みかた歴史の杜
概 要 みかた歴史の杜は香美町小代区にある森です。 中世には城山城があった所で、主郭跡から南砦跡にかけては「ふれあいの杜歴史公園」として整備されています。 今回は北東にあるオーベルジュ花郷里の傍の入口から、 北砦跡・主郭跡・南砦跡・東砦跡・林間広場をひと巡りするルートを歩きます。
起 点 香美町小代区 大谷地区
終 点 香美町小代区 大谷地区
大谷地区…北砦跡…主郭跡…南砦跡…主郭跡…東砦跡…林間広場…大谷地区
所要時間 1時間30分
歩いて... 主郭跡には木組みの展望櫓がありますが、樹木に邪魔をされて眺めは今ひとつでした。 整備されてから年月が経つようで、道には落葉などが積もって分かり難い所もありました。 熊笹が密に茂っていて歩けない所もありました。 前日の雨で道が泥濘んでいる所もあって、履いていった長靴が泥だらけになりました。
関連メモ 吉滝キャンプ場
コース紹介
大谷地区
香美町と新温泉町を結ぶ国道9号の小代口交差点から国道482号を南下していきます。 小代の街に入っていくと、小代地域局バス停の少し先の橋を渡った所に、 「ゴンドラ乗場入口」などの標識の出るがあります。 右折して坂道を登り、おじろんの建物が見えてくるとがあります。 角には「おじろスキー場ゴンドラ乗り場」の標識が出ていて左の道を指しています。 標識に従って左折し、久須部川に架かる市川橋を渡ってゴンドラ乗り場の先の坂道を登っていくと、 を過ぎた行き止まりに小さな駐車スペースがあるので、ここに車を止めました。
脇にはトイレが設置され、「」があります。 道が描かれていない西砦跡は除いて、 それ以外の北砦跡主郭跡南砦跡東砦跡林間広場を訪ねます。
みかた歴史の杜 案内図
この里山の頂上付近には中世の山城跡(城山城)があり、美方町にとって歴史的にも価値のある山となっています。 また、山城の主郭跡は「ふれあいの杜歴史公園」として整備されており、かつての雰囲気を感じ取ることができます。 村の中には周辺の山々にもよく見られるモウソウチク、人工林にはスギ、尾根の一部にはアカマツが生えています。 動物は、リスやキツツキなどが見られ、四季を通じて豊かな自然を楽しむことができます。
みどころ
 ふれあいの杜歴史公園  城山城の主郭から南砦跡は歴史公園として整備されています
 砦跡  城山城の砦跡が4箇所あります
たきび、たばこの吸い殻やゴミの投げ捨てに注意し、植物や動物を大切にしましょう。
【”ひょうご豊かな森づくり構想”に基づく里山林整備事業】
この区域は、地域の皆さん方のご協力のもと、景観や多様な動植物を保全し、保健や森林学習の場に活用するため、 県内の林地を開発した方々の協力金により、森林の整備や歩道の開設などを行いました。 平成12年3月
兵庫県・美方町・(社)兵庫県森と緑の公社
案内板の右側に続くを登っていきます。 傾斜が緩やかになるとになります。 左下にはが見えます。 短い夏草が茂る道を進み始めると、すぐの所に半壊した標識が立っていて、下を向いた「北砦」の板が本来は右を指しているようです。 案内図に載っている分岐のようです。 標識が指す右の段差に続くを登っていきます。
案内図では正面にも道が続いているように描かれているので試しに少し探ってみますが、 密に茂る背丈の高いに阻まれて藪漕ぎ状態になるので、すぐに諦めました。 熊笹の下を覗くと踏み跡が続いているので、熊笹が刈り払われると歩き易い道になるのかも知れません。
段差を登って、防護網に沿って右へ曲がっていくと、 左の植林地へ向かうがあります。 極浅い谷筋になった植林地へ入ると、伐採木が多くあって雑然とし、シダ類も茂って踏み跡はすぐに不明瞭になりますが、 がルートを示しているようでした。 上に見える明るい所へ向かって登っていきます。 尾根の背に出て左へ曲がり、を緩やかに登っていきます。 すぐに竹林を抜けて雑木林になると、「コナラ−オクチョウジザクラ群集」の解説板が立っています。
コナラ−オクチョウジザクラ群集
この林は、コナラやクリ、イヌシデなどの高木がたくさん生えている落葉広葉樹林です。 「みかた歴史の杜」やこの周辺の小高い山にはふつうに見られる植生です。 林の中には、ミズナラやコハウチワカエデ、アワブキなどの樹木が見られます。 これらは海抜が高いところに生える種なので、この地域は一年を通して少し涼しい場所であることが分かります。 ほかにも、ヒメアオキなどの日本海側地域の小高い山によく見られる植物が生育しています。
