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普甲峠
宮津市を通る府道9号を南下していきます。
与謝野町へ続く府道16号を西に分けて更に南下していくと、大江山スキー場がある普甲峠に着きます。
辛皮駅への道が東へ分かれていく手前に、路肩が広がった車数台分の駐車スペースがあるので、ここに車を止めました。
辛皮駅への道の入口には
「」、
「」、
「丹後天橋立大江山国定公園」などのが設置されています。
「ようこそ宮津・天橋立へ」「宮津市観光案内図」と題した案内図には
「」があって、
今回歩くルート(*)が載っています。
*今回歩くルートの入口は変更になったのか、辛皮駅への道を東に分けて南下したすぐの所にあります。
(「大江山周辺マップ」に追記)
大江山伝説のみち普甲峠コース
盛林寺 |
戦国時代末期に創建された禅宗寺で、数々の文化財があります。
境内墓地には、明智光秀の首塚と称する宝篋印塔があります。
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宮津街道石畳道 |
宮津藩主京極高広により京街道として切り開かれたもので、当時の石畳が所々に残っています。
文化庁「歴史の道百選」に選定されています。
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大江山ロッジ バンガロー村 スキー場 |
ハイキング、キャンプ、スキーと大江山連峰の四季折々の自然を満喫できる施設が揃っています。
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大江山ロッジ〜盛林寺:4.9km
大江山ロッジ〜宮津駅:8.7km
大江山ロッジ〜辛皮駅:4.4km
丹後天橋立大江山国定公園
丹後半島海岸地区
丹後天橋立大江山国定公園は丹後半島の「海岸と美しい海」、半島中央の「高原と多様な自然」、
大江山を中心とした「連峰と雄大な景観」が見られます。
丹後半島海岸地区は日本海に面し、砂丘や奇岩、砂州、島、岬など、さまざまな海岸景観が見られます。
また、浦島伝説や日本三景の天橋立、伊根の舟屋など歴史・文化景観も多様です。
世屋高原地区
世屋高原地区は丹後半島のほぼ中央に位置し、標高500m〜600mの稜線が連なる高原です。
この地区は、近畿でも有数のブナ・ミズナラ等の落葉広葉樹林や希少な動植物、渓流、湿原、山頂から真下に海を見下ろす半島ならではの眺望景観があり、
棚田などの文化景観を含み、さまざまな自然風景を見ることが出来ます。
大江山連峰地区
大江山連峰地区は丹後半島の南に位置し、標高600m〜800mの稜線が東西に連なっている連山地形です。
連山の山頂からは360度の視界が広がるパノラマ景観や、稜線からの山間景観、鬼嶽稲荷神社から見る雲海など、
さまざまな自然風景を見ることができます。
環境省・京都府
ようこそ宮津・天橋立へ
宮津市観光案内図
ご案内
天橋立まで | 約13km | 車で約20分 |
宮津市街地まで | 約10km | 車で約15分 |
丹後由良まで | 約20km | 車で約35分 |
大江山ハイキングコース
大江山スキー場…2.7km・55分…航空管制塔…0.5km・10分…鬼の岩屋…2.0km・40分…鍋塚…1.7km・40分…鳩ヶ峰…1.0km・20分…千丈ヶ嶽
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辛皮駅への道との分岐の西側に近畿自然歩道「大江山伝説のみち・鬼の山コース」のが立っていて、
「鬼の岩屋4.1km」の板が南へ続く府道9号を指しています。
道標に従って20mほど南へ進んでいくと、西へ分かれていく坂道があります。
脇には「」があって、
先ほどのマップよりも詳細にルートが載っています。
この図でも辛皮駅への道との分岐よりも北側に入口が描かれていますが、
ここに案内板が設置されているということは『ここから入って行け』という意味だと解釈しました。
少し登った所にはが張られていますが、跨いで入っていきます。
福知山市のホームページによると、今回歩く宮津街道は今普甲道とも呼ばれ、
かつて宮津藩主の参勤交代や西国三十三所の巡礼道として、江戸時代の主要街道だったようです。
参考までに、福知山市のホームページに掲載されている内容を載せておきます。
今普甲道
現在、「宮津街道」と呼ばれる大江山普甲峠(不甲峠ともいう)越えの道は、
かつて宮津藩主の参勤交代や西国三十三所巡礼の28番札所成相寺への略打ち巡礼道として宮津〜河守〜福知山を結ぶ江戸時代の主要街道でした。
