概 要 |
大師山は宮津市の須津地区にある標高134.5mの山です。
江西寺の裏山に設定されている四国八十八ヶ所の石仏を巡る大師山巡拝散策道を歩きます。
散策道では点々と佇ずむ採番された石仏が出迎えてくれます。
山頂や展望地からは、天橋立の内海である阿蘇海や岩滝口駅周辺の街並みなどを見渡せます。
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起 点 |
宮津市 須津地区
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終 点 |
宮津市 須津地区
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須津地区…江西寺…江西寺東墓地…牛頭天王お祀り跡…東中腹展望台…パノラマ展望台…大師山…乙女岩…大師山…愛宕神社…秋葉神社…江西寺西墓地…江西寺…須津地区
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所要時間 |
1時間00分
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歩いて... |
散策道には岩盤が剥き出したり抉れた所がかなりありますが、急傾斜ではなくて息が切れることのない比較的楽なコースです。
道が分かり難い所もありますが、石仏を辿っていけば大丈夫です。
雨後で道が滑り易くなっていて足元に注意しながら歩いたり、乙女岩や西墓地に立ち寄ったこともあって、
案内図に載っている所要時間より多くかかりました。
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関連メモ |
今のところ、関連メモはありません。
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須津地区
京丹後市を通る国道312号を南下していきます。
与謝野町に入って国道176号を北東へ進み、宮津市に入った所にある消防署前交差点を右折していきます。
すぐにあるの正面の狭い道に入っていきます。
京都丹後鉄道のを渡ってすぐに左折し、線路沿いに進んでいきます。
旅館の駐車場があるの右前方の道に入っていきます。
民家の間を進んでいくと、右に戻るようにして登っていくコンクリート道があります。
入口に立つ「江西寺」のの背後の石垣の上に江西寺駐車場があるので、ここに車を止めさせて頂きました。
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江西寺
駐車場の先に続くを登っていきます。
傾斜が緩やかになるとがあります。
門柱の手前には「」があります。
今回はこの図に載っている道を時計回りに歩きます。
左上に登っていく石段を見送ってに入り、本堂と庫裡の間へ向かっていきます。
渡り廊下のような所を横切っていくと、「四国八十八ヶ所巡礼路」の標識が立っています。
傍には「起点・終点 標高19.3m,総延長1050m」のが立っています。
石祠に納められた「一番」の石仏も佇んでいます。
大師山巡拝散策道案内図
大師山巡拝散策道は、標高134.5mの大師山を一周する道で、
正面に成相山、また天橋立の内海である阿蘇海や野田川流域一帯の雄大な全景を望むことが出来る景勝地である。
行程は約1qで、所要時間は約40分。
もとは大西山といい、与謝野町石川等に通じる山道もあった。
明治23(1890)年に、四国八十八ヶ所霊場として整備をされ、
弘法大師石像が各所に祀られるようになってからは大師山と改名され、霊験あらたかな山岳信仰の場にもなっている。
道中には愛宕神社や珍宝岩等の巨石を眺めることができ、春にはコバノミツバツツジが所々に咲く。
また、野鳥も多くの種類が観察でき、自然観察に適した地である。
| 標高(m) | 距離(m) |
起点 1番 | 19.3 | 0 |
江西寺東墓地 | 38 | 190 |
東中腹展望台 | 82.8 | 320 |
