三国岳
概 要 三国岳は朝来市・丹波市・多可町の境にある標高855.1mの山です。 今回は鳥羽地区から林道を進み、途中から山道に入って三国峠へ登り、 三国岳まで往復してから山寄上地区へ降るルートを歩きます。 山頂の東側が開けていて山並みを眺められますが、山頂の下から東北東へ延びる林道からはより広い範囲の眺めが広がります。
起 点 多可町加美区 鳥羽地区
終 点 多可町加美区 鳥羽地区
鳥羽地区…登山口…コース分岐…展望地…三国峠…林道出合…林道出合…三国岳…展望地…林道出合…林道出合…三国峠…展望地…コース分岐…登山口…防護扉…鳥羽地区
所要時間 4時間00分
歩いて... 鳥羽地区の林道は木材の搬出作業のために通行止めになっていましたが、通らせて頂きました。 汗を拭き拭き谷筋を登って尾根に出ると、涼やかな谷風が吹き上がってきました。 生憎と雲が広がっていて、山頂や林道からの眺めは今ひとつでした。 山寄上地区へ降る道は、鳥羽地区からの道よりも歩かれていない様子でした。
関連メモ 三国岳
コース紹介
鳥羽地区
丹波市から播州トンネルを抜けて、多可町加美区に続く国道427号を南下していきます。 鳥羽地区に入ると、道の駅杉原紙の里・多可(*)があるので、ここの駐車場に車を止めさせて頂きました。
傍を流れる杉原川に架かるを渡った所には、 杉原紙の博物館、紙匠庵、展示・体験工房、研究所などが並んでいますが、個々を訪ねるのは省略しました。
*以前は「道の駅R427かみ」という名前でしたが、2016年7月に変更されたようです。
道の駅 杉原紙の里・多可
歴史  『杉原紙』は関白藤原忠実の日記「殿暦」永久4年の条(1116年)に『椙原庄紙』として登場します。 武家社会においては広く愛用され、鎌倉幕府の公用紙として使われました。 江戸時代には庶民の日常生活にも広く浸透しましたが、明治維新以降、紙の機械生産や洋紙の普及により衰退し、 大正時代、紙漉きの歴史に一旦幕を下ろします。
復元  昭和15年(1940)に和紙研究家の寿岳文章(1900〜1992)氏、言語学者の新村出(1876〜1967)氏が旧椙原谷村(多可町加美区)を訪れ、 のちに『杉原紙』の発祥がこの地であることを明確にされました。 昭和45年(1970)に『杉原紙』の復元に成功、昭和58年(1983)兵庫県重要無形文化財に指定され、現在も昔ながらの手法で漉き続けられています。
杉原紙発祥之地 意訳
播州は南にたいへん水運のいい内海を持ち、北に日本の背骨中国山脈を負い、肥沃な平野が広がり、 早くから人文が開けたことは、明石原人が発見されたことに象徴されているように明らかである。 製紙についても、奈良時代すでに美紙の産地として聞こえ、平安時代紙屋院(官用の製紙所)の機構が衰えるや、 椙原庄紙の名がにわかに都の文献に出るようになる。 最も古いのは関白忠実の日記「殿暦」の永久四年の記事で、実に十二世紀の初頭のことである。 この事はおそらく紙を漉くのに適した椙原庄が、近衛家の領地だったことによるのであろう。 それからこの紙は「椙原」または「杉原」と呼ばれ国内を風びし、人々の愛用を受け、 中世には紙の品種を示す普通名詞となって連綿と近年まで続いている。 紙の歴史がこのように永いのは他に類のないことであろう。 惜しむらくは現在杉原谷にこの紙を漉く者がいない。 そこで歴史を考え、伝統を尊ぶ郷の人々が相談し、恰好の地を選んで杉原紙発祥の碑を建てようとするものである。 播州は私の郷里でもあり、しかも先年杉原紙の源流を尋ね、帝国学士院会員京都大学名誉教授新村出博士に従って入村した縁によって、 白紙に題字を乞い、私が撰文した。 時に昭和四十一年春三月。
甲南大学教授・文学博士 寿岳文章
道路向かいにある「道の駅第2駐車場」の標識が指すへ入っていきます。 入口には「三国山登山道 入口」のが落ちていました。 以前には「三国岳登山口 鳥羽コース起点(10合目)」のが立っていたようですが、この時には見掛けませんでした。 その標識によると、この鳥羽コースは総延長3,900m・約1時間40分とのことです。 道幅が広がった形のの脇を進んでいきます。 駐車場を過ぎると植林地に入っていきます。 入口には壊れかけた看板がありました。 電柱に取り付けられた「熊 注意!」の紙にドキッとしながらも進んでいきました。
麓から山頂へ向かって1合目・2合目…と数えるのが普通のように思えますが、ここでは逆になっています。
この道は、町が管理している林道です。 目的外の通行・駐車は山林作業等に迷惑となる場合がありますから、ご遠慮ください。 ゴミの不法投棄は法律により罰せられます。
西脇警察署・加美区町・鳥羽区
熊 注意!
