…烏ヶ岳…下山口…小峰…墓地…醍醐寺…三段池公園
所要時間 3時間50分
歩いて... 420m峰の手前にある見晴台までは、ロープが張られた急坂が続きます。 何度も立ち止まって呼吸を整えながらの遅いペースでの登りになりました。 少し霞んでいたのが残念ですが、山頂からは広がる山並みを眺められました。 下山ルートの尾根に登山道はありませんが、下草は生えておらず藪漕ぎするほど樹木が密生していなくて助かりました。
関連メモ 鬼ヶ城
コース紹介
猪崎地区
福知山市の猪崎地区にある三段池公園の第10駐車場から歩いていきます。
入口には「第10駐車場」の標識となどが掲示されています。 駐車場にはトイレと飲み物の自販機があります。 近くにはがあります。 「大はらっぱ」の上に出て振り返ると、烏ヶ岳から鬼ヶ城にかけてのが良く見えます。
第10駐車場
この駐車場の利用時間は下記のとおりです。 時間外は施錠しますのでご協力ください。
 6月〜8月 午前8:30〜午後6:30
 9月〜5月 午前8:30〜午後5:00
福知山市、(財)福知山市都市緑化協会
駐車場を出て、石祠に安置された双体の石仏が並ぶを北北東へ進んでいきます。 少し右へ曲がる所まで来ると、脇に「下猪崎圃場整備記念碑」と刻まれたがあります。 左前方へ降る道とのまで来ると、右側に「賀茂神社」の扁額が掛かる鳥居があります。 のすぐ先に社殿が見えているので、ちょいと立ち寄っていきます。 舗装された参道を進んでいくと、すぐに「奉納 賀茂神社」の扁額が掲げられた社殿があります。 由緒などを記したものは見掛けません。 左側にある小振りの社は金比羅宮になります。
往復1分ほどで舗装路に戻ってその先へ進んでいくと、目指すが正面に見えるようになります。 ズームアップすると、にある電波塔群が見えます。 「猪崎自治会掲示板」があるを直進していきます。 舗装路が左へ分かれる所まで来ると脇にが立っていて、 「烏ヶ岳登山口→ 右」、「←鬼ヶ城登山口 左」となっています。
醍醐寺
左の道を見送って正面へ進んでいくと、舗装路が右へ分かれていきます。 角にはがあります。 登山口へは右の道を進んでいくのですが、正面に醍醐寺があるので立ち寄っていきます。 左側には駐車場と思われるがあります。 正面にあるを登っていきます。 立派なをくぐっていきます。 境内に入ると正面に醍醐寺の本堂があります。 駐車場から13分ほどの所になります。 右には庫裡と思われる建物が続いています。 左には半僧坊大権現があります。
千年杉 ひねもす読経の 法師蝉 (むつみ)
醍醐寺
福知山市指定文化財
三光国師像図 一幅
木造薬師如来坐像 一躰
醍醐寺額下書き 一
醍醐寺は南北朝時代(1340年頃)に後醍醐天皇の菩提を弔うために足利尊氏が創建した寺で、多くの文化財が残されています。 三光国師像図、寺伝では室町時代中期の画家土佐光信の筆と伝えられています。 木造薬師如来坐像は、桃山時代屈指の仏師である康正が元亀2年(1571)に作ったものです。 額下書きは足利六代将軍義教が祈願寺と定めたとき自書したものです。 いずれの文化財も、醍醐寺が室町幕府と密接な関係を持ち栄えたことを物語る貴重な資料です。
福知山市教育委員会
二階に釣鐘があるから醍醐寺を出ていきます。 石段を降りて、左にあるを進んでいきます。 石垣沿いに進んでいくと、右から登ってくるに出ます。 手前にあった寒谷配水池がある分岐から来る道になります。 左へ曲がって登っていくと分岐があります。 角には「烏ヶ岳 急登コース」の標識が立っていて、右の道を指しています。 正面の舗装路はすぐ先で終わっていて、そこから広めのが始まっています。 入口には「烏ヶ岳登山口」の標識があります。
