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南山地区
福知山市を通る国道9号の牧交差点から国道175号を北上していきます。
国道176号を左に分けて京都丹後鉄道の線路下を過ぎていくとがあります。
角には「名刹 室尾谷山 観音寺」「伝説の山 鬼ヶ城」のが出ていて、右へ分かれていく府道492号を指しています。
府道492号に入って線路をくぐって土手を迂回し、由良川に架かる在田橋を渡っていきます。
府道55号との在田交差点を直進していくと、「入口 鬼ヶ城登山道」の看板などが立つがあります。
脇には「室尾谷山 観音寺」と題したがあり、「高野山真言宗 室尾谷山 観音寺」の石標も立っています。
に入って登っていくと、すぐの所に観音寺のがあります。
仁王門を左から回り込んでいくと駐車場があるので、ここに車を止めさせて頂きました。
脇には鬼ヶ城や観音寺のがあり、
先ほどと同様の「観音寺 案内図」と題したもありました。
室尾谷山 観音寺
本尊十一面観世音菩薩
近畿楽寿観音第二十番札所
観音寺御詠歌
おのづから 心をすます とぼそかな 室谷川の 水の流れは
はるばると 登りて見れば 観音寺 山も誓いも 深き谷川
大江町、大江町観光協会
室尾谷山観音寺 木造金剛力士像
福知山市指定文化財 彫刻
この一対の金剛力士像は木造彩色の像で、像高は阿形像が293.0cm、吽形像が296.0cmを測り、この地方にあっては極めて大きな像です。
作風を見ると、鎌倉時代の金剛力士像の特徴である力強い肉付けやスピード感のある衣文を備えています。
全体的にややおとなしい印象を与える点や、この時期の像では珍しく、眼を彫眼とするところがこの像の特徴です。
寺伝によると貞永二年(1233)に蓮乗上人が十一坊を再興した際にこの像たちも新造したといわれており、
鎌倉時代の秀作として注目されます。
平成23年3月 福知山市教育委員会
祝 山門修復
法灯の いよよ輝き 増しませと 修復なりし 山門あふぐ
鎌倉期の 金剛力士は 現代もなほ 御寺まもりて 厳然と立つ
千年の 由緒護りし 仁王尊 法統永久に 承け伝へませ
平成21年 新春 山内賀公尚(作)
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駐車場の先へ続くを登っていきます。
観音寺の本坊への小径を右に分けていくと、石仏を安置した小祠が沢山並んでいる広場が左側にあります。
の脇から広場へ入っていくと、
奥の方に「」がありました。
達筆過ぎて読み間違っている文字があるかも知れませんが、碑文を載せておきます。
四国八十八ヶ所霊場移転 記念碑
室尾谷山観音寺は行基菩薩の開基にして、本尊は十一面観音なり。
大師山八丁十四間の山々に安永年間湛然和尚発願に基づき、高祖弘法大師の八十八ヶ所を奉安す。
以来毎月二十一日に多数の参詣者あり。
明治大正年間に一部を修復安置す。
昭和の今日、大師山の一角が府道サオリ峠開通に伴い、京都府の支援、檀信徒篤信者の力添えを得、
新大師山、当寺の周辺旧安養院跡地に四国八十八ヶ所霊場を移転奉安す。
南無大師遍照金剛 合掌
昭和50年7月吉日 住職 家寺節応
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鬼ヶ城登山口
右側にある小ぶりのを過ぎると、
左側の防護柵に「鬼ヶ城登山コース 頂上へ至る」のが取り付けられていて、正面の道を指しています。
観音寺の本堂へ向かうの手前から、左前方へ続く道に入っていきます。
防護柵に取り付けられた「名刹観音寺と鬼ヶ城登山 登山道入口←」のを過ぎて道なりに左へ曲がりながら進んでいくと、「鬼ヶ城登山口」の標柱が立っています。
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道なりに右へ曲がって、を登っていきます。
右下に観音寺のを眺めながら登っていくと、
金網柵で囲まれたがあります。
施設を左から回り込むようにして植林地を登っていくと、舗装路は左へ曲がっていきます。
その角から右へ未舗装路が分かれていきます。
正面には「鬼ヶ城登山道2km」のが立っていて、右の道を指しています。
傍には「鬼ヶ城登山コース 頂上へ至る」や「メモリアルの森林(鬼ヶ城頂上)ここから2km」の標識が倒れていました。
立入禁止
簡易水道施設につき、関係者以外の立ち入りを禁止します。
大江町長
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砂防ダム
道標に従って、右のを進んでいきます。
50mほど進んでいくと、砂防ダムの手前で未舗装路は終わりになります。