大岩 36番 | 103.8 | 420 |
山頂 | 134.5 | 550 |
愛宕神社 | 52 | 890 |
行程総距離 | | 1050m |
所要時間 | | 40分 |
江西寺
臨済宗妙心寺派のお寺。
裏庭は府指定名勝になっている。
山門付近に寺院の案内看板あり。
平成29年3月 大師山を守る会
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突き当りを左へ進んでいくとが始まります。
手前の樹木には杖が幾つか立て掛けられています。
石段を登っていくと、墓地へ続くが右へ戻るように分かれていきますが、見送っていきます。
手摺りが設置された擬木の階段を登って緩やかになると、「秋葉神社 石段登る」のが立っています。
右側には土に埋もれたがありますが、見送っていきます。
更に続く擬木の階段を登っていくと、手摺りが途切れる所に分岐があります。
起点から2分ほどの所になります。
角には「第一分岐点」のが立っていて、左へ曲がっていく道を指しています。
正面の擬木の階段を登っていくと愛宕神社に着きますが、今回は時計回りに歩くべく、左の道を進んでいきます。
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浅い谷筋を横切るように進み始めると、すぐの所に「二番」のが佇んでいますが、片方の石仏は半壊しています。
この先にかけて石仏が点々と設置されていますが、番号が分かり難くなったり壊れ気味のものが多くなっていました。
道の左側の少し離れた所には「阿弥陀如来出現地」のが立っています。
の奥へ続く道を軽く登っていきます。
少し狭くなった所を過ぎていくと、左へ戻るように登っていく道があります。
正面の谷筋も歩けそうな様子です。
標識類がなくてどうしたものかとしばらく愚考しましたが、
佇んでいる石仏が見えるを進んでいきます。
阿弥陀如来出現地
明治24年当時、江西寺住職の夢枕に阿弥陀如来のお告げがあり、この場所を村人が彫ると阿弥陀如来像が出てきた霊験あらたかな場所。
表の庭に出現記念の石碑がある。
出典:「大師山巡拝散策道案内図」より
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江西寺東墓地
軽く登っていくと、開けた所にある墓地に出ます。
起点から5分ほどの所になります。
この道で合っているのか不安になりながらも墓地の中へ入っていくと、
すぐの所の右側に「江西寺東墓地 標高38m,距離190m」のが立っていて、その先へ続く山道があります。
どうやらこの道で合っていたようでホッとしました。
墓地の先へ出てみると、を見渡せる眺めが広がっていました。
標識まで引き返して、尾根の背に続くを登っていきます。
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点々と佇む石仏を辿りながらを登っていきます。
少しもありますが、それほど傾斜が急ではなくて歩き難くありません。
が剥き出す所もある尾根を少し曲がりながら登っていくと、上の方が明るくなってきます。
岩の傍を登っていくと、左右に通る緩やかな尾根に出ます。
起点から8分ほどの所になります。
脇には「第二分岐点」のが立っていて、右へ続く尾根を指しています。
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牛頭天王お祀り跡
左側すぐの所には石仏と水盤があります。
標識類は見かけませんが、大師山巡拝散策道案内図に載っている牛頭天王お祀り跡になるようです。
石仏の先の尾根に歩けそうな道が降っていきますが、
大師山巡拝散策道案内図があった所の石段まで続いているのでしょうか。
牛頭天王お祀り跡
祇園精舎の守護神といわれている。
かつて牛は農耕では大切な動物だった為、村では農業の神としてお祀りされていた。
すぐ近くの岩に乗り、水盤に向かって後ろか向きの姿勢で、お賽銭を投げ入れることができれば豊作間違いなし!
