琴引浜
概 要 琴引浜は京丹後市網野町にある砂丘海岸です。 日本最大級の「鳴き砂」で有名で、海水浴場やキャンプ場にもなっています。 今回は、小浜地区から掛津地区にかけての海岸沿いに続く自然歩道を通って琴引浜へ向かい、 京都府で一番大きな湖である離湖に出て小浜地区へ戻るルートを歩きます。
起 点 京丹後市網野町 小浜地区
終 点 京丹後市網野町 小浜地区
小浜地区…自然歩道…ライオン岩…万畳の岩…琴引浜…太鼓浜…遊歩道…離湖…八幡神社…小浜地区
所要時間 2時間30分
歩いて... 自然歩道はしっかりとして明瞭に続いていました。 所々に浜辺に降りていける小径もあって、磯釣りも出来そうな所でした。 琴引浜の「鳴き砂」は普通に歩くとほとんど音はしませんが、摺り足で歩くと「キュッ・キュッ」と良い音がしました。
関連メモ 網野101m峰
コース紹介
小浜地区
京都丹後鉄道の網野駅から国道178号を北上していきます。 離湖の近くまで来ると、少し左へ曲がる所に五叉路があります。 左の道に入って広い道路を横切り、新樋越川に架かる橋を渡って坂道を登っていきます。 を過ぎてになると海が見えてきます。 海の近くまで降っていくと道端に駐車スペースがあるので、ここに車を止めさせて頂きました。
目の前には小浜海水浴場になっている海岸が広がっています。
今回歩くコースは、道の駅に置かれている「」や 琴引浜鳴き砂文化館の駐車場にある「」の案内板などが参考になります。
白砂青松と鳴き砂をめぐる道 琴引浜コース
琴引浜は全国でも有数の鳴き砂(鳴り砂ともいいます)の浜です。 鳴き砂は、昔は全国の浜でみられましたが、環境の悪化などで全国的にも数が少なくなっています。 地元やボランティアの人々により守られている貴重な鳴き砂を体験してください。
琴引浜は周囲に人工構造物の少ない砂浜で、映画やテレビのロケ地にもなっています。 夏には多くの海水浴客が訪れる砂浜には、とっても小さな微小貝もみられます。
海を利用される皆さんへ
京都府では、安全に楽しく海を利用していただくため、「京都府遊泳者及びプレジャーボートの事故の防止等に関する条例」により、 次の行為を遵守事項や禁止事項としています。
(遊泳に関すること)
・みだりに、遊泳者に抱きついたり、危険を生じさせる行為をしないこと
・やす等の危害を及ぼすおそれのある器具を危険な方法で携帯しないこと
・海水浴場の付近では遊泳場外で遊泳しないこと
・酒に酔った状態など安全な遊泳ができない場合は遊泳しないこと
・幼児等を遊泳させる場合は、保護責任者が付き添うこと
・水難事故の防止のため、連絡員等の指示に従うこと
(プレジャーボートの操縦に関すること)
・遊泳区域内には船舶の類を進入させないこと
・遊泳区域に接近し、遊泳者に不安を覚えさせないこと
・漁業施設等の付近では減速すること
・狭い水路や民家等が近接する海域では静穏を保持すること
・酒に酔った状態など安全な操縦ができない場合は操縦しないこと
・水難事故を起こした場合は、直ちに負傷者等を救護すること
(その他)
・遊泳区域の標識を、みだりに移動したり、損壊しないこと
これらに違反した場合は、懲役・罰金を科せられる場合があります。
海水浴場、京都府・京都府警察
山和荘磯ノ香の前を過ぎて、正面に続くを降っていきます。 海沿いに出て、に沿って進んでいきます。 の下を過ぎていきます。 左に広がるを眺めながら、舗装路を道なりに進んでいきます。 突き当たりまで来ると、旧樋越川に石橋が架かっています。 石橋を渡った所から自然歩道が始まりますが、突堤の先まで出て景色を眺めていきました。
海で遊ぶ皆さんへ!