駐車場から12分ほどの所になります。
手前には「鬼ヶ城山頂まで1500メートル」のが倒れていました。
僅かに水が流れるを渡って、
桃テープの先にあるを登っていきます。
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石段を登って左へ曲がり、砂防ダムのを過ぎていきます。
がゴロゴロする所を登っていきます。
「鬼ヶ城登山コース」のを過ぎていきます。
所々に取り付けられているを確認しながら谷筋の右側を登っていくと、踏み跡が左へ分かれていきます。
砂防ダムから3分ほどの所になります。
左の踏み跡の先には「公社造林地」の看板が見えていますが、登山道は正面へ登っていく道になります。
公社造林地
所在地 | 大江町大字南山小字鬼ヶ城278-17 外1筆 |
契約地名 | 鬼ヶ城事業地 |
地 目 | 山林 |
植栽面積 | 8.00ヘクタール |
植栽年度 | 昭和48年度〜昭和50年度 |
京都府造林公社
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の袂を過ぎていくと、傾斜がになります。
植林地の谷筋を登っていくと、を過ぎていきます。
引き続き、所々に取り付けられた桃テープを確認しながら登っていきます。
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丸太橋
岩盤になったに出ると、僅かに水が流れています。
谷筋をに登っていきます。
狭まってくるを登っていくと、壊れかけた丸太橋があります。
砂防ダムから13分ほどの所になります。
ほとんど水が流れていないを渡って、左側の尾根を登っていきます。
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すぐにに出て、
に続くようになった道を登っていきます。
所々に取り付けられているを確認しながら登っていきます。
沢が消えて斜面を登るようになると、正面が明るくなってきます。
樹木の袂にある「鬼ヶ城登山コース 頂上へ至る」のを過ぎていきます。
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支尾根
が巻かれた樹木が多くある所を過ぎていきます。
次第に近づいてくる稜線に向かって、植林地のを登っていきます。
右・左と何度か曲がりながら登っていくと、緩やかになった支尾根に登り着きます。
砂防ダムから25分ほどで登って来られました。
中ほどにはが立っていて、
左の道は「烏ヶ岳1200m」、左前方の道は「鬼ヶ城800m」、今来た道は「観音寺1400m」となっています。
左の道は烏ヶ岳へ続いていますが、先ずは鬼ヶ城へ向かっての道を進んでいきます。
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緩やかになった道を進み始めると、すぐの所に「メモリアルの森林(鬼ヶ城頂上)ここから800m」のがあります。
を等高線に沿うように進んでいきます。
少し右へ曲がっていくと、左へ曲がり始める所に「鬼ヶ城山頂まで700m」のが立っています。
道なりに少し左へ曲がっていくと、正面に稜線が見えてきます。
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鞍部
道端に落ちている「メモリアルの森林(鬼ヶ城頂上)あと500m」のを過ぎていきます。
樹木に寄り掛かっている「鬼ヶ城山頂まで500メートル」のを過ぎていくと、左右に通る尾根にある浅い鞍部に出ます。
支尾根に出た所から7分ほどの所になります。
脇には真新しい標識が立っていて、は「烏ヶ岳山頂」となっています。
他に標識は見かけませんが、鬼ヶ城へ向かってを進んでいきます。
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作業道かと思えるほど広い道を登り始めると、すぐの所に「鬼ヶ城山頂まで400メートル」のがあり、
袂には「鬼ヶ城登山コース 頂上へ至る」の標識もありました。
標識を過ぎていくとになります。
登り傾斜が少し増してくると、道端の樹木の袂に「鬼ヶ城山頂まで300メートル」のが寄り掛かっていました。
次第に傾斜が増してくる広い道を、右・左と曲がりながら登っていきます。
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石垣のようなものが見られるを抜けていくと、
大きな樹木が生えるに出ます。
道なりに左へ曲がって、を登っていきます。