熊の目撃情報が多発しています。 登山者は十分注意してください。 熊を目撃した場合は、多可町役場まで連絡してください。
多可町役場
植林地を抜けると、正面にが見えてきます。 少し右へ曲がっていくと、宮谷川が架かっています。 小橋を渡って植林地へ入っていくと、未舗装のが右へ分かれていきますが、見送っていきます。 植林地を抜けると、広くて明るい所に出ます。 道の駅から14分ほどの所になります。 左右が広くなっていて、車を何台か止めておける駐車スペースになっています。
道なりに右へ曲がっていくとになります。 前方に山並みを眺めながら進んで植林地が現れると、が右へ分かれていきます。 角にある「三岳山登山コース」のに従って、正面の林道を進んでいきます。 植林地を抜けていくと、広くて明るい所に出ます。 道の駅から19分ほどの所になります。 車を何台か止めておける広さがある駐車スペースになっています。 脇には「三国岳登山コース 道路、右側を登る(9合目)」のが立っています。 標識によると、山頂までは約1時間30分とのことです。 右にはあります。 その入口に立つ「三国岳登山コース」の標識や9合目の標識を参考にして、右側の道を進んでいきます。
左側にあるを過ぎていきます。 植林地に入っていくと、すぐの所に分岐があります。 脇には「造林作業路 三国線」のが立っています。 この時には木材の搬出作業のため「三国岳登山道は通行止め」のが出ていましたが、通らせて頂くことしました。 角に立つ「三国岳登山コース」の標識に従って、右側の林道を進んでいきます。
造林作業路 三国線
事業名 一級造林事業
開設延長490.0m 幅員2.5m
開設年度 平成4年度
関係者以外の立入りを堅く禁じます。
左を流れる僅かな沢に沿って、登り基調のを進んでいきます。 次第にが増してきます。 噴き出してくる汗を拭いながら登っていくと、 「三国岳登山コース 8合目 あと2,200m」のが立っています。 道の駅から30分ほどの所になります。 谷筋の植林地に続く林道を更に登っていくと、緩やかになった所に分岐があります。 道の駅から33分ほどの所になります。 戻るように曲がっていく林道は見送って、 角に立つ「三国岳登山コース」の標識が指すの林道を登っていきます。
道の上を少し水が流れるを跨いでいきます。 傾斜が増した林道を登り始めると、「三国岳登山コース」のを過ぎていきます。 右上でをしている重機を眺めながら林道を更に登っていくと、 少し右へ曲がった所にがあります。 沢の上を過ぎると、すぐの所に分岐があります。 道の駅から37分ほどの所になります。 戻るように右へ曲がっていく林道の先では伐採作業が行われていましたが、 の林道を登っていきます。
登山口
すぐにあるを過ぎていきます。 倒木があるということは、この先には重機は入っておらず伐採作業も行われていないように思いました。 この時には登山道から外れた所で伐採作業が行われているだけだったので、作業の邪魔をすることはありませんでした。 次第に狭まってくる谷筋に続くを登っていきます。 傾斜が緩やかになると、林道は戻るようにして曲がっていきます。 道の駅から40分ほどの所になります。 角には「三国岳登山コース」のが立っていて、正面の谷筋を指しています。 ここで林道と分かれて、三国峠へ登っていく山道が始まります。
ひと息入れてから、道がはっきりしないへ入っていきます。 倒木などもあるに沿って登っていきます。 2分ほど登っていくと、やっとが現れます。 を跨いだりくぐったりしながら通過していきます。 噴き出す汗を拭き拭き登っていくと、谷筋が二股に分かれる所に出ます。 登山口から8分ほどの所になります。 手前には「三国岳登山コース」の標識が立っています。 ルートを示すかのように、赤テープも取り付けられています。