出典:「大師山巡拝散策道案内図」より
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標識まで引き返して、その先に続く緩やかなを進んでいきます。
次第に登り坂になってくると、少し窪んだになります。
左側に佇むが開けています。
石仏の後ろに出てみると、天橋立の内海である阿蘇海や岩滝口駅周辺の街並みなどを眺められる展望地になっていました。
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尾根道に戻って登り始めると、すぐにロープが張られたが現れます。
程なくして階段が終わると、抉れたになります。
ロープが終わって道なりに左へ曲がっていくと、「二十二番」の石仏が佇む開けた所に出ます。
起点から12分ほどの所になります。
左側には、先ほどよりも広い範囲を見渡せる展望地になっていました。
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東中腹展望台
道なりに右へ曲がって、樹木が伐採されたを登っていきます。
少し抉れた尾根を登っていくと、左右に通るに出ます。
起点から14分ほどの所になります。
正面には「東中腹展望台 標高82.8m,距離320m」や「第二展望台」のが立っています。
大師山へは右の尾根を進んでいくのですが、
左側すぐの所に東中腹展望台があるので、景色を眺めていきます。
幾つか設置されたの先へ出てみると、先ほどよりも更に良い眺めが広がります。
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手前の分岐まで引き返して、緩やかなを進んでいきます。
ロープが設置された擬木の階段が現れると、の右側を回り込むように登っていきます。
岩を割るためにノミを当てた跡が裏側に残っているとのことですが、確認するのは省略しました。
両側にが茂る所を少し曲がりながら登っていきます。
緩やかな尾根になると、「三十六番」の石仏が佇む樹木の袂に「大岩 標高103.8m,距離420m」のが立っていて、右側を指しています。
起点から19分ほどの所になります。
標識が指す右前方の程近い所にある岩がになるよです。
岩の右を通ります。
岩を割るためにノミを当てた跡が裏に残っています。
大岩スポット
ここからよく見えます。
出典:「大師山巡拝散策道案内図」より
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両側にが茂る尾根を登っていきます。
程なくして現れるロープが張られたを登っていきます。
階段が終わって少し右へ曲がり、両側にが茂る尾根を更に登っていきます。
シダ類が減って「三十九番」の石仏まで来ると、右側の樹間からなどを眺められます。
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パノラマ展望台
少し左へ曲がって、が剥き出す尾根を登っていきます。
岩の上に乗ったを眺めたりしながら登っていきます。
やがて明るくなったが見えてきます。
脇に佇む石仏を眺めながら登っていくと、椅子代わりに短く切られた木が幾つか設置された尾根の肩に着きます。
起点から24分ほどの所になります。
「大師山より春夏秋冬」と題したがあります。
場所を示す標識類は見かけませんが、大師山巡拝散策道案内図に載っていたパノラマ展望台になるようです。
右側にはこれまでにも増して素晴らしい眺めが広がります。
天橋立は山に隠れて見えませんが、その内海であるを見渡せます。
手前には街並みが広がり、や消防署前交差点などもよく見えます。
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大師山 (標高134.5m)
左へ続く緩やかなを進んでいきます。
軽く登っていくと、標識などが立つ僅かなが近づいてきます。
少し右へ曲がりながら登っていくと、「山頂 標高134.5m,距離550m」や「第一展望台」の標識などが立つ大師山の山頂に着きます。
起点から26分ほどで登って来られました。
ベンチが幾つか設置された山頂には「大師山」と題したが立っています。
北側にはパノラマ展望台と同様の眺めが広がります。
を眺めていると、斜面に頭を出す岩があります。
持ち合わせのデジカメは望遠ではないし、手前の送電線が邪魔をしているしで上手くは写せませんでしたが、
大師山巡拝散策道案内図によるとというようです。
大師山 宮津市字須津
明治23年(1890)、江西寺九世鐵然恵薩和尚が、交通不便の当時に、地域住民が四国八十八ヶ所霊場に参詣できるように、