樹木の袂にある「鬼ヶ城登山コース 頂上へもう一息」のを過ぎていくと、
「メモリアルの森林あと100m」の標識があります。
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益々傾斜が増してくるを小刻みに曲がりながら登っていきます。
振り返ると、電波塔が幾つか立つが見えてきます。
急な尾根を曲がりながら更に登っていくと、平らになった所に建つ東屋に着きます。
にはベンチが設置され、「メモリアルの森林 記念植樹」と題した板に氏名が列挙されていました。
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鬼ヶ城 (標高544m)
東屋のから更に登っていきます。
右へ曲がりながら登っていくとに出ます。
そこから左にあるへ登ると、小広くなった鬼ヶ城の山頂に着きます。
鞍部から13分ほど、砂防ダムから46分ほどで登って来られました。
先の方には「鬼ヶ城 544米」のが立っています。
麓の観音寺の仁王門脇の駐車場にあった解説板によると、かつて城塞があった所のようですが、
平らな所も何箇所かあって、砦などが築かれていた雰囲気は残っています。
鬼ヶ城
鬼ヶ城山とも呼ばれるが鬼ヶ城の名で広く親しまれている山である。
大江町南山西部に属し標高(五四四米)の山で、大江町と福知山市の境にそびえる整然とした姿の美しい山である。
この鬼ヶ城の尾根続き東南にテレビ塔がたっている所は、烏ヶ岳(五三六米)である。
鬼ヶ城の頂上は平坦で草地のため展望がきき、自然の景観は雄大である。
福知山盆地銭期及び由良川の流れを眼下にはるかに大江山連峰や丹波但馬の山並を一望することができる。
ここ鬼ヶ城には、酒呑童子の一類である茨木童子がこもっていた(丹哥府誌)という伝承もあり大江山鬼退治伝説の一翼を担っている。
またこの山頂は戦国武将が城塞を設けたところでその遺構が認められる。
頂上まで山あいに登山道があるが昔『鬼ヶ城峠』としてこの道が主要路であった「丹波誌」と考えられる。
鬼ヶ城の「家中屋敷」「鬼洞」「城ノ池」等について古い記録に書き残されているがその山中にその跡と思われるところがある。
当地より鬼ヶ城まで徒歩で40分から1時間程で登山することができる。
平成17年2月吉日 室尾谷山 観音寺、大江町在田区 公会堂竣工記念
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標柱の傍には柱の上に取り付けられたがあって、各方面の山の名前が書かれていました。
中ほどに書かれた碑文によると「見盤」というようです。
読み間違いもあるかも知れませんがを載せておきます。
山頂からは、四方の山並みを見渡せる眺めが広がります。
丁度昼時になったので、新しいベンチに腰掛けて、景色を眺めながら昼食タイムにしました。
見盤
田邊牛田氏ヨリ被贈候
室尾谷山 寺中所有
嘉永癸丑年三月廿七日
御城主 牧野豊前守御登山之砌
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お腹も満ちて眺めも楽しんだところで、来た道を引き返していきます。
一段低い所に降りて右へ曲がり、左へ曲がりながら降っていくとの脇に降り立ちます。
正面に烏ヶ岳を眺めながら、東屋の右側からを小刻みに曲がりながら降っていきます。
「メモリアルの森林あと100m」のを過ぎていきます。
「鬼ヶ城登山コース 頂上へもう一息」のまで来ると、大きな樹木が生える小広い所に着きます。
道なりに右へ曲がって、石垣のようなものが見られる切通を抜けていきます。
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鞍部
尾根に続くを更に曲がりながら降っていきます。
「鬼ヶ城山頂まで300メートル」のが寄り掛かる樹木を過ぎていくと、傾斜が緩やかになってきます。
「鬼ヶ城山頂まで400メートル」のや「鬼ヶ城登山コース 頂上へ至る」の標識を過ぎていくと、
分岐になった浅い鞍部に着きます。
山頂から9分ほどで降りて来られました。
傍の細い木にはが幾つも取り付けられていました。
支尾根から登って来た道は左になりますが、
烏ヶ岳へ向かって、真新しい標識「烏ヶ岳山頂」が指す正面の道を登っていきます。
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尾根の傾斜は急ではありませんが、階段状に真新しいが入れられていました。
前日の雨で滑りやすくなっていたので助かりました。
に明瞭な道はありませんが、樹木が少なくて歩き易くなっています。
鞍部から2分ほど登って緩やかになった僅かな高みに着くと、尾根が二股に分かれています。