僅かな沢を渡ってを登っていくと、 すぐに尾根が高くなって谷筋が左右に分かれていきます。 左の急なは見送って、 赤テープが取り付けられている右のを進んでいきます。 程なくして、を跨いで登っていきます。 左を流れるようになった沢に沿って登っていくと、「三国岳登山コース 6合目 あと1,600m」の標識が立っています。 登山口から12分ほどの所になります。 どうやら「7合目」の標識は見落としたようです。 正面の谷筋にも踏み跡が続いていますが、戻るように右へ曲がっていく道を進んでいきます。
谷筋を離れて、植林地のを斜めに登っていきます。 次第に曲がりながら登っていきます。 この辺りから涼やかな谷風が吹き上がってきて、火照った体には何とも心地良いのでした。 尾根の背に出てすぐに左へ曲がり、を登っていきます。 少し右へ曲がりながらを横切るように登っていきます。 次第に傾斜が緩やかになってくると尾根の背に出ます。 登山口から17分ほどの所になります。 出た所には「三国岳登山コース 頂上迄 約1500m」の標識が立っています。
コース分岐
道なりに左へ曲がって、に続く少し窪んだ道を登っていきます。 程なくして、小さく曲がりながら登るようになります。 引き続き吹き上がってくる谷風に癒されながら、の尾根を登っていきます。 尾根の左斜面を巻くように登っていくと、右上にが見えてきます。 「山寄上部落へ下山コース」となっていますが、段差があってそこへ通じる道はありません。 何処から続いているのだろうと思いながら道なりに右へ曲がって登っていくと、右側が掘られたような所があります。 その下を覗いてみると、先ほどのがありました。 ここが鳥羽コース山寄上コース分岐になります。 登山口から22分ほどの所になります。
展望地
山寄上コースを見送って左へ曲がりながら続く窪んだ道を登っていくと、 「三国岳登山コース 5合目 あと1,200m」のがあります。 道なりに曲がりながら登っていきます。 かなりがあって、噴き出す汗を拭きながら登っていきます。 引き続き窪んだ道を登っていくと、しばらくを進むようになります。 尾根の背に出て傾斜が少し緩やかになった道を進んでいくと、左側が開けた所に出ます。 登山口から29分ほどの所になります。 山並みを見渡せる展望地になっていました。 少し左右に移動して山並みを眺めながらひと息入れていきました。
植林地へ入っていくと、少し左へ曲がってを進むようになります。 右・左と曲がりながら登っていきます。 に出ると、窪みが少なくなって歩き易くなります。 程なくして尾根のを進むようになります。 次第に傾斜が緩やかになってくると、正面の樹間に稜線が見えてきます。
三国峠
になった道を少し左へ曲がりながら進んでいきます。 最後に軽く登っていくと、左右に通る尾根にある鞍部に出ました。 登山口から38分ほどで登って来られました。 中ほどには「ここは三国峠です 三国岳登山コース 4合目 あと900m」のが立っていて、右の道を指しています。 袂には「千ヶ峰三国岳縦走路 表銀座コース案内図」と題したなどが落ちています。 正面の下には林道が見えていて、そこへ降る踏み跡には「生野町へ下山コース」のが立っています。 千ヶ峰へ続く縦走路のようです。 ひと息入れてから、「三国峠」の標識が取り付けられた樹木の先に続くを登っていきます。
正面の下の林道は長野地区へ降りていけます。(「三国岳」を参照)
少し登って緩やかになった道を進んでいくとがあります。 正面から右へ曲がっていく道は見送って、角に立つ「三国岳登山コース」のが指す左の道を登っていきます。 すぐに右へ曲がって、植林地に続く広いを登っていきます。 緩やかになった尾根を進んでいくと、僅かなになります。 すぐに緩やかな所を過ぎて登り坂になる尾根を進んでいくと、「三国岳登山コース 3合目」の標識が立っています。 三国峠から5分ほどの所になります。
曲がりながら続く歩き易い尾根を登っていきます。 になった尾根を進んでいきます。 少し右へ曲がっていくとになります。 傾斜が少し緩んでくると、「三国岳登山コース」のを過ぎていきます。 また登り傾斜が増してくると、正面に緩やかなが近づいてきます。 坂を登って緩やかな所に着くと、樹木の袂に「三国岳登山コース 2合目」の標識があります。 三国峠から11分ほどの所になります。