★アワビ・サザエ・ウニ・ワカメ・ノリ・テングサ・モズク・タコ等々とることは禁止されています。
★「潜水器・水中銃」を使用して水産動植物をとることは禁止されています。
★違反すると法令により罰せられます。
★漁協は、アワビ・サザエ等に稚貝を放流し資源の保護に努めています。皆さんとらないで下さい。
漁業協同組合
自然歩道
石橋を見送っての先端まで出ると、八丁浜などの海が広がります。
海はかなりになっているようです。 突堤から引き返して石橋を渡ると、広いがあります。 脇には近畿自然歩道「鳴き砂の浜を訪ねるみち」の道標が立っていますが、文字は消えていて判読出来ませんでした。 石段を登った所には「若狭湾国定公園 掛津〜小浜遊歩道」と題した案内板があります。 文字が剥がれて判読できない所がかなりありましたが、 残った文字からすると、延長は2.4kmあって、隔没・海蝕・隆起等による変化に富んだ海岸美を見られるとのことです。
石段はすぐに終わになります。 道なりに左へ曲がって、良く踏まれたを進んでいきます。 間隔の広いを登っていくと緩やかになります。 左に広がるを眺めながら進んでいきます。 石橋から2分ほど進んでいくと、左へ降っていく小径が分かれています。 自然歩道は正面に続いていますが、ちょいと左の小径を降っていくと、に降り立ちました。
往復2分半ほどでまで引き返してきて、その先へ進んでいきます。 左に広がるを眺めながら進んでいきます。 が設置された所を過ぎていくと、樹木が減って海を見渡せるようになります。
岩畳の中に頭を出しているのは帆掛け岩でしょうか。
ライオン岩
軽い登り坂になると、「ライオン岩」のが立っています。 石橋から7分ほどの所になります。 下を覗いてみると、それらしいが半分ほど見えます。 どこか降りていく所はないかと前後を探っていると、20mほど手前から海岸へ降りていくがありました。 斜面を降っていくと、がゴロゴロする海岸に出ます。 足元に注意しながら岩の上を歩いていきます。 砂浜に出て進んでいくとライオン岩がありました。 見る角度にもよりますが、手前の少し海側から見ると、座っているライオンのように見えてきます。
網野ふるさと自慢百選 66.ライオン岩
千石の帆掛け岩から掛津寄りにある自然岩です。 全長約3.8m・高さ約2.3mを測ります。 ちょうどライオンが座って海を眺めているような形をしているため「ライオン岩」と名付けられました。
京丹後市教育委員会
往復9分ほどで自然歩道まで引き返してきます。 「ライオン岩」の解説板を過ぎていくと、鎖柵が設置されたが現れます。 石段が終わった道を進んでいくと、程なくして間隔の広いを降っていきます。 石段の先の道を緩やかに降っていくと、縦杭の階段が現れます。 階段が終わった先を少し右へ曲がりながら進んでいくと、再びが現れます。 階段が終わった道を進んでいくと、小径が左へ分かれていきます。 石橋から20分ほどの所になります。 自然歩道は正面に続いていますが、ここでも左のを歩いてみました。
砂地になった小径を降っていくと、傾斜が増す所にが垂らされています。 すぐにロープが終わる小径を進んでいくと浜辺に出ます。 砂浜の先には磯浜が広がっていました。
浜辺から引き返して、が垂らされた所を登っていきます。 往復4分ほどでまで引き返してきて、その先へ進んでいきます。
両側にが茂る自然歩道を進んでいきます。 松が終わって、両側に枯れたが茂る所を過ぎていきます。 振り返ってを眺めながら進んでいきます。 小さなを過ぎていきます。 少し右へ曲がる所まで来ると、小径が左へ分かれています。 石橋から28分ほどの所になります。 ここでも左の小径を歩いてみました。
すぐ先に見えている海辺へ向かって小径を降ってくと、すぐにが垂らされています。 一旦途切れてすぐに現れるロープに沿って降っていくと、砂浜の手前の岩の上に出ました。 砂浜までが垂らされていますが、岩の上から景色を眺めるだけにしておきました。