へ降る尾根も歩けそうでしたが、
先の方に赤テープが見えるの尾根を進んでいきます。
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緩やかな尾根を進んでいくと、の脇を過ぎていきます。
を跨いで、所々に取り付けられた赤テープを確認しながら進んでいきます。
植林地の手前まで来ると、赤く塗られた竹の棒が樹木の間に渡されていました。
何を意味するのかは分かりませんでしたが、「ここをくぐれ」という意味だと解釈してくぐっていきました。
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傾斜の増したを降っていきます。
この辺りにも切れ込みが入れてあって歩き易くなっていました。
程なくして両側が明るくなって、へ向かって降っていきます。
の脇を過ぎていくと、
先ほどと同様の赤く塗られたが渡された樹木が左側にあります。
尾根の背から外れて棒の下をくぐり、切れ込みが入れられたを降っていきます。
少し曲がりながら降っていくと、支尾根に登り着いた所から分かれてきた広めの道に降り立ちます。
鞍部から7分ほどの所になります。
降り立った所には「鬼ヶ城山頂」のが立っていて、今降って来た道を指していました。
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広めの道を指す標識は見かけませんが、進んでいきます。
1分ほど進んでいくと、の曲がり角に出ます。
手元の地図によると、この舗装路は地形図に実線で載っている道で、府道55号から登ってくるようです。
脇には「鬼ヶ城登山コース 頂上へ至る」のが立っています。
舗装路の左側から分かれていくを見送っていくと、
すぐの所に立つ電柱の袂から登っていく山道があります。
短い階段の先には「烏ヶ岳山頂へ 近道」の標識があります。
このまま舗装路を進んでも烏ヶ岳へ着くようですが、標識の指す「近道」へ入っていきます。
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標識を過ぎて、植林地のを登っていきます。
が増してくると、ここでも階段状に切れ込みが入れてありました。
傾斜が少し緩やかになってきたを進んでいきます。
僅かなになった所を過ぎていくと、再び登り坂になります。
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引き続き取り付けられているを確認しながら、階段状に切れ込みが入れられた尾根を登っていきます。
少し左から右へと曲がって、の縁を登っていきます。
引き続き赤テープと階段状のが続く尾根を登っていきます。
「公社」と刻まれた短杭を過ぎていくと、尾根の肩のような所に着きます。
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小峰
軽いになった尾根を進んでいきます。
程なくして緩やかな所を過ぎて、階段状にが入れられた尾根を登っていきます。
正面に近づいてくるへ向かって登っていきます。
「八」のタイルが嵌めこまれた「公社」のを過ぎていくと、
電波塔の立つ小峰に登り着きました。
「近道」に入ってから11分ほどで登って来られました。
地形図によると、烏ヶ岳の北西200m辺りにある標高520mほどの高みになるようです。
登り着いた所の細い樹木には赤テープが取り付けられていました。
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ここで道が不明瞭になります。
樹木が伐採されていて歩くのに支障はありませんが、は道のようになっていないので、
から回り込むように進んでいくと、
すぐに電波塔の脇のに出ました。
左へ曲がって電波塔の左側のに出ると、広めの道が現れました。
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電波塔を過ぎて正面にが見えてくると、坂道と擬木の階段が並行するように降っていきます。
坂道は滑り易そうだったので、幅の広いを降っていきました。
階段が終わった先へ降っていくと、坂道と合流してになります。
「烏ヶ岳無線中継所」の銘板が取り付けられた設備の所まで来ると、
傍に「下山道近道」の標識が立っていて、今来た道を指していました。
設備を過ぎていくと、右から登ってくる舗装路に出ます。
「近道」に入る所から続いてきた舗装路になるようです。
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烏ヶ岳 (標高536.5m)