福知山市大江町の毛原で元普甲道と分かれる街道は、仏性寺を通り、宮津市の中の茶屋、普甲峠、岩戸を経て宮津の町に入ります。
この道は江戸時代初期に時の宮津藩主京極高弘が従来の元普甲道を往来険阻として新たに開削した道であり、「今普甲道」と呼ばれます。
高弘はこの道を公路と定め、峠の頂上を「不甲は不孝、不幸に通じる」として、「千歳峰(ちとせのみね)」と改名しました。
また、高弘は行人のために峠道付近に官営の御茶屋も設け、現在でも「一杯水」「茶屋跡」「新兵衛屋敷」(番所の跡か)などが残ります。
幕末の動乱期には、宮津藩主の本庄宗秀が老中という要職であったこともあり、宮津城下へ怪しいものを入れぬため、胸壁(きょうへき)と呼ばれる関所?も設けられていました。
明治時代以降も地域住民の往来や物資の流通になくてはならない道でありましたが、
1939年(昭和14年)には普甲峠越えの車道(現在の府道9号線に相当)が開通して主役の座を奪われました。
しかし、それ以降も地元の生活道路として昭和中頃まで利用されてきました。
近年、利用が途絶え、草に埋もれていた古道が、宮津市や地元の人々の手によって刈り払いや整備が行われ、往時の姿がよみがえり、通行できるようになりました。
道中には、石畳、茶屋跡、道造りの供養塔や手水鉢などの遺物も残り、当時の面影が感じられる貴重な交通遺跡です。
参考文献 |
『大江町誌通史編上巻』 大江町1983
『平成13年 広報みやづ 3月号』 宮津市総務課2001
『おおえふるさと学』 大江町・大江町教育委員会2002
『宮津エコツアーガイドブック』 宮津市エコツーリズム推進協議会2010
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(出典:福知山市ホームページより抜粋)
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バンガロー村
ロープを跨いで坂道を登っていくと、緩やかになった所にがあります。
右には管理棟があり、角には「」があります。
左の道はキャンプファイヤー場で行き止まりのようなので、このまま正面へ進んでいきます。
道なりに左へ曲がって、建ち並ぶの脇を進んでいきます。
程なくして(*)に出ると、コースが二手に分かれています。
道が不明瞭になって何処を歩けば良いのか分からなくなりますが、
左側のコースに標柱らしきものが見えるので、そこへ向かって登っていきます。
の傍まで行くと、「宮津街道」と書かれています。
駐車スペースから5分ほどの所になります。
案内板に載っていたルートを歩いていると分かって、ひと安心するのでした。
*このままゲレンデを登っていくと 大笠山へ続く山道に出られます。
(「 大笠山」を参照)
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新兵衛屋敷跡
標柱を過ぎて植林地へ入ると、幅が1mほどのが敷かれた広い道が続いています。
この石畳は幅が50cmほどに狭まる所もありますが、今回歩いた宮津街道に途切れながら続いていました。
程なくして、右側にが二つ現れます。
案内板に載っている「古墳」との関連は分からいままに過ぎていくと、
植林地の中に「新兵衛屋敷跡」のが立っています。
駐車スペースから6分ほどの所になります。
今では杉林になっていますが辺りはなだらかで、屋敷があったと思わせる広さがあります。
福知山市ホームページによると、番所の跡かも知れないとのことです。
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少し左へ曲がりながら続くを進んでいきます。
僅かなを跨いで、
植林地に続くを登っていきます。
程なくして傾斜が緩やかになってきます。
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正面に車道が見えてくるとになります。
足元に注意しながら降っていくと、車道の曲がり角の近くに出ます。
駐車スペースから9分ほどの所になります。
振り返ると、脇には「宮津街道」のが立っています。
この車道は、府道9号から分かれて大江山連峰の稜線にある航空管制塔へ向かう道になります。
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進むべき道を指す標識類は見掛けませんが、案内板の内容を思い出して進んでいきます。
登り坂になった車道を進んでいくと、先の方がなってきます。
左へ分かれていく地道を見送っていくとに出ます。
左側にはが見えてきます。
右へ曲がり始める所まで来ると、左前方へ地道が分かれていきます。
駐車スペースから11分ほどの所になります。