往復2分ほどでまで引き返してきて、その先へ進んでいきます。 少し右へ曲がりながら進んでいくと、が開けてきます。
広がる海を眺めながら進んでいくと、また左へ小径が分かれていきます。 石橋から31分ほどの所になります。 ここでも左の小径を歩いてみました。
両側に枯れた笹竹が茂るを降っていきます。 目の前が開けてくると岩の上に出ます。
右側の切り立った岩壁にはが垂らされていますが、掴まって降りる人がいるのでしょうか。
往復2分ほどでまで引き返してきて、その先へ進んでいきます。 壊れかけたを過ぎていきます。 左に広がるを眺めながら進んでいきます。 両側に笹竹が茂る所を進んでいくと、また小径が左へ分かれていきます。 石橋から37分ほどの所になります。 角には近畿自然歩道「鳴き砂の浜を訪ねるみち」のが立っていて、 正面の道は「琴引浜2.0km」、今来た道は「八幡橋1.7km」となっています。 解説板のようなものもありますが、文字などはすっかり消えていました。 ここでも左のを歩いてみました。
はしっかりとした広めの道になっていました。 これまでの小径よりも長く続いていて、の枝道なのかと思いながら進んでいきます。 少しになると、海が近づいてきます。 海に向かって降って岩場に出ると、目の前には磯浜が広がっていました。
万畳の岩
往復4分ほどでまで引き返してきて、その先へ進んでいきます。 程なくして現れる鎖柵が設置されたを登っていきます。 階段が途切れた先へ続くに沿って進んでいきます。 再び現れる階段を登っていくと、「万畳の岩」のが立っています。 石橋から44分ほどの所になります。 下に見える広い岩畳が万畳の岩のようですが、降りていけそうな道は見かけませんでした。
網野ふるさと自慢百選 8.万畳の岩
八丁浜から琴引浜に至る海岸の一部で、万畳の山の下、海岸辺りに約4m×3mもある岩石が数知れずあり、 その間に約60cmの溝が縦横に走りそこに海水が満ちて、山上から眺めると畳の縁に見え、万畳敷きの岩場となる。
右へ曲がりながら登っていくと、再びが見えてきます。 手前には新しそうな「第二番」の石標がありました。 右へ曲がっていくとが現れます。 石段が終わるとが現れます。 右下にを眺めながら進んでいきます。 再び現れる石段を左へ曲がりながら登っていきます。 石段が終わった道を進んでいくと、また万畳の岩が見えてきます。 少し進んだ所に「第三番」のがありました。 裏面には「小浜区 掛津区 2000年」と刻まれていますが、ここが小浜地区掛津地区の境界ということなのでしょうか。
少し右へ曲がって、また現れるを登っていきます。 石段が終わって、が設置された道を進んでいきます。 樹間からなどを眺めながら進んでいきます。 右への曲がり角まで来ると、脇にベンチが設置されていました。 石橋から51分ほどの所になります。 ベンチの左側へ出てみるとが見えました。 奥に見える特徴的な姿をした山は依遅ヶ尾山でしょうか。
道なりに右へ曲がって、引き続き広くてしっかりとしたを降っていきます。 左へ曲がる所まで来るとが現れます。 少し曲がりながら続く石段が終わって、両側にが生い茂る道を降っていきます。 笹竹が茂る所を過ぎて、に沿って進んでいきます。 左側には琴引浜が近づいてきます。 琴引浜は、中ほどに突き出すを挟んで東側と西側の二つに分かれているようです。
が生える道を緩やかに降っていきます。 砂に埋もれたを降っていきます。 左に広がるを眺めながら進んでいきます。 砂が混じる道を曲がりながら降っていきます。 短い石段を降って進んでいくと、僅かに水が流れるを左へ曲がっていきます。 登り坂になって右へ曲がり始めると解説板が立っていますが、ここでも文字などはすっかり消えていました。
琴引浜
