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耀山地区
八鹿駅(JR山陰本線)の近くから県道267号を西進していきます。
石原地区にある石原バス停を過ぎて妙見蘇武林道を登っていきます。
日光院や名草神社を過ぎていくとに着きます。
当初はここに車を止める予定でしたが、ショベルカーが止まっていたので諦めて、
100mほど進んだ所にある路肩の広がった所に止めました。
傍には「起点から14.0km」の緑色の標識があります。
石原バス停から金山峠まではかなり距離がある上に、未舗装の部分も少しあって荒れ気味の道が続きます。
西側を通る国道9号の高井交差点から県道259号を利用するルートをお勧めします。
森林をきれいに大切に
広域基幹林道妙見蘇武線
この付近に土砂やゴミを不法に投棄すると法により罰せられます。
かけがえのない「緑」をみんなで大切にしましょう。
兵庫県朝来農林振興事務所
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金山峠
を引き返していきます。
地道の林道を右に分けていくと、すぐに旧村岡町と旧日高町の境界標識が立つ金山峠に着きます。
「」の標柱が立っていて、「起点から13.9km・終点まで40.4km」となっています。
左側には蘇武岳へのがあって、「蘇武岳登山口 入口 但し熟知者に限る」の標識が立っています。
「」や「」の案内板があって、
今回訪ねる金山廃村が載っています。
左前方に分かれる二股になった地道の林道の入口に立つ「通行禁止」のが降り口になります。
造林用作業道 羽尻線
通行禁止 これから先は造林用作業道です
昭和63年5月 管理者 北但東部森林組合
通行禁止
これから先は、造林用作業道です。
交通安全及び山火事防止対策上通行を固くお断り致します。
昭和63年5月 管理者 北但東部森林組合
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看板の袂から右へ降っていくと、植林地のになります。
樹木には赤テープが取り付けられています。
このテープは金山廃村まで続いていてルートを示しています。
2分ほど降っていくと、右から来る谷筋とします。
道なりに左へ曲がって降っていくと、谷筋に僅かなが現れます。
程なくして涸れ沢が続くを降るようになります。
倒木や枯れ枝などがあって少し雑然としていますが、歩くのに問題はありません。
石がゴロゴロするようになる谷筋を降っていきます。
涸れ沢が現れる手前に「金山峠まで100m」の標識がありますが、この時には気が付きませんでした。
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谷底から離れてを降るようになります。
になった斜面に続く小径を降っていきます。
程なくして、再びの斜面を進むようになります。
の脇を過ぎていきます。
点々と続く赤テープを確認しながら降っていくと、道端にが立っています。
金山峠から14分ほどの所になります。
近づいていくと、この先の道は「阿瀬休憩所3.6km」、今来た道は「蘇武岳山頂4.0km・金山峠0.5km」となっています。
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沢渡り
の脇を過ぎていきます。
僅かなを横切ったりしながら、植林地の谷筋を降っていきます。
程なくしてを降るようになります。
緩やかになった植林地を進んでいくと、水が流れるようになった沢に出ます。
金山峠から24分ほどの所になります。
道は何処かと探していると、に赤テープが続いています。
流れる水に濡れないよう足元に注意しながら沢を渡っていきます。
戻り時に気が付きましたが、このすぐ下流に丸太橋が架かっています。
しかし、向こう岸までは届いておらず壊れているので、現状ではここで沢を渡るのが正解のようです。
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丸太橋
沢を渡って、二筋ほどに分かれているを横切っていきます。
赤テープを辿りながらを進んでいきます。
程なくして左を流れる沢にが架かっています。
金山峠から28分ほどの所になります。
太い丸太が2本束ねられた丸太橋を足元に注意しながら渡っていきます。
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沢の左側を降っていくと、の脇を過ぎていきます。
幅が少し広がったを緩やかに降っていきます。
程なくしてを進むようになります。
沢には階段状になった小滝が心地良い水音を響かせています。