登山口
正面のすぐ先から始まる登山道は見送って、「烏ヶ岳 急登コース」の標識が指す右のを進んでいきます。 程なくして、小川に架かるを渡っていきます。 「特定猟具使用禁止区域」の赤い標識が立つに出て、左折していきます。 左へ曲がっていく所まで来ると、正面の植林地へ続くが分かれていきます。 脇には矢印だけの標識が倒れています。 ここが今回の登山口になります。 駐車場から21分ほどの所になります。
植林地と浅い谷筋の境に続くを進んでいきます。 少し右へ曲がりながら進んでいくと、谷筋を横切るように曲がっていきます。 手前には赤頭短杭があります。 谷筋を横切って登り坂が始まると、脇の樹木に「烏ヶ岳」のが挟まっています。 右へ曲がって、植林地の斜面に現れるを登っていきます。 赤テープが巻かれた樹木が点々と続くようになり、登山ルートを示しているようです。
植林地の斜面を軽く登っていくと、石がゴロゴロするに出ます。 登山口から5分ほどの所になります。 広めの道が沢沿いに左から右へと続いています。 どうしたものかと辺りを見回していると、沢の対岸に赤ペンキでが描かれた樹木が見えるので、 僅かに水が流れる沢を渡っていきます。 よく見ると、沢から上がった所にある小岩にも赤ペンキでが描かれています。 が横に張られた所の左側を進んでいくと、 樹木に加えて小岩や石にもマーキングが見られるようになります。 傾斜が増し始めると「界」の赤プラ杭を過ぎていきます。 登山口から11分ほどの所になります。
益々傾斜が増してくる植林地を登っていくと、 階段状に施されたが途切れながら続くようになります。 地肌が剥き出す急斜面は滑り易いので、大いに助かります。 が茂る所もありますが、 歩く所には生えていなくて行く手を遮ることはありません。 シダ類が茂る所を過ぎるとが始まります。 登山口から16分ほどの所になります。 途切れながら続くロープに掴まったりしながらを登っていきます。 小さく曲がりながら、引き続き切れ込みが施された急坂を登っていきます。
交替のために両側に続くようになるロープの間を登っていくと、 「一一〇」のタイルが嵌めこまれたを過ぎていきます。 延々と続くロープに沿ってを登っていきます。 次第に息が切れてくるので、何度も立ち止まって噴き出す汗を拭い呼吸を整えながらゆっくり登っていきます。 は道の右側になったり左側になったりしながら続きます。 やがてが幾つか剥き出すようになります。 登山口から33分ほどの所になります。 大岩群を過ぎて、更に続く急坂を登っていきます。
見晴台
次第に疲れが溜まってくるので、歩幅を小刻みにしてを遅い速度で登っていきます。 少し傾斜が緩んだのような所で立ち止まったりしながら登っていきます。 すぐに傾斜が増してくるを休み休み登っていきます。 やがて、樹木が伐採されたに出ます。 ロープに沿って登っていくと、鉄パイプ製の椅子がふたつ置かれた見晴台に着きます。 登山口から45分ほどの所になります。 脇には「ちょっと一息 見晴台」の標識があります。 振り返るとが広がります。 リュックを降ろして水分補給をしながら、急坂を登ってきた疲れを癒していきます。
420m峰
気を取り直して先へ続く尾根を登り始めると、これまで続いてきたは終わりになります。 少し登っていくとになります。 程なくしてが増してきますが、 見晴台までの急坂に比べると楽勝です。 しばらく登って傾斜が緩やかになる尾根を進んでいくと、尾根が分岐している高みに着きます。 この場所を示すものは見掛けませんが、地形図に載っている420m峰になるようです。 見晴台から10分ほどの所になります。 標識が二つ立っていて、 は「川北方面下山道」、 は「烏ヶ岳山頂」、今来た道は「三段池下山道」となっています。 周囲には樹木が茂っていて眺めは広がりませんが、周囲の様子を確認しながらひと息入れていきます。