間隔の広い階段混じりのを登っていきます。 傾斜が緩やかになった道を進んでいくとがあります。 脇には近畿自然歩道の道標が立っていますが、文字は消えていて判読できませんでした。 ここでも左へ分かれていくを歩いてみます。 次第に踏み跡程度になる小径を進んでいくと砂浜に出ます。 ここが西側の琴引浜になります。 石橋から1時間ほどの所になります。
往復3分ほどでまで引き返してきて、その先へ進んでいきます。 すぐの所から右へ小径が分かれていきます。 角には近畿自然歩道の道標が立っていますが、文字は消えていて判読出来ませんでした。 道標には右の(*)を指す板はありませんが、国道178号へ続く農道に出られます。 ここは左へ曲がっていくを進んでいきます。
*後日に右の小径を歩きました。(ルート図に緑色で表示)
車が通れそうな幅のを軽く登っていきます。 軽く降るようになるとが立っていますが、 ここでも文字などはすっかり消えていました。 松林の中に続く広い道を進んでいくとがあります。 左へ分かれていく小径は先ほどの小径の近くの海岸へ続いているので、立ち寄るのは省略しました。 左の小径を見送っていくとまたがありますが、ここでも文字などはすっかり消えていました。 更に進んでいくと、左への曲がり角にある分岐に着きます。 石橋から1時間7分ほどの所になります。 車の轍も見られる(*)は、 琴引浜離湖の間にある丘陵に続く遊歩道のようですが、 ここは左へ曲がっていく自然歩道を進んでいきます。
*戻り時に右の遊歩道を歩きます。
広い道を進んでいくと、道端にがありました。 中を覗ってみると石仏が安置されていて、「正一位早_稲荷神社」(*)の木簡がありました。 の中に続く広い道を進んでいきます。 この松林は防砂林になっているようです。 次第に松の木が減ってくるとに出ます。 左に広がるを眺めながら進んでいくと、 僅かな沢に木橋が架かっています。 石橋から1時間12分ほどの所になります。 傍には解説板もありますが、ここでも文字などはすっかり消えていました。
*「早_稲荷神社」の2番目の文字は判読出来ませんでした。
木橋を渡った先から振り返ると、がよく見えました。 向こう側を向いて立つ「この先キャンプ禁止」のを過ぎていきます。 左前方にを眺めながら、防砂林の松林を進んでいきます。 少し段差になった所にキャンプスペースが点在する道を進んでいくと、「キャンプ専用地」の標識を過ぎた所にトイレがあります。 手前には「」があります。 最初の石橋の傍にあった案内板では「小浜〜掛津遊歩道」となっていて、少し表現が異なっていますが、 これまで歩いてきた自然歩道はここで終わりになるようです。 何度かの小径への立ち寄り時間の合計27分ほどを含めて、石橋から1時間16分ほどで到着しました。
トイレを過ぎていくとがあります。 中ほどにはや「国指定 天然記念物及び名勝 琴引浜」と題したなどがあります。 駐車場の先の方へ進んでいくと、にある坂道と階段から、すぐ下に広がる砂浜へ降りていけます。
琴引温泉 泉源
昭和52年7月湧出
丹後、島津出身の松本米治教授が生前郷土の発展を願い、全財産を投じ丹後で初めて掘り当てた温泉です。 この温泉は、丹後温泉郷の礎となり、多くの人々の憩いの場になっています。 泉質がよく美肌効果に大変優れています。
平成27年5月建立
国指定 天然記念物及び名勝 琴引浜
琴引浜は、京都府丹後半島の西側基部に位置する日本海に面した京丹後市網野町の掛津地区と遊地区にあり、 その延長約1800メートルの海岸は、鳴き砂の浜としては日本でも最大級の規模を誇る。 また、この海岸線は、丹後天橋立大江山国定公園に含まれ、景勝地としても知られている。 「鳴き砂」とは、特異な発音特性を有する石英質の砂ことである。 賊に鳴り砂、歌い砂、音楽砂、琴砂などと呼ばれるが、日本古来の固定した呼び名はない。 自然条件では厳しい波浪や風の作用で砂粒の淘汰と表面洗浄が常に行われて堆積し、 土砂など異物が混入しないような海岸や砂漠で稀に鳴き砂が形成される。 