林道出合
になった尾根を進んでいきます。 僅かに左へ曲がりながら進んでいくとになります。 左側にが続くようになりますが、役目を終えたのか、倒れて用を成さない状態になっていました。 次第に明るくなってくる正面へ向かってを登っていきます。 植林地を抜けると、林道の曲がり角に出ます。 三国峠から15分ほどの所になります。 出口の樹木にはテープが巻かれていました。
右前方に続く林道を進んで、すぐの所に現れるへ入っていきます。 右へ曲がりながら続くを登っていきます。 傾斜が緩やかになってくると、右側を指す「御手洗池跡」の標識が立っています。 右側にはがあります。 気になるのでちょいと立ち寄ってみると、中ほどにすり鉢状にがありました。 これが御手洗池跡のように思えますが、水は溜まっていませんでした。 道まで引き返してその先へ進み始めると、すぐの所に「播磨おどり場」のが立っていて、 「この辺一帯の平地です」となっています。 道の駅の傍の青玉神社にある解説板によると、「この辺一帯の平地」は青玉神社が元あった所のようです。
青玉神社 由緒  当社は播州、丹波、但馬の境、三国岳に鍛冶業のご神徳をもって奉斎されていた。 やがて南の山麓なるこの地に遷座せられ、土地を拓き、農を進め加古川流域の農業の繁栄をもたらせた。(後略)
「青玉さん」  この神社の西北に聳える三国嶽の山頂に播磨踊場という広い平坦な所があり、今も御手洗池という小池が残っている。 そこに青玉さんが鎮座まし斎祠されていたという。 青玉神社がこの地に創建された年代は定かではない。(後略)
青玉神社  当社は播州 丹波 但馬の境三国山頂に鍛冶業の御神徳をもって奉斎されていた。 明応二年 安政三年の火災で宝物と記録を消失し 万延元年に三回目を奉建したのが現在の神殿である。 加美町随一の古社で昔からこのあたりを神郷と称し「かみの里」の発祥の地でもある。
青玉神社 社史概要  弥生時代、但馬の豪族天日鉾『アメノヒホコ』の尊が、古代国造りの要衝−政治と鉱物資源開発のため、 但馬・丹波・播磨の国境三国山頂の『踊り場』に祖神の天目一箇神『アメノメヒトツノカミ』を祀り行政の証とした。 千八百年以前(垂仁三年)二世紀頃と推定される。 踊り場は、神々の『まほろば』であり、後に播磨・丹波の民がこの広場に集まり、踊りによって祖先の霊と一体になった。 護摩焚きも行われた。(中略) 『青玉さまは、三国峠を越えて来られた出雲の神さまである』という伝承がある。 事実、弥生文化(稲・鋼・製鉄・紙等の技術)は三国峠を越えて奥播磨に伝わった。(後略)
(出典:青玉神社にある解説板より抜粋)
林道出合
を更に登っていきます。 少しになった尾根を進んでいくと、先の方が明るくなってきます。 「三国岳登山コース」のを過ぎると、また林道の曲がり角に出ます。 三国峠から23分ほどの所になります。 左側には僅かにが見えますが、手前の樹木が邪魔をしています。
三国岳 (標高855.1m)
右前方に続く林道を進み始めと、すぐの所から左の尾根に登っていくが現れます。 山道に入ったすぐの所に立つ「三国岳登山コース 1合目」のを過ぎていきます。 少し右へ曲がりながらを軽く登っていきます。 程なくして、樹木が伐採されて明るくなった三国岳に着きます。 三国峠から26分ほど、道の駅から1時間48分ほどで登って来られました。 中ほどには「三国岳山頂855m」のと三等三角点「三国岳」があるので、 地形図に載っている855.1m峰になるようです。 標柱の傍には「通称名 三国山 加美区・鳥羽」の標識も立っていて、三国山とも呼ぶようです。 山頂の東側が開けていてを眺められますが、樹木が邪魔をしています。
この山頂は朝来市・丹波市・多可町の境界になっていて、 但馬国・丹波国・播磨国の三つの境に位置するので「三国」という名前があるようです。
三角点
基本測量
たいせつにしましょう三角点
国土地理院