少し窪んだ植林地を登っていくと、が取り付けられた樹木があります。 そこからを登っていきます。 朽ち果てそうな木の階段が現れますが、落ち葉などが積もって分かり難くなっています。 僅かな踏み跡を辿りながらの斜面を登っていきます。 が生えた倒木を過ぎていきます。 傾斜が増してきたを斜めに登っていくと、緩やかになった尾根の背に出ます。
北砦跡
主郭跡へは右の尾根を進みますが、北砦跡に向かってへ登っていきます。 すぐに高みに着くと、その先は僅かなになります。 少し草が茂る尾根を軽く降っていくと、 「」の解説板があります。 この辺りが北砦跡になるようです。 駐車スペースから16分ほどで着きました。 周囲は樹木が茂っていて展望は得られませんが、 少し先にある段差を降った所に立つの脇から、 が少し見えます。
北砦跡(仮称)
ここでは、室町期に築かれたと思われる、北砦の跡をみることができます。 しっかりとした曲輪が残っており、曲輪8を中心とした8〜12の曲輪群です。 山の傾斜から攻め上がる敵を迎撃するためなどの陣地でした。 また、敵が攻めにくいように築かれた堀切や土塁の跡も残っています。
注意
この付近にテレビ用ケーブルを埋設しています。 掘削等には十分注意してください。
小代テレビ協会
尾根にまで引き返して、その先に続く尾根の背を進んでいきます。 次第にが増してきます。 かなり急なので、張り出した木の根などに掴まりながら登っていきます。 急坂を登り終えて左へ曲がっていくと、木製の門が見えてきます。 その手前から右に分かれていくがあります。 西砦跡へ続いているようですが、案内図に道が載っていないので訪ねるのは止めておきました。
主郭跡
一段高い所にあるをくぐるとなだらかな所に出ます。 このなだらかな所が主郭跡になります。 北砦跡から10分ほど、駐車スペースから31分ほどで着きました。 門の先にが立っていて、今来た道は「至る北砦・至る西砦」となっています。 標識を過ぎると向こう側を向いたが建っていて、壁に「山城の築城法」の解説板が掲げられています。 傍には上面を平らにしたがあります。 小屋の先には木組みの展望櫓が立っています。 展望櫓の梯子状の階段を登って上階に着くとが見えますが、手前の樹木が邪魔をしているのが残念です。
山城の築城法
その1 山城を築く時には、水の有無を確かめること。 「水の手」(井戸など)は城から遠い所に設けてはいけない。 尾根続きにやたらに堀切を設けたり、水源の近くの大木を切り倒してしまうと水が枯れてしまうことがある。 水の確保に充分留意して、山城を造ることが大切である。
その2 山城の堀の高さは、5尺2寸(156cm)程度が良い。 堀には狭門(内から矢を射る穴)を開けること。 狭門の大きさは、土塀を塗った階段で、縦3尺2寸(96cm)横7寸(21cm)程度の長さがよい。 狭門の角をよくおろして、矢が発射し易くすること。 狭門の数は、1町(109m)に30ヶ所、4町では120ヶ所程度がよい。
その3 櫓(矢倉)は、塀の棟よりも2尺(60cm)高く組み上げること。 丁度、弓一張ほどの高さがよい。 櫓は数が多いほどよい。 櫓は余り大きなものでなく、7尺四方程度の小さい櫓の方が良い。
その4 塀や木戸の上には、3尺(90cm)巾の「弓隠」を莚などでつくれ。
その5 木戸の柱は太ければ太いほどよく、堅い木を16角に削って作る。 木戸の扉には横材を内側につける。
その6 合図のための狼煙には、煙がよく立ち上がる狼の糞を使用する。 狼煙台は、篝火を焚くように事前に木を組んで作っておき、必要な時に火をつける。
その7 照明や暖をとるための「篝焼」(篝火)は干した木を高く積み上げ、風上から火をつける。 また生木を多く積んで火を長もちさせ、木をたくさん積んで火力を強めるようにしなければならない。
その8 山城の斜面には、「堅堀」を適切に構築すること。
展望櫓から降りると、「」の解説板があります。 「至る東砦」のが指す左へ降る階段は後ほど歩くとして、先ずは見送っていきます。 少し降り始めると、「」の解説板があります。 解説板の先にあるをくぐって、南砦跡へ向かっていきます。
城山城跡ご案内
<城山城跡の概要>