この砂の上を歩いたり、棒などでつつくと、キュッ、キュッ、という美しい音を発するため、珍しい現象として古くから知られてきた。 琴引浜の砂は、石英の含有率が高く、浜全体が鳴き砂の浜であるが、 浜の中心付近を特に太鼓浜と呼んでいる。 砂浜をこぶしでたたくとドンドンと音がする所があることからその名前の由来がある。 場所や季節によって鳴く状態が変化し、場所としては太鼓浜から西側がより良く鳴き、 季節的には、砂が冬の日本海の荒波で現れた後の春先が最も良い状態である。 琴引浜の名前は、古くは琴弾浜とか琴曳浜と書かれており、鳴き砂の音を琴の音にたとえたところからつけられたものである。 歴史的に古くから鳴き砂の浜として知られていたことが分かる。 江戸時代の丹後地方の地誌である「丹哥府志」などにも記録されている。 琴引浜の波打ち際を観察すると大きな貝殻にまじり、大きさが数mm以下の小さな貝が目にとまる。 これが微小貝といわれる貝で大きさが数mmでも成貝であり、琴引浜には数百種類の微小貝が生息しているといわれている。 また、原始的な生物である有孔虫も生息している。 このような微小貝や有孔虫は、海が汚染されてくると最初に絶滅する生物群であり、 日本でも過去には全国の海岸で見られたものが、現在では限られた海岸しか生息していないとされているものである。 琴引浜にこのような生物が生息していることは、とりもなおさず海がきれいであることの証明であり、 このきれいな海だからこそ砂も鳴き続けることができるのである。 また、海岸部は国定公園に指定されるなど美しい景観を有しており、歴史的な背景とともに名勝に指定された。 琴引浜は、他にも1987年に「日本の白砂青松百選」、1996年に「残したい日本の音風景百選」と「日本の渚百選」に選定されている。
京丹後市教育委員会
太鼓浜
左へ戻るようにしてを降っていくと、 松の木が何本か生えるに出ます。 右側には石碑や「網野町指定文化財 琴引浜の鳴き砂(鳴り砂)」と題したがあります。 「浜の入口」のに従って更に階段を降っていくと砂浜に出ます。 ここが琴引浜を東側と西側に分ける太鼓浜になるようです。
砂浜を少し歩いてみました。 普通に歩くとほとんど音はしませんが、案内板にある通りに摺り足で歩くと「キュッ・キュッ」と良い音がしました。
網野町指定文化財 琴引浜の鳴き砂(鳴り砂)
琴引浜  みなさんの目の前に広がる砂浜が鳴き砂で有名な琴引浜です。 全長1.8kmにわたって広がる琴引浜の全部で鳴き砂の音を聞くことができます。 鳴き砂の浜は、わが国でかっては20ヶ所ほど確認できましたが、現在では開発や海洋汚染などにより大変少なくなり、 この琴引浜のほかには、島根県仁摩町の琴ヶ浜と宮城県気仙沼市の十八鳴浜が良好に残っているに過ぎません。 中でも、この琴引浜が最大かつ最良の鳴き砂の浜といわれています。 また、琴引浜の中で特別に太鼓浜と呼ばれている一帯もあります。
(現在地の下の岩場付近の砂浜)  琴引浜は古くから知られており、戦国大名の細川幽斎やその子の忠興の妻細川ガラシャが歌に残していたり、 江戸時代の文献にも鳴き砂の様子を書いたものが残されており、 このように古文献に記載され記録されているのは全国でもここだけです。
鳴き砂を楽しむ法  さあ、あなたも浜に降りて鳴き砂を音色を楽しんで下さい。 足をするように歩いたり、手で砂をはくようにすると「キュッ、キュッ」と鳴ります。 太鼓浜では、こぶしで砂をたたくと「ドン、ドン」とも鳴ります。 ただ、砂が湿っていると鳴りませんので、経が天気であることを願っています。 それでは、海や砂浜をよごさないようにしてごゆっくりお楽しみ下さい。