裏山の大西山(現大師山)に四国より勧請(※神仏に来てもらうこと)を行い、弘法大師像を山頂に建立したのが起源である。
地域住民、近郊在住(文殊・堂谷・上山田・宮津・明田等)に寄進者を募り、巡拝散策道を整備し、
四国の霊場に倣い右回りに巡拝出来るように、江西寺境内地から大師像を各所に安置した。
勧請法要の後、大西山を大師山と改名し、大師信仰の霊山とした。
昭和34年(1959)には開創70周年記念として、新たに寄進者を募り、大師像の破損修復、補充をした。
現在の頂上の大師像は二代目で、大正8年(1919)に東観音講中の寄進により建立されたものである。
毎年、春彼岸の時期に大師講の法要が行われている。
※頂上石碑御詠歌 (ありがたや 高野の山の岩陰に 大師はいまに おわ坐まします)
平成29年3月 大師山を守る会
珍宝岩
遠くからだと小さくみえるが、本当はかなり大きな岩。
昔の子どもは度胸試しに登っていた。
出典:「大師山巡拝散策道案内図」より
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乙女岩
山頂には「第三分岐点 右へ行く」のが立っていて、西へ降っていく道を指しています。
傍には「石子谷」の標識があって、南へ延びる尾根を指しています。
大師山巡拝散策道案内図によると、山頂の南の方に乙女岩があるようです。
「乙女岩」を指す標識は見かけませんが、気になるので南へ延びるを歩いてみることしました。
シダ類が生い茂るようになるとになります。
シダ類の中に続く狭い道を登っていくと、左右に通る緩やかなに出ます。
大師山から1分半ほどの所になります。
左側を見ると、すぐの所に大きな岩があります。
標識類は見かけませんが、これが乙女岩のようです。
岩の周りを一周することが出来ます。
から見ると、岩の割れ目から幼松が生えている形になっています。
北東側が少し開けていて、方面を眺められます。
乙女岩
岩の割れ目から松が生えている。
岩に触れると子宝に恵まれるかな。
出典:「大師山巡拝散策道案内図」より
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大師山 (標高134.5m)
乙女岩の東や南西へ道が続いていて気になりますが、を引き返していきます。
が茂る尾根を降っていきます。
シダ類が減って緩やかになったを進んでいきます。
軽い登り坂になると大師山に着きます。
往復6分ほどで戻って来られました。
「右へ行く」の標識に従って、延びる道を降っていきます。
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鳥取豊岡宮津自動車道(山陰近畿自動車道)の付近を眼下に眺めながら降っていきます。
尾根には引き続き採番されたが佇んでいます。
道は小刻みに曲がりながら尾根に続いていますが、
雨後で滑り易くなっているので、足元に気を付けながら慎重に降っていきました。
傾斜が急な所には、ロープが張られたが設置されています。
シダ類が茂る尾根を降って次第に傾斜が緩やかになってくると、が掛けられた樹木も見られます。
歩き易くなった緩やかな尾根を進んでいきます。
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降り傾斜が増してくると、シダ類が茂る尾根に再びロープが張られたが現れます。
階段が終わって、少しを降っていきます。
傾斜が緩やかになると小広い尾根になります。
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小広い尾根の先で傾斜が増してくると、また現れるロープが張られたを降っていきます。
階段が終わっても、傾斜の急な尾根がまだ続きます。
ここでも滑って転ばないよう足元に注意しながら、シダ類が茂る尾根に続くを慎重に降ってきます。
シダ類が減ってくるとになります。
再び傾斜が増してくる尾根を降っていくと、正面の樹間にが見えてきます。
建物の手前まで来ると右へ曲がって、ロープが張られた擬木の階段を降っていきます。
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愛宕神社
左へ曲がりながら続く擬木の階段を道なりに降っていくと、先ほどから見えているの脇に出ます。
手前には「愛宕神社 標高52m,距離890m」や「巡礼路降口」のが立っています。
「愛宕山」の扁額が掛かるこの建物は愛宕神社というようです。
大師山から12分ほどで降りて来られました。
正面には石造のが立っていて、その先にはが広がっています。
鳥居の先の石段を降りた所には「愛宕神社」と題したが立っています。