展望地
山頂から北西へ続く尾根(*)の降り口には矢印だけのが立っています。 第八峰から第一峰を経て長野地区へ降りていけますが、へ続く尾根を降っていきます。 先ほど分かれてきた林道に降り立ってその先へ進んでいくとがあります。 半壊した防護網を容易に抜けていくと、右側が開けた所に出ます。 三国岳から3分ほどの所になります。 生憎と雲が広がっているのが残念ですが、山並みを見渡せる展望地になっています。
お昼にはまだ早い時刻でしたが、広がる山並みを眺めながら昼食タイムにしました。
*山頂から北西へ降る尾根は「三国岳」を参照。
林道出合
は少し左へ曲がった先へと続いていますが、 今回はここで引き返すことにしました。 を抜けていきます。 山頂から降ってきた尾根の左側に続くを進んでいきます。 山頂へ登っていった山道を右に分けていくと、林道はヘアピン状に右へ曲がっていきます。 展望地から4分ほどの所になります。 登って来た山道は正面の植林地へ続いていますが、今回は林道を歩いてみることにしました。 樹木越しにを眺めながら右へ曲がっていきます。
等高線に沿うように続く緩やかなを進んでいきます。 程なくして左側の樹間からが広がってきます。 見える範囲が変化してくるを眺めながら進んでいくと、ヘアピン状に左へ曲がっていきます。
引き続き僅かなを進んでいきます。 樹木が途切れてが広がる所を過ぎていきます。 縁に寄せられたもありますが、歩き易い林道が続きます。 程なくして、車の交換場所のような少し広くなった所に着きます。 左側には僅かながあって、 その先には登り時に見掛けた「播磨おどり場」の標識が見えました。
林道出合
を更に進んでいきます。 程なくして、に林道が見えてきます。 林道を真っ直ぐ進んでいくと、ヘアピン状に右へ曲がっていく所に着きます。 展望地から11分ほどの所になります。 ここで林道と分かれて、テープが取り付けられた樹木の脇から、元来たへ入っていきます。
倒れて用を成さない状態のに沿って植林地を降っていきます。 僅かに右へ曲がりながら降って緩やかな尾根になると、 樹木の袂にある「三国岳登山コース 2合目」のを過ぎていきます。 少し左へ曲がって、傾斜が増してくるを降っていきます。 傾斜が少し緩やかになると、、「三国岳登山コース」のを過ぎていきます。 少し左へ曲がって傾斜が増してきた尾根を降っていくと、「三国岳登山コース 3合目」の標識を過ぎていきます。
三国峠
引き続き植林地を降っていくと、になります。 再び傾斜が増してくるを降っていきます。 「三国岳登山コース」の標識が立つをクランク型に左・右と曲がっていきます。 少し降っていくと、鞍部になった三国峠に着きます。 展望地から23分ほどの所になります。
展望地
左に続く山道を少し右へ曲がりながら降っていくと、程なくしてになります。 尾根の右斜面を過ぎてに出ると、降り傾斜が増してきます。 左・右と曲がりながら降って、に続く少し窪んだ道を進んでいきます。 植林地から出ると、右側が開けたに着きます。 三国峠から5分ほどの所になります。 右側に広がる山並みを眺めてから、その先へ降っていきます。
コース分岐
を曲がりながら降っていきます。 尾根の背から外れて、に続くようになる窪んだ道をしばらく降っていきます。 尾根の背に出て、道なりにと曲がりながら降っていきます。 何度か曲がりながら降っていくと、道端に「三国岳登山コース 5合目 あと1,200m」のが立っています。 標識を過ぎて右へ曲がり始めると、左側に掘られたような道が分かれていく鳥羽コース山寄上コース分岐に着きます。 三国峠から11分ほどの所になります。 元来た道を降っても良いのですが、山寄上コースを降ることにしました。
左へ降りて、すぐの所に立つ「山寄上部落へ下山コース 大玉林道迄 約400m」のの所を左へ曲がっていきます。 植林地のを横切るように降っていきます。 右・左と曲がってに出ると、オブジェのような枯れ木があります。 緩やかになった尾根を進んでいくと、次第にが増してきます。 尾根の背を外れて右へ曲がる所まで来ると、 「兵公」と刻まれた石杭や「地籍調査」の鋲が打たれた「筆界基準」のなどのあります。 三国峠から19分ほどの所になります。