微小貝  もうひとつ海の奇麗さを示す証として、琴引浜には微小貝が棲息している事実があります。 微小貝とは、大きさが2mm前後の非常に小さな貝のことです。 かっては日本全国の海岸で見られたこの貝も、海岸線の人工的変形や産業・生活排水の流入などの汚染により、 このような小さな弱い生物はめっきり減少してしまいました。 琴引浜には、900種類もの微小貝が棲息しているものと考えられていますが、このような海岸は全国でも例を見ないものです。 そのほかにも原始的な生物である有孔虫など外ではめったに見られない生物群が生きているのです。 無数の生物たちが生き残っている琴引浜だからこそ、鳴き砂も生き続けてきたといえるのです。
鳴き砂のメカニズム  では、どうして砂が鳴るのでしょうか。 鳴き砂の正体はきれいに磨かれた石英の砂の粒です。 このきれいな石英の砂が圧力を加えることによって震動して音になると考えられています。 ですから、海が汚れたり、汚泥が混ざったりして、この石英の砂に少しでも汚れがつくともう鳴らなくなります。 鳴き砂は海の奇麗さの証明でもあるのです。
網野町、網野町教育委員会、琴引浜の鳴き砂を守る会
白龍神社
「車両進入禁止」の看板が出る坂道からに戻って、その先へ進んでいきます。 キャンプ場への坂道を右に分けてトイレの前を過ぎていくと、左側に手水舎があり右側にが立っています。 脇の板塀には「白龍神社由来」が書かれていました。 「白龍神社」の扁額が掲げられた石製の鳥居をくぐって、その先のを登っていきます。 踊場を過ぎて更に登っていくと、白龍神社に着きます。 右側にある社務所を過ぎていくと、「白龍神社」の扁額が掛かる社殿があります。 左右には稲荷神社や合祀されている祠がありました。
白龍神社由来
社号  青松の山地より湧き出る一条の白龍、此の尽きない清流を神徳として社号にしています。
社殿  古来、社殿は山頂に在りましたが、宝暦七年(1752)現在の境内に遷座されました。 其の後昭和二年の丹後大震災で壊滅しましたが、非常の中で再建今日に至っています。
祭神  本社に大物主神をお祭りしてあります。 大物主神は大國主神の一つの御よび名です。 大物主神は素戔嗚尊の御子で神代にあって少彦名神と心を合せて強暴の神を懐柔し民に稼穡(農業)を教え、 災厄を祓い、寮病のために禁厭や医薬の道も教え、又温泉を起し子孫の繁栄を助けるなど、蒼生(民)の救済に力を尽された崇徳の神様です。
道路に戻って食事処などを過ぎていくとがあります。 脇には「琴引浜」と題した案内板があります。 休憩所や民宿を過ぎていくと駐車場があります。 脇には「国指定 天然記念物及び名勝 琴引浜」と題したがあって、 その脇のから東側の琴引浜へ降りていけます。
琴引浜
琴引浜は全長1.8kmの砂浜です。 この砂浜は、波で洗われた石英質の砂が広く分布し、 その上を歩くと砂の粒が揺れて「きゅっきゅっ」と音が鳴る「鳴き砂の浜」として知られています。 砂浜が少しでも汚れると、砂は鳴かなくなります。 砂浜の良好な状態を守るために、地元の人々の清掃等の地道な活動が継続的に行われています。 砂浜のところどころに見られる地層は今から約1,400万年前の海底に堆積したもので、 当時の生物が這った跡の化石(生痕化石)などが見られます。
山陰海岸ジオパーク
「ジオパーク」とは、長い年月をかけて育まれた大地の歴史や恵みを見て、学び、味わい、楽しむことができる”大地の公園”です。 「山陰海岸ジオパーク」は、京丹後市から鳥取市にまたがる広大なエリアを有し、 日本海形成から現在に至るまでの多様な地質・地形と、多彩な自然を背景にした人々の暮らしや歴史・文化を体感することができるジオパークとして、 資源の重要性と保全活動等の地域活動が評価され、平成22年に世界ジオパークネットワークに加盟認定されました。
京丹後市観光協会
国指定 天然記念物及び名勝 琴引浜
1 所在地京丹後市網野町掛津小字西山ほか
2 指定面積1,548,889.72u