小枝峠
落ち着いたところで、「烏ヶ岳山頂」の標識に従って、を降っていきます。 次第にが増してくる尾根を降っていきます。 傾斜が緩やかになると、道が左右に分かれる鞍部になった小枝峠に着きます。 420m峰から6分ほどの所になります。 手前の樹木には標識が挟まっていて、今来た道は「三段池急坂下山コース」となっています。 中ほどには「烏ヶ岳山頂」のがあって、正面の道を指しています。 消えかかった標識もあって、この場所は「小枝峠」、正面の道は「烏ヶ岳」となっています。 左右の道も描かれていますが、文字は判読出来ませんでした。 左右の道の入口には各々標識があって、は「印内下山道」、 は「三段池下山コース」となっています。 ここでも周囲の様子を確認しながら、ひと息入れていきます。
「烏ヶ岳山頂」の標識が指すを登っていきます。 緩やかな所を過ぎていくと、またになります。 少しを登っていきます。 が増してくると、右・左と曲がりながら登るようになります。 何度か曲がりながら登っていくと、標高440mほどの緩やかな尾根になります。 小枝峠から10分ほどの所になります。
電波反射板
緩やかな尾根を進んでいくと、またになります。 少しを登っていきます。 石がゴロゴロする所を登っていくと、「一一二」のタイルが嵌め込まれたを過ぎていきます。 になった尾根を軽く登っていきます。 「境界」の石杭が見られる尾根を登っていくと、大きな電波反射板に着きます。 小枝峠から18分ほどの所になります。 振り返ると、少しが見えます。
烏ヶ岳 (標高836.5m)
電波反射板の先に続くを登っていきます。 「境界」の石杭が幾つも見られる尾根を登っていくと、左に少し入った所にが立っています。 元の道に戻って尾根を登っていくと、石垣の上に立つが見えてきます。 石垣の右側を登っていくと、電波塔が幾つか立つが見えてきます。 右に見えるを眺めながら登っていきます。 金網柵に沿って登っていくと烏ヶ岳の山頂に着きます。 電波反射板から8分ほど、登山口から1時間40分ほどで登って来られました。
中ほどには「烏ヶ岳」があるので、地形図に載っている836.5m峰になるようです。 山頂には朱と白に塗られたの小祠があります。 屋根には5本の鰹木が乗り外削の千木が聳えています。 中を覗って見ると、屋根に5本の鰹木が乗り外削の千木が聳える白木の社が安置されています。 特徴的な形をしたもあって、かつてはこの山にどっしりと鎮座していた神社のようですが、 今では立ち並ぶ電波塔に主役の座を奪われてしまったようです。 金網柵には「烏ヶ岳」のが幾つか取り付けられています。 以前に来た時には枯れ木がありましたが、この時には切断されて切り株だけになっていました。 少し霞んでいるのが残念ですが、東側には山並みが広がります。
丁度昼時になったので、南西側にも少し見えるを眺めたりしながら昼食タイムにしました。
お腹が満ちたところで、登ってきた尾根のひとつ西側の尾根を降るべく、 正面に続くを降っていきます。 左へ曲がっていく舗装路まで来ると、「池辺無線中継所」のがあります。 その先の 「福知山市防災行政無線」の銘板が取り付けられた設備を過ぎていくと、左へ降っていくがあります。 入口には「三段池公園下山道」と「下山道」のがあって、赤テープが幾つも巻き付けられています。 左の道を見送って正面に電波塔が見えてくると、広い地道が右前方へ分かれていきます。 入口には「下山道」の標識が立っています。 右前方の地道(*)は鬼ヶ城観音寺へ続いていますが、 正面の舗装路を降っていきます。