愛宕神社 宮津市字須津
愛宕神社の創立の経緯や年代には諸説あるが、吉津村誌によれば、永禄7年(1565)には須津地区の浜辺に祀られていたようで、
慶安3年(1650)に現在地の大師山(旧大西山)中腹に遷宮されている。
祭神は迦具土神(火伏せの神)、本尊は将軍地蔵菩薩、脇仏は毘沙門天と不動明王がお祀りされている。
現存する社殿は元禄11年(1698)再建の入母屋造りで、須津地区最古の建築物である。
礎石には四つの五輪塔の地輪石を使用しており、他に類がない。
鳥居は寛政8年(1796)に建立され、宮津市獅子崎の石を使用している。
また鳥居西方に、普門品経を奉納し、埋経した時の石碑が建つ。
古来より地域住民の安全、防火の守護神として祀られ、毎年8月下旬に御開帳され祭典が行われている。
また社殿左手より大師山山頂に通じる巡拝散策道があり、更に広く阿蘇海一円が見渡せる。
平成29年3月 大師山を守る会
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秋葉神社
解説板の所を右に曲がって、手摺が設置されたを降っていきます。
道なりに左へ曲がって降っていくと、最初に通過した「第一分岐点」の標識が立つが見えてきます。
分岐に降り立つ数m手前から左へ登っていく道に入っていきます。
「八十八番」と思われる苔生したを過ぎていきます。
緩やかになった所に、向こう側を向いたがあります。
愛宕神社から3分ほどの所になります。
正面に回ってみても名前を記したものは見かけませんが、大師山巡拝散策道案内図に載っている秋葉神社のようです。
秋葉神社
こちらも火災予防の神。
お寺の鎮守さん。
出典:「大師山巡拝散策道案内図」より
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江西寺西墓地
秋葉神社の先にあるから右へ降っていきます。
かなり急な斜面にが続いていますが、土砂や落ち葉が積もって歩き難くなっています。
転んだりしないよう足元に注意しながら降っていくと、「石段登る」の標識が立つ最初に登っていったに降り立ちます。
左へ曲がって元来た道を降っていくと、左へ分かれていくがあります。
このまま正面へ降っていくとすぐに最初の起点に出られますが、左の道が気になるので登っていきます。
しっかりとした石段を登っていくと、なだらかな所にある墓地に出ます。
こちらは散策道には含まれていないようで標識類は見かけませんが、
登り時に通った墓地の名前からすると江西寺西墓地とでも呼ぶのでしょうか。
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江西寺
墓地の奥まで進んでいくと、コンクリート製の祠に安置されたがあります。
そこから右へ曲がって、広いを降っていきます。
庫裡の裏に降り立つと道は左へ曲がっていきますが、そのままに真っ直ぐ進んでいきます。
石垣に沿って曲がっていきます。
江西寺へ続く石段の途中に出ると、右上に立派な山門があります。
愛宕神社から9分ほどの所になります。
左右には「名勝 江西寺庭園」「大寂山江西禅寺」の石柱が立っていて、「江西寺」と題した解説板もあります。
江西寺 宮津市字須津
大寂山江西寺は、現在は臨済宗妙心寺派に属し、本尊は釈迦如来。
創立の経緯や年代については詳らかではないが、寺伝によると、もと江栖庵と称し天台宗に属していたが、
慶安3年(1650)現在地に移転したとき、中国の江西のように風光の優れた地に伽藍を構えたことから、江西寺と改められたという。
確かにこの地は須津地区において阿蘇海、天橋立を見下ろすことができる景勝の地である。
当寺は、多くの貴重な文化財を所蔵している。
近世絵画では、丹後逗留時代の与謝蕪村が描いた風竹図屏風(府指定文化財)がある。
十六羅漢像、地蔵菩薩二童子像(いずれも市指定文化財)も中世の優れた絵画資料として価値が高い。
また、本堂後背の庭園(府指定名勝)は、石組により滝や屹立する崖を表現した、江戸時代中ごろの枯山水庭園である。
座敷から観る春の新緑、秋の紅葉の眺めは素晴らしい。
宮津市教育委員会
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須津地区
山門の正面に続くを降っていきます。
石段混じりの坂道を降ていくと、左右にが立っています。
その手前を右折して、を進んでいきます。
右へ登っていくコンクリート道に出ると、車を止めておいた江西寺駐車場が正面にあります。
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