琴引浜は、丹後半島西岸の京丹後市網野町掛津・遊にかかる日本最大級の鳴き砂の砂丘海岸で、海岸線総延長は約1.8kmである。 浜の背後には標高50mほどの古砂丘が連なり、指定面積は約155ヘクタールに及ぶ。 琴引浜は中心部の岩礁が露出する太鼓浜を境にして、東部と西部(狭義の琴引浜)の3つに分かれ、 琴引浜の砂粒は、全国の鳴砂の浜と比較しても粒がよく揃った丸みのある石英で構成されている。 推進10m以浅の砂は円磨された石英砂よりなり、波浪によりよく洗浄された状態であり、この砂が鳴砂の浜としての琴引浜を支える。 琴引浜は、古来、鳴き砂の浜として知られ、戦国時代の武将で丹後の田辺城主であった細川幽斎や細川ガラシャも和歌に詠んでいる。 また、江戸時代の奇石を記載した『雲根誌』にも記録があるほか、与謝野寛・晶子夫妻もこの地を訪れ和歌を残すなど鳴き砂の浜として、 砂浜海岸の典型として、さらには海浜の景勝地として貴重である。
合わせて28分ほどいた太鼓浜の周辺を後にして、駐車場の奥にあるトイレの先に続くを引き返していきます。 防砂林の間からを眺めながら進んでいきます。 少し降って松の木が減った明るい所に出ると、僅かな沢に架かるを渡っていきます。 明るい所を過ぎて、再びの中を進んでいきます。 小広い所にあるを過ぎていくと分岐に着きます。 太鼓浜の駐車場から7分ほどで着きました。 元来た右の自然歩道は見送って、琴引浜離湖の間にある丘陵に続く左の遊歩道を進んでいきます。
遊歩道
緩やかな疎林に続く広いを進んでいきます。 少し左へ曲がりながら進んでいくとに出ます。 左の道(*1)は丘陵の中ほどへ続いていますが、を進んでいきます。 僅かなマウンドの手前まで来ると、広い道(*2)は左へ曲がって尾根を登っていきます。 正面のマウンドを越えると、左右に通るに出ます。 右へ進んでいくと道標が立つ自然歩道分岐に出られますが、左の小径を進んでいきます。
*1後日に左の道を歩きました。 地形図に実線で載っている道とほぼ同じルートで続いていましたが、 東側から国道178号へ降る部分は大規模な造成地になっていて、道がなくなっていました。
*2後日に左の道を歩きました。 この道は地形図に載っていませんが、標高60mほどの高みを越えてしっかりと続いていました。 (いずれもルート図に緑色で表示)
のような所に続く小径を緩やかに降っていきます。 切通を抜けるとの終点に出ます。 には鎖柵が設置されています。 左右の道は見送って、を真っ直ぐ降っていきます。 正面に離湖を眺めながら降っていくと国道178号に出ます。 太鼓浜の駐車場から17分ほどで出られました。
離湖
車を止めてきた駐車スペースに向かって、を西へ進んでいきます。 左側には京都府で一番大きな湖である離湖が広がっています。 湖の中ほどに突き出るは、以前は島だったようです。 半島は離湖公園になっていて、山の上には離山古墳離湖古墳があります。 参考までに、過日に公園を訪ねた時に見かけた案内板の内容を載せておきます。
網野ふるさと自慢百選 7.離湖
離湖は、周囲3.8km、推進7m、水面面積35ヘクタールを測る府下最大の淡水湖です。 冬には渡り鳥がやってくるほか、ヘラブナやワカサギ釣りの名所としても知られています。 中央には、かつて島であった「離山」と呼ばれる山があります。 山↑には、古墳時代の有力者を葬った離湖古墳と離山古墳が築かれています。 また天文7年(1538)の『丹後国御檀家帳』に「あみののはなれと申す寺」と記された龍献寺は、離山にあったと伝えられています。
京丹後市教育委員会
離湖
離湖は面積389u、最大水深7mの京都府下最大の淡水湖です。 かつては日本海とつながっていた湾の一部でしたが、 その後、八丁浜の砂州や砂丘の成長により、日本海と隔絶された潟湖になったと考えられいます。 この湖の周辺には縄文時代早期の遺物が発見されており、西岸には古墳群も分布しています。 湖に浮かぶ離山にも2基の古墳が確認されており、そのひとつである離湖古墳からは地元の凝灰岩を用いた長持形石棺が見つかっています。
京丹後市観光協会
離山古墳