*右前方の地道は「鬼ヶ城」を参照。
池部無線中継所
施設の概要とお願い
池部無線中継所は国(建設省)が管理している河川(由良川)について、 流域内の各地に設置した無線式テレメータ観測局からの水位、雨量データの収集を行い、河川改修計画の基礎データとする外、 工事、維持管理はもとより災害防止、災害対策等にとって重要不可欠な無線式テレメータ通信回線の中継を行っています。 本施設について、異常又はお気付きの点がありましたが、下記への連絡をお願いします。
施設管理者 福知山市字堀小字今岡2459-14 近畿地方建設局 福知山工事事務所
下山口
尾根の左斜面に続く緩やかなを、左へ曲がりながら進んでいきます。 左側に僅かにを眺めながら進んでいきます。 右から左へと少し曲がりながら続くを進んでいきます。 右へ大きく曲がる所まで来ると、左下に続く尾根があります。 ここが今回の下山口になります。 烏ヶ岳から7分ほどの所になります。
角に立つ2本の電柱には「カラスガタケ116」と「醍醐寺69」のが取り付けられています。 電柱の右側からを降っていきます。 尾根に明瞭な道はありませんが、下草は生えていないので支障はありません。 足元に注意しながら降っていくと、程なくして3本組の電柱(電柱1)が立っています。 下山口から2分ほどの所になります。 左側には山頂に立つの先端が見えます。 右前方にはが見えます。
電柱の先に続くアセビが少し茂るを降っていきます。 少しが見られるものの、歩き易い尾根を降っていきます。 程なくしてになります。 再びが茂るようになりますが、行く手を遮るほどではないので助かります。 正面が明るくなってくると、2本組の電柱(電柱2)が立っています。 下山口から10分ほどの所になります。
正面に山並みを眺めながら、の間に続く踏み跡を降っていきます。 程なくしてアセビが茂る所を過ぎて、の下をくぐっていきます。 植林地と雑木林を分ける尾根を降って緩やかになると、のように盛り上がった所を進むようになります。 馬の背のような所を過ぎると、広い尾根に出ます。 右側の少し先には2本組の電柱3)が立っています。 下山口から17分ほどの所になります。
電柱を見送って、を更に降っていきます。 少し降っていくとになります。 程なくして現れる少しを降っていきます。 窪んだ道が倒木などでは、左右の上を歩いたりしながら降っていきます。 窪みがなくなると、標高320mほどの緩やかな尾根になります。
緩やかな尾根を快調に進んでいくと、軽いになります。 少し登っていくと、倒木が幾つか見られる標高330mほどのに着きます。 倒木の傍には赤頭短杭があります。 高みを過ぎて、倒木が少し見られるを降っていきます。 少し雑木が茂る尾根を降っていくと、2本組の電柱(電柱4)が立っています。 下山口から31分ほどの所になります。 正面にはが見えます。 振り返ると、山頂近くのが見えます。
小峰
電柱の先へ続くを降っていきます。 少し降っていくと緩やかなに着きます。 すぐにになる尾根を進んでいきます。 少しアセビが茂る尾根を登っていくと、標高300mほどの小峰に着きます。 下山口から35分ほどの所になります。 中ほどには「醍醐寺」と刻まれたと「七三」のタイルが嵌めこまれた苔生した石杭が並んでいます。
右へ曲がっていくを降っていきます。 緩やかになった尾根を進んでアセビが茂る辺りまで来ると、尾根がに分かれています。 うっかりしているとこのままを進んでしまいますが、 方角を確認してを降っていきます。 所々に赤テープが見られる尾根を降っていきます。