正面に電波塔を眺めながらを登っていきます。
「福知山市防災行政無線」の銘板が取り付けられた設備の左側を過ぎて更に登っていくと、
「池部無線中継所」のがあります。
右へ曲がっていく舗装路から分かれて正面へ登っていくと、小広くなった山頂に着きます。
右の電波塔を囲む金網柵には「烏ヶ岳536」や「烏ヶ岳536.5m」のが取り付けられていました。
中ほどには「烏ヶ岳」があるので、
地形図に載っている536.5m峰の烏ヶ岳になるようです。
小峰の電波塔から5分ほど、鬼ヶ城から36分ほどで到着しました。
池部無線中継所
施設の概要とお願い
池部無線中継所は国(建設省)が管理している河川(由良川)について、
流域内の各地に設置した無線式テレメータ観測局からの水位、雨量データの収集を行い、河川改修計画の基礎データとする外、
工事、維持管理はもとより災害防止、災害対策等にとって重要不可欠な無線式テレメータ通信回線の中継を行っています。
本施設について、異常又はお気付きの点がありましたが、下記への連絡をお願いします。
施設管理者 福知山市字堀小字今岡2459-14 近畿地方建設局 福知山工事事務所
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山頂には朱と白に塗られたの小祠があります。
屋根には5本の鰹木が乗り外削の千木が聳えていました。
中を覗って見ると、屋根に5本の鰹木が乗り外削の千木が聳える白木の社が安置されていました。
特徴的な形をしたもあって、
かつてはこの山にどっしりと鎮座していた神社のようですが、
今では主役の座を立ち並ぶ電波塔に奪われてしまったようです。
山頂には枯れ木があって、以前には「烏ヶ岳」の標識が取り付けられていたようですが、
この時には標識は見かけませんでした。
山頂の東側が開けていて、山並みを見渡すことが出来ます。
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小峰
山頂の先の一段低い所に立つ電波塔へ降っていく(*)もありますが、
を引き返していきます。
すぐに舗装路に出て降っていくと、「烏ヶ岳無線中継所」の銘板が取り付けられた設備があるに着きます。
設備の先に立つ「下山道近道」の標識が指す右の未舗装路に入っていきます。
坂道と並行する擬木の階段を登っていくと、烏ヶ岳から4分ほどで電波塔の立つ小峰に着きます。
電波塔の右側から奥にあるに出て右へ曲がると、
赤テープが取り付けられたがあります。
*後日に電波塔の先へ降る道を歩きました。
(「 烏ヶ岳」を参照)
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階段状に入れられた切れ込みが続くを降っていきます。
「八」のタイルが嵌めこまれた「公社」の短杭を過ぎていくと、になります。
軽い登り坂になった尾根を進んでいくと、のような所に着きます。
「公社」と刻まれたを過ぎていきます。
引き続き赤テープと階段状の切れ込みが続く尾根を降っていくと、緩やかな尾根になります。
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僅かなになった所を過ぎていくと、再びになります。
傾斜が増してきたを降っていきます。
左下に舗装路を眺めながら降っていくと舗装路に降り立ちます。
小峰から9分ほどで降りて来られました。
すぐ先から右前方へ分かれていく元来た未舗装のに入っていきます。
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支尾根
植林地へ入っていくと、すぐの所から左へ登っていく道が分かれていきます。
鬼ヶ城から烏ヶ岳へ向かう時に降って来た道になります。
「鬼ヶ城山頂」のが指す左の道は見送って、正面に続くなだらなか道を進んでいきます。
植林地の斜面を横切るようにして続く緩やかでを、少し左へ曲がりながら進んでいきます。
次第に低くなってくるに沿って緩やかに進んでいきます。
尾根の背を横切って僅かなを進んでいくと、
鬼ヶ城へ向かう時に谷筋から登り着いた支尾根に出ます。
舗装路に降り立った所から5分ほど、烏ヶ岳から19分ほどで着きました。
道標「観音寺1400m」が指す元来た道を降っていきます。
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丸太橋
植林地のを右・左と何度か曲がりながら降っていきます。
が巻かれた樹木が多くある所を過ぎていくと、
樹木の袂に「鬼ヶ城登山コース 頂上へ至る」のがあります。
所々に取り付けられている桃テープを確認しながら降っていくと、の両側に谷筋が現れます。