城山城は矢田川と久須部川に鋏まれた上ノ山に所在し、城域は東西約510m、南北約500mある。 標高396.7mの山頂に位置する主郭(東西約11m、南北22m)を中心に四方向に派生する尾根に階段状に曲輪(削平地)を配置しており、 主郭部と4つの砦(北・南・西・東砦)から構成されている。 文献的には戦国末期まで存続が確認できるが、南北朝期から室町期の城郭遺構が良好に遺存している。 城主居館は、山裾の字「段の平」に所在していたものと思われる。 城主は朝倉氏・八木氏、次いで田公氏と替わったとされている。 天正5年(1577)10月羽柴長秀(秀長)の但馬攻めに際して藤堂高虎は「小代一揆」平定を命じられ、 小代勢は当城で迎え撃っている。 城主田公鋼典(秋庭)は因幡に逃走するが、太田垣信喬・広井典胤・小代大膳ら43名の小代勢が当城に立て籠もり、 栃谷城(浜坂町)城主塩治左衛門尉の援軍50騎と合わせ、藤堂高虎軍120騎と戦い勝利した。 その後小代勢は横行(大屋町)に陣城を構築して藤堂高虎の居所であった大屋谷を攻撃し、 横行・蔵垣・加保(大屋町)などで戦っている。 天正4年(1576)2月の「新屋田渕家由緒書」には山本右兵衛・広井監物・阪本出雲守・上田若狭守・毛戸備後守・井上丹後守・西垣伊賀守ら22名の地侍の名前がみえ、 彼らが小代勢の主力であった。 さらに天正9年(1581)6月秀吉の鳥取攻めの最中には、「小代一揆」鎮圧に杉原左衛門尉(家次)が派遣されていることから、 「一揆」は同年まで続いていたと考えられる。
【曲輪及び虎口】
曲輪(郭) 下の斜面からの攻撃を防御する陣地(削平平坦地)
曲輪の縁辺部に木柵や土塁を設ける物が多い
虎口 曲輪の出入口 通常「木戸」や「冠木門」が設けられた
木製の門の先にあるを降っていきます。 程なくして階段が終わると、になります。 最初に見掛けた案内板によると、主郭跡から南砦跡にかけては「ふれあいの杜歴史公園」として整備されていて、 主郭跡までの荒れ気味の道と比べてとても歩き易くなっています。 緩やかな尾根を少し進んで、再び現れるを降っていきます。 階段が終わると、木橋の手前に「」の解説板があります。
【土塁】
土を盛り上げてつくった細長い防御施設
曲輪の縁辺部や曲輪の仕切りとして使用される場合が多い
木橋の先に続く馬の背のようにを進んでいきます。 少し登っていくと、上面を平らにした石の腰掛けが幾つかあるに出ます。 軽いになった尾根を進んでいきます。 正面に僅かな高みが近づいてくると分岐があります。 脇にはが立っていて、 左側の道は「至る駐車場」、今来た道は「至る主郭」となっています。 正面の擬木の階段は何も示されていませんが、何かあるのか気になるので登っていくことにします。
幅の広い擬木の階段を登っていくとに出ます。 ここで道が不明瞭になりますが、右前方の僅かなへ登っていきます。 ひと登りすると僅かなに着きます。 軽い降り坂になった尾根を進んでいくと、 「」の解説板があります。
【堀切】
尾根筋に対して垂直方向に断ち切った空堀(V字形またはU字形)
尾根筋からの攻撃に対処するために障害を設けるもの
南砦跡
解説板を過ぎて尾根の先端が近づいてくると、道は戻るように曲がって降っていきます。 車道の脇にあるを眺めながら降っていきます。 少し曲がりながら斜面を降っていくと、手前で分かれてきた道とします。 右へ曲がって、先ほどから見えているに向かって軽く登っていきます。 車道の脇にある駐車場に出ると、「」の解説板があります。 解説板によると、ここが南砦跡になるようです。 主郭跡から10分ほどで着きました。
城砦群ご案内
<城砦群の説明>
城山城は主郭1を中心にして、そこから4方向に派生する尾根に曲輪を連郭式に配置した縄張であり、5つの城砦群で構成されている。
(1) 主郭部(主郭1・曲輪2〜7)
主郭1(11×22m)を初めとして、いずれの曲輪も削平や切岸がしっかりとしている。 主郭1と曲輪2の間には門があったであろう。 堀切Iは深く、南尾根筋を遮断する機能をもつ。
(2) 北砦(曲輪8〜12)
曲輪8(10×7m)の背後に堀切IIをもち小規模ではあるが、しっかりとした曲輪群からなる。
(3) 南砦(曲輪14〜16)
曲輪15・16の削平はしっかりしているが、曲輪14はかなり自然地形を残している。
(4) 東砦(曲輪13)
曲輪13(7×30m)は規模も大きく、削平もしっかりしている。 他の2つの曲輪は小規模である。
(5) 西砦(曲輪17〜19)
曲輪19の背後に堀切は無く、曲輪17・18・19とも削平が甘く、自然地形を残す。 曲輪18の西側には小曲輪(4×4m程度)8段重ねており、全体として古い様相をしている。
来た道を引き返していきます。 解説板のある尾根から降ってきた道を併せて、へ入っていきます。 高みを巻くように少し降りながら進んで尾根の背に出ると、先ほど登ってきた擬木の階段とのに出ます。 脇に立つ標識「至る主郭」に従って、来た尾根を引き返していきます。 僅かに降って、緩やかになった尾根を軽く登っていくと、上面を平らにした石の腰掛けが幾つかあるに出ます。 少し降って馬の背のようなを進んでいくと、木橋の先に「【土塁】」の解説板があります。