入口には「宮津街道」の標柱や「上宮津街道 石畳入口」のが立っています。
脇には車一台分の駐車スペースもあります。
後日にこの先に続く 航空管制塔へ向かう道を歩きました。
(「 大笠山」を参照)
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標識の左側に続くに入っていきます。
少し右へ曲がりながら続く道を青い防護網に沿って進み始めると、
左側が開けてきて先ほどよりも山並みが広がってきます。
中ほどに狭いが続く道を進んでいきます。
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防護網が左へ遠退くと、に入っていきます。
引き続き中ほどに狭いが続く道を進んでいきます。
少しになってくると、次第に沢の音が大きくなってきます。
僅かな谷筋を左へ回り込む所までくると、小沢にが架かっています。
車道から3分ほどの所になります。
過日の雨で少し濡れているので、滑って転ばないよう慎重に渡っていきます。
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少しになる道を進んでいきます。
左・右と小さく曲がりながら登って緩やかな道になると、
右側に「胸壁跡」のが立っています。
福知山市のホームページによると、「胸壁」とは関所のことではないかとのことです。
「胸壁跡」の標柱のすぐ先の道の両側に標柱が立っています。
車道から5分ほどの所になります。
は「関所跡」となっています。
なだらかな所はそれほど広くないので、大きな建物があったようには思えませんが、
往時には小振りの番屋のようなものが建っていたのでしょうか。
は「縁結びの木」となっています。
2本の木が根元付近でしていますが、
樹皮の様子からすると種類が異なる木のように思えます。
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千年の滝
少しになった石畳の道を進んでいきます。
沢を流れる大きな水音を聞きながら降っていくと、沢が道を横切っています。
車道から7分ほどの所になります。
右側の樹木の袂には「千年杉・千年の滝」のが立っています。
樹木の脇を流れる沢が小滝のようになっています。
これがのようです。
今では歩く人も疎らな宮津街道ですが、往時の旅人には良い水場になっていたのでしょうか。
左側には杉の大木がありますが、これがでしょうか。
写真では良く分かりませんが、かなりの太さがあります。
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道を横切るを渡っていきます。
引き続き植林地に続く道を進んでいくと、道の真ん中にも木が生えるようになりますが、
狭くなったがその間に続いています。
程なくしてになります。
道の左右に熊笹が見られる坂道を淡々と降っていくと分岐があります。
車道から15分ほどの所になります。
角には「宮津街道」のが立っていて、案内板に載っている分岐になるようです。
どちらの道でも良さそうですが、正面の道には背丈の低い熊笹が茂っていてあまり歩かれていない様子なので、
熊笹が少ないを降ることにしました。
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近づいてくる沢の音を聞きながら、植林地のを横切るように降っていきます。
分岐から1分半ほど降っていくと、が道を横切っています。
右側には小滝があります。
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小沢を跨いで、その先へ続く落葉が積もるを降っていきます。
傾斜が増してきた道を降っていくと、左の樹間からが見えてきます。
少し水が流れるようになった道を降っていくと、道は突然に鋭角に曲がっていきます。
すぐ先を右へ曲がって朽ち果てそうな木の階段も見られる道を降っていくと、左右に通る府道9号に出ます。
航空管制塔へ向かう車道から21分ほどの所になります。
脇には「宮津街道」のが立っています。
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道は何処かと探していると、道路を横切ったに続いています。
道がはっきりしない植林地のを横切るように軽く登っていきます。
すぐにに出ます。
右からはが降ってきていますが、その先は崖で途切れています。
以前には先ほどの鋭角に曲がった辺りから続いていた小尾根が、府道を通すために分断されたように思われます。
ここは左へ続く石畳の道を降っていきます。
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少し右へ曲がりながら続くの道を降っていきます。