離山古墳は離山の最も高い尾根の頂上標高28mにあります。 古墳は直径15m、高さ2.2mの円墳で中央に石室があります。 石室は基礎に比較的大きな石を横に並べその上に扁平な安山岩の割り石を平積みにし、花崗岩の天井石で覆っています。 石室の大きさは長さ2.8m、幅は南側奥壁部で1.0m、北側で0.7m、高さは0.9mです。 床面は一部に割り石を敷いており、丸い小石も敷いていたようです。 昭和24年地元の青年が石室内を堀り、そのとき出土した遺物は琥珀1、ガラス玉3、碧玉製管51、鉄斧1、須恵器杯11、土師器2、金環1です。 平成2年7月の調査で石室の北及び南側から須恵器(杯7、高杯1、堤瓶1)土師器(高杯5)が出土しました。 古墳の築造時期は出土した須恵器等の年代から6世紀前半であると考えられます。 離山古墳の石室は4世紀代の前期古墳に見られる竪穴式石室とは趣を異にし、 横穴式石室への過渡期に用いられる竪穴系横口式石室の系列に入るもので、 近くでは岡2号墳、くらがり2号墳等と同じ構造であったと考えられます。 また、竪穴系横口式石室は朝鮮半島の伽耶地域から九州、日本海沿いに分布していることから朝鮮半島の墓制であろうと推定されています。
平成5年3月 京丹後市教育委員会
離湖古墳
離湖古墳は平成2年の発掘調査により発見された古墳で、規模は南北43m、東西34m、高さ6.4mの不整形な古墳です。 墳丘の裾には、朝顔形埴輪、円筒埴輪を置いています。 墳頂部は二つの埋葬があり、長持形石棺と箱形木棺を直接埋葬しています。 第一主体部(長持形石棺)は盗掘にあったため石棺の底石と副葬品の一部が残っているだけでした。 長持形石棺の底石は長辺2.4m、短辺1.11m(西)0.9m(東)、厚さ15〜16cmで、縄掛突起含む長さは2.75mです。 底石には側辺をはめこむ溝があり、長側石が短側石をはさむ形で掘り込まれています。 幅の広い南東側を頭にして遺体を埋葬したと考えられます。 副葬品の多くは盗掘の際持ち去られましたが、わずかに鉄刀、鉄斧、刀子、鉄鏃、三角板鋲留短甲等の破片が残っていました。 第二主体部(箱形木棺)は長さ4.88m、幅0.7m(西)0.8m(東)の棺で、仕切り板で三つに区切り、 その中央に石棺と同じ方向(南東)に頭を向けて葬っています。 副葬品は頭部付近の右側から銅釧2、石釧1、勾玉1が、左側からほぼ対象の位置で鏡1、堅櫛1、勾玉、管玉、ガラス小玉多数が出土しました。 頭部仕切り板より東から堅櫛1、足部仕切り板より西から鉄刀1、鉄剣1が出土しました。 棺外からの出土遺物は鉄鉾1と鉄鏃3です。 古墳に埋葬される長持形石棺は「王者の棺」ともよばれ、 大阪府大山古墳(伝仁徳陵)や京都府久津川車塚古墳などの大王級の古墳に埋葬されるりっぱなものです。 また、第二主体部(木棺)に副葬された銅釧、石釧、鏡等は京都府下でも数少ない貴重な遺物です。 本古墳は、丹後町産土山古墳、弥栄町ニゴレ古墳とともに古墳時代中期を代表する古墳です。
平成5年3月 京丹後市教育委員会
八幡神社
丹後ふるさと病院前バス停を過ぎてを渡っていきます。 小浜バス停を過ぎると「小浜海水浴場」の看板が出るがあります。 右の路地に入って、民家が建ち並ぶ中に続く軽い坂道を登っていきます。 坂を登り切って降り始めると、八丁浜小浜温泉湯元のの手前に 「八幡神社」の扁額が掛かるが立っているので、ちょいと立ち寄っていきました。 坂道を登っての中を過ぎていくと、玉垣で囲まれた中にある八幡神社の社殿に着きます。 由緒などを記したものは見かけませんでしたが、情報によると祭神は品陀和気命(応神天皇)とのことです。
後日に来てみると、「シーレイク浜招月」は「京丹後シーフロントLiVEMAX RESORT」になっていました。
小浜地区
往復5分ほどで路地まで引き返してきて、シーレイク浜招月の先へ続くを降っていきます。 車道の脇に建つまで降ってくると、車を止めておいた駐車スペースが道路向かいにあります。 国道178号に出た所から20分ほどで着きました。