しばらく降っていくとになります。 適度な間隔で続くを確認しながら進んでいきます。 右へ曲がっていくと、を見掛けるようになります。 緩やかになった尾根を進んでいくと、軽いになります。 程なくして、僅かな高みを越えて降っていきます。 下山口から50分ほどの所になります。
左へ曲がりながら続くを降っていくと、赤頭短杭を過ぎていきます。 少しが見られる尾根を降っていきます。 引き続き見られるを確認しながら、次第に緩やかになる尾根を進んでいきます。 やがて僅かに窪んだ道を降るようになります。
墓地
程なくして、は左前方へと降っていきます。 窪んだ道の先には緑色の防護網が見えますが出口がないので、このまま正面の尾根を降っていきます。 正面の尾根を進み始めると、が巻かれています。 再びが現れると、先ほどから見えていた緑色の防護網が近づいてきます。 の方へ向かいながら降っていきます。 防護網に沿って降っていくと墓地の脇に降り立ちます。 下山口から1時間2分ほど、烏ヶ岳から1時間9分ほどで降りて来られました。
右側にはがあります。 振り返って、を確認していきます。 左側にはがありますが、鍵類は取り付けられていません。 扉を少し持ち上げるように押すと容易に開けられます。 防護扉を過ぎると、醍醐寺に出ます。 山際に続く道を真っ直ぐ進んでいくと、半蔵坊大権現の前に出ます。
丹波半蔵坊大権現
半蔵坊の縁起については鎌倉建長寺の場合や浜松の方広寺の鎮守として人気のある奥山半蔵坊が大勢の参拝客を集め有名ですが、 いずれも臨済宗の禅師に仕えた「半ば僧にして僧に非ず」と、半蔵坊として入門し、 禅師と寺を守護すると共に衆生の苦難を救ったと言われています。 醍醐寺の半蔵坊は明治17・8年ごろ萩野・天野・天藤諸氏等が、当時の松田正覚和尚(七世)に事の由を話されたところ、 和尚は痛く心を打たれ遠州の本山から半蔵坊を勧請して、 明治22年4月当山の鎮守として鬼城山麓、古木・老杉の繁るこの地に奥山半蔵坊より分霊して祀られました。 当時は一人一事は成功させる「一願成就」の力があると、積極的な神通力を発揮したそうです。 時の過ぎるままん、庶民の願いも変化して、商売繁盛・五穀豊穣から時代の要請というか反映か、 明治の末期から大正時代にかけて「兵役逃れ」「クジ逃れ」の権現様として庶民に親しまれています。 やがて、軍国主義化により、官憲の注目するところとなり、 終戦により神仏共によりどころをなくした混沌とした時代を「一願成就」だけは細々と生きてきた中で、 高度成長時代を過ぎ、現在の広瀬住職になり昭和59年書院の落慶と共に大祭準備に入り粗飯の代わりにうどん接待となって、 昭和60年大祭を再興しました。 さて、今の時代、異常気象のみならず、テロが横行し、世界中が物騒になり、内から、外から、不安が押し寄せる中、 ここ丹波半蔵坊の御社が安心・安全を願う「パワー・スポット」となることを、願っています。
平成27年11月吉日
醍醐寺
半蔵坊大権現の前の石畳の参道にはが立っています。 右下には「水壽塔」と刻まれた石碑の背後に大きなが立っています。 正面にはが見えます。 左へ曲がって鳥居をくぐって石段を降っていくと、最初に訪ねた醍醐寺の本堂の前に出ます。 最初に入ってきたから境内を出ていきます。
猪崎地区
石段を降って、正面に続くを進んでいきます。 「烏ヶ岳登山口→ 右」、「←鬼ヶ城登山口 左」の標識が立つ舗装路とのを直進していきます。 「猪崎自治会掲示板」があるを直進していきます。 賀茂神社があるを直進していきます。 水稲育苗施設の奥にを眺めながら緩やかに降っていきます。 右へ分かれていく道を見送っていくと、車を止めておいた三段池公園の第10駐車場があります。 醍醐寺墓地から19分ほどで到着しました。