主郭跡
解説板の先に続くを登っていきます。 階段が終わるとになります。 高みの手前に再び現れるを登っていきます。 階段が終わるとが立っています。 門をくぐって「【曲輪及び虎口】」の解説板を過ぎると主郭跡に着きます。 南砦跡から6分ほどで戻って来られました。 展望櫓の手前に立つ「至る東砦」の標識が指すを降っていきます。
東砦跡
かなり傾斜が急なを降っていきます。 階段を1分ほど降っていくと、次第に傾斜がになってきます。 階段が終わると、緩やかな尾根がしばらく続きます。 これまでに見掛けた案内図によると、この辺りが東砦跡になるように思いますが、その旨の標識類は見掛けませんでした。
がある尾根を進んでいきます。 が増してきた尾根を右・左と小刻みに曲がりながら降っていきます。 やがて現れる木の階段を降っていきます。 階段が終わると、道は戻るように曲がっていきます。 斜面を横切るように緩やかに続くを進んでいきます。 少し降るようになると植林地の谷筋に出ます。 脇の熊笹に掴まりながら降っていくと、 倒木を跨いで登り坂に転じる手前から右前方へ分かれていくがあります。 主郭跡から9分ほどの所になります。 正面の道は少し先で不明瞭になるので、しばらく愚考した後、右前方の踏み跡を進んでいきました。
林間広場
この道で合っているのか不安になりながらも、植林地に続くを降っていきます。 少し右へ曲がって植林地のの左側を降り始めると、 木の階段が途切れながら続くようになります。 落葉などに埋もれて分かり難くなっている階段を辿りながら降っていくと、少し泥濘んだに出ます。 正面には熊笹が茂っているので、左の斜面に沿って進んでいきます。 程なくして、先の方にが見えてきます。 そこへ向かってテーブル・ベンチなどがある泥濘んだ所を進んでいくと、東屋が建つ小広い所に着きます。 主郭跡から16分ほどの所になります。 ここが案内図に載っている林間広場になるようですが、その旨の標識類は見掛けませんでした。 脇には「」がありますが、 土などが入り込んでいて下の部分は見えなくなっています。
案内図に描かれている林間広場から二手に分かれる道を探しますが、 熊笹や夏草などに隠れているのか、それらしい道は見掛けません。 どうしたものかと思って左右を覗っていると、シダ類などが茂って分かり難くなっていますが、 東屋の右側から戻るようにして降っていくがあります。 案内図とは随分違った向きに道があるものだと思いながら降っていくと、 谷筋に降りた所で曲がっていきます。 シダ類が少し茂るを降っていきます。 谷筋には木の階段が途切れながら続いていますが、落ち葉や土に埋もれて分かり難くなっています。
沢のように水が流れる所を少し左へ曲がりながら降っていくと、先の方にが見えてきます。 標識へ向かって降っていくと、小橋が架かる谷筋に出ます。 林間広場から3分ほどの所になります。 脇にはが立っていて、今来た道は「あずまや・東砦・ふれあい歴史公園」となっています。 正面には明瞭ながあります。 案内図によると、北砦跡へ登っていった最初の分岐へ続いているように思えますが、 熊笹が茂って藪漕ぎ状態だったのを思い出して歩くのは止めて、 右にあるを降ることにしました。
には熊笹や夏草が茂っていますが、 細い踏み跡も続いていてそれほど歩き難くはありません。 程なくしてU字形のが現れます。 側溝に沿って踏み跡を少し進んでからいきます。 剥き出した岩の脇を過ぎて夏草が茂る所を降っていくと、芝地になった広場に出ます。 林間広場から6分ほど、主郭跡から24分ほどで降りて来られました。 何のためのなのかは分かりませんが、かなりの広さがあります。 標識類は見掛けませんが、左側に生える大木の間に架かるを渡っていきます。
小橋を渡って、手摺りが設置されて階段状になったを登っていきます。 左右にある墓地への道を分けて登っていくと、になります。 広いの手前まで来ると、柵で閉ざされています。 左側のには柵がないので、 坂をよじ登って石段を降ってグラウンドに出ます。
大谷地区
広いグラウンドのに沿って進んで、 を登っていきます。 の建物を眺めながら、道なりに左へ曲がっていきます。 右から登ってくる道路に出て左へ曲がっていくと、車を止めておいた駐車スペースがあります。 広場から5分ほどで着きました。