熊笹が茂る手前まで来て、道なりに曲がって降っていきます。
次第に道にが茂るようになりますが、背丈は低くて歩き難くはありません。
道を横切る小沢に架かるを渡っていくと、
左前方から降ってくる道が合流してきます。
府道9号から8分ほどの所になります。
左前方からの道は、府道9号に降り立つ手前にあった分岐から分かれてきた道になります。
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左前方からの道からの道を併せて、へ続く道を降っていきます。
崩れかけた石畳の道には、水が流れていて沢のようになった所もあります。
右側を流れる沢の音を聞きながら降っていくと、右の林の中にが見えます。
何だろうと近寄っていくと、施錠された扉で閉ざされていて何だか分かりませんでした。
その先を流れる沢はコンクリート打ちされてのようになっていて、水が勢い良く流れていました。
往復2分ほどで道に戻って、その先へ降っていきます。
舗装路になって明るい所に出ると、右側に金網柵で囲まれたがあります。
府道9号から13分ほどの所になります。
標識類は見掛けませんが、先ほどの取水設備と関連する水利施設でしょうか。
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道なりに右・左と曲がりながら、に続く道を降っていきます。
谷筋が終わると小さなに出ます。
左の山際にを眺めながら緩やかに降ってきます。
車庫のような建物の前まで来ると、左側に立っています。
柱の間から続く小径の先には先ほど来の鳥居が見えているので、ちょいと立ち寄っていきます。
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山の神
田んぼの跡のような所に続く小径を進んでいくと、背丈が低めのに着きます。
鳥居をくぐっていくと、などが乱雑に散らばっていました。
右から回り込むように登っていくと、の脇に出ます。
右へ曲がって、手摺りが設置されたを真っ直ぐ登っていきます。
小広くなった境内に着くと社殿があります。
府道9号から21分ほどの所になります。
格子戸から中を覗ってみると、白木の社が納められていました。
扁額などは見掛けず名前は分かりませんでしたが、最初に見掛けた案内板に描かれている山の神になるようです。
脇には合祀されていると思われるもありました。
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往復5分ほどで道まで引き返してきて、の中を降っていきます。
民家の脇を過ぎていくとが見えてきます。
最後の民家を過ぎると、左右に通る府道9号に出ます。
併せて7分ほどの立ち寄りも含めて、府道9号から25分ほどで到着しました。
右側には「宮津街道(大江山スキー場へ)1.8km」のが向こう側を向いて立っていて、今来た道を指しています。
左側にはバンガロー村の入口で見掛けたのと同様の「」があります。
案内板の脇には車一台分の駐車スペースがあります。
宮津街道は車道を横切ってへと続いていますが、
車を止めてきた駐車スペースに戻るべく、ここでことにしました。
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集落の中を進んで、山の神へのを見送っていきます。
最後の民家を過ぎて、勢い良く水が流れるに沿って登っていきます。
道なりに右・左と曲がりながら登っていくと、
の脇を過ぎた所から地道になります。
植林地になって、水が流れて沢のようになった所もあるの道を登っていきます。
少し明るい所に出ると、道が分岐しています。
府道9号から9分ほどの所になります。
来る時は左の道を降ってきましたが、石畳になっている右の道も気になるので歩くことにしました。
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背丈の低い熊笹が生えるの道を登っていくと、すぐに左へ曲がっていきます。
右へ曲がりながら登るようになると、脇にがありました。
「注意 地下電話線あり」のを過ぎていきます。
右へ曲がる所まで来ると、またがありました。
石畳の所々にはコンクリート製の段も見られるので、修理されながら守られている道のようです。
注意 地下電話線あり
この道路を掘るときは下記へご連絡下さい。
京都電気通信部 工事部第一線路工事課
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右・左と曲がりながら、の道を登っていきます。