小尾根の左側へ降っていくとに降り立ちます。
ほとんど水が流れていない小沢を渡って、その先の壊れかけた丸太橋を渡っていきます。
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砂防ダム
谷筋の左側を降っていくと、沢に流れる水が次第に増えてきます。
岩盤になったに出て、引き続き所々に取り付けられた桃テープを確認しながら降っていきます。
を過ぎて谷筋を降っていくと、傾斜が緩やかになってきます。
の袂を過ぎて、右からの踏み跡を合わせて降っていきます。
大きな石がゴロゴロする所を降るようになると、
「鬼ヶ城登山コース」のを過ぎていきます。
大きなを右へ曲がりながら降っていくと、砂防ダムの下に降り立ちます。
支尾根から21分ほどで降りて来られました。
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鬼ヶ城登山口
僅かに水が流れるを渡って、その先に続く広めの未舗装路を進んでいきます。
50mほど進んで舗装路のに出て、左前方へ続く舗装路を降っていきます。
植林地へ入っていくと、金網柵で囲まれたが見えてきます。
水道施設を右から回り込むようにして降っていきます。
左下に見えてくる観音寺のを眺めながら降っていきます。
道なりに左へ曲がっていくと、「鬼ヶ城登山口」の標柱が立つ登山口に着きます。
砂防ダムから5分ほどで降りて来られました。
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観音寺
墓地を囲む防護柵に取り付けられた「名刹観音寺と鬼ヶ城登山 登山道入口←」の標識を過ぎていくと、左側にがあります。
石橋を渡ってその先の石段を登っていくと、観音寺の本堂に着きます。
には「室尾谷山 観音寺」の扁額が掲げられ、両側の 柱には「相互供養」と「相互礼拝」の板が取り付けられていました。
柱には簡単な由緒を書いた板も取り付けられていました。
仁王門脇の駐車場にあった解説板の内容も合わせて載せておきます。
室尾谷山 観音寺 由緒
奈良朝時代(和銅七年)行基菩薩の開基にして十一面観世音菩薩を奉祀。
本尊十一面観世音菩薩は藤原後期の作にして貴重な信仰の対象なり。
本堂は明治五年の再建なり。
昭和四十三年四ヶ寺を合併して観音寺として発足する。
節応代
観音寺由緒
(寺名) |
室尾谷山観音寺といい高祖弘法大師を尊信し高野山真言宗に属す
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(本尊) |
十一面観世音菩薩
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(開基) |
創建は奈良時代和銅七年(714年)行基菩薩様自ら大和室生寺の御本尊様を余木をもって、本尊様を彫刻安置し、
利世安民を願われたと伝えられている。
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(略歴) |
中古の時代幾度か変遷をみて鎌倉時代、貞永二年(1233年)中興開山蓮乗上人が再興された。
文亀、慶長年間まで十一坊を数えた記録がある。
将軍家並びに御台所等の御帰依により田畑、家屋敷の寄進や諸役免除の保護を受け、
田辺藩主が寺領を安堵し寄進状等の折紙等が現存している。
天正年度以来、領主代々替わりの節当寺へ参詣し兼ねて鬼ヶ城、登嶺することが御家例にして、
その度に本尊開帳経会を進められる先例があった。
その後は三十三年目毎に御開扉供養をすることになっている。
十一坊のうち近年まで観音寺、金剛院、明王院、安養院の四ヶ院があった。
昭和四十二年に一山を合併し『観音寺』として発足する。
現在境内の堂宇は本堂、鐘楼堂、仁王門、霊牌堂、収蔵庫、四国四十八ヶ所霊場、本坊(庫裡)別院等がある。
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平成17年2月吉日 室尾谷山 観音寺、大江町在田区 公会堂竣工記念
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南山地区
観音寺の本堂から石段を引き返し、の先へ続く舗装路を降っていきます。
右側にあるを過ぎていきます。
小ぶりのや
「四国八十八ヶ所霊場移転 記念碑」があるを過ぎていきます。
観音寺の本坊への小径を左に分けていくと、車を止めておいた仁王門脇の駐車場に着きます。
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