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満願滝
雑木林になった斜面を進んでいくと、が横たわっています。
には「満願滝」となっていて、
この先の道は「阿瀬休憩所3.0km」、今来た道は「蘇武岳山頂4.6km・金山峠1.1km」となっています。
斜面を横切るように狭くなった道を降り始めると、沢にが見えてきます。
これが満願滝のようです。
少し過ぎた所からまで降りていきます。
振り返ると、切り立った岩壁を流れ落ちる立派な滝でした。
金山峠から35分ほどの所になります。
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丸太橋
に戻って、その先へ進んでいきます。
岩がゴロゴロするを横切っていきます。
雑木林の斜面を降っていくとに近づいていきます。
沢沿いに進んでいくと丸太橋が見えてきます。
金山峠から40分ほどの所になります。
太い丸太が2本束ねられたを、丸太の間に生える細い木を避けながら渡っていきます。
橋を渡り終えた所に「川渡る」のが倒れていて、
今来た道は「蘇武岳山頂4.8km・金山峠1.3km」となっています。
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沢のに続く道を進んでいきます。
道が二股に分かれているように見えますが、右側を進んでいくと、剥き出したが現れます。
垂らされた鎖に掴まりながら降っていきます。
左にはがあって、心地良い水音を響かせています。
に続く道を進んでいきます。
幾つかある小滝を眺めたりしながら、引き続き取り付けられている赤テープを確認しながら進んでいきます。
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丸太橋
に続く道を更に進んでいきます。
剥き出した岩まで来るとが高くて降っていけません。
沢に突き出す岩の上を回り込んでいくと、上流にはがあります。
沢沿いに進んでいくと、に出ます。
石垣が見られるようになる広い谷筋を進んでいくと丸太橋が架かっています。
金山峠から52分ほどの所になります。
これまでよりも細い丸太が4本束ねられたを、折れはしないかと心配しながら渡っていきます。
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丸太橋
丸太橋を渡ると、両側に沢が流れるのような所になります。
生い茂る夏草を膝で掻き分けながら進んでいくと、沿いに出ます。
倒れた「水源かん養保安林」の看板を過ぎていくと丸太橋が架かっています。
金山峠から56分ほどの所になります。
先ほどと同様に4本束ねられたを恐る恐る渡っていきます。
何段かの石垣が見られる所を右へ進み始めると「川渡る」のが立っていて、
今来た道は「蘇武岳山頂5.1km・金山峠1.6km」となっています。
水源かん養保安林
城崎郡日高町羽尻字小室ほか9字。
保安林内では、許可なく立木竹を損傷し、土石、樹木を採掘し、土地形質を変更する等の行為をしてはなりません。
=山火事注意= 兵庫県
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石がゴロゴロするのような所の脇を進んでいきます。
振り返るとが心地良い水音を響かせています。
の左側を進んでいきます。
僅かな段差を降って、何かの跡のようなを過ぎていきます。
平坦地の先の雑木林の斜面を進んでいくと竹林に入っていきます。
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は2分ほどで終わりになります。
少し開けた所に出るとが現れます。
広がった谷筋を進んでいくと、道端に「13」のがあります。
先へ進んでいくと、右の沢沿いに続く石垣の脇に道が見えてきます。
左の山際には古びたがありますが、何に使われていたのでしょうか。
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金山廃村
の脇に続く道を進んでいきます。
往時の村の中ほどに続いていたと思われるを進んでいきます。
・・など、生活の跡が残っていて往時が偲ばれます。更に進んでいくと東屋が建っています。
この辺りが金山廃村の中心部になるようです。
金山峠から1時間9分ほどで到着しました。
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東屋の傍には「廃村・金山(きんざん)の歴史」と題した解説板があって、廃村に至る経緯が記されています。
解説板によると、昭和37年(1962)に最後の一軒が離村されて廃村になったようです。