登山口
の尾根を右・左と何度も曲がりながら降っていきます。 が葉を伸ばし始めた所や落葉が厚く積もった所などがあって、 鳥羽地区からの道よりも歩かれていない様子でした。 左へ曲がっていくと、しばらくの斜面を降るようになります。 3分ほど進んでになった斜面を右・左と曲がって降っていきます。 下の方が明るくなってくると、斜めに通る未舗装の林道に降り立ちます。 三国峠から30分ほどで降りて来られました。 標識類は見掛けませんが、続く林道を降っていきます。
降って来たを右に眺めながら、谷筋に続く林道を降っていきます。 少し右へ曲がりながら降っていくと、ヘアピン状に曲がっていきます。 沢が下を流れるされた所を曲がっていきます。 簡易舗装された所までくると、林道が分岐しています。 林道出合から3分ほどの所になります。 脇には「くらしを支える森づくり事業」の看板があります。 右に分かれていく林道は、地形図に実線で載っている道のようです。 標識類は見掛けませんが、正面に続く林道を降っていきます。
くらしを支える森づくり事業 (分収育林契約地)
目 的 兵庫県では、”物の豊かさによって荒廃しつつある、私たちの心に緑を”育むことを願って、 平成6年5月に開催された第45回全国植樹祭の成果のうえに、 人と森との共生をめざした森づくりを進めるため、平成6年度から「ひょうご豊かな森づくり構想」を推進しております。 その推進方策の一環として手入不足などのために、土砂流出等の恐れのあるスギ・ヒノキの人工林に対して、 「くらしを支える森づくり事業」として、兵庫県森と緑の公社が、分収育林方式により長伐期(100年生)の森づくりを進めています。
所在地 多可郡加美町山寄上字オリト371番16、371番17、371番23、371番25
樹 種 スギ・ヒノキ
面 積 8.34ha
地上権
設定期間
平成10年3月13日
平成97年3月12日(87年間)
樹木の
持分割合
兵庫県森と緑の公社 100分の60
土地所湯者 100分の40
社団法人 兵庫県森と緑の公社
簡易舗装された所はすぐに終わって、に続く未舗装路になります。 車ののような広くなった所の先にある僅かな支沢の上を過ぎていきます。 道なりに少し右へ曲がって、短い草が生えるようになったを進んでいきます。 程なくして、が何本か道を塞いでいました。 跨いだりくぐったりしながら倒木を過ぎていくと舗装路になります。
植林地を抜けて明るい所に出ると、正面にが見えてきます。 道なりに左へ曲がりなが降っていくと、が葉を伸ばし始めていました。 もう少し季節が進むと鬱陶しくなりそうだと思いながら進んでいくと、道は大きく右へ曲がっていきます。 再び細い木が茂る所を過ぎていくとに入っていきます。 左への曲がり角まで来ると、正面を流れる小川にがありました。 左へ曲がって川沿いに降っていくと、小川に架かる小橋を渡っていきます。
保安林
森林を大切に
火気に注意
設置 平成26年度
兵庫県
植林地に続く林道を降っていくと、木材のが行われていました。 左にあるから流れ落ちる水音を聞きながら降っていきます。 植林地を抜けて正面に440.3m峰と思われる山が見えてくると、小川に架かるを渡っていきます。 広くなった谷筋を進んでいくと、の間から続く草が茂る広めの道を左に分けていきます。 支沢に架かる小橋を渡っていくと植林地へ入っていきます。
防護扉
植林地が途切れる所までくると、小川に架かるを渡っていきます。 脇には「水源林造成事業」の看板がありました。 少し左へ曲がりながら降っていくと、正面にが広がってきます。 植林地の入口まで来ると、小川に架かるを渡っていきます。 植林地に続くを淡々と降っていくと、正面が明るくなってきます。 植林地の出口まで来ると防護扉があります。 登山口から31分ほどで降りて来られました。 コの字型レバーを回して鎖を外すと扉を開けることができます。