背丈の低いが一面に茂る所もありますが、笹の下には石段が続いています。
が嵌めこまれたコンクリート製の段も見掛けますが、何の意味なのかは分かりませんでした。
先の方にが見えてくると、
急に熊笹やススキが茂ってきて道が分からなくなります。
道路標識までは近いので熊笹やススキを掻き分けながら登っていくと、府道9号に出ます。
手前の分岐から10分ほどで出られました。
振り返ると府道9号から分かれたが南へ延びていますが、地形図に実線で載っている道のようです。
登ってきた道にはススキが茂っていて、こちら側からは道があるようには見えません。
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道路向かいにがありますが、
入口には熊笹が茂っていて、一見して道があるようには思えません。
背丈が高めで密生しているので暫く愚考しましたが、意を決して入って行きました。
浅くU字型に窪んだ道は広いものの、膝上辺りまでが茂っていて、今では歩かれていない様子です。
いつまで熊笹が続くのかと思いながら登っていくと、1分ほどで背丈が低くなってなりました。
広い道を更に登っていくと、植林地の縁を少し曲がっていきます。
緩やかになってきた道を進んでいくと、「宮津街道」の標柱が立つ分岐に出ます。
府道9号から5分ほどで着きました。
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千年の滝
道の左右に熊笹が見られるを登っていきます。
熊笹が減って植林地を登るようになると、道の中ほどに続くが明瞭になってきます。
緩やかな道になると、道の真ん中に生える樹木の間に続く狭くなったを進んでいきます。
沢を流れる大きな水音を聞きながら進んでいくと、千年の滝と千年杉がある所に出ます。
府道9号から13分ほどで着きました。
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少しになった石畳の道を進んでいきます。
傾斜が緩やかになった道を進んでいくと、
右側に「関所跡」、左側に「縁結びの木」のが立っています。
すぐ先にある「胸壁跡」のを過ぎていくと降り坂になります。
左・右と小さく曲がりながら降っていくと、が流れる僅かな谷筋に出ます。
小沢に架かる丸太橋を渡っていきます。
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小沢を渡って、軽いの道を進んでいきます。
緩やかになって、中ほどに狭いが続く道を進んでいきます。
植林地を抜けると、右から近づいてきた青いに沿って進んでいきます。
右側に広がるを眺めながら進んでいきます。
少し左へ曲がりながら進んでいくと、航空管制塔へ向かう車道に出ます。
府道9号から21分ほどで着きました。
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右へ続く降り坂になった車道を進み始めると、すぐに右へ分かれていくを見送っていきます。
右へ曲がり始めるとバンガロー村からの道のがありますが、
このまま車道を降っていきます。
曲がりながら続く車道を淡々と降っていくと、スキー場になったが正面に見えてきます。
道なりに曲がりながら降っていくと府道9号に出ます。
航空管制塔へ向かう車道に出た所から9分ほどで着きました。
角にある車庫のような建物の脇には近畿自然歩道「大江山伝説のみち・鬼の山コース」のが立っていて、
左の道は「大江山ロッジ0.2km」、今来た道は「鬼の岩屋3.9km」となっています。
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「千歳嶺」碑
府道9号を進んでいきます。
KDDIのまで来ると、
道の右側に「千歳嶺」と刻まれた石碑が立っています。
側面にはが刻まれていますが、達筆過ぎて読めませんでした。
情報によると、「道ひろき 君がめぐみに諸人の ゆきかひやすき 此千とせ山」と刻まれているようです。
道幅を広くして歩き易く改修された普甲峠を喜んだ領民が、古典学者の賀茂李鷹に依頼して詠んでもらった歌なのだそうです。
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普甲峠
スキー場になったを正面に眺めながら車道を降っていきます。
右側に少しを眺めながら進んでいきます。
最初に入って行ったへの道を見送っていきます。
辛皮駅へのを右に分けていくと、車を止めておいた駐車スペースがあります。
府道9号に出た所から5分ほどで到着しました。
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