昭和32年(1957)には三方小学校のが出来、
スキーを履いて登下校する児童のが載っています。
解説板の背後には、腰掛けるのに具合が良さそうなが円形に並べられています。
お昼には少し早い時刻でしたが、の四角いベンチに腰掛けて昼食タイムにしました。
廃村・金山(きんざん)の歴史
金山地区は、室町時代後期には阿瀬金銀山区域として隆盛を極め、そのにぎわいは「金山千軒、阿瀬千軒」と呼ばれるほどでした。
手堀りで作業していたので体がどうにか入るほどの穴が二百ほど残っています。
金鉱石はふもとの金谷まで肩で負い、馬で生野まで運んだそうです。
金山の栄えた自機は応仁の乱のころで山名宗全の軍資金として徴用され、廃坑は江戸中期と言われてます。
金山(きんざん)部落をあとに 昭和37年2月25日 冨山利一さん
私の子どもの頃、金山部落は十軒あり、十軒すべてが炭焼きで生計をたてていました。
終戦直後は七軒になっていましたが、七軒みんなが家族のようなもので、助け合って暮らしていました。
長男が家を継ぐ時代で、どの家にも若者がいましたので、遊ぶのも村ぐるみでした。
印象に残っている遊びは、冬場の兎取りです。
当時はどの家も猟銃を持っており、雪の中を兎撃ちに出ました。
炭一俵が二百円ちょっとの時代で、兎を金屋部落まで持っていくと、一羽十円から二十円になりました。
昭和30年には、関西で力から労力さえ提供してもらったら発電所を造るという話があり、今と同じ交流の電気が通じました。
それまでの電気は直流で、単に明かり用だけでした。
当時の七軒の家々では、出力調査のため電灯はつけっ放しで、
さらに外灯もあちこちに取り付け、金山部落の夜は電灯で明々していたものでした。
最盛期には98の電灯を数えていました。
32年には、三方小学校の金山分校が出来ました。
また、NHKからテレビの提供があり、分校に据え付けました。
金山峠で山仕事をしていた人夫さん達が、早めに仕事を終えて相撲放送を見に降りて来ていたのを覚えています。
山の中の生活でしあが、案外新しい生活をしていたことになります。
しかし、時代の流れには逆らえず、一軒減り、一軒減りして、昭和37年には、私の家族6人だけになっていました。
一家族だけでは金山の冬は越せません。
この冬が来るまでには金山を出ていかなければならないと決心していました。
何百年という歴史があると聞いていましたが、金山から人がひとりもいなくなったことは、これまでなかったことでしょう。
これで金山の歴史が終わるのかと思うと、土橋にペタンとすわり込み、泣くまいと思っても涙が止まりませんでした。
小高いところに金山の墓地が見えます。
もう亡くなった父親や母親の顔、世話になった村の人、葬式を出してあげた人達の顔が浮かんできました。
(豊岡市日高町記念史より抜粋)
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周囲の様子を確認してから、を引き返していきます。
の脇に続く道を進んでいきます。
道端にある「13」のを過ぎていきます。
僅かに登っていくとに出ます。
山際にある石段を登っていきます。
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丸太橋
の斜面を進んでいきます。
何かの跡のようなを進んでいきます。
僅かな段差を登っていくと、心地良い水音を響かせるが見えてきます。
石がゴロゴロするのような所を登っていきます。
何段かの石垣の前を進んでいくと、「川渡る」の「蘇武岳山頂5.1km・金山峠1.6km」が立っています。
標識の先に架かる4本束ねられた丸太橋を渡っていきます。
金山廃村から12分ほどの所になります。
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丸太橋
倒れた「水源かん養保安林」の看板を過ぎて、沿いに進んでいきます。
の手前から左へ登っていきます。
生い茂る夏草を膝で掻き分けながら、のような所を進んでいきます。
夏草を抜けると、左側の沢に架かる4本束ねられた丸太橋を渡っていきます。
金山廃村から15分ほどの所になります。
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を進んでいきます。
段差がある岩まで来て沢に突き出す岩を登っていくと、上流にがあります。
幾つかあるを眺めながら沢沿いを登っていきます。
更にあるを過ぎていきます。
谷筋を更に登っていくと、また小滝があります。
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丸太橋
左側にある剥き出した岩を、垂らされたに掴まりながら登っていきます。