水源林造成事業
所 在 兵庫県多可郡多可町加美区山寄上字オリト371-43
契約面積 6.19ha(契約年度 平成15年度)
造林者
(地上権者)
北はりま森林組合
造林費負担者
(地上権者)
独立行政法人森林総合研究所
独立行政法人森林総合研究所森林農地整備センター 神戸水源林整備事務所
防護扉を過ぎた所に流れる杉原川に架かる小橋を過ぎて、左右に広がる田んぼの間に続くを進んでいきます。 国道427号の手前まで来ると、「三国岳登山口 山寄上コース」のが立っています。 国道427号に出て右へ進んでいくとを渡っていきます。 民家が見られるようになるとを渡っていきます。 山寄上バス停を過ぎていくと、加美町消防団第一分団の車庫の隣に山寄上集会所があります。 道路向かいには「災害に強い森づくり」の看板が立っています。
災害に強い森づくり(野生動物育成林整備)〜県民緑税の活用〜
平成16年の台風被害を踏まえて、豊かな「緑」を次の世代に引き継いでいくため、 県民共通の財産である「緑」の保全・再生を社会全体で支え、県民総参加で取り組む仕組みとして平成18年度から「県民緑税」を導入し、 防災面での機能強化を目的とした「災害に強い森づくり」を早期・確実に進めています。
■整備内容
野生動物育成林整備事業は、野生動物による被害が深刻な地域の森林を対象に、 バッファーゾーン(見通しの良い地帯)の整備や、野生動物の生息地となる広葉樹林の整備(奥地広葉樹林整備)、 公益的機能が低下した広葉樹林の再生を行い、人と野生動物が棲み分けできる森林を育成します。 当事業地においては、民家や田畑等に隣接した森林の林縁部を帯状に整備(強度な間伐や草刈りなど)、バッファーゾーンを設けた。
平成26年度 兵庫県・多可町・兵庫みどり公社
「道の駅 杉原紙の里・多可 1km」のを過ぎていきます。 山寄上口バス停を過ぎていくと、右側に柵で囲まれたがありますが、利用されていない様子でした。 を過ぎていくと、 右側にがあります。 「道の駅 杉原紙の里・多可 0.5km」のを過ぎていくと、丸木の里への道が右へ分かれていきます。 脇には「丸木の里へようこそ」と題したがあります。
鳥羽地区
国道427号を更に進んでいくと、右を指す「三国の森 国道入口」のが立っています。 標識が指す方向には夏草が茂るばかりで道は見えませんが、冬枯れの季節では明瞭な散策路が続いているのでしょうか。 傍には「三国の森」と題したがあります。 キャンプ場やログハウスがあるを過ぎていきます。 宮谷川に架かるを渡ると、 車を止めておいた道の駅杉原紙の里・多可に着きます。 防護扉から28分ほど、三国岳の東北東にある展望地から1時間55分ほどで到着しました。
多可郡多可町加美区鳥羽 三国の森
三国の森がある多可町加美区は緑豊かな地域で、人と森林が深い関わりをもって共存しており、 「三国の森」は区域のほとんどを先人たちが植林したスギ・ヒノキ林によって占められています。 また、尾根部には良好なアカマツ林・山の中腹の一部にはコナラ林が残っています。 「三国の森」を含む、多可町の森林は、加古川の下流部にある播州平野にある無数のため池などを潤しており、 多くの人々にとって非常に貴重な森林になっています。
兵庫県・多可町・(社)兵庫みどり公社
ふれあい広場 三国公園 施設のご使用について
この施設をご使用になる場合は次の手続きを完了の上お使いください。
ご使用になりたい日、時間帯等を前もって道の駅事務所にて所定の用紙でお申し込みください。(予約制)
使用料は、
キャンプ場 宿泊しない:1日一人1100円、宿泊する:1日一人1200円
ログハウス 宿泊しない:1日2000円、宿泊する:1日4000円
使用前に使用料をお支払いください。
責任者は使用についての留意事項をご確認ください。
キャンプファイアーは当キャンプ場ではできません。
園内での事故等については一切責任を負いません。
管理者