岩の先へ進んでいくと、程なくしてが見えてきます。
橋の際まで来ると「川渡る」の「蘇武岳山頂4.8km・金山峠1.3km」が倒れています。
金山廃村から25分ほどの所になります。
太い丸太が2本束ねられた丸太橋を、丸太の間に生える細い木を避けながら渡っていきます。
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満願滝
丸太橋を渡っていくと、次第に沢から離れての斜面を登っていきます。
岩がゴロゴロするを横切っていきます。
右の支沢の上にはがあります。
左の沢にある小滝を眺めながら、に続く道を登っていきます。
程なくしてが見えてきます。
道から外れて沢の傍まで降りて、再び正面から眺めていきます。
金山廃村から31分ほどの所になります。
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丸太橋
元の道に戻って、斜面を横切るように続くを登っていきます。
傾斜が緩やかになると、「満願滝」の「蘇武岳山頂4.6km・金山峠1.1km」を過ぎていきます。
階段状になったを眺めながら、植林地になった谷筋を登っていきます。
幅が少し広がったを進んでいきます。
少し沢から離れての脇を過ぎていきます。
沢に近づいていくと、太い丸太が2本束ねられた丸太橋を渡っていきます。
金山廃村から37分ほどの所になります。
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沢渡り
赤テープを辿りながらを進んでいきます。
雑木林になった谷筋を進んでいくと、来る時には気付かなかったがあります。
しかしこちら側には届いておらず、渡ることが出来ません。
元来た通りに沢の左側を進んでいくと、二筋ほどに分かれているを横切っていきます。
向こう岸に赤テープが見える所まで来て、流れる水に濡れないよう足元に注意しながら沢を渡っていきます。
金山廃村から41分ほどの所になります。
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谷筋の右側に続くを登っていくと、次第に沢の水音が遠退いていきます。
僅かなを跨いで進んでいきます。
植林地の斜面を登っていくと、少しS字形に曲がりながらを横切りながら登っていきます。
少し傾斜が緩やかになると、の脇を過ぎていきます。
点々と取り付けられている赤テープを確認しながら登っていくと、
青い標識「蘇武岳山頂4.0km・金山峠0.5km」を過ぎていきます。
金山廃村から54分ほどの所になります。
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の脇を過ぎていきます。
の斜面に続く道を進んでいきます。
雑木林になると、を進むようになります。
沢の左側に渡っていくと、再びになります。
また沢に降りて、石がゴロゴロする谷筋を登っていきます。
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次第に水が見られなくなってになります。
沢を見掛けなくなるを登っていきます。
やがて右の樹間にが見えてきますが、このまま谷筋を進んでいきます。
左側に現れるを見送っていきます。
次第に浅い谷筋を進むようになります。
来る時には気が付きませんでしたが、切り株に「金山峠まで100m」のが取り付けられていました。
金山廃村から1時間8分ほどの所になります。
「100m」となってはいますが、金山峠まではその倍ほどの距離があるようでした。
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金山峠
標識が右上の林道を指しているようにも思えますが、緩やかになったを進んでいきます。
谷筋がに分かれている所まで来て、右へ曲がっていく道を進んでいきます。
明るくなってくる正面に向かって、を登っていきます。
次第に近づいてくる林道へ向かってを登っていきます。
穴の開いたを過ぎていきます。
「通行禁止」の看板の脇に出ると、妙見蘇武林道にある金山峠に着きます。
金山廃村から1時間13分ほどで戻って来られました。
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耀山地区
峠の様子を再度確認してから、を進んでいきます。
蘇武岳への登山口や地道の林道を見送っていくと、車を止めておいた路肩の広がった所に着きます。
石原地区からの道は荒れ気味の所もあったので、県道259号から国道9号に出るルートで帰りました。
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